20260925

日記802

業者たちのシーン

2026/09/23 一昨日 10092
14時すぎにスタバを出てバビシャーでチーズナンを食べる。腹ごなしにゆっくり歩いて帰宅。大相撲を見る。17時半すぎに家を出て新宿のどん底へ。そこで家人が待っており、はやしさんのライスとチャーシューをいただく。チャージ料があり酒の値段もそこまで安くはないが、チャーシューがとくに格安感のあるボリュームで満足させられた。その後に映画を見る予定があったので酒を飲めなかったこと、遅めの昼にチーズナンとナンのおかわりをたっぷり食べていたことが悔やまれる。また行きたいと思った。
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか』を見る。内容は予想していた通り重かったが、演出がきちんとしていて見づらいところはなかった。ヴェネチアに出品された映画なのに上映館が少なすぎる。個人の苦悩に併走するかたちを崩さないのだが、社会構造の問題点をえぐり出してもいる。戦場を作ることは間違っている。戦場を作るようなことをするのは間違っている。戦場で正しいことをするのは不可能だ。だから出だしのところで間違わないようにしないといけない。歴史のような広い射程で見れば、オデュッセイアの世界ではネルソンさんの苦しみは相当少ないのではないかと想像する。それに彼らにはネルソンさんがなぜ苦しんでいるのかが部分的にしか理解できないはずだ。だから世界は確実に進んでいるということは言える。
この日は酒を飲まないで帰ってすぐに寝た。


2026/09/24 昨日 17927
一日在宅。朝礼も定例もなかったので仕事は本当に何もしなかった。『ドラフトキング』を読む。TCBのふたりが面白いと言っていたのと有吉がSNDで一番好きだと言っていたのが決め手になった。しかし野球が好きではなく、より正確には嫌いなので、楽しむための基盤というか土台がぐらぐらしたまま読むことになっている。感情的な揺れ動きはあるが、なんでこんな魅力のないスポーツのためにみんな必死なんだという根本的な疑念がぬぐえない。主人公は嫌な奴を演じている系で、彼の年長のライバルもその相似形なのだが、単純なマネーゲームとつまらない球技のために嫌な人にもなるという決意そのものにみっともないものがある。絵柄のせいかもしれないが野球選手に格好いいタイプやお洒落な人物が皆無で、基本的にモサッとしている奴らばっかりなのが自分のなかにあるリアルと整合していてそこは正直でわるくないと思った。今野球に夢中な人間というのは総じてあんな感じだ。彼らはもちろん大谷がどうとか言っているライト層も早くいなくなってほしい。ボールの硬さひとつとっても馬鹿馬鹿しいスポーツなのは間違いないのだから。大相撲を見てから定時退勤。バスケに出かける。落合第五小。中一日の休みだったので脚の疲労は完全には抜けず。だらだらプレーに終止して、不完全燃焼気味で終わった。やるんだったら真っ直ぐハッスルを目指せ。ここのところとくに3Pに凝っていて、毎回すこしずつ感じを掴めている感覚がある。しかもそれが蓄積していっているのを感じる。このあたりは密にバスケをしている効果なのかもしれない。身体が十分に温まってからロングシュートを狙うべしというノウハウも掴んだ。
この日は飲まないでもいい酒を飲んだ。有吉の壁のヤマダ電機回を見て寝る。

2026/09/25 今日 4586
一日在宅。『ドラフトキング』を読む。仕事は溜まったメールを読むのと積み残しタスクの消化だけ。大相撲を見る。定時退勤して美容室へ。白髪ぼかしをしてもらう。永原真夏のムーンライトを聞いてからスタバに移動して『存在と時間』を読む。日記を書く。ここ最近昼寝時も含めてたくさん夢を見ているのだが全然内容を覚えていられない。ボイスレコーダーを枕元に置く運用を真剣に考えてもいいかもしれない。夢の中身を小説に移しても著作権に引っかからないのは大きい。使えるものは全部使えというのは基本中の基本のはずだ。

20260923

日記801



2026/09/20 一昨昨日 19314
雨のなかバスケに行った。大雨の影響か季節柄か、体育館に毛虫がいたりして開始前に気分が落ちることが危ぶまれたが、始まってみればプレーは好調、メンバーも上機嫌で、とにかく楽しかった。リバウンドを褒めてもらえたのでたくさんジャンプをする回になった。自分史上一番高く飛んでリングに指がかかったりもした。
帰宅して家人が作ってくれたシマホッケのみりん干しの焼きを食べる。たのしいたのしいで酒も飲んだ。


