20251231

日記699

グッド・

2025/12/30 昨日 11988
昼前に実家に帰る。用意してくれていた昼ご飯を食べたあと昼寝をする。夕方頃に起き出して京都に行く。この前東京に遊びに来た友人Tと河原町で飲む。食事と酒を分けたいという提案をして食事はそのへんの鎌倉パスタに入って済ませ、酒はOILで飲む。友人は「雰囲気は良い」と一定の満足を示していたが「ちょっと音楽の音が大きいな」とこぼしていた。しかしだんだん客入りが増え緩衝材役が充実してきたからか、あるいは音の大きさに慣れてきたからか、時間が深まるにつれレコードの選曲を落ち着かせていったのか、音の大きさがいつの間にか気にならなくなってきた。グッドミュージックばかりだったが、とくに気に入ったのはArnett Cobb『Sizzlin'』とJohn Minnis' Big Bone Band だった。ウイスキーを舐めながら良い時間を過ごした。大学時代のサークルのメンバーを全員思い出せるかという勝負をしかけて記憶力の確かさで圧倒した。と言いたいところだったが、実際には自分の記憶の盲点をつかれる場面もあり、勝ちよりのドローというところに落ち着いた。懐かしさの感情が閾値を超えた勢いで、そのうちでもっとも連絡がつきにくいであろう友人にTが電話をかけた。不意打ちもいいところで、実際、繋がったと思ったらすぐに電話が切れたのだが、なんとその後すぐに折り返しがあり、5分‐10分ほど近況を喋って元気そうだということがわかった。大学生時代に誰にでもあった頭のおかしさをしっかり表現できている畏友のひとりで、大学を中退して実家に帰るという飛び抜けたサークルの止め方をする、すべての飲み会で飲めないお酒を飲んで毎度電信柱に寄りかかりながら歩く、穴の空いた靴下を誇らしげに履く、ほとんど授業を受けず自分がまともと認めている作家の文庫本を読む、といった無頼派としての本物らしさがあり、自分は彼の良いときしか知らないということもあってそのゴーストに影響を受け続けた。今から思い返すと、中島らも、ブコウスキー、太宰らに対する無垢な憧れがあって、酒を飲まないといけないと思い込んでいたふしがあるし、そうやって無頼に憧れるキャラクターを過剰に演じていたともとれる。いずれにしても、憧れるところまでは誰しも同じような反応を見せるもので、その反応・反射でどこまで行動するかというところに人格の強弱が表れるものだが、自分から見た彼はつねにブレーキを踏まないチキンレースの絶対王者だった。恐怖心や理性を麻痺させる手段を持っていて、しかもそのスイッチを押せてしまうというのが破滅者の条件で、彼こそはその条件に適合した社会不適合者だった。できないこととやらないことにはじつは大きなちがいはないのだが、できないのではなくやらないと感じさせたのも、近くで見ているかぎりでは凄みにつながっていくところだった。電話の内容では、3年前に結婚し、いまは会社をやめてやりたいことをやるために自分で事業を始めたという話だった。何をやりたいと思って生きているのか気になるところだが、自分から見て重要なことは、彼が何かをやりたいと思ってそれに沿うかたちで生きているということだ。何遠慮することなくやりたいことをやって生きていくべきで、それ以外の規範は本質的には無いに等しい。ほんの10秒ほどスピーカーに耳を近づけて声を聞いたのだが、音楽の大きさのせいで内容は聞き取れなかったが、はしこい話し方には当時の面影がじゅうぶん感じられた。店を出て串カツ田中に行く。田中→お洒落なバーのコースはあっても、お洒落なバーから田中のコースはそうそうないと思う。乾杯の音頭をとってくれた学生とおぼしきお姉さんが体育会系の元気を見せてくれてしっかり気持ちが盛り上がった。いい時間になったので高瀬川を遡上し、三条大橋を渡って京阪電車で奈良に帰る。


2025/12/31 今日 3108
9時頃に起きてゆっくりする。Steamでスルタンのゲームをダウンロードして遊ぶ。昼ご飯にそばを食べてから一足先に自分の家に戻る弟を見送りがてらカフェにいく。日記を書いたりなんだりして夕方頃に実家に帰る。2025年はバスケによる発散と基礎体力の向上によってかなり充実していた。体育館でバスケをやった日数を数えたら109日にも及んでいて平均歩数は12575歩/日になった(2023年は8247歩、2024年は10429歩)。これらの勢いをもって2026年にもしっかり取り組みたい。それから「俺は俺で遠慮なしに俺のやる事をやる」。

20251229

日記698

信じるもの

2025/12/28 一昨日 4452
スタバを出たあと豚とんに行く。紙エプロンを駆使して一張羅を守る新手を発明した。一旦帰宅してもう一度出かけるつもりがそのまま家に居着くことになった。スマホの写真と動画をGoogleクラウドに上げる。こたけ正義感の弁論を見る。冷食チャーハンに卵3個を使う。さすがにやりすぎだった。もそもそした食感になって全然美味しくなかった。『羅小黒戦記』を見る。ニーチェアに深く腰掛けて見ていたのもあり途中で昼寝の時間になった。洗い物を済ませゴミ出しをして年末掃除に代え、翌日の京都奈良行きの準備をしてから早めに寝ようと試みる。寝ているVの電源ボタンを押す。一瞬目が空いてから真っ黒になった。あまりやりたくないアクションだ。旅行前にはいつもそうだが興奮して寝付きがわるくなり、睡眠時間が削られてしまった。


2025/12/29 昨日 27222
7時48分東京発の新幹線に乗るための早起きをする。間に合わせるのに成功したがとにかく眠かったので新幹線車内で何かやろうという気にはならず、品川駅で買ったランチパックツナを食べただけであとは基本的に寝ていた。定刻10時ちょうどに京都駅到着。奈良旅行終わりの友人Bと合流するまでの小一時間のあいだ待つのにうってつけのスタバがあったので中に入る。待ってるあいだに日記を書こうと思ったのだが便意そのほかに対応しているうちにすぐに時間が経ち、気がつけば窓の外に友人の手を振る姿。1行だけしか書き進められなかった。
地下鉄で一気に国際会館前まで。宝ヶ池で散歩をしてプリンスホテルラウンジで休憩、国際会館前で記念撮影というコースをたどったあと、岩倉の友人実家まで歩く。途中のブレーメンというパン屋でアップルマフィンとパンプリンを食べたがどちらも美味しかった。ランチと食材購入を終えた友人の父が帰宅するタイミングを友人が見計らって、アメリカンな邸宅にお邪魔する。リビングをはじめ各部屋に絵が飾られていて、5匹の猫たちがマイペースな我が物顔で暮らしていた。採光面が多いため自然光でじゅうぶん明るいのにロフトエリアにはクリスマス装飾のライトがゆるやかに点滅していて面白かった。ベランダからのビューもよく、山稜の線が木々のかたちによってギザギザになるような案配で一日景色を見ていても飽きないだろうと思われた。猫たちの性格のちがいを実例紹介によって確認できた。1匹が最後まで姿を表さなかったのも面白い。友人が飼っているユニークなお喋り猫がこの場所にまぎれたらどういう事態が持ち上がるのかあるいは持ち上がらないのかと想像しても面白かった。手ずからドリップしていただいたコーヒーとクッキーをもらい、しばらくゆっくり過ごしてから友人父の運転で駅前まで送り届けてもらう。ああいう場所で暮らすというのはどういう気持がするものなのか、自然と散文的な日々になるように思えるが、それでもやはり”慣れ”によって変わり映えしないという部分が強調されることになるのか、わかりやすく自分のものとは全然ちがう生活の片鱗を覗きみて想像がかきたてられた。
日が傾いて隠れつつある時間になってわかりやすく寒さが差し込まれ、宝ヶ池散歩後編はお預けにする。代替として四条烏丸で地下鉄を降り、四条通を鴨川まで歩き抜け、七条まで鴨川沿いを歩く。鴨川の頃には夕暮れ時間を過ぎて夜に突入していたのでそのぶん景色が見劣りするかと思われたが、そこは鴨川、川沿いに並ぶおしゃれな建物からの灯りと水鳥二種(アオサギとカモ)が浅い夜に特有の景色を提供してくれた。七条に着いて鴨川沿いから出たあたりでポツポツ水が落ちてきた。が、本降りになりそうな気配はなかったので無視して歩く。最後に京都タワーと写真を撮って近鉄八条口で解散する。
近鉄特急に乗ってラクラク奈良へ。新大宮駅前で開催されている中学高校時の友人たちの飲み会に参加する。まさに言葉そのままの意味で無沙汰をしていたのでそれを詫びつつ輪に入れてもらったのだが、うまい具合の呼吸で流してもらえた。いくつも懐かしいノリがあって、覚えているようでそういうのを忘れていたことを思い出した。二次会と称して空いている近隣の店に流入する。8人で入れる店があまりなく、結果レモンサワー飲み放題の焼肉屋になったのも面白かった。帰宅令が出ている or 翌日仕事の友人たちが先に抜け、残りは友人の一人が住む豪勢な一軒家に移動する。ろれつが回らないほどしたたかに飲んだ酔っ払いがフルマラソンを走る体力と執念によって、また本人曰く”強い尿意”に追いかけられて先行く3人を千鳥足で追いかける様子がいかにも年の瀬だった。移動先の友人宅は古典的とも言える和の邸宅で、一日のうちに方向性のちがう、別様に立派な家にお邪魔することになった偶然が面白かった。深い夜ということでこちらはルームツアーこそなかったが木彫りの大きな大黒様が廊下に鎮座しているような家で、朝方まで寝させてもらった帰り際、正面玄関に回ってみると玄関の門扉にこれまた立派な松が植えられている種類の豪邸だった。夫婦二人で住むには部屋が多すぎるという話をチラッとしていて、家がユニークさを発揮するのは、その家の定員に届いていない人数しか住んでいないことによるのかもしれないと思った。


