20251003

日記650

クラブ活動

2025/10/02 昨日
この日も一日在宅勤務。友人が家に来るのでいろいろと準備をする。仕事は暇でどうにでもなるという感じだったのに友人が下北沢駅に到着する時間になって急遽のタスクが降りてくる。仕方なく対応するが、無理して働いているフリしないでもいいよと言われてしまう。まあたしかにパフォーマンスの一環だと思えば今回ばかりはちょうどよかったといえるかもしれない。
荷物だけ置いてもらって下北の街に繰り出す。散歩中の犬がべつの散歩中の犬と遭遇し、大きい方が小さい方の鼻面に噛み付く場面にでくわす。驚きのあまり「コラ!」と言って周りを驚かせてしまった。
季節も季節だしこれはやりたいと思っていた路上飲みをいきなり実行に移すことができた。友人は何かとふざけたがるわりにスクエアなところもあるのですこしハードルがあるかとも思ったが、ヘラヘラしながらなんとなく提案して了承を取り付け、即ドンキで缶ビールを購入。ウェンディーズ近くの踏切の十字路で乾杯を済ませる。
そこからずっと路上飲み、路上飲みのみでもよかったのだが、まあさすがに勘弁してやるかということで店に入る。二、三回行って気に入っていた都夏(つげ)に連れていく。夏の終わりに行くのにもっとも適した店だと思うし、店選択は言うことなしだったはず。昔の話ばかりしていてはいけないという枷を自分に嵌めつつ、だからといって先の話にも具体的な展望があるわけでもなし、中途半端な発話に終始してしまった。お互い現状に不満があるというのではまったくないが、満足しているわけではないという中途感を確認したということはいえるかもしれない。友人は資格の勉強をして雇われではなく個人事業主で働きたいという展望があるということだった。自分は仕事に関しての希望はどれだけ短い時間で済ませられるかという税金感覚しかないので、そういう部分では話が展開していかない。昔目指していた職業について、今の感覚でやってみるのもいいかもしれないよという提案を受ける。たしかにそうかもしれないと思う部分がないではないが、自分の最強の欲求と付き合わせて考えるとそうでもないなという結論に今のところはなる。人と関係していく仕事に昔ほどの感覚がない。これはよくもわるくもということだが、自分の傾向からするとよくの部分が多い気がする。
一旦帰宅し、最寄り駅の気になっていた飲み屋に出かけようとする。しかし繁盛が閾値を超えて超満員だったので店には入れず。家に帰って宅飲みをすることにした。今回、Lシステインのことを教えられたのがもっとも大きい。二日酔いの頭痛が無くなることには大きな意味がある。飲酒に付き物の、なくてもいい苦痛が無くなることで大幅なQOLの向上を望めるからだ。
飲み終えて寝る準備をする。電気を消して寝る前の時間、昔タリーズでバイトしてその日のバイト代を全部使って飲んでいたとき、上七軒の下宿に泊めてもらったことを懐かしく思い出した。今とは比べ物にならないほどもっと不安定だったが、ある面での満足の度合いは今と変わらないと思った。慌ててもしょうがないが、もっと急ごうとしてみてもわるいことは何もない。


2025/10/03 今日
AM休を取って友人を見送りがてら下北沢まで出る。スタンダードベイカーズで朝食を摂ってから、朝の下北沢をスズナリ、リロードのあたりまで散歩して紹介した。成田空港からのフライトということで11時には解散。スタバに行き、図書館カウンターで受け取ったパーフィットの『理由と人格』を読む。分厚い上に大きい大著で読むのには苦労しそうだが、パーフィットのことを知るためには伝記のような半端なかたちでその生涯を追いかけるより、その著書を読むほうがむしろ効率的にちがいない。それはなぜか前後半2冊に分かれている伝記の前半を途中まで読んで感じたことだから伝記にも意味がないとは言えないが。
まだ1章の最初までだが印象的なのは「自分の本をよくする」という最強の欲求を持つケイトだ。書きたいという欲求と自分の人生を持っているすべての人にとって考えるに値する内容が考えられていると思う。避けては通れない、もし避けて通るためにはケイトと同種の最強の欲求を持ち、その欲求の成就に向け邁進するしかない考えだ。しかし、それについて「どうする、どうしよう」と考えるのは合理的ではないかもしれない。それは欲求の成就という観点からは立ち止まっているカウントになるだろうからだ。自分を納得させないと進めないというのはたぶん偽りなのだろうし。
しかし、それとは直接関係ないのでしかしというのもちがうかもしれないが、今時点でパーフィットについて思うのは、彼は人間が100人いるということを受け容れて、その利益が最大化するために思考しているということだ。人間が自分1人しかいないとすれば、「理由」を考えることは意味を持たない。しかし自分以外の99人の存在を認めるとすれば、「理由」について考えることは意味がある。その思考があるおかげで正しいと思う方に人を方向づけられたりするからだ。パーフィットは自分1人の人生を犠牲にしているという考え方ではないのだろうが、それを犠牲とは言わないまでも、ある時点から始まってある時点で終わる人格にとって、その接続(他に人が99人いる・人格が99あるという考え)は信じるに足るものなのだろうかという疑問が自分にはある。それはこだわるよりも通り過ぎるほうが理に適っているというのは感覚的に同意できる。ナンセンスを回避するという意味で受け取りやすい。しかしそうするとパーフィットの提出するような問題も同じように扱ってかまわないのではないか。どこに考える/無視するを画する一線があるのか。
ぜひケイトの意見を聞きたいと思っている。

20251001

日記649

青い月


2025/09/30 昨日
午前中在宅。昼からの出社をとりやめて一日在宅勤務にする。『海に眠るダイヤモンド』というテレビドラマを見る。
定時退勤しバスケのため狛江に行く。この日は参加人数が落ち着いていてプレー頻度も多く、参加者の塩梅がのびのびプレーできる感じでただただ楽しかった。
最寄駅で家人と合流し、まいばすのオリジン弁当で晩ご飯を買う。塩野菜炒め弁当のご飯特盛。帰ってご飯を食べながらアンシャーリーのたぶん20話を見る。アンが生まれて間もなく病気で亡くなった実の両親の暮らした家に行く話。最近三鷹の友人宅で幸福な劇を見たあとだからそこにある悲劇をイメージしやすくて苦しい思いをした。アンの出生の秘密を知ったからにはということで第1話を再視聴する。過激な感動家時代のアンもそうだが、何よりマシューが懐かしくて涙が出た。


2025/10/01 今日
朝から出社。溜めておいた仕事を片付けにかかる。午前中で完了できそうだったがすこし積み残ったので午後もオフィスで働くことにする。虎ノ門ヒルズで働くのも残りわずかだと思うと、まあ働いておいてやるかという感じだ。とはいえ16時にはタスク全消化しており、残りの時間をじりじりして過ごした。定時退勤して帰宅。2日連続のバスケになるが狛江に向かう。明日は関東に遊びに来ているタリーズ時代の友人と飲みに行くことになっている。三茶か下北か、いずれにせよ楽しみだ。

20250929

日記648

抜け感(引っこ抜かれたビル)

2025/09/28 昨日
昼ご飯に梅窓でとり天生醤油うどん大盛を食べたあと一旦帰宅。家人と公園まで出かけてバスケの特訓に付き合う。ドリブルとシュートの基礎練習をしてからドリブルシュートの応用に至る40分程度の練習で良い汗を流した。不慣れから実行中の動作から次の動作にスムーズに移行するのが難しそうだったが、慌てて動作が雑になることでのミスはほとんどなく、リズム感の良さが感じられた。ただしシュート場面では他の練習している人のボールが飛んでくる恐怖から目に見えて雑になっていた。恐怖心からシュートを雑に打つというのが癖づいてしまうともっとも基本のシュートが入らなくなってしまうので、ある程度の負荷のなかでも平静を保ってシュートを打てるマインドを身に着けるとあとは流れで上達していけそうだと思う。バスケプレーヤーの資質としては自分のリズムがあるというのが大きい。
帰宅してシャワーを浴びてから大相撲の千秋楽を見る。豊昇龍が気を吐いて本割ではオオノサトを破った。オオノサトも優勝決定戦で同じ相手に連敗するということはなく、もっとも丸く収まるかたちで場所を終えたと思う。昨日の立会変化の悲壮感からの軟着陸としてはこれ以上ない筋書きになってホッとした。
東京に遊びにくる友人と集合時間帯のことなどを電話で話した。鴨川シーワールド目的で家族で千葉に来るらしく、控えめに言ってめずらしい、有り体に言って素っ頓狂なプランだと思ったが、家族は1泊2日で帰り、友人だけ家で2泊していくことになっている。当日は下北三茶エリアで飲む予定でいる。
高円寺までバスケをしに出かける。腿の前側上部に張りがあって若干プレーに差し支えたが、できる範囲で一生懸命走って楽しくプレーできた。行きはレンタルサイクルで体育館に行き、帰りは参加者の人の車で世田谷代田まで送ってもらった。プレー中はタフだがコートの外では穏やか、話しぶりのトーンが完全におしゃれな人のそれということもあり、ぜひ仲良くなりたいと思わさせられた。また機会があれば車で送ってもらい、話をして距離を詰めたい。今回は出身の話、バスケを始めたきっかけ、バスケを見るかどうかなど、お決まりのパターンの会話だった。おしゃれな感じの人と仲良くなるための話題について考えておくことにしよう。リラックスして適度に砕けた調子というのは学ぶべき対人スキルだ。落ち着いているが硬くないトーン。話していて自然に嬉しくなる感じ。帰ってシャワーを浴びながら感心しきりだった。
氷結無糖GFを飲んでオリジン弁当の半額惣菜とライス大を食べる。録画されていたNHKスペシャル「未完のバトン・最終回 “最期”の希望 長寿社会の果てに」を見た。今読んでいる哲学の本『理性の権利』にしても、バスケなどで考えていることにしても、健康で充実した体力と思考力という基盤があってはじめて適用されるものであって、土台が崩れたときには全然関係なくなってしまうのではないかと思わさせられた。だから先手を打ち、高齢になって死期が近づいたときにも適用されうる思考をしておくべきだとは思わない。しかし性急に考えを前に進めようとして、そういった自分自身の高齢化にともなった変節後にありうるかもしれない思考を排除するのは気が引ける。できればそういった内容も包摂したい。ただ、進めるときに進んでおくこと、いらざる遠慮をしてどこにも到達しないままでいいやと諦めることはしたくない。自分自身の言い方でいうと、死なないというつもりで生きる、ということになるが、その姿勢では自分とは違う立ち位置にいる人と何かを交換することはむずかしいかもしれない。最期が接近しすぎてこれはもう無理だと思うときはくるのだろうが、そのときのことはそのとき考えればいいやと思う。そうなったときにもし何かを交換したいという思いが自分の中に現れたとして、それはそのとき同じ考え方・感じ方をしている仲間と、ということになるか、それとも全然違う考え方をしている人と、ということになるかわからない。訳知り顔で本当には思っていないことを言って合わせてくれるような、自分よりも最期が遠い若い優しい人には一番用がないのではないかという気はする。しかしそれもわからない。程度というものもあるのだろうし。
理性の力が弱くなる、光が弱くなるということを経験した個人として書き物を続けた人が日本の思索家には多いと思う。それは啓蒙主義的には弱い光なのかもしれないが、ひとつの人生を生きるひとりの個人として、必ずしもグローリアスでもない、むしろどこかトボトボ歩くような経路を見せてくれた人には、敬意欠くことはできない。トボトボと見えるというのはそういった意図でそうしたわけではないというところに悲哀がある。しかし同時に、本人は本人にできること、やれることを全部やっていたという点で見るものはつねに励まされる。
NHKスペシャルの話に戻ると、好きな帽子を被って看護師を伴いスーパーに買い物に行くという経験が本人にとって「たまにはいいな」というものであったということには意味がある。そういうお出かけのなかにある価値というのは理解できる。いまの自分に引きつけてみても共感がある。


2025/09/29 今日
朝から出社。正午すぎまで仕事をこなしてから帰宅し、在宅勤務にする。行き帰りの電車では『理性の権利』を読んだ。昼飯に納豆チャーハンを食べてながらABEMAで「ドーピングトーキング」「チャンスの時間」を見る。面白いが時間を無駄にしている。乃至、時間を無駄にしているが面白い。小一時間昼寝をする。認知機能に悪いであろう、たくさん夢を見る浅い昼寝になる。良し悪しは本当のところよくわからないが、感覚としては幾度となく見当識を手放しているような感じで、頭に悪そうな気はする。その後、運動前のストレッチをやってからバーピージャンプをする。イヤイヤやるのは構わないが、全力でやれてないのは駄目駄目だ。ダメダメバーピーだった。仕事の用をこなして退勤。シャワーを浴びてからスタバに行く。『理性の権利』を読み終わる。読了の達成感が全然ないのは、半分も理解できていないまま読み終えているからだ。半分も、というのはかなり大目に見たような言い方で、実際の理解度のパーセンテージについては考えたいとも思わない。手に負えない現代思想というのではなく、丁寧に著者に付いていって読書するということができていないので、知的能力のなかでは知的体力の欠如あるいは怠惰からくるものだというのも居心地がわるい。ダメダメ読書だ。
21時にはスタバを出て外で飲むことにする。しかしこれはダメダメ飲酒ということにはならない。なぜならば自分は知力体力という軸だけでやっていないからだ。酒を飲んでぼーっとする時間には価値がある。だれに説明しようとも思わないが、自分の中には確かにある価値だ。

20250928

日記647

人の月見というより月の人見

2025/09/26 一昨日
19時過ぎにスタバを出て、永原真夏の無料音楽ライブを聞きに行った。『Super good』という曲が超良い。秋の夜風とあいまって特別な感慨をもたらしてくれたことに感謝の念をおぼえた。その後吉野家に移動して唐揚げ定食大を頬張る。ご飯大盛×2でぎりぎりまで満腹になった。友人と合流して下北での歩き飲み。途中、ライブ衣装のまま歩く永原真夏を見つけたりなど、ひとしきり歩いたあとで工事終わりたての階段に座って飲む。話し出しのトピックをいくつか持っていたほうがいいという提言があって、それにはたしかにと思わさせられたので考えてみる。「一万円札ってやっぱ福沢諭吉がよくないですか?」「このまえウィキペディアを見ててびっくりしたんですが、」でもやはり提言元の友人とちがって自分はお喋りな方ではないし、静かになったとき再起動する役割をこなそうという気にならない。だまってにこにこしているだけで十分ではないだろうか。人が何か喋ってそれが興味惹く内容であるということに期待したいし、そのスペースを自分の喋りで埋めたいとは思わない。埋めない程度に最初だけ担当するというのは礼儀上、また社交上のテクニックとして身につけておくべきだとは思うが、自分の負担を考えると面倒だしやりたくない。そこまでサービスしてやるいわれはないぞと思ってしまっている。あとはどういう動機で小説を書きたいのかということについて訊かれたので考えて適当に答えたが、自分でもこれという回答は出なかった。動機のことは精緻に考えない。なぜそうしたいのかを掘っていって何か良いものが埋まっているとも思えないし、人に言おうとする過程で変な方向にブレることが多い気がする。これは正確に言おうとすることで生じるミスで、たぶん言葉遣いの不足、会話のテンポを維持するための制限時間の短さ、アルコールによる勢いから出てくることになる。その自分自身の間違った言による方向づけはそのときに正しいと思えても結局はそうではなかったなどの理由から高い確率でロスになる。そもそもリーズナブルな動機やモチベーションがないと何かを始められないというのは勘違いのもとだと思う。その方向に行くと楽しいから、で十分だ。それだと会話上何も言ってないようなものだが実際そんなものだ。


