20261005

日記806

SAY Noh

2026/10/04 昨日 20982
バスケはオーラスの試合で逆転のブザービートを決めることができた。あまりよくないプレーもいくつかあったが、すべてが帳消しになるシュートだった。映像を見返したら歓喜のあまり祝福するチームメートを完全無視でひとり静かに天を仰いでシンプルガッツポーズをしていた。左手ですくい上げる力の弱いレイアップだったのだがまさに”指運”があった。
すぐ帰宅してシャワーを浴びて洗濯機を回す。疲れていたが良い時間だったので月下の能を見に行く。設営時に中に入らないでも立ち見の良い席があると目論んだ通りで、氷結無糖のウメを飲みながら通行人と夢幻能とを交互に見られる特等席(チケット非売品)で観劇することができた。演目は「羽衣」。知らない話だがなんとなくわかる。大方、ワキが手に捧げ持っているのが羽衣で、その持ち主がシテなのだろう。30分ほどで舞台がはねたので豚とんで小ラーメンを食べる。家人が家にいないので普段やらない”にんにくをかけて食べる”をしたら、さすがいつもより味わいが深くなった。帰ってスイッチというお笑い番組を見る。寝る準備をして寝る。


2026/10/05 今日 3996
午前在宅。千鳥の鬼レンチャンという番組でバスケ特集として千葉ジェッツの渡邉、原、金近の3選手対芸能人バスケチーム8選手での3on8という企画をやっていたのでTVerで再生する。企画とはいえ本戦でも泣きのエキシビションでも、エースとエース候補がシュートを外して負けてしまっていたが千葉ジェッツはこれで良いのだろうか。昼イチで新上司との1on1があるということなので早めのお昼でそばを食べてから出社する。なごやかに話すなかでうまく情報を収集するというミッションがあるようだ。自分の協力があったとはいえ卒なくこなしていてよかったと思うし、ちょうど裏面(りめん)から見ていてもリーダーポジションは大変だなと思わさせられた。そのほか軽い打ち合わせやら定例打ち合わせやらで小忙しくして過ごす。定時退勤し、電車内で前日のバスケの動画を見る。スタバで『存在と時間』を読む。第36節「好奇心」。本物だと思い誤られているものが登場するなど、いつのまにかT/Fの話に突っ込んでいて、そのことに対して「なんだかな」と思わないではない。また「現存在は遠くを求める」という文章が印象的だった。『存在と時間』では唐突にそういった文言があらわれては、自分の注意力をくいっと喚起してくる。日記を書く。友人から久しぶりの連絡が来た。なんでも彼女ができたらしい。結婚したいようなのだが焦りは禁物というかゆっくりだが着実にというアドバイスをおくりたい。当たり前すぎてあまり役に立つアドバイスではないように思えるが、こういう場合、本人の感覚というものは鋭角になりがちなので緩い方面への方向づけは”なんぼあってもいい”ものだと思われる。高校時代のマブなので言い方はそこまで気にしないでもいいと思うから思ったこととして率直に言ってみよう。なんにせよ彼女ができたのは良いニュースだ。ということなので個人的にひとりで祝杯を挙げよう。