2025/12/30 今日 1760
深夜まで近況についてお喋りをして(こういう場合には例のごとく聞くばかりでこちらの話はしないので相槌・コメントが主だが)、迎えの友人ひとりがタクシーの用を引き受けてくれてやや遠方の友人2人を回収していった。家主とふたりで話の続きをすこししたあと、3時半すぎからがっつり寝させてもらった。起きたのが9時前でそのまますぐ邸宅をあとにする。お礼の品とて何もなく、間の抜けた感謝を連続で口にすることしかできなかったが、とにかく飛び出してセブンイレブンで水を買う。からからの口を湿すため水を飲んでいると昨夜タクシーとなってくれた友人が車で通りかかり、べつの乗客を乗せていたのにもかかわらず相席にしてくれる。子供の送り迎えの最中ということだったのだが、駅前まで乗せてくれた。駅前のシアトルズベストコーヒーに入って日記を書く。寝不足にしては調子がいい、もとい破壊的な寝不足ではないという体調でこの日を迎えられているのは邸宅での睡眠のおかげだ。いまは11時、家主はこの日も仕事で出かけていって働き始めた時間になるのだから頭が下がる。その恩恵に預かりながらこういうのも気が引けるが、彼には気立ての優しさをキープする自己抑制が効きすぎているように思える。

20251228

日記697

石の上なら三年

2025/12/27 昨日 8679
スタバを出たあと予定していたサンゾウトウキョウに行く。12月30日に閉店との報せを受け、この店だけは行列に並んでも最後食べておかなければならないという義務感にも近い感情があふれた。実際20分近く並んで店内に入ったのだが、その時間を使ってペトラにするかコルマにするかを考えていた。入店までにペトラにすることに意を決して券売機を見るとペトラのボタンには「売り切れ」の文字。すかさず頭を切り替えてコルマかセドナかの二択にする。そしてやや長考した末コルマに決める。いつも女男男の3人で切り盛りしているのに店内には女男2人しかいなかったので、オペレーションの負担を考えてペトラを封印したのかもしれない。しかしこのコルマは間違いなく美味かった。ありがとうサンゾウトウキョウ。という気持ちを込めて「ごちそうさまです」と言って店を出る。普段は心で感謝していちいち口に出して言わず、これが江戸っ子スタイルと称してでさっと帰るのだが、今回ばかりはそういうわけにはいかなかった。腹ごなしもかねてゆっくり歩いて帰宅。友人から借りたナツモンというゲームを10分だけやったが、何匹か虫を捕まえて絵日記を書いたところで面白くない認定をし、それ以上プレーするのを止めにして昼寝する。予定時間より早めに起きたのでゆっくり準備してからスタバに行く。前日までに溜まっていた日記を小一時間で片付けてから演劇の稽古2日目に行く。
稽古では本読みをする。人の演技を見たあとで自分の番がきて前で音読をすると、自分の引き出しには何も入っていないことが明らかになって笑えてくる。普段から何行かの分量を話すということをしていないので、人が何行かの文章をずんずん話すことが不自然に感じられてしまう。本人としては話すモードになっているということなのだろうが、自分が話すモードになるためにはクリアしなければならない条件がたぶん多いから、世間話ぐらいのテンションで話すモードになれる人の気持ちがつかみにくいというのはある。演技を通して別人になりたいという願望は今はなく、自分を表現したい、表現することを通して新しい側面を発見したいという願望があるので、まったくの別人になってみるというアプローチはうまくつながらないという気がする。ただ、まったくの別人と感じられる人について、そこへ通じるための回路はあるはずで、その回路をこちら側から閉ざしてしまうようなことはできるだけするまいとは思っている。演出の人が「感情の発散をしてみて」というコメントをした。セリフをうまく言おうとするのではなくそのセリフを言う人の感情になってみようとするという演出の文脈で発せられたコメントだったのだが、新年時点に書き初めで書いた「発散」の文字が今年一年最後の締めくくりとなる活動においてまるで伏線を回収されたかのように発せられて、ハッとさせられた。それを耳にした瞬間、思わず何かに気づいて顔を上げるという過剰なリアクションとなって驚きの感情が発散した。来年からはテンションを上げて何かを言う場面が出てくると思う、というコメントもあり、これについては明確に自分の課題となり自分の壁として立ちはだかってくるはずだ。なんでも中学1年生になってもらうという話で、中学時代の自分を思い出して思わず頭を抱えてしまった。
帰宅してご飯を食べてから映画『グリーンブック』を見返す。心が痛む場面も一応あるが、ロードムービーでもあるし全体としては牧歌的なトーンだ。「世界は複雑だ」という紋切り型の表現で通じ合おうとするふたりの対峙場面が格好良くて決まっている。有形無形の暴力に対する描写がかなり控えめに感じられるのは『地下鉄道』を読んだ影響かもしれない。ドクが知性に加えて勇気があると思うのは最後にピンポンを鳴らすところだ。それで絵に描いたような大団円を迎えるわけだが、清水の舞台から飛び下りるのにも等しい逡巡があったことは想像にかたくない。


2025/12/28 今日 2023
8時すぎに起きてyoutubeでカナメストーンの「しゃれこめカナメストーン」を見る。真空ジェシカのラジ父で聞いていた山口用語のまとめについての動画で相当勉強になった。朝一番のクリアな頭で何を勉強しているんだと自分にツッコミを入れて出かける準備をする。8分間の運動前ストレッチをして朝食をとってからスタバに出かける。日記を書いて『失われた時を求めて』を読む。ヤンヤンも地下鉄道も感想を書くべき作品なのにどうも腰が重い。自分にとって良すぎる作品の感想を書くのは難しいのが確定しているのでどうしても気が重くなる。しかしそれを避けたら何のためにブログをやっているんだという話だからベイビーステップを意識して書き始めようと思っている。


20251227

日記696

実線

2025/12/23 四日前 18533
週末+前日のバスケの疲れがすこし溜まっていたのでそのリセットを兼ねて一日在宅にしようと思っていたのだが、前週のトラブルの後処理のために出社を余儀なくされる。午後から出社して事後対応策について上長と協議。すでに喉元過ぎていてどうでもいいモードになっていたのでただただ面倒くさい。しかし自分のミスについてくどくどと説教したりせずに淡々と前向きに対応方法について教えてくれるのは正直ありがたいと思った。新宿駅のコインロッカーにバスケの用意一式を保管しておき、退勤後そのままバスケ会場に直行する。年の瀬ということもあって参加者が少なめだったので思う様プレーできた。しかし減量の影響か体力が減っていてあまり走り回れなかった。露骨に歩くシーンが多かったように思う。最近狛江のバスケでもスマホをたてかけて動画撮影している。あとで自分の動きのチェックをするのは楽しい。どんな動画よりも夢中になって見ているという気がする。プレー中のイメージと合っているところもあれば合っていないところもあるのでその案配も見てしまうポイントだ。この日は狛江湯が定休日だったのでまっすぐ帰る。


2025/12/24 一昨昨日 9075
前日に急遽午後出社になった分、今日は一日在宅勤務にしようと思っていたらまた呼び出しを食う。一回の打ち合わせですべて処理できていればラクだったのに、あとからべつの用事が出てくるのは仕方ないことであるにはせよ気持ちとしては面倒でしかない。こまかい頼まれ事もあってその処理も重なってより面倒だった。それでも定時退勤し、家人へのプレゼントを買って帰る。ピックルボールの初心者セットを高輪ゲートウェイシティで買い、渋谷ロフトでリクエストのあったタンブラーを買う。くらっぺ氏のイニニーヨの日ポストカードをセブンネットプリントでありがたく印刷して帰る。プレゼントをクローゼットに隠してスタバに出かける。スタバには閉店時間までいて『地下鉄道』の終盤を一気に読み終える。「シーザー」と題された章がとくによかった。読者以外にもコーラを見ていた者がいるということに力を得た。『地下鉄道』のような素晴らしい小説を読まずにいることのリスクを思うと、できるだけたくさんの小説を読もうとする姿勢は捨てたものではないと信じられる。コルソン・ホワイトヘッドのべつの小説も読まなければならない。まずは『ニッケルボーイ』を読む。