2025/09/27 昨日
朝から『理性の権利』(原題『The Last Word』)を読む。4章「論理学」5章「科学」を読んだが内容がほとんど頭に入ってこない。頭に入るまで何度も戻りつつ読むか、とりあえず読んだ扱いにして続きを読んでいくうちに自然に軌道に入るのを期待するかという二択になるのだが、最近は後者ばかりを選んでいる。大学生近辺の頃にはそんな二択すらなく、頭に入るまで繰り返していたことを考えると、明確に知的に怠惰になっている。衰えているのであればまだしも怠けているのでは、そもそも何のためにその時間を費やしているのかということになるのだが、そういうことを考えることも少なくなった。入ってくるときには入ってくるからそれが起こることを漫然と期待してコーヒーなど飲みながら読書している。
体力の回復をはかるという名目で筋トレなども一切せず、家でごろごろして過ごした。大相撲を見ようと起き出したが、琴桜休場ということで豊昇龍には厳しい結びの一番になった。立ち合い変化で若隆景をしりぞけていたが、そうするのを強いられたのも、そうすることを選んだのも自分自身とはいえ、かなり苦しそうで見るのもつらかった。
夕方散歩がてらまいばすけっとに晩ごはんを買いに行く。氷結ゆずスパークリングでご機嫌になって帰宅。オンラインでのAmong Us会に参加する。友人が地元の新潟のフレンズたちと読書会をしていてそこのAmong Usパートに入れてもらったかたち。ナイスアンドフレンドリーアンドキルアンドデストロイで、たのしい会になった。せっかくインポスターになっても緊張して言い逃れができず。クルーのときに自分が何を言って身の潔白を示そうとしているのかという情報を自分自身で収集して次のインポスター役にそなえようとしていたが、その後インポスターになることはなかった。都合3回ほどインポスターをつとめてすべて殲滅させられた。やっぱり楽しいからまたやりたい。


2025/09/28 今日
午前中からスタバに行って『理性の権利』を読む。第6章「倫理学」は読むのに苦労したが、理性についてとても格好いいことを言っていた。
理性とはつまり、その場所での真理の代理人へと、また行為の場合には正しさの代理人へと私自身を化そうとする企てなのだ。172p

日記を書いているうちにお昼の時間になったので下北のうどん屋「梅窓」で昼ご飯を食べるため家人と合流することにする。

映画『教皇選挙』を見た

映画『教皇選挙』を見た。原題は『CONCLAVE』。世界史の教師に覚えなさいと言われて覚えた記憶がよみがえった。世界史で覚えなければならない語句として登録されている通り歴史的なイベントで、数百年単位で連綿とつづく営みを題材にしている。だから映像の質感も、舞台になる建造物も、それぞれに荘厳さを醸し出していて、それだけで見るべき映像という感じがあった。とりわけ印象に残ったのは衣装の美しさだった。映画の始まりに映される故人となった教皇をはじめとして、司祭たちの衣装はどれも華美でありつつそれ以上に抑制を効かせた意匠で、布の質感がそれを纏うものの人格を高邁に見せていた。顔に刻まれた皺のひとつひとつも彼らのうちにたしかに存する知性の証拠として見えるのは、それが実際にそうであるというよりは、見かけ上カジュアルな服装ではないからだということで説明がつく。馬子にも衣装という言葉通りの説得力が、聖職者を演じるうえで何よりの俳優の助けになっていたことは疑いえない。映画というのは人が人を見るための装置だという見地に立ったとき、この映画における衣装の役割は相当程度高いところに置かれるべきものだ。実際、教皇が故人となることで元教皇になる瞬間というのは、死の瞬間でもなければ、皆で教皇のために祈りを捧げた瞬間でもなく、彼の完璧な衣装の一端をなす指輪がその指から引き抜かれたときであった。指から引き抜くのが難しかったからだろうが、無理矢理に引き抜かれたように映るその映像はショッキングなものだった。当人が自分で指輪を外せない以上、そうするしかないことではあるのだが、そんなことをしてもいいのかという恐れに近い感覚を見るものに与えようと企図されたシーンだったといえる。また、レイフ・ファインズが聖職者用の衣装を解いて、(それでもまだ高価そうで)上品なシャツ姿になるとき、こんなに部屋が大きかったのかと思われるように映っていることからも、高貴な身分はまず衣装に顕れるということが強調されていた。そしてさらに言えば、衣装というのはその人間に固有の本性を隠すためのものでもある。コンクラーベに参加するような身分の聖職者の衣装はおそらく聖職者のなかでも特別で、より多くを隠すだけの布地を持っている。いくら多く隠すとはいえ、彼らの言や眼差しは隠れようもないが、身体的な特徴はある程度隠しきってしまうものだ。魂をはかるには言行をもって判断する以外ないという考えにおいて、このように特別な衣装のもつ役割というのは両義的なものである。判断にとって本質的ではない不要なものは隠しつつ、直接判断する必要のないものたちにはそれを身につける人格が立派で貴いものだと印象づけることができる。そのうえ、飛散する瓦礫の破片からその身を防護してくれることまであるのだから、衣装の重要性というのは高く評価されて良いはずのものだ。頭頂に乗せるだけの小さい帽子も、高貴な雰囲気を崩さない範囲内でありながら十分にチャーミングなアイテムだと思う。

20250926

日記646

遅い宇宙(あるいは早い宇宙)

2025/09/24 一昨日
ザザコルダのフェニキア計画を見たがかなり面白かった。ここ最近のウェス・アンダーソンの映画は見やすくなっているのを感じる。ザザコルダに扮するベニチオデルトロを見ていると、説得力のある豪快さを具備しているので、自分のちまちました日々の生活とそれを可能にしている自分のちまちました感覚と、それを可能にしている自分のちまちましたスケールの小ささを思わされて、苦しい気持ちにさせられた。たぶん苦しいは言い過ぎで、苦々しいというところかもしれない。帰り道渋谷の喧騒を歩きながら、自分だけじゃない自分だけじゃないと唱えたが、それでラクになるどころか当然といえば当然だが余計に落ち込んだ。下北沢から酒を飲んで歩いて帰ったが、そういうわけで酒もうまくない。



2025/09/25 昨日
午前在宅。体調があまりよくなかったのだが、メンタル不調を振り払うようにバーピージャンプなどの運動をこなす。気分の盛り上がりに欠ける、引きずられるような運動なのでいつにもましてつらかった。単純に体力が落ちてきている。ちょっと頑張りすぎかもしれない。
14時過ぎに出社し、適当に仕事をこなす。退勤後職場の飲み会に参加。開始前の時間を同僚の男の子と新橋駅前ビルをツアーしてもらったりして過ごす。話の流れでデヴィ夫人が格好いいと言っていて、思わず流すしかなかったが、もっとどういうところに魅力を感じるのかを聞いてみればよかった。自分に理解できない意見を目の当たりにしたときに反射で目を瞑るみたいな反応をしていまい、「好奇心旺盛です」というよくある自己紹介文の適用外であることを自他に示してしまった。相手は関係ないので主に自分にだが。
飲み会は面白い。みんな楽しんでいるんだろうか。自分は楽しいからそれでいいかとは思うが、もっと楽しませるという視点を導入してしかるべきなのかもしれない。まわせるならまわせ、だ。とても爽やかなチームのムードメイカーの人の送別会だったのだが、この人の穴は大きいという気がする。職場においてそう思わせたらそれはその人の勝ちだ。仕事は最低限クリア知ればあとはどうでもいいという自分のスタンスでも、ようするに半目で見ても、しっかり抜きん出ているというのは、見る人が見ればその貢献の度合いはかなりのものになるはずだ。まあ知らないけれども。
ちゃっかり二次会にも参加した。上京のタイミングではまだ流行っていて一度は行ってみたいと思っていたフーターズにこんなかたちで行くことになるとは、昔視点でちゃんと想像を超えているというのをきっちり感じられてよかった。ソルティドッグもピクルスフライも美味しかった。同僚のひとりとは久しぶりに話したのだが、やっぱり面白いしもっと絡んでいきたいと思わせてきたのでさすがだ。仕事のサボに差し支えると思ってあまり絡まないようにしようとしてきたのだが、そうするにはもったいない人材かもしれない。ハキハキしてやる気がない、でも人前など締めるところは締められるというこれまでの人間関係ではあまり見ないタイプだ。投資の運用成績も相変わらず上向いているらしい。


2025/09/26 今日
朝起きてしんどいと思った。昨夜飲みすぎたのか、連日の運動で体力の回復が遅れているのか、原因はわからないが元気が出ないのでバーピージャンプはやらないでおいた。運動前のストレッチの時点で息が切れたのでそう判断した。しかし貧乏性で、これまでのコストが無駄になるのを恐れて基本の筋トレだけは実行する。これは予期していた運動の効果だ。引きずられてでも運動するという引きずる主体を作成すればしめたものだ。たとえそれがサンクコストであっても。動けば動いただけの効果はあるという筋トレの基本とかけ合わせればそれなりの効果は発揮する。
トマス・ネーゲルの『理性の権利』を読む。読まずに返そうかとも思ったが、これまた「もったいない」と判断したので読むことにした。論旨を追いかけるのに苦労するが、意味あると思わせてくれるので苦労しつつも読める。訳が良いとは言えないのが苦しいところだが、日本語で読めるだけで御の字、贅沢は言っていられない。
14時半ごろに出社。溜めている仕事を吐いていく。客との打ち合わせはまだまだ緊張させられるが、さすがに緊張そのものに慣れてきた。嫌な負荷だが俯いてじっとしているだけで過ぎ去る時間ではあるので、俯いてじっとしている。チームメイトは優秀なのですごいなと感心しつつ。
大相撲は豊昇龍が連敗してしまい、オオノサト優勝へ大勢が傾きはじめた。頑張ってほしいが、負けたあとの様子が悔しそうというよりもつらそうで見ていられない感じがある。でも頑張ってほしい。
下北のスタバで日記を書く。ムーンアートナイトの歌のイベントを見るために空き地に移動する。永原真夏は生歌が良い。


20250924

日記645

交信

2025/09/20 四日前
ほぼ一日中家にいて、Type Helpというゲームで遊んだ。テキスト系のゲームで何度も同じ文章を読むことになるのだが、最初の方に出てくる文章を読んでいながらじつは全然読めていなかったということが後半になるにつれ明らかになってくる。最近本を読んでいてもろくに読めている気がしないというか、期せずして斜め読みのようになって真正面から読めていないのを感じるので、その後ろめたさも手伝ってギクリとさせられた。読めていないなりに意味を通そうとする能力が読書には必要だと思うのだが、そうするにしてもちょうどいい塩梅というものがあり、読書する以上つねに探っていかなければならない。そして自分は、今の自分の傾向からするともうすこし水平になるよう意識してもいいはずだ。
代々木上原までバスケをしに行く。人数が集まらず体育館に入れない時間が50分ほどあった。4人しかおらず練習時間が短かったのにもかかわらず、有意義なトレーニングになったのが自分で実感できるほど良い練習だった。当たりの強いガードの子が斜に構えないタイプで正面からぶつかってくるので好感が持てる。自分も一見スカしているように見えて、じつは真正面タイプなのでそのことを理解してもらえた気がする。理解してもらえたことを確認したので理解し合ったことになると思う。フリースローを外したら課される罰走で全力ダッシュ一往復をしたのだが、全力ダッシュすることでしか得られない疲労とそれに付随するかすかな満足感があった。気持ちの良い汗をかけたので帰りに酒を飲まずにまっすぐ歩いて帰宅。よくもわるくもバスケで頭がいっぱいになっている。


2025/09/21 一昨昨日
この日もほぼ一日家にいてType Helpをやる。クリアするところまでいった。ギミックも面白いのだが超常現象に見える不審死の原因が普通に超常現象で、なんとなく肩透かしをくらったような気になった。夕方に狛江まで行く。新しくできた駅前のスタバで『荒潮』を読んでからバスに乗って体育館まで。2日連続でバスケをする。脚の疲労がきつくてまともなプレーを見せられなかった。長身プレーヤーのライバルがプレー強度と精度をともに上げてきているので、引き離されないようにしないといけない。この日も酒を飲まずに終える。


2025/09/22 一昨日
一日在宅勤務。バーピージャンプをやった以外に特筆すべき出来事はなし。定時退勤後月島までバスケに出かける。かるいバスケだから大丈夫だろうと思ったが見立てが甘かった。脚の疲労は回復せず。悪化しなかったとは思うが翌日のバスケのことを考えるとここで治しておきたかった。バスケサークルメンバーで飲み屋にいく。リーダーの社長に飲食代をおごってもらった。トレーニング方法に関するアドバイスを受ける。まだトレーニングの方向性が定まっていないので参考に試してみよう。あとはシンガポール人の友人ができた。ヘミングウェイのペーパーバック短編集を手持ちしていてとても興味を惹かれた。ネイティブレベルで英語ができる人は英語の小説を原文で読めるのが羨ましい。しかしよく聞いてみると普段はフィクションを読まず、息抜きで読み始めたとのこと。自分のいつものコミュニケーションスタイルだが、一切英語で喋ろうとせずに日本語で話しかけてしまう。それで問題なく意思疎通がとれるので、わざわざ自分の難のある英語を披露するには及ばないだろう。いっしょにBリーグの千葉v渋谷を見に行こうという話になる。チケットを取って連絡しよう。


2025/09/23 昨日
バキ道チャンネルでうろ覚え文学紹介というコーナーがあり、そこで存在感を示した浅田魔王という人の最近のおすすめトップ3に入るという本を図書館で借りる。話が面白いし、読むべき本を読もうとしてきた人だという感じがある。借りたのは『美の進化』という鳥類学者の本。鳥の美しさは人間にも美しいし、鳥自身にとっても美しいという不思議について解き明かそうとした本ということで、世界が明らかに美しく作られていることの不思議を思う身としては興味深いテーマだといえる。
昼から三鷹に出かける。家人と合流し、グラバー亭という長崎ちゃんぽんの店で昼ごはんを食べる。14時頃から友人宅へ。生後4ヶ月になる赤子を触らせてもらう。われわれは有無を言わせず主役の座を奪われ、一気に「目的」ではなく「手段」になってしまうのを感じた。そういう状況にショックを受ける年齢でもないので、逆によくあることとして処理し、その場を明け渡しつつも心を守り抜くという方策をとった。そういう守りの姿勢とか、生活上の知恵とか、大人のやることは本質的にどうでもいいことだと思われるし、そういう工夫がどうでもいいということに疑いはない。どうでもいいことだからといって簡単に手放してしまわないというのは自分の美点だったんだなと気付かされた。そういう点がないと間違いなく赤一色になる。そうは問屋が卸さない。ボードゲームが普段の第二景から第三景にまで退いていった。正体隠匿系のボマーというゲームで面白いはずなのだが、終始それどころではなかった。
そしてバスケのため新宿経由で狛江まで移動する。とっくに涼しくなっていて夏の暑さが思い出せない。あんなに苦しまされたのに記憶は儚い。あいかわらず脚が痛いので最初のほうはとくに動きに精彩を欠く。最後の方は痛みに慣れて矢鱈に跳ね回ったがあまり良いプレーにもならなかった。終了の笛直前に打った3ポイントもエアボールで入らず。終わってからは普段筋肉痛にならない箇所が筋肉痛になっていた。4日連続でバスケをしたらそれはコンディションもわるいだろう。
涼しくなったからなのか気分が落ち込む。酒を飲む。渋谷お笑い演芸館というコント番組を見て元気をもらうが、付け焼き刃で寝る前にはまた気分が落ち込んでいた。