20261004

日記805

思い・沿う・海

2026/10/03 昨日 21741
午前から演劇祭の説明会にいく。当然予期しておくべきだったのだけど前回参加者の人たちが結構いて驚いてしまった。意気込みを考えていったのだがなんとなくそれを言う気になれず、型通りの挨拶も避けてよくわからない所信表明になった。最初の読み合わせでは半端に緊張しなおかつ半端に緊張に慣れて一意専心に読むということも相手を見て動くということもどちらつかずの読み方になって悔いの残る結果になった。しかし出番が最初の方だったからまだよかった。もし出番が後の方になっていたら上手に自分の空気に持っていく他の参加者に気圧されていたと思う。自分でも想像していた以上にがっくりきてしまい、誰とも話さずにそそくさと会場を出た。
逃げるように小田急に乗って新宿へ。さがたにで親子丼セットを食べる。JR線の構内で友人Bと合流。秋葉原で乗り込んできた友人Nとともに、一路千葉駅へ。TCBの秋の行楽・まち歩き、この日は千葉駅周辺。ちばぎんアリーナを通ってポートパークまで歩いた。海沿いに佇んで強い西日を浴びながらビールを飲んだ。とりとめのない会話をしつつおのおの海を感じたりすぐ暮れる日に文句を述べたり。気のおけない友人とこうやってだらだら酒を飲めることで自分を慰撫する効果については必要以上に低く見積もってはいけないと感じるようになってきた。感謝するとか欠かせないとかいうと即座にトゥーマッチになり、リラックス効果が薄れて本末転倒になるから、取り扱いは粗雑にとどめおくように留意しておかなければならないが、毎月のようにくだらない写真が溜まっていくのは嬉しいことだ、ということはいえる。都市モノレールに乗って千葉駅にもどり、駅前の歓楽街にあるラーメンショップで晩ご飯を食べてから電車に乗って帰る。グリーン車に乗ってやろうかと思ったが750円と予算オーバーで断念した。友人Nが食べすぎのせいですこしグロッキーになっていた。もともと小食のイメージはあったがラーメン並一杯でダウンするとは驚きだ。
すべてにおいて意識レベルが下がっていて、たぶんそのおかげで緊張が過緊張にならなくなってきているのだと思うが、ピシッとするところではピシッとしていないといけない。泣く泣かないが論点になっているように思えてふたりが話す話題に入るつもりはなかったが、飼い猫の死については明確に悲しいことだ。そこはびた一文まからない。


2026/10/04 今日 1887
9時に不要なアラームで目が覚める。バスケに参加できそうなので準備をしてからまずはエキウエのスタバへ。スマホで日記を書いてからコーヒーを一気に飲み干し、13時からのバスケ会場に移動する。落合第二中。夜には下北駅前で能をやるみたいなのでまだ元気があったら見に行きたい。

20261002

日記804

グッドナイト

2026/09/30 一昨日 16895
午前在宅。昼までの経過観察でバスケはできそうだったので用意を持って昼から出社。打ち合わせなどこなしつつ定時に退勤。そのままバスケに行く。落合第二中。代々木駅乗り換えで落合南長崎まで。30分ぐらい早く着いたのでマクドに入ってシェイクを飲んで時間を使う。上から目線ストリートの溜まっている投稿4日分ぐらいを一気に投稿した。バスケは普段以上に接触プレーを避ける動きをした。部活で鳴らした選手にとってはもはやDFしてないように見えるだろうが背に腹は代えられない。傷口が開いて腹から血を流すよりはマシだろう。そうは言いながらあまりハッスルできなかった不満感はちゃんと溜まり、不承不承酒を飲んで紛らそうとした。帰宅して新米を軸に据えたご飯を食べる。映画『ファーゴ』を見る。何度見ても面白い映画だと思っていたが昔はもっとコメディ色が強く見えていた。今見るとなんというか身につまされる場面が多いように見えて焼きが回っているのを感じる。音楽の使い方と、種類が少ないながらパキッとした色調、画面の統制の取れ方、幾何学的なパターン配置など美しい映像だという印象は変わらない。


2026/10/01 昨日 9768
朝だけ在宅。11時すぎからの新編成チームの打ち合わせに参加する。現地で出たほうがいいだろうと思って無理にも急いで出勤したのだがその判断は間違っていなかった。それ以外にも仕事がうっすら溜まっていたので消化する。退勤後、旧編成のチームでのお別れ飲み会があった。なんだかんだ今の上長に拾われて、基本的に放任でやることさえやっていたら文句も言わないスタイルで相性もよく、待遇UPの交渉に対しても上にかけあってくれて無理を通してくれるなど、良くしてくれたという思いがある。飲み会では安定の奈良いじりのくだりがあってまあ和やかで愉快だった。
この年になってはじめて職場の上司に対して感謝の念に近いものをおぼえた。終わってから下北で家人と合流してだいこんまんへ。お好み焼きとエリンギバターで飲み直す。帰り道は涼しくて快適。なにも言う事なしだった。


