20261015

日記809

自由時間に

2026/10/14 昨日 20808
大手町に行って仕事の用事。感覚的にまったく不必要と思われることでも、責任の所在とセキュリティの概念を組み合わせれば仕事になる。身体は建物に縛られていても頭は空いているのでその時間を使って『存在と時間』を読み進める。予定の作業時間を2時間すぎて16時近くまで同じカフェに居ることになった。休日でもそこまでいることはないという時間、同じ店の同じ席に座を占めていた。おかげでかなり読み進められた。暇ができれば動きたくなるもので、予定していたバスケ参加を一日早めた。中野第五中。明るい体育館でリングも多いからという言い訳もありつつだったのだが、やはり中二日の休息では足が完全回復しておらず、そのせいで消化不良とは言わないまでもじゅうぶんにハッスルできなかった。シュートフォームが抜群に安定してきれいなお気に入りの上手いプレーヤーがいるのだが、彼が怪我するところを見てしまった。古傷の再発っぽい感じでリアクションから察するに「またか」という感じだった。怪我がちなプレーヤーはレベルを問わずはかないものだ。行きはLUUP、帰りは酒を飲みながら歩いて。行きはまいばすけっとで通報されたらしきおっさんが警察官相手に「嫌です」と大声を出して抵抗しているのに出くわし、帰りは下を向いて歩いていたら道端にねずみの死体が落ちていてびっくりした。タオル地のハンカチの上に横たえられていた死体にやや心なぐさめられるような思いをしたが、よくよく考えれば死んだものにとってはどちらにしても同じことか。
セブンのタンパク質の摂れるサンドイッチを食べて寝る準備をして寝る。


2026/10/15 今日 6105
この日も大手町で前日と同じ用事。『存在と時間』を読み進める。作業は14時に終わり、下北の豚とんで小ラーメンを食べて帰る。プリンタニアニッポンを読む。仕事は順調に溜まっていっているのでとくに優先度の高い数件だけ簡易的な処置をする。1時間弱の残業をしてから退勤。スタバに行く途中、K2を覗くとエドワード・ヤンの『海辺の一日』を上映するのを見つけて、スタバのあとで見に行くことにする。演劇祭の俳優仲間がスタバにいたので軽く挨拶だけする。プレシーズンマッチを見ているうちにNBAの見方を発明した。つまり、一選手だけを追うというものだ。自分のプレーを動画で見ていると、いいわるいの判断とともにプレー選択の意図を見て取れるようになる。それと同じことを出場選手に対して行うということだ。ボールを中心に視線を動かすと印象はスーパープレーやシュートの成否ということに終止して、それだと目まぐるしく視線を動かしているだけになってしまう。NBAのようなショーにおいてはとくに、よくもわるくもそれだけで退屈しないで満足できてしまう。ただスーパープレーの印象の上書きをしているうちにその年の一番つよいチームが決まるということだと、それは必ずしもバスケの楽しさとはいえないかもしれない。対して、一選手に注目する見方をすると、なぜそこに走り込むのか、なぜ無理に行かないのかあるいはなぜ無理に行くのかというプレー判断の部分で楽しめる。スペースがあってある程度フリーでボールを持てればダンクをぶち込むのは決まりきっていることなので、ある選手はどうやってそのシチュエーションを作っているのかに注目するということでもある。カリーを始めとする3Pシューターの動きにしても同様だ。そして一選手に注目する見方をしていると、無理やりそこに割り込んでくる選手がいる。それこそがスーパーの付くスターで、そういう選手の輝きを見るにはその選手をじっと見ていないでもいい。向こうからこちらの視線を奪ってくるのがスーパースターという存在だからだ。

20261010

日記808

波間

2026/10/09 四日前 11781
前日に早く寝たら2時半に目が覚める。早く寝なければと焦るがそこから一切寝つけずに4時間が過ぎる。6時半の電車に乗って東京駅から高速バスに乗って館山へ。バスが遅れたので一時間に一本の千倉行きを逃し、バスで千倉に向かう。居るだけの仕事は入場時にこまかなトラブルがありつつも難なく終わった。千倉駅に帰るとちょうど東京駅行きのバスが出発直前だったのであまり考えずに乗り込む。帰りも羽田から東京駅までの道が混み、定刻の55分遅れで到着になる。まだ行っていないのであれば一度行っておいたほうがいいと声をかけた同僚にはわるいことをした。東京駅で友人の結婚祝いを用意する。岩波のカフカ短編集。通用するかどうかは別にしても文学にふれたことのある人生にしてほしいとは思ったので、差し出がましい真似とは思いつつ進呈することにした。北千住のやきとんが業態変化で焼き鳥になった店に入って飲む。受け身だけのやつはつまらない、積極性を持たないやつは退屈だとかいうTHE・強者の論理を振り回して遊んだが、立ち位置の問題にまで切り込んでいかないあたり、他人にというより自分に対して忖度があるとおもった。こちらからは俺はフェミニストだという話と感性の鈍麻についての話をした。そうすると必然的にラクになる。ラクになりたかったわけじゃないけど。サヨナラCOLOR。帰りに代々木上原駅で乗り換えの電車待ち。10分の待ち時間が長すぎると感じる。THE・東京人の感性だ。


2026/10/10 一昨昨日 18011
昨日の寝不足と飲酒を引きずって朝から頭痛がする。養生しつつ昼飯にスパゲティを茹でて食べる。バファリンを飲んで昼寝をして、夕方頃にバスケに出かける。家人の誕生日プレゼントとしてニューマン新宿で額縁を買う。バスケは中4日空いたのとカフェインを入れたのとでハッスルできた。イマジナス。積極的にプレーしないならわざわざバスケをプレーしにいく甲斐がない。この日は翌日に備えて酒を飲まなかった。


2026/10/11 一昨日 20434
午前中に演劇祭の顔合わせ時に読み合わせをするという脚本の練習をする。13時からの顔合わせに参加する。これはあきらかにバスケのせいだが発声しないコミュニケーションが板についてしまっていて、積極的なポジション取りをするのに無口という掴みどころのない動きをしてしまった。意見を求められたときにも口にする内容に比して言葉数が少なく、変な目立ち方をしてしまったように思えた。意識が自分に向くのは自分にとってはあまりよくない傾向なのだが、それが如実に出てしまった。肝心の読み合わせもうまくいったとは言えず。もっと相手に寄り添って手を差し伸べるような動き方もできたはずなのにそれをしなかったという反省もある。もっと自由に動いていいはずだ。というより、自由に動いているように動かないと演じることにはならない。現場で巻き起こる現象に対応するようにもっと集中して臨まないといけない。本来であれば自分に矢印を向けている暇などないはずだ。そそくさと会場を出る。スタバにも入れなかったので帰ってふて寝するがそれだけでは気持ちが収まらなかったのでバスケに行くことにする。ふてバスケ。落合第五小。脚が痛くて痛くて後悔したが1時間でアドレナリンが出てきて予期した通り痛みは収まってきた。すごく広義に見ると自傷的な行為だと思う。無理にも楽しもうとしたから楽しくはあったが。最寄り駅で氷結を飲む。帰宅してご飯を食べてから疲労困憊のなかふたたび駅へ。実家へ帰って1週間家を空けていた家人を0時すぎに迎えに行く。


2026/10/12 昨日 16199
蓄積した寝不足。飲酒。連日のバスケのせいで身体がガタガタになっていて午前中は何もできなかった。午後には回復したので予定通りTCBの2026秋の行楽part2に出かける。狛江駅に15時集合。改札前のセブン前でジョジョ立ちするNの子に迎えられ、五本松公園を目指す。川を見て喋り、酒を買いに行き、夕焼けと川とアオサギのシルエットを見ながら酒を飲んで喋った。演じるときに笑う演技が出来ないという話をした。TCBのふたりに向けてやってみたらすんなりできた。緊張する環境下で笑うのが難しいというだけの話かもしれない。笑えばいいと思うよというのは全くその通りだと思っていたがアドバイスとしてはあまり用をなさないものだということが遅まきながら理解された。完全に暗くなってから川を下って狛江の隣駅へ。そのまま狛江まで歩いてNと子はバスで帰っていった。子に最近おぼえた俺様クレイジーマンを披露するが一度もウケなかった。代わりに子が口屁(ブーというやつ)をしたときに大げさに吹き飛んでみせたらこれは百発百中でウケた。自分が何かをしてそれに対するリアクションがあると笑うということのようだ。これは子にかぎらず人にはそういう傾向があるように思う。子のためには積極的にそれをしようと思う一方で人にはそうしようとは思わないというこちらがわの都合もあるから万事に適用することはできないが。狛江の行こうと思っていた居酒屋はしっかり一見お断りで、女将にバツのジェスチャーを食らったため次善策のニュースターでBと飲む。Bはメガジョッキを都合3行く酒豪ぶりを発揮していた。楽しかったが何を喋ったかあまりおぼえていない。


2026/10/13 今日 3563
一日在宅。NBAのプレシーズンマッチを見る。ニックスvウルブズ。2年前にMSGでラメロ・ボールを直接見てからその華麗さに圧倒されてファンになり、NBAを見始めるようになった。そのボールがまたチームを変えてMSGでプレシーズンマッチを戦っているのが面白く感じられた。アントマンとのコンビワークも上々のようだし、ビッグマンのゴベアの存在感など、ちょっとずつウルブズのことを知り始めている。お昼にはお米を炊いて食べる。14時-15時のセクションで昼寝。完全な休息日に当てる。出すべき依頼メールを出すために30分すこし残業する。スタバに行って日記を書く。劇作家・演出家に対して気後れがある。思ったことを言いたいと思っているが、どのレベルで言うべきかを気にするという自分にとっては通常の配慮以上のものが、彼を前にして発言するときには生じる。自分が創作をしていないこと、劇作をしようと思ってもできないことを自分がはっきりわかっていることが、自分をして気後れを生じさせている原因だ。そうならないためには、1.劇作をする 2.俳優として彼に追従する意識を持つ のどちらかを採らなければならない。消去法的に2を選ぶのはそれを選んでいないのに等しく、たちまち”追従する意識”というようなこまっしゃくれたアイデアに寄ってしまう。前回の演劇祭後に、次回参加する条件として小説を完成させることを自分に課そうとしたのは、これが直接の理由ではなかったが、やっぱり理のないことではなかったのだ。いま、我らの劇作家はわれわれ俳優がせりふを言うために脚本を執筆してくれている。あまり相手を尊敬しすぎないようにしようという自分自身の参加ポリシーを一部やぶってでも尊敬するべきところだ。そうなってしまっているのは「自分がやるべきことをやらなかった」という自分自身のあるべき理想像からの欠損によるものなので、やはり忸怩たる思いは残るものの、甘んじて引き受けなければならない。自分自身に課した宿題をやらなかったのにこうやってノコノコと参加しているのは他の誰でもない自分なのだから。試しに15人の俳優が出演する上演脚本を書いてみようと思ってみたが、本当にまったく歯が立たない。文字通り一行も出てこない。

20261008

日記807

電飾の店

2026/10/06 一昨日 19932
一日在宅。途中病院で診察。検査で切った皮膚の縫合跡の抜糸があった。毛を抜くぐらいのチクッとした痛み。はじめてのことで内心怖かったが毛を抜くぐらいのことだとマインドセットしたらまったく恐くも痛くもなくなった。帰ってスパゲティを茹でて食べる。定時退勤してバスケへ。国領小。京王線への乗り換えが面倒といえば面倒だったが、不自由なくバスケをできていることを考えてみればそんなのはなんでもない。疲労の残るなかでだらだら動くプレーが増えてきていてよくない。これではやればやるだけ下手になっているようなものだ。あまり来たことのない場所だったのでクールダウンがてら国領駅前で氷結を飲んで帰る。それでも合計3回ぐらいは来ている。


2026/10/07 昨日 9431
午前在宅。定例などに参加のため午後から出社。タスクを積んでいるのでまともに働くと残業になる。恥ずかしながら30分弱の残業。帰りの電車内で思いつき、『我々は宇宙人』を見に行く。ライフストーリーと記憶の話だが、記憶方面からかなりよく攻めていた。『失われた時を求めて』の感じがあった。見ながらややドラマチック過ぎるのが玉に瑕かと思っていたが、アクションシーンのアクションに意味が出てくるのと、そういうのを抑えてリアリティに寄せるというやり方のほうが陳腐なのは間違いない。やいのやいの言わず乗っかってみることにする。最初の何気ないやりとりの時点で静かにグッときている場面があったのだが、オーラスでもそこにきれいな光を当てていて、この映画が何をやりたかったのかがはっきり出たと思う。普通にそこでかなり持っていかれた。ぐっと寄る前にふっと引くような群像劇的な演出が素晴らしかった。小学3年生男子のふたり組にしか出せないあのありふれた輝き。現実の日常場面でもたまに食らうことがあるものな。記憶の、忘れちゃうことのそれで良いというところを取り沙汰したのはとてもよかった。自分は自分自身にいま起きているこれらすべてを忘れたくないと思っているが、そのことそのものが幸運のなかの幸運なのだと気づいた。忘れちゃったとしてもいつか迸り出るように思い出せるかもしれないし、その可能性だけで十分だともいえる。
池ノ上で降りてまいばすでPEELを買う。上京時のアパート跡を見てから豚とんで小ラーメンを食べて帰る。早めに寝る。


2026/10/08 今日 524
一日在宅。NBAリーグパスの無料体験に登録し、8時からプレシーズンマッチのウルブスvペイサーズを見る。ハリバートンが復帰していた。その後流れでウォリアーズvブレイザーズを見る。ヤンハンセンが元気に途中出場していた。
昼ごはんに炊いた新米を食べる。昼寝をしてからタスクをこなす。すこし残業してタスク消化。日記を書いて19時前に退勤。酒を買って飲みながら散歩に行くつもり。

20261005

日記806

SAY Noh

2026/10/04 昨日 20982
バスケはオーラスの試合で逆転のブザービートを決めることができた。あまりよくないプレーもいくつかあったが、すべてが帳消しになるシュートだった。映像を見返したら歓喜のあまり祝福するチームメートを完全無視でひとり静かに天を仰いでシンプルガッツポーズをしていた。左手ですくい上げる力の弱いレイアップだったのだがまさに”指運”があった。
すぐ帰宅してシャワーを浴びて洗濯機を回す。疲れていたが良い時間だったので月下の能を見に行く。設営時に中に入らないでも立ち見の良い席があると目論んだ通りで、氷結無糖のウメを飲みながら通行人と夢幻能とを交互に見られる特等席(チケット非売品)で観劇することができた。演目は「羽衣」。知らない話だがなんとなくわかる。大方、ワキが手に捧げ持っているのが羽衣で、その持ち主がシテなのだろう。30分ほどで舞台がはねたので豚とんで小ラーメンを食べる。家人が家にいないので普段やらない”にんにくをかけて食べる”をしたら、さすがいつもより味わいが深くなった。帰ってスイッチというお笑い番組を見る。寝る準備をして寝る。


