20260929

日記803

雨のなかのライシング(精米)


2026/09/26 一昨昨日 12562
TCBで秋の行楽・街歩きを予定していたのだがあいにくの雨で中止にした。代わりに家でボードゲームをすることにした。友人Bと友人Nと家人との合計4人でカタンをやった。自分は初期配置にミスがあり早々に離脱。カタンは逆転が難しいのに一回のゲームが長いという欠陥がある。だから優勝するかどうかよりもビリにならないかに意を砕くべきというところがあるのでその分つまらないゲームだといえる。ビリでもサイコロを振れるのでサイコロを振りたい向きには適しているが。
雨も小止みになったので初台まで飲みに出かける家人を見送りがてら下北まで歩く。ムーンアートナイトに友人Nの1歳半の娘と参加して楽しかった。大人の男三人組が手に手に缶チューハイを持って子供と歩いている図をアートとして提出するというようなことを言うほど落ちぶれてはいないつもりだが、例年のTCBの道行きと比べ、見た目の面で映えることは間違いない。最低限足元に気をつけて歩いていたが、歩き初心者の幼児だけはスリッピーな床に足を取られ、豪快に尻もちをついていた。驚きが不快へと結びついていかない黄金期なので、しばらくキョトンとしてすぐに立ち上がった。大したもんだ。
友人Nを見送ってから熊源で味噌ラーメンを食べる。カッパに行ってウイスキーをロックで注文した。バーをひとりで楽しむ要領を心得ている友人にバーに行くコツを訊いたら、「おずおずと振る舞うこと」と答えていて含蓄があるなと思った。なんでも相手に助け舟を出しやすくするのが重要なのだということで、わからないのに知ったかぶりをしたりカッコつけても仕方ないやんということだった。バーはカッコつけに行く場所だという頭があったから、それなりに目からウロコだった。あとはカッコつけたい気持ちとの折り合いの問題になる。グレンフィデックのロックを飲んだ。『存在と時間』を読んでいるという話をしたあたりから時間がすぐに経っていった。自分には独我論的な志向があるので他人の存在追求について関心がある。22時45分頃に解散。おのおのの門限もしっかり守り、すっかり健康だ。


2026/09/27 一昨日 15863
大相撲の千秋楽を見る。大の里がアオニシキとの直接対決を制して優勝を決めた。感極まった表情に重責を担うことの重圧を感じさせる。バスケに出かける。ハローサイクルで高円寺体育館まで。心肺機能の面で制限がかかりあまりハッスルできなかった。どうにかしてアドレナリンを出して制限を取っ払いたかったのだがうまくいかず。マッチアップのセンター勝負でボコスカやられて悔しい結果に終わった。チャリで帰宅。荷物を置いてからチャリを返却し、最寄りのセブンで缶チューハイを買って飲みながら家人を待つ。涼しくて外にいるのがまったく苦ではないご褒美のような気候になっている。雨の多さだけが玉に瑕。


2026/09/28 昨日 7001
「ただ暗いだけでなく黒く、ただ黒いだけでなく暗い、暗黒の劇でした」というコメントを演じ終わった後の役者兼演出家兼劇作家相手に直接言う夢を見た。適当なことは言えないと思い、しかし何も言わないわけにはいかずなんとか絞り出したコメントだったのだがなんとなく事なきを得た雰囲気になってその場が次に展開していったのでまあそれで良かったかと思って目が覚めた。夢の内容をGeminiのメモ機能で録音・文字起こししたので以上覚えていられた。
午前在宅。昼一番で出社する。打ち合わせに参加したり蓄積されているタスクを消化したりして定時すこし過ぎまで働く。まっすぐ帰宅し、家人の運転によるカーシェアのカーでコイン精米に出かける。行きの道が大変だったのに比べて帰りはあまりにもスムーズだった。Googleマップは進入禁止の道を案内してくるのでまったく信用できないということを知ることになった。帰って精米したての米を炊いて明太子といっしょに食べる。本当に本物の新米の威力というものを知った。

