20260622

日記771

人は見たいものを見る

2026/06/19 一昨昨日 19796
午前在宅。いただき物のじゃがいものチーズケーキを食べる。食べたことないチーズケーキの味で物珍しさがあるのだが、チーズケーキと分類していない引き出しのなかにはある味なので既知ということになり、それで懐かしい味という要素もあるという不思議な感覚になった。「美味しい」の枠内でこういう冒険ができるのは贅沢なことだと思った。
昼から出社。定時退勤して方南町までバスケに出かける。山手線は例によって混雑しているので大崎で相鉄線に乗り換えて新宿まで行く。その作戦は奏功して座席に座って悠々と移動できたが、後部車両に乗ったせいもあり新宿で丸ノ内線まで大移動する羽目になり、今後は改善の余地があると思った。単に先頭車両付近に乗ればいいだけだが。
バスケは這々の体だった。とにかく心肺機能が追いつかず、ちょっと走っただけでぜえぜえはあはあとなってしまい、悔しいを通り越して悲しくなった。いろいろ考え合わせたところ、慢性的な寝不足状態が原因だということになった。走れないから走らなかったことで足の疲労も最低限しか溜まらず、中一日でのバスケに参加できるということになった。自分のプレーを動画で見たとき、ろくに走っていないのにひとり膝に手をついて疲れていて、不審の気を起こさせる。自分じゃなきゃどういうことだと惑わされるところだ。バスで新代田まで帰る。バスケ参加者の人とバス車内でいっしょになる。人好きのする爽やか関西人で、プレーも話し方もハキハキしていて嫌味なところが少しもなく、すかさずに全力プレーできっちり走る、バスケットマンにはめずらしいタイプだ。関西人としてもめずらしいタイプだと思う。もし疲れ切っていなかったらもうすこし喋ってみたかったぐらいだ。疲れていてそういうわけにもいかないのでPEELを飲みながら帰る。家人がミルキーサブウェイというアニメ作品を見たいというので不承不承見ることにする。サムネイルからして癪に障るようなところがあり、手を出すまいと思ったのだが、一話が数分と短いこともあって次々と見ているうちにあれよあれよと引き込まれ、一気に全部見てしまった。自分の勘・感覚は頼りにならないものだ、お手上げだということになった。とにかく上手い演出で見事だった。しかしそれこそが忌避感を持った理由ということかもしれず、”一歩目の才能”アレルギーのようなものだったかもしれない。そこを突き抜けられると気にならなくなるのだが、今回もそれで気にならなくなったわけだが、いまだに突き付けられる段階では舌の裏側に苦味が走る。


2026/06/20 一昨日 9967
雨の日だった。昼前から家人と新宿まで映画を見に行く。たのしみにしていた『急に具合が悪くなる』を見た。究極的にはこういう映画を見るために映画を見ているということが言えると思う。たとえば小説を読むことでも生活をおくることでもなんでもいいが、自分には「本質主義的にひとつの目的に集約させるようなことをするのはちがう」と思うだけの分別はあるつもりだ。分別はあるつもりなのだが、一方で、こちらを大きく揺さぶって一時的にでもその分別を失わさせるつよい力を持つ作品なり出来事なりがある。もしそれらの作品なり出来事なりが無かったとすれば、経験なんていうものはただスタンプラリーじみて、自分の実際の経験にくらべるとはるかに退屈なものになるだろう。大切にしているのは、心の底から悲しかったり、心の底から可笑しかったり、言葉にするとそういう経験になるわけだが、一方ではつねに、「心に底はあるのか」とか、「魂を震わせると言うがそもそも魂とは何か」とかいう疑問を持つことにもなって、それぞれの要素をアクセル・ブレーキ・ハンドルというふうに使い分けているのだと思う。なんのためにそういう使い分けをしていくのかといえばよくわからない感じになるが、なんだかんだと言ってもとにかく、”先を急ぐ”ためだろう。動揺も懐疑もすべてそのための手段だと言える。しかも、何のコントロールもなしにただ積んでいけばいいというものではなく、ある場所まで来たところでそれぞれの要素を身近に引き寄せたり、反対に遠ざけたりと、べつべつの操作が必要になるというところが、ただ蓄積すれば用を足す経験値のような考え方とは異なるところだ。(ところで、先を急ぐのはどうしてかという疑問については、時間が限られているからだという回答を用意できる。どうして時間が限られているのかという疑問についてはお手上げで、それがなぜなのかまったくわからない。)
ある問題に対して、持ち重りがするから手に取りたくないという考えのほうに自分としてはより多く共感できる。事態を軽く見ていないからこそ、安易に手を出すまいとするのだろうからだ。さらに言うと、自分自身に対して立派な題目を唱えようという気が一切ない人は、じっとして過ごし、積極的に心の平穏を手に入れようとするのもひとつのやり方だと思う。問題を小さく捉えようとしたり、簡単なもの扱いするよりははるかに理に適っているし、礼を失することになるおそれも少ない。それでも結局、できることをやるしかなく、じっとしていることができない人は、自分にできることをやろうとしてジタバタすることになる。そして実際に何かをやろうというときには、問題を小分けにしたり、コントロール可能な部分を多く見積もったりすることは、それはそれで行動するために必要なやり方だったりする。
人が人に親密な気持ちを抱くというのは不思議なことだ。それが自分のためになるというたぐいの理由付けをするにしてはあきらかに”度が過ぎる”というケースも多い。おそらく例外というにははるかに多すぎるだろうし、どれだけ行き過ぎることのない「それなりの愛着」を心がけようとしても、気を抜くとすぐに線を越えてしまう。
持ち時間が限られているからできるだけのことをやりたい、というのは時間制限に対して納得できない気持ちから自分としては正面切って採用する気になれない言い分だが、それでもこの条件下ではそうする以外にないやり方だと思う。ようするに一生懸命やろうということだ。自分にとって乾坤一擲と思える局面を持たないままでは終われないということだ。
映画を見終わったので下北に戻り、TCBのふたりと合流する。雨宿りしながら酒を飲み、雨脚が弱まったタイミングで家に行こうと思ったのだが、弱まる気配が見えないので仕方なく傘をさして歩く。自分としては一生懸命話そうとしたのだが、あまりうまくいかなかった。いつものことだ。外れた論理の道筋をもとに戻すだけで手一杯になる。町田近辺の美容か何かについての噂話が新機軸という感じで面白く、耳目を集めた。