2026/10/05 今日 3996
午前在宅。千鳥の鬼レンチャンという番組でバスケ特集として千葉ジェッツの渡邉、原、金近の3選手対芸能人バスケチーム8選手での3on8という企画をやっていたのでTVerで再生する。企画とはいえ本戦でも泣きのエキシビションでも、エースとエース候補がシュートを外して負けてしまっていたが千葉ジェッツはこれで良いのだろうか。昼イチで新上司との1on1があるということなので早めのお昼でそばを食べてから出社する。なごやかに話すなかでうまく情報を収集するというミッションがあるようだ。自分の協力があったとはいえ卒なくこなしていてよかったと思うし、ちょうど裏面(りめん)から見ていてもリーダーポジションは大変だなと思わさせられた。そのほか軽い打ち合わせやら定例打ち合わせやらで小忙しくして過ごす。定時退勤し、電車内で前日のバスケの動画を見る。スタバで『存在と時間』を読む。第36節「好奇心」。本物だと思い誤られているものが登場するなど、いつのまにかT/Fの話に突っ込んでいて、そのことに対して「なんだかな」と思わないではない。また「現存在は遠くを求める」という文章が印象的だった。『存在と時間』では唐突にそういった文言があらわれては、自分の注意力をくいっと喚起してくる。日記を書く。友人から久しぶりの連絡が来た。なんでも彼女ができたらしい。結婚したいようなのだが焦りは禁物というかゆっくりだが着実にというアドバイスをおくりたい。当たり前すぎてあまり役に立つアドバイスではないように思えるが、こういう場合、本人の感覚というものは鋭角になりがちなので緩い方面への方向づけは”なんぼあってもいい”ものだと思われる。高校時代のマブなので言い方はそこまで気にしないでもいいと思うから思ったこととして率直に言ってみよう。なんにせよ彼女ができたのは良いニュースだ。ということなので個人的にひとりで祝杯を挙げよう。

20261004

日記805

思い・沿う・海

2026/10/03 昨日 21741
午前から演劇祭の説明会にいく。当然予期しておくべきだったのだけど前回参加者の人たちが結構いて驚いてしまった。意気込みを考えていったのだがなんとなくそれを言う気になれず、型通りの挨拶も避けてよくわからない所信表明になった。最初の読み合わせでは半端に緊張しなおかつ半端に緊張に慣れて一意専心に読むということも相手を見て動くということもどちらつかずの読み方になって悔いの残る結果になった。しかし出番が最初の方だったからまだよかった。もし出番が後の方になっていたら上手に自分の空気に持っていく他の参加者に気圧されていたと思う。自分でも想像していた以上にがっくりきてしまい、誰とも話さずにそそくさと会場を出た。
逃げるように小田急に乗って新宿へ。さがたにで親子丼セットを食べる。JR線の構内で友人Bと合流。秋葉原で乗り込んできた友人Nとともに、一路千葉駅へ。TCBの秋の行楽・まち歩き、この日は千葉駅周辺。ちばぎんアリーナを通ってポートパークまで歩いた。海沿いに佇んで強い西日を浴びながらビールを飲んだ。とりとめのない会話をしつつおのおの海を感じたりすぐ暮れる日に文句を述べたり。気のおけない友人とこうやってだらだら酒を飲めることで自分を慰撫する効果については必要以上に低く見積もってはいけないと感じるようになってきた。感謝するとか欠かせないとかいうと即座にトゥーマッチになり、リラックス効果が薄れて本末転倒になるから、取り扱いは粗雑にとどめおくように留意しておかなければならないが、毎月のようにくだらない写真が溜まっていくのは嬉しいことだ、ということはいえる。都市モノレールに乗って千葉駅にもどり、駅前の歓楽街にあるラーメンショップで晩ご飯を食べてから電車に乗って帰る。グリーン車に乗ってやろうかと思ったが750円と予算オーバーで断念した。友人Nが食べすぎのせいですこしグロッキーになっていた。もともと小食のイメージはあったがラーメン並一杯でダウンするとは驚きだ。
すべてにおいて意識レベルが下がっていて、たぶんそのおかげで緊張が過緊張にならなくなってきているのだと思うが、ピシッとするところではピシッとしていないといけない。泣く泣かないが論点になっているように思えてふたりが話す話題に入るつもりはなかったが、飼い猫の死については明確に悲しいことだ。そこはびた一文まからない。


2026/10/04 今日 1887
9時に不要なアラームで目が覚める。バスケに参加できそうなので準備をしてからまずはエキウエのスタバへ。スマホで日記を書いてからコーヒーを一気に飲み干し、13時からのバスケ会場に移動する。落合第二中。夜には下北駅前で能をやるみたいなのでまだ元気があったら見に行きたい。

20261002

日記804

グッドナイト

2026/09/30 一昨日 16895
午前在宅。昼までの経過観察でバスケはできそうだったので用意を持って昼から出社。打ち合わせなどこなしつつ定時に退勤。そのままバスケに行く。落合第二中。代々木駅乗り換えで落合南長崎まで。30分ぐらい早く着いたのでマクドに入ってシェイクを飲んで時間を使う。上から目線ストリートの溜まっている投稿4日分ぐらいを一気に投稿した。バスケは普段以上に接触プレーを避ける動きをした。部活で鳴らした選手にとってはもはやDFしてないように見えるだろうが背に腹は代えられない。傷口が開いて腹から血を流すよりはマシだろう。そうは言いながらあまりハッスルできなかった不満感はちゃんと溜まり、不承不承酒を飲んで紛らそうとした。帰宅して新米を軸に据えたご飯を食べる。映画『ファーゴ』を見る。何度見ても面白い映画だと思っていたが昔はもっとコメディ色が強く見えていた。今見るとなんというか身につまされる場面が多いように見えて焼きが回っているのを感じる。音楽の使い方と、種類が少ないながらパキッとした色調、画面の統制の取れ方、幾何学的なパターン配置など美しい映像だという印象は変わらない。


2026/10/01 昨日 9768
朝だけ在宅。11時すぎからの新編成チームの打ち合わせに参加する。現地で出たほうがいいだろうと思って無理にも急いで出勤したのだがその判断は間違っていなかった。それ以外にも仕事がうっすら溜まっていたので消化する。退勤後、旧編成のチームでのお別れ飲み会があった。なんだかんだ今の上長に拾われて、基本的に放任でやることさえやっていたら文句も言わないスタイルで相性もよく、待遇UPの交渉に対しても上にかけあってくれて無理を通してくれるなど、良くしてくれたという思いがある。飲み会では安定の奈良いじりのくだりがあってまあ和やかで愉快だった。
この年になってはじめて職場の上司に対して感謝の念に近いものをおぼえた。終わってから下北で家人と合流してだいこんまんへ。お好み焼きとエリンギバターで飲み直す。帰り道は涼しくて快適。なにも言う事なしだった。


2026/10/02 今日 5673
一日在宅。朝ご飯を買いに最寄りのセブンに出かける。『存在と時間』を読む。お昼時にご飯を食べながら有吉の壁の最終回を見る。インポッシブルのひるちゃんの風船がすぐに割れてしまうくだりで爆笑していたら家人にイヤホンをつけながらの爆笑を訝られ咎められた。新米を軸にした昼ごはんを食べる。仕事は何もしていないのに正体不明の疲れがあり、たまらず昼寝する。30分ぐらいにとどめるつもりが1時間半ほどに伸びてしまった。その間に舞い込んできた仕事と未消化の問い合わせに対応するのとで1時間の残業になった。家人とムーンアートナイトの音楽ライブを見に行く。もころんと永原真夏の共演で、もころんの心の声ふくめてとてもよかった。途中で切り上げようと思っていたが最後にかかったのが「あそんでいきよう」だったので結局最後まで聞いた。うさぎ春日の「たまらなくなるのです」の歌詞のところでたまらなくなった。もころんの魂のダンスを見終わってからスタバへ。もころんの退場場面で、仮設楽屋テントの中に入っていくもころんに挨拶しそこねたとおぼしき女の子が世界の終わりのように口を大きく開けて泣いていた。今まさに生えていっているような生えかけの全部の歯を見せて彼女自身の悲しみを表していて、悲しくも可笑しくてどこかたのもしく、すばらしく美しい光景だった。『存在と時間』35節の空談を読み終える。根こそぎというワードが出てきた。

20260929

日記803

雨のなかのライシング(精米)


2026/09/26 一昨昨日 12562
TCBで秋の行楽・街歩きを予定していたのだがあいにくの雨で中止にした。代わりに家でボードゲームをすることにした。友人Bと友人Nと家人との合計4人でカタンをやった。自分は初期配置にミスがあり早々に離脱。カタンは逆転が難しいのに一回のゲームが長いという欠陥がある。だから優勝するかどうかよりもビリにならないかに意を砕くべきというところがあるのでその分つまらないゲームだといえる。ビリでもサイコロを振れるのでサイコロを振りたい向きには適しているが。
雨も小止みになったので初台まで飲みに出かける家人を見送りがてら下北まで歩く。ムーンアートナイトに友人Nの1歳半の娘と参加して楽しかった。大人の男三人組が手に手に缶チューハイを持って子供と歩いている図をアートとして提出するというようなことを言うほど落ちぶれてはいないつもりだが、例年のTCBの道行きと比べ、見た目の面で映えることは間違いない。最低限足元に気をつけて歩いていたが、歩き初心者の幼児だけはスリッピーな床に足を取られ、豪快に尻もちをついていた。驚きが不快へと結びついていかない黄金期なので、しばらくキョトンとしてすぐに立ち上がった。大したもんだ。
友人Nを見送ってから熊源で味噌ラーメンを食べる。カッパに行ってウイスキーをロックで注文した。バーをひとりで楽しむ要領を心得ている友人にバーに行くコツを訊いたら、「おずおずと振る舞うこと」と答えていて含蓄があるなと思った。なんでも相手に助け舟を出しやすくするのが重要なのだということで、わからないのに知ったかぶりをしたりカッコつけても仕方ないやんということだった。バーはカッコつけに行く場所だという頭があったから、それなりに目からウロコだった。あとはカッコつけたい気持ちとの折り合いの問題になる。グレンフィデックのロックを飲んだ。『存在と時間』を読んでいるという話をしたあたりから時間がすぐに経っていった。自分には独我論的な志向があるので他人の存在追求について関心がある。22時45分頃に解散。おのおのの門限もしっかり守り、すっかり健康だ。


2026/09/27 一昨日 15863
大相撲の千秋楽を見る。大の里がアオニシキとの直接対決を制して優勝を決めた。感極まった表情に重責を担うことの重圧を感じさせる。バスケに出かける。ハローサイクルで高円寺体育館まで。心肺機能の面で制限がかかりあまりハッスルできなかった。どうにかしてアドレナリンを出して制限を取っ払いたかったのだがうまくいかず。マッチアップのセンター勝負でボコスカやられて悔しい結果に終わった。チャリで帰宅。荷物を置いてからチャリを返却し、最寄りのセブンで缶チューハイを買って飲みながら家人を待つ。涼しくて外にいるのがまったく苦ではないご褒美のような気候になっている。雨の多さだけが玉に瑕。


2026/09/28 昨日 7001
「ただ暗いだけでなく黒く、ただ黒いだけでなく暗い、暗黒の劇でした」というコメントを演じ終わった後の役者兼演出家兼劇作家相手に直接言う夢を見た。適当なことは言えないと思い、しかし何も言わないわけにはいかずなんとか絞り出したコメントだったのだがなんとなく事なきを得た雰囲気になってその場が次に展開していったのでまあそれで良かったかと思って目が覚めた。夢の内容をGeminiのメモ機能で録音・文字起こししたので以上覚えていられた。
午前在宅。昼一番で出社する。打ち合わせに参加したり蓄積されているタスクを消化したりして定時すこし過ぎまで働く。まっすぐ帰宅し、家人の運転によるカーシェアのカーでコイン精米に出かける。行きの道が大変だったのに比べて帰りはあまりにもスムーズだった。Googleマップは進入禁止の道を案内してくるのでまったく信用できないということを知ることになった。帰って精米したての米を炊いて明太子といっしょに食べる。本当に本物の新米の威力というものを知った。

2026/09/29 今日 5151
部屋の中で起こった出来事をVARで判定する役目があり、攻撃側と守備側のどちらに正当性があるのかを判断しなければならない羽目に陥っていた。何度も再生巻き戻しを繰り返してよくよく事態を見ていくと、まったく無関係のスタッフが直接プレーに関係ないところで横暴をしていることが明らかになり、公平性を期すべきなのにこのような横暴は許されないとして告発することになった。そんな告発に気を取られているあいだに、まんまと攻撃側が守備側を蹂躙して、そのまま守備側が全滅する事態になった。守備側に攻撃側のスパイが紛れ込んでいて彼が正体をあらわすと同時に守備側全員をつぎつぎに刺していったようだった。その結果ありきでリプレイを見ていくのは自分にはつらいことで、自分はやられてしまった守備側に肩入れしていたのだとそのとき知った。
朝から病院に行って検査を受ける。皮膚を切る処置があったので麻酔注射をしたがそれが結構痛かった。こんな痛みは病院のなかで起こりうる痛みのなかでは序の口もいいところだと思うので我慢して何のこれしきとばかりすましていようとしてがうまくいかなかった。右手のひとさし指の爪で親指を突き刺し痛みを分散させる作戦を取り、本格的に親指を攻撃しようとしたところで麻酔注射が終わった。麻酔後の皮膚の切り取りはまったく痛くなかったが血がたくさん出ている様子が手術用照明の金具部分の反射を通じてすこし目に入り、その分だけ気が滅入ってしまった。気分は悪くないですかと看護師に訊かれたときすぐに「大丈夫です」と答えることはできたので総じて大したことはなかったのだが、縫合にも思っていたより時間がかかり、やや疲れてしまった。照明のライトの数は右側28個、左側28個で合計56個あったのを確認した。処方箋薬局で薬を出してもらい帰宅。11時から在宅勤務を開始した。客との定例打ち合わせに参加する以外には大きな動きもなく、定時すこしすぎに退勤。スタバにいかず自宅で『存在と時間』を読む。第33節「解釈の派生的様態としての陳述」を読み終える。ハイデガーの逆節構造のなかに重きを置くやり方が見えてきてちょうど読みやすくなってきたあたりだ。山崎正和の逆説構造の文体を思い出す。日記を書く。

20260925

日記802

業者たちのシーン

2026/09/23 一昨日 10092
14時すぎにスタバを出てバビシャーでチーズナンを食べる。腹ごなしにゆっくり歩いて帰宅。大相撲を見る。17時半すぎに家を出て新宿のどん底へ。そこで家人が待っており、はやしさんのライスとチャーシューをいただく。チャージ料があり酒の値段もそこまで安くはないが、チャーシューがとくに格安感のあるボリュームで満足させられた。その後に映画を見る予定があったので酒を飲めなかったこと、遅めの昼にチーズナンとナンのおかわりをたっぷり食べていたことが悔やまれる。また行きたいと思った。
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか』を見る。内容は予想していた通り重かったが、演出がきちんとしていて見づらいところはなかった。ヴェネチアに出品された映画なのに上映館が少なすぎる。個人の苦悩に併走するかたちを崩さないのだが、社会構造の問題点をえぐり出してもいる。戦場を作ることは間違っている。戦場を作るようなことをするのは間違っている。戦場で正しいことをするのは不可能だ。だから出だしのところで間違わないようにしないといけない。歴史のような広い射程で見れば、オデュッセイアの世界ではネルソンさんの苦しみは相当少ないのではないかと想像する。それに彼らにはネルソンさんがなぜ苦しんでいるのかが部分的にしか理解できないはずだ。だから世界は確実に進んでいるということは言える。
この日は酒を飲まないで帰ってすぐに寝た。