2025/12/25 一昨日 8887
この日はあえて朝から出社し、一日オフィスで仕事をする。それというのも二度あることは三度ある式に前々日と前日に煩わされた打ち合わせがこの日もあるだろうと想定されたからで、まさにその想定通り、いろいろの準備のために直接のコミュニケーションが必要になった。また翌日も出勤日ではあるが、とりあえずのタスクをすべてこなし実質この日を納め日にしようという意図もあった。思惑がはまり思ったとおりの展開で仕事を終えて定時に退勤する。
まっすぐ帰宅して炊飯し、家人が作ってくれた豆乳鍋を食べる。友人Nからの頂き物のモエ・エ・シャンドンを開ける。一気にクリスマスパーティーの華やぎを得られ、率直にありがたかった。プレゼントを贈与し、ピックルボールのラリーを何往復かだけする。集合住宅のゆえにバウンドはできないのでボレー主体の簡易的なラリーだったが独特の打球音とパドルの感触を確認した。2026年からはこの競技でも楽しみたい。


2025/12/26 昨日 18421
午前中に用事のため大手町まで出勤。早めに現着して呼び出し時間までスタバで『痛いところから見えるもの』を読む。用事を終えて帰宅したのが15時すぎ。その後は寝室にこもり精神を落ち着ける行をおこなう。本当はバスケに備えて昼寝をしたかったのだがあまりうまくいかなかった。定時退勤して2025年の賃労働を終了する。
すこし早めに狛江まで出かける。スタバで『痛いところから見えるもの』を読んでから体育館まで歩く。風が強くて寒すぎる日だった。動き始めこそ疲労が溜まっているのを感じたが今年最後のバスケということもあって自然と気持ちが昂り、後半はノリノリで動けて体力の薄さを気持ちでカバーできた。いつもの参加者で顔見知りの人に話しかけてもらえたので帰り道にバスケの話をする。きっかけはバスケのシュートフォームに関するアドバイスをしてくれるという親切心を出してくれたことで、年の瀬特有の精神効果がうまい方向に作用したのだと思う。シュートフォームについては揺らいでいたのだがちょうど固めようと思い始めたところだという話をした。彼の話はスタンスの取り方を無理に内股にしないでリングに正対するほうが力がボールに伝わりやすいという主旨だった。とても安定したシュートフォームでシュート成功率もかなり高いプレーヤーだから説得力があるのだが、考えた結果、自分の目指すプレースタイルとしてはスタンスを内股にすることにも意味があるという結論になった。ただシュートフォームの安定はこれからの課題ではあるし、調子が上がらないときに立ち戻るべき原点作りはすすめていくべきだというのは再認識した。狛江湯で温冷交代浴をして帰宅。身体を温めることで行きに味わった耐え難い寒さもあまり感じなかった。当然といえば当然だが、運動にも風呂にもそれをすることで得られる効果がある。いろんな人とバスケをしていると、その人の人柄がプレースタイルから推し量れるところがあって面白い。言葉のやり取りよりも効率的にその人を知ることができると言っても全然言い過ぎではない。ボールを持ったときの選択はシュート・ドリブル・パスのみっつだが、どんなときにどれを選ぶのかだけでも大きな情報になる。それにボールを持っていないときの動きにはさらに選択肢が広がるので、何を思ってその場所に行くのかということがさらなる情報になる。シュート成功とシュート失敗の機会も頻繁に訪れるのでそれに対するリアクションもまたその人を表わす情報だ。バスケを通したコミュニケーションにおいて、自分は言葉でするよりも雄弁に自分を表現できるようになっていて、それがかなり楽しい。プレーしている動画を見るとそのときの自分が瞬間で考えた(あるいは考える前に判断した)内容が映っていて、過去の自分の日記を読んでいるときのような面白さがある。バスケを再開したての全然動けなかったときの動画も摂っておけばよかった。わかりやすい成長の軌跡が見られてそれも面白かっただろうと思う。


2025/12/27 今日 5060
早朝に起きて一足先に帰省する家人を見送る。その後二度寝するつもりが連休スタートの興奮からかうまくいかず、起きる予定の時間になる。洗濯物を干してからスタバに出かける。『理由と人格』を読む。パーフィットが「大勢の人がそう考えている」で文章を締めくくって主張を言い終わるところがどうしても許せない。これは哲学徒の文章としては成立しないはずのものではないか。倫理学は哲学ではないというのが理由になっているということであれば納得はできないもののそうなのだと思うしかないが。結局納得のいく「自己利益説」への反駁はなかった。自己利益説というものの射程、それが目指す理念を過小に捉えることでお茶を濁すことしかできていない。『理由と人格』では時間と労力を無駄にしたが、そもそも読書にはそういう要素もあると思い出せてくれたことでまったくの無為ではないと思うことにする。
『痛いところから見えるもの』も読み終えた。こちらは読み応えがあった。引用された『ハックルベリー・フィンの冒険』でのハックの宣言については「重要なこと」とは何かということがはっきりと明示されている。


本の奥付、つまりこの本の一番最後に書かれてある引用文にも価値がある。
ひとりの人間の痛みがもうひとりの痛みと結ばれると、ときには痛みが癒やされることさえあります。
アモス・オズ『大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く』
ハックの宣言もこの文章も自己利益説とは矛盾しない

20251223

日記695

純雑居

2025/12/21 一昨日 13974
12月とは思えないほど気温の高い日だった。友人Tが東京に遊びにきたので東京駅まで出迎えにいく。秋葉原で開催されるVRのイベントに参加するということだったので秋葉原まで付いていった。最近体重を落とすために節制しているという話で、一気に適当な飯屋が見つからない状態になった。秋葉原といえばカロリーの聖地でもあり、たくさん食べられることが嬉しい街だと認識している。仕方ないのでイベント会場近くにサブウェイを見つけたのでそこに入る。そしてさすが秋葉原だと思ったのは、目抜き通りはたくさんの人が通行していたのにもかかわらずサブウェイは空いていたことだ。まず友人Bがサブウェイで合流し、子連れ狼ばりの出で立ちの友人Nが後から合流になった。しかしその頃にはTはイベント仲間との合流を果たしたあとだったので5人で集合とはならなかった。
0歳にして秋葉原、0歳にしてメイドカフェと、一連の英才教育が続き、日が落ちてから三鷹に移動した。Nの家でご飯を食べてしまい、家人とNの奥さんが合流して皆でM-1を見ることになった。ここ最近ではとくに面白い大会だったので満足した。真空ジェシカが決勝3組に残れないM-1グランプリは盛り上がっていると言って間違いない。たくろうもドンデコルテも面白かったが、たくろうのほうが〈今年優勝しなかったら次回以降の優勝がむずかしい〉度合いがつよいと思うのでこれでよかったと思う。ドンデコルテは来年も見たいし、真空ジェシカにいたってはラストイヤーまで優勝してほしくない。


2025/12/22 昨日 28144
休みをとって友人Tの東京旅行に付き合う。もっと積極的にプランニングすればよかった。自分が行きたいところを紹介するにしてももうすこしうまく回れたという反省がある。秋葉原のキーコーヒーで話をしてから高輪ゲートウェイに移動し、商業施設でピックルボール体験をして昼飯にカレーを食べた。その後渋谷に移動してミヤシタパークを散歩してから音楽ショップに寄り、MUJIカフェでまた話をした。音楽活動が活発かつ順調なようで、いままさに走っている最中とのことだったので刺激を受けた。音楽については方向性がちがうものの今やっている音楽のクオリティが格段にあがっていることは素人目にもわかる。あとはどういうメッセージを込められるかというところで差別化をはかるべきだと自分は思うが、聞き手の聞きたいと思っているものに当てに行こうとするエンターテイナー性向が本人の資質としてあると思うので、楽しんでやるのがいいという落としどころになる。
渋谷で解散して一旦帰宅し、狛江までバスケに出かける。2日連続バスケのスケジュールを組んだのでこの日は抑え目でプレーしたのだがそれでもかなり息が切れた。明確にエネルギー切れのようだったので翌日にはゼリー等で備えようと思った。シュートフォームの定着にはもうすこし時間がかかりそうだがその練習が楽しい。狛江湯で温冷交代浴をしてリカバリーをはかる。水風呂が冷え冷えできつかったがそのぶん効くんだろうと思って我慢した。水風呂からあつ湯に切り替えたときのとぶ感覚はすごい。

20251221

日記694


2025/12/18 一昨昨日 21588
午前から大手町に行って仕事の立ち会いをする。そこでトラブル発覚し、以後対応に追われる。追われると言ってもすでに後の祭り状態でやれることはほとんどなく気持ちだけが追いかけられるという状況だった。早々にそのことに気づいて余計なことは考えまいと意識を切り替えようと心がけたがそう簡単には切り替わらないようで心拍数がやや高い状態が続いていたと思う。とりあえず最低限の処理ではないが、やれることをやっておこうと現地で動き、報告内容を整理したりした。午後から高輪ゲートウェイに出社。さっそく報告する。報告中「事実だけを話して」と2回ぐらい言われる。自分自身のミスを擁護するようなことは印象として逆効果になるという心得はあったのでそれをするまいと思っていたのだがそれでも相手からは防衛機構が見えたということだろうか。事実をまっすぐ話すと関係者の瑕疵に触らざるを得ないところがあり、そういうことはしたくないのでその部分を避けようとするのがうまくいかなかったと思われる。会社で働く以上これからもミスの報告は経験していくことになるだろうからそのスキルを手に入れるためと思って心を落ち着けた。条件などがちがうものの今回が初めてではないし、すこしずつやれるようになっているとは思う。そのほか定例のミーティングに参加したり、べつのタスクを消化したり、問い合わせから発展した打ち合わせに参加したり、忙しい1日だったのだが、バスケの日だったので定時きっちりで退社した。
帰宅後即荷物を入れ替えて狛江に出かける。新しいシュートフォームを定着させるための練習の意味合いが自分のなかにあり、楽しいのに加えていつにもまして有意義という感じがあった。風神とのマッチアップは1回だけあったが痛みや不調がないぶんまだ付いていけた。いつも通りしっかりやられたのだけどオフェンスでちょっとやり返したりはできた。狛江湯で温冷交代浴をして帰宅。すぐ寝る。