2026/09/21 一昨日 5288
強雨のため一日家にいた。14時すぎに友人B、15時すぎに友人Nが来てボードゲームで遊んだ。Nが来る前にはスイッチのオインクゲームズで月面探索を遊ぶ。3回やって初回以外はクリアした。Nが来てから家人も参加してボードゲームで遊ぶことに。チャオチャオとドミニオンはともに却下され、だったらとヤケで提案したアズールをすることになった。自分はべつにやりたいわけではなかったが他三人のやりたいゲームでもなかったようなので、投票多数決で決めるよりはひとりのやりたいゲームをやるという意思決定のほうが適している場面だったと思う。アズールの勝者が次にやるゲームを決めるという話だったが、なぜかNのプッシュでタイムラインをやることになる。勝てなかったのもあるが面白くなかった。細かいルールの付け方で盛り上がり方が変わるはずなのだがNにはそういうルールの提案ができない。やりたいゲームはあるがちょっとしたチューニングをする気配りもそういうアイデアもない。まあ酔っ払っているとなんでもいいということになりがちだし実際なんでもよかったのだが。雨足が弱くなっていたので下北沢までふたりを送る。映画『オデュッセイア』の話をする。自分は本作の画面作りというかイメージの鮮烈さをかなり高く評価しているのだと気づいた。だからこそハリウッド的なクライマックスのわちゃわちゃが許せないという論旨だった。Bはクライマックス含め評価しているようだった。Bの映画評は基本的に辛いのだが、ハリウッド映画のハリウッド映画らしさに対する批判はなぜか抜け落ちているように思える。「ご都合主義」という批判の文言は出ないからスタンスに大きく矛盾はないが、ハリウッドの文法やその文法の都合で進む場面や筋が見えていないような適応具合でいながらたまに「リアリティ」という言い方をすることがあり、リアリティもひとつのフィクションにすぎないという観点に欠けているのかもしれないと思わせるところがある。NはIMAXレーザーにしないというムーブをしていて、勘所を押さえようとしていないのか、たんに勘が悪いのか、その両方なのか、その両方なのだろうという結論になった。見るときに感想で自分を表現しようという気がありすぎるのだと思う。だから同じ作品を見て感想を言い合うという感じにならないのが、ここ数年で彼と感想を言い合うのを避けようとしている理由だ。感想を言おうとして飛び出した言葉にずっと振り回されているし、乗っかっても否んでもそれに付き合わされることになる。
帰って家人と『さよならララ』を見る。タイトルに込められた悲哀の表現が直接俺を狙ってきたのかというぐらい琴線に触れる。網干行きの発車メロディのノスタルジー。心が痺れたようになり、見終わってしばらくのあいだ休憩が必要だった。翌朝のバスケに出ることに決めて早寝する。


2026/09/22 昨日 28777
9時からのバスケに行く。落合第二中。足が痛んでその分楽しさが目減りした。が、中盤以降アドレナリンが出てきてからは痛みが気にならなくなって機嫌を取り戻した。タッパのあるプレーヤーがいたのでディフェンスが大変だった。スリーポイントの練習の成果が出て3本打って2本入った。最後のほうのシューティング時にタッチを掴みつつあるシュートを放てた感覚があった。最近ではフォロースルーのゼロポジションを意識し、上ではなく前に押し出すイメージを強くしている。
代々木公園に移動。代々木駅近くのすき家で牛丼特盛を食べる。ビールを買って公園のドッグランに移動。酒を飲みながら犬を見ながら友人Nとその娘を待つ。合流後は彼女の歩く様子を見るのが主になり、犬たちがまとめて後景にしりぞいた。Nの妻・Nの娘の母とも合流し原宿に戻る。原宿、代々木上原でそれぞれNたち、Bと解散し帰宅。パッタイを食べて大相撲を見る。あまりの睡魔でよくない時間にうたた寝しそうになったので家人を伴って下北まで散歩する。涼しくてとてもよい気持ちだった。ホルモン青木で肉を焼いてハイボールを流し込んでから帰宅。
この日も早めに寝て正しい睡眠サイクルを取り戻そうとする。