2026/10/02 今日 5673
一日在宅。朝ご飯を買いに最寄りのセブンに出かける。『存在と時間』を読む。お昼時にご飯を食べながら有吉の壁の最終回を見る。インポッシブルのひるちゃんの風船がすぐに割れてしまうくだりで爆笑していたら家人にイヤホンをつけながらの爆笑を訝られ咎められた。新米を軸にした昼ごはんを食べる。仕事は何もしていないのに正体不明の疲れがあり、たまらず昼寝する。30分ぐらいにとどめるつもりが1時間半ほどに伸びてしまった。その間に舞い込んできた仕事と未消化の問い合わせに対応するのとで1時間の残業になった。家人とムーンアートナイトの音楽ライブを見に行く。もころんと永原真夏の共演で、もころんの心の声ふくめてとてもよかった。途中で切り上げようと思っていたが最後にかかったのが「あそんでいきよう」だったので結局最後まで聞いた。うさぎ春日の「たまらなくなるのです」の歌詞のところでたまらなくなった。もころんの魂のダンスを見終わってからスタバへ。もころんの退場場面で、仮設楽屋テントの中に入っていくもころんに挨拶しそこねたとおぼしき女の子が世界の終わりのように口を大きく開けて泣いていた。今まさに生えていっているような生えかけの全部の歯を見せて彼女自身の悲しみを表していて、悲しくも可笑しくてどこかたのもしく、すばらしく美しい光景だった。『存在と時間』35節の空談を読み終える。根こそぎというワードが出てきた。

20260929

日記803

雨のなかのライシング(精米)


2026/09/26 一昨昨日 12562
TCBで秋の行楽・街歩きを予定していたのだがあいにくの雨で中止にした。代わりに家でボードゲームをすることにした。友人Bと友人Nと家人との合計4人でカタンをやった。自分は初期配置にミスがあり早々に離脱。カタンは逆転が難しいのに一回のゲームが長いという欠陥がある。だから優勝するかどうかよりもビリにならないかに意を砕くべきというところがあるのでその分つまらないゲームだといえる。ビリでもサイコロを振れるのでサイコロを振りたい向きには適しているが。
雨も小止みになったので初台まで飲みに出かける家人を見送りがてら下北まで歩く。ムーンアートナイトに友人Nの1歳半の娘と参加して楽しかった。大人の男三人組が手に手に缶チューハイを持って子供と歩いている図をアートとして提出するというようなことを言うほど落ちぶれてはいないつもりだが、例年のTCBの道行きと比べ、見た目の面で映えることは間違いない。最低限足元に気をつけて歩いていたが、歩き初心者の幼児だけはスリッピーな床に足を取られ、豪快に尻もちをついていた。驚きが不快へと結びついていかない黄金期なので、しばらくキョトンとしてすぐに立ち上がった。大したもんだ。
友人Nを見送ってから熊源で味噌ラーメンを食べる。カッパに行ってウイスキーをロックで注文した。バーをひとりで楽しむ要領を心得ている友人にバーに行くコツを訊いたら、「おずおずと振る舞うこと」と答えていて含蓄があるなと思った。なんでも相手に助け舟を出しやすくするのが重要なのだということで、わからないのに知ったかぶりをしたりカッコつけても仕方ないやんということだった。バーはカッコつけに行く場所だという頭があったから、それなりに目からウロコだった。あとはカッコつけたい気持ちとの折り合いの問題になる。グレンフィデックのロックを飲んだ。『存在と時間』を読んでいるという話をしたあたりから時間がすぐに経っていった。自分には独我論的な志向があるので他人の存在追求について関心がある。22時45分頃に解散。おのおのの門限もしっかり守り、すっかり健康だ。


2026/09/27 一昨日 15863
大相撲の千秋楽を見る。大の里がアオニシキとの直接対決を制して優勝を決めた。感極まった表情に重責を担うことの重圧を感じさせる。バスケに出かける。ハローサイクルで高円寺体育館まで。心肺機能の面で制限がかかりあまりハッスルできなかった。どうにかしてアドレナリンを出して制限を取っ払いたかったのだがうまくいかず。マッチアップのセンター勝負でボコスカやられて悔しい結果に終わった。チャリで帰宅。荷物を置いてからチャリを返却し、最寄りのセブンで缶チューハイを買って飲みながら家人を待つ。涼しくて外にいるのがまったく苦ではないご褒美のような気候になっている。雨の多さだけが玉に瑕。


2026/09/28 昨日 7001
「ただ暗いだけでなく黒く、ただ黒いだけでなく暗い、暗黒の劇でした」というコメントを演じ終わった後の役者兼演出家兼劇作家相手に直接言う夢を見た。適当なことは言えないと思い、しかし何も言わないわけにはいかずなんとか絞り出したコメントだったのだがなんとなく事なきを得た雰囲気になってその場が次に展開していったのでまあそれで良かったかと思って目が覚めた。夢の内容をGeminiのメモ機能で録音・文字起こししたので以上覚えていられた。
午前在宅。昼一番で出社する。打ち合わせに参加したり蓄積されているタスクを消化したりして定時すこし過ぎまで働く。まっすぐ帰宅し、家人の運転によるカーシェアのカーでコイン精米に出かける。行きの道が大変だったのに比べて帰りはあまりにもスムーズだった。Googleマップは進入禁止の道を案内してくるのでまったく信用できないということを知ることになった。帰って精米したての米を炊いて明太子といっしょに食べる。本当に本物の新米の威力というものを知った。