2026/09/29 今日 5151
部屋の中で起こった出来事をVARで判定する役目があり、攻撃側と守備側のどちらに正当性があるのかを判断しなければならない羽目に陥っていた。何度も再生巻き戻しを繰り返してよくよく事態を見ていくと、まったく無関係のスタッフが直接プレーに関係ないところで横暴をしていることが明らかになり、公平性を期すべきなのにこのような横暴は許されないとして告発することになった。そんな告発に気を取られているあいだに、まんまと攻撃側が守備側を蹂躙して、そのまま守備側が全滅する事態になった。守備側に攻撃側のスパイが紛れ込んでいて彼が正体をあらわすと同時に守備側全員をつぎつぎに刺していったようだった。その結果ありきでリプレイを見ていくのは自分にはつらいことで、自分はやられてしまった守備側に肩入れしていたのだとそのとき知った。
朝から病院に行って検査を受ける。皮膚を切る処置があったので麻酔注射をしたがそれが結構痛かった。こんな痛みは病院のなかで起こりうる痛みのなかでは序の口もいいところだと思うので我慢して何のこれしきとばかりすましていようとしてがうまくいかなかった。右手のひとさし指の爪で親指を突き刺し痛みを分散させる作戦を取り、本格的に親指を攻撃しようとしたところで麻酔注射が終わった。麻酔後の皮膚の切り取りはまったく痛くなかったが血がたくさん出ている様子が手術用照明の金具部分の反射を通じてすこし目に入り、その分だけ気が滅入ってしまった。気分は悪くないですかと看護師に訊かれたときすぐに「大丈夫です」と答えることはできたので総じて大したことはなかったのだが、縫合にも思っていたより時間がかかり、やや疲れてしまった。照明のライトの数は右側28個、左側28個で合計56個あったのを確認した。処方箋薬局で薬を出してもらい帰宅。11時から在宅勤務を開始した。客との定例打ち合わせに参加する以外には大きな動きもなく、定時すこしすぎに退勤。スタバにいかず自宅で『存在と時間』を読む。第33節「解釈の派生的様態としての陳述」を読み終える。ハイデガーの逆節構造のなかに重きを置くやり方が見えてきてちょうど読みやすくなってきたあたりだ。山崎正和の逆説構造の文体を思い出す。日記を書く。

20260925

日記802

業者たちのシーン

2026/09/23 一昨日 10092
14時すぎにスタバを出てバビシャーでチーズナンを食べる。腹ごなしにゆっくり歩いて帰宅。大相撲を見る。17時半すぎに家を出て新宿のどん底へ。そこで家人が待っており、はやしさんのライスとチャーシューをいただく。チャージ料があり酒の値段もそこまで安くはないが、チャーシューがとくに格安感のあるボリュームで満足させられた。その後に映画を見る予定があったので酒を飲めなかったこと、遅めの昼にチーズナンとナンのおかわりをたっぷり食べていたことが悔やまれる。また行きたいと思った。
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか』を見る。内容は予想していた通り重かったが、演出がきちんとしていて見づらいところはなかった。ヴェネチアに出品された映画なのに上映館が少なすぎる。個人の苦悩に併走するかたちを崩さないのだが、社会構造の問題点をえぐり出してもいる。戦場を作ることは間違っている。戦場を作るようなことをするのは間違っている。戦場で正しいことをするのは不可能だ。だから出だしのところで間違わないようにしないといけない。歴史のような広い射程で見れば、オデュッセイアの世界ではネルソンさんの苦しみは相当少ないのではないかと想像する。それに彼らにはネルソンさんがなぜ苦しんでいるのかが部分的にしか理解できないはずだ。だから世界は確実に進んでいるということは言える。
この日は酒を飲まないで帰ってすぐに寝た。


2026/09/24 昨日 17927
一日在宅。朝礼も定例もなかったので仕事は本当に何もしなかった。『ドラフトキング』を読む。TCBのふたりが面白いと言っていたのと有吉がSNDで一番好きだと言っていたのが決め手になった。しかし野球が好きではなく、より正確には嫌いなので、楽しむための基盤というか土台がぐらぐらしたまま読むことになっている。感情的な揺れ動きはあるが、なんでこんな魅力のないスポーツのためにみんな必死なんだという根本的な疑念がぬぐえない。主人公は嫌な奴を演じている系で、彼の年長のライバルもその相似形なのだが、単純なマネーゲームとつまらない球技のために嫌な人にもなるという決意そのものにみっともないものがある。絵柄のせいかもしれないが野球選手に格好いいタイプやお洒落な人物が皆無で、基本的にモサッとしている奴らばっかりなのが自分のなかにあるリアルと整合していてそこは正直でわるくないと思った。今野球に夢中な人間というのは総じてあんな感じだ。彼らはもちろん大谷がどうとか言っているライト層も早くいなくなってほしい。ボールの硬さひとつとっても馬鹿馬鹿しいスポーツなのは間違いないのだから。大相撲を見てから定時退勤。バスケに出かける。落合第五小。中一日の休みだったので脚の疲労は完全には抜けず。だらだらプレーに終止して、不完全燃焼気味で終わった。やるんだったら真っ直ぐハッスルを目指せ。ここのところとくに3Pに凝っていて、毎回すこしずつ感じを掴めている感覚がある。しかもそれが蓄積していっているのを感じる。このあたりは密にバスケをしている効果なのかもしれない。身体が十分に温まってからロングシュートを狙うべしというノウハウも掴んだ。
この日は飲まないでもいい酒を飲んだ。有吉の壁のヤマダ電機回を見て寝る。

