安全地帯
2026/10/29 五日前 7294
午前在宅。午後から出社。品川で職場の飲み会があった。面白くないほうのテーブルに座ってしまったばっかりに面白くない会になってしまった。仕事の話などいくらしても雑談の域を出ない。だからといってこちらから話題提供するでもなくなんとも物悲しい時間ばかりたっぷりある3時間の飲み会になった。帰りがけの道すがら向こうのテーブルに座っていた若い男と最近見た映画の話をしたり彼が初めての一人暮らしをもうすぐ始めるという話のほうが10分弱の時間ながら中身のある話だった。ただし飲み会の方もいっときとは言えスラムダンクの話で盛り上がったことは記憶しておきたい。牧ひとりに4人マークを付ける作戦と、そうすると神と宮益を出したらぼこすかやられるよなという返し。ある程度飲んだのに精神的には飲み足りない気持ちになったので帰りにコンビニでチキンラーメンとJJを買って帰る。
2026/10/30 四日前 11311
飲み会の翌日には出社するほうがいいという法則に反して在宅勤務にする。起きれなかったというのもあるがNBAを見たいというのもある。そもそもそこまで気を使って自分の自由にできる範疇を制限する必要は立場上ないわけで、OK合わせますと口では言いながら実際には好き勝手するようなやり方で残り5ヶ月を過ごそうと思っている。しかしそれに呼応するように、反作用的な管理体制が敷かれつつある。それは始業時にチャットでの勤務地報告を要請されるというものだ。角が立つほどには在宅勤務をできなくなりそうで、それだけで十分牽制の効果を発している。金夜に集まれるということでTCBの飲み。初手トリキ。今はもうトリキも全品税込み410円。それは仕方ないしいいのだが、うるさすぎて相手の話が聞き取りにくいのに閉口した。ある程度あたたまったところで外に出て歩き飲みに切り替える。シェルターらへんで出番前か後のCOWCOWを見た。伊勢丹紙袋柄スーツの多田は顔をはっきり見ないでもわかるから見つけやすい。多田はすぐそばにいたのでふたりに話すときにも「いま多田さんいたよ」と”さん”をあげた。まあそもそも他人だし年上だし、当たり前といえば当たり前。Bが将来の展望について話すターンになった。Nは以前からの意見とは180度ちがう意見を展開していた。それで自分の意見とも合流することになったのだが、そうなると不安になるもので、バランスをとる意味ではないが自分の意見はもうすこし慎重な方向に軌道修正されることになった。「人間は変わることができる」という自分のなかの原理原則のようなものを今回のケースで取り下げるわけにいかないというのも、自分の意見が割り切らない(急角度にならない)理由のひとつになるだろう。感情の波が高まっているタイミングで論理展開するというのはまずい航海術というだけでなく間違った航海術だ。そのことでやっぱり論理は役立たないと決めつけてしまうというのがこの間違いの一番罪深いところだといえる。嵐のなかで役に立たなかったからといって船に櫂を載せる意味がないというのは当たり前に間違っているが、判断のタイミングをすこしズラすとそうしかねないところがある。問題は、感情が波立たないときには論理を持ち出す必要そのものがないからそうしない、それで状態を放置し、また波立つタイミングで論理を持ち出してそれでは焼け石に水というのを繰り返すうちに、相手の不信感とこちらの徒労感が積み重なっていくことだ。そもそも涙があったら感情があり、感情があったら人情があり、人情があったら同情があり、同情があったら共感にもつながる。あるサインはただのサイン以上に大事な部分だと思うから、それには一定以上の評価をつねに与えているようにする必要があると思っている。ひとつの兆候を過大評価しないことはもちろん重要だが、それはまったく評価しないというかたちで現れるべきではない。
ところでNは「やって後悔するより、やらずに後悔するほうがいつまでも後悔が残る」という意味のことをそのまま「やって後悔するよりやらずに後悔することのほうがよくない」と言っていて、その率直な物言いで自分をだいぶ面食らわせた。そういうことが言えるようになったと思うべきなのかもしれないが、そういうことが言えるようになってしまったとしか自分には思えず、自分の了見の狭さを感じた。これからも自分だけはこの狭さをたのみにしていきたい。23時近くまで飲んだのもあり、この日はさすがに飲み足りない気持ちにはならず、帰ってすぐ寝る。
2026/10/31 一昨昨日 6628
朝起きてNBAを見ながら昼からの稽古の準備をする。準備と言ってもとくに持っていくものなどもないのでおもに心の準備。もらっていた稽古用の台本をもう一度だけさらう。