2026/09/24 昨日 17927
一日在宅。朝礼も定例もなかったので仕事は本当に何もしなかった。『ドラフトキング』を読む。TCBのふたりが面白いと言っていたのと有吉がSNDで一番好きだと言っていたのが決め手になった。しかし野球が好きではなく、より正確には嫌いなので、楽しむための基盤というか土台がぐらぐらしたまま読むことになっている。感情的な揺れ動きはあるが、なんでこんな魅力のないスポーツのためにみんな必死なんだという根本的な疑念がぬぐえない。主人公は嫌な奴を演じている系で、彼の年長のライバルもその相似形なのだが、単純なマネーゲームとつまらない球技のために嫌な人にもなるという決意そのものにみっともないものがある。絵柄のせいかもしれないが野球選手に格好いいタイプやお洒落な人物が皆無で、基本的にモサッとしている奴らばっかりなのが自分のなかにあるリアルと整合していてそこは正直でわるくないと思った。今野球に夢中な人間というのは総じてあんな感じだ。彼らはもちろん大谷がどうとか言っているライト層も早くいなくなってほしい。ボールの硬さひとつとっても馬鹿馬鹿しいスポーツなのは間違いないのだから。大相撲を見てから定時退勤。バスケに出かける。落合第五小。中一日の休みだったので脚の疲労は完全には抜けず。だらだらプレーに終止して、不完全燃焼気味で終わった。やるんだったら真っ直ぐハッスルを目指せ。ここのところとくに3Pに凝っていて、毎回すこしずつ感じを掴めている感覚がある。しかもそれが蓄積していっているのを感じる。このあたりは密にバスケをしている効果なのかもしれない。身体が十分に温まってからロングシュートを狙うべしというノウハウも掴んだ。
この日は飲まないでもいい酒を飲んだ。有吉の壁のヤマダ電機回を見て寝る。

2026/09/25 今日 4586
一日在宅。『ドラフトキング』を読む。仕事は溜まったメールを読むのと積み残しタスクの消化だけ。大相撲を見る。定時退勤して美容室へ。白髪ぼかしをしてもらう。永原真夏のムーンライトを聞いてからスタバに移動して『存在と時間』を読む。日記を書く。ここ最近昼寝時も含めてたくさん夢を見ているのだが全然内容を覚えていられない。ボイスレコーダーを枕元に置く運用を真剣に考えてもいいかもしれない。夢の中身を小説に移しても著作権に引っかからないのは大きい。使えるものは全部使えというのは基本中の基本のはずだ。

20260923

日記801



2026/09/20 一昨昨日 19314
雨のなかバスケに行った。大雨の影響か季節柄か、体育館に毛虫がいたりして開始前に気分が落ちることが危ぶまれたが、始まってみればプレーは好調、メンバーも上機嫌で、とにかく楽しかった。リバウンドを褒めてもらえたのでたくさんジャンプをする回になった。自分史上一番高く飛んでリングに指がかかったりもした。
帰宅して家人が作ってくれたシマホッケのみりん干しの焼きを食べる。たのしいたのしいで酒も飲んだ。


2026/09/21 一昨日 5288
強雨のため一日家にいた。14時すぎに友人B、15時すぎに友人Nが来てボードゲームで遊んだ。Nが来る前にはスイッチのオインクゲームズで月面探索を遊ぶ。3回やって初回以外はクリアした。Nが来てから家人も参加してボードゲームで遊ぶことに。チャオチャオとドミニオンはともに却下され、だったらとヤケで提案したアズールをすることになった。自分はべつにやりたいわけではなかったが他三人のやりたいゲームでもなかったようなので、投票多数決で決めるよりはひとりのやりたいゲームをやるという意思決定のほうが適している場面だったと思う。アズールの勝者が次にやるゲームを決めるという話だったが、なぜかNのプッシュでタイムラインをやることになる。勝てなかったのもあるが面白くなかった。細かいルールの付け方で盛り上がり方が変わるはずなのだがNにはそういうルールの提案ができない。やりたいゲームはあるがちょっとしたチューニングをする気配りもそういうアイデアもない。まあ酔っ払っているとなんでもいいということになりがちだし実際なんでもよかったのだが。雨足が弱くなっていたので下北沢までふたりを送る。映画『オデュッセイア』の話をする。自分は本作の画面作りというかイメージの鮮烈さをかなり高く評価しているのだと気づいた。だからこそハリウッド的なクライマックスのわちゃわちゃが許せないという論旨だった。Bはクライマックス含め評価しているようだった。Bの映画評は基本的に辛いのだが、ハリウッド映画のハリウッド映画らしさに対する批判はなぜか抜け落ちているように思える。「ご都合主義」という批判の文言は出ないからスタンスに大きく矛盾はないが、ハリウッドの文法やその文法の都合で進む場面や筋が見えていないような適応具合でいながらたまに「リアリティ」という言い方をすることがあり、リアリティもひとつのフィクションにすぎないという観点に欠けているのかもしれないと思わせるところがある。NはIMAXレーザーにしないというムーブをしていて、勘所を押さえようとしていないのか、たんに勘が悪いのか、その両方なのか、その両方なのだろうという結論になった。見るときに感想で自分を表現しようという気がありすぎるのだと思う。だから同じ作品を見て感想を言い合うという感じにならないのが、ここ数年で彼と感想を言い合うのを避けようとしている理由だ。感想を言おうとして飛び出した言葉にずっと振り回されているし、乗っかっても否んでもそれに付き合わされることになる。
帰って家人と『さよならララ』を見る。タイトルに込められた悲哀の表現が直接俺を狙ってきたのかというぐらい琴線に触れる。網干行きの発車メロディのノスタルジー。心が痺れたようになり、見終わってしばらくのあいだ休憩が必要だった。翌朝のバスケに出ることに決めて早寝する。


2026/09/22 昨日 28777
9時からのバスケに行く。落合第二中。足が痛んでその分楽しさが目減りした。が、中盤以降アドレナリンが出てきてからは痛みが気にならなくなって機嫌を取り戻した。タッパのあるプレーヤーがいたのでディフェンスが大変だった。スリーポイントの練習の成果が出て3本打って2本入った。最後のほうのシューティング時にタッチを掴みつつあるシュートを放てた感覚があった。最近ではフォロースルーのゼロポジションを意識し、上ではなく前に押し出すイメージを強くしている。
代々木公園に移動。代々木駅近くのすき家で牛丼特盛を食べる。ビールを買って公園のドッグランに移動。酒を飲みながら犬を見ながら友人Nとその娘を待つ。合流後は彼女の歩く様子を見るのが主になり、犬たちがまとめて後景にしりぞいた。Nの妻・Nの娘の母とも合流し原宿に戻る。原宿、代々木上原でそれぞれNたち、Bと解散し帰宅。パッタイを食べて大相撲を見る。あまりの睡魔でよくない時間にうたた寝しそうになったので家人を伴って下北まで散歩する。涼しくてとてもよい気持ちだった。ホルモン青木で肉を焼いてハイボールを流し込んでから帰宅。
この日も早めに寝て正しい睡眠サイクルを取り戻そうとする。


2026/09/23 今日 2376
8時に起きて9時に出かけるまでゆっくり支度をする。スタバに行って芥川の短編集から『運』を読む。話の導入や運びがうまいし、言葉の選び方に気韻がある。良い席に座れたので日記を書く。自分が小説を書くことについて思っていることを整理しようとして次の文章を書く。
小説を書くということをわざわざやるのであればオリジナリティにはこだわりたいと思っている。つまり、自分の制作によらない文物の存在を前提とした作品を作るのは、それが導入なりイースターエッグなり、ちょっとした仕掛けのひとつという位置で登場させるのではないかぎりやりたくないということだ。今流行っていたり昨日今日注目を集めるようなイベントを作品に直接反映させるというやり方には、作者自身がそれをどう意図しているのかはさておき、きめこまやかなタイムラインを後の世に復活させるという名目は立つ。ようするに資料的価値の提供だ。つまり自分たちは日日こういうものに注目させられてきたという記録を残すことの役に立つとは言える。しかし、自分としてはわざわざそんなことを自分がやらないでもいいと思う。それにそもそも小説という形式がそれに適しているとも思えない。資料的価値をもつと言っても、なんらかのかたちに歪められたそれは他のたくさんの資料との照らし合わせにおいてはじめて価値が出るたぐいの参照項のひとつでしかない。整合性の観点からも、どのように歪められたのかというのは部分を参照するときに外されるモザイクのような取り除かれるべき障害物としてしか扱われないだろう。それが妥当な操作であるかどうかはおいても、そのようにパズルを組み立てるときのお邪魔ものとして、自分自身のもつ歪みとその結晶を矯めようとされるのは本意ではないのではないかと自分は思う。機械的な操作(ワンクリックもしくは自動翻訳)によって簡単に外されるロックとして自分自身の歪みを扱われ、実際、大方その通りでもあり、さらにそうなったときにはすでに反論のしようもないというのは、歪みの主体にとって悲しむべきことだ。そういう悲しい面を見せることで、そのときに在るべつの歪みの主体を尻込みさせるようなことはしたくない。もっと言うと彼らの反面教師にはなりたくない。
小説を書くのはセラピーではない。小説を書くのは自己満足ではない。
これは自分の書いた小説だというものを書きたい。自分を取り巻くさまざまなものによって書かされたという面はどうしたって出てくるものの、書いたのは自分だといえる小説を書きたい。そのためには他人の制作物をみだりに使うべきではない。それによって注目を集めるのは多くの人に読んでもらうためには必要なことだという論理はありえない。それをすることで自分の書いたものだと言えなくなったらそもそもの意味がなくなるからだ。
これは自分が書いたものだ。読まれないのは自分のせいではない。心底からそう思える小説を書きたい。それが書けたらその時点で人生は成功だ。それから先は人のために作品を宣伝する活動をして過ごせばいい。「これが良い」というものを持っていてそれを人に薦められる生活は、それ以上ないほど気楽なものだろうと思う。逆に言えばそれがないかぎり気楽さはつねに足りない。信仰を持つことの一番の利点は気楽さを得られるという点にこそにあるのだろうと想像する。ある意味で自分を捨てることでしかその道は開かないのだろうから、それは選択肢に入らないが、どうにかして気楽さに到達したいと思ったとき、自分には小説があった。
最終的にその気楽さが手に入らないままで終わるにしても、それを目指していることですでに気楽さをいくらか得られている。結局、気楽さを得るためには自分で作った自分の目的をもつことだ。それはセラピーではない。どこかへ達しようとする人生はべつに病状と呼ばないでもいいからだ。それは自己満足ではない。満足できるまでやって実際に満足できたとしても、満足したらそれで終わるというかたちは取らないからだ。それを薦めようとするフェーズがあとに続く。
言葉を使って表現することは、他人のなかに存在しようとすることだ。その表現を通して自分を他人のなかに存在させようとすることだ。他人のなかに存在する仕方はいろいろあるが、自分が一番得意なのは小説を書くことなのだと思っている。べつのやり方ではうまくいかなかったり、自分でこうしたいと思うほど上手にできなかったりする。これは言い訳だが、フィードバックが早すぎて試行が場当たり的になったり、その場しのぎになったりする。ときたまそれらのうちのどれかが上手くいったとしても、瞬間の印象を点々と残す・点在することしかできない。もっと贅沢に一定の期間をもらって線を引きたいし、面として当たりたい。さらに厚かましいことを言うなら体を形成したい。小説以外にも得意はいくつかある。ただ、立体的に存在するところまで存在級位を推し進めようとするのなら、自分には小説がもっとも適している。これは感覚的に自明のことだ。
人は小説を読まないとか、人はじゅうぶんな器や容積を持たないという事実もある。それでもそれは一定の事実にすぎず、すべての人が小説を読まないわけでもじゅうぶんな器を持たないわけでもない。自分としては全員の可能な全員に向けて小説を書くというスタンスを崩すつもりはないが、そうは言っても全員に自分の小説を読んでもらうわけにはいかない。社会の努力が結実し、もしも全員に小説を読む時間が確保されたとしても、読む小説には正しい順序もあれば優先順位もある。その順番抜かしをして自分の小説を読めとは思えない。そうすると正味の読者量は相当絞られる。霞を食って生きないかぎりそれで生計を立てるというのは不可能だ。これを書いていて気づいたことなのだが、自分の小説が読まれるべき小説が読まれることの障害になることがある。これは意想外だった。自分が文学フリマに感じる違和感のもっとも大きな部分は、ある文学作品が読者の時間資源を消費し、本当に読まれるべき文学作品が読まれるための時間を奪い、文学に背を向ける結果になっているところにあるのだが、これは自分の小説にもまったく同じことが言える。相当程度に辛抱強く読書を続け、しかもアンテナをあらゆるところに張り巡らせていないかぎり、そもそも自分の小説の読者にはなりえない。だから結局、読者はひとりいれば御の字だということになる。その意味でもこれは自分の書いたものだと言いたいというのは決して誇張した大目的ではなく、事実としても最大目的そのものだ。そうは言っても何人かは読んでくれるだろうというのは非常に甘い見立てで、根拠のない夢想に過ぎない。だからどこまでいっても書くことが目的ということでいいし、そうでしかあり得ない。それでも書きたいのであれば書けばいいし、そういうことならさすがに書かないというのならそれもいい。ただ、書いて完成までもっていければ、すくなくとも自分だけはそれを読める。自分はそれを励みに書こうとしているし、それだけのために書いてもいいと思っている。そうだとすれば、作品が誰かの制作物を前提としたものにならないというのは根本的な条件にもなろうし、わざわざそんなことをする意味がないというのも理解できることだろうと思う。何かが面白くてそれを取り入れるというのも、単にそれを見返したり読み返したりすればいいだけのことで、自分の小説として他人の制作物を振り返る意味がない。

ストローとしての役割しかこなせないというのでもいいが、それにしてもある程度の長さは必要だろうと思うので、まずは浅い呼吸を見直すべきだという主旨がある。自分は一介の文学者にすぎず、小説家になるつもりはないからそういうことを思うのかもしれない。

20260920

日記800

ビクトリー

2026/09/16 四日前 14468
一日在宅。強い雨の降るなかバスケへ。落合第五小。帰ってから家人の作ってくれた鶏の胸肉の片栗粉まぶしピリ辛焼きのご飯を食べる。さよならララを見る。まりの「まだ死ななくてもいいんだよ」というセリフとED曲の入りが完ぺきで、ぐーっときた。今さらながら滋賀県が舞台というのもやはり大きい。


2026/09/17 一昨昨日 14210
午前在宅。午後から出社。10月から所属変更になるので新上長との顔合わせ兼打ち合わせ。今の上長とは相性がよいのか伸び伸びとやれていて文句のひとつもない。だから変更になるのはプラスよりマイナスが多いだろうと思うので微妙だ。しかし長くても残り半年なのでどう変化してもいいやと適当に構えていればいいと気を取り直している。帰宅即狛江へバスケ。なのに一駅乗り過ごして時間のロスになる。バスケに遅れるのは仕事に遅れるより何倍も嫌だ。あわてて移動する。15分ほど遅刻。狛江第四中。連日のバスケで脚の疲労感が強いのをカフェインでごまかす。いつもよりリラックス度合いの高いプレーをした。なんちゃってストリートボールスタイル。


2026/09/18 一昨日 7575
一日在宅。『存在と時間』を読む。やっと1巻を読み終える。定時退勤して職場の飲み会に田町まで出かけていく。新しい人と話したりするのは楽しい。いい加減なことを適当に喋って突っ込んでもらったりもらえなかったり。ベルサイユの豚という気の利いた店名で肉が売りのようなのだがほとんど食べずにハイボールを飲んでばかりいた。基本的に楽しいことしかないのだが飲み会が終わるといつも疲れが出る。一時的な疲れだとわかっているので「俺は悪くない」との独り言と他責思考で乗り切る。


2026/09/19 昨日 4165
一日家にいてだらだらと過ごす。朝早い時間に目が覚めてしまい寝不足になったことで一日のクオリティが落ち、すべての進捗が停滞気味になった。ここ1週間でまた天鳳にハマって麻雀しているのも時間の使い方の面ではよくない兆候だ。『漂流教室』を読んで読書会に参加する。『存在と時間』について何かを言うことのむずかしさにばしっと直面してしまったが、他の人の話を聞いているのは楽しかった。16時半から19時前ぐらいまで。その後散歩しつつ飲みに出る。Peelを飲みご飯を食べてすぐうたた寝をしてしまう。23時近くに目が覚めてしっかり寝ようとするが寝つけず。2時ぐらいまで起きて『漂流教室』を途中まで読む。アーセナルがブライトンに0−3で完敗していた。