2026/09/25 今日 4586
一日在宅。『ドラフトキング』を読む。仕事は溜まったメールを読むのと積み残しタスクの消化だけ。大相撲を見る。定時退勤して美容室へ。白髪ぼかしをしてもらう。永原真夏のムーンライトを聞いてからスタバに移動して『存在と時間』を読む。日記を書く。ここ最近昼寝時も含めてたくさん夢を見ているのだが全然内容を覚えていられない。ボイスレコーダーを枕元に置く運用を真剣に考えてもいいかもしれない。夢の中身を小説に移しても著作権に引っかからないのは大きい。使えるものは全部使えというのは基本中の基本のはずだ。

20260923

日記801



2026/09/20 一昨昨日 19314
雨のなかバスケに行った。大雨の影響か季節柄か、体育館に毛虫がいたりして開始前に気分が落ちることが危ぶまれたが、始まってみればプレーは好調、メンバーも上機嫌で、とにかく楽しかった。リバウンドを褒めてもらえたのでたくさんジャンプをする回になった。自分史上一番高く飛んでリングに指がかかったりもした。
帰宅して家人が作ってくれたシマホッケのみりん干しの焼きを食べる。たのしいたのしいで酒も飲んだ。


2026/09/21 一昨日 5288
強雨のため一日家にいた。14時すぎに友人B、15時すぎに友人Nが来てボードゲームで遊んだ。Nが来る前にはスイッチのオインクゲームズで月面探索を遊ぶ。3回やって初回以外はクリアした。Nが来てから家人も参加してボードゲームで遊ぶことに。チャオチャオとドミニオンはともに却下され、だったらとヤケで提案したアズールをすることになった。自分はべつにやりたいわけではなかったが他三人のやりたいゲームでもなかったようなので、投票多数決で決めるよりはひとりのやりたいゲームをやるという意思決定のほうが適している場面だったと思う。アズールの勝者が次にやるゲームを決めるという話だったが、なぜかNのプッシュでタイムラインをやることになる。勝てなかったのもあるが面白くなかった。細かいルールの付け方で盛り上がり方が変わるはずなのだがNにはそういうルールの提案ができない。やりたいゲームはあるがちょっとしたチューニングをする気配りもそういうアイデアもない。まあ酔っ払っているとなんでもいいということになりがちだし実際なんでもよかったのだが。雨足が弱くなっていたので下北沢までふたりを送る。映画『オデュッセイア』の話をする。自分は本作の画面作りというかイメージの鮮烈さをかなり高く評価しているのだと気づいた。だからこそハリウッド的なクライマックスのわちゃわちゃが許せないという論旨だった。Bはクライマックス含め評価しているようだった。Bの映画評は基本的に辛いのだが、ハリウッド映画のハリウッド映画らしさに対する批判はなぜか抜け落ちているように思える。「ご都合主義」という批判の文言は出ないからスタンスに大きく矛盾はないが、ハリウッドの文法やその文法の都合で進む場面や筋が見えていないような適応具合でいながらたまに「リアリティ」という言い方をすることがあり、リアリティもひとつのフィクションにすぎないという観点に欠けているのかもしれないと思わせるところがある。NはIMAXレーザーにしないというムーブをしていて、勘所を押さえようとしていないのか、たんに勘が悪いのか、その両方なのか、その両方なのだろうという結論になった。見るときに感想で自分を表現しようという気がありすぎるのだと思う。だから同じ作品を見て感想を言い合うという感じにならないのが、ここ数年で彼と感想を言い合うのを避けようとしている理由だ。感想を言おうとして飛び出した言葉にずっと振り回されているし、乗っかっても否んでもそれに付き合わされることになる。
帰って家人と『さよならララ』を見る。タイトルに込められた悲哀の表現が直接俺を狙ってきたのかというぐらい琴線に触れる。網干行きの発車メロディのノスタルジー。心が痺れたようになり、見終わってしばらくのあいだ休憩が必要だった。翌朝のバスケに出ることに決めて早寝する。