2026/09/29 今日 5151
部屋の中で起こった出来事をVARで判定する役目があり、攻撃側と守備側のどちらに正当性があるのかを判断しなければならない羽目に陥っていた。何度も再生巻き戻しを繰り返してよくよく事態を見ていくと、まったく無関係のスタッフが直接プレーに関係ないところで横暴をしていることが明らかになり、公平性を期すべきなのにこのような横暴は許されないとして告発することになった。そんな告発に気を取られているあいだに、まんまと攻撃側が守備側を蹂躙して、そのまま守備側が全滅する事態になった。守備側に攻撃側のスパイが紛れ込んでいて彼が正体をあらわすと同時に守備側全員をつぎつぎに刺していったようだった。その結果ありきでリプレイを見ていくのは自分にはつらいことで、自分はやられてしまった守備側に肩入れしていたのだとそのとき知った。
朝から病院に行って検査を受ける。皮膚を切る処置があったので麻酔注射をしたがそれが結構痛かった。こんな痛みは病院のなかで起こりうる痛みのなかでは序の口もいいところだと思うので我慢して何のこれしきとばかりすましていようとしてがうまくいかなかった。右手のひとさし指の爪で親指を突き刺し痛みを分散させる作戦を取り、本格的に親指を攻撃しようとしたところで麻酔注射が終わった。麻酔後の皮膚の切り取りはまったく痛くなかったが血がたくさん出ている様子が手術用照明の金具部分の反射を通じてすこし目に入り、その分だけ気が滅入ってしまった。気分は悪くないですかと看護師に訊かれたときすぐに「大丈夫です」と答えることはできたので総じて大したことはなかったのだが、縫合にも思っていたより時間がかかり、やや疲れてしまった。照明のライトの数は右側28個、左側28個で合計56個あったのを確認した。処方箋薬局で薬を出してもらい帰宅。11時から在宅勤務を開始した。客との定例打ち合わせに参加する以外には大きな動きもなく、定時すこしすぎに退勤。スタバにいかず自宅で『存在と時間』を読む。第33節「解釈の派生的様態としての陳述」を読み終える。ハイデガーの逆節構造のなかに重きを置くやり方が見えてきてちょうど読みやすくなってきたあたりだ。山崎正和の逆説構造の文体を思い出す。日記を書く。

20260925

日記802

業者たちのシーン

2026/09/23 一昨日 10092
14時すぎにスタバを出てバビシャーでチーズナンを食べる。腹ごなしにゆっくり歩いて帰宅。大相撲を見る。17時半すぎに家を出て新宿のどん底へ。そこで家人が待っており、はやしさんのライスとチャーシューをいただく。チャージ料があり酒の値段もそこまで安くはないが、チャーシューがとくに格安感のあるボリュームで満足させられた。その後に映画を見る予定があったので酒を飲めなかったこと、遅めの昼にチーズナンとナンのおかわりをたっぷり食べていたことが悔やまれる。また行きたいと思った。
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか』を見る。内容は予想していた通り重かったが、演出がきちんとしていて見づらいところはなかった。ヴェネチアに出品された映画なのに上映館が少なすぎる。個人の苦悩に併走するかたちを崩さないのだが、社会構造の問題点をえぐり出してもいる。戦場を作ることは間違っている。戦場を作るようなことをするのは間違っている。戦場で正しいことをするのは不可能だ。だから出だしのところで間違わないようにしないといけない。歴史のような広い射程で見れば、オデュッセイアの世界ではネルソンさんの苦しみは相当少ないのではないかと想像する。それに彼らにはネルソンさんがなぜ苦しんでいるのかが部分的にしか理解できないはずだ。だから世界は確実に進んでいるということは言える。
この日は酒を飲まないで帰ってすぐに寝た。


