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20250928
日記647
理性とはつまり、その場所での真理の代理人へと、また行為の場合には正しさの代理人へと私自身を化そうとする企てなのだ。172p
映画『教皇選挙』を見た
映画『教皇選挙』を見た。原題は『CONCLAVE』。世界史の教師に覚えなさいと言われて覚えた記憶がよみがえった。世界史で覚えなければならない語句として登録されている通り歴史的なイベントで、数百年単位で連綿とつづく営みを題材にしている。だから映像の質感も、舞台になる建造物も、それぞれに荘厳さを醸し出していて、それだけで見るべき映像という感じがあった。とりわけ印象に残ったのは衣装の美しさだった。映画の始まりに映される故人となった教皇をはじめとして、司祭たちの衣装はどれも華美でありつつそれ以上に抑制を効かせた意匠で、布の質感がそれを纏うものの人格を高邁に見せていた。顔に刻まれた皺のひとつひとつも彼らのうちにたしかに存する知性の証拠として見えるのは、それが実際にそうであるというよりは、見かけ上カジュアルな服装ではないからだということで説明がつく。馬子にも衣装という言葉通りの説得力が、聖職者を演じるうえで何よりの俳優の助けになっていたことは疑いえない。映画というのは人が人を見るための装置だという見地に立ったとき、この映画における衣装の役割は相当程度高いところに置かれるべきものだ。実際、教皇が故人となることで元教皇になる瞬間というのは、死の瞬間でもなければ、皆で教皇のために祈りを捧げた瞬間でもなく、彼の完璧な衣装の一端をなす指輪がその指から引き抜かれたときであった。指から引き抜くのが難しかったからだろうが、無理矢理に引き抜かれたように映るその映像はショッキングなものだった。当人が自分で指輪を外せない以上、そうするしかないことではあるのだが、そんなことをしてもいいのかという恐れに近い感覚を見るものに与えようと企図されたシーンだったといえる。また、レイフ・ファインズが聖職者用の衣装を解いて、(それでもまだ高価そうで)上品なシャツ姿になるとき、こんなに部屋が大きかったのかと思われるように映っていることからも、高貴な身分はまず衣装に顕れるということが強調されていた。そしてさらに言えば、衣装というのはその人間に固有の本性を隠すためのものでもある。コンクラーベに参加するような身分の聖職者の衣装はおそらく聖職者のなかでも特別で、より多くを隠すだけの布地を持っている。いくら多く隠すとはいえ、彼らの言や眼差しは隠れようもないが、身体的な特徴はある程度隠しきってしまうものだ。魂をはかるには言行をもって判断する以外ないという考えにおいて、このように特別な衣装のもつ役割というのは両義的なものである。判断にとって本質的ではない不要なものは隠しつつ、直接判断する必要のないものたちにはそれを身につける人格が立派で貴いものだと印象づけることができる。そのうえ、飛散する瓦礫の破片からその身を防護してくれることまであるのだから、衣装の重要性というのは高く評価されて良いはずのものだ。頭頂に乗せるだけの小さい帽子も、高貴な雰囲気を崩さない範囲内でありながら十分にチャーミングなアイテムだと思う。
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世界は美しい。だから死にたくない。そう考えて、ぎょっとした。なぜ死について考えているのか。もうすぐ死ぬのか。はてしなく広がる蓮の池に誘われて、また一歩踏み出した。見えない向こう岸へ行きたい。『龍馬夜行(りゅうばやこう)』夏笳(シアジア)
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日記630
寄せては返すように
日記630兼ブログ再移行(カムバック)のお知らせ
日記433〜日記629はWordpressで書いた。https://aall.jp/