2026/09/22 昨日 28777
9時からのバスケに行く。落合第二中。足が痛んでその分楽しさが目減りした。が、中盤以降アドレナリンが出てきてからは痛みが気にならなくなって機嫌を取り戻した。タッパのあるプレーヤーがいたのでディフェンスが大変だった。スリーポイントの練習の成果が出て3本打って2本入った。最後のほうのシューティング時にタッチを掴みつつあるシュートを放てた感覚があった。最近ではフォロースルーのゼロポジションを意識し、上ではなく前に押し出すイメージを強くしている。
代々木公園に移動。代々木駅近くのすき家で牛丼特盛を食べる。ビールを買って公園のドッグランに移動。酒を飲みながら犬を見ながら友人Nとその娘を待つ。合流後は彼女の歩く様子を見るのが主になり、犬たちがまとめて後景にしりぞいた。Nの妻・Nの娘の母とも合流し原宿に戻る。原宿、代々木上原でそれぞれNたち、Bと解散し帰宅。パッタイを食べて大相撲を見る。あまりの睡魔でよくない時間にうたた寝しそうになったので家人を伴って下北まで散歩する。涼しくてとてもよい気持ちだった。ホルモン青木で肉を焼いてハイボールを流し込んでから帰宅。
この日も早めに寝て正しい睡眠サイクルを取り戻そうとする。


2026/09/23 今日 2376
8時に起きて9時に出かけるまでゆっくり支度をする。スタバに行って芥川の短編集から『運』を読む。話の導入や運びがうまいし、言葉の選び方に気韻がある。良い席に座れたので日記を書く。自分が小説を書くことについて思っていることを整理しようとして次の文章を書く。
小説を書くということをわざわざやるのであればオリジナリティにはこだわりたいと思っている。つまり、自分の制作によらない文物の存在を前提とした作品を作るのは、それが導入なりイースターエッグなり、ちょっとした仕掛けのひとつという位置で登場させるのではないかぎりやりたくないということだ。今流行っていたり昨日今日注目を集めるようなイベントを作品に直接反映させるというやり方には、作者自身がそれをどう意図しているのかはさておき、きめこまやかなタイムラインを後の世に復活させるという名目は立つ。ようするに資料的価値の提供だ。つまり自分たちは日日こういうものに注目させられてきたという記録を残すことの役に立つとは言える。しかし、自分としてはわざわざそんなことを自分がやらないでもいいと思う。それにそもそも小説という形式がそれに適しているとも思えない。資料的価値をもつと言っても、なんらかのかたちに歪められたそれは他のたくさんの資料との照らし合わせにおいてはじめて価値が出るたぐいの参照項のひとつでしかない。整合性の観点からも、どのように歪められたのかというのは部分を参照するときに外されるモザイクのような取り除かれるべき障害物としてしか扱われないだろう。それが妥当な操作であるかどうかはおいても、そのようにパズルを組み立てるときのお邪魔ものとして、自分自身のもつ歪みとその結晶を矯めようとされるのは本意ではないのではないかと自分は思う。機械的な操作(ワンクリックもしくは自動翻訳)によって簡単に外されるロックとして自分自身の歪みを扱われ、実際、大方その通りでもあり、さらにそうなったときにはすでに反論のしようもないというのは、歪みの主体にとって悲しむべきことだ。そういう悲しい面を見せることで、そのときに在るべつの歪みの主体を尻込みさせるようなことはしたくない。もっと言うと彼らの反面教師にはなりたくない。
小説を書くのはセラピーではない。小説を書くのは自己満足ではない。
これは自分の書いた小説だというものを書きたい。自分を取り巻くさまざまなものによって書かされたという面はどうしたって出てくるものの、書いたのは自分だといえる小説を書きたい。そのためには他人の制作物をみだりに使うべきではない。それによって注目を集めるのは多くの人に読んでもらうためには必要なことだという論理はありえない。それをすることで自分の書いたものだと言えなくなったらそもそもの意味がなくなるからだ。
これは自分が書いたものだ。読まれないのは自分のせいではない。心底からそう思える小説を書きたい。それが書けたらその時点で人生は成功だ。それから先は人のために作品を宣伝する活動をして過ごせばいい。「これが良い」というものを持っていてそれを人に薦められる生活は、それ以上ないほど気楽なものだろうと思う。逆に言えばそれがないかぎり気楽さはつねに足りない。信仰を持つことの一番の利点は気楽さを得られるという点にこそにあるのだろうと想像する。ある意味で自分を捨てることでしかその道は開かないのだろうから、それは選択肢に入らないが、どうにかして気楽さに到達したいと思ったとき、自分には小説があった。
最終的にその気楽さが手に入らないままで終わるにしても、それを目指していることですでに気楽さをいくらか得られている。結局、気楽さを得るためには自分で作った自分の目的をもつことだ。それはセラピーではない。どこかへ達しようとする人生はべつに病状と呼ばないでもいいからだ。それは自己満足ではない。満足できるまでやって実際に満足できたとしても、満足したらそれで終わるというかたちは取らないからだ。それを薦めようとするフェーズがあとに続く。
言葉を使って表現することは、他人のなかに存在しようとすることだ。その表現を通して自分を他人のなかに存在させようとすることだ。他人のなかに存在する仕方はいろいろあるが、自分が一番得意なのは小説を書くことなのだと思っている。べつのやり方ではうまくいかなかったり、自分でこうしたいと思うほど上手にできなかったりする。これは言い訳だが、フィードバックが早すぎて試行が場当たり的になったり、その場しのぎになったりする。ときたまそれらのうちのどれかが上手くいったとしても、瞬間の印象を点々と残す・点在することしかできない。もっと贅沢に一定の期間をもらって線を引きたいし、面として当たりたい。さらに厚かましいことを言うなら体を形成したい。小説以外にも得意はいくつかある。ただ、立体的に存在するところまで存在級位を推し進めようとするのなら、自分には小説がもっとも適している。これは感覚的に自明のことだ。
人は小説を読まないとか、人はじゅうぶんな器や容積を持たないという事実もある。それでもそれは一定の事実にすぎず、すべての人が小説を読まないわけでもじゅうぶんな器を持たないわけでもない。自分としては全員の可能な全員に向けて小説を書くというスタンスを崩すつもりはないが、そうは言っても全員に自分の小説を読んでもらうわけにはいかない。社会の努力が結実し、もしも全員に小説を読む時間が確保されたとしても、読む小説には正しい順序もあれば優先順位もある。その順番抜かしをして自分の小説を読めとは思えない。そうすると正味の読者量は相当絞られる。霞を食って生きないかぎりそれで生計を立てるというのは不可能だ。これを書いていて気づいたことなのだが、自分の小説が読まれるべき小説が読まれることの障害になることがある。これは意想外だった。自分が文学フリマに感じる違和感のもっとも大きな部分は、ある文学作品が読者の時間資源を消費し、本当に読まれるべき文学作品が読まれるための時間を奪い、文学に背を向ける結果になっているところにあるのだが、これは自分の小説にもまったく同じことが言える。相当程度に辛抱強く読書を続け、しかもアンテナをあらゆるところに張り巡らせていないかぎり、そもそも自分の小説の読者にはなりえない。だから結局、読者はひとりいれば御の字だということになる。その意味でもこれは自分の書いたものだと言いたいというのは決して誇張した大目的ではなく、事実としても最大目的そのものだ。そうは言っても何人かは読んでくれるだろうというのは非常に甘い見立てで、根拠のない夢想に過ぎない。だからどこまでいっても書くことが目的ということでいいし、そうでしかあり得ない。それでも書きたいのであれば書けばいいし、そういうことならさすがに書かないというのならそれもいい。ただ、書いて完成までもっていければ、すくなくとも自分だけはそれを読める。自分はそれを励みに書こうとしているし、それだけのために書いてもいいと思っている。そうだとすれば、作品が誰かの制作物を前提としたものにならないというのは根本的な条件にもなろうし、わざわざそんなことをする意味がないというのも理解できることだろうと思う。何かが面白くてそれを取り入れるというのも、単にそれを見返したり読み返したりすればいいだけのことで、自分の小説として他人の制作物を振り返る意味がない。

