目と目で見つめ合う
2026/02/12 四日前 8488
午前在宅。コンビニに出かけて新聞を買う。自分の口から発した言葉が新聞に掲載された記念として該当の朝刊を購入した。その後は仕事仕事になる。午後出社。忙しすぎるの一言。こんなに仕事するのは嫌だよという調整仕事があとからあとから降ってくる。残業になった。疲れたしそのまま帰宅しようかと思ったが、ただ仕事をしただけのあんまりな一日にするのも忍びないので、踏ん張ってスタバに行く。『失われた時を求めて』を読んだ。ソドムとゴモラ2-1に入ったところから面白さを感じられるようになってきた。声に近さを感じる。『八月の光』も読んだ。ジョーが義父に厳しくされるよりも義母に優しくされることを憎く思うところなど、不可解どころかそうだよなと感じられるように書かれてある。よく書けているなと思った。フォークナーを読むのは一作目だが、読み始めてからずっとよく書けているなと思い続けている。
2026/02/13 一昨昨日 12992
朝から出社。午後に在宅に切り替えようと思っていたのに、電話がかかってきてしょうもない話に付き合わされた挙げ句、対面打ち合わせを入れられる。聞いていて情けなくなるような言葉遣いでげんなりさせられたりして、しばしば絶句した。実際に何も発さずに黙っている時間が10秒ほど続くというのが複数回あり、向こうはこちらにこちらは向こうに呆れているというのを隠しようもないということがお互い伝わったように思うのだが、ひょっとすると向こうは発信するだけでこちらからのそれを受け取ってくれていないかもしれない。発信に余念がないというやつだ。
残業を30分ほどで切り上げて帰る。友人とタウンホールで集合して、演劇創作プログラムのチームAの公演を観に行った。開演前の数分のあいだ心拍数が90を超えていた。あそこに自分が立つことを想像しただけでこんなに身体にくるというのは、実際を迎えたときにどうなってしまうのか……。始まってからもしばらくガチガチだった。しかししばらく見ているうちに公演の内容と演者のパワーに元気をもらって、気づけば緊張を忘れていた。3年前の共演者にかるく挨拶してからホールを出る。友人と池ノ上まで歩き飲みする。上京最初のアパート跡にはリッチマンの住む一軒家が建っている。とはいえ場所そのものがなくなるわけではないので旧アパート前、現モダンハウス前で記念撮影してもらう。その後、バーミヤンで食事がてら飲み足し、一旦帰宅して友人に借りていたDVDを返却。駅まで送って帰宅する。なんだかんだで夜更かしになり1時すぎに就寝。
2026/02/14 一昨日 9463
13時から稽古。気持ちを落ち着けながらゆっくり準備していたら思っていたより早く時間が過ぎていって、遅刻しそうになった(5分遅刻した)。ただ、盛大に遅刻する大御所俳優もいたりして、5分程度で目を白黒させる自分との格の違いを見せつけられた。この日の通し稽古も、袖から見る皆の演技にただただ感動させられて、最高の”LIVE”だった。SS木の声がたぶんツボで、自分でもちょっとどうかと思うぐらい感動してしまう。SMAPのゴタゴタのことを思うとちょうどいいエグ味が出てきたオンリーワンのあの歌にしても「これが正解のひとつだ」というメッセージとの絶妙な重ね合わせがある。脳の涙を司る部署が常軌を逸した実権を握っている我が神経系だが、それにしても司令官はボタンを強く押しすぎている。しかも連打してくるから困る。STキの急成長も自分(?)としては見逃せない。本当にすごいと思う。頭が下がるし誇らしい。MRンの声が、駄目押しの上にさらに駄目を押すあのリフレインが、彼女の言う”感じ”を胸に直通させてくる。この作品は個人的に面白いと思うし、一般的に言うところの好感が持てる作品だとも思う。自分がすこしでも良くなることで、この作品が良くなる、作品の持つ質感に貢献できる立場にいられるというのは、まさに望外の喜びだ。正直、めっちゃこわいけどね。
稽古終わりに酒を飲んで帰ろうかと思ったが、ここが大事だという気がしたのでスタバに寄って『八月の光』を読む。相変わらず読ませる文章なんだが、稽古で得た”感じ”を反芻する場になった。気がつけば稽古のことを思い出したりして読書が進まなかったりしたので。ただスタバを出てからの帰り道は結局酒を飲んで歩いた。