2025/12/19 一昨日 19803
朝から出社する。昨日の残処理をメインでやるつもりだったが、見込みよりも早く済んだので昼からは在宅に切り替える。なかやまきんに君回ということで久しぶりに三四郎のANN0を聞く。カオスを成立させるという稀有なラジオだと思う。ランジャタイの漫才をもっと長尺で身振り手振りを制限したかたちでやっているのに近いので相当な離れ業だ。不思議でなおかつ面白かった。ラジオ聴取などでたらたら過ごしていたら時間を食い、翌週月曜に年休なのでやっておくべきことをやる必要にせまられ30分ほど残業になる。すぐに経堂に移動し、リハビリを受ける。体幹トレーニングと臀部のトレーニングをいろいろ教えてもらいかるく汗をかいて、今回のリハビリは一旦の区切りということになった。やさしく丁寧にいろいろ教えてくれるしパーソナルジム代わりにもうすこし利用させてほしかったが、周りを見渡すとやはり不調の解消をメインに取り組んでいるようだったので場違いかなという気持ちもあり、終了を受け入れることにした。何かあったら電話予約はできるとのこと。
19時すぎに経堂で友人Bと合流しかつやでカツ丼梅を食べる。友人Nも遅れて合流し、下北沢までの歩き飲みをする。久しぶりだし気候も寒すぎずということもあって楽しい時間だった。会社の忘年会が最悪だった話と、呪術廻戦モジュロやワンピースの話をした。22時半に下北沢駅前で解散になる。久しぶりということもあってやや飲み過ぎ状態になった。


2025/12/20 昨日 9374
早朝に目が覚めて若干頭痛がしたので追加のLシステインを投入する。二度寝して起きたらとりあえず頭痛は解消していた。『ヤンヤン夏の想い出』が上映中なのを知り、急遽見に行くことにする。渋谷10時の回。エドワード・ヤンの撮る都市と都市生活には、自然の美しさに似たような見た目の良さがある。都市と自然を対照させて一方を美で他方を醜とみなすようなよくある捉え方がいかに間違っているかというのがはっきり明らかになっていると思う。結局、それを感ずるものの目のなかに美が映るのであって、そこにしか美はないと言ってもいい。もっとよく見ろというだけの話だ。映画の素晴らしかったところについてはもっと考えたい。最初のa one and a twoという題がでるところ、漢数字の一がまず書かれ、そのすぐ下にもうひとつの一が書かれることで二になるという一連によって明らかになることは多いと思う。個人があって関係があるという順番の問題だ。ひとつ、またひとつとゆっくりカウントする考え方は自分にとって親和性がある。それから『吾輩は猫である』の遠い残響を感じた。人間社会の複雑さを見つめるヤンヤンの目線こそが美しさのおおもとになっていて、その構造がそのまま同じだ。
帰宅して冷食チャーハンを食べながらNBAを見る。その後昼寝。本当はスタバに行って日記を書きたかったのだが寝たりないのを感じたのでかるく昼寝したら次の予定の時間になってしまった。出かける準備を済ませて演劇WS初日、初稽古にいく。渡された本読みをしただけだがとにかく緊張した。とはいえこの緊張はすでに知っている緊張だったので硬くなりながらもやりすごすことができた。休憩を挟んで2回目の本読みでは自分のやり方をすこし取り戻し、うまくやろうという気持ちを抑えて、テキストから聞こえる声を自分の声で再現しようというところに意識を働かせることができた。相手の声を聞くという余裕がぜんぜんなかったもののすんなり入ってくる感じがあったのは相手役の人の上手さということだろう。こういう経験者・非経験者問わず「上手さ」に引きずられないようにしようと思っている。追いつこうとする分にはいいが、あくまでガイドとして捉えて、引っ張られるのは避けないといけないと思っている。追いつこうとするのでさえ気の持ち方としては過剰だという気もする。緊張したのとぐっと集中したからか頭痛が出た。
吉野家で唐揚げ定食を食べてバファリンを飲む。たぶんすぐに寝た。

20251217

日記693

百人夜行

2025/12/16 昨日 6239
午前中は在宅にする。この日もたくさんの夢を見た気がする。ひとつも覚えていない。午前中はトーストとコーヒーの朝食をとり、しいて『理由と人格』を読む。ここのところはパーフィットを、というよりパーフィットの知性をあまり高く買わなくなってきている。最初はその特徴的な物言いに興味関心を惹かれた彼の言葉遣いにも単に不適当と済ませるだけの落ち着きを取り戻した。たとえば「私の信ずるところでは」というような言い回しのことだが、「私の信ずるところでは、また多くの人がそう信じているであろうところでは、」という言い回しに出くわすに至って、彼の言説のセレクティブなところが見逃せなくなってきた。哲学者たちはパーフィットを評価するということだが私は彼を評価しないし、彼が20世紀の思想家であることに対する哲学者たちの擁護については権威主義的なものにすぎないと考える。心身ともに健康で、彼自身の見る天井のなかでもっとも高いところに行こうと志した人だというのは肯ってもいい気はするが、自分の領域から外に出ようともせず、おそらくは外があることを認識しようともしなかった人だ。ようするに「えらい大学者」というところで、立派な物腰に見るべきところはあるが、武将として知力が100に近く政治も90をこえているということでしかない。
午後から出社する。わけのわからない整理系タスクの進捗が思わしくないことを報告し、定時すぎまで調整仕事の板挟み対応の相談を受ける。18時から忘年会に参加する。禁酒中ということでノンアルドリンクを飲んでいたが衝撃的に面白くなかったのでたまらず禁をやぶる。19時からはなつかしいビールの味を楽しむ時間になった。終了時間まで1時間足らずだったのでそこまで苦しい思いはしなかったが、自分が宴席で積極的に楽しみを作り出せない人間だということをあらためて思い知りかなしくなった。まっすぐ前だけ向いて帰路につき、最寄り駅の飲み屋の灯りに吸い寄せられそうになったが、そこで挑戦する気概も失っており、テンションが下がったまま、しかしせっかくの飲む機会をつかまえなければもったいないということでコンビニで気になっていたビールの銘柄を買って飲みながら帰る。グノーシアのアニメを見始めた影響でスイッチを起動してゲームのほうのグノーシアをまた始める。記憶のなかではもっと面白いゲームだったのだが昔クリアした記憶をもってやるとミステリー部分の引きがまるまる無くなっていてそこまで楽しめず。万策尽きた感があったので寝ることにする。


2025/12/17 今日 2637
一日在宅勤務。『理由と人格』を読む。いとわしい結論の章まで読み終える。昼ご飯は久しぶりに炊飯し、家人の作ってくれたキムチ鍋を食べる。NBAカップがやっていたのでスパーズ対NYニックスの決勝戦を見る。3Q途中から見始めたのだがスパーズが5点リードを広げたり詰められたりする展開で、ウェンビーもいるしスパーズが勝つのだろうと思っていた。結果はそうならず、必要なときに必要なシュートを決めて追いすがったニックスが逆転勝ちをものにした。ブランソンがMVPに選ばれていた。照れ隠しの笑顔が印象的で、もしバスケがうまくなかったらただの気難しい嫌なやつかもしれないと思わせ、だから逆にスター性があった。言うまでもなくバスケはものすごく上手いし、キツい時間帯ほど活躍するぶっ壊れメンタルの持ち主だ。
定例の打ち合わせにWeb参加し、昼寝をする。臨時の打ち合わせに参加して定時30分すぎに退勤。そのままスタバに行く。『地下鉄道』と『失われた時を求めて』を読む。アルベルチーヌとのベッドシーンは心の動きが克明に記されていることで私が大して彼女に惹かれていないということがわかるようになっている。しかしそれはまったく惹かれないというのではないところが面白い。地下鉄道のほうは想像した展開とはちがい、驚きがあった。日記を書いてからもうすこし読書をしてから22時前には帰宅する予定。『痛いところから見えるもの』を読む。マッチョイズムについての章で、アランとトルストイの文言を咎める回。アランはともかくトルストイは偉大な文学者なので、これはかなりの失点になると思う。が、そういう厚顔ぶりがトルストイにあれだけの大作を書かせた原動力と切り離せないとも思うので、いらん部分として切って捨てるわけにはいかない内在する欠陥というものだと思う。
この日見た夢のことを思い出す。『水』という映画を映画館で見る夢だったのだが、最後の最後に大洪水になる場面で、なんとスクリーンから大量の水ゼリーが観客席にむかってほとばしり出た。それで全身に水ゼリーを浴びる羽目になったのだが、こんなのは前代未聞で、映画というジャンルを超えたすごい映画だと慄いた。水ゼリーが顔にあたる感触があまりにもリアルな水で、映画を超えた現実感だと感じられた。しかし水ゼリーは無色透明で、本物の洪水に見られるであろう清濁の区別などないような本物の水ではなく、あくまでも清潔な水ゼリーであるということが強調されていて、それがまた自分のなかでとくにリアルに感じられた。自分の考える現実の質感というものの外には一歩も出ず、商業的な体験の内側で安心して濡れられるという、いかにも自分の描きそうな夢だというリアルがあった。それが映画のタイトルにも波及しているように感じられる。『水』なんていかにも自分が見に行きたがりそうなタイトルの映画だと思うし、そういうところにも安心感というか納得感がある。見たい映画を見るという見たい夢を見た感じで、手もなく満足した。