2026/09/23 今日 2376
8時に起きて9時に出かけるまでゆっくり支度をする。スタバに行って芥川の短編集から『運』を読む。話の導入や運びがうまいし、言葉の選び方に気韻がある。良い席に座れたので日記を書く。自分が小説を書くことについて思っていることを整理しようとして次の文章を書く。
小説を書くということをわざわざやるのであればオリジナリティにはこだわりたいと思っている。つまり、自分の制作によらない文物の存在を前提とした作品を作るのは、それが導入なりイースターエッグなり、ちょっとした仕掛けのひとつという位置で登場させるのではないかぎりやりたくないということだ。今流行っていたり昨日今日注目を集めるようなイベントを作品に直接反映させるというやり方には、作者自身がそれをどう意図しているのかはさておき、きめこまやかなタイムラインを後の世に復活させるという名目は立つ。ようするに資料的価値の提供だ。つまり自分たちは日日こういうものに注目させられてきたという記録を残すことの役に立つとは言える。しかし、自分としてはわざわざそんなことを自分がやらないでもいいと思う。それにそもそも小説という形式がそれに適しているとも思えない。資料的価値をもつと言っても、なんらかのかたちに歪められたそれは他のたくさんの資料との照らし合わせにおいてはじめて価値が出るたぐいの参照項のひとつでしかない。整合性の観点からも、どのように歪められたのかというのは部分を参照するときに外されるモザイクのような取り除かれるべき障害物としてしか扱われないだろう。それが妥当な操作であるかどうかはおいても、そのようにパズルを組み立てるときのお邪魔ものとして、自分自身のもつ歪みとその結晶を矯めようとされるのは本意ではないのではないかと自分は思う。機械的な操作(ワンクリックもしくは自動翻訳)によって簡単に外されるロックとして自分自身の歪みを扱われ、実際、大方その通りでもあり、さらにそうなったときにはすでに反論のしようもないというのは、歪みの主体にとって悲しむべきことだ。そういう悲しい面を見せることで、そのときに在るべつの歪みの主体を尻込みさせるようなことはしたくない。もっと言うと彼らの反面教師にはなりたくない。
小説を書くのはセラピーではない。小説を書くのは自己満足ではない。
これは自分の書いた小説だというものを書きたい。自分を取り巻くさまざまなものによって書かされたという面はどうしたって出てくるものの、書いたのは自分だといえる小説を書きたい。そのためには他人の制作物をみだりに使うべきではない。それによって注目を集めるのは多くの人に読んでもらうためには必要なことだという論理はありえない。それをすることで自分の書いたものだと言えなくなったらそもそもの意味がなくなるからだ。
これは自分が書いたものだ。読まれないのは自分のせいではない。心底からそう思える小説を書きたい。それが書けたらその時点で人生は成功だ。それから先は人のために作品を宣伝する活動をして過ごせばいい。「これが良い」というものを持っていてそれを人に薦められる生活は、それ以上ないほど気楽なものだろうと思う。逆に言えばそれがないかぎり気楽さはつねに足りない。信仰を持つことの一番の利点は気楽さを得られるという点にこそにあるのだろうと想像する。ある意味で自分を捨てることでしかその道は開かないのだろうから、それは選択肢に入らないが、どうにかして気楽さに到達したいと思ったとき、自分には小説があった。
最終的にその気楽さが手に入らないままで終わるにしても、それを目指していることですでに気楽さをいくらか得られている。結局、気楽さを得るためには自分で作った自分の目的をもつことだ。それはセラピーではない。どこかへ達しようとする人生はべつに病状と呼ばないでもいいからだ。それは自己満足ではない。満足できるまでやって実際に満足できたとしても、満足したらそれで終わるというかたちは取らないからだ。それを薦めようとするフェーズがあとに続く。
言葉を使って表現することは、他人のなかに存在しようとすることだ。その表現を通して自分を他人のなかに存在させようとすることだ。他人のなかに存在する仕方はいろいろあるが、自分が一番得意なのは小説を書くことなのだと思っている。べつのやり方ではうまくいかなかったり、自分でこうしたいと思うほど上手にできなかったりする。これは言い訳だが、フィードバックが早すぎて試行が場当たり的になったり、その場しのぎになったりする。ときたまそれらのうちのどれかが上手くいったとしても、瞬間の印象を点々と残す・点在することしかできない。もっと贅沢に一定の期間をもらって線を引きたいし、面として当たりたい。さらに厚かましいことを言うなら体を形成したい。小説以外にも得意はいくつかある。ただ、立体的に存在するところまで存在級位を推し進めようとするのなら、自分には小説がもっとも適している。これは感覚的に自明のことだ。
人は小説を読まないとか、人はじゅうぶんな器や容積を持たないという事実もある。それでもそれは一定の事実にすぎず、すべての人が小説を読まないわけでもじゅうぶんな器を持たないわけでもない。自分としては全員の可能な全員に向けて小説を書くというスタンスを崩すつもりはないが、そうは言っても全員に自分の小説を読んでもらうわけにはいかない。社会の努力が結実し、もしも全員に小説を読む時間が確保されたとしても、読む小説には正しい順序もあれば優先順位もある。その順番抜かしをして自分の小説を読めとは思えない。そうすると正味の読者量は相当絞られる。霞を食って生きないかぎりそれで生計を立てるというのは不可能だ。これを書いていて気づいたことなのだが、自分の小説が読まれるべき小説が読まれることの障害になることがある。これは意想外だった。自分が文学フリマに感じる違和感のもっとも大きな部分は、ある文学作品が読者の時間資源を消費し、本当に読まれるべき文学作品が読まれるための時間を奪い、文学に背を向ける結果になっているところにあるのだが、これは自分の小説にもまったく同じことが言える。相当程度に辛抱強く読書を続け、しかもアンテナをあらゆるところに張り巡らせていないかぎり、そもそも自分の小説の読者にはなりえない。だから結局、読者はひとりいれば御の字だということになる。その意味でもこれは自分の書いたものだと言いたいというのは決して誇張した大目的ではなく、事実としても最大目的そのものだ。そうは言っても何人かは読んでくれるだろうというのは非常に甘い見立てで、根拠のない夢想に過ぎない。だからどこまでいっても書くことが目的ということでいいし、そうでしかあり得ない。それでも書きたいのであれば書けばいいし、そういうことならさすがに書かないというのならそれもいい。ただ、書いて完成までもっていければ、すくなくとも自分だけはそれを読める。自分はそれを励みに書こうとしているし、それだけのために書いてもいいと思っている。そうだとすれば、作品が誰かの制作物を前提としたものにならないというのは根本的な条件にもなろうし、わざわざそんなことをする意味がないというのも理解できることだろうと思う。何かが面白くてそれを取り入れるというのも、単にそれを見返したり読み返したりすればいいだけのことで、自分の小説として他人の制作物を振り返る意味がない。

