20260613

「悩み」について

水曜日のダウンタウンというバラエティ番組で、「悩みがない人はいない」という説が唱えられ、その検証のためにインタビューロケをする企画があった。そこで人々は口々に自分の抱えている悩みについてカメラに向かって答えるわけだが、当然人々はテレビ用の(あるいはカメラを向けられたというシチュエーションに応じた)回答をするので、さらには伝達方法がその場で口頭でということもあって、いきおい簡単な、伝えやすい回答になると思われる。さらに番組はそれをテレビ用の分類に回し、結果として上位にランクする悩みは「恋」、「仕事」、「お金」、「健康」ということになっていた。無記名アンケート方式にしたとしても統計的に扱うと結局は同じ結果になるのだろうと想像できるが、いずれにしてもそのいちいちを詳しく聞き出そうという気にはならない。それぞれに特有の事情というものがあり、切実な内容を含むこともあるのだろうが、なんとなくまとめて扱って問題ないという気にさせられる。実際に自分の身に置き換えてみても想像しやすいからだろう。それで〈理解できること〉というフォルダに分類される。

理解できないフォルダに分類されるほうが「それってどういうこと?」という疑問が湧いて、詳しく知りたい気持ちにさせられる。番組側が用意したのは「悩みがない」という人について掘り下げるという内容だった。

悩みがあると答えた人のなかには「悩みはない(あるいはあっても小さな悩みしかない)が、悩みがあるかどうかと訊かれて悩みはないと答えるのは奇異に映るのではないか」と考えて、人に理解しやすい、さして悩みとも考えていないような悩みを適当に口にするというケースがあると思われる。だからここで浮かび上がる視聴者側の好奇心は、悩みがない人というよりは、カメラに向かって「悩みがない」と断言する人に向けられているといえる。

悩みというのを「心に占める重要な問題」と考えると、悩みがないという人の主張は、
1.心に占めている問題がない
2.心に占める問題があっても重要なものではなく悩みというに値しない
という二点に分けられる。

1については、自分の周囲のことに集中して外部の出来事に気を回さないようにするというスキルが要請されるため、誰にでもできることではない。そして「奇異に映るのではないか」という小さな悩みの持ち主の危惧はここに焦点が合うのだと思われる。情報化社会において外側がクリアに見える状況下で「心に占める問題がない」と断言するのは、自分自身のスタンスの表明にもなるからだ。個人という立場からなされえる政治的なステートメントにも近い、というか宣言そのものになる。

だから、常識的には、というか他人から判断する場合には、より穏当なのは2のパターンだと思われる。とくに自分自身の人生にとってかけがえのない人物を三年ほどの期間で相次いで失った男性からすると、もはや悩みとするのに値する出来事がこの先にあるとは想定できないのだと考えられる。そのため悩みがないと断言できるのだろう。その当時の悩みや苦悩が、彼を悩み知らずの位置に立たせたのだ。ただの想像だが、悩みというのにはあまりにも小さいし、あまりにも遠いという事態が日常になっているのだろう。そしてその感情というのには測り知り難いところがあるにせよ、そのように考える理路というのは他人からしてもわかりよいものである。人に伝達するときにとりたてて苦労するようなひっかかりもない。そう考えると、とくにそういったストーリーを用意せずに「悩みがない」と言い切った男性のほうに関心が向く。かつてなにかしらの悩みに直面し、それを氷漬けにする過程で心に占めるなにものかを失ったのだろうか。つまり、殿堂入りのようなかたちでその場から消失したかつての悩みがあり、その悩みに遠慮して今は、そしてこの先にも、悩みと呼べるものはないというのが彼の主張なのだろうか。あるいは生粋の能天気なのか。カメラを通して見ても両者の区別はつかないものなのだと驚いた。

ちなみに、お金で解決できる悩みは悩みと呼ぶのに値しないという考えもある。それらはシンプルに”お金の問題”だろうという主張だ。しかし、そんな呑気なことも言っていられないかもしれないと思うのは、お金がないということを発端として、問題がどんどんふくらんでいき、お金があってもどうしようもない事態にまで陥ることがとても多くあるのだろうと想定されることだ。だからお金がないという状態にならないように、各種の条件に対処・対応して、それがうまくいっているうちは悩みなどないというのも、決して考えられないスタンスではないだろう。