ストローとしての役割しかこなせないというのでもいいが、それにしてもある程度の長さは必要だろうと思うので、まずは浅い呼吸を見直すべきだという主旨がある。自分は一介の文学者にすぎず、小説家になるつもりはないからそういうことを思うのかもしれない。

20260920

日記800

ビクトリー

2026/09/16 四日前 14468
一日在宅。強い雨の降るなかバスケへ。落合第五小。帰ってから家人の作ってくれた鶏の胸肉の片栗粉まぶしピリ辛焼きのご飯を食べる。さよならララを見る。まりの「まだ死ななくてもいいんだよ」というセリフとED曲の入りが完ぺきで、ぐーっときた。今さらながら滋賀県が舞台というのもやはり大きい。


2026/09/17 一昨昨日 14210
午前在宅。午後から出社。10月から所属変更になるので新上長との顔合わせ兼打ち合わせ。今の上長とは相性がよいのか伸び伸びとやれていて文句のひとつもない。だから変更になるのはプラスよりマイナスが多いだろうと思うので微妙だ。しかし長くても残り半年なのでどう変化してもいいやと適当に構えていればいいと気を取り直している。帰宅即狛江へバスケ。なのに一駅乗り過ごして時間のロスになる。バスケに遅れるのは仕事に遅れるより何倍も嫌だ。あわてて移動する。15分ほど遅刻。狛江第四中。連日のバスケで脚の疲労感が強いのをカフェインでごまかす。いつもよりリラックス度合いの高いプレーをした。なんちゃってストリートボールスタイル。