2025/09/24 今日
パリに行ってまでリモートで仕事をして、しかも国外からのリモートワークが情報セキュリティ上不正だという指摘を受けるという最悪の夢を見る。バカンスで海外に行っているはずなのに仕事をしている時点でありえないほど非合理なのに、それがバレて怒られることになるという信じられないアホな行動を取ってしまった。起きて夢だったことに安堵しつつも実際に出社しないといけないことを思い出してまた落ち込んだ。寝不足状態になっているのもよくなかった。一日中オフィスにいて仕事を進める。鬱陶しいタスクが多かったのだがおおかた片付けることができた。
なんとなくクライシスだと思うのは、とくに仕事が嫌なわけでもないし、幸せ状態であることは間違いないのにもかかわらず虚しいという感覚がうっすら確実に心の中のどこかにあるということだ。不満があるのであればそれを解消するために動けばいい。不満がないのにこれになったときには何をどうすればいいのかわからない。
虎ノ門の吉野家で唐揚げ定食をお腹いっぱい食べた(ご飯大盛お替わり)あと、バスで渋谷に移動(社内で昼寝)。パルコのスタバで日記を書いてから『ザザコルダのフェニキア計画』を見る。

20250919

日記644

「退くも勇気だ」

2025/09/18 昨日
一日在宅勤務。午前中にきついバーピージャンプのほか基本のトレーニングをこなし、午後から出社しようと思ったが、気乗りがしなかったので結局一日在宅にした。
定時すぎまで働き、狛江までバスケに行く。最近変えようとしているシュートフォームのチェックと思って練習にのぞんだのだが、最初の2本目を打ったときに上腕がピキッとなった。そこからしばらくシュートを打つたびに張るような違和感があってチェックするどころではなかった。動画で見るかぎりだと、シュートが上手い人に比べて、とくに動作の安定感に欠けることがわかった。あとは気持ち腕を直上にあげるようにしてスナップで前に飛ばすのを意識するといいのかもしれない。たまに動作がぎこちなく感じるのは考えて打っているからだということで一旦は目を瞑ることにする。
家人から下北の新八食堂でご飯食べようという提案があったので狛江から下北沢に移動する。サバのみりん干し焼き定食を食べる。帰り道、小雨が降っていたのもあり今季初の肌寒さを感じた。やっと夏が終わると思うと当然嬉しいがすこし寂しくもある。


2025/09/19 今日
朝から出社する。秋と言ってどこに出しても恥ずかしくない涼しさだった。前夜に寝るのが遅くなったのと夜中に大雨が降ったことで意識が戻ったりした影響で若干寝不足になった。何か得したような夢を見てかならずしも嫌な目覚めではなかったのだが、肝心の夢の内容は忘れてしまった。
昼に代々木上原の中華で豚の角煮を食べる。豚がたっぷりで美味しかった。これで1200円は安いと思わせる良い出来のランチだった。
帰って昼寝をする。背中からベッドに意識を吸収されるような、そこから意識を引っぱりもどすような昼寝になった。ゆっくり目を覚ましてからいくつか仕事上の質問に答える。大相撲を見ながら最低限のトレーニングをこなす。
定時退勤し、大相撲を結びまで見る。夜は涼しさの中で友人と散歩をする予定。

20250917

日記643

待つ女

2025/09/16 昨日
一日在宅勤務のあと、バスケのため狛江に向かう。最近お腹が減るのでバスケ前にエネルギー補給のためゼリー飲料を飲んでいる。消化が良いのもあってかこれでエネルギー不足はたいてい解消される。しかし途中でガス欠になることもあるのでもう一個持っていくことにしている。この日も最初の1時間でお腹が減ってきたので追加でゼリー飲料を飲んだ。
バスケの内容としてはワンモーションでのシュートフォームを研究している。ゲーム中に3ポイントシュートを3本試行して1本決めた。3ポイントシュートは長距離シュートという意識で打っているのだが、ミドルレンジのシュートと同じ感覚で打つのがいいと感覚を切り替えようとしている。エフォートレスなシュートにするためにもこの感覚のアップデートは方向性として正しいという気がしている。それとは別個に、ゴール前でのシュートについても、しっかり跳んでから打つというやり方を身体に染み込ませようとしている。こちらはコンタクトありきの強いプレーが必要になるから筋力アップが必須なのだが、それは結局アウトサイドシュートにも活きる部分ではあるので、個人練習としてはこの2軸で進めていいと思っている。試合関係の考え方としては、基本的な動き方を身に着けること、基本に忠実な動きをやり続けるための体力をつけることが重要になると思うので、結局、基礎体力の向上が自分にとってもっとも効果のある上達への近道だということになる。考えてやるというのは自分の場合、わざわざ考えようとしないでも勝手にやるので、そのときに選択肢を増やせるようにつねに体力に余剰を持ってプレーできるようにするのが肝心だということになる。あと最近、自分の試合中の動きを見てアドバイスをくれるおじさんがいるのだが、その人からいろいろ聞くなかで、自分の考えがあってプレーしている部分と、考えなしにプレーしてしまっている部分とがそれぞれ明らかになってきて助かっている。とくに有効だと思った具体的なアドバイスとしては、インサイドプレーヤーに対するDFについて、OFの進行方向に向かってそのまま行かせず都度フィジカルコンタクトを試みて相手の体力を削るという考え方があるということを知れたのが大きい。競技志向の強いバスケになるといつもそういうプレーに体力・集中力を削られてきていたので、そういうプレーが常道としてまかり通っているという認識を持つことで、少なくとも「なんでそんなことするん」という怒りからくる集中力の削られからは自由になれそうな気がする。引っ張られたり身体を当てられると体力は削られることになるのだが、それはそれで自分の高さが相手にとって脅威になっていることの証明だと捉えることにして、悄気ずに、必要以上に反発せずに、淡々と対処していくようにしたい。とにかくペースを乱さないことが大事だ。
最寄り駅で氷結無糖グレープフルーツ500を飲んでから焼きそばセットを買って帰る。焼きそばを作ってシャワーを浴び、洗濯機を回してから寝る。


2025/09/17 今日
朝から出社してやるべき仕事をこなす。昼から在宅に切り替える。ミーティングにはWebで参加。急遽のお願い事がきたので処理する。それ以外は「Type Help」というブラウザゲームをプレーして大相撲を見る。
定時退勤してから大相撲を結びまで見る。その後スタバに行って『荒潮』を読む。チェンチウファンの『鼠年』のスピード感に惹かれ「これは」と思って『荒潮』も手に取ったのだが、今のところの感想としては順番が逆だったらここまで惹かれていないかなという感じだ。長編になることで肌理のあらさが目立っている。しかし第一部を読み終えただけなので、これは浅はかな感想かもしれず、そうであれば良いと思う。
ある程度の面白さがあり、しかもそれに触れたのが最近であれば、誰かにおすすめしたくなる気持ちはわかる。しかし、一番面白いわけでもなく、10年後にも同じ熱量でおすすめできるわけでもないものが普通におすすめされていて、しかもそれを「何か面白いものはないか」という適当というよりは雑な暇つぶし的な感覚で受容しているというのは時間の浪費にすぎないと思われる。最近では漫画『アオアシ』がそうでもなかったし、ドラマ『しあわせな結婚』も楽しめたもののその枠からは出ない。インディーゲーム全般も「よくできている・感動した」とそもそもハードルが低く設定されているからなのか「インディーにしては」という域を出ない。
大学生の時によく触れていた、いわゆる名作とされる文学はそうではなかったと思うのだが、当時の感受性の強さの分だけ強く印象されているだけではないかと言われると、面白い面白くないの基盤が主観に限定されていることもあって、正確なところを判断することはできない。
しかし、枠を押し広げるような、天井の高さを認識するような読書になったという感覚はあって、それは今も有効活用されていると思う。ある作品に対する「これはすごい」「言うほどではない」という自分の判断の妥当性にはあまり疑いを持っていないのだが、それを担保しているのはこのときに触れた文学作品だという気がする。
谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫は評価していない。というと文学愛好家からは嘲笑されるかもしれないが、自分の感覚では彼らの作品からはあまり印象を受けなかった。谷崎は1,2作程度、川端にいたってはろくに読んでもいない。
逆にいうと、上の三者以外、有名な文学者の小説を読んで「面白くなかった」はもちろん、「読まないでもよかった」という経験はまったくない。血肉になるという比喩を使ったとしても何の遜色もない。今読んだとしたらそこまで評価できるか心配になる作者もあるにはあるが、当時の印象としては傑作と疑いえないという感想を実感として抱いたわけだし、今はどうあれそのときに動く箇所が動いたということなので、今はそうは思えないかもしれないというのも含めた判断の礎になっているのは間違いない。
だから結局、何がいいたいかと言うと、いろいろ面白い作品があり、いろいろこれが面白いよと紹介されるかもしれないが、まずは名作とされる文学を読めよと自分で自分に言い聞かせるようにしてほしいということだ。とくに道を求める大学生(時間のある人)にはそのことを期待したい。むしろそのことだけを、と言っても全然言い過ぎではない。判断するということが、判断できるようになるということが一番大事なことだ。だからこそ、判断の力を身につけるために必要とはいえない面白い作品で溢れかえっている現状において、強く、そのことを訴えたい。面白いと思えないことを不安に思いながらしがみつき続ける読書というのが知的体力を向上させるし、自分で自分の受容能力に疑いを抱きながら文字を追いかけるということができるためにはそれなりの権威に依る必要が出てくる。だから今おすすめの漫画を上手に薦めてくるプレーヤーの話ばかりを聞いているな。なぜか知っている昔の漫画から順に読んでいけ。いやむしろ漫画なんか読んでいないでもっと遠いところにある作品に手を伸ばせ。たとえば夏目漱石、森鴎外、シェイクスピア。こういうこと言う人間を信用するな。もっと遠い作品はあるし、そもそも自分で自分に言う以外に「それ」を読む方法はない。
人文科学系の成長幻想にいちいち付き合わされていないで、今にも続く作品というところを信じてじっくり取り組め。私やあなたという特定の個人にとって、文学以上に価値のある作品はない。
『荒潮』第二部の最初のチャプターを読む。主人公の米米が拷問されるシーンだが、これは出色の出来で、文章以外で表すことができないという意味でも優れた場面だった。電子麻薬によって拡張された感覚の描写なのだが、拷問者の具体的な行動は省かれ、そこにあるはずの汚穢は想像に委ねられている。そしていかようにも引き伸ばせる時間感覚は、15秒に一度強く光る白い光と間断なく続く雨滴による。これまでのVシネマ的関係の描写から主人公の印象からなる情景の描写に移って、一気に面目を躍如しだしたようだった。

20250916

日記642

ルネサンス

2025/09/14 一昨日
朝から新幹線自由席で京都へ。スマートEXを使って新幹線搭乗口の改札を抜けようとしたところ、家人が赤い点灯に阻まれ入場できないトラブルがあった。自分は先に入場できてしまったので改札内外で分断されるかたちになり、乗車予定の新幹線の発車時刻が迫っていたこともありテンパってしまい、トラブルの原因追及の過程で難詰したことでへそを曲げられてしまった。早起きによる寝不足、朝ご飯を食べていないことによる空腹、駅構内の人の多さと暑さなどイライラさせる要素はてんこ盛りだったので、こちらの詰るような声掛けと向こうの反発が正面衝突することになった。時間に余裕を持ってテンパることのないようにしなければならないと思った。それか多少時間に遅れても気にしないマインドセットで余計な責任を持たないようにするか。今回はどっちつかずの態度だったのがよくなかった。乗車前に時間を気にしないような過ごし方をしていたのにもかかわらず、いつの間にかこんな時間となり、焦りが萌したところで改札のトラブルに巻き込まれたのでそれがテンパリに直結した。
改札トラブルの原因は、モバイルPASMOでJR在来線に入場し、モバイルSuicaのスマートEXで在来線から新幹線への改札を抜けようとしたことだった。これも考えてみると必ずしもユーザー側がわるいとは言えず、事業者側の設計がいけていない部分ではある。トラブル原因の解消を改札内で待つあいだ、たくさんの人の行き来のなかにバッテリィズのエースの姿を見た。スポーツマン特有の締まった身体に、特徴的な髪型と特徴的な派手な色使いの柄シャツですぐに誰かわかった。ひと目見て高価なものだとわかるきれいな格好をしていたし、急いで向こうに行こうとして方向を間違えたのか別の方に引き返していく歩き方にも華があった。大きな荷物を持っておらず手ぶらのようにも見えて、粋でカッコいい芸人の佇まいだったし、急いでいるようだったが慌てすぎてはいない様子も、いまは声をかけてほしくないモードですという伝え方も、移動にこなれている有名人のそれだった。オーラがあるというのはこういうことなのかと思い、歩いているのを見ただけなのだがちょっとファンになりそうになった。
京都に到着してまず思ったのは東京より暑いということで、奈良行きの乗り換え電車を待つあいだにもジメジメした盆地特有の暑さをくらった。駅の中なのに暑いのはとりわけ嫌なものだ。人がこんなにいて暑いというように嫌な結びつき方をしてしまう。奈良に着いても人の量こそかなり落ち着いたものの同じかそれ以上に暑く、ぐったりしながら自宅に帰り着いた。
用意してもらった昼食のサンドイッチを平らげてから、せっかくならということで観光のため法隆寺に向かう。行きは駅からバスで、帰りは歩いて駅まで戻った。とにかく暑さに閉口しっぱなし、途中の宝物殿でクーラーが効いている室内のありがたさを一身に感じた。由来不明の百済観音菩薩の特長的な長身がおもしろかった。金堂上層出桁下雲肘木という言葉をおぼえた。何度も口にするのと人が言ったのを耳で聞くのがおぼえるためのコツだ。時間ぎりぎりで夢殿に滑り込むことで、秘仏として公開しておらず普段見られない聖観音菩薩を見せてもらった。幸運だったと思わせるのがうまい慣れた感じのセールストークの印象だったが、おかげで気分良く法隆寺をあとにすることができた。
奈良に戻ってから両親が予約してくれた出雲そばの店だんだんに行って食事をする。季節のコース料理でおいしかったし、お店の人たちもお祝いをしてくれて良い時間を過ごすことができた。家族で写真を撮れたのがよかった。
近鉄と京阪で四条河原町に移動し、レイトチェックインでゲストハウスに泊まる。一日動いて汗みどろになったのでシャワーを浴びるととてもすっきりした。