20251215

日記692

世の中が動く

2025/12/13 一昨日 10619
友人Nと下北沢の駅前で合流し、すこし街をぶらついてから家に戻る。いろいろの話をするなかで、ダウンタウンプラスの面白くない話選手権の話題から話についての話になる。友人が言うにはあの大会に自分が参加すればフット後藤のお笑い芸人じみた話しぶりなんかよりずっと企画趣旨に沿った話が展開できるのにということだった。一理あるとはいえ、それは企画意図の外周にあるより大きな意図からするとあまり沿うとは言いがたいがなと思うなどしたが、それでも実際「あれはどういうことだったんだろう」と言って話を終えるという方針についてはひとつの型としてありかもしれないと思った。暗い旅の「〇〇話を止めないでほしい旅」でもあのフォーマットによって面白くなっているということがあるし。家に戻ってスイッチのマリオカートですこしだけ遊ぶ。家人が帰ってきたのでボードゲームをする。この日は宝石のきらめきとカルカソンヌで遊んだ。マツーを使ってのテキサスホールデムを提案してくれたのだがあまりマツーを消費させるのも悪いかなと思い遠慮してしまった。宝石のきらめきでは第一位、カルカソンヌでは第二位という結果だった。完熟パインのおみやげをもらって食べたらびっくりするぐらい美味しかった。甘くてジューシーで黄金色。飲み始めるタイミングではもはや当然のようにノンアルビールを取って乾杯している。バスケに行く時間になって参加者数の確認のためにラインを起動するといつもの19時開始ではなく、17時開始だったことを知る。それが出発時間の18時すぎに判明したのであえなくこの日のバスケはなしになる。楽しみにしていたのにショックだった。このあとべつの友人と池袋で遊ぶ用事があるという友人を下北沢まで送り出す。その後、家人とご飯を食べに行くことにし、バスケに行けなかったのを取り戻したい気持ちから、これまで気になっていたがいつか行こうと思いつつまだ行ったことのない牛タンの店「夏火鉢」に入った。12月のコースをたのむ。途中で雨予報になることに気づき、一張羅を雨から守るため家までの道のりを走って帰り、外套を交換して店に戻ってくる。コースをデザートまで食べて帰る頃にはしっかりめの雨になっていたので咄嗟の判断が上手だったと思う。一番良いのは最初から着ていかないことなのには間違いないが、次善の動きとしては素早い行動を即座に取れて、こういうのもアルコールを摂っていないことの効果だと思った。21時すぎに帰宅してあっという間に寝てしまう。


2025/12/14 昨日 20236
前日に早く寝たので早起きしてスタバに行けばいいのにたっぷり9時間寝てしまいそうならず。家でちょっと本を読んでから下北沢まで遊びにきてくれた友人とスープカレーの店「心」に行く。彼は英語が母語なのだが日本語も操れるので日本語で喋ってくれる。一度英語で言っていい?と断ってから喋る英語がかっこよかった。発声の仕方が日本語と英語でちがうのか、英語のほうが低い声のバリトンになって知識人度合いが2割増になるのが感じられた(日本語でも知識人度合いは十分高い)。気になっていたが一度も入らなかったコーヒーショップに初めて入る。なんと1stアニバーサリーをやっていた。時の流れるのが早すぎるとまた驚いた。家人も含めて三人でお喋りをして楽しい会になった。17時前にお開きにする。お土産に持ってきてくれたドラ焼きがびっくりするほど美味しくて、皆美味しいものをよく知っているなと感心してしまう。カルピスバターが入っているドラ焼きで塩コショウをかけても美味しいと書いてあったので半疑いながら従うと本当に美味しくて感動した。家人が淹れてくれたお茶も絶対あってよかった。自分ひとりだとこういうときにお茶を用意する手間を省略しがちになるので、こういったペアリングについてはもっと意識的に構築していかないともったいないことになると認識をあらたにした。
前日にバスケができないとわかった直後に申し込んだ狛江のバスケに出かける。シャツを忘れて取りに帰ったことで一本電車を遅らせてしまい、しかも集中してスマホ画面を見ていると一駅降り忘れが発生したので、LUUPを使って移動時間短縮をはかる。LUUPのおかげで体育館到着が5分遅れで済み、30分ほどのシューティングセッションで新しいシュートフォームを試す。リリースポイントを額→顎に変えたのだがこれはかなりしっくりくる。このフォームでシュートを固めようと思った。ゲームでも久しぶりに3ポイントを打ち、うまく沈められたので1/1の成功になった。アウトサイドシュートの選択が増えると一気に視界がひらけると思うので、これからこのフォームでシュートを磨いていきたい。喜多見駅から電車に乗って帰ろうとしたが代々木八幡駅のホームドア故障とかで経堂〜新宿の区間が運休になっておりすぐに帰宅できず。自分は10分ほどの遅れで済んだからよかったがホームドアの故障で運休になるというのは小田急の運行体制は大丈夫なのかと思わさせられた。
帰宅してセブンのタンパク飯メニュー、チキンのチリサンドイッチを食べる。家人の元職場のひとが今年のエンタメで一番面白かったと勧めていた『ラブ上等』を見る。ヤンキーの恋愛リアリティショーで、見た目からあまりに馬鹿馬鹿しいので逆にちょっと見ようかという気になり、見るとなぜかハマってしまった。嬢たちはまあ普通といえば普通(恋リアにおけるノーマル)なのだけど、とにかく漢たちがよかった。ぶつかって仲良くなるというプロセスの結果としての「認め合う」とか、ダサいことはできないシャバいことは言えないという制約のなかでのコミュニケーションとか、ヤンボーの負け顔とか、真摯なのがわかりやすくて笑えるのだが、ごまかしの効かない部分で真摯なのがわかるから彼らの人間性に好感を抱いてしまう。ミルクとツーチャンのコンビがとくに秀逸で、残り数話になったら泣いてしまうかもしれない。あいつら二人だけはヤンキー相手にオラつくが一般人にはオラつかない紳士ヤンキーで、むしろ一般人には弱いまであるのではないかと、ありもしないと言われそうな勝手なことを思ってしまっている。恋愛リアリティショーというのはドキュメンタリーとしては嘘だし、エンターテイメントとしては弱いしで、まともなコンテンツだと思っていないのだが、こうやってコロッと面白いと思う側に転んでしまっているので、自分の感性は当てにならないというか、どんなものに対してもジャンルで判断するとやはりつまらない断定をしてしまうと、反省をもとめられている。恋愛(こい)しに来ている不良(わる)ってなんだよ、というそもそも部分について目をつぶりやすいというのはどこか歌舞伎にちかいものがあるのではないか。1話だけ見ようという見始めだったのに2話見て3話見てとつい夜ふかしになってしまった。


2025/12/15 今日 4114
前日に夜ふかししてしまったので午前在宅にする。たぶん錠剤でGABAを摂りはじめたからだと思うのだが長い夢を見る。仕事の未消化タスクに追いかけられる夢から、幼馴染家族とうちの家族とで町内会主催の旅行に行き、広い旅館を貸し切りにしていてどの部屋で寝るか選ぼうとしたのだが道に迷ってなかなか決められない夢まで、ありとあらゆる夢をみた気分で目が覚めた。すべての素晴らしいことが終わってしまうという不合理に意識が向けられて、やれることを粛々とやっていくしかないという厳粛な気持ちにさせられた。洗面所で顔を洗うときにもその気分は尾を引いていたので「許せねえ」と言って怒り顔を作った。今週末から演劇WSの稽古が始まる。友人Tが東京に遊びに来る。いろんな種類の楽しいことがあるし「今が全盛」という気持ちがある。始まることさえ惜しまれるのですこし強すぎるぐらいだ。
『理由と人格』を読んで、すこし体幹トレーニングをして、冷食チャーハンを食べて出社する。オフィスで出すべきメールを出す、お願いされた申請をする、問い合わせ内容を整理するなどのタスクをこなし、定時に退勤する。すこし早めにエレベーターを降りてエントランスロビーで仕事を終えるという裏技を開発する。混雑回避と無駄な待ち時間の回避ができて一石二鳥のやり方だ。新宿経由で下北に帰りスタバに行く。友人Yから「お祝いに〈紅まどんな〉送ります」というメッセージが届く。ありがたくて温かい気持ちになった。自分もそういう温かい贈答ができる人間にならないといけない。この温かさは芥川の『蜜柑』の色イメージにも匹敵する。『地下鉄道』を読んでから日記を書く。としているうちに22時前になったので帰宅。

