20251231

日記699

グッド・

2025/12/30 昨日 11988
昼前に実家に帰る。用意してくれていた昼ご飯を食べたあと昼寝をする。夕方頃に起き出して京都に行く。この前東京に遊びに来た友人Tと河原町で飲む。食事と酒を分けたいという提案をして食事はそのへんの鎌倉パスタに入って済ませ、酒はOILで飲む。友人は「雰囲気は良い」と一定の満足を示していたが「ちょっと音楽の音が大きいな」とこぼしていた。しかしだんだん客入りが増え緩衝材役が充実してきたからか、あるいは音の大きさに慣れてきたからか、時間が深まるにつれレコードの選曲を落ち着かせていったのか、音の大きさがいつの間にか気にならなくなってきた。グッドミュージックばかりだったが、とくに気に入ったのはArnett Cobb『Sizzlin'』とJohn Minnis' Big Bone Band だった。ウイスキーを舐めながら良い時間を過ごした。大学時代のサークルのメンバーを全員思い出せるかという勝負をしかけて記憶力の確かさで圧倒した。と言いたいところだったが、実際には自分の記憶の盲点をつかれる場面もあり、勝ちよりのドローというところに落ち着いた。懐かしさの感情が閾値を超えた勢いで、そのうちでもっとも連絡がつきにくいであろう友人にTが電話をかけた。不意打ちもいいところで、実際、繋がったと思ったらすぐに電話が切れたのだが、なんとその後すぐに折り返しがあり、5分‐10分ほど近況を喋って元気そうだということがわかった。大学生時代に誰にでもあった頭のおかしさをしっかり表現できている畏友のひとりで、大学を中退して実家に帰るという飛び抜けたサークルの止め方をする、すべての飲み会で飲めないお酒を飲んで毎度電信柱に寄りかかりながら歩く、穴の空いた靴下を誇らしげに履く、ほとんど授業を受けず自分がまともと認めている作家の文庫本を読む、といった無頼派としての本物らしさがあり、自分は彼の良いときしか知らないということもあってそのゴーストに影響を受け続けた。今から思い返すと、中島らも、ブコウスキー、太宰らに対する無垢な憧れがあって、酒を飲まないといけないと思い込んでいたふしがあるし、そうやって無頼に憧れるキャラクターを過剰に演じていたともとれる。いずれにしても、憧れるところまでは誰しも同じような反応を見せるもので、その反応・反射でどこまで行動するかというところに人格の強弱が表れるものだが、自分から見た彼はつねにブレーキを踏まないチキンレースの絶対王者だった。恐怖心や理性を麻痺させる手段を持っていて、しかもそのスイッチを押せてしまうというのが破滅者の条件で、彼こそはその条件に適合した社会不適合者だった。できないこととやらないことにはじつは大きなちがいはないのだが、できないのではなくやらないと感じさせたのも、近くで見ているかぎりでは凄みにつながっていくところだった。電話の内容では、3年前に結婚し、いまは会社をやめてやりたいことをやるために自分で事業を始めたという話だった。何をやりたいと思って生きているのか気になるところだが、自分から見て重要なことは、彼が何かをやりたいと思ってそれに沿うかたちで生きているということだ。何遠慮することなくやりたいことをやって生きていくべきで、それ以外の規範は本質的には無いに等しい。ほんの10秒ほどスピーカーに耳を近づけて声を聞いたのだが、音楽の大きさのせいで内容は聞き取れなかったが、はしこい話し方には当時の面影がじゅうぶん感じられた。店を出て串カツ田中に行く。田中→お洒落なバーのコースはあっても、お洒落なバーから田中のコースはそうそうないと思う。乾杯の音頭をとってくれた学生とおぼしきお姉さんが体育会系の元気を見せてくれてしっかり気持ちが盛り上がった。いい時間になったので高瀬川を遡上し、三条大橋を渡って京阪電車で奈良に帰る。


2025/12/31 今日 3108
9時頃に起きてゆっくりする。Steamでスルタンのゲームをダウンロードして遊ぶ。昼ご飯にそばを食べてから一足先に自分の家に戻る弟を見送りがてらカフェにいく。日記を書いたりなんだりして夕方頃に実家に帰る。2025年はバスケによる発散と基礎体力の向上によってかなり充実していた。体育館でバスケをやった日数を数えたら109日にも及んでいて平均歩数は12575歩/日になった(2023年は8247歩、2024年は10429歩)。これらの勢いをもって2026年にもしっかり取り組みたい。それから「俺は俺で遠慮なしに俺のやる事をやる」。

日記699

グッド・ 2025/12/30 昨日 11988 昼前に実家に帰る。用意してくれていた昼ご飯を食べたあと昼寝をする。夕方頃に起き出して京都に行く。この前東京に遊びに来た友人Tと河原町で飲む。食事と酒を分けたいという提案をして食事はそのへんの鎌倉パスタに入っ...