20260612

日記769

オープン・クローズ


2026/06/11 昨日 15321
午前在宅。NBAファイナルを見る。前半終わりには大差がついていて今日は予定調和的な展開かと気を抜いていたのだが、ぼんやりとでも見続けていてよかった。もともと好きになる要素があったのだがこの試合で決定的にNYニックスを好きになった。2026年のプレーオフファイナル第4戦でニックスはまたたくさんのファンを獲得しただろうが、その先頭に並んでもかまわないと思ったということだ。タウンズを見るとビッグマンとしての多彩なプレーの引き出しとクレバーな闘志に惹かれる。ブランソンはあくまでチームの勝敗にこだわり抜く姿勢が自分の考え方とは合わないと思いつつも、ブランソン自身の持っているそのビジョンを忠実に体現している様子には思わず見惚れてしまうし認めざるを得ない。自分に合う考え方のNBAスターはやっぱりラメロ・ボールだが、両者それぞれに美学があることは明白だし、勝負をしてどちらが勝つのかも明確だ。そしてこの試合で大活躍したOG・アヌノビー。つねにポイントを探して考えているからこそ、あの芸術的なハイタッチが生まれたのにちがいない。しかももうひとりプットバックをさらに押し込もうとタウンズが跳んでいたのも最高で、ブランソンの自身に満ちた素早いディプスリーとともに、ニックスの大逆転勝利を象徴するプレーだった。
お昼にそばを食べて15時頃に出社する。打ち合わせに現地参加するための出社だったが、打ち合わせが中止になった。なかば予想していたが無駄足に近い。気を取り直して業務引き継ぎのための対面打ち合わせをする。マニュアルの作成というタスクだが、自分がその場で仕事をしたと思って出ていくためにも使えるマニュアルを作ろうという所信を表明した。定時退勤し喜多見へ。20分歩いて体育館に。すごい試合を見たことで気持ちの昂りがあったのだが、心肺機能がボトルネックになって満足いくプレーができず。踊るようにステップを踏む優雅な”風神”と久しぶりにいっしょになった。バスケを”プレー”するということにおいてこれ以上楽しめているプレーヤーを見たことがない。フィジカルのレベルが違うと文字通りに「無敵」の振る舞いができてさぞ楽しいことだろう。自分は楽しんでプレーすることにかけては人後に落ちないつもりだが、彼と同じコートに立つとついフォームを崩して無理な頑張りを頑張ってしまう。プレーにおいて彼に張り合おうとするからだが、相手のほうが何枚も上手なのをわからせられるので萎縮してしまい、それを跳ね返そうと躍起になって判断を誤り、ドツボにハマっていく。とにかく走らされるので最中には悔しがる余裕もないのだが、終わってから振り返るととにかく悔しい。悔しい思いをさせられすぎて狛江湯でも温冷交代浴のあとの外気浴中に「ちくしょう」とかそういう無意味な言葉が湧き上がってしまい、隣り合った湯客のリラックスをそいでしまって申し訳なかった。最寄り駅についてもまだ悔しいのでベンチで酒を飲みながら撮影した動画を見返す。自分の不甲斐ないシュートミスに反省したり気分が落ち込んだりしつつ、やっぱり彼は笑ってしまうぐらい上手かった。プレー選択の発想から違っている。動けるからこその選択肢、自由な思いつきがあって、それが何より羨ましい。バスケをやる人間には絶対にわかることだが、あれはどう見ても遊んでいる。そしてそれが最強だ。


2026/06/12 今日 3070
一日在宅勤務。朝起き抜けに洗濯機を回す。Kindleで『室町記』を読む。必要不可欠の分ちょっとだけタスクに手を付ける。ラ王(醤油味)とそばを茹でて食べる。定時退勤してスタバに行く。『機械カニバリズム』を読む。日記を書く。遠藤航の離脱と代表引退は残念だ。しかし「強い気持ちを持って」というようなスタンスだけで形作られた集団は強い半面脆いと思うので、それが幾分か薄まるという意味では結果的によかったのかもしれない。アイスランド戦後の森保→遠藤航のスピーチは見ていられなかった。それに比べて板倉滉の感じにはなんとなく期待できる。必要十分なゆるさが感じられる。
最近見た動画ではオードリー・タンと東浩紀の対談と、Yuji Ayabeのノリータ散歩がとくに面白かった。どちらも特異な語り口が魅力的で、くせになるようなところがある。声の音程やリズムもいいのだろうが、それだけではないと思わせる余白・隙のようなものもある。本人が本人らしく喋っているように思えるのでそこに見応えのようなものがあるんだと思う。