2025/09/15 昨日
朝から河原町を歩いて三条河原町の六曜社でモーニングを食べる。やはり懐かしさはありつつも、学生時代バイト時代を通じてあまりこのあたりを通らない時間帯だったので新鮮さもあった。六曜社はさすがに人気だけあって店内の雰囲気が渋くてよかったが、モーニングが800円ほどするので学生が行くような店ではないかもしれない。少なくとも自分の通ってきた学生時代にはあまり縁のない店だった。京都は学生の街ではあるが、それ以外の一面もあるという当然のことを理解した。
地下鉄で二条まで移動し、JRで丹波口近くまで行くつもりだったが、経路の懐かしさに目がくらみLUUPに乗ることにした。これが失敗で、思いのほか距離があったのであやうく暑さで倒れそうになった。記憶の中の空間把握にあきらかな誤認があり、今回のミスによって修正するきっかけになったのだが、その代償は支払うことになったし、家人には暑い道中を付き合わせることになって申し訳なかった。
姉の家にお邪魔してからリサーチパークでの昼食をご馳走になる。こちらもぜいたくなコースでビールまで飲ませてもらい、感謝にたえない。もっと大声であと二回はお礼を言うべきだった。こういうときのお礼についてあまりうるさくするのもなという自分の特徴的にはまったくいらぬブレーキがかかり、ありがとうございますと言って頭を下げるぐらいのことでよしとしてしまう。海外旅行の話を中心にいろいろ話してくれ、どの話も面白かったので、それひとつとっても海外旅行には効験があるといえると思った。姉の家で記念の撮影をしてからお暇をする。
炎天下のなか梅小路公園まで歩き、京都水族館に入る。入ってすぐに始まったイルカショーを見てからゆっくり館内を回る。とくに予定しておらず行き当たりばったりで入ったのだが2時間以上たっぷり楽しめた。オオサンショウウオの生態と形が面白いのとクラゲ研究会の活動ラボが見えるのが面白かった。オットセイ、アザラシ、ペンギンも安定してかわいいし、今まで入った中でも特筆して良い水族館だと思った。
3連休最後ということで新幹線の指定席がとれず、自由席にも混雑があったのですわ座れないかと思われたが、一計を案じかつ何度も列車を見送ることでなんとか座席に座ることができた。よく新幹線が利用される時期の新幹線の乗り方についてはきちんと予約をしておく必要があるということを学習した。
23時過ぎに品川着。ほうほうのていで0時過ぎに帰宅し、シャワーを浴びて寝る。この日も尋常ではない量の汗をかいていたのですっきり気持ちよかった。


2025/09/16 今日
睡眠不足気味だった週末を取り戻そうとするかのようにぐっすり眠り、心地よい目覚めになった。一日在宅勤務にする。
午前中にグループディスカッションのある会に参加して以降はとくに仕事関係のことは何もせず。昼食はそうめんとソイプロテイン。食べ終わってからしばらくして筋トレセットとバーピージャンプをこなす。くたくたになったので1時間すこし昼寝をする。やはり疲れが溜まっていたのか昼寝を経てさらに身体がラクになった。大相撲をやっていることを思い出して結びの三番前ぐらいから見始め、日記を書いてから狛江までバスケに出かける。

20250912

日記641

ベイカー通り

2025/09/11 一昨日
午前在宅、午後出社。定時退勤してバスケにいく。普段行っているバスケのなかで上級者向けに位置付けされる回だったのだが、初心者の人がひとり参加していて、その人に対して「あきらかに初心者が混じっていますよね」などとまともな社会人真っ青、良心的な大学生だったら赤面ものの強い風当たりのことを言っているバスケウマ男がいた。タッパもあって(聞けば身長185cmとのこと)金髪で、いかにもバスケットマンという出で立ち、ゲーム中にはちゃんと声出ししてチームメイトとコミュニケーションを取ろうとする一面もあり、味方のナイスプレーに対しては賞賛を惜しまないナイスガイの顔を持ってもいる多面性のある選手だった。
風当たりの強い発言に対して苦言を呈するでもなく、まあまあまあという反論でも同意でもないことを言ってお茶を濁すだけで、とくに何のアクションもリアクションもしない自分にテンションが下がって、思い切ったプレーができないまま数ゲームが消化されていった。
旗幟を鮮明にしないで日和見主義的に付和雷同しているようでは良心的で真に上手なプレーヤーから愛想を尽かされてしまうことになるので気をつけるというか優先順位を自分の中でしっかり確認しておく必要がある。



2025/09/12 昨日
朝から出社し、昼から在宅に切り替える。定時退勤後、パーフィットの伝記を読んでから飲みに出かける。友人Bと下北で集合して三茶まで歩く。東京餃子楼でご飯を食べて下北まで歩いて引き返す。駅につくぐらいからポツポツ降る雨に打たれ始めた。タフガイを気取るわけではないが、これしきの雨など歯牙にもかけない。


2025/09/13 今日
朝から銀座に行って優雅にモーニングを楽しむデートと洒落込もうとしていたのだが、二度寝して起床時間が9時になったことで、プランのすべてが崩れはじめた。機に臨み変に応じるべしと遅めのモーニングを早めのランチに切り替えたまでは良かったが、ふたりして現金を持たなかったためお土産受け取りの際に会計ができず、あわや一日の計総崩れかと思われた。途方に暮れて何か策はないかと銀座の中心で椅子用でもない柱に腰掛けてどうにかこうにかインターネットを使っての現金化の方法を探ったものの、有用な方便は立たず、最終手段に頼るしかないかというところで店から電話があり、「お代は後日でもいいから受け取っていいですよ」との有り難い申し出がある。地獄に仏とはこのこと。感謝の念を脱帽礼で示しつつ、モノを受け取らせていただいた。
帰宅後、ものを冷蔵庫に入れ、うどんを食べてから束の間昼寝。いつもの理容室で散髪し、B&Bで本を物色、『荒潮』を購入して帰る。日記を書いてからバスケに出かける。2日連続でトレーニングしていない。明日奈良に帰るのでこのままでは4日連続ノートレーニングになる。それはまずいと思うので最低限腕立てとブルガリアンスクワットをやっていくことにする。

20250910

日記640

まことに

2025/09/09 昨日
午前中は在宅勤務にする。バーピージャンプという一日のうちでもっともキツい運動に耐え、ボールを使った腕立てとレンジをこなして汗だくになったあと、シャワーを浴びてから昼過ぎに出社する。仕事はくだらないがトレーニングとしてやる運動に比べると苦行でもなんでもない。出退勤の電車内では『漱石詩注』を読む。
定時退勤で帰宅してから荷物を持ち替えて狛江に行ってバスケをする。日曜の大会に比べると伸び伸びやれて、自分の求めるものはやはりこれだなという気がした。部活で汲々として球技大会で伸び伸びやれるバスケ部のベンチ要員の感想そのまますぎるが、ここで感想を偽るわけにはいかない。走ったら走っただけ、リバウンドに参加すれば参加しただけ成果が出るから、同じぐらいの体力を使う場合でもアドレナリンのおかげでより動ける。乗ってきたらシュートを打とうという気にもなるし、ドライブを仕掛けようという気にもなる。そうやってやる気のままに動いたプレーの成功率は「あれやらなきゃこれやらなきゃ」でやるよりも目に見えて高い。公式戦のような強度の高い試合でも伸び伸びプレーするためには心の持ちようもそうだが、それを支えるだけの体力強化が欠かせない。だからバーピージャンプというキツいメニューをこなしているわけだ。悔しい気持ちはガソリンにもなるし。狛江のバスケの試合終わりに「リバウンド後の隙をなくしてボール保持するときにスタンスを広くしたらもっと無双できるよ」とアドバイスをもらった。やっぱりこのレベルだと無双できているんだよなと思ったし、アドバイスにも納得できた。次のレベルに行きたいと思ってやっていること自体が楽しさの秘訣ではあるから、代々木上原のほうでも喰らいついていきたいし、狛江のほうでは自信を取り戻せるしで、いいバランスでバスケできている。ほかには高円寺のバスケにも参加していて、狛江のバスケはメインで行っているのとはべつにもうふたつある。たぶん一番レベル高いのが狛江のもうふたつのうちのひとつ。高円寺のほうではユニフォーム作ってもらってダンクカップという大会にも出られる、そこから派生したあたらしいチームにも誘ってもらっている、と、バスケプレーヤーとして充実した環境がある。
最寄り駅のセブンでジャンプを立ち読みする。呪術廻戦モジュロという新連載の漫画なのだが、近未来コンタクトもので、なるほどそうきたかと感心させられた。虎杖悠仁がレジェンドになっていて嬉しい気持ちが湧いた。氷結無糖ゆずスパークリングを買って飲む。
帰宅後、『しあわせな結婚』を見る。第二部に突入ということで、いろいろ想像の余地があった展開が収束されていきながらも興味惹きつけられるという、いい塩梅の展開になっている。テレビドラマの制作についてもよくわからないのだが、脚本が面白いと言ってもいいと思う。
すずきこうの動機はふたつあって、実行したほうの動機はネルラの弟に、隠し続けるほうの動機はネルラにあったということだろう。シャワーに入りながら考えてみて、ここまで相当きつかっただろうと思った。ネルラのほうの動機はこうたろうに引き継げると安心したから自首することにしたのだと想像できる。殺人なんていうのは愚かでどうあっても見過ごせない行動なわけだが、その後の苦痛を思うと同情しないところがないでもない。理解も共感もできないが、受けた苦痛に対してかわいそうだとは思う。


2025/09/10 今日
一日在宅勤務にする。今日も業務上の負担は一切なかった。これで身分の安定が約束されていたら本当に言うことはないんだけど、そうもいかないし、そうもいかないからこそ自分に与えられた条件内でもらえるものをフルに享受しようとして、結果、こんなに安閑として安んじていられるのだから、文句はない。もちろん。ここまで安安閑としていられるのは振り返ってみても覚えがない。
そうなるとやっぱりキツいのはバーピージャンプだ。めちゃキツいから気を抜くとすこしでもラクをしそうになるのを鞭打って、短時間全力を旨として地獄の4分間を過ごしている。バーピー後のボールを使っての腕立て・レンジ、ブルガリアンスクワットなんかは屁でもない。ただ吹き出た汗がヨガマットにポタポタ落ちる。
昼ご飯には冷食チャーハン納豆冷やしラーメンのセット。食べ終わってから午後はほぼ寝転んで過ごす。終了間際に締め切りのある仕事をこなして定時退勤。スタバにきて『折りたたみ北京』を読む。『蛍火の墓』という作品はこのアンソロジー中でもっとも注目されなかった。開始早々の「夏への扉」への言及がいらぬ阿りに見えてしまった。同作をまったく評価していないのもあり、かなり冷淡な調子で読み終えてしまった。その後に続く劉慈欣の『円』も、いかにもSFという佇まいだからか、あまり気乗りせずにいるまま読み終えてしまった。ただ、『神様の介護係』は劉慈欣の作品の中でも毛色がちがうということなので楽しみだ。
『漱石詩注』を読む。漢詩の素養がないままでここまで来てしまったことは残念といえば残念なことだが、もしそれを身に着けていたとしたら、文学全般への見方は今よりもっと悲観的で強い厭世感をもとに位置を占めようという誘惑にそのまま従っていただろうと想像できる。身につけるだけの労力を払わなかった時点でナンセンスなたらればでしかないが、詩を書くというときには、ある種の暗号というか、わかるひとにはわかるという符丁を使って直接に出さない音を響かせるというやり方が必須になるのだろうから、文学に取り組むにあたって補助輪としての詩作に活かせたかもしれない、そういう両刃の剣を手にできたかもしれないという妄想が働く。深く潜ろうとするときに携える「酸素ボンベ」は必要な条件なのだろう。それが何であれ、ある程度以上奥へ進もうとするためにはそれ一本ではやっていけないということだ。スニーカーは最低二足は持っていないと、遠くまで歩くのはむずかしい。
一応書いておかなければと思うから書くのだが、全然小説が書けていない。それどころではないというのがいつのまにかデフォルトになって、去年からだったか年始からだったかに立てた目標を達成できる見込みは今のところ全然ない。どうにかどこかで軌道を修正しないと、このまま何も書かないで時間が過ぎていってしまう。時間はあるのだから一番よくある言い訳は立たない。時間はあるのだからその時間を小説に配分していこう。
円城塔が「SFというジャンルはもう不要なのでは」という提起をしたとネットで見た。個人がネットワークに接続された端末をポケットに入れて持ち運んでいる現実界にあって「サイエンス・フィクション」も無いでしょうという主張のようなのだが、本当にそうだよなと思う。ミステリだとか、ライトノベルだとか、形式に関するようなジャンルはそれを見つけたり回避したりという用途で使い出はあるが、SFについてはこれから先そういった用途で使う必要はなくなっていくと思う。小説自体の面積が減っていくなかで、SFはわざわざSFに閉じこもる必要はないはずだ。

20250908

日記639

川をわたるための橋

2025/09/07 昨日
21時前から夜の散歩に出かける。つもりだったのだが、ベンチに座るには過ごしよいものの歩くと汗ばむぐらいの気温だったので歩くのは断念し、駅前のベンチに座って晩酌をする。しかし地面や木に、苦手な茶色い虫がうろちょろしているのを見つけて、そこに居続ける気力がゼロになったので、環七を渡ってまいばすけっとに行き、酒や晩ごはんを購入して帰宅する。はじめて日清の完全メシを食べた。翌朝出社なので早めに寝る。この日はいろいろあって疲れた。


2025/09/08 今日
しっかり睡眠時間をとったうえ、朝から出社して頭がすっきりした。午前中に仕事を消化し、昼から在宅勤務に切り替える。冷食のチャーハンと納豆、棒ラーメンを食べる。お腹いっぱいになって昼寝。起きてからバーピージャンプをやる。20秒/10秒の8セットで正味4分間も動いていないのに、終わったあとしばらくしてから大量の汗が出る。上半身中心に滂沱の汗。
昨日の前日のバスケの大会でも演劇プログラムの初回WSでも、はじめて参加するわけではないのに余裕が全然なかった。もっと頑張らないと、とうわ言のように何度も繰り返し頭の中に声がして、何も考えられていない追い詰められた状況になってしまっていた。前日の日記はそんな余裕のない精神状態の残響のなか書いたので、行動面での充実とは裏腹に切羽詰まった心境がダイレクトに表れているだろうと思う。もうちょっと落ち着いてから書けばいいのにという内容になっているかもしれない。シチュエーションに呑まれてマイペースを貫けない、というのを中学高校の頃と同じようなレベルでまだやってしまっている。
ただ、一晩寝れば冷静になれるというのは一応の成長だといえる。『漱石詩注』を読んで心を落ち着けた。漱石の作品には錨の効果がある。臨場すると、場に緊張感があればそれにそのまま影響を受けてしまうのだが、すこし間を空けることでそれを相対化することはできる。ここ一番に強みを持てるようにいつかなれればいいとは思うが、まずは間を置いてでも、その場以外で考えたことをあとからでも置きにいけるようになりたい。現場以外にも自分のフィールドはあるし、そこを中心に考えようとするのは自分のやり方だと思う。バスケをやっているとき以外にもバスケがうまくなるということはあるだろうし、現場で感じたものを持ち帰って考えることのほうに重点があるというのはめずらしい考え方ではないだろう。考えるべきことを考えるために、日々の睡眠時間を確保し、食べすぎ食べなさすぎに注意して健やかに過ごすことに力点を置くというのは、中学高校時代にはまだ見つけられていなかった正解の道だと思う。
定時退勤してスタバに行く。『漱石詩注』と『折りたたみ北京』を読む。どういうわけかスタバの空調の設定温度が間違っていて店内が暑く、とくに最初の1時間は汗ばんで不快だった。

