20251227

日記696

実線

2025/12/23 四日前 18533
週末+前日のバスケの疲れがすこし溜まっていたのでそのリセットを兼ねて一日在宅にしようと思っていたのだが、前週のトラブルの後処理のために出社を余儀なくされる。午後から出社して事後対応策について上長と協議。すでに喉元過ぎていてどうでもいいモードになっていたのでただただ面倒くさい。しかし自分のミスについてくどくどと説教したりせずに淡々と前向きに対応方法について教えてくれるのは正直ありがたいと思った。新宿駅のコインロッカーにバスケの用意一式を保管しておき、退勤後そのままバスケ会場に直行する。年の瀬ということもあって参加者が少なめだったので思う様プレーできた。しかし減量の影響か体力が減っていてあまり走り回れなかった。露骨に歩くシーンが多かったように思う。最近狛江のバスケでもスマホをたてかけて動画撮影している。あとで自分の動きのチェックをするのは楽しい。どんな動画よりも夢中になって見ているという気がする。プレー中のイメージと合っているところもあれば合っていないところもあるのでその案配も見てしまうポイントだ。この日は狛江湯が定休日だったのでまっすぐ帰る。


2025/12/24 一昨昨日 9075
前日に急遽午後出社になった分、今日は一日在宅勤務にしようと思っていたらまた呼び出しを食う。一回の打ち合わせですべて処理できていればラクだったのに、あとからべつの用事が出てくるのは仕方ないことであるにはせよ気持ちとしては面倒でしかない。こまかい頼まれ事もあってその処理も重なってより面倒だった。それでも定時退勤し、家人へのプレゼントを買って帰る。ピックルボールの初心者セットを高輪ゲートウェイシティで買い、渋谷ロフトでリクエストのあったタンブラーを買う。くらっぺ氏のイニニーヨの日ポストカードをセブンネットプリントでありがたく印刷して帰る。プレゼントをクローゼットに隠してスタバに出かける。スタバには閉店時間までいて『地下鉄道』の終盤を一気に読み終える。「シーザー」と題された章がとくによかった。読者以外にもコーラを見ていた者がいるということに力を得た。『地下鉄道』のような素晴らしい小説を読まずにいることのリスクを思うと、できるだけたくさんの小説を読もうとする姿勢は捨てたものではないと信じられる。コルソン・ホワイトヘッドのべつの小説も読まなければならない。まずは『ニッケルボーイ』を読む。


2025/12/25 一昨日 8887
この日はあえて朝から出社し、一日オフィスで仕事をする。それというのも二度あることは三度ある式に前々日と前日に煩わされた打ち合わせがこの日もあるだろうと想定されたからで、まさにその想定通り、いろいろの準備のために直接のコミュニケーションが必要になった。また翌日も出勤日ではあるが、とりあえずのタスクをすべてこなし実質この日を納め日にしようという意図もあった。思惑がはまり思ったとおりの展開で仕事を終えて定時に退勤する。
まっすぐ帰宅して炊飯し、家人が作ってくれた豆乳鍋を食べる。友人Nからの頂き物のモエ・エ・シャンドンを開ける。一気にクリスマスパーティーの華やぎを得られ、率直にありがたかった。プレゼントを贈与し、ピックルボールのラリーを何往復かだけする。集合住宅のゆえにバウンドはできないのでボレー主体の簡易的なラリーだったが独特の打球音とパドルの感触を確認した。2026年からはこの競技でも楽しみたい。