2026/09/24 昨日 17927
一日在宅。朝礼も定例もなかったので仕事は本当に何もしなかった。『ドラフトキング』を読む。TCBのふたりが面白いと言っていたのと有吉がSNDで一番好きだと言っていたのが決め手になった。しかし野球が好きではなく、より正確には嫌いなので、楽しむための基盤というか土台がぐらぐらしたまま読むことになっている。感情的な揺れ動きはあるが、なんでこんな魅力のないスポーツのためにみんな必死なんだという根本的な疑念がぬぐえない。主人公は嫌な奴を演じている系で、彼の年長のライバルもその相似形なのだが、単純なマネーゲームとつまらない球技のために嫌な人にもなるという決意そのものにみっともないものがある。絵柄のせいかもしれないが野球選手に格好いいタイプやお洒落な人物が皆無で、基本的にモサッとしている奴らばっかりなのが自分のなかにあるリアルと整合していてそこは正直でわるくないと思った。今野球に夢中な人間というのは総じてあんな感じだ。彼らはもちろん大谷がどうとか言っているライト層も早くいなくなってほしい。ボールの硬さひとつとっても馬鹿馬鹿しいスポーツなのは間違いないのだから。大相撲を見てから定時退勤。バスケに出かける。落合第五小。中一日の休みだったので脚の疲労は完全には抜けず。だらだらプレーに終止して、不完全燃焼気味で終わった。やるんだったら真っ直ぐハッスルを目指せ。ここのところとくに3Pに凝っていて、毎回すこしずつ感じを掴めている感覚がある。しかもそれが蓄積していっているのを感じる。このあたりは密にバスケをしている効果なのかもしれない。身体が十分に温まってからロングシュートを狙うべしというノウハウも掴んだ。
この日は飲まないでもいい酒を飲んだ。有吉の壁のヤマダ電機回を見て寝る。

2026/09/25 今日 4586
一日在宅。『ドラフトキング』を読む。仕事は溜まったメールを読むのと積み残しタスクの消化だけ。大相撲を見る。定時退勤して美容室へ。白髪ぼかしをしてもらう。永原真夏のムーンライトを聞いてからスタバに移動して『存在と時間』を読む。日記を書く。ここ最近昼寝時も含めてたくさん夢を見ているのだが全然内容を覚えていられない。ボイスレコーダーを枕元に置く運用を真剣に考えてもいいかもしれない。夢の中身を小説に移しても著作権に引っかからないのは大きい。使えるものは全部使えというのは基本中の基本のはずだ。

20260923

日記801



2026/09/20 一昨昨日 19314
雨のなかバスケに行った。大雨の影響か季節柄か、体育館に毛虫がいたりして開始前に気分が落ちることが危ぶまれたが、始まってみればプレーは好調、メンバーも上機嫌で、とにかく楽しかった。リバウンドを褒めてもらえたのでたくさんジャンプをする回になった。自分史上一番高く飛んでリングに指がかかったりもした。
帰宅して家人が作ってくれたシマホッケのみりん干しの焼きを食べる。たのしいたのしいで酒も飲んだ。


2026/09/21 一昨日 5288
強雨のため一日家にいた。14時すぎに友人B、15時すぎに友人Nが来てボードゲームで遊んだ。Nが来る前にはスイッチのオインクゲームズで月面探索を遊ぶ。3回やって初回以外はクリアした。Nが来てから家人も参加してボードゲームで遊ぶことに。チャオチャオとドミニオンはともに却下され、だったらとヤケで提案したアズールをすることになった。自分はべつにやりたいわけではなかったが他三人のやりたいゲームでもなかったようなので、投票多数決で決めるよりはひとりのやりたいゲームをやるという意思決定のほうが適している場面だったと思う。アズールの勝者が次にやるゲームを決めるという話だったが、なぜかNのプッシュでタイムラインをやることになる。勝てなかったのもあるが面白くなかった。細かいルールの付け方で盛り上がり方が変わるはずなのだがNにはそういうルールの提案ができない。やりたいゲームはあるがちょっとしたチューニングをする気配りもそういうアイデアもない。まあ酔っ払っているとなんでもいいということになりがちだし実際なんでもよかったのだが。雨足が弱くなっていたので下北沢までふたりを送る。映画『オデュッセイア』の話をする。自分は本作の画面作りというかイメージの鮮烈さをかなり高く評価しているのだと気づいた。だからこそハリウッド的なクライマックスのわちゃわちゃが許せないという論旨だった。Bはクライマックス含め評価しているようだった。Bの映画評は基本的に辛いのだが、ハリウッド映画のハリウッド映画らしさに対する批判はなぜか抜け落ちているように思える。「ご都合主義」という批判の文言は出ないからスタンスに大きく矛盾はないが、ハリウッドの文法やその文法の都合で進む場面や筋が見えていないような適応具合でいながらたまに「リアリティ」という言い方をすることがあり、リアリティもひとつのフィクションにすぎないという観点に欠けているのかもしれないと思わせるところがある。NはIMAXレーザーにしないというムーブをしていて、勘所を押さえようとしていないのか、たんに勘が悪いのか、その両方なのか、その両方なのだろうという結論になった。見るときに感想で自分を表現しようという気がありすぎるのだと思う。だから同じ作品を見て感想を言い合うという感じにならないのが、ここ数年で彼と感想を言い合うのを避けようとしている理由だ。感想を言おうとして飛び出した言葉にずっと振り回されているし、乗っかっても否んでもそれに付き合わされることになる。
帰って家人と『さよならララ』を見る。タイトルに込められた悲哀の表現が直接俺を狙ってきたのかというぐらい琴線に触れる。網干行きの発車メロディのノスタルジー。心が痺れたようになり、見終わってしばらくのあいだ休憩が必要だった。翌朝のバスケに出ることに決めて早寝する。