20260610

日記768

フルオープン


2026/06/09 昨日 7371
9時過ぎにスタバを出てアルを飲みながら帰宅。豚肉を蒸して千切りキャベツを温めた料理と豆腐を混ぜた卵焼きを作ってくれたので美味しくいただく。豚肉を半解凍のままで調理しただけ明確に改善されていたがもう半分の改善点としてかたい固まりになっていた。それでもポン酢をかけて食べて相当うまい。
『違国日記』のラスト2話を見る。高校時代あるいは高校生を、安直に高校時代の過ちととらえたり高校生あつかいして侮らないところに面白さのカナメ石があると思った。右に倣えの言語化欲求に抗うのだ。あるいは、言語化したそれは言語化の賜物ではなく、よくある模倣、もっとわるければ同調表現にすぎないのではないかと疑うのだ。それは具体的には小説家を称する叔母に「わけわからん」と抵抗することかもしれず、そのあまりにも子供じみた言い分に、「考えろ」と舐めたことを言われる始末になるのかもしれないが、それでもわかった風の風を吹かせるよりはいくらでもマシだ。


2026/06/10 今日 8918
朝から大手町で用事。そのまま高輪ゲートウェイに出社して一日コミュニケーションをとりながらの仕事日になった。定時退勤して映画館でビッグ・リボウスキを見る。映画前に一時間あってお腹が空いていたのでねぎしに入ってトンテキを食べた。この日、ビッグ・リボウスキを観ることに決めた瞬間からちょっと元気になっていたのだが、2列目の席どまんなかに陣取り大きなスクリーンで愛すべきバカなキャラクターがちょろちょろするのを見たらよりいっそう元気になった。お使いの小仕事で毎日の生活費や家賃をペイして、丁寧に動くことを強いられる生活だが、気持ちはいつもデュードのように清々しい無職でいたい。デュードにはウォルターとドニーがいるというのがポイントだ。誰もドニーの役をやりたがらないだろうが、デュードの役を望みながら実際はデュードどころかウォルターにもなれない。常識的なバランス感覚がわれわれをウォルターにするのを食い止めつつ、ドニー役へといざなうのだ。
しかし今回の何度目かわからない視聴では、デュードの行為と状態について今までよりも高精度というか高解像度な見え方がしたように思う。酩酊状態といって一種類ではなく、単純な競技といって楽しみがないわけではないという、すこし考えれば当然のことを踏まえて主人公を追いかけることができたからだと思う。

20260608

日記767

水芭蕉の花が咲いている


2026/06/04 五日前 21101
新宿の三角広場まで生活の楽しみ展を見に行く。MOTHER2のグッズやサンパチマイクのコーナー、毎日更新壁漫画など目を引くものはたくさんあったが、目的としていたプレゼント探しは良いものが見つからず。家人と合流する前に見て回っているときに糸井重里を見た。筋肉質というのではないが予想年齢から想像するよりもかなり姿勢がよかったのが印象的だった。
急遽バスケに行くことに予定変更して、家人に持ってきてもらったバスケの用意を持って中井に移動する。都営大江戸線の都庁前駅が近かったので時間ぴったりに着くことができた。脚の疲れは想定していた通りだったが想定していた以上ではなかったのでまあなんとかなった。ぜえぜえはあはあ言うぐらい走り回って楽しかった。新宿で用事を済ませた家人と再合流し、最寄りでアルを買って飲んで帰る。家人はノンアルを買っていた。


2026/06/05 四日前 8717
午前在宅勤務。午後から出社する。定時すこし過ぎまで働いてからニューマン高輪で手土産の買い物をする。帰宅後、家人がご飯を作るというので作ってもらった料理を食べる。翌朝旅行で出発が早いのと3日家を空けるのに料理もないだろうと思ったのだが、ささみと大葉の餃子皮チーズ焼きは美味しかった。早めに寝ようと心がけて結局24時就寝になった。