2026/06/21 昨日 16741
曇りの日だった。10時半ごろに起きる。寝不足が解消されるぐらいしっかり眠った。13時からワールドカップ、日本対チュニジアの試合を見る。すぐに先制して危なげなく4-0で勝利した。あやせの合掌ポーズをいっしょにやってゴールを喜んだ。
すこし昼寝をする。高円寺までバスケに出かける。3Pシュートの感覚を掴めた気がする。というようなことを何度か書いているが、その都度忘れているのか、感覚を失っているのか、また同じコースを繰り返しそうだ。今回掴んだことは下半身と上半身の連動、あせらずに自分のなかでゆっくりと思えるテンポで打つ、ゼロポジション、前に押し出す意識を強める、の三本だ。
レンタル自転車で帰ろうと思ったが近場のチャリがすべて借りられていたので電車で帰る。小田急のなかで参加者の人といっしょになって話しながら帰る。前回の会話からサッカーをやっていたという情報を得ていたのでワールドカップの話をしようと水を向けるが、見るのはしない、やる専門ということで見ていないという回答だった。バスケも全然見ないらしく、完全に運動不足の解消目的でバスケをしているということのようだ。どれだけ運動神経が良くても、上手なプレーを見てお手本にしないと上達には限度があるということを思った。
最寄りで酒を買い、飲みながら帰宅。家人がささみと大葉とチーズとトマトのクワトレーゼ包み焼きとコーンの炊き込みご飯を作ってくれたので美味しくいただく。


2026/06/22 今日 5363
朝から霞が関まで行って定例会議に現地参加する。アジェンダのひとつを任されていたのでやや緊張したが、準備が万全だったので難なく済む。
帰宅して昼から在宅。寝不足気味だったので昼寝で補う。降ってきたタスクを都合4個消化して定時退勤。スタバに出かける。バッハのピアノ曲を聞きながら日記を書く。20時すぎまで。酒を飲んでから帰るつもり。最近日の明るさで早くに目が覚めるので十分な睡眠時間確保のため早めに寝るつもり。

20260618

日記770

芍薬牡丹に百合の花


2026/06/13 五日前 22174
午前中スタバに行ってから、家人と下北の丸亀製麺で集合。昼ごはんにざるうどんを食べてから調布まで移動する。バスで神代植物園前までさらに移動してparkというカフェでドーナツタイム。そのカフェに併設されている会社で働く友人ペアと白犬と合流し、まさに丘の上という丘の上がある公園でバトミントンをして遊ぶ。さらに深大寺を散策してからバスで調布駅まで戻る。大戸屋でたらふくご飯を食べてから調布を出る。笹塚経由のバス移動で方南町まで。ちょいゆるのバスケに参加する。一生懸命やったので帰りはへとへとになりながらダイチャリで家まで帰る。プロテインと糖分を補給しなかったら行き倒れていたかもしれない。とにかく大量の汗が出た。