2026/09/20 今日 691
この日も一日家にいてだらだらと過ごす。雨が強いので出かける気にもならない。天鳳はしていない。『存在と時間』の2巻にとりかかる。『漂流教室』を読む。大相撲を見る。18時から落合までバスケに行く。落合第五小。

20260915

日記799

高円地帯

2026/09/14 昨日 17120
バスケに行ったが、案の定ぜんぜん走れなかった。走行距離はいつも通りだったと思うが、ここというときのスプリントがまったくできず、だらだらと走り続けていてこれという印象的なプレーもできなかった。3P試行するも成功せず。自分のリズムだけでチームの雰囲気を無視して打ったトップからの一本は後ろからのマークに気を取られて大きく左右にズレた。打った瞬間に外れたとわかるショットの数をまずは減らしたい。そのあと「イケる」と思ったのに力加減が足りずエアボールになるショットを減らしていく。しかしシュート試行そのものはどんどん増やしたい。疲労で足が痛む。足を引きずり気味にして帰るが、高円寺駅まで歩くあいだに氷結無糖シークワーサーの500mlを飲む。ほとんどやけ酒だが気温が涼しいので気分はわるくなかった。帰宅してセブンで買ったチーズハンバーグをボイルしてご飯といっしょに食べる。千鳥のチャンスの時間を見て夜ふかししてしまう。マジギレ相談室のラインナップ(アンジャッシュ渡辺・引き締める女・ダウ蓮見・永野)はバランス含め完成度が高く、ひな壇のさや香新山、そいつどいつ刺身は役割を全うしていて、実際誰が相談に来ても面白いと思う。トットの桑原が「弱い相談」を持ってきて、しかも桑原の語りを崩さずにヘラヘラというかしなしなしていてやけに面白かった。


2026/09/15 今日 4765
朝から出社。午前中に仕事をガスガスこなす。出すべきメールを作成して午後に出す分と定めて午後から在宅に切り替える。遅めの昼ご飯でセブンで買った黒酢の肉団子をボイルして冷凍ご飯をチンして食べる。30分昼寝。大相撲を見る。大の里が立派な横綱相撲をしていて復調のきざしを見せたのがよかった。30分近く残業してから大の里による結びの一番を見届けてスタバへ。もうすぐ閉店するという代沢のスタバに行ってみる。ドリンクは高いが居心地はさすがに良い。途中白黒で毛並みの長い大型犬が入ってきたのもよかった。賢そうなボーダーコリー(?)だった。『存在と時間』を読む。他人の存在について、と自分のなかでテーマを定めて読むと内容が入ってくる箇所だった。26節「他者たちの共現存在と―」。二人連れの女のうち、よく声の通る女がずっとうるさい。「40歳のババアだから」と自分を下げる発言をしている。「30歳のババアだから」なら30にもなってみっともない言葉遣いをしていて悲しいね、で済むが、40歳で同じことを言うのは目も当てられない。話の中で「この前はじめてちいかわを見た」とか言っていた。お前みたいなもんにはちいかわがお似合いだよ。21時半までいてやっと帰った。26節を読み終わり日記も書き終わったので酒を飲んで帰ることにする。帰ったらTverで有吉クイズを見よう。楽しみにしていたメモドライブの第三回。今回はとくにメンバーが良い。

20260914

日記798

ラック

2026/09/12 一昨日 11028
午前中は『存在と時間』を読む。昼すぎから南町田へ移動。途中の中央林間の大戸屋で遅めのランチ。もろみ炭火焼きチキンW盛りとご飯特盛。グランベリーパークの109シネマのIMAXレーザーで『オデュッセイア』を見る。いろいろ感想はあるのだろうが、この作品でないと得られない独特の体験があるのはたしかだ。それを補完するためにもIMAXレーザーで見るのは必須だと思う。気になったところは、ハリウッド映画の制約からクライマックスで派手なバトルシーンがあってオデュッセイアが大暴れするお約束シーンが用意されていたことだ。映像的なゴージャスな質感が台無しになるほどではないが、それでも物語のトーンがハリウッド映画じみたものに引き寄せられたのがもったいない。そのまま田園都市線で三茶に移動。酒を飲みながら歩いて帰る。FIGに入ってご飯を食べた。グラタンなどのチーズを使った料理がおいしい。食後のデザートのプリンもカラメルがパリッとしていておいしかった。200円というのは驚きだ。そのほか全体的にこの店の価格設定は安すぎる。


2026/09/13 昨日 16883
朝から『存在と時間』を読む。1巻の終わり近くになってやっと文章に慣れてきた。天幕のジャードゥーガルの最終回を見ながら昼ごはんを食べる。ゆっくりゆっくり進んでいくなと思っていたら尻切れトンボのように終わってしまって驚いた。正直第一話が一番面白かったと思うが、ラスボスを善人でなおかつ良君にするのがチャレンジングで最後まで見届けたい気持ちになっただけに終わってしまうのは残念だった。大相撲初日を見る。高円寺までバスケに出かける。イマジナス。3Pシュートにチャレンジした回だった。一本だけ決まった。外れても打つことが大事だと思って打った。最寄り駅まで車で送ってもらい、帰ろうとしたところ家人から厚揚げのお使いをお願いされる。セブンにもローソンにもなかったのでまいばすけっとまで行く。家人を呼び寄せて荷物を持ってもらう。帰り道で予定外のPeel(7%500ml)を飲む。帰宅後ご飯を食べてからシャワーを浴びて12時すぎに寝る。


2026/09/14 今日 2337
一日在宅。『存在と時間』を読む。明日できることは明日やるをモットーに仕事はまるまる積み残す。卵焼きを作って昼ごはんにする。食べてから昼寝をして腕立て伏せ。大相撲を見てからバスケに出かける。連日はよくないとわかっているのに我慢できない。高円寺学園。この日も3Pの挑戦と走ることを意識してやろうと思っている。

20260911

日記797

グリーンライトを探せ


2026/09/09 一昨日 18221
朝から出社。昼から在宅に切り替える。定時すぎに退勤し、バスケに出かける。落合第二中。最後のゲームで3Pを決めるなどして逆転勝利に貢献できた。攻殻機動隊が面白かった。一言でいうと意義あるアニメという感じがした。最終回のクライマックスを対話に持っていく構成(攻性)が見事だ。聞くと突飛というか、わりと奇抜なことをしているはずなのだが、そう感じさせない10話の組み立てになっている。円城塔のワークだ。


2026/09/10 昨日 17224
朝から出社。一日オフィスにいた。久しぶりに社食で昼ご飯を食べる。たまったタスクをここぞとばかりに消化する。定時退勤。バスケの練習回に出かける。狛江第四中。3Pの打ち込みをしようという明確な目的があった。トップ、45度×2、コーナー×2でそれぞれ20本ずつ決めれば合計100本になるというワークだった。2時間まるまるかけて98本で終わった。最後トップで残り10本になってから感覚が良く連続で決まっていったが、ぎりぎり時間内におさまらなかった。シュートの打ちすぎで肘の内側が筋肉痛になりかける。普段の練習では筋肉痛にならない箇所だ。率からいって外したシュートの本数は5倍じゃ効かないほどなので投球数自体かなりの数になるし、筋肉痛になってもおかしくない。


2026/09/11 今日 6279
朝から出社。ジョックロックのラジオをYoutubeで聞く。ゆうじろうが福本に対して溜まった不満をぶちまける回で、なぜかおすすめに上がってきたので通勤時間を中心に聞いた。ゆうじろうの福本に対する不満は、福本が”大人の対応”をするだけあってわかりやすい問題行動に根ざしたものではなく、ちょっとした仕草やノンバーバルなコミュニケーションの端々にあらわれる若干の(ゆうじろうの気のせい勘違いレベルかもしれない)トゲトゲしさに起因しているだけあって、どういうところが不満なのか、一例でいいから具体的に教えてみてよという福本の差し水ではうまくゆうじろうのペラが回っていかない。具体的なエピソードして話せないため、会話というコミュニケーションにおいて、しかもラジオという聞かせる会話というやりとりでは、ゆうじろうの分はあまりにもわるい。年次でもコンビ間の役割分担でも立ち場が下になることもあって、どうしても福本が大人で、ゆうじろうが子供に見えてしまう。しかし子供の言い分にも、言い分にではなくてもすくなくとも感じるところには一部の理もあるはずで、福本は大人なだけあって”ゆうじろうが言わんとしていること”はわかるはずだという気がする。ゆうじろうがコンビの「関係が悪い」というのは、作者自身も良いと思わずに出してきているような成果物に対して、受け取る側としても無責任に良いとは言えないが、それをそのまま伝えることはできず何かしらの反応をしなければならないという負担に根ざしているように思われる。福本は「人としておかしい」などという言葉で、社会通念や常識を盾にして「社会人だったらあり得ないだろう」という正論じみた議論の展開をするが、はっきり言ってそれは周縁の話であるにすぎない。とにかく問題は、自分自身で、半信半疑ではあっても最終的に「これが良い」と自分に対して言い切れるものを出しているのかというところにある。そう思っていないのに、自分自身で良いと思っていないのにそれを出してくるというのは本末転倒しているじゃないかというのがゆうじろうの主張だと思われる。それに対して「俺は時間外労働で寝る間も惜しんでネタを書いている」というのは、おそらく社会通念的には通用しても、表現において通用する言抜けにはならない。いや、実際にはその言い分は社会でも通用しない。ただ社会における多くの仕事はそこまで難易度が高くないから、時間をかければなんとかなる場合が多いというだけの話だ。おそらく社会でも、期待される内容に到達していない成果物は、たとえ「寝る間も惜しんでやりました」と言ってみても通用しない。だから福本がどう思っているかどうかを別として、ゆうじろうが「良いと思ったら良いと言うし、良いと思わなかったらそう言う」というのはそれしか正解がないレベルで、正論の域を越えて正しい。福本が今どうやっているのかわからないが、作ったネタを完成品のラベルを貼ってゆうじろうに見せようとしているのであればそれはやめるべきだ。そもそも、それが良いか良くないかを真剣に考えようとしている相手に、自分で良いとは思えないものを出すべきではない。しかし、良くなるかもしれないがまだその引き出し方を見つけていないものであればそれこそ積極的に出していくべきだ。ふたりで作るというのは簡単なことではないかもしれないが、それでも未完成品を完成された作品の体裁にして出すことよりは気の利いた方法といえるはずだ。ゆうじろうは不満を打ち明けようとしつつ、自分にとって言葉にするのが難しい部分については無理に言葉にしてミスディレクションする愚をおかしておらず、言葉遣いにも彼なりに気をつけ、総じて立派な態度だった。福本は真面目だが、自分の真面目さが多くの盲点を作り出してしまっていることに無自覚な、社会通念をお上としたせまい枠内でしか活きない生真面目さで、あまり見栄えがしない。真面目であることを意識してやめるべきだと思われるが、社会通念の枠内で見せるお笑いをするのであればそのままでもいいのかもしれない。その場合はジョックに改名したほうがいいと思うが。
昼すぎに打ち合わせがあってファシリテートする。知識・経験・やる気が最低の人間にファシリテートの役割が回ってくるのはどうかと思うが、各歯車が優秀なので邪魔さえしなければ勝手に回り、30分でしっかり結論が出る。議題のひとつを完全に忘れていてそのまま会議を切り上げようとして参加者にフォローしてもらう始末。恥ずかしさもありアハハと照れ笑いを浮かべてみたがリモートなので誰にも届かず。Viva Teams.
在宅に切り替える。ぶっ豚を食べようとしたが15時半〜17時までの休憩時間にぶちあたり、仕方なくコンビニでスパゲティを買って帰宅。300gを茹でてミートソースをかけて食べる。ここ最近うっすら睡眠不足気味なので昼寝をしてから退勤。すっかり涼しいなかスタバへ行く。『存在と時間』を読む。日記を書く。
家人からラインがある。「立川まで辻井伸之のピアノを聴きに行く途中、立川駅で靴をホームから落とすハプニングに見舞われて遅刻し、入場が危ぶまれる事態に陥った」とのことだった。実際に自分自身の経験だったら1週間単位では最大のトピックになるだろうなと思った。駅員に拾い上げてもらい、無事間に合ったとのことでよかった。

20260908

日記796

中にある


2026/09/02 六日前 19151
午前在宅。午後から霞が関で提案。緊張したが当たり前のように説明をこなす。緊張するといっても昔よくあったような手足にガタガタくるほどの緊張ではないので自分としてはこれを緊張と呼ぶのにはすこし違和感がある。飛び出しで体育館に行ってバスケ。中野第五中。楽しかったというすでにかなりおぼろげな記憶がある。録画映像を見ないとどんなプレーをしたのかも覚えていない。記憶はとにかく薄れる。わりとすぐ存在しないレベルになる。しかしもちろん存在しないわけではない。端末やクラウドに保存したデータがそれを証明してくれる。帰って家人が作ってくれた焼きそばを食べる。ポン酢の味付けなのだがにわかに信じられないほどうまかった。


2026/09/03 五日前 18182
午前在宅。午後休をとって東京医科大学病院にいく。初診なのだが14時に行って診察が16時から。たっぷり2時間待った。普通であれば許さないのだがちょうど全巻100円セールで『エアマスター』を買って読んでいたところなのでそこまで機嫌を損ねることはなかった。途中、見るからに症状の重い患者が待合にきたりして、こんな小さなことで気を悪くする自分のちっぽけさに直面させられたが、それも15分と立たずに失われてふたたびムカつきが顔をのぞかせることになった。検査代もあわせて12000円ほど支払うことになった。健康を維持するためだとはいえ手痛い出費だ。吉野家で牛丼を食べる。一旦帰宅し、この日も連続でバスケに出かける。狛江第四中。疲労のため足の痛みが強く出たが、靴紐を一番上まで締めてみたところわかりやすく症状がやわらいだ。これまであまりよくないバッシュの履き方をしていてそのせいで足に余計な負担が来ていたのかもしれない。バスケはリラックスして楽しめる回だったので楽しんだ。自分が上手な部類に入るいわゆる体育大会レベルのバスケに特有の楽しみがある。それに慣れると人は傲慢な人格になるのかもしれない。帰りに業務スーパーで米パック×10とキムチ400gを買う。最寄り駅から帰宅するまでの道で鱗雲が月明かりに照らされるきれいな空に出会い、気持ちを持っていかれた。涼しいということもあり、ここにすべてがあるという気持ちになった。ワンショットの国崎作品『空音』をまた見て寝る。また夜更かししてしまった。


2026/09/04 四日前 11001
朝から出社。15時ぐらいまでぶっ通しで働き、打ち合わせが終わったタイミングで帰宅する。30分ほど在宅勤務して退勤。友人Nに下北まで来てもらって飲む。普段の通り外を歩き飲みしていたが雨がつよくなりそうになったので店に入ることにする。みるくかKappaで悩んでKappaに入る。日替わり店主の当たりがよく、3杯ほど楽しんで飲めた。彼の心遣いで蛇酒のショットをご馳走になる。友人と仕事が楽しいということは可能かどうかの談論をかわす。いまの仕事でも楽しいと自分を誤魔化すことは可能だがそうしたくはないというのが自分の主張だが、相手は誤魔化すとかではなく心からそう思えるという。あきらかに頑張っている人の言うことだが、彼は頑張ってその職に就いたわけではないし、働き方を聞いていても特段頑張っているとも思えない。それでも何でも面白いという立場を取れば成り立つとは思う。しかし彼の話を聞いていると見聞きした作品に対する彼なりの文句も多く、その部分との整合性が取れないことになる。自分を棚上げしてしかも棚上げしていることに気づかないという特殊なスキルがあればそれも可能だが、はたして。23時半に解散。