2026/06/06 一昨昨日 15324
バスタ新宿を7時5分発のバスに乗り込んで一路高山へ。土曜日の渋滞ということで都合1時間押した。PrimeVideoでNBAファイナルを見ようとするもトンネルを通るたびに電波が途切れてあまりきちんと観戦できなかった。結果はニックスが2勝目をあげた。到着するやいなや迎えに来てくれていた家人の友人夫妻(と赤子)の車に乗り込み、白川郷へ移動した。夫同士は初対面になるのだが、向こうの夫が世慣れた趣味人風の人でなおかつわかりやすく人当たりがよかったので、尋問のような会話や全き沈黙にならずに済んだ。女同士は自分たちのペースで生後4か月の赤子関連の話をしていた。ところどころ耳を引く話がさしはさまれ、とくに赤子登場場面の話は強烈で、前方の席をよいタイミングで巻き込んでの会話シーンになった。
白川郷では若干の暑気はあるものの充分許容範囲で全体としてとてもよい散策になった。高所恐怖のため吊り橋を渡ることはできないと宣言した女がいたが、実際に吊り橋の近くまできたところ、これなら行けそうと挑戦心を起こしていた。結局は途中で吊り橋が揺れ、やっぱ無理となって引き返していた。渡れる人たちだけで渡ろうとなって渡っていって、渡った先にはとくに何もなかったのでそのまま引き返してきた。ただ待っているというのがきまり悪かったのかわりと先の方まで歩き進んでいたようで、引き返してきたところを合流した。着眼点というか視線を向ける先がややユニークなのか、タイミングというかリズムが特異なのかわからないが、「東京は住む場所ではない」、「東京には居るだけで具合悪くなる」という比較的よくある意見の根拠とする「こんな場面に遭遇した」という具体例が面白かった。いわく、「女の人同士が怒号の浴びせあいレベルの罵り合いをしていた」「おじいさんが借金取りに泣きながら電話していた」という、どちらも聞いたことはあっても見たことはない場面で、もしかすると自分はそういうものには無意識にフィルターをかけて目に入っても見えていない状態を作っているのではないかと思わされた。言うまでもなく東京で暮らすにあたっては自分のフィルターのほうが適していて、見ているだけでくらうような場面に出くわしてしまうのは東京生活に向いていないと思うが、何かを書いたり、見たものについて話したりするためには向こうの視線のほうが合っているのではないかということも思った。
ホテルまで送り届けてもらい、チェックインして荷物を置いてから高山の街に繰り出す。川の前で思い思いの時を過ごす人たちの様子を見ながらビールを飲んだ。鴨川よりぎゅうぎゅうしていなくてのびのびした気持ちになりやすい。味蔵というJAがやっているという焼肉屋をおすすめされたので足を運ぶが予約・事前整理券でいっぱいなので入れなかった。翌日に回すことにして近くの八角亭という飲み屋に飛び込む。2階席の座敷が貸し切り状態でかなりしっぽり飲むことができて旅の満足感が充足された。うっかり飛騨牛のすき焼きに刺盛り2人前を注文してしまったが、日本酒を3杯飲んで1万円すこしの会計で済んだ。けっして安くはないが、座敷をふたりじめして、差向いで日本酒を飲む体験にかかる代金として、東京では考えられないリーズナブルプライスなのでそれも嬉しかった。
ホテルに帰って温泉に入る。漫画コーナーにある漫画を部屋で読めるということだったので2泊の滞在中にハイキューの白鳥沢戦を読むことにする。


2026/06/07 一昨日 7299
朝起きて準備をして10時過ぎから宮川朝市をチラ見する。友人夫妻の車で千光寺まで連れて行ってもらった。両面宿儺のゆかりということで目的地として白羽の矢が立ったわけだが、円光という人の作になる一刀彫の宿儺像ほか木像を拝観した。今でこそ”仏像というものはこういうものだ”というイメージがあるが、そういうものを持たない人が作った木像という感じで、その分だけ実際に作者があってその人がこれを作ったんだなという感触を多く残す作品だと思った。絵でいうと絵筆のタッチがはっきりわかる系の絵というか、こうやって彫ったんだなというのと、これはここで完成としたんだなという意図の面が意識されやすかった。前の職場の知り合いという住職に会うところにも居合わせることができた。年若い住職の「ああそうですか」という万能の返事が炸裂していた。文字に換えた言葉に説得力はないし、こうして書くといかにも生返事だが、こちらの意をしっかり受け止めてくれたという想像が働くような言い方だった。それでいて実際のところ、よいわるいという価値判断の片鱗も残さない隙もなければ実体もないような言葉遣いなので、無敵に近い返事だと思った。「ようきてくださいました」とも言っていた。何も返す言葉はないので、こちらはただ頭を下げることしかできない。精神的な後ろ盾のある宗教者はやっぱりつよいなと思った。二重まぶたで目力のつよい目元はしかしあくまでも涼しげで、それを強調するかのようなリムレスの眼鏡がよく似合っていた。自分を演出する方向が自分にも他人にもはっきりしているというのがお洒落の条件だとするなら、とてもお洒落な住職だと思った。袈裟も当然のように似合っていた。
下山して菜の花というお店で定食をいただく。なんと友人たちのはからいで結婚祝いのチーズケーキを用意してくれていた。ご飯もおいしければチーズケーキもおいしくて本当に感動してしまうぐらい嬉しかった。雨が降り出したが車があれば何のその、飛騨産業の家具展示を見に行く。自由にゆっくり椅子を見させてもらい、併設の「椅子と珈琲」あるいは「珈琲と椅子」というカフェでお茶をする。まさに建設中の家について施工計画書や間取りを見せてもらいながら考慮ポイントをレクチャーしてもらった。お金がネックになって自分は家を建てるつもりはないが、人が考えたり頭を悩ませた話を聞くのは面白い。車で味蔵まで送り届けてもらう。今回の高山旅行は本当におんぶにだっこで、とてもお世話になった。高山は良いところだというのは疑い得ないし、いつかまた行きたい。できれば近いうちに。
この日、味蔵で飛騨牛の美味しさを目の当たりにして自分は驚いた。しかしこのタイミングで胃腸の調子がわるかった家人はあまり肉を食べられず。途中の商店街で見かけたラーメン・焼きそば屋で夜食用にと焼きそばを買って帰った。これも量が多くて美味かった。