ストローとしての役割しかこなせないというのでもいいが、それにしてもある程度の長さは必要だろうと思うので、まずは浅い呼吸を見直すべきだという主旨がある。自分は一介の文学者にすぎず、小説家になるつもりはないからそういうことを思うのかもしれない。

20260920

日記800

ビクトリー

2026/09/16 四日前 14468
一日在宅。強い雨の降るなかバスケへ。落合第五小。帰ってから家人の作ってくれた鶏の胸肉の片栗粉まぶしピリ辛焼きのご飯を食べる。さよならララを見る。まりの「まだ死ななくてもいいんだよ」というセリフとED曲の入りが完ぺきで、ぐーっときた。今さらながら滋賀県が舞台というのもやはり大きい。


2026/09/17 一昨昨日 14210
午前在宅。午後から出社。10月から所属変更になるので新上長との顔合わせ兼打ち合わせ。今の上長とは相性がよいのか伸び伸びとやれていて文句のひとつもない。だから変更になるのはプラスよりマイナスが多いだろうと思うので微妙だ。しかし長くても残り半年なのでどう変化してもいいやと適当に構えていればいいと気を取り直している。帰宅即狛江へバスケ。なのに一駅乗り過ごして時間のロスになる。バスケに遅れるのは仕事に遅れるより何倍も嫌だ。あわてて移動する。15分ほど遅刻。狛江第四中。連日のバスケで脚の疲労感が強いのをカフェインでごまかす。いつもよりリラックス度合いの高いプレーをした。なんちゃってストリートボールスタイル。


2026/09/18 一昨日 7575
一日在宅。『存在と時間』を読む。やっと1巻を読み終える。定時退勤して職場の飲み会に田町まで出かけていく。新しい人と話したりするのは楽しい。いい加減なことを適当に喋って突っ込んでもらったりもらえなかったり。ベルサイユの豚という気の利いた店名で肉が売りのようなのだがほとんど食べずにハイボールを飲んでばかりいた。基本的に楽しいことしかないのだが飲み会が終わるといつも疲れが出る。一時的な疲れだとわかっているので「俺は悪くない」との独り言と他責思考で乗り切る。


2026/09/19 昨日 4165
一日家にいてだらだらと過ごす。朝早い時間に目が覚めてしまい寝不足になったことで一日のクオリティが落ち、すべての進捗が停滞気味になった。ここ1週間でまた天鳳にハマって麻雀しているのも時間の使い方の面ではよくない兆候だ。『漂流教室』を読んで読書会に参加する。『存在と時間』について何かを言うことのむずかしさにばしっと直面してしまったが、他の人の話を聞いているのは楽しかった。16時半から19時前ぐらいまで。その後散歩しつつ飲みに出る。Peelを飲みご飯を食べてすぐうたた寝をしてしまう。23時近くに目が覚めてしっかり寝ようとするが寝つけず。2時ぐらいまで起きて『漂流教室』を途中まで読む。アーセナルがブライトンに0−3で完敗していた。


2026/09/20 今日 691
この日も一日家にいてだらだらと過ごす。雨が強いので出かける気にもならない。天鳳はしていない。『存在と時間』の2巻にとりかかる。『漂流教室』を読む。大相撲を見る。18時から落合までバスケに行く。落合第五小。

20260915

日記799

高円地帯

2026/09/14 昨日 17120
バスケに行ったが、案の定ぜんぜん走れなかった。走行距離はいつも通りだったと思うが、ここというときのスプリントがまったくできず、だらだらと走り続けていてこれという印象的なプレーもできなかった。3P試行するも成功せず。自分のリズムだけでチームの雰囲気を無視して打ったトップからの一本は後ろからのマークに気を取られて大きく左右にズレた。打った瞬間に外れたとわかるショットの数をまずは減らしたい。そのあと「イケる」と思ったのに力加減が足りずエアボールになるショットを減らしていく。しかしシュート試行そのものはどんどん増やしたい。疲労で足が痛む。足を引きずり気味にして帰るが、高円寺駅まで歩くあいだに氷結無糖シークワーサーの500mlを飲む。ほとんどやけ酒だが気温が涼しいので気分はわるくなかった。帰宅してセブンで買ったチーズハンバーグをボイルしてご飯といっしょに食べる。千鳥のチャンスの時間を見て夜ふかししてしまう。マジギレ相談室のラインナップ(アンジャッシュ渡辺・引き締める女・ダウ蓮見・永野)はバランス含め完成度が高く、ひな壇のさや香新山、そいつどいつ刺身は役割を全うしていて、実際誰が相談に来ても面白いと思う。トットの桑原が「弱い相談」を持ってきて、しかも桑原の語りを崩さずにヘラヘラというかしなしなしていてやけに面白かった。


