20260506

日記753

空色と空

2026/05/05 昨日 13730
スタバから出て氷結を飲みながら帰る。おうちへ帰ってシチューを食べる。野菜たっぷりというオーダー通りでありなおかつ濃厚で美味しかった。キャベツステーキにはアンチョビがたっぷりでもし高血圧の人が食べたらぶっ倒れるのではないかというほど塩分過多だったが味はおいしかった。
家人がビューティフル・マインドを見ているのを邪魔してしまい顰蹙を買ったのでよけいな口を利かずに早めに寝ることにする。


2026/05/06 今日 4231
深夜の居酒屋で突然始まったミュージカル。ニューヨーク屋敷がMVに出演している。画面は横スクロールして進行。「目標はない」「友達もいない」「ひとりだけ慕ってくれる後輩がいる」
「とにかく何もない」「《何もない》というテーマもない」「バイトのための素早い動きだけがある」と文句口調で謳い上げていた。ラップのような勢いとバイブスがあったけれど韻はまったく踏んでいなかったのでポエトリーリーディングに近いと思った。夢も具体的な目標もないフリーターの苦役感が出ていてよかった。誰もが背負いつつそれに気づかないように目先を変える努力を怠らない”労働場面における徒労”なのだが、意識的にそれを怠り、ボイコットしている強さをそこに見た。見方次第ではただの怠惰とも言えるところがその良さの本質だ。
私のGWはこの日でおしまい。8時に起きてスタバに行く。『内在的多様性批判』を読む。昼すぎに帰宅してシチューの残りを食べる。アマプラで『日本三国』を見る。英雄とそれ以外の無邪気な描き分けがシンプルにすぎるが、そのぶん腰を入れて見る必要がないので見やすい。視聴者にわかりよい使用語彙で登場人物が喋るので、歯がなくても食べられる流動食のような簡素な味わいがある。お笑い芸人のラジオが聞きやすく調整されているのに似ている。こういうものだけインプットしていては顎が退化するにちがいないと思うが、顎が強くてもそれ自体に意味があるということでもないので、読書をしたりして見識を深めようというつもりがないのであればべつに構わないのではないかとも思う。こんな物言いにしてもかなりいい加減で、見識を深めるってなんだって話になるが、”見識”も”深める”もいちいち説明しようとは思わない。
昼寝をしてからお好み焼きの残りを食べて再度スタバに出かける。『内在的多様性批判』が3章まで進んだ。ある言説を推進した結果、それを主張した人物の意図したとおりには進まず、むしろ逆進しているという挑発的な記述が面白い。

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・翻訳(第一の実践):
 ふたつの領域に属するはずの諸要素は常に混ぜ合わされ、ハイブリッドな存在者が続々と増殖していく
・純化(第二の実践):
 ハイブリッドは捨象され、あらゆる存在は自然と社会のどちらかの領域に属するものとして把握される
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私は純文学という言葉に違和感をおぼえる者だが、純化がそれのみでは機能し得ない実践だというところに我が意を得たという思いをした。純化に反対するというか混ぜっ返すようなことは意識的にやっていく必要があると思っているが、それにしても反純化の試みが鮮鋭化することでそれ自体純化に取って代わるだけということは言えるなと思っていたので、「翻訳」という概念と併置されることで機能するというアイデアは馴染みやすいし気分に合う。
「自分ではない他人に何を言えるか」というのは無視しないかぎり無視できない問題としてずっとあり続けているので、ここらでその答えのヒントを掴みたい。

日記753

空色と空 2026/05/05 昨日 13730 スタバから出て氷結を飲みながら帰る。おうちへ帰ってシチューを食べる。野菜たっぷりというオーダー通りでありなおかつ濃厚で美味しかった。キャベツステーキにはアンチョビがたっぷりでもし高血圧の人が食べたらぶっ倒れ...