2026/09/22 昨日 28777
9時からのバスケに行く。落合第二中。足が痛んでその分楽しさが目減りした。が、中盤以降アドレナリンが出てきてからは痛みが気にならなくなって機嫌を取り戻した。タッパのあるプレーヤーがいたのでディフェンスが大変だった。スリーポイントの練習の成果が出て3本打って2本入った。最後のほうのシューティング時にタッチを掴みつつあるシュートを放てた感覚があった。最近ではフォロースルーのゼロポジションを意識し、上ではなく前に押し出すイメージを強くしている。
代々木公園に移動。代々木駅近くのすき家で牛丼特盛を食べる。ビールを買って公園のドッグランに移動。酒を飲みながら犬を見ながら友人Nとその娘を待つ。合流後は彼女の歩く様子を見るのが主になり、犬たちがまとめて後景にしりぞいた。Nの妻・Nの娘の母とも合流し原宿に戻る。原宿、代々木上原でそれぞれNたち、Bと解散し帰宅。パッタイを食べて大相撲を見る。あまりの睡魔でよくない時間にうたた寝しそうになったので家人を伴って下北まで散歩する。涼しくてとてもよい気持ちだった。ホルモン青木で肉を焼いてハイボールを流し込んでから帰宅。
この日も早めに寝て正しい睡眠サイクルを取り戻そうとする。