2026/06/08 昨日 20510
チェックアウトして陣屋前朝市へ。橋を渡った先の売店に気色悪い政党の気色悪いコピーのポスターが貼られていてげんなりさせられたのだが、それを逆手に取ってポスターのモノマネをするというギャグを思いついた。家人にはウケたので東京に帰ったら友人たちにも披露してみよう。10時半のバスに乗って新宿へ戻る。SAでパンを買って食べたり、牧成舎の牛乳やヨーグルトを食べたり、豚すき焼き弁当を買って食べたりする。6時間弱の移動時間は『風に吹きはらわれてしまわないように』を読んだり寝たりして過ごす。
新宿に着いてそのまますぐ小田急に乗り換えて帰宅。下北のくら寿司に行く。予想に反して結構値段面で頑張っていてそれなりに美味しかった。トレファクで緑のポロシャツを買う。家人が持ってきたやつでほぼ一目惚れだったのだがレジを通した直後に直感が走り、その直感が間違いどころか大正解だということに遅れて気がついてしまった。それはセブンイレブンのユニフォームそっくりというもので、そのままそれを着てバスケのために狛江に行ったのだが、セブンで水を買うときに店員はじめ客があれ?という顔をしていたような気がする。バスケは好調でかなり動き回ったがそこまで疲れなかった。1時間30分前にしっかり寿司を食べてエネルギー切れをしなかったこと、プレーする前に腕立てをして準備運動がきちんとできていたことが大きいと思われる。狛江湯で温冷交代浴をしてぷらったでコーヒー豆を買って帰る。ひやむぎとソイプロテインを摂って24時頃に寝る。


2026/06/09 今日 5568
朝から出社。打ち合わせに出て昼すぎに帰る。NBAファイナルはスパーズがMSGで1勝目をあげて2-1に戻した。昼寝をして旅行の疲れとバスケの疲れをとる。プレゼントにROTOTOのソックスを購入し、奈良に送る手配をする。スタバに行って『風に吹きはらわれてしまわないように』を読み終える。退屈しなかったがこの作家の作品をもっと読まないとという切迫感は生まれなかった。小説を退屈しのぎで読むわけではないのでそれでは要件を満たさない。
スタバ店内で演劇祭で一緒に舞台に立ったYさんを見かけたのでかるく挨拶をする。こういう挨拶をさらっと、でもそれなりにきっちりできるようになりたいが、たぶんそういう日は来ないだろう。喉元過ぎれば熱さを忘れるわけで。日記を書く。Yさんが帰られる。日記を書き終わる。家人が料理を作ってくれているというので急いで帰宅。

20260604

日記766

asap

2026/06/03 昨日 4499
スタバを出てから予定通りミカンの入口で酒を飲む。友達と外飲みするのがいつも楽しいと思っていたのだが、その楽しさの中から友達というファクターを除いたところまだ楽しいということに気づいてからはひとり外飲みが増えてしまっている。ひと昔前は井の頭公園を歩きながらの歩き飲みだったので歩き疲れたら終わりの合図になったものだが、いまは腰掛けて飲んでいるのでいつまででも飲めそうだ。とはいえこの気候の良さのなかでも一缶以上飲み続けたことはないが。
帰宅したら豚肉で厚揚げを巻いた料理とキャロットラペとほうれん草のソテーのワンプレートご飯が用意されており、おいしく食べさせてもらった。『違国日記』を見る。早めに23時ごろ寝た。