2026/09/18 一昨日 7575
一日在宅。『存在と時間』を読む。やっと1巻を読み終える。定時退勤して職場の飲み会に田町まで出かけていく。新しい人と話したりするのは楽しい。いい加減なことを適当に喋って突っ込んでもらったりもらえなかったり。ベルサイユの豚という気の利いた店名で肉が売りのようなのだがほとんど食べずにハイボールを飲んでばかりいた。基本的に楽しいことしかないのだが飲み会が終わるといつも疲れが出る。一時的な疲れだとわかっているので「俺は悪くない」との独り言と他責思考で乗り切る。


2026/09/19 昨日 4165
一日家にいてだらだらと過ごす。朝早い時間に目が覚めてしまい寝不足になったことで一日のクオリティが落ち、すべての進捗が停滞気味になった。ここ1週間でまた天鳳にハマって麻雀しているのも時間の使い方の面ではよくない兆候だ。『漂流教室』を読んで読書会に参加する。『存在と時間』について何かを言うことのむずかしさにばしっと直面してしまったが、他の人の話を聞いているのは楽しかった。16時半から19時前ぐらいまで。その後散歩しつつ飲みに出る。Peelを飲みご飯を食べてすぐうたた寝をしてしまう。23時近くに目が覚めてしっかり寝ようとするが寝つけず。2時ぐらいまで起きて『漂流教室』を途中まで読む。アーセナルがブライトンに0−3で完敗していた。


2026/09/20 今日 691
この日も一日家にいてだらだらと過ごす。雨が強いので出かける気にもならない。天鳳はしていない。『存在と時間』の2巻にとりかかる。『漂流教室』を読む。大相撲を見る。18時から落合までバスケに行く。落合第五小。

20260915

日記799

高円地帯

2026/09/14 昨日 17120
バスケに行ったが、案の定ぜんぜん走れなかった。走行距離はいつも通りだったと思うが、ここというときのスプリントがまったくできず、だらだらと走り続けていてこれという印象的なプレーもできなかった。3P試行するも成功せず。自分のリズムだけでチームの雰囲気を無視して打ったトップからの一本は後ろからのマークに気を取られて大きく左右にズレた。打った瞬間に外れたとわかるショットの数をまずは減らしたい。そのあと「イケる」と思ったのに力加減が足りずエアボールになるショットを減らしていく。しかしシュート試行そのものはどんどん増やしたい。疲労で足が痛む。足を引きずり気味にして帰るが、高円寺駅まで歩くあいだに氷結無糖シークワーサーの500mlを飲む。ほとんどやけ酒だが気温が涼しいので気分はわるくなかった。帰宅してセブンで買ったチーズハンバーグをボイルしてご飯といっしょに食べる。千鳥のチャンスの時間を見て夜ふかししてしまう。マジギレ相談室のラインナップ(アンジャッシュ渡辺・引き締める女・ダウ蓮見・永野)はバランス含め完成度が高く、ひな壇のさや香新山、そいつどいつ刺身は役割を全うしていて、実際誰が相談に来ても面白いと思う。トットの桑原が「弱い相談」を持ってきて、しかも桑原の語りを崩さずにヘラヘラというかしなしなしていてやけに面白かった。


2026/09/15 今日 4765
朝から出社。午前中に仕事をガスガスこなす。出すべきメールを作成して午後に出す分と定めて午後から在宅に切り替える。遅めの昼ご飯でセブンで買った黒酢の肉団子をボイルして冷凍ご飯をチンして食べる。30分昼寝。大相撲を見る。大の里が立派な横綱相撲をしていて復調のきざしを見せたのがよかった。30分近く残業してから大の里による結びの一番を見届けてスタバへ。もうすぐ閉店するという代沢のスタバに行ってみる。ドリンクは高いが居心地はさすがに良い。途中白黒で毛並みの長い大型犬が入ってきたのもよかった。賢そうなボーダーコリー(?)だった。『存在と時間』を読む。他人の存在について、と自分のなかでテーマを定めて読むと内容が入ってくる箇所だった。26節「他者たちの共現存在と―」。二人連れの女のうち、よく声の通る女がずっとうるさい。「40歳のババアだから」と自分を下げる発言をしている。「30歳のババアだから」なら30にもなってみっともない言葉遣いをしていて悲しいね、で済むが、40歳で同じことを言うのは目も当てられない。話の中で「この前はじめてちいかわを見た」とか言っていた。お前みたいなもんにはちいかわがお似合いだよ。21時半までいてやっと帰った。26節を読み終わり日記も書き終わったので酒を飲んで帰ることにする。帰ったらTverで有吉クイズを見よう。楽しみにしていたメモドライブの第三回。今回はとくにメンバーが良い。