2026/09/05 一昨昨日 6943
一日家にいて『存在と時間』を読む。単純にかけた時間を思えばもっと読めたはずとは思いながら、集中力資源のことを考えるとまあ上出来ということになる。しかし日記を書けばよかったとは思った。家人が買ってきてくれた昼ごはんの鶏肉が倍量になったお弁当の残りをそのまま夜ご飯にして食べる。一日座っていた腹いせに下北の街に出かけることにする。適当にBUZZ STOREに入り、家人がカーゴっぽいパンツを買う。自分も暖色アースカラーでストライプの薄手シャツを買った。肌寒かったのでそのまま羽織って帰る。この日の買い物の仕方はお洒落だった。


2026/09/06 一昨日 30145
9時からまもりやまテラスでのピックルボール会に参加する。雨のなか急いで歩き5分遅刻。人数が多すぎてパドルを振る回数は少なくなるが、それでもピックルボールは面白い。荷物を置いて、スパゲティを食べてから東京駅へ。東京にきている友人Tと会う。目当てのカフェは満席。飲み食いできる場所を探すがこれという場所が見つからず、丸の内をぐるぐる回る羽目になる。結局八重洲側の一番街にあるNoodle Houseに入る。バスケの予定があるので烏龍茶で済ませる。シークレットゲストとして友人NとBを呼び寄せていたが、うまく軟着陸がかなって和やかで楽しい会になった。一か八かと思っていたが良い方に転んでよかった。
友人Tを新幹線改札まで見送り、NBと高円寺に移動する。バスケが高円寺であるのでこちらとしても都合よく、大将という店に入ってバスケの時間まで同席する。せっかくの良さそうな店の軒先席なのに自分はノンアルビールだけですこし悔しかった。涼しいし、雨が天幕を打つ音がちょうどいいBGMになっていてよかった。旅行の話やグルメについての話をする。もし値段が低かったらそこまで美味しいと感じない食べ物の話になり、カニとエビの価格が逆だったとしても正だったとしてもエビのほうが美味しく、エビの価値がでかいという好例を思いついた。味についてはとくに友人Nのことは信用がおけないと思っているので、自然と話を聞く姿勢も消極的になる。濃い味つけが好きだとか、場面によってはBもそうなのだが、それについては自分自身も場面によって全然美食家とはいえないところがあり同断だと思えるのだが、Nについてはそう思えないほど頓珍漢なので、ちょっとどうしようもない。彼は家族関連で高い食べ物を食べる機会が一気に増えたようなのだが、控えめに言って猫に小判、露悪的に言えば豚に真珠だ。高いものだから美味しい以外の何かを感じられているのだろうか。はなはだ疑問で、もはや逆に確信になってしまっている。
予定通り途中抜けしてバスケに行く。イマジナス。プレー強度の高い集まりなのでぜえぜえと疲れてしまうが、覚悟を決めて行ったので対応できた。具体的には気分を盛り上げて疲れを前に出さないようにコントロールするというやり方だ。強度があがると一気にシュートが入らなくなる。それでも何とかかんとかねじ込んだり外しても気落ちしすぎないようにして、尻上がりに調子を上げていけた。実際チームも中盤から終盤にかけて勝ちだして、最後の試合も勝利で飾れた。強い雨のなか車で送ってもらう。転職を考えていたらしく転職先が決まったという話をしていた。帰ってから家人作のハンバーグをいただく。ソースにマッシュルームをつかっていてポルチーニ風味でおいしかった。肉がぎちぎちに詰まって肉感の強いハンバーグだったのでソースがよいアクセントになっていた。シャワーを浴びて寝る準備をする。ハンターハンターを読んでから寝る。


2026/09/07 昨日 7573
一日在宅。時間はあったのだがほとんど何もしなかった。『存在と時間』をすこしだけ読み進める。雨ということもありどこにも出かけず、退勤後にスタバにも行かず、ゼロで終わるところだったのだが、これでは駄目だと強いて下北まで出かけて上から目線ストリート用に数枚の写真を撮る。それでギリギリ0ではなく1の日になった。家人謹製のポン酢焼きそばを食べる。あと乗せの刻み大葉が効いていておいしかった。


2026/09/08 今日 6960
ほぼ一日在宅だが、途中で渋谷に出かける。打ち合わせだけ済ませて帰宅。じめじめして蒸し暑い日で、駅から家までの徒歩移動だけでけっこう汗が出た。勝手に塩漬けしていたタスクからとうとう爆発の音が聞こえたのでしぶしぶ一次対応をしていたら1時間の残業になった。スタバに行って溜まっていた日記を書く。日記を溜めすぎていて本当は日々を彩っているはずのいろいろな細かい出来事をないがしろにしてしまう。腕立ては一応続けている。アニメは『さよならララ』『攻殻機動隊』『天幕のジャードゥーガル』を1話ずつ見ている。バラエティは有吉クイズのメモドライブをとくに面白く見た。19時すぎから20時20分まで日記を書いた。この後は家人とホルモン青木でちょい飲みにいくつもり。

20260901

日記795

邂逅


2026/08/29 一昨昨日 18958
13時からバスケに出かける。『存在と時間』を読み進めたり『罪と罰』の音読をしたりとゆっくり過ごしていたら昼ごはんを食べる時間をなくしてしまった。とりあえずコンビニでおにぎり二個を買って食べる。体育館でもゼリー飲料補給しながらアクエリアスを飲みつつガス欠を防ぐ。3時間半の長丁場だったが最後のほうまで張り切ってプレーできた。途中右手親指の爪を負傷してテンションが下がる。負傷直後からしばらく痛みがあったのだが、プレーに集中してアドレナリンが出るときれいに気にならなくなった。そうなると疲れも感じにくくなるのでいかに素早くその状態に持っていけるかが大事だという結論になった。心肺機能・筋力・シュートの安定・判断力のすべてにバフがかかる。
バスケが終わったのが16時半で腹ペコ状態になったので久しぶりにぶっ豚の小ラーメンを食べる。あぶらマシにしてしまった。


2026/08/30 一昨日 11899
修学旅行で九州のどこかの街を自由に回る時間があったので、ひとりで美術館を回った。ずっと膀胱がフルだったのでトイレに行ったが小便器がひとつしかなく、しかも小さすぎるうえに汚かったので、個室を使おうと思ったもののすべてオキュパイされていた。舌打ちひとつ。ところへ展示室内にトイレになる展示があったので、誰かが誰かに向けて送ったメッセージの記念レリーフにむけて用を足す。用を足し終わったあとでどうして確信をもってこれがトイレだと思えたのかがわからなくなり、すこしのあいだゾッとした。展示室には自分以外いなかったのでそれもわざわいしたのだが、誰もいなかったので見咎められることもないのでさいわいしたとも言えた。美術館をぐるぐる何周かして(開き直って監視カメラを睨みつけたりして)、さらに二、三度トイレをしたりするうちにホテルからバスが出る時間になったので、慌てて来た道をホテルまで戻ろうとする。歩いて戻る途中、入口がすこしトリッキーで歩道を歩く分には店内に入らないと向こう側に抜けられなくなっている作りのレトロなレコードショップがある。店内に入るのは癪だったので無理にも横手の車道をいく。なぜか大勢の人足で仮設の足場を使い、大量の資材が運び込まれているようだった。乗り合いタクシー(タクシーといいながら実体はリムジンバス)に乗りこみホテルに戻ろうとする。ホテルの近くまで来たので降りる合図を送るがとんちんかんな運転手が合図を出したのにもうすこし先の歓楽街で降りるのだと勘違いしてホテルから離れた場所まで運ばれる。時間もないのに最悪だと思ってホテルの方向の検討をつけて交差点を見渡していると、奈良天平会館という食事処の看板とともに人ならざる生き物(牛頭?)とひょうきんな修行僧らしき人物のかわいらしい立像があったので写真を撮ろうとスマホを構える。像の奥には立派な門があり、それを含めた構図で綺麗に撮ろうとしていると空の白飛びがカメラのオートフォーカス(自動露光機能)によって収まってくるとともに、空に如来臥像が浮かんでいる衝撃的な映像が現れた。ここは”薬師天来臥像”のある場所だったんだと気づき興奮とともにシャッターを切りまくった。しばらくしていつの間にか目が覚めたが、あれが薬師天来臥像という名の大仏像だったというのは起きてから思いついた。どうやって空に浮かんでいる(ように見える)のかはもちろんわからない。
起きてからとりとめない活動をする。つまり漫画を読んだりスマホを見たりということだ。15時からのロン・ミュエク展にそなえて昼ごはんを食べる。家人の作ってくれたタコライスとお好み焼き。それなりの気温に落ち着いていたので乃木坂から六本木トンネルを抜けてヒルズまで歩くコースをとり森美術館には15時半着。1時間半ほどロン・ミュエク作品を見る。チキン/マンがとりわけ目を引いた。「関係」を描けるぶん他の作品とは際立った強さを持てるのだと思う。ミュエク自身の属性からなのだろうが白人男女だけが制作対象になっている。だから白人男女がミュエク作品を見るときに発生するような鏡像関係はなかった。それを味わってみたくもある。『マス』については数とスケールのものであるため、よりいっそう空虚であることが強調されていて、空虚だという感じがカンストしていた。漂白された頭蓋骨というのは切れば血の出るような他の作品とくらべて圧倒的につまらない。しかし小枝を抱える女、船に乗る男、スクール水着の女学生、ベッドで考え込む女などにはとくにゴーストを感じた。止まり続けていることの強烈な違和感があり、作品が時間を味方につけているとさえ感じる。普通あんなふうにじっとしていられないはずなのにという谷。認知不協和、不気味の谷というやつのさらに行った先の谷だ。
映画まで小一時間あったので梅蘭で焼きそばを食べる。お腹いっぱいになった。
『時には懺悔を』という映画を見る。見るつもりはなかったが予告の宮藤官九郎を見てこれは見ないといけないやつだと確信して見に行くことにした。結果、予感は的中したといっていい。宮藤官九郎の演技は、演技として最高峰の域にあることは間違いないが、テクニックではなく”人”なんだろうと思う。その良さを説明するのはむずかしい。この映画のテーマに「障害児を育てる」ということがある。見慣れないものを見ると恐怖の反応は強くなる。そこから脱却するためにはまず見慣れることだ。われわれは科学の進歩によって生かされているのだということをはっきり認識しなければならない。だからどんどん先に進むべきだ。この映画は映画を見せることによって社会を先に進めようとしている。価値のある仕事だ。根底には「普通に対する不信と人間存在に対する信」があるのを感じる。おそらく原作にも映画にも、つまり原作者にも監督にもそれがあるのだと思う。そしてそれは宮藤官九郎にも共通しているものだろう。ひょっとすると彼が一番多く持っているかもしれないという見た感じがある。恐れ入った。「どうしようもねえやつだな」とすっと言える感性というか、物事を断じることのない強い姿勢が際立っている。自分に必要なのはそれだ。それだけだと言ってもいい。自分にとって重要だと感じられる作品から学ぼうとしているのは煎じ詰めればその姿勢ひとつだ。
名優とされる役者が集まっているのでよりいっそう宮藤官九郎の異質な出来が際立つ作りになっているというのも加点したいポイントだ。あれだけの俳優がいてなお中心点が明確になっている。
帰りはすっかり涼しくなっていたので六本木の街を歩きながら氷結を飲む。下北沢からも氷結を追加して家まで歩く。


2026/08/31 昨日 8029
午前在宅。ハンターハンターを見る。午後から出社する。ご飯を食べそこねてコンビニで買ってオフィスに行くが打ち合わせのせいもあり食べる時間を失ってしまう。お腹が空いている状態だったので退勤後にミカンの前で氷結後、ぶっ豚の小ラーメン。19時前に帰ってバスケの日本‐カタールを見る。力の差が歴然だった。5人に収まりきらない注目選手がいて見ていて楽しかった。八村、河村、渡邉、ホーキンソン、馬場、富永。どのシュートを打ってもこれも入るんだろうなという予感がしてNBAレベルだった。
カルビーのポテトチップスのりしおを食べたり家人の作ったご飯をちょっともらうなど、破滅的な食事になった。せめてもの罪滅ぼしのつもりで腕立てやプランクをする。天幕のジャードゥーガルを見て寝る。


2026/09/01 今日 5798
朝から出社。千代田線と山手線が遅れていて、混雑を避けるために山手線を2本見送ったら遅刻になった。09:05からの朝礼には間に合う。午後在宅。家人が作ってくれたご飯を食べる。作ってもらっておきながら出来に文句を言ってしまい、作者の機嫌を損ねる。分量の問題か、加熱時間の問題か、料理酒のアルコールが飛んでいない疑惑があった。前日の就寝時間の遅れのせいで寝不足だったのでしっかりめの昼寝をする。
定時で退勤し、ATM関連のおつかいをこなしスタバに行く。溜まっていた上から目線ストリートの投稿を4つ。同じく溜まっていた日記を書く。

20260828

日記794

言葉の示すもの

2026/08/27 昨日 9019
スタバを出てダイエーに酒を買いに行く途中で家人から連絡がある。予定したラーメンを中止して、涼しかったので駅近くのロータリーで氷結を飲みながら話をする。絵の大会で表彰されることになった学生の話をきいた。彼らには可能性がある。そしてもちろん俺らにも可能性がある。山内の列に並ぶほうが国崎や川原の列に並ぼうとするよりよっぽどマシという話もした。俺にはその危険がある。そしてたぶんそういう人は多いだろう。
帰ってからいなり寿司とそばを食べてワンショットを見る。又吉の2本目の作品も期待したほどは面白くなかった。ビジョンが明確なので見せ方の問題なのだろう。彼特有の美意識がよくないかたちで、つまり半端に反映されて着地する余地を自ら奪っているかのような出来だった。審査員を困らせたいという目的があったとすればそれには一定の成果が見られたとは思う。とくにMCが困っていた。


2026/08/28 今日 4763
コンタクトを外し忘れて寝たせいで2時頃に目が覚めた。明晰夢を見て輪郭もはっきりしていたからさすがにこれは覚えていられるだろうと高を括っていたらもう忘れている。朝には覚えていたのでそのときに内容をメモしなかったことは油断にほかならない。整然としたなかで暴力が生活の一部に組み込まれているような、それなりにリアリティのある質感の夢だった。
午前在宅にして洗濯機を回し、『存在と時間』を読む。午後から出社。1週間分の積み残しタスクを消化する。鬱陶しいやつが出しゃばってつまらない仕事を増やしてきた挙句、尻ぬぐいをこちらに任せるのにもかかわらず偉そうな態度を一貫してとっているというストレスフルな打ち合わせに参加。定時を過ぎてなお厚かましくも打ち合わせを続けるので、舌打ちしかねない勢いで雑に受け答えしていたらなにか予定あるんですか?と聞かれる。べつに何もなかったがはいと答え、翌週にやりましょうということで散会になった。ばかばかしいにもほどがある。
下北スタバで『存在と時間』を読む。ギャルの2人連れが二組近くに座ってきて、それぞれ免許に落ちた話とブスが汚い金髪にするのは度し難いという話をしていた。前者はまだ可愛げがあったが後者はどこのものかわからないが汚い方言を使っていて内容も内容なので終始心の眉をひそめていた。ギャルが消えてからスマホで日記を書く。

20260827

日記793

ウマレカワルイマ

2026/08/25 一昨日 14653
バスケは尻すぼみに終わったので低調の日という感じがした。しかし録画したプレーを見返すとそこまでわるくなかった。ゲームの開始時間が遅くなったのでプレータイムが少なかった。それもあって不完全燃焼感。


2026/08/26 昨日 20465
一日在宅。午前中は『存在と時間』を読むが午後は昼寝などをしてだらだら過ごす。止せばいいのに中野のバスケに参加することにした。中野東中。案の定、疲れからパッとしないプレーに留まり、疲れだけが溜まった。さすがにしばらくはボールも見たくないという感じになった。
帰宅してからワンショットを見ながらご飯を食べる。親子丼。面白くないだろうなと思った回は思った以上に面白くない。正直見ているのが苦痛だった。