2026/06/04 今日 4504
午前在宅。寝ても寝ても眠い。NBAプレーオフファイナル第1戦を見届ける。昼ご飯を食べて昼すぎから出社。
出社した勢いで片付けようと思っていた仕事を半分片付ける。のこった半分はもうずっとのこっている積み残しタスクだ。何もしないから手を離れていかない。新宿で買い物の用事があるので一時間ほど早く退ける。

20260603

日記765

入口をさがせ

2026/06/01 一昨日 9583
たぶん21時すぎにスタバを出て、夜ご飯を何にしようかと下北の街をさまよう。最初の候補にあった"しずる"という定食屋に入ろうとしたところ、音量内容ともにうるさい感じの中年男女の四人組が我先にと階段を上っていったので、鬱陶しい気分になって入店するのをやめた。その後ダイエーに行ってみるが気の利いた弁当類は払底で、買って帰って食べるというチョイスも潰える。しかしとにかく腹が減っていたので吉野家に行った。唐揚げ定食でご飯大盛り✕2を食べる。帰ってから『違国日記』を見る。


2026/06/02 昨日 14700
一日在宅勤務。台風が近づいているということでリモート推奨になっていた。仕事の進捗はあまりない。PrimeVideoでスパイダーノワールを見る。白黒にして3話まで見たが面白いとは言えない。最初から集中して見ていないのでこの感じで見るとどんな作品でも面白いとは言えないというだけの話かもしれない。映画やドラマを見て「面白くなかった」と評する友人の意見を鵜呑みにできないと思うのは、彼に集中して作品を見る能力が備わっていないと思うからだ。失ったのかもともと持っていなかったのかはわからないが、とにかく、半覚半睡状態だと味ではなく刺激で評価することになってしまう。やはりどんな作品でもそれを味読するためには睡眠時間の確保が絶対条件になる。
定時退勤し狛江までバスケに出かける。駅ホームと電車内で『機械カニバリズム』を読み、駅からの徒歩移動で『吾輩は猫である』の朗読を聞く。きちんと二日の休養を挟んだのでバスケでは身体が不足なく動いた。1時間前におにぎりを食べてエネルギーを補給したのも効いていた。プレーの外の部分で意識したり考えたりすることが増えている。無理が効かない以上、無理しないやり方をとるしかない。この日はとくに満足いくプレー内容だったので疲れながらも張り切って帰路につく。自分より大きい相手に押し込まれてやられたりもしたが、小さい立場から逆にスピードやタイミングで翻弄できたりもして、普段の立ち位置からは味わえない楽しさがあった。
業務スーパーで冷凍豚肉とキムチを買った。最寄り駅のローソンでスパゲッティとレトルトソース、氷結無糖7%500のGFと翌日朝食用のバランスサポートブレッドバナナ味を買って帰る。パスタを茹でて食べた。『違国日記』を見る。ある意味で概念化されたともいえるほど抽象的に結晶化された「離別」とそれにまつわる感情を見るといつも、やるせない気持ちが復活する。サニーボーイの「少年と海」の回もそうだった。


2026/06/03 今日 2534
一日在宅勤務。この日は台風が通過していった。予定していた出張はキャンセルになった。仕事のなかにやる気がおきないでずっと後回しにしているタスクがある。忘れてはいけないので忘れないようにはしていて、確実に無駄な認知負荷になっている。それでも片付けてしまわないのはなぜだろう。不合理で非合理だ。ただの仕事なのでそういう気分を楽しむという要素もないから完全なナンセンスだ。完全なナンセンスとかいうとそういう気分が首をもたげる感じだがそういうのでもない。わるい意味で無意味な、ただの認知負荷だ。ほかの重要なことのやる気にも影響する。
すこしの昼寝をして降って湧いたタスクを片付けて定時退勤。台風一過ですっかり天気が良くなった道を歩いてスタバに行く。気温もロンTを着れるぐらい涼しくて最高だ。『風に吹きさらわれてしまわないうように』を読む。向かいの席に座った男女(元恋人で今はただの同居人?)が、低温ながらところどころ甲高いトーンの笑いが挟まれるちょっとこわい喧嘩をしていて読書の集中を妨げようとしてくる。「小説よりもこっちのほうが現実で面白いだろう」というのが彼らの隠された(彼ら自身からも隠された)主張だが、残念ながらそうはならなかった。日記を書く。20時前にスタバを出て酒を飲みに出る。