この日の稽古ではエチュードで雑談をするという自分の不得意を煎じ詰めたようなことをした。目の前の相手ではなく向こう側で聞いている人に向けて大きい声を出す、ということのハードルが消えてくれない。今回の初稽古にいたるまでそのハードルを越えようとする試みをしてこなかったので都合よく越えられるはずもなく、消えてくれないものかと願っているというのが実態を表してしまっている。そのほかディベート形式のエチュードもやった。自分が考えていることをそのまま出せばいいというか、そこにしか何か言うための材料がないのだが、そういう自分の意見の表明・発信には自信がないのでつい仕組みを壊したり飛び越えるほうに思考が伸びる。今回よかったところがあるとすればその思いつきを考えなしにすぐ実行に移すことができたことだ。それだけでよしとしなければならない。それぐらい惨憺たる出来だった。動いたはいいがそのあとが続かず押し黙ってしまった。もっとふんだんに時間があって誰もが手詰まりという感じになればそのタイミングでおずおずと発言するという内容ばかりが思いついたので、振り返ってよく考えるとまあ仕方ないかとも思う。もっと積極姿勢の発信内容を自分の引き出しに充実させたい。
出来ないことの多い恥と苦しみのなかで心に擦過傷を負い、血が出るというのは生きていることだと自分を励まし、なおかつ赤いものを直接には見ないようにして予定されていた飲み会に出た。都の夏と書いて都夏。2階の椅子のある座敷席で一杯目のビールで赤を洗い流す。あとはいつものように人の話を聞いているだけ。役者・・・飲み会で背もたれを使わない人たち。彼らのなかにあって自分が目立つのも無理はない。目立つと言うよりは浮くという感じだが。しかし存在感という一点で見れば同じことになるのだろう。出来ないことに目をつぶってでもやっていかないとどうにもならない位置に自分を置くことは、”背伸びの必要”が合理的、合目的的になるということでもあって、”のぞむところ”なはずだ。
「できないことができるようになる」というのを自分は自分にとっての楽しいことだと考えてきたが、それにすこしの修正が入った。「できないことに挑戦する」というのがそれだ。つまり、できるようになる時点で楽しみの対象から外れるということもあるし、できるようになるというのは、それを目指す段階で間違ったアプローチの路線に入り込み、過ってできるようになったと思い込むリスクから逃れられないということがある。さらに”できる”というところにゴールを設定すると、短絡したり、できるところで行き止まったりする。結果を見ないで過程に焦点をあてるということを意識するなら、できるようになるというのはべつの言い方で表現されなければならない。
2026/11/01 一昨日 17266
稽古2日目。午前中はNBAを見ていたはずだがあまり覚えていない。初日には台本の読み合わせがなかったので今回が初のセリフ読みになった。最初の読み合わせでは紙を持つ手が小刻みを通り越すレベルでぶるぶる震えるほど緊張した。はじめのほうは演出が緊張をほぐすように場を暖めたり高まっていく緊張感を笑いを用いてうまく抜いてくれたおかげで比較的平常心で入れたのだが、途中で相手役の向こうに参加者の人がいるのがなぜか目に入ってしまい、そこで一気に緊張が爆発した。そうなると手元にある読むべきものが”お守り”になり、それに縋ろうとしてしまう。その場で言うべきこと・たしかな正解・書かれたテキストに助けられようとしてしまう。そうなったら相手のほうを見るみないという話ではない。そうなったとき本当は読むべきテキストではなく(自分が演じる人物にはそんなものは本来存在しない)、目の前の相手に助けられようとするべきだ。役者が稽古までにしっかりセリフを入れていくのは、セリフを入れる努力のほうがセリフが抜けて味わう苦しみよりはるかに小さい苦痛だからだ。ということが今回の読み合わせで嫌というほどはっきりわかった。喉元過ぎれば熱さを忘れるということはあるが、このことをしっかり覚えておいて次の稽古に活かすようにしたい。「セリフの%を下げてそのときに受け取ったことをもとに発信するように」というコメントについても、セリフの%を下げるために、きちんとセリフが口をついて出るように事前準備しておくということとなんら矛盾しない。どうあっても話の流れに沿うことができるように、役をする人物の目的を明確にしておく必要がある。そのヒントが台本のセリフにあるからやはり目的が明確になるまでに読み込み、それがそれらのセリフを言うときの自分自身の目的になるように覚え込まないといけない。自分がなんとなくで考えているよりもずっと難易度が高いことだ。自分は目的をもって人と会話するということをこのところ一切していない。このところというか覚えているかぎりではそういうコミュニケーションをとったことがない。半ば無意識的に誘導しようとしたり、印象づけようとしたことがあるが、それが目的として前面に出るような状態で人に何かを言ったり働きかけたりすることをかなりの間怠ってきている。とはいえ、そういうことをしていこうとも思わない。そうやって気を揉むのは面倒だし、そもそも思惑と発言を切り分けるようなやり口を下品だとする傾向がある。これは権力に対する働きかけが弱いということで、三国志などのシミュレーションゲームにおける「政治」のパラメータが低いということだろう。自分のような価値感が大勢をしめる環境下ではスイスイ泳げるはずだからそうまで単純に低いとはできないのではないかと思わないでもないが、まあそういう環境が実際あるわけでもなし、現実いろんな場所で自分をそこに適用できていないということをもって「低い」で間違いない。残念だけれども。