2026/09/23 今日 2376
8時に起きて9時に出かけるまでゆっくり支度をする。スタバに行って芥川の短編集から『運』を読む。話の導入や運びがうまいし、言葉の選び方に気韻がある。良い席に座れたので日記を書く。自分が小説を書くことについて思っていることを整理しようとして次の文章を書く。
小説を書くということをわざわざやるのであればオリジナリティにはこだわりたいと思っている。つまり、自分の制作によらない文物の存在を前提とした作品を作るのは、それが導入なりイースターエッグなり、ちょっとした仕掛けのひとつという位置で登場させるのではないかぎりやりたくないということだ。今流行っていたり昨日今日注目を集めるようなイベントを作品に直接反映させるというやり方には、作者自身がそれをどう意図しているのかはさておき、きめこまやかなタイムラインを後の世に復活させるという名目は立つ。ようするに資料的価値の提供だ。つまり自分たちは日日こういうものに注目させられてきたという記録を残すことの役に立つとは言える。しかし、自分としてはわざわざそんなことを自分がやらないでもいいと思う。それにそもそも小説という形式がそれに適しているとも思えない。資料的価値をもつと言っても、なんらかのかたちに歪められたそれは他のたくさんの資料との照らし合わせにおいてはじめて価値が出るたぐいの参照項のひとつでしかない。整合性の観点からも、どのように歪められたのかというのは部分を参照するときに外されるモザイクのような取り除かれるべき障害物としてしか扱われないだろう。それが妥当な操作であるかどうかはおいても、そのようにパズルを組み立てるときのお邪魔ものとして、自分自身のもつ歪みとその結晶を矯めようとされるのは本意ではないのではないかと自分は思う。機械的な操作(ワンクリックもしくは自動翻訳)によって簡単に外されるロックとして自分自身の歪みを扱われ、実際、大方その通りでもあり、さらにそうなったときにはすでに反論のしようもないというのは、歪みの主体にとって悲しむべきことだ。そういう悲しい面を見せることで、そのときに在るべつの歪みの主体を尻込みさせるようなことはしたくない。もっと言うと彼らの反面教師にはなりたくない。
小説を書くのはセラピーではない。小説を書くのは自己満足ではない。
これは自分の書いた小説だというものを書きたい。自分を取り巻くさまざまなものによって書かされたという面はどうしたって出てくるものの、書いたのは自分だといえる小説を書きたい。そのためには他人の制作物をみだりに使うべきではない。それによって注目を集めるのは多くの人に読んでもらうためには必要なことだという論理はありえない。それをすることで自分の書いたものだと言えなくなったらそもそもの意味がなくなるからだ。
これは自分が書いたものだ。読まれないのは自分のせいではない。心底からそう思える小説を書きたい。それが書けたらその時点で人生は成功だ。それから先は人のために作品を宣伝する活動をして過ごせばいい。「これが良い」というものを持っていてそれを人に薦められる生活は、それ以上ないほど気楽なものだろうと思う。逆に言えばそれがないかぎり気楽さはつねに足りない。信仰を持つことの一番の利点は気楽さを得られるという点にこそにあるのだろうと想像する。ある意味で自分を捨てることでしかその道は開かないのだろうから、それは選択肢に入らないが、どうにかして気楽さに到達したいと思ったとき、自分には小説があった。
最終的にその気楽さが手に入らないままで終わるにしても、それを目指していることですでに気楽さをいくらか得られている。結局、気楽さを得るためには自分で作った自分の目的をもつことだ。それはセラピーではない。どこかへ達しようとする人生はべつに病状と呼ばないでもいいからだ。それは自己満足ではない。満足できるまでやって実際に満足できたとしても、満足したらそれで終わるというかたちは取らないからだ。それを薦めようとするフェーズがあとに続く。
言葉を使って表現することは、他人のなかに存在しようとすることだ。その表現を通して自分を他人のなかに存在させようとすることだ。他人のなかに存在する仕方はいろいろあるが、自分が一番得意なのは小説を書くことなのだと思っている。べつのやり方ではうまくいかなかったり、自分でこうしたいと思うほど上手にできなかったりする。これは言い訳だが、フィードバックが早すぎて試行が場当たり的になったり、その場しのぎになったりする。ときたまそれらのうちのどれかが上手くいったとしても、瞬間の印象を点々と残す・点在することしかできない。もっと贅沢に一定の期間をもらって線を引きたいし、面として当たりたい。さらに厚かましいことを言うなら体を形成したい。小説以外にも得意はいくつかある。ただ、立体的に存在するところまで存在級位を推し進めようとするのなら、自分には小説がもっとも適している。これは感覚的に自明のことだ。
人は小説を読まないとか、人はじゅうぶんな器や容積を持たないという事実もある。それでもそれは一定の事実にすぎず、すべての人が小説を読まないわけでもじゅうぶんな器を持たないわけでもない。自分としては全員の可能な全員に向けて小説を書くというスタンスを崩すつもりはないが、そうは言っても全員に自分の小説を読んでもらうわけにはいかない。社会の努力が結実し、もしも全員に小説を読む時間が確保されたとしても、読む小説には正しい順序もあれば優先順位もある。その順番抜かしをして自分の小説を読めとは思えない。そうすると正味の読者量は相当絞られる。霞を食って生きないかぎりそれで生計を立てるというのは不可能だ。これを書いていて気づいたことなのだが、自分の小説が読まれるべき小説が読まれることの障害になることがある。これは意想外だった。自分が文学フリマに感じる違和感のもっとも大きな部分は、ある文学作品が読者の時間資源を消費し、本当に読まれるべき文学作品が読まれるための時間を奪い、文学に背を向ける結果になっているところにあるのだが、これは自分の小説にもまったく同じことが言える。相当程度に辛抱強く読書を続け、しかもアンテナをあらゆるところに張り巡らせていないかぎり、そもそも自分の小説の読者にはなりえない。だから結局、読者はひとりいれば御の字だということになる。その意味でもこれは自分の書いたものだと言いたいというのは決して誇張した大目的ではなく、事実としても最大目的そのものだ。そうは言っても何人かは読んでくれるだろうというのは非常に甘い見立てで、根拠のない夢想に過ぎない。だからどこまでいっても書くことが目的ということでいいし、そうでしかあり得ない。それでも書きたいのであれば書けばいいし、そういうことならさすがに書かないというのならそれもいい。ただ、書いて完成までもっていければ、すくなくとも自分だけはそれを読める。自分はそれを励みに書こうとしているし、それだけのために書いてもいいと思っている。そうだとすれば、作品が誰かの制作物を前提としたものにならないというのは根本的な条件にもなろうし、わざわざそんなことをする意味がないというのも理解できることだろうと思う。何かが面白くてそれを取り入れるというのも、単にそれを見返したり読み返したりすればいいだけのことで、自分の小説として他人の制作物を振り返る意味がない。