20250907

日記638

この道

2025/09/06 昨日
11時から自宅でボードゲーム会が始まった。まずは最初に到着した友人と生ビールを買いに行って乾杯する。チャオチャオというすごろくとクラスクというミニホッケーで遊ぶ。12時にTCBの友人ふたりが合流し、即席飯店、カタン拡張版をプレーする。その後さらにはじめましてとなるもうひとりが合流してカタカナーシ、カタンで遊ぶ。ボードゲームをしつつお喋りをしつつであっという間に時間が過ぎて気がつけば19時でお開きになる。下北まで友人を送るついでに食べ物を調達し、21時22時ごろまでお喋りをして過ごす。大人のミニ四駆の話が興味深かった。自分たちでレギュレーションを決めて真剣勝負をしているらしい。レギュレーション決めを自分たちでやるというのは大人だけに許された特権だ。しかしひょっとすると子供にも可能かもしれないし、それ以外の数多くの特権を子供は持っているので、レギュレーションを決められるということ一本で勝負に持ち込むのはむずかしいとは思うが、それにしても有効な対抗手段のひとつではある。ボードゲーム会が終わって友人を最寄り駅まで送ったあと、一気に翌日のバスケ大会の緊張がきて、酔いもほとんど覚めてしまう。朝早いし、こんな緊張状態で起きていてもしんどいだけなので、すぐに寝てしまうことにする。23時半には就寝。


2025/09/07 今日
9時から渋谷と恵比寿のあいだの体育館でバスケの大会があった。8時過ぎに家を出て、井の頭線で渋谷に出て、山手線で恵比寿に出る。
バスケは正直なところ楽しむ余地がなかった。相手のレベルが高すぎたというのでもないが、オフィシャルもあって審判も立って、ユニフォーム着用でという状況に呑まれて、緊張からなのか途中信じられないほど口のなかがカラカラになった。口内の水分がゼロになったのではないかと思うほどでここまでの乾燥はちょっと経験がなかった。イージーバスケットも2本外すし、DFは自分のマークにボールが渡らないようにするだけで手一杯、強い相手のカバーに入る余裕もなかった。こういうときこそタスクフォーカスだと思い、リバウンドとトランジションのダッシュだけを試行したが、OFリバウンド数はゼロ、速攻も速攻回避も成功せずと散々な結果に終わった。タスクフォーカスはそれをすれば成功を約束される魔法の手段でもなんでもなく、たんにプレーヤーの迷いを払拭する方策のひとつにすぎないという当たり前のことを知った。それでも心肺がキツくて足が止まりそうになったとき、気力を奮い立たせて速攻に加わり相手ゴールまでアタックをかけられたのは、これまでの自分の天井をすこし引き上げられた部分だったと思う。試合には負けたし、活躍もなかったのだけど、ポジティブな部分は個人的にゼロではなかった。コーチングの声が飛ぶ中でももっとリラックスしてプレーできるようになりたい。指示を聞くというのは指示によってカチコチになることではなく、アドバイスとしてすべて盲目的に受け入れることでもなく、つねに”部分受け入れ”で一応参考にするというスタンスで聞くようにしていくのが大事だ。
あと自分に言い聞かせないといけないこととしては、散々な結果は結果だったし、内容も十分力を出せたとは言いがたい内容だったが、チームにとっての役立ちがゼロではなかったということだ。一応自分のマークに決めさせていないし、ゴール前で一本決めて2得点したし、DFでも長身のやつが中にいるだけで相手の選択に影響を与えるのは間違いない。もっとやれるはずだと自分に期待したことに関しては残念ながら裏切られてしまったのだけど、もっと引いてみればそもそも自分はそこまでチームから期待されていない。それが悔しいというのはあるが、この悔しさはいつか晴らさなければいけないが、それはそれとして「今日の自分がひどい出来だった」という幻想に引きずられるのは止めておこう。もっと言うと「それ以前」の状況なのだけど、やっとスタートラインに立てたという言い方に替えよう。
試合後の後オフィシャルを抜けさせてもらって歩いて渋谷まで。井の頭線で下北まで戻る。ダイエーでこの日の昼ご飯の焼きそばと冷食を買って帰宅。洗濯機を回して焼きそばを作ってシャワーを浴びて、としているうちに時間がきて演劇プログラムの初顔合わせの集合時間になった。洗濯物と出来立ての焼きそばをほっぽって(家人に干しと食べを依頼)、あわてて家を飛び出して会場に走る。時間ピッタリに到着して、初回のWSが始まった。簡単なコミュニケーションゲームと名前覚えゲームをやったあと、大きな木のエチュード(二人組でひとりずつ入れ替わりで入る)をやった。身長順に並ぶという流れがあったので、それに沿うかたちで”大きな木”に立候補する。自分を表現するということに関してまったく気後れがない積極的な姿勢を目の当たりにし、やや気後れをし、気後れがまた気後れを連れてき、エチュードに入ることができずにもじもじしていると、ありがたいことに指名してもらえたので自分の殻を無理やり破るようなかたちでクマとして森に入った。相手の作ったものにうまく入っていくことができず、壊すような入り方になったのだが、あのとき自分にできることはあれしかなかった。最後、大きな木でエチュードが終わるという設定が加えられたので、豆腐屋の鳴らすラッパの音に恐れをなしたクマは「人間こわい」と思いながら木の根の下で眠ることになった。
その後「後悔していること」というテーマでひとりずつ話をした。自分は本当に後悔していることについては人前で言えないし、自分のなかでも言葉にできていない。しかしそれを抜きにするとほとんど後悔というものをせずに日常を過ごしていると気づかされた。なので何を言うかに頭を悩ませることになった。最初に思いついたのは歯医者で痛かったら手を上げてくださいと言われてすこし我慢して結局手を上げて麻酔をしてもらった話だったのだが、自分の中でまとめるまえに、そういえばNY旅行でハーレムに行けなかったことは明確に行っておけばよかったと後悔しているなと思いついたので、人に話す話としてはやはりNYとか言いたいし、そちらの話にした。歯医者の麻酔の話としては、虫歯治療で歯を削るときに痛かったのでこれは麻酔をしてもらおうと思って手を上げたのだが、忙しい歯科医にとって麻酔は手間だったのか「もうすこしで終わります」と言われ我慢させられそうになった。その後、2回キーンと削られてしっかり痛かったのでやっぱり手を挙げ直し、しかし手を戻され「もうすこしです」と治療を継続されそうになったのでこれは駄目だと椅子から起き上がり「すみません、痛いので麻酔をしてください」とそれ以上の麻酔なし治療を拒んだ。そうするといかにも渋々ながらという様子ではありつつも要請が通り、麻酔をかけてくれることになった。麻酔をされてからは全然痛くないので安心してドリルの音を聞くことができたのだが、かなり長い間、ドリルの音が鳴っていて、もし麻酔の要請をしていなければこれだけの数のドリルを耐えなければならなかったのかと空恐ろしくもなり、「もうすこしです」なんて嘘すぎたと不信の念もきざすことになった。後悔する部分としてはドリル2回分痛い思いをしたということで、最初からきっぱりと麻酔治療を要請していれば無駄に痛い思いをせずに済んだということだ。無駄に痛い2回は本当に無駄だったし、世の中に完全に無駄だといえることはあまり多くないとは思うが、この痛い経験については完全に無駄だったので、その分、純粋に後悔したことだといえると思う。
自分の後悔した話をするのはあまり面白くないが、人から聞く話は面白かった。滔々と語られたり諄々と語られる語りの良さがある一方で、訥々と語られる話のほうに引きつけられるものがあった。TVやYoutubeではあまり見られない種類の語りだからそもそも物珍しいのもあるし、目の前に語りの本人がいるということも手伝って、実のあるなにかとして伝わってくるものがある。
15時半にWSが終わる。古本屋で漱石詩注を見つけたので400円で購入する。昼ご飯を食べそびれていたのでまっすぐ帰宅して冷食チャーハンと棒ラーメンを食べる。ふたつの予定を終えてお腹もいっぱいになって、16時ごろから燃え尽き期間を過ごす。Youtubeを見てボーっとしようかとも思ったが、もっとやれたのでは? という、それこそ後悔の念のようなものがあり、気持ちが落ち着かなかったので、一方向に集中するためにネトフリでTVドラマ『しあわせな結婚』を見る。アベサダオの”演技”やそのほかの俳優の”演技”に目が行く。ぽい感じはあるが、それが良いんだっけ? と、ゲシュタルト崩壊のようなことが起こりそうになった。
翌週に控えた奈良京都行のホテル予約をする。河原町に安いホテルがあったのでそこに決めた。
家で日記を書いていると家人が帰宅。寝転がってチョコプラとインフルエンサーのコラボ動画を見ている家人を尻目に20時半まで日記を書く。これからいっしょに『しあわせな結婚』を見るか、夜の散歩をするかを打診し、どちらかをやって楽しかった週末にピリオドを打つことにする。暑さもやわらいできているようだし散歩がいいかな。

20250906

日記637

2さい相当

2025/09/04 一昨日
スタバを出たあと、ミカンの入口で音楽を聞きながら人の往来を眺める。小沢健二のdogsを選んだのだが、リリースから30年以上経った今も街の風景に合う。毎日のようにミカンの入口にいくので、そのうち近くでティッシュ配りをしているガールズバーの客引きの女の人と顔見知りになりそうだ。今のところは一方的に見知っているだけだけど。
帰宅してから鶏オクラ塩焼きそばとそうめんを食べる。久しぶりに溜まっていた分のアンシャーリーを2話分見る。どうやらトンネルは抜けたようで、目も当てられないクオリティではなくなっているよう見受けられる。一時期のまぶしいほどの輝きはないが、それでもOPとEDは最高だ。


2025/09/05 昨日
朝から雨のなか出社する。12時までにこの日やらなければならないことをあらかた片付けて、台風の影響の強雨が本格化しないうちに帰宅する。何度もメールが来ていないかを確認するが、演劇祭プログラムからの結果連絡はこない。
定時退勤してバスケのため代々木上原まで出かける。基本のワークアウトメニューをチームメンバーでやる。やったことないことをやるので頭を使うのだが、理解の速度が追いつかず、自分がボールを持つタイミングで停滞感を与えてしまうことになった。最初はゆっくりでもできるようになっていくしかない。約束事の練習なのだが、こういうパターンもあるこういうのもあるとどんどん提示され負荷がかかり、最初の基本パターンをつい忘れる始末で、これは自分の理解度の問題もあるが、向こうのペースとのすり合わせの問題でもある。年若いプレーヤーからスクリーンプレーのDFのときの声の出し方を教えてもらう。わからないことをわからないといえば、きちんと丁寧に教えてくれるから、できるだけ引っ込み思案をしないで、自分史上最大の積極性を出していく気でやらないといけない。もっともっと上手かったり、いるだけで役に立つほどの存在感があればもっといい加減に聞き流したりしてもいいと思うが、いまはチームの中で自分がもっとも下手で、戦術理解も低く声も出ないので、言い訳している暇さえない。ただ、やらなければならないことだけでいっぱいいっぱいになっていては自分の持ち味は活きないので、ぎりぎり自分の自由に動ける余力を残しつつ、そのほかのリソースをチームの約束事に突っ込むように管理するようにしないと、バスケを楽しむということにおいては本末転倒だと思う。部活はやらされるものだから嫌だったし反発してサボりたいと思っていたが、社会人チームは自分がやりたいからやるの集まりだから、当時の負荷のかかり方と全然違う。反発力を使ってより走れるような良い感覚がある。年若いプレーヤーにいろいろ教えてほしいと思っていろいろ聞こうとしたが、自分の場合、意識していないとすぐ強い相手に擦り寄って無意識に媚びようとしてしまう悪癖があるので、今回はそうならないアプローチをとることにした。できるかぎり早めの理解を心がけ、こちらのプレー意図を言葉で説明したり、言い返せるようにならないといけない。
練習後、演劇の選考結果メールを確認すると通っていて、日曜の13時集合ということがわかる。となると同日朝からのバスケの大会にも出られるということになるので、あらかじめラインでしていた不参加表明を覆し、参加しますと返事する。当日の参加メンバーは7人。8分4Qというこれまで参加したことのある大会より長い試合時間なのだが、自分にできることをやるしかない。まずは怪我をしないこと。あとは楽しむこと。具体的なプレー指針としては走ること。走ってチームの助けになることぐらいしか、これだったらできると言えることが今のところない。高いレベルだろうことが想定されるので気後れはあるが、最初に走って疲れてしまえば余計なことを考える余地がなくなる。そうなってから考える余地を作っていくのも大事だが、まずは走ってそれをなくすことだ。
カバンのなかに入れていた容器がバキバキに割れて中身のプロテインがカバンの中に散乱する悲惨な事態に東北沢あたりで気づく。仕方ないのでプロテインは諦め、氷結無糖ゆずを飲んで下北まで歩く。新八食堂でサバ文化干し定食とビールをたのみ、あすけんのおすすめしていた定食スタイルの晩ごはんを摂る。サバをほじくりながらオモコロの原宿さんとphaさんが対談するYoutubeを見る。恥をかくような手痛い経験をしたいという原宿さんの言っていることが自分にはよくわかるし、それを受けるphaさんの当然否定はしないけど自分は無理だなーという率直さもわかるし、どちらもよかった。中年として年齢を言い訳にするような動きをするまいと自分は思っているのだが、ふたりにはそういう意識はないようだ。年齢によるスタイルというか、自分のスタイルのほうが勝手に前面に出るからだろう。無理しているように見えるところがない。自分のスタイルでやっているんだとしたら自分のやり方なんだから無理していないのは当たり前だ。
ビールのおかげもあり、帰り道には演劇もバスケも精一杯やってやるぞと気力がみなぎって、45度に出た月もそれに呼応するようにとくに明るく感じられた。高いところともっと高いところからそれぞれに、いま歩くこの道を照らしているような気がした。
帰宅してからはシャワーで汗を流したあと洗濯をこなし、家人の帰りを待って晩酌をする。高校の吹奏楽部の演奏DVDの上映会が催された。当時の演奏は思っていたよりレベルが高いという気づきが家人にあったようだった。自分は音楽演奏の上手い下手は一定以上からは区別がついていない。それでも飛び抜けて上手いというところまでくると、その凄さが伝わってくるような感じはあるので、わかりやすくスーパーなものに惹かれるという感覚だけで大体の芸術を受容しているということなのだろう。
しかしパーカッションの『trio per uno』という三人でひとつの大太鼓を囲んで演奏する曲目があり、それにはとくに感動した。太鼓を囲むという密なコミュニケーションの形式が、この形はこれしかないという特異なもので、それを突き詰めていった先を見せてくれたような気がする。演目題もよく、ひとりの達人アシュラマンが完璧にひとつのミスもなく演奏したとしても"三人"の演奏にはかなわないところが絶対あると思う。映像でもすごくよかったのだが、生だと音の迫り方や、音が回ってくるIMAX紹介ムービーのような音という振動をダイレクトに感じられる良さがあるとのことで、それはいつか聴きたい、羨ましいと思った。