2026/06/14 四日前 10928
朝9時半から自宅に友人Taを招き、NBAファイナル第五戦をいっしょに観戦する。友人はとにかくNBAが好きらしく、にわかニックスファンの自分の相手をして基礎的な情報を提供してくれつつ、53年ぶりのNYニックスの優勝をともに見届けた。このぐらいのタイムスパンになるとファンに古参もにわかもなくなってしまうようなところはあるので、あまり卑屈にならず選手の活躍を讃えることができた。ジェイレン・ブランソンがボールを持って構えるとき、どういう形になるにせよ最終的にシュートを打って決めるんだろうなという確信を与えてくる。
NYニックスの優勝を祝ってTHE PIZZAという店でピザを食べた。京都からきている友人と会うため早めに抜けて渋谷へ。せっかく来てもらっているのに十分にお構いできず申し訳なかった。
渋谷のアパホテルまで友人Tsを迎えに行く。そこらへんで飲もうという話になり、銀座ライオンでブーツグラスの琥珀ビールを飲む。今回の東京滞在の予定確認をしてからワールドカップの大胆試合予想をする。友人は1-3の負け予想。自分は0-0の引き分け予想。音楽関連の飲み会に出るということで一旦解散。下北の駅から歩いて帰る途中で、彼女とのアフタヌーンティーに出かけるところだった友人Taとばったり会う。来た道をそのまま引き返し、彼を駅まで送ってから帰宅。そばを食べて、朝5時起床に備えて20時すぎにベッドに入る。しかし普段の就寝時間とだいぶ違うのもあり、うだうだと寝付けず22時前の就寝になる。


2026/06/15 一昨昨日 29701
3時半起床。雨がまあまあ降っていたのでLUUPでの渋谷移動は諦めてS-Lideでタクシーを呼ぶ。潔く良い判断だったと思う。道元坂上のアパホテルまで10分弱の移動時間で2500円の料金になった。3500円くらいかかると思っていたので余裕で許容範囲で済んだ。
友人Tsと合流してまずは腹ごしらえということで松屋に入る。その後見込んでいたHUBに出向くも、ことごとく満席あるいは完全予約制で入れず。しかし円山町のユーロスペースがある通りのMUSIC BARがテレビ画面を路面に見せつけながらの営業をしているのをHUB探索の際に見つけていたので、急遽そこに飛び込んで事なきを得た。椅子に座れるだけの余裕がありつつ人は店内狭しとたくさん入っていて盛り上がっていた。これも良い判断だった。前半途中に陽気な外国人観光客が来て、しばらく外からテレビ画面を見ていた。店員の「見るならドリンクオーダーお願いします」という正当な要求を完全無視し、「おめでとー!」と叫びながらひとりで盛り上がっていて、盛り上がることに対する力強い文化を感じた。「Oh Nippon」の定番アンセムを「おーめでとー」だけの簡易な替え歌にし、たったひとりだけでフル尺をだいたい4周ほど歌い切って、満足したのか他の客の無反応にようやく何かを悟ったのか、ただたんに退屈になったのかわからないがいつのまにか帰っていった。試合は後半にリードを許し、中村敬斗の見事なシュートで追いつき、またリードを許し、途中交代で入った伊東のコーナーキックから同じく途中交代の小川がヘディングで合わせてまた同点に追いつき、2-2で引き分けになった。ゴールしたときに発生するほかの客たちとハイタッチするくだりが2回あったのでサッカー観戦として満足いくものになった。高い満足感があったので気持ちは高揚していたが寝不足の身体がそれに追いつかず、一度解散してそれぞれ家とホテルに戻って11時の再集合まで二度寝をすることにした。
11時すぎに再集合して、代々木公園まで奥渋を歩いて移動。雨上がりなのと平日なのとでリングが空いていてシューティングができた。かるい1on1とシュート勝負をする。ずっと取り組んでいてゴールの見えないシュートフォームの改善について、自分の考えを述べたり、友人の意見を聞いたりして、楽しいのに加え有意義に感じられる時間だった。ハラカドにある小杉湯で汗を流してから山手線で品川に移動。駅中の焼きスパゲティの店でかなり遅めの昼ご飯を食べて解散になる。Tsの音楽関連の活動が活発になると東京に来ることも頻繁になるようなのでぜひ頑張ってほしい。今度は体育館でやるバスケ、自分が行っているバスケサークルのひとつでいっしょにバスケしようという話もした。果たされるかどうか五分五分の約束だ。
この日テンションが高かったのでバスケに行ってシューティングしようかと思ったが、帰りついたらどっと疲れがきて思わず眠り込んでしまった。起きてから家人の提案で行きたかった広島風お好み焼きの店だいこんまんに行く。期待をこえる美味しさとボリューム感で満足した。涼しい夜道を歩いて帰るのも気持ちよかった。


2026/06/16 一昨日 13411
一日在宅勤務。定時退勤して喜多見までバスケに出かける。満足感の高いプレー内容になった。うまい人とバスケをやるのはそれ特有の喜びがある。喋らないでもプレー意図が通じ合うのは嬉しい。例の風神と同チームになったので彼にコテンパンにやられず、相手チームからの失点というかたちではなく自チームの得点としてあの目覚ましいターンからのバックシュートを見ると安心して見惚れていられる。上手な選手に阿るようなことはしたくないが、彼は半端に上手い選手とは違い、自分以外の自分ほど上手ではないプレーヤーにも当然払うべきリスペクトを欠かさないところも好感が持てると思っている。最寄り駅で酒を飲みながら動画をリプレイしてから帰宅。ご飯を食べて風呂に入って寝る。