2026/08/27 今日 6412
午前在宅。昨日の夜更かしで寝不足状態になったのでなんとか二度寝しようとしたのだが焦るあたりうまく寝付けず。結局午前いっぱいを何もせずに過ごす。身体が疲れすぎていると気分も落ちてくるということを感じた。疲労物資や炎症が脳内でわるさをするんだろう。トレーニングは腕立て伏せだけは続けている。この2日でプランクも始めてみている。
午後から出社。打ち合わせをこなす。我がオフィス生活の唯一の汚点となる人物がいるのだがそいつとの対面打ち合わせだけがストレスだ。可及的速やかにいなくなってほしい。
ほんのすこし残業になって下北沢のスタバに行く。バスケの動画を見返してから日記を書く。
このあとご飯を食べて帰るつもり。久しぶりに酒を飲むかもしれない。

20260825

日記792

ハッピーイエロートレイン


2026/08/21 四日前 19093
たしか午前出社、午後から在宅だったと思うがはっきりおぼえていない。退勤してから狛江までバスケに出かける。第二中。練習回で3Pのシュート練習をしようと思っていた。明確に目標を立てるほうが捗が行くと思ったので適当に100本成功という目標を立てた。トップと45度×2、コーナー×2でそれぞれ20本ずつ決めれば100本の計算になる。結果50本にも及ばなかった。トップ10本、45度左右で15本、コーナー左右で20本の内訳。ミニゲームに参加してシュート練習の時間が1時間ぐらいしか取れなかったとはいえ残念だった。
狛江湯に行って温冷交代浴をする。神経に太い信号が通っていくあの感覚は久しぶりでやはりよかった。出てから汗をかきたくなかったので長めに外気浴の時間をとった。


2026/08/22 一昨昨日 19380
9時から12時まで中井でバスケ。落合第五小。テンション高くクタクタになるまで出し切って楽しかった。参加者の人から動画をわけてほしいと話しかけられる。いいですよとその場で安請け合いしてしまい、あとから動画投稿のやり方などを学習する必要に迫られた。今後の動画保管や整理について方針を決められたのでまあよしとする。
帰宅してシャワーを浴びたあと昼寝をしてから、『さようならコロンバス』の読書会に参加する。主人公がクソ野郎だとなんとなく思っていたものの自分はまだまだ同情的に読んでいたのだという気づきがあってよかった。自分の視野の外側を知れるという読書会の効用がはっきり表れた回になった。次回は『存在と時間』の振り返り回に決まった。同時に漫画回で『漂流教室』を読むことにもなった。他の候補で挙げられた『プリンタニア・ニッポン』も面白そうだ。
それにしても『罪と罰』を読んだあと『存在と時間』を読むことになったのはなんとなく面白い。『と』という概念には心惹かれる機能性がある。それは最小の物語と言ってもよいのではないか。『罪存在と罰時間』『罪(存在)と罰(時間)』『存在罪と時間罰』『存在(罪)と時間(罰)』どれもしっくりくるし、何のことかなんとなくわかる。


2026/08/23 一昨日 4318
一日家にいて『存在と時間』を読んだり『路傍のフジイ』を読んだり、届いたマイクとマイクスタンドを使い『罪と罰』を音読したりして過ごす。
自分の表現活動について三点持つことが大事だと考えたりした。三点とは小説・演劇・バスケだ。それぞれを支点・力点・作用点にして”てこの原理”を使えるようになると一気に出力が増すのではないかという仮定があり、その仮定は正しいとふんでいる。賃労働をそこに組み込めると効率の面でかなりの加点になるのだが、そう何もかもがうまくいくわけではないので、できる範囲での最大をねらうだけだ。それぞれの点をきちんと定位したり、あいだの点を拾ったり、いろいろとやりようがある。音読するというのもフィジカル的な訓練のひとつで始めたことだが、発声練習でもありながらリズム感の醸成にも役立ちそうだと思っている。ディズニープラスでワンショットを見る。又吉と国崎回。とくに国崎回がよかった。まじめに演技をするというボケをかましているのだが、そのやり方だと1ボケとカウントされないので上手いと思った。あとは太巻が太すぎるのも笑った。国崎の演技を見て元気が出た。本人がやりたいと思った挑戦をしているのを見せられるとやる気が出てくる。いろいろやっているうちに0時を回ったのでハンターハンターを読んでから寝る。


2026/08/24 昨日 5633
一日在宅。『存在と時間』を読む。『罪と罰』を音読する。弥生人のヘアースタイルで一日過ごした。定時退勤。家人と王将で晩御飯を食べる。久しぶりにお酒を飲んだ。帰ってからもう一度国崎のワンショット作品『空音』を見る。この作品についての川原のコメント「最後涙が引っ込むかと思ったらむしろ逆で出た」というのは芯を突いていると思う。23時には寝る。


2026/08/25 今日 4310
午前出社。午後から在宅。スパゲティを食べてから昼寝。『存在と時間』を読む。バッハを聴きながら日記を書く。定時で退勤。狛江までバスケに出かける。第四中での経験者回。

20260820

『罪と罰』を読んだ

「世界を測るためにはデータをとれ、自分を測るためには文学を読め」という格言がある。その伝でいけば、私は世にいう傑作小説を読むたびに得意になって「特別面白い」という判定をくだしている。ただ面白いのではなく特別面白いというところに、あえて長い時間を使って小説を読んだだけの甲斐がある。そういった満足を読むたびごとに感じている。そしてそのことで自分自身の感受性について内心の満足を得ている。自分で自分に満足することができるためにはデータより文学が役に立つというのは自分の経験上もあきらかだ。

『罪と罰』は長らくその例外として自分の文学行路に暗い影を落としていた。実際、19歳の夏に初めて読んだときにはその面白さがさっぱりわからず、そのことによって自分に文学は無縁だという臆断をくだすところだった。その後、冬になって首尾よくサンテグジュペリからヘッセへ至る道を発見し、事なきを得たわけだが、あわや文学に閉ざされた人生になる可能性があったと、そう考えていたのだ。しかし最近になって、『罪と罰』を読み直している途中で、その可能性はありそうに見えるだけで実際にはなかったのではないかと考えるようになった。

たしかに、人が文学に出会えるかどうかというところには運の問題がある。ようするに、その人に暇な時間がなければ文学の門は開かないだろうからだ。だから、暇な時間を得られるだけの幸運に恵まれるかどうかという面で、運の問題が頭をもたげることになる。しかし、逆に言えば、暇な時間さえあれば人は文学に出会うことができる。それどころか、世界に対して”自分自身に応じただけの正当な期待”をかけていて、できるかぎり自分を楽しませたいという真っ当な思いがあれば、その人はいずれ文学に出会わずには済まない。

問題は、期待も楽しもうという意欲もその正当さに反して、ひとりの個人のなかで十分持続しないというところにある。原理的にはいずれ出会うことが可能であるとはいいながら、一般的に青年期と言われる短い一時期を過ぎれば、実際のエンカウント率は相当程度下がっていく。もちろん中年から文学に出会うことは可能には違いない。しかしその準備を文学抜きでできる人は決して多くない。そうすると、高齢化で中年以上の人の数は世に多いから、あたりを見渡したとき私から見て”もったいない人生”は無数にあるということになる。

たとえば『罪と罰』を読んで、終始ラスコーリニコフに冷淡・無関心でいられる人間というのは、価値のある人生をおくっているとはいえない。世界に対して与える影響の度合いをもって彼の人生の価値を測るのであればそうも言い切れない、といいたいところではあるが、スケールは際限なく広げていけるものだから、理詰めでいけば最終的にはナンセンスに行き着く。結局、価値ある人生というのはその人生をおくる人自身のなかにしか存在し得ない。どこまで理詰めしてどこから理抜けするかという趣味の問題には立ち入らない。最後まで理詰めにしないのであれば任意の場所を都合の良いように設定するだけ、つまり自己の満足を追求するために便利な位置にハサミを入れるだけの話だ。

19歳の夏、私はラスコーリニコフに冷淡だった。彼の懊悩に共感することは一切できなかった。リザヴェータに対して斧を振るった若者(当時の自分より年上)に、覆ることのない有罪のジャッジを下し、それ以上”犯人”の何かを知ろうという気が起こらなかった。20歳をとっくに越えていてなぜそんな愚かなことをするのかわからないという19歳の夏に特有の態度もあった。

そして、マルメラードフの愚かさについても同じように冷淡だった。不合理な行動をするおじさんについてはただただ不思議でしかなく、あまりにも理解に苦しむ行動をとるために、文章を読み進めるノイズになったほどだ。その結果、マルメラードフの表面上の行動をなぞるだけで精一杯で、彼の悲しみまで視線が届かなかった。今回の再読で自分のなかでもっとも大きく違ったのがマルメラードフの肖像で、彼の愚かさに含まれる悲しみ、あるいは悲しみに含まれる愚かさについて、自分の過去を思い返して思い当たるところが多くなったことだった。いや、多くなったというのは表現が違う。19歳の夏にはゼロだったものが、いまや両手両足で数えても足りないほどに増えた。それは文学作品のなかにもあるし、生活のなかにもある。もとはひとつだったものが分裂し幾重にも折り重なっていくような経験もしてきた。

ラスコーリニコフには、マルメラードフの情けない絶望のどこかしらに、自分自身を重ねることのできる資質があった。今回の再読でそれが読み取れたとき、ラスコーリニコフは私のなかでただの犯人ではなくなった。そこから物語の持つゆたかさが私のなかに流れ込んでくるようになった。一方、19歳の私はリザヴェータを殺害した犯人に対してただただ怒っていた。その先にゆたかさというものがあるとしても許容するまいとシャットアウトした。それから20年経った39歳のいまの私は、19歳のときほどは怒っていないというだけの話かもしれない。そんなことはあり得ないとは言えない。リザヴェータのことを考えようとしても靄がかかったようになって、彼女に降りかかった暴力が後景にしりぞいていくのを感じている。

それは『罪と罰』が悪どい老婆”だけ”を殺す物語であったならラスコーリニコフの葛藤を十分に表現できないと判断し、無垢な妹を犠牲に供するという判断と表裏をなしている。「主人公(と読者)はリザヴェータの血なしには苦悩を開始できない」という冷徹な判断がこの物語に埋め込まれていて、それによって物語は魅力を発揮する。

稜線は遠くからそう見えるまま細く、ひとりの足幅ほどもない。われわれはいつの間にかぎりぎりの綱渡りを余儀なくされている。半歩踏み間違えただけで、たちまち「害虫は殺してもよいが益虫を殺してはいけない」というだけの話に堕ちるからだ。いや、考えようによってはすでに堕ちている。しかし、そこまで厳しくラスコーリニコフにあたることはできない今となっては、まんまと物語のゆたかさの側に立ってしまうことになる。そうするとリザヴェータは、リザヴェータではなく”リザヴェータの血”としての立ち位置に押し込まれてしまうことになる。これが罪といえるかどうかは不明だが、暴力ではある。当然、それ単体ではまったく許容しがたいものだ。しかし……。

「価値のある人生とは何か」という問題は、価値は最終的にその人生をおくる人自身のなかにしかないからといってすこしもやさしくはない。むしろ逆で、その人自身のなかにしかないことで何よりも困難なのだということを私は知った。何によって知ったかといえばそう、『罪と罰』によって、私が思う文学によってだ。


思想を盛る器としての文学の力が露骨に表れているのも『罪と罰』の特徴だ。思想には、問題を提出しながら答えを提示しないことがその要件になるものがある。その場合、もっとも的確に問題を”置いてくる”ことのできる、バスケットボールでいうレイアップのような手段がまさに文学だ。『罪と罰』におけるラスコーリニコフの物語の結び方と、エピローグの結び方は、読んでいるだけでもまるで自分自身が何かを成し遂げたかのように晴れ晴れするほどうまくできていて、それぞれに見事なまでに思想を置いてきている。

日記791

真正の緑

2026/08/18 一昨日 17464
喜多見までバスケに行った。調子良かった次の回は、心が調子に乗っているのにもかかわらず身体はついてこないし、調子乗っていたぶんの落差を味わうからどうしても低調になる。何度も同じことを繰り返して成長がない。しかし終了間際の3P成功でまあ帳尻を合わせられた。
演劇祭に応募する。小説の完成による達成報酬に設定していたのだが当の小説は影も形もない……。


2026/08/19 昨日 8182
午前在宅。『罪と罰』エピローグまで読み終える。午後出社。定時すこし前に退勤して『オークストリートの異変』を新宿まで見に行く。IMAXレーザーで見たがさすがに迫力があった。何を見せたいかがはっきりしていて良い意味でアメリカ映画だと思った。犬はトラブルの種になり、その解決に一役買うという、まさに犬のような活躍をしていて笑った。登場人物についても基本的にことごとく犬のように扱っていて、まあ基本的に優しくしているし結末でめでたし感を付与しているからそれでいいだろと、画面越しにも犬扱いしてきていて、そこまで行くとまあかえって平等ということでいいのかなと大人の感想も出そうになる。まあ気の良い犬監督なのだろう。
帰宅してごちそう(うまトマ牛肉とサラダ)を家人からいただく。さよならララを2話分見る。


2026/08/20 今日 5820
午前在宅。たっぷり8時間半寝たのになぜかやけに眠かった。粗末な透明のバックラーシールドを与えられ、椅子に座らされたうえでボコボコに殴られる謎の”試練”を受ける夢を見た。横一列になって椅子に座って試練を受けるのだが、自分の相手が誰になるのかが死活問題になるところ、自分の相手はパンサーの尾形だと知らされる。強そうだし絶妙に嫌だった。
午後から出社。打ち合わせをしていたらうっかり定時を一時間も過ぎる。20時前には下北に戻ってスタバに入る。書き物に時間がかかり、久しぶりに閉店時間の22時半までいた。

20260818

日記790

下北沢を行く


2026/08/17 昨日 8208
『さようならコロンバス』を読み終える。昔小説家が少なかった時代に若者が書いたという一事のみで有名になった小説だと思う。訳も含めて習作を読まさせられているという感じが薄まらないまま終わった。いくらでも道があるのに他に道がないと思い込んで離ればなれの道を選んでしまう若者特有の間違いが書かれており、それには心当たりがあった。スタバを出たあと吉野家で塩カルビ定食を食べる。ローソンでベースを買って帰る。この日は酒を飲まなかった。


2026/08/18 今日 2943
涙を流して起きるほど悲しい夢を見たはずなのにどんな夢を見たのかおぼえていられなかった。自分がかわいそうというのはあったが、それだけではあれほど悲しくならないというほど劇的に悲しく思った記憶だけ残った。自分と誰かをかわいそうに思ったのにちがいない。そういうときにはたいてい別離が絡んでくるのが定番だ。とそこまで推理できても肝心の中身は思い出せない。全然別の話だったかもしれない。
朝から在宅勤務。『罪と罰』を読む。アルカージイの夢にはアルカージイの願いがこもっていて切なくなった。
午後から仕事の用事で霞が関に行って会議に出てまっすぐ帰ってくる。バスケに行くので遅めの昼ご飯にはスパゲティを茹でて食べるつもり。

20260817

日記789

木漏れ日を受けて



2026/08/06 十一日前 14741
ここまで日記を溜めたのはたぶん初めてだろう。何もなしで思い出そうとしても記憶はほとんどないに等しいが、セットログのおかげで比較的簡単に思い出すことができる。午前在宅。午後から出社し、対面でのミーティングに参加。そのままバスケのため喜多見に移動する。中一日の疲労が残っていたがレベルが高くない回だったのでなんとかなった。家人が両親にプレゼントする用の人形のついでに木粉粘土で作っていたミニVを完成させる。