できることが多くなるのではないかと期待してのブログ移行だったが、自分の使い方ではやれることもほとんど増えず、それにしてはプレミアム料金は高額だったため、もとのBloggerに戻ることにした。Googleサイトという無料ホームページ作成サービスと組み合わせればやりたかったことは問題なく実現できることになりそうだ。Instagram投稿をリアルタイムで反映できるページを作れたのは数少ない利点だったが、それにしてもInstagramに飛べればとくに遜色ない。
書く場所を移すことでやる気のスターターになることを期待していた点については移行後も調子よく日記数を重ねていったことから成功したともいえるし、小説を書くという行動からは離れている現状を思えば失敗したとも言える。しかし小説についてはブログを書く場所だけの問題ではないことは明らかで、ちょうどブログ移行時期からバスケを再開してエネルギーがそちらに振り分けられたことも大きい。
ブログ移行のストレスというかこれができるこれができないの調査やデザインについてあれこれ考えることの煩わしさが今は大きいので、とりあえずは仮の建付けで元の環境に戻すというのが最適解だと思われた。これからも日記という個人的な文章を書くことを軸に据えつつ、これからは誰に見せてもあまり胸が疼かないような文章を書くように意識していきたい。これは内容面というよりは体面面が大きい。つまり文体の奔放さや自分のよくない癖を抑える方向に努めようと思っている。自分は「賢い」という人間の性質にとくにこだわりがあり、そう思われたいという意識も人一倍つよい。だからそれを対象に直接ぶつけるようにして、文章を書こうとすることが多かった。変えようと思ってすぐ変えられるものではないし、文章はそれを書いた人を映す鏡でもあるから、たぶんこれからもその傾向はいたるところに見られることになるのだろうが、これからは野放図にまた一生懸命に衒おうとするのをすこしは控えようということだ。
オモコロチャンネルというYoutube動画で永田さんが言っていた「セルフハンディキャップを止めよう」という説教がまだ刺さっている。バスケをするときにも斜に構えたような選手は多少腕に覚えがあったところで(覚えがあるからこそ)かなりダサいというのを目で見て知ってしまっている。部活などとはちがって誰に言われたわけでもなくただ自分がバスケをやりたいから集まったのにもかかわらず、その場所でクールぶってシニカル方向にカッコつけるのはそれ以外の立ち方を知らない若者だという以外に説明のしようがない。自尊心を保てる範囲内でバスケをやって楽しいのかと思ってしまうが、うまくレベルが合うとそれで十分楽しいのだろう。それでもその人の醸すダサさというのはどうしようもなく匂い立ってきてしまう。疲れたのを誤魔化して精一杯カッコつけて歩くような場面に残念さは表れる。「いやいや歩いてないでDFしてくださいよ」とチームメイトは思っているが、それを言われないことを知っているかのような、それともそれを言わせないように強いてリラックスしたように振る舞っているかのような態度に、こいつは何をやってもこの調子なんだろうと思わせる、悪い意味での見極めが走る。
自分はバスケをやっているときには疑いなく本当に楽しいと思える。全然通用しないときにもリズムが掴めないときにもなんとかチームの助けになれないかと考えて動くこと自体が楽しいからだ。走り込んだときにパスを受けるのも、走り込んでくれた仲間にパスを出すのも、その瞬間あうんの呼吸になったのが感じられてかなり面白い。きわどいところをミスしたとしても、自分が出せる全力を出していたとしたら、たとえ反射で謝ってしまうことがあったとしても、謝るいわれはないと本心のところでは思っていられる。そしてやっぱり全力プレーでのミスについては怪我につながるような危険なプレーでないかぎりそれを許容する空気がある。ようするに全力を出すというのは気持ちのいいことだというに尽きる。