2026/06/17 昨日 8928
午前在宅。午後から出社。定時退勤し何の気なしに降りた渋谷で映画を見ることにする。『SIRAT』を見る。見終わっての感想は「どっと疲れた」というものだった。最後の列車の屋根に乗って運ばれる登場人物たちがまた他人に戻っていく様子と、何かを感じる力が残されていないようでただただ「疲れている」様子に共感があった。盛り上がって踊りくるったクラブを出た朝帰りに雰囲気が似ていた。


2026/06/18 今日 7394
午前在宅。午後から出社。定時すこし過ぎに退勤。山手線が遅れによりぎゅうぎゅうになっていてしんどかった。帰宅後リュックの中身をMACに換装してスタバに行く。日記を書く。最近『罪と罰』を読みはじめた。ちょうど20年前の今頃にはじめて読んだときには文字を目で追うだけでまったく読めていなかったのだと思う。読み終えるところまでいっても全然面白いと思わなかったのがその何よりの証拠だ。ロシア文学はスロースタートだという言い訳もできないほど、今もうすでにマルメラードフが面白くて仕方ない。大学1回の冬までは文学作品を手に取ることがあってもほぼ義務感だけで読んでいた。それを変えたのは『星の王子さま』とヘッセの『幸福論』だった。とくにヘッセは単線的な価値観からの逸脱。その方向を指された。そんなことをできる者が自分以外にいるとは思っていなかったから驚いたというのもあると思う。その後ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』を読んで、イワンとアリョーシャと重なって青ざめ「絞首刑だ」と叫び、深夜に居ても立っても居られない気持ちで自室をうろうろしてから、その全作品を読むようにしたが『罪と罰』は一度読み終わっていたこともあって素通りしてしまった。だから今もう一度『罪と罰』を読むのはかなり楽しみなことだ。

20260613

「悩み」について

水曜日のダウンタウンというバラエティ番組で、「悩みがない人はいない」という説が唱えられ、その検証のためにインタビューロケをする企画があった。そこで人々は口々に自分の抱えている悩みについてカメラに向かって答えるわけだが、当然人々はテレビ用の(あるいはカメラを向けられたというシチュエーションに応じた)回答をするので、さらには伝達方法がその場で口頭でということもあって、いきおい簡単な、伝えやすい回答になると思われる。さらに番組はそれをテレビ用の分類に回し、結果として上位にランクする悩みは「恋」、「仕事」、「お金」、「健康」ということになっていた。無記名アンケート方式にしたとしても統計的に扱うと結局は同じ結果になるのだろうと想像できるが、いずれにしてもそのいちいちを詳しく聞き出そうという気にはならない。それぞれに特有の事情というものがあり、切実な内容を含むこともあるのだろうが、なんとなくまとめて扱って問題ないという気にさせられる。実際に自分の身に置き換えてみても想像しやすいからだろう。それで〈理解できること〉というフォルダに分類される。

理解できないフォルダに分類されるほうが「それってどういうこと?」という疑問が湧いて、詳しく知りたい気持ちにさせられる。番組側が用意したのは「悩みがない」という人について掘り下げるという内容だった。

悩みがあると答えた人のなかには「悩みはない(あるいはあっても小さな悩みしかない)が、悩みがあるかどうかと訊かれて悩みはないと答えるのは奇異に映るのではないか」と考えて、人に理解しやすい、さして悩みとも考えていないような悩みを適当に口にするというケースがあると思われる。だからここで浮かび上がる視聴者側の好奇心は、悩みがない人というよりは、カメラに向かって「悩みがない」と断言する人に向けられているといえる。

悩みというのを「心に占める重要な問題」と考えると、悩みがないという人の主張は、
1.心に占めている問題がない
2.心に占める問題があっても重要なものではなく悩みというに値しない
という二点に分けられる。

1については、自分の周囲のことに集中して外部の出来事に気を回さないようにするというスキルが要請されるため、誰にでもできることではない。そして「奇異に映るのではないか」という小さな悩みの持ち主の危惧はここに焦点が合うのだと思われる。情報化社会において外側がクリアに見える状況下で「心に占める問題がない」と断言するのは、自分自身のスタンスの表明にもなるからだ。個人という立場からなされえる政治的なステートメントにも近い、というか宣言そのものになる。

だから、常識的には、というか他人から判断する場合には、より穏当なのは2のパターンだと思われる。とくに自分自身の人生にとってかけがえのない人物を三年ほどの期間で相次いで失った男性からすると、もはや悩みとするのに値する出来事がこの先にあるとは想定できないのだと考えられる。そのため悩みがないと断言できるのだろう。その当時の悩みや苦悩が、彼を悩み知らずの位置に立たせたのだ。ただの想像だが、悩みというのにはあまりにも小さいし、あまりにも遠いという事態が日常になっているのだろう。そしてその感情というのには測り知り難いところがあるにせよ、そのように考える理路というのは他人からしてもわかりよいものである。人に伝達するときにとりたてて苦労するようなひっかかりもない。そう考えると、とくにそういったストーリーを用意せずに「悩みがない」と言い切った男性のほうに関心が向く。かつてなにかしらの悩みに直面し、それを氷漬けにする過程で心に占めるなにものかを失ったのだろうか。つまり、殿堂入りのようなかたちでその場から消失したかつての悩みがあり、その悩みに遠慮して今は、そしてこの先にも、悩みと呼べるものはないというのが彼の主張なのだろうか。あるいは生粋の能天気なのか。カメラを通して見ても両者の区別はつかないものなのだと驚いた。