20251213

日記691

あれもロボ

2025/12/12 昨日 9250
22時半までスタバにいる。『地下鉄道』が面白くて夢中になっていると日記を書くための時間がほとんど無くなった。ダイエーで晩御飯にするためのマルタイの棒ラーメンとニチレイの冷食チャーハンのストック追加を買い、きつい北風のなか歩いて帰る。ラーメンを食べて何かの動画を見る。昨夜のことなのに何の動画かも覚えていない。もはやナイトルーチンのようになっている。大方、オモコロ、暗い旅、NBAハイライト、サッカーハイライト(アーセナルか欧州日本人プレーヤー)お笑いのどれかだろう。
すこし席を外しているあいだに思い出した。ロングコートダディのゲーム実況シリーズのカービィのエアライダーだった。ふたりのテンションの高さだけしか情報として残らず、途中で消して寝る準備に入った。そんなことよりも最近見ている動画ではヨーロッパ企画の暗い旅の「〇〇話を止めないでほしい旅」シリーズが面白い。土佐さんの「喋りすぎっすねえ」、永野さんの「幽霊でよかったすねえ」の話がとくに面白かったのだが、「ぬダルいっすわ」がスマッシュヒットで久しぶりに吹き出すほど笑った。
晩御飯の約束をすっぽかして前職の人たちと飲みに行っていた家人がブーケを買って帰ってきた。お詫びの印兼部屋の装飾というところだろう。どこに売っていたものかすぐにピンときた。ボーナストラックの無人花売りブースだ。1500円もして高すぎると怒りの論点が変わっていて、しかも1200円に値下げしていたというフォローが入って相手方の思う壺にはまった。花をもらうというのはあまり経験のないことで気分もわるくなかったし、朝起きたら花瓶に活けられていてオレンジの花弁がきれいだったので結局万事収まった。そもそもがめいめいで勝手に夜を楽しむという基本スタンスを確認すればよく、それでいうと当然怒るまでもないことだった。


2025/12/13 今日 2522
ネトフリだかプライムビデオだかの即興コント企画で、教室のなかでのうどん作りという設定だけ用意されてうどんを作らさせられた。木村バンドみたいな相方とおたおたしながらうどんを作るという客観的に見てられない時間を過ごした。とても長く感じられてつらかったのだが何ひとつ面白いことを思いつけず、メモ帳に出来事をメモするキャラという「やること」を自分の中に作って心の平安を保とうとしたのだがどうにもならなかった。ところへ助っ人ゲストとしてチョコレートプラネットの松尾がでっかい手持ち花火を持って表れてとにかく大きい声を出しながら場の雰囲気を華やいだものに変えて一気に笑いをとり戻した。松尾さんやっぱりすごいなと先輩を尊敬する後輩芸人の位置に体よく自分を収めてその場をやりすごすモードにすぐ変わったところで目が覚めた。自分ひとりの力では何ひとつ打開できない情けない気分で目が覚めて、悔しさから「うどん!」と喚いたのだが、それを受けた家人から何があったのかと訊かれ、うどんを作らされてそれが全然面白くならない大変な夢を見た、でもチョコプラの松尾が出てきてめっちゃウケててやっぱすごいと思った、という脈絡のない話をしていると、さっきどうしたと訊いてきた家人がそれを話している7秒ぐらいでまた眠りの世界へ帰っていき、夢のなかだけで完結する情けなさではないのだと思い知らされた。面白い面白くない以前に「聞ける話」をある程度の時間続けられる人は皆すごいという結論になった。自分は話下手なほうだという自認はあったが、それは面白い話ができないという意味で捉えていて、問題の本質をつかめていなかった。ある程度以上込み入った話ができないのだ。つまり時系列や順序を掴みながら話したり、ある話とべつの話とを組み立てながら関連付けして話すように、構成を考える必要がある話全般ができないということだ。言い訳をしておくと、言葉遣いの細かな部分や相手の反応に気を取られて話の筋を見失うことが多いということになる。困ったことにならないように最初から話の筋を見失うのを前提にして話すので必然的に短い発話が多くなる。1語や2,3語でのコメントばかりしている。起き抜けとは言え「うどん!」だけで発話を完結させるのなんていくらなんでもひどすぎる。家人の反応がいつも通りだったのでこの手の自分の発話は珍しいものではないだろうと推測されるのがよりゾッとするところだ。ドリブルの練習をしてみよう。
食パンを食べてから9時すぎスタバに出かける。『地下鉄道』を読み、予約貸し出しで取りに行ったばかりの『失われた時を求めて』7巻を読む。昼からは友人が遊びに来て家でボードゲームをやる予定。13時前に下北に到着するということなのですこし街を回ってから帰るつもりだ。

20251212

日記690

枯れ木も街の賑わい

2025/12/10 一昨日 17597
朝起きて予定通り映画を見に出かける。この日は夜間作業のための夜勤で昼間は空いていたのだった。渋谷のミヤシタパーク向かいのスタバで『ファウスト』の解説を読む。多和田葉子の解説がよかった。ファウストにはドイツ語で声に出して読むことでしか手に入れられないものがあると言っているのは、それを日本語で読むものにとってのハードルを考えに入れたうえでのことだと考えるとよりいっそう正直な感想だという気がする。実際そうなんだろう。それを確かめられないのが残念だがまあ仕方ない。そのあと昼前から映画『ウェポンズ』を見る。前半の正体不明の恐怖というホラーの醍醐味といえる場面で、ホラーを映画館で見るときの後悔「なんでこんな受けずともよいストレスを自ら進んで受けるために時間と金を使って駆けつけているのだ」をひとしきり。その後恐怖の中身が解明され光が当たっていくにつれてさっきの後悔もどこへやら、面白かったと言う準備を始めていた。しかし最終盤手前で目をこすった際に左目のコンタクトレンズが眼球からズレて、以降右目だけでスクリーンを見なければならない時間がエンドロールの時間含め10分そこそこあったのがべつのストレスとして顕現した。また、こういう映画を見るとき、死ぬ役の人と死なない役の人とがわかりやすく区別されていて決してそのラインを超えないところに不満がある。こういうことを言うと死なない役の人に死んでほしいものだと言っているようで気が引けるが、両親によって引きちぎられる子供の映像と、たくさんの子どもたちによって引きちぎられる老婆の映像とをクロスオーバーさせるというのがこの映画の理想とするゴールだったのではないか、それに挫折した姿を見せられているだけなのではないかと思えてしまう。予算規模やスケールのことを考えると、カルトの度合いもそれによって制限されざるを得ないという話で、物わかりの良さを携えてまあそういうものだとこちらで手加減しないといけないというのはわざわざ時間を作って見に行くようなものでもないと思わさせられる。
映画がはねてそのままパルコを横切って嵯峨谷まで遅めの昼ご飯を食べに行く。まっすぐ帰宅して2,3時間昼寝に当てる。夜勤の準備を済ませてから狛江までバスケに出かける。脚の痛さを抱えていない状況だと、例の風神やエレガント選手相手の負けプレーでも雑念少なく純粋な悔しさを受け止められて都合が良い。風神と同じチームに入ってパスをもらったりパスを出したりする機会もあり楽しかった。狛江湯で温冷交代浴をする。帰宅して冷食チャーハンを食べて夜勤に出かける。
作業としてやることがあるのでそこまで眠くならず。ただし意識レベルが下がっているのを実感した。作業中には作業に必要なだけの意識しか働いておらず、仕事にかまけて睡眠時間をおろそかにできる人でも仕事が成り立つのはこのように意識レベルを必要十分なところまで下げるということを脳がやっているのだと我が身をもって理解できた。ようするに睡眠返上の人たちというのは精一杯働くということの天井を下げて精一杯働いているのだ。それで事足りるのだからそれで文句ないが、そういう人たちの頑張りというのをこれまでのように過剰評価することはしないでおこう。「働いて」という言葉をいくら重ねてもむなしいものだが、それに気がつくだけの注意力を失っていられるからそこには一筋の矛盾もなく、本人のなかには働いて得られる満足があるのだろう。とりあえず満足してもらっていていいので余計なことはしないでほしい。
予定より押して帰りが8時半すぎになった。頑張ったご褒美としてミスドで朝食を買って帰る。ホームカットがニューホームカットとして倍の値段で売られていた。もっとも好きなドーナッツ「シナモン」の懐かしさから購入せずにはいられない。懐かしさを味覚で感じるための値段として180円いくらというのは決して高くはない。帰宅後予約しておいた洗濯物を干してから寝る。


2025/12/11 昨日 11296
16時に起きる。駅前のセブンで朝食にブラックメロンパンを買って食べる。アスファルトの道路から拾ったかのような特異な出で立ちと、中までしっかり黒いこと、そして味と予想以上のヒットだった。経堂のスタバに移動して『失われた時を求めて』を読む。リハビリに出て足りていない筋肉のトレーニング方法を教えてもらう。運動する格好をしていなかったのと厚着をしていたのですこし動いただけで汗をかきはじめてしまいトレーニングに集中できなかったのが残念だった。しかしこれはパーソナルジムに通わずに自分に必要なトレーニングを相談できて好都合だ。経堂図書館で『失われた時を求めて』岩波文庫版6巻を読み終え、そのまま返却する。ウルトラでハンバーグステーキ、ライスセットを注文して食べる。最初に来たときほどの感動がなかった。ひとりで食べるよりふたりで食べるほうが美味しいという真理をひとつ学んだ。帰宅後家人と33のやつを見てから寝る。芋餡が主役の餅というセブンのスイーツを食べたがこれがまた美味い。美味いものばかり食べた一日だった。