そこから敷衍して考えると、文章を書くときの自分には余計な諦めが入っているようだ。そのことに「セルフハンディキャップ」という言葉を通して気がついてしまった。全力で文章を書くということが意味する内容についてよくわからないところがあるというのは率直に言ってそうだ。しかし、相手に伝わらなくてもいいというような構えをとることが自分には多く、それは明らかに不要な構えだと思われる。ただ書いてその意味が通じないというのではない、何らかの不純物が混入している。本質はチャンスに向かって走り込んだり、ピンチに対して走って戻ることのはずなのに、相手に見くびられないような歩き方ばかり意識している。相手に文章が読まれないことを自分がそのように書いたからだと思いたがるところが自分にはあった。コントロールできないものに対して、向き合い方ひとつでコントロールしているように受け取れるように、そういう姿勢の研究ばかりしてきた。それは突き詰めるとただただ「余地を残す」ということでしかない。残し方を一生懸命考えてきた。それはそれで努力だったともいえると思う。だけどべつの方向でやっていくことが必要だと思うようにもなった。これから書く日記についてとくに変化が見られるということはないかもしれないが、余計な諦めを含まない文章を心がけて書いていくことにする。今回のブログ移行はそのきっかけにもなって都合が良い。
2025/08/17 一昨日
朝7時半に起きる。洗濯物を干してから湘南江の島に向かう。成城学園前でロマンスカーに乗り換える。600円の追加料金はかかったが、セブンで買ったたまごサンドのコッペパンとコーヒーをゆったりした気持ちで食べられたのでパフォーマンスには十分満足した。
江の島に到着してすぐ東浜に向かう。寝転んで海を眺めているとTCBの友人ふたりが到着。とても汚い遠浅の浜だったがそれでも波と戯れて遊ぶ。あっという間に昼になったので、ファミマでビールを買って乾杯したあと、いつもの吉野家で買った牛丼をテイクアウトしてビーチを見ながら食べる。
それから水着を乾かしながら西浜の方面まで歩き、コンビニで酒を補充する。えのすいを横目に鵠沼海岸のほうまでビーチを抜けていく。途中コンビニで買ったソフトフライングディスクで遊ぶ。ビーチバレーやボディボードレッスンを眺めたりする。
相模大野に移動して駅前の盆踊り大会をチラ見する。気怠い雰囲気で地方の盆踊りの見本のような低いテンションだったので踊りには参加せず。しかし実のところ疲れ切っていたのとすでに日焼けのやけどが痛み初めていたことが大きい。
飲みに行くということもなく早めの解散になる。帰宅即コールドシャワーの応急処置もむなしく、ヒリヒリと痛む就寝になった。それでも疲れのせいで22時半にはベッドに入る。途中23時半に目が覚めて水を飲んだぐらいでヒリヒリのわりによく眠れた。
2025/08/18 昨日
朝からヒリヒリを押して出社する。それでも午後からは在宅に切り替えざるを得ず、帰ってすぐコールドシャワーと保湿クリームの「手当て」をした。仕事については何もやる気がせず、必要最低限の動きだけで済ませた。かるいやけど状態で運動をするのはよくないのではないかと暫時逡巡したがバスケのため狛江に出かける。行ってみて身体が動かなければ大人しくしていようという思惑もあった。しかし結局、動き始めるとヒリヒリは気にならないし、肌は通常時よりあきらかに熱を持っているものの身体は問題なく動いたので、リバウンド・ブロック・ランニングとハッスルした。ミドルレンジのシュートも結構確率よく入って楽しかった。
2025/08/19 今日
午前在宅にする。グラニフで松本大洋のコラボ商品は発売される日だったので原宿まで行って目当ての商品を購入した。もともと狙っていた3アイテムに+3してしまい、会計が2万円を超えてしまった。しかし欲しいものが手に入った嬉しさがあった。これで夏嫌いの自分にも来年の夏が楽しみになる要素ができた。
荷物が多くなりすぎたので昼から出社の予定を翻し、とんぼ返りで帰宅する。昼からの在宅勤務は完全省エネモードで、昼寝以外の有意な活動がひとつもない無の昼下がりを過ごした。
それを反動にスタバに出てきてブログ構築関連の作業をある程度進めたり方針を定めたりする。日記を書くと21時半近くになっているので酒を飲んで帰る。
日記650
クラブ活動 2025/10/02 昨日 この日も一日在宅勤務。友人が家に来るのでいろいろと準備をする。仕事は暇でどうにでもなるという感じだったのに友人が下北沢駅に到着する時間になって急遽のタスクが降りてくる。仕方なく対応するが、無理して働いているフリしない...