ちなみに、お金で解決できる悩みは悩みと呼ぶのに値しないという考えもある。それらはシンプルに”お金の問題”だろうという主張だ。しかし、そんな呑気なことも言っていられないかもしれないと思うのは、お金がないということを発端として、問題がどんどんふくらんでいき、お金があってもどうしようもない事態にまで陥ることがとても多くあるのだろうと想定されることだ。だからお金がないという状態にならないように、各種の条件に対処・対応して、それがうまくいっているうちは悩みなどないというのも、決して考えられないスタンスではないだろう。

20260612

日記769

オープン・クローズ


2026/06/11 昨日 15321
午前在宅。NBAファイナルを見る。前半終わりには大差がついていて今日は予定調和的な展開かと気を抜いていたのだが、ぼんやりとでも見続けていてよかった。もともと好きになる要素があったのだがこの試合で決定的にNYニックスを好きになった。2026年のプレーオフファイナル第4戦でニックスはまたたくさんのファンを獲得しただろうが、その先頭に並んでもかまわないと思ったということだ。タウンズを見るとビッグマンとしての多彩なプレーの引き出しとクレバーな闘志に惹かれる。ブランソンはあくまでチームの勝敗にこだわり抜く姿勢が自分の考え方とは合わないと思いつつも、ブランソン自身の持っているそのビジョンを忠実に体現している様子には思わず見惚れてしまうし認めざるを得ない。自分に合う考え方のNBAスターはやっぱりラメロ・ボールだが、両者それぞれに美学があることは明白だし、勝負をしてどちらが勝つのかも明確だ。そしてこの試合で大活躍したOG・アヌノビー。つねにポイントを探して考えているからこそ、あの芸術的なハイタッチが生まれたのにちがいない。しかももうひとりプットバックをさらに押し込もうとタウンズが跳んでいたのも最高で、ブランソンの自身に満ちた素早いディプスリーとともに、ニックスの大逆転勝利を象徴するプレーだった。
お昼にそばを食べて15時頃に出社する。打ち合わせに現地参加するための出社だったが、打ち合わせが中止になった。なかば予想していたが無駄足に近い。気を取り直して業務引き継ぎのための対面打ち合わせをする。マニュアルの作成というタスクだが、自分がその場で仕事をしたと思って出ていくためにも使えるマニュアルを作ろうという所信を表明した。定時退勤し喜多見へ。20分歩いて体育館に。すごい試合を見たことで気持ちの昂りがあったのだが、心肺機能がボトルネックになって満足いくプレーができず。踊るようにステップを踏む優雅な”風神”と久しぶりにいっしょになった。バスケを”プレー”するということにおいてこれ以上楽しめているプレーヤーを見たことがない。フィジカルのレベルが違うと文字通りに「無敵」の振る舞いができてさぞ楽しいことだろう。自分は楽しんでプレーすることにかけては人後に落ちないつもりだが、彼と同じコートに立つとついフォームを崩して無理な頑張りを頑張ってしまう。プレーにおいて彼に張り合おうとするからだが、相手のほうが何枚も上手なのをわからせられるので萎縮してしまい、それを跳ね返そうと躍起になって判断を誤り、ドツボにハマっていく。とにかく走らされるので最中には悔しがる余裕もないのだが、終わってから振り返るととにかく悔しい。悔しい思いをさせられすぎて狛江湯でも温冷交代浴のあとの外気浴中に「ちくしょう」とかそういう無意味な言葉が湧き上がってしまい、隣り合った湯客のリラックスをそいでしまって申し訳なかった。最寄り駅についてもまだ悔しいのでベンチで酒を飲みながら撮影した動画を見返す。自分の不甲斐ないシュートミスに反省したり気分が落ち込んだりしつつ、やっぱり彼は笑ってしまうぐらい上手かった。プレー選択の発想から違っている。動けるからこその選択肢、自由な思いつきがあって、それが何より羨ましい。バスケをやる人間には絶対にわかることだが、あれはどう見ても遊んでいる。そしてそれが最強だ。