20260914

日記798

ラック

2026/09/12 一昨日 11028
午前中は『存在と時間』を読む。昼すぎから南町田へ移動。途中の中央林間の大戸屋で遅めのランチ。もろみ炭火焼きチキンW盛りとご飯特盛。グランベリーパークの109シネマのIMAXレーザーで『オデュッセイア』を見る。いろいろ感想はあるのだろうが、この作品でないと得られない独特の体験があるのはたしかだ。それを補完するためにもIMAXレーザーで見るのは必須だと思う。気になったところは、ハリウッド映画の制約からクライマックスで派手なバトルシーンがあってオデュッセイアが大暴れするお約束シーンが用意されていたことだ。映像的なゴージャスな質感が台無しになるほどではないが、それでも物語のトーンがハリウッド映画じみたものに引き寄せられたのがもったいない。そのまま田園都市線で三茶に移動。酒を飲みながら歩いて帰る。FIGに入ってご飯を食べた。グラタンなどのチーズを使った料理がおいしい。食後のデザートのプリンもカラメルがパリッとしていておいしかった。200円というのは驚きだ。そのほか全体的にこの店の価格設定は安すぎる。


2026/09/13 昨日 16883
朝から『存在と時間』を読む。1巻の終わり近くになってやっと文章に慣れてきた。天幕のジャードゥーガルの最終回を見ながら昼ごはんを食べる。ゆっくりゆっくり進んでいくなと思っていたら尻切れトンボのように終わってしまって驚いた。正直第一話が一番面白かったと思うが、ラスボスを善人でなおかつ良君にするのがチャレンジングで最後まで見届けたい気持ちになっただけに終わってしまうのは残念だった。大相撲初日を見る。高円寺までバスケに出かける。イマジナス。3Pシュートにチャレンジした回だった。一本だけ決まった。外れても打つことが大事だと思って打った。最寄り駅まで車で送ってもらい、帰ろうとしたところ家人から厚揚げのお使いをお願いされる。セブンにもローソンにもなかったのでまいばすけっとまで行く。家人を呼び寄せて荷物を持ってもらう。帰り道で予定外のPeel(7%500ml)を飲む。帰宅後ご飯を食べてからシャワーを浴びて12時すぎに寝る。


2026/09/14 今日 2337
一日在宅。『存在と時間』を読む。明日できることは明日やるをモットーに仕事はまるまる積み残す。卵焼きを作って昼ごはんにする。食べてから昼寝をして腕立て伏せ。大相撲を見てからバスケに出かける。連日はよくないとわかっているのに我慢できない。高円寺学園。この日も3Pの挑戦と走ることを意識してやろうと思っている。

20260911

日記797

グリーンライトを探せ


2026/09/09 一昨日 18221
朝から出社。昼から在宅に切り替える。定時すぎに退勤し、バスケに出かける。落合第二中。最後のゲームで3Pを決めるなどして逆転勝利に貢献できた。攻殻機動隊が面白かった。一言でいうと意義あるアニメという感じがした。最終回のクライマックスを対話に持っていく構成(攻性)が見事だ。聞くと突飛というか、わりと奇抜なことをしているはずなのだが、そう感じさせない10話の組み立てになっている。円城塔のワークだ。


2026/09/10 昨日 17224
朝から出社。一日オフィスにいた。久しぶりに社食で昼ご飯を食べる。たまったタスクをここぞとばかりに消化する。定時退勤。バスケの練習回に出かける。狛江第四中。3Pの打ち込みをしようという明確な目的があった。トップ、45度×2、コーナー×2でそれぞれ20本ずつ決めれば合計100本になるというワークだった。2時間まるまるかけて98本で終わった。最後トップで残り10本になってから感覚が良く連続で決まっていったが、ぎりぎり時間内におさまらなかった。シュートの打ちすぎで肘の内側が筋肉痛になりかける。普段の練習では筋肉痛にならない箇所だ。率からいって外したシュートの本数は5倍じゃ効かないほどなので投球数自体かなりの数になるし、筋肉痛になってもおかしくない。


