行く春
2026/03/06 一昨日 7071
映画『Wicked』を見る。主役と端役との扱いの違いについて、いかにも自然に差をつける演出方法で、「善の中にも悪があり、悪の中にも善がある。そしてそれらは良いことでもあるし悪いことでもある」というようなすこし込み入ったメッセージをわかりやすく提示するのは、何事にも第一歩目があるという原則に立てば十分に擁護可能だ。しかし、見る側でそういう擁護を一切せずとも自立する作品かと言われると決してそうではない。そもそもミュージカルというのは音楽に勢いを借りて、過剰に感情を表現するところに面白さがあるもので、通常の劇作とくらべても集中を欠く客相手の配慮をして見やすくしているものだから、ミュージカルと知って見に行きつつ「幼稚だった」などというのはナンセンスかつ無粋ということになるだろう。だからといって、それに笠を着た幼稚な視聴者が「今年一番面白かった」というような感想を言うのはさすがに許容しがたい臭気をともなう。だから「感動したし面白かった」ぐらいが妥当なコメントだと思う。それ以上のコメントが必要な作品とも思われない。気晴らしとしてはそれで十分なはずだ。
それにしてもこの日の家人に対する怒りは、自分の正当性を疑わないもので(じつは今もそれを疑っていないが)、なおかつその正当性を根拠に怒りを発してもかまわないと判断している点で、かなり大幅にオーバーラインした甘えがあった。こういう情けない事態は減らしていきたいと思っている。この日書いた日記も自分にとって恥だが、今後の戒めとするためしばらくはそのまま公開しておく。自分のよく知っている人に対して怒ってもいい場面などない。「もう知らない」とき以外。
セブンでそれぞれ酒とカップ麺を買って帰り、飲食して寝る。
2026/03/07 昨日 19461
8時半頃に起きて朝はゆっくりする。10時半頃に出かける。下北の新八食堂で朝食。汚い店内と小さいサバの切り身、納豆と卵と切り干し大根の小鉢が各30円で付いてくるのを差し引いても、これに800円強使うのはもうやりたくない。お得さに釣られてみすぼらしい朝食を選んだ気分になった。結局800円強使っているし。
バスケの大会で千住方面に行く。町家からさくらトラムに乗って三ノ輪のひとつ手前の駅で降りる。きれいな施設で、バスケのあとシャワーも使えて良かった。しかし肝心の試合では初戦圧勝、次戦惜敗となんとも悔しい結果になった。勝負が賭かった場面で心から「自分にボールをくれ」と思えるようになりたい。今はそう思おうとしてそう思っているような余分な距離を感じる。最短で刺せ。とはいえこの日はシュートを外していたし、フリースローも1/2だったし、この頃シュートが安定していないから、それでボールを要求するのは難しいか。ノリノリになってプレーする感覚を勝負どころで引き出せるように鍛えていきたい。ある程度の強度の試合中でも、万能感とは行かないまでも千能感ぐらいは出してやっていきたい。空気を読まずに調子に乗れ。
バスケ終わりに家人に北千住まで来てもらって飲みに行くことにする。ホビーオフのほうまで千住宿の通りを歩いて、途中見つけたサイゼリヤに入る。ビールで乾杯し、ドルチェをふたりで四品とるなど当時では考えられないような豪遊をして、ひとり2000円すこし。
風が強く寒さがきたのでそのまま帰る。帰って『ホワイトノイズ』を見る。死の恐怖がテーマになっている映画で、なぞの既視感があった。最初は『ドント・ルック・アップ』を見たからだと思っていたが、スーパーのシーンを見ていてそうではないことに気づいた。この映画は渋谷の映画館(パルコのシネクイント)で見たんだった。3年から4年前に見た映画を、一度見たことに気づかずかなりの分数見ていたことに恐怖を覚えた。内容については当時とはちがう見解を得て、この映画の評価がすこし上がった。その見解は、3発目の弾によって主人公は即死、そのあとの映像はすべて死の直前に描いた主人公の夢、というものだ。死を殺しに行って死に殺されるという結末はチャチなものではあるが、それをある程度は巧妙に隠蔽しようとしたとしたら、その程度の巧妙さも含めてわるくないのではないかと思った。それに「死に対してどうやって抵抗するのか」という部分について、アメリカ映画的な回答をアメリカ映画を制作することで提示するというのは、そういうことをする作者の”意図”が掴みやすくて良いと思った。バームバックは(そしてアダム・ドライバーは)、明らかに、死に抵抗しようとしている。恐怖の覚え方については「自分と同じ」だとは思えないが、対処の仕方についてはかなりの部分で共感できる。
買ってきた酒の残りを飲んで、サッポロ一番塩らーめんを食べて、寝る準備をして、22時半には寝る。
2026/03/08 今日
9時間以上寝た。起きてから洗濯物を洗い、干し、朝ご飯を食べる。12時にスタバに来て小説に使うかどうか決めていない部分の文章をすこしだけ付け足し、日記を書く。「知覚の大霊廟をめざして」というインスタレーションを見に行くことにする。見に行こう行こうと思っていたらいつの間にか最終日になってしまっていた。いつでも見に行けるぐらい近くでやっていると、いつまでも見に行かないから結果的に遠いということになる。遠くの「知覚の大霊廟をめざして」をめがけて、といったところだ。それを見たあとには調布までバスケに行く予定。