2026/08/07 十日前 10616
一日在宅。お昼にクリニックに行って検査と処方箋をもらう。定時すぎに退勤して渋谷に出かける。PARCO屋上で音楽イベントが開催されていたので友人Nと音楽客に紛れて酒を飲んだ。翌日からの佐世保長崎旅行の準備をして寝る。


2026/08/08 九日前 9897
旅行一日目。10時頃に出発し新幹線で博多まで。到着が16時頃になってさすがに移動疲れした。アパホテル博多東リゾートに荷物を置いて家人の大学時の友人とご飯を食べる。博多の焼き鳥は東京と比べて手頃でかなり美味しい。豚バラも焼き鳥だということを教えてもらう。朝からちいかわの映画を見てきたという話が出て、さすがに顰め面をしているわけにもいかず、ちいかわを嫌っているという話をした。無関心のスタンスよりは話が盛り上がる感じがしてよかった。わらびもちの美味しい北九州発祥の菊太郎でお茶をして解散する。行橋市から車で2時間かけて来てくれたという話で家人が嬉しそうにしていてよかった。東京に来ることがあればぜひお立ち寄りくださいという定型句を伝える。本当に来てくれたらいいんだがあまりにも定型句すぎると遠慮してしまうかもしれない。もうすこし押して伝えるべきかもしれない。ホテルにチェックインして風呂に入って寝る。空いている時間を見計らって風呂に行こうとしているうちに無為に夜が更けていってしまった。吹き抜けになっている館内廊下には空調が効いていない、部屋はうっすら汚れているなど、あまり良いアパホテルとは言えなかった。長崎のアパホテルも狭くて匂いが気になってうすら汚かったのでアパホテル自体こんなものなのかもしれない。アホな本が置いてあるのを差し引いてもまだひどいという印象になった。最低の最低は避けられるぐらいの見立てにしておくべきだという学びになった。


2026/08/09 八日前 5094
前日の就寝時間が遅くなりすぎたので11時のチェックアウトぎりぎりまで寝ることになった。となりのFUGLENでVといっしょにモーニングを楽しむ。昼食で”とりかわ”が売りの長政に入った。外パリ中ふわで、これならいくらでも食べられる。高速バスに2時間ほど揺られて佐世保へ。佐世保駅周辺から家人の実家へ移動する西肥バスで途中ひとりで歩くのは平地がぎりぎりで階段は一人で昇り降りがむずかしいおじいさんが乗り合わせてきた。降りる停留所はどこかと訊いてみたがへらへらしながら「わからない」という答えが返ってきてこっちが不安になった。それでも運転手のアナウンスによってそれを思い出したらしく、降りる素振りをしたので家人とバス運転手の三人で降りる手助けをした。彼が目的地にたどりつけるのか甚だ疑わしかったがバスは次の停留所に向けて走り出した。われわれも目的地の停留所で降りて実家に向けて歩いた。晩ごはんに家人の姉が作ってくれたカレーをいただく。Vを家人の家族たちに紹介した。それぞれ驚いたりしながらも笑顔で受け容れてくれて人から優しい気持ちを引き出すのがうまいVの面目を見た。


2026/08/10 七日前 9202
家人の実家で家族顔合わせ食事会の最終準備をして過ごす。お昼には鰻をごちそうになる。食後にちょっとした遊びとしてITOをプレーする。最初は姉と家人と三人だったが途中から母が入ってきて四人でかなり盛り上がった。上手い回答が見られたのもよかった。「母親になって考えよう。子供が寝言で言っていたら嬉しいこと」の93が「おかあさん」でばっちり決まったのが母つよしという感じでとくによかった。夜は近所のジョイフルに行って家人とその両親、姉の五人でご飯を食べた。ツインバーガーを注文して家人の家族に大食漢の一面を見せつけたりした。夜は気温が下がり風も吹いてとても気持ちの良い散歩になった。これ以上の夏の夜はそうそうない。


2026/08/11 六日前 3773
佐賀の龍水亭という料亭で家族顔合わせの食事会をする。乾杯の挨拶でいっぱいいっぱいになっていて、せっかく紋付袴を着させられたのに写真撮影を心から楽しむ余裕がなかったのが悔やまれる。しかし、大過なくなごやかなまま食事会を終えられてほっとした。もっとこうすればよかったというのも当然出てくるが、そんなのは家族の皆の笑顔によってあがなわれる。沈黙になったらどうしようかという不安もあったが、しっかりした大人の皆が、そして元気な甥っ子が、話題提供に、記念撮影にと協力してくれた。自分の両親も喜んでくれたようでよかった。


2026/08/12 五日前 9760
アリタハウスに宿泊し、アリタセラを見てから家人の運転で波佐見町を案内してくれる。ろくろ体験やおしゃれなビュッフェ、波佐見焼の白山陶器訪問などひと通り回って有田駅で解散となる。佐世保に戻る。姉がアジフライなど晩ごはんを用意してくれていた。衣が揚げたてさくさくで、お世辞ではなくこれまで食べたアジフライのなかで一番美味しかった。


2026/08/13 四日前 15358
朝8時頃に佐世保の実家を出発。今回もたくさんの気遣いをしてもらい、おかげさまでとても楽しかった。佐世保駅まではバスに乗る。そこから海沿いを走る電車に乗って長崎駅まで。タイムズカーシェアに乗り込んで、家人が教員として過ごした地・時津(とぎつ)をめぐる。よく行ったという店でトルコライスを食べる。想像した通りそのままの味でおいしかった。ひとしきりドライブしたあと長崎平和公園に行く。チリンチリンアイスを食べてから原爆資料館へ。そこから車でおこのみむらというお好み焼き屋に行く。キャベツたっぷりでおいしかった。
さらに車で稲佐山の夜景を見に行く。途中の駐車場から頑張って歩いてみる夜景はなかなかの見ものだった。ハートのギミックがよくできているなと感心した。一方で手前側にある公園の青青としたイルミネーションは下品でいただけないと思った。まあ1万ドルの夜景とは言えるかなとか言っていたが、調べたら世界新三大夜景とも1000万ドルの夜景とも言われているらしい。それはあきらかに言い過ぎだが、夜景を見るのもなかなかいいものだとは思った。アパホテルにチェックイン。わりとすぐ寝る。


2026/08/14 一昨昨日 28898
朝10時からピックルボールのコートを予約してスタジアムシティに行く。アイスアクエリアスや途中休憩などで熱中症をなんとか回避しながらピックルボールを楽しんだ。ピックルボールコートがある建物の下のカフェで長崎ヴェルカの練習を見学できた。コーヒーを飲みながら紅白戦を観戦できるようになっていてさすがスタジアムシティというだけあると感心させられた。
路面電車でめがね橋エリアへ移動。バラモン食堂というところで昼ご飯を食べる。家人が教員をしながら通っていたという絵画教室を見る。さらに大浦天主堂のほうへ移動。軍艦島デジタルミュージアムを見学する。大浦天主堂を近くから見たりおみやげのカステラを買ったりする。一旦ホテルに戻りシャワーを浴びて大量にかいた汗を流す。家人が元同僚に晩ごはんのおすすめを聞いてくれて「老李 駅前店」に行くことにした。ちゃんぽんが絶品だった。チャーハンも濃い味付けに逃げていない本格派という感じで、総じて満足感が高かった。やっぱりローカルの意見は頼りになる。
21時からのコートも空いているということなのでまさかのピックルボールおかわり。昼間より動けるのでお互いのパフォーマンスがあがりミニゲームも楽しめた。


2026/08/15 一昨日 9652
6時半のリムジンバスで長崎空港まで。そこからANAで羽田まで。スムーズに移動できたのもあり午前中には帰宅していて飛行機のスピードを享受するかたちになった。14時すぎにTCBが家に遊びにきた。おみやげを渡す。ひらがなじゃんで遊ぶ。友人Nの子がとにかくかわいい。Bと私は近づくと泣かれるのがデフォルトになっているのだが、Vのことも恐がっていて近づけると泣く体制をとる。彼女がVを恐れる初めての人間になった。
19時には解散になりバスケ日本代表の試合を見る。八村は別格だというわかりきったことを確認するような試合になった。


2026/08/16 昨日 22280
9時から落合南長崎でバスケ。3時間の回なので終わった頃にはへろへろになったが3ポイントを3本打って2本決め、うち1本が終了間際のウィナーになるなどノリノリで楽しめる展開も多く、単純に久しぶりなのも、ヴェルカの練習を間近で見て刺激を受けたのもあって、とくに楽しい回になった。
大江戸線に小一時間乗って上野まで移動。友人NRとサイゼでご飯を食べる。翌年3月から最大3年のエジプト行きが決まったというのがメイントピックでその他もろもろの話をする。感性の変化によって古い友人と話が合わなくなっていくという30代特有の悩みについても話した。30代を過ごすとそれが悩みではなくなっていくのだがそれは悩みが解消されるというのではなく、距離のひらきが固定され悩みだと感じなくなるだけの話だ。それを話したところでどうにかなるわけでもないから、シンプルにそういうのあるよなと受けた。いろいろ気にするのはいいと思うがそのトリガーが「インターネットに書かれてあるいろいろを見て」というのは、一般的ではあっても健全ではないから止めておくのがいいと言った。一般的ではあるが健康ではないということはじつはたくさんある。それを認識して避けるのも知性の大事な役目だ。いろいろを見ないようにするというのは実践的なアドバイスたりえないという感覚はある。だから、そういうインターネットのいろいろを相対化できるようにそれよりも長いスパンで醸成されている価値・価値感をインストールするべしというのが本来のアドバイスだ。だから結局、文学作品を読めということになる。暇がない人間(ビジネスパーソン)にはそもそもアドバイスとして無効だという感覚もあって何も言わないに等しいことを言ってしまう。止めておくことができるなら止めておくで言いわけだし。
帰宅して、強い眠気に襲われる。短い時間昼寝をする。そばを食べながらバスケ日本代表の試合を見る。翌日連休明けの出社になるので早めに寝る。


2026/08/17 今日 6194
午前出社。午後在宅。昼ごはんにそばを食べる。昼寝をする。洗濯物を干す。『罪と罰』を読む。定時退勤してLUUPでクラシックのスタバに行く。『さようならコロンバス』を読む。日記を書く。

20260805

日記788

注意するに越したことなし


2026/08/04 昨日 15208
朝から出社。8時頃でもまだ涼しかった。午後から在宅勤務に切り替える。昼ごはんにスパゲティを食べる。腕立て伏せ。1時間すこし昼寝をする。『罪と罰』を読む。急な問い合わせが入り、定時すこしすぎに退勤。喜多見までバスケに出かける。4日あけてのバスケなので疲労の影響がなく身体が動いた。狛江の風神とエースが両方参加していた。競技志向はそこまで強くなかったので和やかで楽しい雰囲気だった。楽しかったのは満足いくプレーができたのが一番大きい。セブンの野菜炒め丼を食べる。この日も酒を飲まなかった。


2026/08/05 今日 6720
演劇WSの夢を見る。主役と会話でやり合う役だったので気が引き締まった。その場で渡された台本をその場で読み込んで、これから始まるというときに場面転換が起きた。場展先は夜中、土砂降り、町中のコンクリート川岸だった。空から大蛇が降ってきて氾濫しそうな川にドボンと落ちた。なんのせいかわからないが傷ついていて液体のようになっていて生死不明なほどだったが、川に落ちた途端に息を吹き返して巨大なワニに変わった。クロコダイルというよりアリゲーターのイメージ。豪雨の中なぜか川沿いを歩く群衆に襲いかかって襲われた人たちはひとたまりもなく濁流に飲み込まれていった。自分もなぜか川沿いを歩いており、なんとかワニに鉢合わせをしない道を選ぼうと、分かれ道にさしかかるたびに二択を迫られて消耗した。何か適当な根拠を見つけ出して一方を選んでいってワニに鉢合わせはしなかったものの、その影を振り切ることはできないという塩梅で、じりじりと削られていった。
午前在宅。洗濯物を干して『罪と罰』を読む。昼ごはんにそばを食べて出社。打ち合わせを2件消化し、問い合わせへの回答をして早めに退勤。白髪ぼかしという名のマイルドな白髪染めをしてスタバにいく。『罪と罰』をすこし読んでから食事会の挨拶を考える。いざ考えてみると原稿がダラダラ長くなってしまう。あらかたボツにしないと話にならないが、染髪中に思い浮かんだキーワードだけは残そうかどうしようか思案中。日記を書く。
この日はひさしぶりにクラシックのスタバにした。地階の席にはひとり客が自分入れて3、二人客が2組。片方は大学生ぐらいのカップルで肩を組んでにこやかにいちゃついている。もう片方は20歳をすこし出たぐらいの若い女ふたり組。元気いっぱい話していてその内容は人間関係の話(男いくいかない談義/彼女いるかどうか)がほとんどで、たまに演技がどう、見た目がどう、次いつ出るのとかいう話をしているので、どうやら業界の人間のようだ。袖の縫い目に黄色いラインが入っているTシャツにうすい青のダメージジーンズ、レモン色のスニーカーという出立ち。話が盛り上がるたびに椅子を大胆に使ってのけぞったり、屈託のない様子が前面に出ている。客が少ないから彼女らの会話だけがフロアに響き渡り、独壇場となっている。リズム系のよく知らないEDMが流れていて浅い時間のクラブの雰囲気を思い出させる。会話の中身からダンスサークル所属の学生だということがわかった。出る出ないなどの話とも符合する。演技うんぬんについてはダンスにそういうパートがあるのだろう。ダンスサークルにおける男女の人間関係というのはBPMが相当高そうだ。と思ったら契約期間がどう、会社でやれるって言ったら、稼げますかという話が始まったので個人事業主(インフルエンサー)か何かの線が浮上してきた。「即完はしなくて、私もやる気無くなっちゃって、コラボした分もないってことになってやめちゃった。ケチケチケチケチ。ケチしかいない。私も何かで稼がなきゃ。そっち系でもいけるんだけど会社に駄目って言われそう。でも結局業務委託だから、自分でブランド作ってやってもいいと思ってます」とかいう話が始まった。仕事やお金の話をしていても、よく言えば屈託の無さ、わるく言えば空疎な感じが出ていて、きっちりと、判で押したような現代的が表現できていた。

20260803

日記787

プラットフォームへ

2026/08/02 昨日 12303
21時すぎに家人と夜の散歩がてらコンビニまで弁当とノンアルビールを買いに出かける。天幕のジャードゥーガルとさよならララを見る。ハンターハンターを楽しみにしつつ23時すぎに寝る。