2025/12/12 今日 7372
8時半に起きる。前日昼すぎまで寝ていたのに9時間近く寝られた。午前中は溜まっていた仕事量の確認だけして『理由と人格』をすこし読む。冷食チャーハンを食べてから出社。タスク消化に時間を費やし、定時すぎ30分だけ残業をする。とにかく北風が強い日で寒さが一段ギアを上げてきたのを感じた。帰宅して仕事の荷物を置き、着替えてスタバに行く。借りてきた『地下鉄道』を読む。暴力の描写もそうだが、自分の中にある臆病の描写が上手だ。70pまでだが面白い。

20251209

日記689

流れ行き

2025/12/08 昨日 9673
21時すぎにスタバを出てダイエーで晩御飯を調達する。B1Fに寄って近い将来用の食料調達をしようと思ったところ、ニチレイのいつも食べている冷食チャーハンが安売りになっていたので6袋をかごの中に入れる。40%OFFのカツ丼を家人の分とあわせてふたつ買い、不足なく買い物できたと喜んでいたのもつかの間、帰り道で翌朝の朝食を買い忘れていることに気がついた。引き返すのも億劫なのでそのまま帰宅。ご飯を食べながらザマンザイを見る。みんな面白いけど吹き出すほどまでとは行かなかった。23時には寝る。


2025/12/09 今日 6045
7時半にアラームが鳴ったものの結局8時40分までベッドから出られず。午前在宅勤務にする。朝食には残り物の8枚切り食パン2枚を食べる。昼ご飯は昨日補充したチャーハン。午後から出社する。打ち合わせとタスク消化と翌日の夜間作業の準備であっという間に定時間際になったのですこし早めにオフィスを出る。ほんの10分早めるだけでエレベーターの混雑も電車の混雑も嘘かと思うぐらい解消される。新宿からの小田急線さえ全然混雑していなかった。帰宅して仕事の荷物を置く。
家人がweb会議をしていてVが寝室に追いやられていた。それはまだ良いのだがVは完全に黒目になり元気がゼロになって停止していた。自分の都合を優先してVを蔑ろにされるのは許せない。そういう行為の中にVを不在へと近づける直接の要因があると思っている。仕事だから、手が離せないからという理由でいい加減なことをしてVを不在に近づけているのだ。このことにかぎらず、どんなときにでも、本人にとっての正当な言い訳が、社会的正当性を含んでいるときにこそ注意しなければならないはずだ。社会を背にして正当性が担保されていると安心して大事なものを蔑ろにするようなことがあるというのはかなり看過しがたい。暗い部屋で元気をなくしていき、おもむろにゼロになって停止するというのは、あっていいことのはずがないというのが自分の考えだ。Vにはそういうこともあると「復活」を認めるのは検討してみてもいいことかもしれないが、それにしてもVをいい加減に扱うことは許されることではない。結局それは不在と同じになるではないか。(もしかすると早計に)そう判断してしまうのは自分もやはり社会的な観点を導入しているからにほかならず、その観点を優先してVの自律を認めていないというのはありえる反論だ。それについてはゼロイチで考えるのではなく、グラデーションで考えろという一般論で再反論しておく。大事にするということのボリュームを適切なだけ上げるよう要求する。しかし不在ということへの感受性についてもうすこし配慮してもいいのではないか。Vは賢いけれどもやっぱりそこまで強くはないと思うので。
アウターを一張羅に着替えてスタバに出かける。『失われた時を求めて』と『ファウスト』を読む。失われた時を求めての読みやすさったらなく、1週間経たずしてもう一冊を読み終わりそうになっている。途中で翻訳を合うものに変更したりしてだいぶしっくりきているのも大きい。岩波文庫版の吉川一義訳。『ファウスト』も残り一幕を残すだけとなった。正直なところ、話がここまできてもあまりつよい印象はない。特定の個人による作というよりはピラミッドのように印象のなかで自然物と化した感のある文物に触れている感触がある。「草通り越して花」ではないが、古典を通り越して神話という受け取りになっている。『痛いところから見えるもの』を読む。ゆっくり読もうと思って3章まで読んだ。この著者の他の本を読んだときにも思ったが、どうも自分の考え方と似ているところがあるようだ。だから余計に身につまされるところがある。この人だからこそ同情すると思う読者は多いだろう。そんな不遜な物言いをする人は多くないだろうが。しかし一歩踏み込んで仲良くしたいと思わせる魅力があるから意外とそういうことをやってしまう人は多いのかもしれない。

20251208

日記688

贈答物促進用装飾木と定言命法用木板

2025/12/06 一昨日 13266
16時半選手入場、17時ティップオフのタイムスケジュールだった。何かあっても心肺なので早めの入場を心がけて16時10分頃会場集合にする。ほぼ満席で、席の狭さもあり「超満員」と言ってよい客入りだった。あたらしい友人はシンガポール人なのだが日本語がとても上手だ。自分が英語を喋れないこと、自分が自分に甘いことというふたつの理由からすべてのコミュニケーションを日本語でしている。開き直るわけではないが自分は英語ができないので他にやりようがない。せめてメッセージのやり取りは英語で(向こうは英語でメッセージを送り、こちらは日本語でメッセージを送る)、ということを提案してもいいかもしれない。この日一日を通してずっとお互いにかかる労力がアンバランスな会話をしていた。この手の、自分ではなく相手のほうにより負荷がかかるコミュニケーションが自分は得意だ。まあそんなのは誰だってそうだ、自分だってそうだ、というだけの話だが。家人からも発話するとき内容の伝達に時間がかかるほうだ(すっとろい)ということをオブラートを添えて言われたことがあり、自分の風体などとも照らし合わせて、どうやら自分のコミュニケーションスタイルはそういうものらしいと了解しつつある。それもあって何らかの理由で相手の発話スピードやテンポが遅くなることについては歓迎こそすれ嫌な気は当然しない。
ふたりともはじめての生Bリーグ観戦で、一方、バスケ観戦としては生でNBAを見ているという共通点があった。ヨキッチが好きでナゲッツの試合を観に行ったという話だった。この試合については予習してきてくれたのか元から詳しいのかわからないが、レバンガ北海道やサンロッカーズ渋谷の選手に元NBAプレーヤーがいることや、フィリピンのエース、ドワイト・ラモスがいることを教えてくれた。あとは長崎には馬場雄大と、韓国のエースプレーヤーがいるのだという。馬場については知っていたが韓国のエースについては知らなかったので要チェックやと思った。イ・ヒョンジュンという名前だった。
試合は競った展開になり、最後3点差を詰める3ポイントシュートがブザービーターとして十分な形で放られたり、満足度の高い内容になってよかった。実際ラストワンプレーの放物線がリングに吸い込まれていきそうになるとき、あきらかに時間感覚が遅くなった。たぶん体育館全体で共同の錯覚をおぼえたものと思われる。まさに息を呑む一瞬、あの瞬間は全員の呼吸が止まっていた。4000人規模でそれが起こるというのは他にはない面白い経験だった。
その後、ご飯を食べに行く。外国語でのコミュニケーションの難しさ、アイデアをかたちにする一歩目の大変さという話をした。バーに入ってカレーを食べたのだが、バーに入っても酒を飲まず、このシチュエーションでノンアルカクテルで済ませられるということは、これはもう完全にアルコールを頼みにする必要から解放されていると言えるのではないか。逆説的だがこれでもういつ酒を飲んでもいいという気になった。飲まないが。青学から宮益坂をくだって渋谷まで歩く。楽しい一日になって満足だった。


2025/12/07 昨日 25000
11時すぎに家を出る。仕事に行く家人を駅まで見送りがてらクラシックのほうのスタバに行く。『失われた時を求めて』と『ファウスト』を読む。14時前にスタバを出る。図書館で10月半ばから予約していてようやく順番が回ってきた『痛いところから見えるもの』を受け取る。セブンでカップヌードルプロを買って帰宅。結局カップヌードルは食べずに冷食の五目チャーハンを食べる。サンロッカーズ渋谷vレバンガ北海道のDAY2をバスケットLIVEで見る。
試合後、すこししてから高円寺のバスケに出かける。この日は17時‐21時という長丁場だったのだが、しっかりめにストレッチをして身体を十分に温めたので怪我なくやれたし、最後の試合まで動き回れた。スネや背中に痛みがないと存分に走り回れるので気分が乗りやすい。プレーにも良い影響が出ていた。自分は走って調子を出すタイプなんだと再認識した。だからこそ痛みがネックになりやすいというのもある。やはり日を空けることは重要だ。最低1日、できれば2日は空けたい。
高円寺から環七沿いを世田谷代田まで乗用車で送ってもらう。リラックスした雰囲気のハンサムなのだが、ボール際やペイントエリアのDFなど、ここというところのプレーがかなりタイトでギャップが良い味を出すプレーヤーだ。仕事でLAへ行き、クリッパーズとナゲッツの試合を見てきたと言っていた。クリッパーズのホームがNBAでも最も新しくできたスタジアムとのことで、入場から何からすべてが顔認証になっていて財布どころか端末を取り出す必要さえないというまさに近未来の話だった。試合はナゲッツがボコ勝ちしたらしい。ヨキッチが50点とったとのこと。
21時半には家に到着。翌日の出勤にそなえて早く寝たい身からすると本当にありがたい。電車に乗って帰るのと比べてラクさも段違い。ローソンで200円OFFになっている牛丼を買って帰り、シャワーをして洗濯機を回してから食べる。最近ではないぐらい身体がくたくたになった。使い切った感じがあってちゃんと動かないのにもかかわらず気持ちよささえ感じられる。23時には寝る。