2026/09/15 今日 4765
朝から出社。午前中に仕事をガスガスこなす。出すべきメールを作成して午後に出す分と定めて午後から在宅に切り替える。遅めの昼ご飯でセブンで買った黒酢の肉団子をボイルして冷凍ご飯をチンして食べる。30分昼寝。大相撲を見る。大の里が立派な横綱相撲をしていて復調のきざしを見せたのがよかった。30分近く残業してから大の里による結びの一番を見届けてスタバへ。もうすぐ閉店するという代沢のスタバに行ってみる。ドリンクは高いが居心地はさすがに良い。途中白黒で毛並みの長い大型犬が入ってきたのもよかった。賢そうなボーダーコリー(?)だった。『存在と時間』を読む。他人の存在について、と自分のなかでテーマを定めて読むと内容が入ってくる箇所だった。26節「他者たちの共現存在と―」。二人連れの女のうち、よく声の通る女がずっとうるさい。「40歳のババアだから」と自分を下げる発言をしている。「30歳のババアだから」なら30にもなってみっともない言葉遣いをしていて悲しいね、で済むが、40歳で同じことを言うのは目も当てられない。話の中で「この前はじめてちいかわを見た」とか言っていた。お前みたいなもんにはちいかわがお似合いだよ。21時半までいてやっと帰った。26節を読み終わり日記も書き終わったので酒を飲んで帰ることにする。帰ったらTverで有吉クイズを見よう。楽しみにしていたメモドライブの第三回。今回はとくにメンバーが良い。

20260914

日記798

ラック

2026/09/12 一昨日 11028
午前中は『存在と時間』を読む。昼すぎから南町田へ移動。途中の中央林間の大戸屋で遅めのランチ。もろみ炭火焼きチキンW盛りとご飯特盛。グランベリーパークの109シネマのIMAXレーザーで『オデュッセイア』を見る。いろいろ感想はあるのだろうが、この作品でないと得られない独特の体験があるのはたしかだ。それを補完するためにもIMAXレーザーで見るのは必須だと思う。気になったところは、ハリウッド映画の制約からクライマックスで派手なバトルシーンがあってオデュッセイアが大暴れするお約束シーンが用意されていたことだ。映像的なゴージャスな質感が台無しになるほどではないが、それでも物語のトーンがハリウッド映画じみたものに引き寄せられたのがもったいない。そのまま田園都市線で三茶に移動。酒を飲みながら歩いて帰る。FIGに入ってご飯を食べた。グラタンなどのチーズを使った料理がおいしい。食後のデザートのプリンもカラメルがパリッとしていておいしかった。200円というのは驚きだ。そのほか全体的にこの店の価格設定は安すぎる。


2026/09/13 昨日 16883
朝から『存在と時間』を読む。1巻の終わり近くになってやっと文章に慣れてきた。天幕のジャードゥーガルの最終回を見ながら昼ごはんを食べる。ゆっくりゆっくり進んでいくなと思っていたら尻切れトンボのように終わってしまって驚いた。正直第一話が一番面白かったと思うが、ラスボスを善人でなおかつ良君にするのがチャレンジングで最後まで見届けたい気持ちになっただけに終わってしまうのは残念だった。大相撲初日を見る。高円寺までバスケに出かける。イマジナス。3Pシュートにチャレンジした回だった。一本だけ決まった。外れても打つことが大事だと思って打った。最寄り駅まで車で送ってもらい、帰ろうとしたところ家人から厚揚げのお使いをお願いされる。セブンにもローソンにもなかったのでまいばすけっとまで行く。家人を呼び寄せて荷物を持ってもらう。帰り道で予定外のPeel(7%500ml)を飲む。帰宅後ご飯を食べてからシャワーを浴びて12時すぎに寝る。


2026/09/14 今日 2337
一日在宅。『存在と時間』を読む。明日できることは明日やるをモットーに仕事はまるまる積み残す。卵焼きを作って昼ごはんにする。食べてから昼寝をして腕立て伏せ。大相撲を見てからバスケに出かける。連日はよくないとわかっているのに我慢できない。高円寺学園。この日も3Pの挑戦と走ることを意識してやろうと思っている。

20260911

日記797

グリーンライトを探せ


2026/09/09 一昨日 18221
朝から出社。昼から在宅に切り替える。定時すぎに退勤し、バスケに出かける。落合第二中。最後のゲームで3Pを決めるなどして逆転勝利に貢献できた。攻殻機動隊が面白かった。一言でいうと意義あるアニメという感じがした。最終回のクライマックスを対話に持っていく構成(攻性)が見事だ。聞くと突飛というか、わりと奇抜なことをしているはずなのだが、そう感じさせない10話の組み立てになっている。円城塔のワークだ。