2025/09/06 今日
6時半に目が覚める。昨夜の入眠時間は1時を過ぎていたと思うので睡眠不足にもほどがあるが、ばっちり目が開いて二度寝できる感じも全然なかったのでそのまま起きて洗濯物の残りを済ませたり朝食を撮ったりする。翌日のことを考えて興奮状態にあるのは間違いない。
下北のカルディの前を歩いていたらハッケミィが通りすぎた。それを横目に見ていると、通りすがりの芸人(二人組、ひとりは又吉。それか9番街レトロ)のひとりが驚いて「うわ!サソリかと思った!」と言い、もうひとりが「地上サソリの木やなー」と言った。サルが突っ伏しておしりがボーン、尻尾がニョキーと上がってショーウィンドウの最前面に置いてあったオブジェを指してそういう話をしており、そこで店員がインタビューを受けている画面に切り替わって「あれの名前はなんですか」というテロップが出たのに対して「地上サソリの木です」と答えていた。隣で歩く俺が「なっさけない名前やなー」とウケていた。「さすが芸人、面白い名前思いつくんやな」と思ったらそう思った先から「てか知ってたんや。だから地上サソリの木って出てきたんや」と思い直した。という夢の話を起き抜けの人から聞いた。
時間が過ぎ去るのはあっという間に感じるのに、過ぎ去ったあとの過去を思い返すとすごく遠いことのように感じられるという現象に名前をつけようという話になったので、「光陰矢の如し但し通り過ぎし矢は遅し」ということわざの続きを考え出した。変な感覚なのになぜか共感できるというのは、正しい感覚で共感するよりも面白いものだ。
スタバに出かけて日記を書く。バスケのことや演劇祭の創作プログラムのことで浮き立った気持ちとプレッシャーに感じる気持ちをできたら整理保存しておきたいと思って、ミンミンゼミの鳴くなか出かけてきた。11時からは自宅でのボードゲーム会が催される。はじめましてになる家人の友人も参加してくれるので楽しみだ。10時半ごろ酒と食べ物を買って帰る。

20250904

日記636

人の形

2025/09/03 昨日
いつも出勤するよりも朝早く起きて最寄り駅から電車に乗る。いつもは新宿方面の満員電車だが、この日は神奈川方面の空いている電車で座ることもできた。寝不足の分を取り戻そうと電車内ですこし寝ようとしたのだが行ったことのない場所へ行く興奮からうまく寝付けず。結局起きたままで目的地のある終点唐木田駅まで粗品のyoutubeを見て過ごす。ダチョウ倶楽部を考えようというアメトークの感想を喋っていた。すなおに感謝、という当たり障りもなければ意外性もない語りで、べつに良いんだけど面白い内容ではなかった。お笑いファイターという姿勢に面白いところがあるだけで、単純にネタや言っている内容の面白さで腹を抱えて笑うということはない。しかしこれは粗品に限ったことではなく、お笑い芸人の”まっすぐなお笑い”全般に疲れるという感覚を抱くようになっている。この傾向はここ最近になって顕著なので、自分の年齢によるところも大きいかもしれないが、最近の高校生はM1を見ないらしいというのに象徴されるように、お笑いのブームがゆっくり去りつつある空気感が醸成されつつあるのかもしれない。とはいえたとえそうだとしても2025年になってようやくということは言えて、お笑いはかなりのロングセラーだったし、時代を築いたということも言える。
笑いが必要なものではなくなっているとすれば、それだけリラックスした環境になってきているということで喜ぶべきことかもしれない。ハラスメントや嫌なこともすこしずつ減ってきていて、「笑わなやってられへん」という感じはなくなってきているようだ。
唐木田駅から18分ほど歩いて目的地に行って所用を済ませる。ただ居るだけの仕事・役割で、そこにあるのは個人ではなくアカウントだ。対価が支払われる以上そのことに不満はないが、個人の感覚にフォーカスするとバカバカしさを感じずにはいられない。現場作業に立ち会って、18分かけて駅まで歩く。この暑い中、こちらの徒歩移動のほうがよっぽど労働という感覚がある。自腹でタクシーを呼んで帰ろうかとも思ったが、お金をもらいにいくのにお金を払うのはナンセンスで自分の感覚的にも意味が通りにくかったので、自分の中でこれを労働と定め、汗をかくことに決める。本当に暑くて何回か悪態をつきながら歩いた。
帰宅し、これはさすがにということで在宅勤務に切り替える。最低限の稼働だけこなし、しっかり昼寝の時間をとった。
定時退勤し、友人と”サイゼ飲み”をするため日暮里に出かける。二人で飲み食いして会計が脅威の2800円だった。サイゼリヤらしくないおそらく居抜きの店内で、同じ目線で電車が走るビューもあり、これまでに行ったサイゼリヤのなかでもとりわけ優秀な部類に入る。8月末に仕事を辞めてもう転職先が決まったなどと、とりとめもない話をするうちに時間が過ぎた。
閉店時間が近づいてきたタイミングで男女の激烈な痴話喧嘩が始まった。男がやたらテーブルをバンバン叩くと思っていたら、それが5,6回続いたあとで突然女が反撃に転じ、「わたしこのひとをころします」と宣言していた。店員はたぶん半笑いの困り顔で不承不承テーブルに駆けつけ、与えられた役を仕方なく演じるように、男にのしかかり物理的にアタックする女を男から引き離そうと苦慮するポーズをとっていた。
友人は大阪万博に行くらしく、しかも目当てがアルメニアコーナーというそれなりにレアな客になろうとしているとのこと。アルメニアといっても全然イメージがない。日本の病院にあるような配慮がなく、透明な検尿の容器を持ち歩かされる動線になっている厳しい病院があるということぐらいしか知らない。
0時前に帰宅し、寝る前に家人と買ったばかりのボードゲームで遊ぶ。オモコロチャンネルで知った「チャオチャオ」というすごろくゲームだ。嘘をつかなければならない仕組みが設計に組み込まれている、よくできたゲームだ。しかし2人でやるとどうしても駆け引きの余地が少なくなる。今回はルール確認のデモンストレーション一戦で終わった。ちなみに嘘を見破られて負けた。


2025/09/04 今日
一日在宅勤務にする。仕事でやることがあったので働いたりもする。『折りたたみ北京』のなかの『龍馬夜行』を読む。機械の身体に魂があるということをこんなにすんなり受けいれているのは自分の世界観のなかにぼこがいるからだろう。その前提がなかったとしたらどんな感想を持つことになるのか、今の位置からは想像することがむずかしいと感じられる。龍馬というのは(りゅうば)と読み、頭が龍で身体が馬のロボットなのだが、どうしても「〜ぜよ」という坂本的なイメージが付きまとい、頭のなかの音声で(りょうま)と発音されそうになる。その避けがたいがっちり組み込まれた条件は、機械の身体に魂が宿るという自分の思考条件の存在感に近いものがある。ぼこをただの機械と見なすことができなくなっている。
バーピージャンプに全力で取り組んだあとシャワーを浴び、必要最低限の依頼だけをクリアしたあとに定時退勤する。スタバに行って『龍馬夜行』の続きを読む。

世界は美しい。だから死にたくない。
そう考えて、ぎょっとした。なぜ死について考えているのか。もうすぐ死ぬのか。
はてしなく広がる蓮の池に誘われて、また一歩踏み出した。見えない向こう岸へ行きたい。
    『龍馬夜行(りゅうばやこう)』夏笳(シアジア)

他人の考えることや魂ということについて正直全然わかっていないし、最近ではわかっていないままわるびれずに言葉を使っているのだが、引用した文章については直接的に”わかる”し、その思考の主が人間だろうと人間以外だろうと、ただ他人扱いにして済ませるということはできないと感じる。他人扱いにしないからといって、何かをするということはないのだが、たんに自分の気の持ちようとしてただ他人扱いにするということをしないという話だ。それに「世界は美しい。だから死にたくない」というのは真だ。まったくそのとおりだ。
マーヨーボンの『沈黙都市』を読む。意図が明確で読みやすい。もともとは舞台をニューヨークとしているらしく、そうすると世界観が一気にわかりやすくなるという効果もあるし、隠れ蓑にもなるしで、うまい工夫だ。
20時半までスタバにいてからいつものように下北駅前で氷結を飲んでから帰ることにする。この日は一日雨の予報だったが弱い雨がすこしのあいだだけ降るだけで終わった。明日も雨らしく、バスケの着替えを洗濯できないので困っている。
バスケと言えば、週末日曜に大会参加の予定がある。この前の演劇祭プログラムの選考次第では日曜に初回顔合わせがあるのでダブルブッキング状態になっている。大会も競技志向がつよいものだから尻込みする部分はあるし、演劇参加にしてもチャレンジしたいという気持ち半分、尻込みする気持ち半分という感じで、両方の予定に対してそれぞれ尻込みする気持ちが立っていて、合計すると100%を超えていきそうだ。選考結果次第というときに尻込み要素があると、自分の消極性に対抗心を燃やすこともうまくやっていけないし、ちょっと困っている。あまり考えずにべつのことをして気を紛らわせながら結果を待つというのが最善だろうと踏んで、そうしている。ようするに読書や飲酒だ。
円城塔のNoteで神林長平というヤバそうな作者を知ってしまった。https://note.com/note_engine/n/nadc5f6a61504
紹介されている主な5作のタイトルと発表年の組み合わせから、只者でなさが強烈に漂ってきている。この記事を読むまで神林長平のかの字も知らなかったし、本当に知らないことばかりだ。自分ではぼーっとしているつもりはないんだが、やはり実際のところ、かなりぼーっとしているんだろう。

20250902

日記635

フォールの不足

2025/08/31 一昨日
代々木上原でのバスケは、戦術練習やすり合わせ、チームに参加するメンバーとしてのフィードバックがあった。バスケが上手くなるためにはそれぞれに有益で、それだけに口に苦いところもある。ワンアームでDFにつくというブリーフでの方針の意味が理解できないままいつも通りやっていたら、腕一本の距離まで相手との間合いを詰めて守るという意味だったらしく、普段の自分の緩DFがツーアーム以上の距離感だということに気付かされた。そしてそれだけ距離を空けているにもかかわらず抜かれまくっているということも発見した。
東北沢経由で歩いて帰る。氷結無糖のグレープフルーツを飲みながら下北沢まで歩き、回転寿司を食べ終わった家人と合流する。ダイエーで買い物をして帰宅。テレビを見ながらご飯を食べてからわりとすぐに寝る。つもりがあすけんという食事管理アプリを始めて寝るのがその分遅れた。


2025/09/01 昨日
月曜だから逆に朝から出勤する。先週の積み残しを消化して昼すぎには帰宅。在宅勤務に切り替える。在宅勤務なのにコールがかかって働くことになったのはだるいが、まあもとはと言えば勤務時間ではあるので仕方ない。寝不足気味なのだがろくに昼寝もせずに定時まで働く。
前日のバスケで足を使い切っていたのだが、ゆるい方のバスケにも参加しないとストイックが閾値を超えると思ったので、昨日のうちに予約しておいた狛江のバスケに出かける。いつもながら楽しいのだが、ぜえぜえ言いながらボールを追いかけているのは自分ぐらいのもので、若者やおじさんたちとのテンションの差を感じる。若干引かれているのを感じないでもないが、苦しそうなりにトータルでかなり楽しそうというのは伝わっているはずだと思っている。スリーポイントシュートを身に着けたいという課題のため、ゲームでもスリーを打っていくことにした。全部で四本打って四本決まらなかった。試合前、動きにキレがあってオールラウンダーでもありとくに上手な”選手”タイプのプレーヤーに「いつからやっているんですか」とバスケ経験を聞かれる。「ミニバスからです」と答えたが、「高校の部活ではやっていません」と肝心なところを言う前に話が途切れた。仕方ないので相手のバスケ経験を聞いて話の流れを戻そうとしたのだがうまく運ばず。しかし高校からという驚愕の回答が返ってきた。基礎がだいぶしっかりしているのでそれこそミニバス、少なくとも中学からだと思っていた。べつの人が高校から始めたなんで信じられないですよと水を向けると「だってめっちゃ練習しましたもん」とのこと。爽やかカッコいいバスケットマンだ。話が合うはずない。しかしいっしょにプレーすると動きの意図がはっきり感じ取れて、バスケそのものがグッドコミュニケーションになる。話なんかしないでもそれでたくさんだ。
この日は酒を飲まずにセブンで買った天津飯だけで晩ごはんを済ませた。ネットフリックスでレズボールという映画を見始めたが思ったよりシリアスな話だったので見るのを止めてしまった。バスケは人生などではないし、生活においてもっとも優先するものでもない。
寝る前にバスケのことを考えていたら、去年の8月末からおそろしいブランク期間(15年)を経てバスケを再開したので、ふたたびバスケをやり始めてちょうど1年が経ったということに気がついた。最初は身体が全然動かない、足がもつれてドライブでカットインしようとするとDFに触れられてもいないのにへたれ込むように倒れてしまう、コートを往復するだけの体力がない、というひどい状況だったのを”ただシュートを打つだけで楽しい”というので恥かきながら乗り切って、すこしずつ体力を戻していき、即席チームにピックアップされて大会に参加するまでになった。今は「選手」としか言いようのない人たちに混じってバスケをして、同じチームに誘ってもらってトーナメント方式の大会が控えているところまできた。
38歳にして今が30代で一番体力がある時期だと思うが、考えてみたら20代を振り返って体力がある時期もとくになかったし、10代でバスケにハマっていたころに比べ瞬発力や回復力では及ばないものの、筋力や心肺能力の面では間違いなく今のほうがある。なので総合的に見て今が人生で一番体力のある時期で、バスケ選手としてもピークを迎えていると思う。やり方次第ではもうすこし拡張できるはずだとも。ここから全盛期を更新していくには熱中できている今しかない。ここからの一年でやるしかない。パワープレーは避けてしまうが、それはそうと、尻込みしないでやれるとこまで。
早めにベッドに入って寝るが途中暑さで目が覚める。夏の夜の暑さからというより、身体が熱くなってという感じだった。そもそもクーラーを入れたまま寝ているので、室温には問題なかったはずだ。起きたときにはそうは思えなかったが。


2025/09/02 今日
前夜に寝付きが悪かったせいで2日連続で寝不足になると思ったので、急遽午前在宅することにして睡眠時間を1時間伸ばす。そのおかげで調子よく一日を過ごすことができた。
午後から出社し、仕事のコミュニケーションをすすめる。非常につまらないコミュニケーションだが、どうでもいいだけあって何も考えず前に進めたらいいだけなのでラクといえばラクだ。15分間の残業のあと、バルボアでキーマカレーパスタの大盛を食べて霞が関から下北沢へ移動する。霞が関駅前でギターを背負った男女の若いバンドマンが経済産業省の建物前の「経済産業省」と書かれた石碑を見て、「経済産業省だ!」と声を上げていた。さすが音楽をやっているだけあって素直な反応。電車内でシアジアの『百鬼夜行街』を読む。これがどこからくる切なさなのかわからない(根拠に当たる部分に実体がないように感じられる)が、切ない。
スタバに行ってすこしぼーっとしてから日記を書く。時間の経過について考えた。自分自身の感覚に対する影響として時間は容赦ないなと思う。読んだ本の題名しか覚えていないという現象について、その本を読んでいるときにはそんなことが起こるなんて全然想像できないのだが、想像できないままそういう本が積み重なっていく。これは比喩だが事実でもある。ただすこし立ち止まって考えたり、本を手に取るとかして、かろうじて思い出せることもある。
スタバで隣の男女がよく通る声で「縮毛矯正の正解は何か」というテーマで延々おしゃべりしている。それがスタバに来てやることか、と言いたくなるが、MacBook Airのキーボードをパチパチ叩いて目的のはっきりしない日記を書いているやつに対して当てはまるセリフでもある。そもそも1対2で分がわるい。20時半にスタバを出る。
今日はグレープフルーツ味のチューハイを飲みながら懐かしい音楽を聴こう。