2025/12/26 昨日 18421
午前中に用事のため大手町まで出勤。早めに現着して呼び出し時間までスタバで『痛いところから見えるもの』を読む。用事を終えて帰宅したのが15時すぎ。その後は寝室にこもり精神を落ち着ける行をおこなう。本当はバスケに備えて昼寝をしたかったのだがあまりうまくいかなかった。定時退勤して2025年の賃労働を終了する。
すこし早めに狛江まで出かける。スタバで『痛いところから見えるもの』を読んでから体育館まで歩く。風が強くて寒すぎる日だった。動き始めこそ疲労が溜まっているのを感じたが今年最後のバスケということもあって自然と気持ちが昂り、後半はノリノリで動けて体力の薄さを気持ちでカバーできた。いつもの参加者で顔見知りの人に話しかけてもらえたので帰り道にバスケの話をする。きっかけはバスケのシュートフォームに関するアドバイスをしてくれるという親切心を出してくれたことで、年の瀬特有の精神効果がうまい方向に作用したのだと思う。シュートフォームについては揺らいでいたのだがちょうど固めようと思い始めたところだという話をした。彼の話はスタンスの取り方を無理に内股にしないでリングに正対するほうが力がボールに伝わりやすいという主旨だった。とても安定したシュートフォームでシュート成功率もかなり高いプレーヤーだから説得力があるのだが、考えた結果、自分の目指すプレースタイルとしてはスタンスを内股にすることにも意味があるという結論になった。ただシュートフォームの安定はこれからの課題ではあるし、調子が上がらないときに立ち戻るべき原点作りはすすめていくべきだというのは再認識した。狛江湯で温冷交代浴をして帰宅。身体を温めることで行きに味わった耐え難い寒さもあまり感じなかった。当然といえば当然だが、運動にも風呂にもそれをすることで得られる効果がある。いろんな人とバスケをしていると、その人の人柄がプレースタイルから推し量れるところがあって面白い。言葉のやり取りよりも効率的にその人を知ることができると言っても全然言い過ぎではない。ボールを持ったときの選択はシュート・ドリブル・パスのみっつだが、どんなときにどれを選ぶのかだけでも大きな情報になる。それにボールを持っていないときの動きにはさらに選択肢が広がるので、何を思ってその場所に行くのかということがさらなる情報になる。シュート成功とシュート失敗の機会も頻繁に訪れるのでそれに対するリアクションもまたその人を表わす情報だ。バスケを通したコミュニケーションにおいて、自分は言葉でするよりも雄弁に自分を表現できるようになっていて、それがかなり楽しい。プレーしている動画を見るとそのときの自分が瞬間で考えた(あるいは考える前に判断した)内容が映っていて、過去の自分の日記を読んでいるときのような面白さがある。バスケを再開したての全然動けなかったときの動画も摂っておけばよかった。わかりやすい成長の軌跡が見られてそれも面白かっただろうと思う。


2025/12/27 今日 5060
早朝に起きて一足先に帰省する家人を見送る。その後二度寝するつもりが連休スタートの興奮からかうまくいかず、起きる予定の時間になる。洗濯物を干してからスタバに出かける。『理由と人格』を読む。パーフィットが「大勢の人がそう考えている」で文章を締めくくって主張を言い終わるところがどうしても許せない。これは哲学徒の文章としては成立しないはずのものではないか。倫理学は哲学ではないというのが理由になっているということであれば納得はできないもののそうなのだと思うしかないが。結局納得のいく「自己利益説」への反駁はなかった。自己利益説というものの射程、それが目指す理念を過小に捉えることでお茶を濁すことしかできていない。『理由と人格』では時間と労力を無駄にしたが、そもそも読書にはそういう要素もあると思い出せてくれたことでまったくの無為ではないと思うことにする。
『痛いところから見えるもの』も読み終えた。こちらは読み応えがあった。引用された『ハックルベリー・フィンの冒険』でのハックの宣言については「重要なこと」とは何かということがはっきりと明示されている。


本の奥付、つまりこの本の一番最後に書かれてある引用文にも価値がある。
ひとりの人間の痛みがもうひとりの痛みと結ばれると、ときには痛みが癒やされることさえあります。
アモス・オズ『大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く』
ハックの宣言もこの文章も自己利益説とは矛盾しない

日記696

実線 2025/12/23 四日前 18533 週末+前日のバスケの疲れがすこし溜まっていたのでそのリセットを兼ねて一日在宅にしようと思っていたのだが、前週のトラブルの後処理のために出社を余儀なくされる。午後から出社して事後対応策について上長と協議。すでに...