2026/09/10 昨日 17224
朝から出社。一日オフィスにいた。久しぶりに社食で昼ご飯を食べる。たまったタスクをここぞとばかりに消化する。定時退勤。バスケの練習回に出かける。狛江第四中。3Pの打ち込みをしようという明確な目的があった。トップ、45度×2、コーナー×2でそれぞれ20本ずつ決めれば合計100本になるというワークだった。2時間まるまるかけて98本で終わった。最後トップで残り10本になってから感覚が良く連続で決まっていったが、ぎりぎり時間内におさまらなかった。シュートの打ちすぎで肘の内側が筋肉痛になりかける。普段の練習では筋肉痛にならない箇所だ。率からいって外したシュートの本数は5倍じゃ効かないほどなので投球数自体かなりの数になるし、筋肉痛になってもおかしくない。


2026/09/11 今日 6279
朝から出社。ジョックロックのラジオをYoutubeで聞く。ゆうじろうが福本に対して溜まった不満をぶちまける回で、なぜかおすすめに上がってきたので通勤時間を中心に聞いた。ゆうじろうの福本に対する不満は、福本が”大人の対応”をするだけあってわかりやすい問題行動に根ざしたものではなく、ちょっとした仕草やノンバーバルなコミュニケーションの端々にあらわれる若干の(ゆうじろうの気のせい勘違いレベルかもしれない)トゲトゲしさに起因しているだけあって、どういうところが不満なのか、一例でいいから具体的に教えてみてよという福本の差し水ではうまくゆうじろうのペラが回っていかない。具体的なエピソードして話せないため、会話というコミュニケーションにおいて、しかもラジオという聞かせる会話というやりとりでは、ゆうじろうの分はあまりにもわるい。年次でもコンビ間の役割分担でも立ち場が下になることもあって、どうしても福本が大人で、ゆうじろうが子供に見えてしまう。しかし子供の言い分にも、言い分にではなくてもすくなくとも感じるところには一部の理もあるはずで、福本は大人なだけあって”ゆうじろうが言わんとしていること”はわかるはずだという気がする。ゆうじろうがコンビの「関係が悪い」というのは、作者自身も良いと思わずに出してきているような成果物に対して、受け取る側としても無責任に良いとは言えないが、それをそのまま伝えることはできず何かしらの反応をしなければならないという負担に根ざしているように思われる。福本は「人としておかしい」などという言葉で、社会通念や常識を盾にして「社会人だったらあり得ないだろう」という正論じみた議論の展開をするが、はっきり言ってそれは周縁の話であるにすぎない。とにかく問題は、自分自身で、半信半疑ではあっても最終的に「これが良い」と自分に対して言い切れるものを出しているのかというところにある。そう思っていないのに、自分自身で良いと思っていないのにそれを出してくるというのは本末転倒しているじゃないかというのがゆうじろうの主張だと思われる。それに対して「俺は時間外労働で寝る間も惜しんでネタを書いている」というのは、おそらく社会通念的には通用しても、表現において通用する言抜けにはならない。いや、実際にはその言い分は社会でも通用しない。ただ社会における多くの仕事はそこまで難易度が高くないから、時間をかければなんとかなる場合が多いというだけの話だ。おそらく社会でも、期待される内容に到達していない成果物は、たとえ「寝る間も惜しんでやりました」と言ってみても通用しない。だから福本がどう思っているかどうかを別として、ゆうじろうが「良いと思ったら良いと言うし、良いと思わなかったらそう言う」というのはそれしか正解がないレベルで、正論の域を越えて正しい。福本が今どうやっているのかわからないが、作ったネタを完成品のラベルを貼ってゆうじろうに見せようとしているのであればそれはやめるべきだ。そもそも、それが良いか良くないかを真剣に考えようとしている相手に、自分で良いとは思えないものを出すべきではない。しかし、良くなるかもしれないがまだその引き出し方を見つけていないものであればそれこそ積極的に出していくべきだ。ふたりで作るというのは簡単なことではないかもしれないが、それでも未完成品を完成された作品の体裁にして出すことよりは気の利いた方法といえるはずだ。ゆうじろうは不満を打ち明けようとしつつ、自分にとって言葉にするのが難しい部分については無理に言葉にしてミスディレクションする愚をおかしておらず、言葉遣いにも彼なりに気をつけ、総じて立派な態度だった。福本は真面目だが、自分の真面目さが多くの盲点を作り出してしまっていることに無自覚な、社会通念をお上としたせまい枠内でしか活きない生真面目さで、あまり見栄えがしない。真面目であることを意識してやめるべきだと思われるが、社会通念の枠内で見せるお笑いをするのであればそのままでもいいのかもしれない。その場合はジョックに改名したほうがいいと思うが。
昼すぎに打ち合わせがあってファシリテートする。知識・経験・やる気が最低の人間にファシリテートの役割が回ってくるのはどうかと思うが、各歯車が優秀なので邪魔さえしなければ勝手に回り、30分でしっかり結論が出る。議題のひとつを完全に忘れていてそのまま会議を切り上げようとして参加者にフォローしてもらう始末。恥ずかしさもありアハハと照れ笑いを浮かべてみたがリモートなので誰にも届かず。Viva Teams.
在宅に切り替える。ぶっ豚を食べようとしたが15時半〜17時までの休憩時間にぶちあたり、仕方なくコンビニでスパゲティを買って帰宅。300gを茹でてミートソースをかけて食べる。ここ最近うっすら睡眠不足気味なので昼寝をしてから退勤。すっかり涼しいなかスタバへ行く。『存在と時間』を読む。日記を書く。
家人からラインがある。「立川まで辻井伸之のピアノを聴きに行く途中、立川駅で靴をホームから落とすハプニングに見舞われて遅刻し、入場が危ぶまれる事態に陥った」とのことだった。実際に自分自身の経験だったら1週間単位では最大のトピックになるだろうなと思った。駅員に拾い上げてもらい、無事間に合ったとのことでよかった。