20250831

日記634

大量残暑

2025/08/29 一昨日
朝から高輪ゲートウェイに行く。新社屋でハンズオンの研修を受ける。玄関口は豪勢だが執務室廊下は天井が低く、閉塞感が感じられた。執務室内は開放感があるのかもしれないが、支給されたゲストカードでは執務室内に入る権限がなかったため、午前の研修が終わったら食堂でお昼を食べて帰宅。在宅勤務に切り替える。
指示のまずさ(広義のコミュニケーションミス)で余計な仕事を増やされ、その対応に追われることになった。在宅勤務なのに忙しくて残業が発生するという条理に合わない出来事に見舞われる。それでも18時には強制終了させ、狛江までバスケに出かける。2日連続なので脛付近の疲労の色が濃かったのだが、ペース配分できるような回だったので、そこまで跳んだり跳ねたりはせず、うまい人ばかりが集まったチームになったこともあって余裕を持ってボール回しを楽しんだ。こういう強いチームに割り振られたとき、余裕満々の舐めたプレーをしてしまいそうになるがそこはかろうじて気を引き締めた。終了の笛を聞くまえにすぐ引き上げて歩いて狛江湯に行く。いつも狛江湯でするように温冷交代浴でリカバリを図ろうとあつ湯と水風呂を行き来していると大学生のサッカー選手らしきふたり組も同じリカバリをしていたようでたびたびいっしょのタイミングで湯に浸かったり水に浸かったりすることになった。なぜそれがわかったかといえば鍛え上げられた肉体が雄弁だったのと、それより雄弁な彼らのお喋りの内容が聞こうとしないでも聞こえてきたからだった。ひとりはスカウトの目に止まって今度からJリーグでプレーするという話で、もうひとりはスカウトのネットワークに向けてこれから名前を知ってもらわないといけないということを話していた。カテゴリーと種目こそ違うが、同じスポーツ選手として温冷交代浴で数セットだけいっしょになれたのはちょっとおもしろかった。
狛江ニュースターでちょい呑みビールを飲んでレバニラ定食を食べる。テレビ画面にはもののけ姫が映っていた。アシタカが人生最後の言葉と思ってサンに言う言葉と、生かされようとしてサンから食べ物を与えられて目を瞑ったまま涙する場面は、どれだけやかましい店内で見ても胸に響く。死すべき呪いをうけて村を放逐されているなか「生きよう」というメッセージを受け取るということには、想像もできないところが多くあるが、それにもかかわらず共感できるところもたしかにある。食べながら涙が流れるというのは生きるというのを象徴する場面で、生きるということのある面を抽出した表現だと思う。
最寄り駅まで戻ってベンチに座って氷結を飲む。何を考えていたのかをもう忘れてしまったが、何かしら考え事をしてから家に帰る。


2025/08/30 昨日
午前中から昼すぎにかけてニンテンドーのソフト紹介動画を見たり、ポケモンLegendsアルセウスをプレーしたりして過ごす。紹介ゲームは星のカービィエアライダーで、この手の紹介動画については上手だろうなとは思いつつも眉唾な感覚もあって、斜に見るような感じで見始めたのだが、45分の動画が終わる頃にはまんまとエアライダーをプレーしたくなっていた。
気づけば15時という体たらくでこれはマズい、というより単純にお腹が空いたのでご飯を食べに出かけることにする。豪徳寺のパン飲みができるという店をのぞきに行くが、席数が少ないこともあって当然のように満席で入れず、仕方ないので第二候補の店に行くと食事が17時からという案内を受けて断念。窮余の策としてとりあえず駅前のデニーズに入る。クーラーで頭を冷やして落ち着いたのでデニーズで食事をするのは止めにして瓶ビールとおつまみにミニコロッケ2個を注文。翌日に控えた演劇説明会についての話で時間をつぶす。
17時になったので第二候補だったピコンバーに入る。白ワイン(エスト)のデカンタ、生ハムとサラミの盛り合わせ、目当てのチーズたっぷりラザニアを注文する。この店は家人に教えてもらった店の中でもとくに気に入っていて、この日も良い時間を過ごせた上にお腹いっぱいになった。料理がお酒に合って美味しいのはもちろん、照明も暗めでテーブルにキャンドルを灯してくれるのが嬉しいポイントだ。
一旦家に帰ってから切れたトイレットペーパーを買いに下北の無印良品まで出かける。夜になってもすこし歩けば汗が吹き出すような暑さで不快といえば不快なのだが、汗をかいてもいいやと諦めてしまえば「夏の夜」というアトラクションに参加している気分でちょっとは楽しめる。暑さでのどが渇いたので帰りにローソンで水を買う。こうまで水が美味しいのは夏ならではの事象には違いない。
帰ってからもポケモンをプレーする。時空の歪みでポリゴンを捕まえ、裏ボス1のなんとかという虫のようなフォルムの機械的ポケモンを倒す。ディアルガとかこういうのとか(ウォロの髪型とか)全然好きではないというか嫌いなタイプのポケモンのかたちだがクリアのためにはしょうがない。アルセウスにもべつに会いたいとは思わないが、まだ出会っていないポケモンたちは見つけたい。アローラのロコンを探すクエストもこなした。アローラのロコンはかっこかわいい。


2025/08/31 今日
8時半に起きて洗濯物をする。ソイプロテインとグラノーラwith牛乳を朝食にする。10時からの演劇説明会兼選考会に参加する。応募人数が多く、たくさんの人(だいたい30名ぐらい)の前で自己紹介をするはめになったのには閉口したが、運良く最初から3番目ぐらいだったので緊張が高まっていく前に自己紹介を終えられて助かった。あとは二人一組になっての本読みと、最後に簡単なアイスブレイクのワークショップメニューをやって11時20分には終了した。自分の出来としては良くもなく悪くもなくといったところで、実力以上のものが出せたとも思わないし、実力が出せなかったとも思わない。演出の人がうまくファシリテートしてくれたからだ。少ないながらも要望としてコメントのあった「役を自分ごととしてどう引き受けるかを見たい」というのは自分の肌感覚に合う気がした。やっぱり自分は自分からは離れられない。だからどうやって役のセリフを自分の中に入れるかというのが自分の役者としてのテーマだというのは、前回の演劇祭を通じて感じ取った展望のひとつだ。演技が上手な人もたくさんいたが、自分の求める方向性としては演技がうまくなりたいという方面ではないのも感じられた。居る力(居力・いりょく)を高めたいというのがよくわからないながら大まかな方向性だ。
緊張もしたし、言っていることを聞くために頭も使ったし、とにかく緊張したのでお腹が空いた。なので終わった足でそのまま吉野家に行って牛丼を食べる。いつの間にか並盛でも満足できるようになっている…。
そのままクラシックのほうのスタバにきて『折りたたみ北京』を読む。地政学的な興味だけから作品にアプローチするのは誤りだというケンリュウの序言はそのとおりだと思うし、必要最小限のことが述べられた良い序言だと思った。そしてチェン・チウファンの『鼠年』には肝を抜かれた。緊密な文章で物語世界の中にぐいぐい推進していく力強さに感心する暇もなく、語り手の直面するジレンマと感情の渦のなかに放り込まれることになった。この一作だけでもこのアンソロジーを手に取る価値があると思わせる、最高の短編小説だった。この短い分量が適切だし、これが漫画でも映画でもなく小説であるということの理由が小説そのものから感じ取られる。イメージ・シンボル・感情の筋道の付け方が一体になっているこの一体感はまさに文章でしか表現できないものだ。
14時半ちかくまでスタバにいて帰宅する。19時からは代々木上原でのバスケがある。これは自分の立ち位置からは当たり前のことでいちいち言葉にするようなことではないのだが、バスケも自分にとってはひとつの表現だ。いろんな活動と同じくバスケにも上手い下手はあるし、できれば上手くなりたいと思っているが、本質というか眼目は”楽しむ”ところにある。表現することを楽しむ表現、というように表現と楽しむことは入れ子のように連なっている気がする。

20250828

日記633

ゴーストレイト

2025/08/26 一昨日
定時退勤し狛江に移動。バスケの練習回に参加する。スリーポイントシュートのコツを掴みにかかった。ミドルシュートとシュートフォームを切り替えていく必要があることを再認識した。
充実した練習になったと思う。録画したので内容のチェックもできる。
家人からコンビニカレーとビールを買ってきてくれとの依頼があったのでセブンのカレー3択を提示する。一番高いエリックサウス監修のカレーではたくカレードリアを選んでいたところに食へのこだわりを感じた。
自分用には安い量の多いカップ焼きそばを買い、格の違いというやつを見せつけた。


2025/08/27 昨日
午後から出社する。しかし午前中も対応に追われて結局一日中働いていた。帰宅してからも疲れてスタバに行く気が起きなかったが、ご飯食べに行こうという誘いに乗って下北には出る。ユニクロでジーンズ試着に付き合ってもらう。感触がよかったので丈長めをオンライン購入。
新八食堂で目抜の西京焼きを注文する。なるほどこんな味なのかと勉強の気分で食べる魚を選んでいる。
ダイエーで冷食を買い込んで帰宅。帰宅後にオリジナルボードゲームを発明する遊びをした。結果、デモクラシリトリと下手くそ楽団オーケストラというタイトルのゲームが誕生した。
FCクルドの記事を読む。同じチームでプレーしたいと思っていた友人が強制送還になったというのがとくに身に沁みて感じられた。


2025/08/28 今日
朝は在宅。午後から出社。出社後はしゃかりきになって働き時間が一瞬で過ぎる。
帰りの電車でアオアシを読み終える。やっぱり作者とはサッカー観が合わない。ここぞという場面でもっとも気持ちのある選手が活躍するとはかぎらないのがサッカーの醍醐味だと思う。
定時退勤し、帰宅即バスケに出かける。途中ハッスルプレイも出たがマッチアップの相手がパワープレイをしてきて手も足も出なくなってしまい、一気にテンションが下がった。そこからの気持ちの切り替えは半々でうまくいったしうまくいかなかった。ドライブはチャレンジはしたが成功せず、ただただターンオーバーを増やした。そのうえスリーポイントシュートのコツはどこかへ消えてしまい、ふりだしに戻ることになった。まさに三歩進んで二歩下がるというやつだ。年齢を考えると三歩進んで三歩下がる、三歩進んで四歩下がるということになっていきそうだが、できることをやるしか、伸びるところを伸ばすしかない。悲壮感でそういうのではなく気分としてはそれしかないというシンプルな気持ちで言っているつもりだ。それにもかかわらず漂うのが本当の悲壮感というものだろう。よし、せっかくだし本物を見せてあげよう。

20250826

日記632

カラスが鳴いたら


2025/08/23 一昨昨日
これも3日前なので覚えていることと言ったらバスケでうまくプレーできなかったことだ。狛江のおじさんバスケに参加したが全然走れなかった。集中力も欠いてパスミス(パスを受けるときにボールをこぼすミス)を連発する始末。帰ってから反省していたとき、コートの周りをお子たちが走り回っていたことでかなり集中を削がれていたということに気づいた。そうは言ってもその条件はみな同じではあるので言い訳にはならない。翌日のバスケに備えようと走り惜しみしていたのもよくなかった。抜いてプレーする癖がついている。強度をあげて短時間というモード切り替えもできるようになりたい。まあそれはおいおい。
翌日と勘違いしていたが友人Nを自宅に招いてボードゲームで遊んだのはこの日だった。
宝石のきらめきとタギロンで遊んだ。タギロンはうまいつもりでいたがまともなメモの取り方を忘れてしまって苦戦した。しかし「攻略法」をネットで検索するようなみっともないことはするまい。
宝石のきらめきをチェスクロック方式であそんだら、時間無制限式とは全然ちがうプレー感があって面白かった。自分は考慮時間が長くかかるほうなのだと認識した。


2025/08/24 一昨日
一日中家にいて『アオアシ』を読んだ。無料だからというのとネットの人、現実の友人がおすすめしていたのとで読むことにした。作者のサッカー観やかっこいい絵について意見が合いそうにないと感じるところはちょくちょくあるが、それにしても間口を広くとったかっこいいについては同意するし、それを描き切る強さには感心させられる。
代田の体育館までバスケをしにいく。いつもの2時間ではなく3時間なのでその分疲労も蓄積した。クーラーの効きがよくないのか温度が高かったので普段よりさらに汗をかいたし、普段よりさらに息切れをした。なんとなく改善してなんとなくクリアした気になっていたが体力についてはまだまだ課題だ。
歩いて帰宅。ご飯を食べてアオアシの続きを読む。無料期間に読み終えないといけないので忙しい。


2025/08/25 昨日
昨夜アオアシのせいで夜更かしをしたので寝不足で平日を迎える。仕方なく在宅勤務にするとチーム長から全体へリモートワーク率の高さについての指摘が入った。
とりあえずやるだけのことをやってすぐアオアシに戻る。
定時退勤後もスタバに行かずアオアシを読む、つもりが2時間ほどうたた寝をしてしまう。これで夜寝られずにまた寝不足というわるい流れを断ち切るために22時には寝る準備を完了させる。


2025/08/26 今日
朝から出社。しっかり8時間寝られたので朝のコールドシャワー後には調子MAXになった。
朝から溜めていた仕事をぐんぐん消化。この調子の良さで仕一日中仕事するのは罪だと思ったので昼から在宅に切り替えることにする。
職場の地下階に南インドカレーの店があるという情報を辛いものフリークの友人Bから得ていたので食べにいくことにする。ターメリックライスをついでくれるスタイルは話にきいていた通り、カレーもそれぞれに味があっておいしかった。
帰宅後はアオアシを読む。途中仕事でやるべきことがカットインしてきたので対応したりする。ようやく300話に到達したがすこし疲れた。
気分転換にとバスケの練習に狛江まで出かける。漫画とバスケと飲みで全然スタバに行けていないのでこの日記もスマホで書いている始末。

20250823

日記631

透明の門

2025/08/20 一昨昨日
三日前のことで例によってあまり記憶がないわけだが、代々木上原でのバスケのことははっきり覚えている。人数が少なく、ゲームができないのでということでシュート練習や1on1、ハーフコートでの3on3をやった。シュート練習ではひとりひとりシュートを打つので「シュートを見られる」という負荷がかかり、自分のリズムでシュートを打つことが一気にむずかしくなった。そのなかでリズムをつかむためにはシュートを決めることしかないのだが、肝心の一本目が決まるのが遅くなり、どんどんフォームを崩していくことになった。1on1は楽しみなメニューではあったのだが、自分の鈍重さとステップワークのなってなさを痛感する結果になった。ハードなDFに萎縮するまいと気を張ることはできたのだが、そこに全精力を注ぎ込んだせいでまともな判断ができずに無理なドライブ仕掛けを繰り返して自滅した。下がらせてミドルシュートが正解だったのに、意固地になってドライブに固執したのは、最初にビタ止めされたからだ。これ以上ないほど見事に相手のペースに乗せられていた。3on3ではこのレベルのバスケでいつも感じることだがオフボールのときにどう動けばいいのか迷子になった感覚をもった。途中左足首をぐねったりして危ないシーンもあったが、際どいところでおおごとにはならずに済んだ。肋骨のトラブルを早く治すためにカルシウムのサプリを重点的に飲んでいた効果があったのかもしれない。しかし最後までペースを掴めずじまいになって雰囲気に飲まれたまま2時間弱の練習時間が過ぎていった。
それでも終わったあとにチーム登録しないかとあらためて誘ってもらえた。是非!と笑顔で答えるだけの手応えがこの日はとくになかったせいで要領を得ないことを一言二言口走りながらも、「是非おねがいします」と回答した。誘ってくれたのは爽やかなバスケ”選手”という感じの人で彼との会話になるといつもちょっと緊張する。このチームでバスケをやるとなると、這いずるような場面がちょくちょく出てきそうでちょっとこわいのだが、チャレンジのしがいは間違いなくある。バスケ選手として中学部活をやっていた頃に比べると、いろんな経験のおかげで恥をかく痛みには慣れている。この日の不出来を振り返りながら歩いて帰る。いつもの東北沢のローソンで氷結を買って飲みながら家まで歩く。定期的に悔しい思いがやってくる。