20260601

日記764

五人組

2026/05/29 一昨昨日 12003
午前在宅勤務。家人の所属する吹奏楽団の演奏を聴きに行くため午後休をとる。演奏会の開演は定時退勤後でも間に合う時間なのだが、音楽は、とくにクラシックの音楽演奏会は完全な休養後に聴くことで最大限感受できるようになるので、それを見込んで昼間は休息をとることにした。そういうわけで荻窪のなごみの湯に行く。岩盤浴の種類も充実していて都会のオアシスとしての高い機能を実感したが、5Fの漫画コーナーに見込んでいたDBが置いていなかった。そんなはずはないと館内中探し回ってB1Fにも漫画コーナーがあることを突き止め、首尾よくフリーザ編をクライマックスバトルまで読むことに成功した。なごみの湯はリピートすることに決めたので、焦ってDBを読み進める必要もなく、ゆったりとした時間を過ごすことができた。満杯だったのと開演時間の関係で使えなかったが、外気浴エリアは空を見ながら中央線の通る音が聞こえてくる抜群の立地で、普段は都会の喧騒の中心として聞こえてくる電車の音を高くてすこし遠いところからぼーっと聞けるのはうっすらと優越感も感じられて最高の気分だろうなと思った。
友人のA氏と中野ZEROホールで集合して演奏会を聴く。わかりやすいというか取っつきやすい曲目だったのと、音の力強さ。あとは家人をはじめとする演奏者の頑張りと指揮者の気分の昂揚が見えやすい最前列の席だというのもあって、これまでに聴いてきた演奏会のなかでも指折りの出来だった。シーオブウィズダムという曲が一番よかった。
演奏会がはねたあとは友人A氏と中野駅を北口まで移動し、ビール工房というビアバーで飲み放題にしてビールを飲む。飲み放題60分間で4杯、時間後にエクストラ1杯という大人の注文の仕方で、数多いビールの種類とあっちこっちに移り変わる会話を楽しんだ。A氏は気のおけない友人たちと毎月読書会をしていて、そこに今度ゲスト参加させてもらうことになった。6月の課題本はリチャード・ブローティガンの『風に吹きはらわれてしまわないように』。これまで読んだことのない作家なので読むきっかけにもなって嬉しい。ノリがよいとも言えず、踏み込み方がわからないでまごまごする時間が発生するという課題が自分にはあるが、とりあえずは自分にできるかぎりぐいぐいと踏み込んでいきたいと思っている。迷惑をかけないように、とは思わないように。飲みながら、最近見つけた持論「読む人は書く人を目指すものだ」というのをぶつけてみたところ、一旦同意してもらえた。何を書くのかということについて自分は小説しか考えていなかったが、そのほかにもいろいろあるという当たり前のことに気がついた。何かを書くとして、その先には何を書くのかという問いがある。言うまでもなく当たり前のことなのだがそういうこともわからなくなる。当然こうだろうという思い込みがあるからだ。読むことは書くことを目指すことだとして、何を書くことを目指すのか、そもそも読むこととは何を読むことを指すのか。小説以外にない、とは言えないが、読むと言ったらやはり小説ではないか。たまたま次回の課題本が小説なのも自説にとっては好都合だ。
新宿駅で小田急の急行に乗り込むA氏を見送ったあと、打ち上げ終わりの家人と合流。小田急の各駅停車で帰る。