2026/06/12 今日 3070
一日在宅勤務。朝起き抜けに洗濯機を回す。Kindleで『室町記』を読む。必要不可欠の分ちょっとだけタスクに手を付ける。ラ王(醤油味)とそばを茹でて食べる。定時退勤してスタバに行く。『機械カニバリズム』を読む。日記を書く。遠藤航の離脱と代表引退は残念だ。しかし「強い気持ちを持って」というようなスタンスだけで形作られた集団は強い半面脆いと思うので、それが幾分か薄まるという意味では結果的によかったのかもしれない。アイスランド戦後の森保→遠藤航のスピーチは見ていられなかった。それに比べて板倉滉の感じにはなんとなく期待できる。必要十分なゆるさが感じられる。
最近見た動画ではオードリー・タンと東浩紀の対談と、Yuji Ayabeのノリータ散歩がとくに面白かった。どちらも特異な語り口が魅力的で、くせになるようなところがある。声の音程やリズムもいいのだろうが、それだけではないと思わせる余白・隙のようなものもある。本人が本人らしく喋っているように思えるのでそこに見応えのようなものがあるんだと思う。

20260610

日記768

フルオープン


2026/06/09 昨日 7371
9時過ぎにスタバを出てアルを飲みながら帰宅。豚肉を蒸して千切りキャベツを温めた料理と豆腐を混ぜた卵焼きを作ってくれたので美味しくいただく。豚肉を半解凍のままで調理しただけ明確に改善されていたがもう半分の改善点としてかたい固まりになっていた。それでもポン酢をかけて食べて相当うまい。
『違国日記』のラスト2話を見る。高校時代あるいは高校生を、安直に高校時代の過ちととらえたり高校生あつかいして侮らないところに面白さのカナメ石があると思った。右に倣えの言語化欲求に抗うのだ。あるいは、言語化したそれは言語化の賜物ではなく、よくある模倣、もっとわるければ同調表現にすぎないのではないかと疑うのだ。それは具体的には小説家を称する叔母に「わけわからん」と抵抗することかもしれず、そのあまりにも子供じみた言い分に、「考えろ」と舐めたことを言われる始末になるのかもしれないが、それでもわかった風の風を吹かせるよりはいくらでもマシだ。


2026/06/10 今日 8918
朝から大手町で用事。そのまま高輪ゲートウェイに出社して一日コミュニケーションをとりながらの仕事日になった。定時退勤して映画館でビッグ・リボウスキを見る。映画前に一時間あってお腹が空いていたのでねぎしに入ってトンテキを食べた。この日、ビッグ・リボウスキを観ることに決めた瞬間からちょっと元気になっていたのだが、2列目の席どまんなかに陣取り大きなスクリーンで愛すべきバカなキャラクターがちょろちょろするのを見たらよりいっそう元気になった。お使いの小仕事で毎日の生活費や家賃をペイして、丁寧に動くことを強いられる生活だが、気持ちはいつもデュードのように清々しい無職でいたい。デュードにはウォルターとドニーがいるというのがポイントだ。誰もドニーの役をやりたがらないだろうが、デュードの役を望みながら実際はデュードどころかウォルターにもなれない。常識的なバランス感覚がわれわれをウォルターにするのを食い止めつつ、ドニー役へといざなうのだ。
しかし今回の何度目かわからない視聴では、デュードの行為と状態について今までよりも高精度というか高解像度な見え方がしたように思う。酩酊状態といって一種類ではなく、単純な競技といって楽しみがないわけではないという、すこし考えれば当然のことを踏まえて主人公を追いかけることができたからだと思う。

20260608

日記767

水芭蕉の花が咲いている


2026/06/04 五日前 21101
新宿の三角広場まで生活の楽しみ展を見に行く。MOTHER2のグッズやサンパチマイクのコーナー、毎日更新壁漫画など目を引くものはたくさんあったが、目的としていたプレゼント探しは良いものが見つからず。家人と合流する前に見て回っているときに糸井重里を見た。筋肉質というのではないが予想年齢から想像するよりもかなり姿勢がよかったのが印象的だった。
急遽バスケに行くことに予定変更して、家人に持ってきてもらったバスケの用意を持って中井に移動する。都営大江戸線の都庁前駅が近かったので時間ぴったりに着くことができた。脚の疲れは想定していた通りだったが想定していた以上ではなかったのでまあなんとかなった。ぜえぜえはあはあ言うぐらい走り回って楽しかった。新宿で用事を済ませた家人と再合流し、最寄りでアルを買って飲んで帰る。家人はノンアルを買っていた。


2026/06/05 四日前 8717
午前在宅勤務。午後から出社する。定時すこし過ぎまで働いてからニューマン高輪で手土産の買い物をする。帰宅後、家人がご飯を作るというので作ってもらった料理を食べる。翌朝旅行で出発が早いのと3日家を空けるのに料理もないだろうと思ったのだが、ささみと大葉の餃子皮チーズ焼きは美味しかった。早めに寝ようと心がけて結局24時就寝になった。