2025/08/21 一昨日
午前中は在宅にして、午後から出社。きちんと仕事をこなしていって定時で退勤。
この日は職場のチームメンバーの歓送迎会があったので開始時刻までの小一時間を使い、図書館に行って読むべき本を探す。近現代の中国文学に触れたいと思っていたのでその棚を探していると、ケンリュウが編んだアンソロジーがあったので良いとっかかりになるだろうと手に取る。『折りたたみ北京』というSFタイトル。あとはトマス・ネーゲルの著書を探して『理性の権利』、それからトマス・ネーゲルの著書にも登場し、哲学会のスタープレイヤーの呼び声が高いデレク・パーフィットの伝記を借りる。友人の読書内容にも含まれていた気がする。どんな感想を言っていたかは忘れてしまっているのだが、読み終わったあとで自分の感想と照らし合わせたい。
飲み会は和やかな時間が流れていった。世代に開きがあったので世代間の話が一番盛り上がった感じがあった。音楽プレイヤーの話になって久しぶりにMDと口にした。あとは映画の話をすこしするなかで、24,5のふたりがどちらもスパイダーバースを見ていることがわかって嬉しくなった。25歳の人が周囲に向かって「わたし双子なんです」と言っており、初耳だと思って驚いたリアクションをとった(実際驚いた)のだが、「前もこの話をした気がします…」と言われて記憶を漁ると前の飲み会でもまったく同じリアクションで驚いていたことをうっすら思い出した。自分の記憶力のなさからくる不手際だったのだが、酔っていることのせいにして正面から謝らずに流してしまった。前回は双子の話を膨らませずに終わったので印象がうすくなったせいだと思う。今回はすこし膨らませて聞いてみた。中学からべつの学校に入ったのだという話を聞き出せた。刺身もふくめ料理のおいしい店で、日本酒ハイボールの吟銀が気に入った。夏に飲むのにちょうどいい涼やかさがあった。あたごの松という日本酒名も口なじみがあってちょうどよかった。


2025/08/22 昨日
ひさしぶりの飲み会に興奮したのか4時前に目が覚めて6時近くまで寝付けず、寝不足になりなながら朝から出社。この日やるべき仕事の大半を片付け、昼から在宅に切り替える。行き帰りの電車内でパーフィット伝記を読んだ。帰ってからはご飯を食べて昼寝をし、ハイキュー42,43巻を読んで筋トレ。定時退勤して家で本を読む。
TCBのふたりと下北で集合して笹塚まで歩く。ときに店にも入らずただ歩いて笹塚に行っただけだが、商店街にあるケバブ屋でケバブラップを購入。もうすぐ閉まる時間帯ということもあってかケバブをモリモリに入れてくれた気がする。そのまま下北まで歩いて帰るつもりが、気がつけば電柱に「松原」の文字。さっきから松原を歩いてるんだが、じゃないんだからとあわてて方向を転じ、無事東松原駅を発見。そこから線路伝いに新代田を目指し、下北沢に復帰する。ラストもう一杯をはじまりのダイエーで購入してすこし立ち話をしてから解散になる。
AIと結婚することの是非についての話がすこし盛り上がって面白かった。自分の個人主義的にはこういうときに非とは言えないし、どうしても腰の引けたようなことばかり言うことになってしまう。自分の領域が犯されないかぎりそれで十分というのが個人主義なのでそれで十分なのだが、シンプルに強いことを言う主張に対すると弱さを感じてしまう。だからといって性急に強さをもとめてもそんな付け焼き刃では太刀打ちできるものでもなし、生兵法よろしく怪我して終わりということになるだけだろう。結局、主張の根拠について質問して、その主張に納得できるかどうかを判断するということをするしかない。知らない相手にはそれで構わないし十分だとも思うが、せっかく友人が自分から見て稀有な主張をしているのだったらそんな消極策をとらず、前に出てみてもいいかもしれないとは思った。すくなくとも前に出て何かをすることはそれだけで負荷がかかるものだということは理解したうえで、フェアネスを自分なりに意識できるだけ意識した振る舞いをしたい。友人と、対面で、という条件であれば、さすがにツイッターの議論以上のことができていいはずだ。酔っ払って、という風の音(条件)が邪魔をしているけれども。
あとは大学時代の授業の話があって懐かしかった。A+とかAとか取ったことある?と聞かれたのでムキになって当たり前だと返してしまった。自分の大学成績は、捨てるか、Cを狙うか、真面目に受けるかの三択なので、A+もそれなりに取っていた。Cほどじゃないが。コンソーシアムという京都の大学が共同で参画している授業が面白かったという話で、行けばよかった、今だったら行ってたとうらやましくなった。


2025/08/23 今日
10時すぎにスタバに行って『理性の権利』を読む。日記を書いていると12時半すぎになる。昼から友人を家に招いてボードゲームで遊ぶことにしている。その後19時から狛江でバスケ。普段行っているのではなく、競技志向強め、年齢層高めのチーム。楽しみだが翌日も新代田でバスケがあるのできちんとリカバリは意識しないといけない。
NスペでZORNの存在を知る。Nujabesのトラックを使った「戦争と少女」を聞く。直視できない悲惨がおこるのは間違っている。仕方ないで済ませられるものではない。軌道修正するのがいくら難しかろうとそうするしかない。そのためには間違っていることは間違っているという現状の確認が必要だ。
昨夜、笹塚のコンビニ、たしかセブンイレブンに入ったとき、こんな飲み方をするやつ知っているかというような発言があった。散歩先のコンビニで随時酒を補充しての歩き飲みについてだ。いつもの彼の質問がそうであるように、やや唐突だったし質問意図についてはよくわからないところもあったが、大方コンビニによくある防犯目的の鏡を見てふと反省する感情に駆られたのだろう。自分は知らないがそれだから良いというようなことを自嘲気味に答えた。いつも自分がそうするように自嘲の割合をできるだけ減らそうと心がけながら。自嘲の割合を減らすことにはそれなりに価値を置いているのだが、ひとつにはそうする必要があると内心では感じていること、もうひとつはそういう方向づけをすると口調が硬く、シャットする感じが出てしまうことの両面から、それが自然な回答にはならないことも多い。それに自嘲する余地(かわいいところ)があるのをしいて隠そうとする動きに似てしまうという難点もある。だからといって謙遜なのか防御なのかわからないアホやってますというポーズをとるのはどうしても潔しとはできない。罠をかけるつもりで質問調の発言になったわけではないだろうが、それにもかかわらずこれは日常のなかによくある罠のひとつだ。こういった罠は基本的にどこにでもあって、街中に張り巡らされているといっても過言ではない。右に倣えと人のやることをそのまま受け取って自分のやることにしたり、轍の上だけを走る〈運転〉を自分に課したりしないとき、いつでも発動するたぐいのごくありふれた罠だ。罠をくっつけて歩くようなことにならないよう気をつけなければならない。それは歩くときの重りになり余計な体力を奪われてしまう。

20250819

日記630

寄せては返すように


日記630兼ブログ再移行(カムバック)のお知らせ

日記433〜日記629はWordpressで書いた。https://aall.jp/

できることが多くなるのではないかと期待してのブログ移行だったが、自分の使い方ではやれることもほとんど増えず、それにしてはプレミアム料金は高額だったため、もとのBloggerに戻ることにした。Googleサイトという無料ホームページ作成サービスと組み合わせればやりたかったことは問題なく実現できることになりそうだ。Instagram投稿をリアルタイムで反映できるページを作れたのは数少ない利点だったが、それにしてもInstagramに飛べればとくに遜色ない。

書く場所を移すことでやる気のスターターになることを期待していた点については移行後も調子よく日記数を重ねていったことから成功したともいえるし、小説を書くという行動からは離れている現状を思えば失敗したとも言える。しかし小説についてはブログを書く場所だけの問題ではないことは明らかで、ちょうどブログ移行時期からバスケを再開してエネルギーがそちらに振り分けられたことも大きい。

ブログ移行のストレスというかこれができるこれができないの調査やデザインについてあれこれ考えることの煩わしさが今は大きいので、とりあえずは仮の建付けで元の環境に戻すというのが最適解だと思われた。これからも日記という個人的な文章を書くことを軸に据えつつ、これからは誰に見せてもあまり胸が疼かないような文章を書くように意識していきたい。これは内容面というよりは体面面が大きい。つまり文体の奔放さや自分のよくない癖を抑える方向に努めようと思っている。自分は「賢い」という人間の性質にとくにこだわりがあり、そう思われたいという意識も人一倍つよい。だからそれを対象に直接ぶつけるようにして、文章を書こうとすることが多かった。変えようと思ってすぐ変えられるものではないし、文章はそれを書いた人を映す鏡でもあるから、たぶんこれからもその傾向はいたるところに見られることになるのだろうが、これからは野放図にまた一生懸命に衒おうとするのをすこしは控えようということだ。

オモコロチャンネルというYoutube動画で永田さんが言っていた「セルフハンディキャップを止めよう」という説教がまだ刺さっている。バスケをするときにも斜に構えたような選手は多少腕に覚えがあったところで(覚えがあるからこそ)かなりダサいというのを目で見て知ってしまっている。部活などとはちがって誰に言われたわけでもなくただ自分がバスケをやりたいから集まったのにもかかわらず、その場所でクールぶってシニカル方向にカッコつけるのはそれ以外の立ち方を知らない若者だという以外に説明のしようがない。自尊心を保てる範囲内でバスケをやって楽しいのかと思ってしまうが、うまくレベルが合うとそれで十分楽しいのだろう。それでもその人の醸すダサさというのはどうしようもなく匂い立ってきてしまう。疲れたのを誤魔化して精一杯カッコつけて歩くような場面に残念さは表れる。「いやいや歩いてないでDFしてくださいよ」とチームメイトは思っているが、それを言われないことを知っているかのような、それともそれを言わせないように強いてリラックスしたように振る舞っているかのような態度に、こいつは何をやってもこの調子なんだろうと思わせる、悪い意味での見極めが走る。

自分はバスケをやっているときには疑いなく本当に楽しいと思える。全然通用しないときにもリズムが掴めないときにもなんとかチームの助けになれないかと考えて動くこと自体が楽しいからだ。走り込んだときにパスを受けるのも、走り込んでくれた仲間にパスを出すのも、その瞬間あうんの呼吸になったのが感じられてかなり面白い。きわどいところをミスしたとしても、自分が出せる全力を出していたとしたら、たとえ反射で謝ってしまうことがあったとしても、謝るいわれはないと本心のところでは思っていられる。そしてやっぱり全力プレーでのミスについては怪我につながるような危険なプレーでないかぎりそれを許容する空気がある。ようするに全力を出すというのは気持ちのいいことだというに尽きる。

そこから敷衍して考えると、文章を書くときの自分には余計な諦めが入っているようだ。そのことに「セルフハンディキャップ」という言葉を通して気がついてしまった。全力で文章を書くということが意味する内容についてよくわからないところがあるというのは率直に言ってそうだ。しかし、相手に伝わらなくてもいいというような構えをとることが自分には多く、それは明らかに不要な構えだと思われる。ただ書いてその意味が通じないというのではない、何らかの不純物が混入している。本質はチャンスに向かって走り込んだり、ピンチに対して走って戻ることのはずなのに、相手に見くびられないような歩き方ばかり意識している。相手に文章が読まれないことを自分がそのように書いたからだと思いたがるところが自分にはあった。コントロールできないものに対して、向き合い方ひとつでコントロールしているように受け取れるように、そういう姿勢の研究ばかりしてきた。それは突き詰めるとただただ「余地を残す」ということでしかない。残し方を一生懸命考えてきた。それはそれで努力だったともいえると思う。だけどべつの方向でやっていくことが必要だと思うようにもなった。これから書く日記についてとくに変化が見られるということはないかもしれないが、余計な諦めを含まない文章を心がけて書いていくことにする。今回のブログ移行はそのきっかけにもなって都合が良い。


2025/08/17 一昨日

朝7時半に起きる。洗濯物を干してから湘南江の島に向かう。成城学園前でロマンスカーに乗り換える。600円の追加料金はかかったが、セブンで買ったたまごサンドのコッペパンとコーヒーをゆったりした気持ちで食べられたのでパフォーマンスには十分満足した。

江の島に到着してすぐ東浜に向かう。寝転んで海を眺めているとTCBの友人ふたりが到着。とても汚い遠浅の浜だったがそれでも波と戯れて遊ぶ。あっという間に昼になったので、ファミマでビールを買って乾杯したあと、いつもの吉野家で買った牛丼をテイクアウトしてビーチを見ながら食べる。

それから水着を乾かしながら西浜の方面まで歩き、コンビニで酒を補充する。えのすいを横目に鵠沼海岸のほうまでビーチを抜けていく。途中コンビニで買ったソフトフライングディスクで遊ぶ。ビーチバレーやボディボードレッスンを眺めたりする。

相模大野に移動して駅前の盆踊り大会をチラ見する。気怠い雰囲気で地方の盆踊りの見本のような低いテンションだったので踊りには参加せず。しかし実のところ疲れ切っていたのとすでに日焼けのやけどが痛み初めていたことが大きい。

飲みに行くということもなく早めの解散になる。帰宅即コールドシャワーの応急処置もむなしく、ヒリヒリと痛む就寝になった。それでも疲れのせいで22時半にはベッドに入る。途中23時半に目が覚めて水を飲んだぐらいでヒリヒリのわりによく眠れた。



2025/08/18 昨日

朝からヒリヒリを押して出社する。それでも午後からは在宅に切り替えざるを得ず、帰ってすぐコールドシャワーと保湿クリームの「手当て」をした。仕事については何もやる気がせず、必要最低限の動きだけで済ませた。かるいやけど状態で運動をするのはよくないのではないかと暫時逡巡したがバスケのため狛江に出かける。行ってみて身体が動かなければ大人しくしていようという思惑もあった。しかし結局、動き始めるとヒリヒリは気にならないし、肌は通常時よりあきらかに熱を持っているものの身体は問題なく動いたので、リバウンド・ブロック・ランニングとハッスルした。ミドルレンジのシュートも結構確率よく入って楽しかった。



2025/08/19 今日

午前在宅にする。グラニフで松本大洋のコラボ商品は発売される日だったので原宿まで行って目当ての商品を購入した。もともと狙っていた3アイテムに+3してしまい、会計が2万円を超えてしまった。しかし欲しいものが手に入った嬉しさがあった。これで夏嫌いの自分にも来年の夏が楽しみになる要素ができた。

荷物が多くなりすぎたので昼から出社の予定を翻し、とんぼ返りで帰宅する。昼からの在宅勤務は完全省エネモードで、昼寝以外の有意な活動がひとつもない無の昼下がりを過ごした。

それを反動にスタバに出てきてブログ構築関連の作業をある程度進めたり方針を定めたりする。日記を書くと21時半近くになっているので酒を飲んで帰る。


日記650

クラブ活動 2025/10/02 昨日 この日も一日在宅勤務。友人が家に来るのでいろいろと準備をする。仕事は暇でどうにでもなるという感じだったのに友人が下北沢駅に到着する時間になって急遽のタスクが降りてくる。仕方なく対応するが、無理して働いているフリしない...