20260908

日記796

中にある


2026/09/02 六日前 19151
午前在宅。午後から霞が関で提案。緊張したが当たり前のように説明をこなす。緊張するといっても昔よくあったような手足にガタガタくるほどの緊張ではないので自分としてはこれを緊張と呼ぶのにはすこし違和感がある。飛び出しで体育館に行ってバスケ。中野第五中。楽しかったというすでにかなりおぼろげな記憶がある。録画映像を見ないとどんなプレーをしたのかも覚えていない。記憶はとにかく薄れる。わりとすぐ存在しないレベルになる。しかしもちろん存在しないわけではない。端末やクラウドに保存したデータがそれを証明してくれる。帰って家人が作ってくれた焼きそばを食べる。ポン酢の味付けなのだがにわかに信じられないほどうまかった。


2026/09/03 五日前 18182
午前在宅。午後休をとって東京医科大学病院にいく。初診なのだが14時に行って診察が16時から。たっぷり2時間待った。普通であれば許さないのだがちょうど全巻100円セールで『エアマスター』を買って読んでいたところなのでそこまで機嫌を損ねることはなかった。途中、見るからに症状の重い患者が待合にきたりして、こんな小さなことで気を悪くする自分のちっぽけさに直面させられたが、それも15分と立たずに失われてふたたびムカつきが顔をのぞかせることになった。検査代もあわせて12000円ほど支払うことになった。健康を維持するためだとはいえ手痛い出費だ。吉野家で牛丼を食べる。一旦帰宅し、この日も連続でバスケに出かける。狛江第四中。疲労のため足の痛みが強く出たが、靴紐を一番上まで締めてみたところわかりやすく症状がやわらいだ。これまであまりよくないバッシュの履き方をしていてそのせいで足に余計な負担が来ていたのかもしれない。バスケはリラックスして楽しめる回だったので楽しんだ。自分が上手な部類に入るいわゆる体育大会レベルのバスケに特有の楽しみがある。それに慣れると人は傲慢な人格になるのかもしれない。帰りに業務スーパーで米パック×10とキムチ400gを買う。最寄り駅から帰宅するまでの道で鱗雲が月明かりに照らされるきれいな空に出会い、気持ちを持っていかれた。涼しいということもあり、ここにすべてがあるという気持ちになった。ワンショットの国崎作品『空音』をまた見て寝る。また夜更かししてしまった。


2026/09/04 四日前 11001
朝から出社。15時ぐらいまでぶっ通しで働き、打ち合わせが終わったタイミングで帰宅する。30分ほど在宅勤務して退勤。友人Nに下北まで来てもらって飲む。普段の通り外を歩き飲みしていたが雨がつよくなりそうになったので店に入ることにする。みるくかKappaで悩んでKappaに入る。日替わり店主の当たりがよく、3杯ほど楽しんで飲めた。彼の心遣いで蛇酒のショットをご馳走になる。友人と仕事が楽しいということは可能かどうかの談論をかわす。いまの仕事でも楽しいと自分を誤魔化すことは可能だがそうしたくはないというのが自分の主張だが、相手は誤魔化すとかではなく心からそう思えるという。あきらかに頑張っている人の言うことだが、彼は頑張ってその職に就いたわけではないし、働き方を聞いていても特段頑張っているとも思えない。それでも何でも面白いという立場を取れば成り立つとは思う。しかし彼の話を聞いていると見聞きした作品に対する彼なりの文句も多く、その部分との整合性が取れないことになる。自分を棚上げしてしかも棚上げしていることに気づかないという特殊なスキルがあればそれも可能だが、はたして。23時半に解散。


2026/09/05 一昨昨日 6943
一日家にいて『存在と時間』を読む。単純にかけた時間を思えばもっと読めたはずとは思いながら、集中力資源のことを考えるとまあ上出来ということになる。しかし日記を書けばよかったとは思った。家人が買ってきてくれた昼ごはんの鶏肉が倍量になったお弁当の残りをそのまま夜ご飯にして食べる。一日座っていた腹いせに下北の街に出かけることにする。適当にBUZZ STOREに入り、家人がカーゴっぽいパンツを買う。自分も暖色アースカラーでストライプの薄手シャツを買った。肌寒かったのでそのまま羽織って帰る。この日の買い物の仕方はお洒落だった。