稽古を飛び出してバスケに出かける。駅まで今回参加者のなかで最年少の役者と同道することになる。つい最近高校を卒業したような若さでありながら、高校の部活をはじめ社会に身を置いているもの特有の社交性が身についていて、あくまでも自然にこちらに気を使いながらにこやかに「お疲れ様でした」というゴールまで辿り着いていた。それを受ける自分は、若いのにしっかりしていてすごいねというごく当たり前の挨拶も言えず、ただただ立派だと目を瞠ってぎこちなく反対方向の電車に乗り込んだ。このようにあまりに出来た人だと褒め方を間違えると失礼になると思ってつい口を噤んでしまう。そこにまで気が回らないあたりまだまだですね。という軽口なども直接言えず、しかもこうやって日記に書くということができるようになってしまった。なんたる鉄面皮、なんたる厚顔。彼らと自分とを比較するのも本当はおこがましいが、それでも相手を”敬して遠ざける”ことでダメージを減らそうとするのは止める。自分には自分のやり方があるし、どれだけ相手が優れていると感じられようがあくまで対等の立場で、尊敬はするが敬遠はしないという意識を持って、場に踏み込んでいく。
バスケはチーム対抗試合。落合第二中。遅れていってチーム分けが済んだあと、追加メンバーとして参加する。若くてうまいプレーヤーが「高さが足りなかったのでありがたいです」と言ってくれる。この人はチームの雰囲気を良くするタイプの実力者でこのチームの柱だった。高さを評価されると謙遜でもなんでもなくすこし申し訳ないような気持ちになる。ゴール下の存在感はそれなりに発揮できるつもりだが力押しに押されると押されたままのかたちにへこんでいく段ボール守備しかできないので試合形式になるとチームメイトにとってはなはだ心もとない存在になるという自覚があるからだ。チームのために押し返すという気持ちもないし。怪我するのも痛いのも嫌だし。せめてもと一生懸命に走り回っていたら、終わったときに久しぶりに体力ゼロ状態になった。しかもアドレナリンが出ているのでゼロ状態に気づかずに最後までシューティングをしたりカットインのステップを踏んでレイアップをしたりしてしまった。帰り道で急に疲れがどっと押し寄せる。電車の中でぐったり。這々の体で帰宅。
2026/11/02 昨日 5758
一日在宅。休息日に当てる。NBAを見る。クリッパーズvウォリアーズ、流し見だったが八村がなかなかの活躍をしているように見えた。昼ごはんにお米を炊く。家人の作ってくれたニラレバと味噌汁。昼寝をしたあとプッシュアップ1分10回繰り返しチャレンジほか、Google Healthのワークアウトなど。定時退勤してから雨が止むのと家人を待ってユニクロに出かける。NEATやcomoli、AURALEEのパンツを見てどれにするか考えてから一度どういうのがいいかユニクロで試着してみるという趣向。黒のパンツはこれでいいだろというのが見つかり一気に3本買ったものの、もともと見ていたブランドのパンツのことを考えるとかなりの節約になった。Cのバレルパンツ、バレルジーンズを2本、Uのイージーワイドパンツを1本で合計13000円。帰りにビレバンに寄ってブルージャイアントモメンタム9巻を買う。ダイエーに寄るながれになって危うかったがすんでのところで酒を飲まずに済んだ。ダイエーに行けば氷結を買うことは避けられなかった。だいたいその程度にはアル中だ。チャンスの時間の桃色落語での国崎のパフォーマンスを見る。オダジョーに指摘されていた”吐息演技”に拍車がかかっていたが、あの迫力を出せる人間が他にいるかと思われるほどの圧巻の演技で、笑うには笑ったが笑いの種類がいつもとはちょっとちがう感じがあった。はっきり言って怖ろしかった。わたしを構成する漫画とゲーム9本を考える。早く寝るつもりがくだらない短動画を見て夜更かししてしまった。
2026/11/03 今日 1676
9時前に起きだしてスタバに出かける。行きの道すがらバランスサポートブレッドを食べる。『暗夜行路』を読む。日記を書く。出来事がたくさんあってもっと詳細に書ければいいのだが日数が溜まっていたせいでだいぶ端折らざるを得なくなった。夢にしても面白い夢をたくさん見たのに、その全部を忘れてしまった。お笑いの現場に立って考えがまとまらないうちに振られて無理くり何かを言ってはシラケさせるというような内容の夢を複数回見たような感覚がある。一度の夢で何回もそういうことがあったのか、複数回そういう夢を見たのかも思い出せない。とにかく千鳥の大吾は全然優しくなかった。文化の日だがバスケに出かけようか考え中。一旦昼食のために帰宅した際の家人の提案次第だが、たぶん行くことになると思う。13時すぎにスタバを出る。