2026/08/03 今日 6819
友人の家に遊びに行き、犬の墓に手を合わせる。自分とは相容れないところのある犬だったので個人的な気持ちがあったというわけではないが、それでも友人の飼っていた犬ということで赤の他犬ではないので、これでも彼の心の安寧を願う気持ちはあるんだと友人にむかっていらぬ説明を試みた。という夢を見て7時半に起床。そのほか、やぶれかぶれになった半グレ友人のシンプルで粗暴な暴力行為に対して、相手の気持ちを尊重する風を装いつつ(心のなかでは軽蔑しきり)、苦言を呈するという場面なんかもあった。
午前出社の通勤中にジャンプでハンターハンターを見る。バトル場面が中心で普通の漫画のようだった。時系列的に”あいだ”の回にあたり、答え合わせのようにしてすんなり読み終えてしまい、すこし物足りなさが残った。1004号室の兵のなかにルズールスに似た髪型の人物がいたのが気になるといえば気になるが、そんなあからさまな変装はないだろう。ただなにかを仕掛けるとするなら意外とこういう回になるという気がするので一応帰りの電車でも、帰宅後にも都合3回読み直した。
部会という四半期定例で、これからのスキルセットの棚卸の取り組み紹介と課内でのAIを用いたエンジニア仕事の紹介があった。前年までの気持ちを表明する場をつくる月一定例とは質が違っている。新部長による部会のファシリテート自体がエンジニアの仕事だ。前年までのままごとぶりが引き立て役になっていてコントラストがきつい。
帰宅後、作成していたメールを出す。研修を受ける。『罪と罰』を読むの三本立て。あとはそばを食べた。腕立ても一応やった。
定時に退勤しスタバへ。『罪と罰』の中巻を読み終える。日記を書く。
演劇祭募集の時期になった。参加をどうしようか迷っている。これを達成したら参加しようと自分に課していた宿題はまだできておらず、この夏の宿題としてのしかかってくる。ようするに今回も参加したいという思いがあるということだ。
スタバに自分より長身で髪の長い青年がいて、すごいスピードでタイピングをしている。画面表示の色使いのビビットさからおそらくはコーディングなのだと思われるが、一度も止まることなく、淀みなく連続で文字を打ち続けるという芸当を2分から3分のあいだやっていた。グレーのタンクトップに白の短パン、プラダのサンダルという出立ちで、耳にはAirPodsを挿し、ベンティサイズのアイスコーヒーを飲んでいる。細身だし、ムキムキの見せる筋肉というわけではないが、肩周りから筋組織は発達しての自然な逆三角形を成しており、インナーマッスルなどの運動をするための筋肉はしっかりしているよう見受けられる。MacBookでの作業中も姿勢は崩れずずっと良い姿勢を保っており、何かのスポーツをしていることはまず間違いない。総じて只者ではない雰囲気を醸し出している。たぶん最低の人間で、途轍もなく悪い男なのだろう。しかし型の古いiPhoneを両手で扱い、なぜかそれで文字を打っていたりもするので、一部の隙のようなものも兼ね備えており、いわゆる人たらし的な面をも発達させているようだ。彼の辞書には「困惑」の二文字が載っていなさそうである。他にも載っていない熟語は多そうで、辞書としては役立たずだといえる。

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20260802

日記786

野生のラメロ

2026/08/01 昨日 9569
9時頃に起きる。アイスコーヒーを淹れて『罪と罰』を読む。大きいディスプレイに大きい文字で表示するという新しいKindleの活用法を見出した。そのおかげもあって読書が捗る。訳文がいいのか内容がすらすら入ってきてぐいぐい引き込まれる。20年前に初めて読んだときにさしたる印象を享けなかったことが信じられない。この日記にも以前書いたとおり、まだ読書習慣を確立できていなかった大学一回生の夏だったのもわざわいした。それにしても、それにしてもという感じだ。圧倒的に面白い。これがわからないということもあり得るのだからこわい。罪と罰は他のドストエフスキー作品に比べて明らかに凹んでいる印象でいつか再読しようと思っていたからこうやってサルベージできたわけで、そうならない作品もある程度の数あるのは確実だ。
もし大学生のときから自分の中身が変わっていないとすればかなり狭く限定された人間ということになる。今の時点から見てもあのとき以来たえず変わってこれている。そのことだけでも選んだ道がある程度成功だったといえると思う。頑固一徹というような良さ、漱石枕流という良さは自分にはないが、鋭い感性一本でやっていた高校生時代、新しい発見が立て続けに続いた大学生時代など、これまでに通り過ぎてきた時代の自分から”変わらない”という良さを持たない代わりに得られたものは多いはずだ。自分の感じとしてはアップデートというよりは、その都度その都度、羽化を繰り返している感じだ。
昼ごはんにそばを食べたあと、大久保まで家人が参加する室内楽を聴きに行く。ドヴォルザークの『新世界より』を通しで聴いた。漫画『ブルージャイアント』で演奏者が前に出るときに”ずいっ”と出る描写がある。あれはジャズでしかも漫画だからああいう描写であり表現になっているわけだし、ステージ立てなんかもクラシックとは違う。実際今回見ていても身体的な動きとして実際にずいっと出ていたわけではないのだが、演奏者自身にとって「ここは私のパートだ」というところに差し掛かったとき、ずいっと前に出る感じが見ていて/聴いていてわかりやすくあった。そしてその”ずいっ”という感じが、曲の持つ迫力と融合して、場の琴線を鳴らすことに成功していたように思う。張り詰めた弦が震えるみたいに、じーんとくるものがあった。
演奏会が終わったあと大久保から新大久保までを横断。歩きながら氷結無糖の期間限定「日向夏」飲む。モバイルバッテリーをコンビニで借りる一コマを挟み、旅行気分を味わえる趣向の韓国料理屋「まもなく仁川」に行って、食べ放題焼肉を食べる。焼肉はそれなりに満足感があったし、いくらでもサンチェという名のレタスを食べられたのは嬉しかった。そのほかハットグだとか流行りの食べ物をいくつか消化できてよかった。ただし、ロングポテトのコンソメ味が金魚の餌のような匂いをさせていて酸化した油で揚げているのかどうしても喉を通っていかなかった。その”とんでもなくマズい”にその他の印象を上書きされて終わってしまった。
帰宅後、バレーボールネイションズカップを見る。準決勝でアメリカにフルセットの末敗れてしまった。フルセットまでもつれることが決まったタイミングでアナウンサーがうるさいぐらい「ここまで日本はフルセットまでもつれ込んだ試合は全勝です」を繰り返していたので嫌な予感がしていたのだが、こうやって書かれることになる大体の予感がそうであるように、今回もきっちり的中して、日本の決勝進出を妨げた。マッチポイントを取られたあとに無理筋のチャレンジをしていてちょっと残念な負け方だった。やらないで済まないことをただやっただけの話かもしれないが、ちょうど画面に映されたアメリカの選手が「ああ、チャレンジしたのね。ご苦労さん」とばかりニヤニヤしていて、それはそうなるよなと思いつつ、それに対してちょっと腹立たしい気持ちにさせられたので見ている方としては溜飲が下がるどころか、という話になった。


2026/08/02 今日 11108
8時半に起きて、家人とピックルボールの会に出かける。サーブやミニラリーの練習をしたり、3点マッチをしたり、楽しく汗を流した。体育館の設備の問題でフル冷房をつけても暑いぐらいだったので楽しくというにはすこしく多量の汗が噴き出していた。いわゆる”高齢者”にさしかかるのではという人の参加も多かったので熱中症の心配をしたが、何せ参加者が多いのでそこまで気が回っていなさそうな雰囲気だった。大人だから自己管理しようということかもしれない。しかしこういうときには部外者然としていないで水分補給しようと声がけするぐらいの行動はとらなければならない。これは積極性・自発性うんぬんの話ではなく、私ぐらいの年齢の人間が率先して行うべき役割の話だ。20代のときにはそんな声がけをするのは土台無理な相談で、実際そんなことはしてこなかったが、今の鈍麻した感覚をもってすれば無理ではないどころかそこまで難しいとも感じないので、ただできることをやればいいというだけの話だ。協力して楽しめることは協力して楽しもう。
南中のおそろしく暑い道を途中休憩を挟みながら歩く。いちどは図書館で、にどめはカレー屋に入って昼食を兼用するかたちで、さんどめはコンビニでチョコモナカジャンボを買って、休憩しないと15分の道のりを一気に歩き詰めることはとてもじゃないができなかった。チキンサグカレーとナンが美味しかった。
帰ってきてシャワーを浴び、『罪と罰』を読む。ラズミーヒンにふたりを捨てるなと言い残すくだりがまずよかった。アルカージイのラスコーリニコフの夢の場面からシームレスにあらわれる登場の仕方も、物の言い方からわかるキャラクターも魅力的だった。殺人成功者として何かを共有しようとこちらをうかがってくる感じというのが他に見たことのない人物造形になっている。それにくらべての、ルージンの小物だが自分の世界に閉じこもって他人に害をなす悪人ぶりが過不足なく描かれ、彼の思惑を挫くというかたちでの小カタルシスが小説全体の真ん中あたりに配置されているのも、ドラクエ6のムドーやドラクエ3のバラモスという往年の中ボスを想起させて好ましい。しかもそれでめでたしめでたしとはならずに、ラズミーヒンにふたりを捨てるなと言い残して去ることになるラスコーリニコフの明るい局面によって引き立てられる絶望、その絶望を起点としてソーニャに会う必要が生じる心の動き方、そしてその会見で得られたもの(期待していたものも期待していなかったものも)、これらが無駄なく順を追って提示されていき、流れるように運ばれていく。とくに第四部の一連はすばらしい演劇を見ているようだ。四部の四で、アルカージイが椅子を運んできて結ぶところはあまりにも見事で、舞台を見ているように錯覚し、その錯覚の内部で実際に暗転になったように思われた。
日記を書く。夜ご飯は21時すぎになる。スーパーかコンビニで買ってきたご飯を食べ、お酒を飲みながら天幕のジャードゥーガルを見るつもり。


20260731

日記785

夏の大三人

2026/07/28 一昨昨日 17536
午前出社。仕事をして午後から在宅。バスケで国領まで出かける。疲労で足が痛く、あまり良い感覚でプレーできず。そのほかは酒を飲まなかったことぐらいしかトピックがなかった。やや低調。やや低調ぐらいが一番出力がない。熊本で震度7の地震があった。


2026/07/29 一昨日 6410
午前在宅。洗濯物を干したりする。午後出社してからは打ち合わせ2件。顔を合わせたくない人間ほど目の前をちょろちょろしてきて鬱陶しい。蚊がプゥーンと鳴くのと似ている。自分はポリシー上叩き潰せないが、頭のなかではそれに準じる扱いをしている。すこし残業になるがまっすぐ帰宅して映画『レンタルファミリー』を見る。ロケ地当てクイズの側面がありそれが面白かったぐらいで流し見しても問題ないと判断した。そういう映画の見方が一番時間の無駄だと知っているのにサブスクで映画を見るとき3回に1回ぐらいはそういうことをしてしまう。企画に沿ったプロットがあり、プロットに沿って人間が動いている感じがあると、企画を見せられている感覚になる。それに2時間も必要ないと思う。映画だから2時間分撮って編集したということでしかなく、自分から見たこういう映画への不満の正体は、2時間を埋めるため、前後を繋げるためのシーンが目につき、気持ちが入らないということかと思う。この日も酒を飲まなかった。

2026/07/30 昨日 17291
午前在宅。昼ごはんを済ませてから出社する。この日も打ち合わせ2件、あとは月次の部会に参加。バスケをしたいという機運が高まったので急遽参加することにした。定時即自宅にとんぼ返りして荷物を持ち替え、東中野まで行く。途中雷鳴が乱発し、おそろしい夕立ちに降られるのではないかと危ぶんだが、LUUPで体育館まで行く道すがらなんとか持ちこたえてくれた。この日のバスケは好調だった。夏前と同じぐらい足を動かしてもオーバーヒートすることなく、走り回れたのが大きい。好調の原因は、1.夏慣れ 2.手足に汗が出ない症状に対して処方された内服薬 3.アルコール抜き 4.アクエリアスの導入 のうちのどれかだろうと思う。夏慣れが一番大きいのではないかと思っている。しかしまあアルコールの線も外せないかと思い、この日も飲まなかった。アクエリアスについてはいつもの水+塩タブレットでの運用より高効率ハイドレーションになるのかもしれず、手軽に導入できるのでしばらくは続けるつもりでいる。可能なかぎり早く家に帰り着いたのだがご飯を食べながらテレビを見てしまい、寝る準備をするのが遅れ、翌朝出社なのに寝る時間が遅くなってしまった。テレビに久しぶりにローラが出てきたからだ。番組は有吉夜会だった。路線を大きく変えないながらもコメントの内容は落ち着いている印象。単純にテレビ的にはつまらないが、ローラという人物に興味をおぼえていた身からするとこのマイナーチェンジをもう少し見ていたいと思わせられた。ただ出演番組を探してまで見ようとは思わないし、結局「久しぶりー☆またねー」で終わると思う。新潟での生活が充実しているのだろうから本人的にもそれでいいのだろうし。しらんけど。
GEZANのボーカルマヒトゥ・ザ・ピーポーが異性との問題を公表した。性加害ということらしい。こういうときにあらゆる人間が吹き上がって罪を云々するが、まず被害総数を確認するべきではないか。そうしないと適切な批難はできないと思う。伝えるべきメッセージをブロードキャストする”伝達素子”は格好良いということを要求され、格好良いということが仕事の大半を占めると思うのだが、今回の件はかなりダサいのでそれが彼に特有の罪ということになると思う。それ以外、他人を物あつかいにするという一般的な罪もある。どちらが重いかでいうと後者だが、特有の部分は前者だということになる。複数の被害を同じかたちで繰り返したということについては特有の部分が寄与している。すなわち格好良いこと、魅力があること、力があることをもってめちゃくちゃをしたわけで、その力の使い方自体は格好良いとは到底いえない。ダサいことの格好良さとかいう回路があることも考えると、格好良い/ダサいという路線で考えることは適切ではないのだが、そもそもの原因は彼が格好良いとみなされていたことにあるわけなのでそこを避けては通れない。実際には全然格好良くなかったということがわかり、そうすると我々は騙されていたということになる。そして見抜けなかったということにもなる。しかし格好良かった部分があるというのも避けては通れないのではないか。今回の件とそれまでにズルズルと繰り返していたのであろう他人との向き合い方、関係の作り方は、端的にダサいし、最低で、格好良くないが、それにもかかわらず格好良いところがあったということは言えてしまう。部分的には今も言えるはずだ。格好良いということは、その対象になる人間に全人格的にそうであることを要求するような特殊なタグだと思う。そしてそのタグを付与するのは本人ではない。見誤った罪、見極めようとしなかった罪というのがあるとすれば、彼は特別だ、とくべつ格好良いスペシャルな人間だ、とただ有名なだけで有名人扱いにする適当な見立てに表れている。
今回の件で、無能な味方は有能な敵よりもおそろしいと思わさせられた。がっかりしたということだが、そもそも走る人間の衝動はほとんど必然的にアンコントローラブルで、そこに魅力の本源があるのかもしれず、そういうものに魅力を感じてしまう感性を修正するべきなのかもしれない。自分としては常に警戒しているつもりなのだが、今、まっすぐ”走る魅力”を打ち出されることによって虚をつかれ、時代を共有しているという勝手な仮託もあり、伝達素子として適格だと思い込んでしまったという話だ。粗品の言い分ではないがちんぽ問題は相当大きい。マヒトゥ・ザ・ピーポーが風俗に通って”適切に”衝動を管理していたとしたら、今回のような問題にはならなかったと思うが、自分としては格好良いとは思えず、伝達素子の役割を担わせないという判断をしたはずだ。そしてその感覚はピーポーとも共通していたのではないか。いろんな人がいて、他人は自分ではないということを正確に捉えようとすると、簡単なことというのはありえないのだと思う。


2026/07/31 今日 5011
7時半に起きて出社する。同僚の人と認識を合わせるための打ち合わせ。たくさんのタスクを自発的に拾ってくれて、よくできた人間だと感心させられる。仕事人間でありかつ人格を兼ね備えた稀有の人材だと思う。しかし私にはそれに倣おうという気はない。午後在宅にする。寝不足を補う活動(昼寝)をしていたらつい時間が過ぎすぎて、小一時間の残業になってしまった。やれやれ。電車で一駅、スタバに行って日記を書く。あとは書くべき文章を書くために精神を集中することにする。合間に読書もしようかな。文庫で『さようならコロンバス』かKindleで『罪と罰』か。

日記809

自由時間に 2026/10/14 昨日 20808 大手町に行って仕事の用事。感覚的にまったく不必要と思われることでも、責任の所在とセキュリティの概念を組み合わせれば仕事になる。身体は建物に縛られていても頭は空いているのでその時間を使って『存在と時間』を読...