ストローとしての役割しかこなせないというのでもいいが、それにしてもある程度の長さは必要だろうと思うので、まずは浅い呼吸を見直すべきだという主旨がある。自分は一介の文学者にすぎず、小説家になるつもりはないからそういうことを思うのかもしれない。

20260920

日記800

ビクトリー

2026/09/16 四日前 14468
一日在宅。強い雨の降るなかバスケへ。落合第五小。帰ってから家人の作ってくれた鶏の胸肉の片栗粉まぶしピリ辛焼きのご飯を食べる。さよならララを見る。まりの「まだ死ななくてもいいんだよ」というセリフとED曲の入りが完ぺきで、ぐーっときた。今さらながら滋賀県が舞台というのもやはり大きい。


2026/09/17 一昨昨日 14210
午前在宅。午後から出社。10月から所属変更になるので新上長との顔合わせ兼打ち合わせ。今の上長とは相性がよいのか伸び伸びとやれていて文句のひとつもない。だから変更になるのはプラスよりマイナスが多いだろうと思うので微妙だ。しかし長くても残り半年なのでどう変化してもいいやと適当に構えていればいいと気を取り直している。帰宅即狛江へバスケ。なのに一駅乗り過ごして時間のロスになる。バスケに遅れるのは仕事に遅れるより何倍も嫌だ。あわてて移動する。15分ほど遅刻。狛江第四中。連日のバスケで脚の疲労感が強いのをカフェインでごまかす。いつもよりリラックス度合いの高いプレーをした。なんちゃってストリートボールスタイル。


2026/09/18 一昨日 7575
一日在宅。『存在と時間』を読む。やっと1巻を読み終える。定時退勤して職場の飲み会に田町まで出かけていく。新しい人と話したりするのは楽しい。いい加減なことを適当に喋って突っ込んでもらったりもらえなかったり。ベルサイユの豚という気の利いた店名で肉が売りのようなのだがほとんど食べずにハイボールを飲んでばかりいた。基本的に楽しいことしかないのだが飲み会が終わるといつも疲れが出る。一時的な疲れだとわかっているので「俺は悪くない」との独り言と他責思考で乗り切る。


2026/09/19 昨日 4165
一日家にいてだらだらと過ごす。朝早い時間に目が覚めてしまい寝不足になったことで一日のクオリティが落ち、すべての進捗が停滞気味になった。ここ1週間でまた天鳳にハマって麻雀しているのも時間の使い方の面ではよくない兆候だ。『漂流教室』を読んで読書会に参加する。『存在と時間』について何かを言うことのむずかしさにばしっと直面してしまったが、他の人の話を聞いているのは楽しかった。16時半から19時前ぐらいまで。その後散歩しつつ飲みに出る。Peelを飲みご飯を食べてすぐうたた寝をしてしまう。23時近くに目が覚めてしっかり寝ようとするが寝つけず。2時ぐらいまで起きて『漂流教室』を途中まで読む。アーセナルがブライトンに0−3で完敗していた。


2026/09/20 今日 691
この日も一日家にいてだらだらと過ごす。雨が強いので出かける気にもならない。天鳳はしていない。『存在と時間』の2巻にとりかかる。『漂流教室』を読む。大相撲を見る。18時から落合までバスケに行く。落合第五小。

日記806

SAY Noh 2026/10/04 昨日 20982 バスケはオーラスの試合で逆転のブザービートを決めることができた。あまりよくないプレーもいくつかあったが、すべてが帳消しになるシュートだった。映像を見返したら歓喜のあまり祝福するチームメートを完全無視で...