2026/02/15 昨日 13976
14時から自主練習。Vを連れて行って相手役の代役にたってもらう。Vにとっても初めてのおでかけになった。演出助手のビーンさんに発声のアドバイスをしてもらう。通らない声をなんとか通そうとするのは最初からわかっていた自分の課題なので、このタイミングでそこに手を貸してくれてありがたいと思った。私のような真っ白なシロウトを前に、ただでさえ考えることが多い為事なのに、伝えるタイミングとか、何を伝えて何を伝えないでおくか(あとに回すか)とか、おそらく普段よりもさらに考えてくれていて、通常であれば自分なんか本当に1ミリも頭が上がらないはずなのだが、毎回「どうもー」ぐらいの軽い会釈で済ませている。ただ恐縮していてもせっかく推進させてくれようとしている心意気に水を差すだけになるので、アホのふりをして差し出されたものを無遠慮に受け取っているつもり、アホのふりをしているつもりだ。……つもりなのだが、これを当たり前にするとアホ以下になるので、ウラカン(裏感謝)を忘れないようにしたい。それは作演出担当のNしまさんにもまったく同じことがいえるわけだが。んむあぁぁぁぁー、と言って空間の床全体からむこうの壁まで舐めるつもりで空気を震わせる発声のアップを教えてもらったので、突然そういうことを始める。人が集まってくると恥ずかしさが幅を利かせて控えめになっていってしまったが、急にでかい声ではなく、徐々にでかい声という「発声練習しているんだな」というのが伝わりやすいアップの方法なので自分のようなタイプにもなんとかギリできたりできなかったりするちょうどのアップだと思っている。人がいるタイミングでも何回かチャレンジした。このとき最初のほうにやったアップで、””喉が開く”という感覚を初めて得たかもしれない。ぐらいのちがいがあった。
稽古が一回一回終わっていってしまうのがさみしい。自分には舞台の上に会いたい人がいて、舞台の上ではまだその人に会える。それが嬉しいんだという気持ちが本物みたいになってきている。だからあらたに出てきたさみしいというのも嬉しい気持ちと同じぐらい本物で、もともと持っていたものと合わせて、本物のさみしいがふたつある状況になっている。そう考えると不思議だ。ただまあ小説を読んでいたらよくあるといえばよくあることか……。向こうではなくここにあるというのが不思議ということなのだろうか。
表に出ている人に言及するのに仮名を使う必要はないのではないかと一瞬思ったが、よく考えたらこれ(日記)は自分の現実にそれなりに近接しているフィクションだというのが私の見解だったというのを思い出したので、これはこれでよいということにする。Vをボストンバックに入れていたのでまっすぐ帰る。酒を飲みながらにはなったが。
2026/02/16 今日 9172
午前在宅。あれもこれもと片付けているうちにすぐ昼すぎになる。準備をして最後の稽古に出かける。松屋でキムチカルビの定食を食べた。見学者ありのなかで最後の通し稽古をする。自分から見れば皆スムーズに進められていてよかった、という感想だったのだが、プロの演出家の目はさすがにすごいと思った。自分がテンポの良さと見たものは、テンポの良さではなく、かかりすぎ走りすぎということらしく、たしかに何度も見ているから分かるのであって初めて見る人には分からない(分かりにくい)箇所があるというのはたしかにそうかもしれないと思った。また、相手が何を言うか知っている受け答えになったらマズいというのはその通りだと思う。自分は舞台からはける移動のときに気を抜いてOFFになったところがあったという指摘を受けた。まったくの無自覚で無意識だったので、そうなったときに素の自分が出るのではなく、役の自分が出るような状態に持っていけるようにしたい。……というのは挑戦しようとすることにかこつけた体裁の良い言い繕いだ。自分のセリフ・アクションが終わったと思って気を抜いたのがはっきり見えるほど気を抜いたということが、ある程度時間が経ってだんだん恥ずかしくなってきた。それが恥ずかしいことだという感覚はある。恥ずかしい。
この日は酒を飲まないで吉野家の牛丼を食べてまっすぐ帰る。スタバに行こうかと思ったが、雨が振り始める予報だったので家で日記を書くことにした。22時半過ぎに書き終わり、寝る準備をして寝る。