野生のラメロ
2026/08/01 昨日 9569
9時頃に起きる。アイスコーヒーを淹れて『罪と罰』を読む。大きいディスプレイに大きい文字で表示するという新しいKindleの活用法を見出した。そのおかげもあって読書が捗る。訳文がいいのか内容がすらすら入ってきてぐいぐい引き込まれる。20年前に初めて読んだときにさしたる印象を享けなかったことが信じられない。この日記にも以前書いたとおり、まだ読書習慣を確立できていなかった大学一回生の夏だったのもわざわいした。それにしても、それにしてもという感じだ。圧倒的に面白い。これがわからないということもあり得るのだからこわい。罪と罰は他のドストエフスキー作品に比べて明らかに凹んでいる印象でいつか再読しようと思っていたからこうやってサルベージできたわけで、そうならない作品もある程度の数あるのは確実だ。
もし大学生のときから自分の中身が変わっていないとすればかなり狭く限定された人間ということになる。今の時点から見てもあのとき以来たえず変わってこれている。そのことだけでも選んだ道がある程度成功だったといえると思う。頑固一徹というような良さ、漱石枕流という良さは自分にはないが、鋭い感性一本でやっていた高校生時代、新しい発見が立て続けに続いた大学生時代など、これまでに通り過ぎてきた時代の自分から”変わらない”という良さを持たない代わりに得られたものは多いはずだ。自分の感じとしてはアップデートというよりは、その都度その都度、羽化を繰り返している感じだ。
昼ごはんにそばを食べたあと、大久保まで家人が参加する室内楽を聴きに行く。ドヴォルザークの『新世界より』を通しで聴いた。漫画『ブルージャイアント』で演奏者が前に出るときに”ずいっ”と出る描写がある。あれはジャズでしかも漫画だからああいう描写であり表現になっているわけだし、ステージ立てなんかもクラシックとは違う。実際今回見ていても身体的な動きとして実際にずいっと出ていたわけではないのだが、演奏者自身にとって「ここは私のパートだ」というところに差し掛かったとき、ずいっと前に出る感じが見ていて/聴いていてわかりやすくあった。そしてその”ずいっ”という感じが、曲の持つ迫力と融合して、場の琴線を鳴らすことに成功していたように思う。張り詰めた弦が震えるみたいに、じーんとくるものがあった。
演奏会が終わったあと大久保から新大久保までを横断。歩きながら氷結無糖の期間限定「日向夏」飲む。モバイルバッテリーをコンビニで借りる一コマを挟み、旅行気分を味わえる趣向の韓国料理屋「まもなく仁川」に行って、食べ放題焼肉を食べる。焼肉はそれなりに満足感があったし、いくらでもサンチェという名のレタスを食べられたのは嬉しかった。そのほかハットグだとか流行りの食べ物をいくつか消化できてよかった。ただし、ロングポテトのコンソメ味が金魚の餌のような匂いをさせていて酸化した油で揚げているのかどうしても喉を通っていかなかった。その”とんでもなくマズい”にその他の印象を上書きされて終わってしまった。
帰宅後、バレーボールネイションズカップを見る。準決勝でアメリカにフルセットの末敗れてしまった。フルセットまでもつれることが決まったタイミングでアナウンサーがうるさいぐらい「ここまで日本はフルセットまでもつれ込んだ試合は全勝です」を繰り返していたので嫌な予感がしていたのだが、こうやって書かれることになる大体の予感がそうであるように、今回もきっちり的中して、日本の決勝進出を妨げた。マッチポイントを取られたあとに無理筋のチャレンジをしていてちょっと残念な負け方だった。やらないで済まないことをただやっただけの話かもしれないが、ちょうど画面に映されたアメリカの選手が「ああ、チャレンジしたのね。ご苦労さん」とばかりニヤニヤしていて、それはそうなるよなと思いつつ、それに対してちょっと腹立たしい気持ちにさせられたので見ている方としては溜飲が下がるどころか、という話になった。
2026/08/02 今日 11108
8時半に起きて、家人とピックルボールの会に出かける。サーブやミニラリーの練習をしたり、3点マッチをしたり、楽しく汗を流した。体育館の設備の問題でフル冷房をつけても暑いぐらいだったので楽しくというにはすこしく多量の汗が噴き出していた。いわゆる”高齢者”にさしかかるのではという人の参加も多かったので熱中症の心配をしたが、何せ参加者が多いのでそこまで気が回っていなさそうな雰囲気だった。大人だから自己管理しようということかもしれない。しかしこういうときには部外者然としていないで水分補給しようと声がけするぐらいの行動はとらなければならない。これは積極性・自発性うんぬんの話ではなく、私ぐらいの年齢の人間が率先して行うべき役割の話だ。20代のときにはそんな声がけをするのは土台無理な相談で、実際そんなことはしてこなかったが、今の鈍麻した感覚をもってすれば無理ではないどころかそこまで難しいとも感じないので、ただできることをやればいいというだけの話だ。協力して楽しめることは協力して楽しもう。
南中のおそろしく暑い道を途中休憩を挟みながら歩く。いちどは図書館で、にどめはカレー屋に入って昼食を兼用するかたちで、さんどめはコンビニでチョコモナカジャンボを買って、休憩しないと15分の道のりを一気に歩き詰めることはとてもじゃないができなかった。チキンサグカレーとナンが美味しかった。
帰ってきてシャワーを浴び、『罪と罰』を読む。ラズミーヒンにふたりを捨てるなと言い残すくだりがまずよかった。アルカージイのラスコーリニコフの夢の場面からシームレスにあらわれる登場の仕方も、物の言い方からわかるキャラクターも魅力的だった。殺人成功者として何かを共有しようとこちらをうかがってくる感じというのが他に見たことのない人物造形になっている。それにくらべての、ルージンの小物だが自分の世界に閉じこもって他人に害をなす悪人ぶりが過不足なく描かれ、彼の思惑を挫くというかたちでの小カタルシスが小説全体の真ん中あたりに配置されているのも、ドラクエ6のムドーやドラクエ3のバラモスという往年の中ボスを想起させて好ましい。しかもそれでめでたしめでたしとはならずに、ラズミーヒンにふたりを捨てるなと言い残して去ることになるラスコーリニコフの明るい局面によって引き立てられる絶望、その絶望を起点としてソーニャに会う必要が生じる心の動き方、そしてその会見で得られたもの(期待していたものも期待していなかったものも)、これらが無駄なく順を追って提示されていき、流れるように運ばれていく。とくに第四部の一連はすばらしい演劇を見ているようだ。四部の四で、アルカージイが椅子を運んできて結ぶところはあまりにも見事で、舞台を見ているように錯覚し、その錯覚の内部で実際に暗転になったように思われた。
日記を書く。夜ご飯は21時すぎになる。スーパーかコンビニで買ってきたご飯を食べ、お酒を飲みながら天幕のジャードゥーガルを見るつもり。