2026/06/06 一昨昨日 15324
バスタ新宿を7時5分発のバスに乗り込んで一路高山へ。土曜日の渋滞ということで都合1時間押した。PrimeVideoでNBAファイナルを見ようとするもトンネルを通るたびに電波が途切れてあまりきちんと観戦できなかった。結果はニックスが2勝目をあげた。到着するやいなや迎えに来てくれていた家人の友人夫妻(と赤子)の車に乗り込み、白川郷へ移動した。夫同士は初対面になるのだが、向こうの夫が世慣れた趣味人風の人でなおかつわかりやすく人当たりがよかったので、尋問のような会話や全き沈黙にならずに済んだ。女同士は自分たちのペースで生後4か月の赤子関連の話をしていた。ところどころ耳を引く話がさしはさまれ、とくに赤子登場場面の話は強烈で、前方の席をよいタイミングで巻き込んでの会話シーンになった。
白川郷では若干の暑気はあるものの充分許容範囲で全体としてとてもよい散策になった。高所恐怖のため吊り橋を渡ることはできないと宣言した女がいたが、実際に吊り橋の近くまできたところ、これなら行けそうと挑戦心を起こしていた。結局は途中で吊り橋が揺れ、やっぱ無理となって引き返していた。渡れる人たちだけで渡ろうとなって渡っていって、渡った先にはとくに何もなかったのでそのまま引き返してきた。ただ待っているというのがきまり悪かったのかわりと先の方まで歩き進んでいたようで、引き返してきたところを合流した。着眼点というか視線を向ける先がややユニークなのか、タイミングというかリズムが特異なのかわからないが、「東京は住む場所ではない」、「東京には居るだけで具合悪くなる」という比較的よくある意見の根拠とする「こんな場面に遭遇した」という具体例が面白かった。いわく、「女の人同士が怒号の浴びせあいレベルの罵り合いをしていた」「おじいさんが借金取りに泣きながら電話していた」という、どちらも聞いたことはあっても見たことはない場面で、もしかすると自分はそういうものには無意識にフィルターをかけて目に入っても見えていない状態を作っているのではないかと思わされた。言うまでもなく東京で暮らすにあたっては自分のフィルターのほうが適していて、見ているだけでくらうような場面に出くわしてしまうのは東京生活に向いていないと思うが、何かを書いたり、見たものについて話したりするためには向こうの視線のほうが合っているのではないかということも思った。
ホテルまで送り届けてもらい、チェックインして荷物を置いてから高山の街に繰り出す。川の前で思い思いの時を過ごす人たちの様子を見ながらビールを飲んだ。鴨川よりぎゅうぎゅうしていなくてのびのびした気持ちになりやすい。味蔵というJAがやっているという焼肉屋をおすすめされたので足を運ぶが予約・事前整理券でいっぱいなので入れなかった。翌日に回すことにして近くの八角亭という飲み屋に飛び込む。2階席の座敷が貸し切り状態でかなりしっぽり飲むことができて旅の満足感が充足された。うっかり飛騨牛のすき焼きに刺盛り2人前を注文してしまったが、日本酒を3杯飲んで1万円すこしの会計で済んだ。けっして安くはないが、座敷をふたりじめして、差向いで日本酒を飲む体験にかかる代金として、東京では考えられないリーズナブルプライスなのでそれも嬉しかった。
ホテルに帰って温泉に入る。漫画コーナーにある漫画を部屋で読めるということだったので2泊の滞在中にハイキューの白鳥沢戦を読むことにする。


2026/06/07 一昨日 7299
朝起きて準備をして10時過ぎから宮川朝市をチラ見する。友人夫妻の車で千光寺まで連れて行ってもらった。両面宿儺のゆかりということで目的地として白羽の矢が立ったわけだが、円光という人の作になる一刀彫の宿儺像ほか木像を拝観した。今でこそ”仏像というものはこういうものだ”というイメージがあるが、そういうものを持たない人が作った木像という感じで、その分だけ実際に作者があってその人がこれを作ったんだなという感触を多く残す作品だと思った。絵でいうと絵筆のタッチがはっきりわかる系の絵というか、こうやって彫ったんだなというのと、これはここで完成としたんだなという意図の面が意識されやすかった。前の職場の知り合いという住職に会うところにも居合わせることができた。年若い住職の「ああそうですか」という万能の返事が炸裂していた。文字に換えた言葉に説得力はないし、こうして書くといかにも生返事だが、こちらの意をしっかり受け止めてくれたという想像が働くような言い方だった。それでいて実際のところ、よいわるいという価値判断の片鱗も残さない隙もなければ実体もないような言葉遣いなので、無敵に近い返事だと思った。「ようきてくださいました」とも言っていた。何も返す言葉はないので、こちらはただ頭を下げることしかできない。精神的な後ろ盾のある宗教者はやっぱりつよいなと思った。二重まぶたで目力のつよい目元はしかしあくまでも涼しげで、それを強調するかのようなリムレスの眼鏡がよく似合っていた。自分を演出する方向が自分にも他人にもはっきりしているというのがお洒落の条件だとするなら、とてもお洒落な住職だと思った。袈裟も当然のように似合っていた。
下山して菜の花というお店で定食をいただく。なんと友人たちのはからいで結婚祝いのチーズケーキを用意してくれていた。ご飯もおいしければチーズケーキもおいしくて本当に感動してしまうぐらい嬉しかった。雨が降り出したが車があれば何のその、飛騨産業の家具展示を見に行く。自由にゆっくり椅子を見させてもらい、併設の「椅子と珈琲」あるいは「珈琲と椅子」というカフェでお茶をする。まさに建設中の家について施工計画書や間取りを見せてもらいながら考慮ポイントをレクチャーしてもらった。お金がネックになって自分は家を建てるつもりはないが、人が考えたり頭を悩ませた話を聞くのは面白い。車で味蔵まで送り届けてもらう。今回の高山旅行は本当におんぶにだっこで、とてもお世話になった。高山は良いところだというのは疑い得ないし、いつかまた行きたい。できれば近いうちに。
この日、味蔵で飛騨牛の美味しさを目の当たりにして自分は驚いた。しかしこのタイミングで胃腸の調子がわるかった家人はあまり肉を食べられず。途中の商店街で見かけたラーメン・焼きそば屋で夜食用にと焼きそばを買って帰った。これも量が多くて美味かった。