2026/09/06 一昨日 30145
9時からまもりやまテラスでのピックルボール会に参加する。雨のなか急いで歩き5分遅刻。人数が多すぎてパドルを振る回数は少なくなるが、それでもピックルボールは面白い。荷物を置いて、スパゲティを食べてから東京駅へ。東京にきている友人Tと会う。目当てのカフェは満席。飲み食いできる場所を探すがこれという場所が見つからず、丸の内をぐるぐる回る羽目になる。結局八重洲側の一番街にあるNoodle Houseに入る。バスケの予定があるので烏龍茶で済ませる。シークレットゲストとして友人NとBを呼び寄せていたが、うまく軟着陸がかなって和やかで楽しい会になった。一か八かと思っていたが良い方に転んでよかった。
友人Tを新幹線改札まで見送り、NBと高円寺に移動する。バスケが高円寺であるのでこちらとしても都合よく、大将という店に入ってバスケの時間まで同席する。せっかくの良さそうな店の軒先席なのに自分はノンアルビールだけですこし悔しかった。涼しいし、雨が天幕を打つ音がちょうどいいBGMになっていてよかった。旅行の話やグルメについての話をする。もし値段が低かったらそこまで美味しいと感じない食べ物の話になり、カニとエビの価格が逆だったとしても正だったとしてもエビのほうが美味しく、エビの価値がでかいという好例を思いついた。味についてはとくに友人Nのことは信用がおけないと思っているので、自然と話を聞く姿勢も消極的になる。濃い味つけが好きだとか、場面によってはBもそうなのだが、それについては自分自身も場面によって全然美食家とはいえないところがあり同断だと思えるのだが、Nについてはそう思えないほど頓珍漢なので、ちょっとどうしようもない。彼は家族関連で高い食べ物を食べる機会が一気に増えたようなのだが、控えめに言って猫に小判、露悪的に言えば豚に真珠だ。高いものだから美味しい以外の何かを感じられているのだろうか。はなはだ疑問で、もはや逆に確信になってしまっている。
予定通り途中抜けしてバスケに行く。イマジナス。プレー強度の高い集まりなのでぜえぜえと疲れてしまうが、覚悟を決めて行ったので対応できた。具体的には気分を盛り上げて疲れを前に出さないようにコントロールするというやり方だ。強度があがると一気にシュートが入らなくなる。それでも何とかかんとかねじ込んだり外しても気落ちしすぎないようにして、尻上がりに調子を上げていけた。実際チームも中盤から終盤にかけて勝ちだして、最後の試合も勝利で飾れた。強い雨のなか車で送ってもらう。転職を考えていたらしく転職先が決まったという話をしていた。帰ってから家人作のハンバーグをいただく。ソースにマッシュルームをつかっていてポルチーニ風味でおいしかった。肉がぎちぎちに詰まって肉感の強いハンバーグだったのでソースがよいアクセントになっていた。シャワーを浴びて寝る準備をする。ハンターハンターを読んでから寝る。


2026/09/07 昨日 7573
一日在宅。時間はあったのだがほとんど何もしなかった。『存在と時間』をすこしだけ読み進める。雨ということもありどこにも出かけず、退勤後にスタバにも行かず、ゼロで終わるところだったのだが、これでは駄目だと強いて下北まで出かけて上から目線ストリート用に数枚の写真を撮る。それでギリギリ0ではなく1の日になった。家人謹製のポン酢焼きそばを食べる。あと乗せの刻み大葉が効いていておいしかった。


2026/09/08 今日 6960
ほぼ一日在宅だが、途中で渋谷に出かける。打ち合わせだけ済ませて帰宅。じめじめして蒸し暑い日で、駅から家までの徒歩移動だけでけっこう汗が出た。勝手に塩漬けしていたタスクからとうとう爆発の音が聞こえたのでしぶしぶ一次対応をしていたら1時間の残業になった。スタバに行って溜まっていた日記を書く。日記を溜めすぎていて本当は日々を彩っているはずのいろいろな細かい出来事をないがしろにしてしまう。腕立ては一応続けている。アニメは『さよならララ』『攻殻機動隊』『天幕のジャードゥーガル』を1話ずつ見ている。バラエティは有吉クイズのメモドライブをとくに面白く見た。19時すぎから20時20分まで日記を書いた。この後は家人とホルモン青木でちょい飲みにいくつもり。

日記802

業者たちのシーン 2026/09/23 一昨日 10092 14時すぎにスタバを出てバビシャーでチーズナンを食べる。腹ごなしにゆっくり歩いて帰宅。大相撲を見る。17時半すぎに家を出て新宿のどん底へ。そこで家人が待っており、はやしさんのライスとチャーシューを...