2026/09/11 今日 6279
朝から出社。ジョックロックのラジオをYoutubeで聞く。ゆうじろうが福本に対して溜まった不満をぶちまける回で、なぜかおすすめに上がってきたので通勤時間を中心に聞いた。ゆうじろうの福本に対する不満は、福本が”大人の対応”をするだけあってわかりやすい問題行動に根ざしたものではなく、ちょっとした仕草やノンバーバルなコミュニケーションの端々にあらわれる若干の(ゆうじろうの気のせい勘違いレベルかもしれない)トゲトゲしさに起因しているだけあって、どういうところが不満なのか、一例でいいから具体的に教えてみてよという福本の差し水ではうまくゆうじろうのペラが回っていかない。具体的なエピソードして話せないため、会話というコミュニケーションにおいて、しかもラジオという聞かせる会話というやりとりでは、ゆうじろうの分はあまりにもわるい。年次でもコンビ間の役割分担でも立ち場が下になることもあって、どうしても福本が大人で、ゆうじろうが子供に見えてしまう。しかし子供の言い分にも、言い分にではなくてもすくなくとも感じるところには一部の理もあるはずで、福本は大人なだけあって”ゆうじろうが言わんとしていること”はわかるはずだという気がする。ゆうじろうがコンビの「関係が悪い」というのは、作者自身も良いと思わずに出してきているような成果物に対して、受け取る側としても無責任に良いとは言えないが、それをそのまま伝えることはできず何かしらの反応をしなければならないという負担に根ざしているように思われる。福本は「人としておかしい」などという言葉で、社会通念や常識を盾にして「社会人だったらあり得ないだろう」という正論じみた議論の展開をするが、はっきり言ってそれは周縁の話であるにすぎない。とにかく問題は、自分自身で、半信半疑ではあっても最終的に「これが良い」と自分に対して言い切れるものを出しているのかというところにある。そう思っていないのに、自分自身で良いと思っていないのにそれを出してくるというのは本末転倒しているじゃないかというのがゆうじろうの主張だと思われる。それに対して「俺は時間外労働で寝る間も惜しんでネタを書いている」というのは、おそらく社会通念的には通用しても、表現において通用する言抜けにはならない。いや、実際にはその言い分は社会でも通用しない。ただ社会における多くの仕事はそこまで難易度が高くないから、時間をかければなんとかなる場合が多いというだけの話だ。おそらく社会でも、期待される内容に到達していない成果物は、たとえ「寝る間も惜しんでやりました」と言ってみても通用しない。だから福本がどう思っているかどうかを別として、ゆうじろうが「良いと思ったら良いと言うし、良いと思わなかったらそう言う」というのはそれしか正解がないレベルで、正論の域を越えて正しい。福本が今どうやっているのかわからないが、作ったネタを完成品のラベルを貼ってゆうじろうに見せようとしているのであればそれはやめるべきだ。そもそも、それが良いか良くないかを真剣に考えようとしている相手に、自分で良いとは思えないものを出すべきではない。しかし、良くなるかもしれないがまだその引き出し方を見つけていないものであればそれこそ積極的に出していくべきだ。ふたりで作るというのは簡単なことではないかもしれないが、それでも未完成品を完成された作品の体裁にして出すことよりは気の利いた方法といえるはずだ。ゆうじろうは不満を打ち明けようとしつつ、自分にとって言葉にするのが難しい部分については無理に言葉にしてミスディレクションする愚をおかしておらず、言葉遣いにも彼なりに気をつけ、総じて立派な態度だった。福本は真面目だが、自分の真面目さが多くの盲点を作り出してしまっていることに無自覚な、社会通念をお上としたせまい枠内でしか活きない生真面目さで、あまり見栄えがしない。真面目であることを意識してやめるべきだと思われるが、社会通念の枠内で見せるお笑いをするのであればそのままでもいいのかもしれない。その場合はジョックに改名したほうがいいと思うが。
昼すぎに打ち合わせがあってファシリテートする。知識・経験・やる気が最低の人間にファシリテートの役割が回ってくるのはどうかと思うが、各歯車が優秀なので邪魔さえしなければ勝手に回り、30分でしっかり結論が出る。議題のひとつを完全に忘れていてそのまま会議を切り上げようとして参加者にフォローしてもらう始末。恥ずかしさもありアハハと照れ笑いを浮かべてみたがリモートなので誰にも届かず。Viva Teams.
在宅に切り替える。ぶっ豚を食べようとしたが15時半〜17時までの休憩時間にぶちあたり、仕方なくコンビニでスパゲティを買って帰宅。300gを茹でてミートソースをかけて食べる。ここ最近うっすら睡眠不足気味なので昼寝をしてから退勤。すっかり涼しいなかスタバへ行く。『存在と時間』を読む。日記を書く。
家人からラインがある。「立川まで辻井伸之のピアノを聴きに行く途中、立川駅で靴をホームから落とすハプニングに見舞われて遅刻し、入場が危ぶまれる事態に陥った」とのことだった。実際に自分自身の経験だったら1週間単位では最大のトピックになるだろうなと思った。駅員に拾い上げてもらい、無事間に合ったとのことでよかった。

日記803

雨のなかのライシング(精米) 2026/09/26 一昨昨日 12562 TCBで秋の行楽・街歩きを予定していたのだがあいにくの雨で中止にした。代わりに家でボードゲームをすることにした。友人Bと友人Nと家人との合計4人でカタンをやった。自分は初期配置にミス...