2026/06/08 昨日 20510
チェックアウトして陣屋前朝市へ。橋を渡った先の売店に気色悪い政党の気色悪いコピーのポスターが貼られていてげんなりさせられたのだが、それを逆手に取ってポスターのモノマネをするというギャグを思いついた。家人にはウケたので東京に帰ったら友人たちにも披露してみよう。10時半のバスに乗って新宿へ戻る。SAでパンを買って食べたり、牧成舎の牛乳やヨーグルトを食べたり、豚すき焼き弁当を買って食べたりする。6時間弱の移動時間は『風に吹きはらわれてしまわないように』を読んだり寝たりして過ごす。
新宿に着いてそのまますぐ小田急に乗り換えて帰宅。下北のくら寿司に行く。予想に反して結構値段面で頑張っていてそれなりに美味しかった。トレファクで緑のポロシャツを買う。家人が持ってきたやつでほぼ一目惚れだったのだがレジを通した直後に直感が走り、その直感が間違いどころか大正解だということに遅れて気がついてしまった。それはセブンイレブンのユニフォームそっくりというもので、そのままそれを着てバスケのために狛江に行ったのだが、セブンで水を買うときに店員はじめ客があれ?という顔をしていたような気がする。バスケは好調でかなり動き回ったがそこまで疲れなかった。1時間30分前にしっかり寿司を食べてエネルギー切れをしなかったこと、プレーする前に腕立てをして準備運動がきちんとできていたことが大きいと思われる。狛江湯で温冷交代浴をしてぷらったでコーヒー豆を買って帰る。ひやむぎとソイプロテインを摂って24時頃に寝る。


2026/06/09 今日 5568
朝から出社。打ち合わせに出て昼すぎに帰る。NBAファイナルはスパーズがMSGで1勝目をあげて2-1に戻した。昼寝をして旅行の疲れとバスケの疲れをとる。プレゼントにROTOTOのソックスを購入し、奈良に送る手配をする。スタバに行って『風に吹きはらわれてしまわないように』を読み終える。退屈しなかったがこの作家の作品をもっと読まないとという切迫感は生まれなかった。小説を退屈しのぎで読むわけではないのでそれでは要件を満たさない。
スタバ店内で演劇祭で一緒に舞台に立ったYさんを見かけたのでかるく挨拶をする。こういう挨拶をさらっと、でもそれなりにきっちりできるようになりたいが、たぶんそういう日は来ないだろう。喉元過ぎれば熱さを忘れるわけで。日記を書く。Yさんが帰られる。日記を書き終わる。家人が料理を作ってくれているというので急いで帰宅。

20260604

日記766

asap

2026/06/03 昨日 4499
スタバを出てから予定通りミカンの入口で酒を飲む。友達と外飲みするのがいつも楽しいと思っていたのだが、その楽しさの中から友達というファクターを除いたところまだ楽しいということに気づいてからはひとり外飲みが増えてしまっている。ひと昔前は井の頭公園を歩きながらの歩き飲みだったので歩き疲れたら終わりの合図になったものだが、いまは腰掛けて飲んでいるのでいつまででも飲めそうだ。とはいえこの気候の良さのなかでも一缶以上飲み続けたことはないが。
帰宅したら豚肉で厚揚げを巻いた料理とキャロットラペとほうれん草のソテーのワンプレートご飯が用意されており、おいしく食べさせてもらった。『違国日記』を見る。早めに23時ごろ寝た。


2026/06/04 今日 4504
午前在宅。寝ても寝ても眠い。NBAプレーオフファイナル第1戦を見届ける。昼ご飯を食べて昼すぎから出社。
出社した勢いで片付けようと思っていた仕事を半分片付ける。のこった半分はもうずっとのこっている積み残しタスクだ。何もしないから手を離れていかない。新宿で買い物の用事があるので一時間ほど早く退ける。

日記771

人は見たいものを見る 2026/06/19 一昨昨日 19796 午前在宅。いただき物のじゃがいものチーズケーキを食べる。食べたことないチーズケーキの味で物珍しさがあるのだが、チーズケーキと分類していない引き出しのなかにはある味なので既知ということになり、...