2026/05/30 一昨日 18890
朝起きて家で『ラトゥールの取説』を読む。昼ごはんを食べたあと、BSでやっていたJリーグのプレーオフを見る。大迫が半端ない活躍をして5-0で神戸が鹿島アントラーズを打ち砕いていた。サニーボーイの10話『少年と海』を見る。高円寺に移動してバスケをする。前回のバスケから充分な日数(3日間)を空けたので足の痛みなくやれたが、背中の張りは違和感として残っている。体力的にも満足いくパフォーマンスとは言えなかった。この日のプレーを動画で見直しても走り方がよたよたしていて、ちょっと前(去年12月頃)のような、キレとは言わないが活きのよさが感じられず。体力を残して動こうという発想を止めて、動けなくなったらそれまでと腹を括って全力プレーを心がけたほうが良いのかもしれないと思った。帰宅後、電車内でも止まらなかった滂沱の汗を流しがてらリカバリーを心がける。ビールを飲みオリジンの弁当を食べて、寝てしまおうとしたところで大学時代の友人Tから今夜のCL決勝をリアルタイムで見るつもりだというラインが届く。日曜夜のキックオフだと勘違いしていたことに気がつき、あわてて調布まで移動する。シアタス調布での映画館パブリックビューイングを見るためだ。アーセナルのユニフォームを着た同志が終電近くの時間帯に続々映画館に集結する姿を見られて、それだけで一定の満足感と感慨があった。しかしあくまでも目標は優勝だと気を引き締め直して観戦に臨む。
結果は20年前と同じく準優勝に終わった。しかし20年前とは違いGKの退場もなく、先制点を奪ったあと逆転を許すことなく、無敗のままPK戦で優勝を逃すということになり、アーセナル史上で優勝に最接近したチームだと言える。プレミアリーグは優勝しているわけだしCL決勝まで勝ち進んだ実力が無くなってしまうわけではないので、来年に期待したい。
映画館を出たのが4時半頃で、すでに朝日が上って明るかった。松屋で牛めしつゆ抜きを食べて始発で帰る。5時5分調布発の新宿行き特急は座席が埋まるほどの乗車率があった。また来年。


2026/05/31 昨日 9541
13時に起きる。『家庭料理という戦場』を一気に読み終える。家人と15時過ぎに出かけて線路祭を見に行く。東北沢駅からスタートし、リロードにあるADRIFTというライブハウス内に無料入場し、お菓子祭りをのぞく。ほぼ建物だけを見てリロードを歩き抜ける。家人がリクエストしたカレー屋に入る。自分はパキスタン無水カレーが美味しかったが、家人が注文したスパイスカレーはそんなだったらしく、外食のメニューに対してめずらしく不満を表明していた。
図書館で2冊返却し、2冊貸出する。『風に吹きはらわれてしまわないように』『機械カニバリズム』。下北カレッジを5Fまで内部公開していたので興味本位で内部を見て回る。やはり5Fのバルコニーがとてもよかった。普段目にすることのない高いところから住んでいる街を見ると目先が変わって街がその表情を変えるようにも思える。ボーナストラックに到着したのが17時半すぎになり、ビールフェスはまだやっているように見えたもののそれ以外のイベントは終わっていた。家人がサンカツでビールを注文、自分は日本代表のサッカーを見るとき用に一番搾りを買って帰る。
違国日記の4話を見て、予定通り19時半からサッカーを見る。この週末にサッカーを3試合見たが、一番熱心にサッカーを見ていた頃からサッカーが変化しているのを感じる。とくに守備の戦術レベルが高くなっていてその分だけ攻撃のファンタジーが減っている。ドリブルなどの個人技がチーム戦術に組み込まれて合理的になっているのも、見た目のファンタジー減少に一役買ってしまっている。しかし一番大きいのはVARで、それありきにプレーする選手にも、それありきで見ている自分の見方にもファンタジー要素を解体する合理性が忍び込んでいる。VARの出始めにはこんなふうに夢がしぼんでいくとは想像していなかった。爆発する感情に水を差すあのジェスチャーや、ゴール取り消し。PK取り消しやPK獲得。サッカーを見終わったあとやることがなくなったので早めに寝る準備をして早めに寝る。
この週末の朝から昼にかけて、たぶん午前中だったと思うが、鳥の鳴く声がよく聞こえた。家にいて鳥の声を聞くともなく聞くのは、べつに面白くもなければ楽しくもないことだが、なんとなく心地よいものだ。


2026/06/01 今日 6773
午前休をキャンセルして朝から出社。対面でコミュニケーションと確認事項の整理をして昼から在宅に切り替える。昼ごはんは蕎麦を食べる。30分の昼寝。柿谷関連の動画をいくつか見る。定時退勤してスタバへ行く。『風に吹きはらわれてしまわないように』を読む。日記を書く。この日は朝にも昼寝のときにもたくさん夢を見た気がするが、内容を忘れてしまって書けない。まだうっすら奥に残っているような感じがする分、もったいなさを感じる。

「悩み」について

水曜日のダウンタウンというバラエティ番組で、「悩みがない人はいない」という説が唱えられ、その検証のためにインタビューロケをする企画があった。そこで人々は口々に自分の抱えている悩みについてカメラに向かって答えるわけだが、当然人々はテレビ用の(あるいはカメラを向けられたというシチュエ...