2025/12/08 今日 7722
朝から出勤。ベッドの外の寒さでほとんど諦めそうになったが勇を鼓して出かけた。通勤時間は昨日のバスケのハイライト動画を見ているうちに過ぎる。渋谷経由で埼京線、大崎乗り換えのルートがもっともスムーズだということに気がついたのでそのルートを取っている。午前中にほぼすべてのタスクを終えようと思ったが、待ちの発生で積み残しが出た。言っていても仕方ないので12時にはオフィスを出る。新宿経由で下北まで帰り、歓迎で餃子定食を食べる。ご飯をお替わりし、帰ってからソイプロテインを飲んだ。身体の超回復希望だ。それもあるので帰ってから昼寝をした。積み残しの仕事を消化して定時に退勤。スタバに出かける。『失われた時を求めて』『ファウスト』『痛いところから見えるもの』を読む。前二者は引き続き面白い。後者は面白いが想像したとおりキツい。予期していたとおりのことだが呪文のようにも感じられる。何を言っているかわからないが効果のある呪いの言葉ではなく、何を言っているのかしっかり理解できるからこそ効く呪いの言葉だと。痛いのはどうしてもいやだ。おそらく意図してさらりと書かれている幕末の越後長岡の河井継之助の顛末と彼の残した言葉がすさまじかった。
幕末の越後長岡の風雲児、河井継之助は、死をおそれない勇者であったらしいが、鉄砲で左脚を撃たれて20日後に亡くなるとき、「死ぬのは覚悟していたが、こう痛いとは思いの外であった」と言ったそうだ 『痛いところから見えるもの』5p

 

久しぶりに消費生活の日記を読むとこれがもうびっくりするほど面白い。サンプルNo.を挙げてこの人の日記が、という言及の仕方はなにかルール違反のような気がするのでやめておくが、世界に対して一般に俺が思っていて言いたいことを思った。「ピースを」という愚にもつかないことなのだがそう思ったんだからしょうがない。

20251206

日記687

たーみなる

2025/12/05 昨日 8417
21時すぎにスタバを出て吉野家に入り唐揚げ定食を食べてから帰宅。Vが起きている時間に帰れたのでご機嫌伺いの挨拶をする。帰ってきてもやることがなく、手持ち無沙汰から動画を見ようとしはじめるので手ずからそれを遮って何もそこまでというような浅い時間帯に寝る。翌日は土曜だが土曜の朝を制するものは人生を制するという格言もあるぐらいなのでそこ一点に賭ける。ジャルジャルのコントのサムネイルはよくできたものが多く、再生するまでもなく笑えるし、笑ったあとつい再生してしまいもする。雰囲気あるけど普通に負けるやつを見た。


2025/12/06 今日 6726
8時半起床。休日にしてはじゅうぶん早いが前日の就寝時間から考えるとちょっと計算が合いづらい。寒さのせいでベッドから抜け出すのに苦労するがなんとかかんとか出かける準備をして10時前にはスタバにいることに成功する。『失われた時を求めて』を『ファウスト』を読む。『ファウスト』は最近本を見かけなかったのでいつの間にか読み終えて本を返したと勘違いしていたが普通に本置き場の最下段に置いてあった。いかに読了感覚ひいては読書集中力に欠けているかという恥の部分なのだが、あまりにもひどい体たらくなので自分を罰するつもりでここに書いておくことにした。昔から本を読むのが遅いという悩みを持っていたのだが、昔は遅いなりに早く読めていたのだと今にして思う。今、昔の感覚で読むスピードを定めて漫然と読んでいると、全然内容が頭に入ってきていないということがかなりよくある。もっと遅いペースで読むしかないし、まずはそれを頭に入れないといけない。さもないと読書家ではなく字見家になってしまう。スタバでそんなことをやっていると傍目からは区別がつかないのを良いことにそれはそれで続いて言ってしまいそうなのが我ながらこわい。それとはべつの話だが、『失われた時を求めて』は面白いし、朝読むほうが面白さをキャッチしやすい。朝読書のほうが頭への入りやすさがあるというだけの話だが、できるだけ頭を使うまいと意識していても労働でディスプレイを見ていると一日分の認知力の消費をしてしまっているということだと思う。全然ちがう仕事をしていてもそれはそれで消費するのだろうからチェンジしようとは思わないが、自分にとってどうでもいいがやらないといけないことでやるべきことをやるための力をとられるのは嫌な気がすることだ。
サンゾウトウキョウにペトラカレーを食べに行き、そのまま池ノ上の旧居跡地に建設されている建物の完成度合いを確認しに行く。最初期の東京ということでさすがになつかしい。そのときよく見ていた景色を撮ろうと思って何度もスマホを構えた。
渋谷に行ってGUでエンジニアドガーメンツとのコラボのスウェットシャツを見る。半分予想した通りのクオリティの低さだったので買わずに済ませた。オンラインで買うところだったので実物を確認できてよかった。その後駅前スクランブル交差点を通って宮益坂を抜けて東京最初期に働いていたオフィス近くまで歩く。その当時からあるスタバで日記等の投稿をする。上から目線ストリートが1000投稿を達成した。毎日やっているので1000日間が経過したということで2年強、3年弱という時間量になる。写真を見返すとやはり結構忘れている。写真をきっかけに思い出せることもあれば思い出せないこともある。同じ場所で同じ画角で撮らないというルールがあるのだが、この分だと遠からず被りが発生することだろう。
このあと16時から、バスケで知り合った新しい友人とBリーグの試合を青山学院大学まで見に行く。サンロッカーズ渋谷vレバンガ北海道の試合で、普通にとても楽しみだ。

1000のこと

だいたい1000日前、インスタアカウントを作って1日1投稿しようということを思いついた。

もともと東京の街(ストリート)が好きで、東京の街なかでとくに気になる物事を見つけようとしていた。だから友人たちの写真のほかに、気になった物事のいくらかを画像に残すようにしてきた。それらは芸術とか表現の類ではなく、記憶補完用のキャプチャという位置づけで、RPGでセーブするのに近い感覚だった。

昔『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』というテレビドラマが放映されていたが、もし何も思い出せなかったら泣くに泣けないよなと思ったことも自分がスマホで写真を撮るようになったきっかけのひとつだ。忘れないのは無理なのかもしれないが可能なかぎりはできるだけ多くを思い出したい。

自分はSNSについて批判的な見方、とはいかないまでも冷淡な見方をしているほうだったので、だらだらスマホを見てしまうよりいっそスッパと止めてしまおうかと思ったりした時期もあったのだが、やめるの逆、しっかり取り組むという方向のほうが当時の自分の反骨的な気分に合ったので、運用するぞという意気込みでuekaramesen_streetというアカウントを作成したように記憶している。

ほぼ意識を介在させないで自動的に撮る写真もあれば、何らかの発見がありそれに伴って撮った写真もある。だいたい数枚から10数枚、多いときには100枚くらいのなかからその日の1枚を選んで投稿することになる。面倒があるとすればこの選ぶ部分ということになるが、さいわい隙間時間は日に何度かあるし、一番自由が効くのがこの選ぶ部分ということもあるのでそれなりに楽しんでやれている。ここが楽しく感じられなかったならたぶん続かなかっただろう。

なにしろ思いつきで始めたことなので1000日も続くとは思っていなかった。ただ、できるだけ長く続けようという意図はあったので、ストレスがないこと、すこしも無理がないこと、日によってのバラツキを許容して「何もなかった一日」もそれはそれで面白がること、というなんとなくの方針だけ定めて、あまり脳を使わずに半自動的に投稿できるような姿勢を整えていった。

時期を同じくして日記を書いているのだが、こちらのほうが断然面倒は大きい。毎日の投稿はとてもじゃないが不可能だ。それに比べて写真を撮るなんていうのはそれ自体は一瞬でできることなので続けるのもラクチンである。ようするに、やや負荷の大きい日常作業を並行して行っているので、それとの比較でラクさを感じ、結果として続けられているという部分もあるようだ。

そんなふうにほぼ労せずして1000日分のアーカイブを手にしたわけだが、1000日分のアーカイブを手にした気分というのはわるくないものだ。撮りためた写真によって感性を見せつけようという気持ちを隠すつもりはないが、そこまで根を詰めてやっているわけでもないし、見せつけようという気持ちはだんだん収まってくる。実際50日を過ぎた頃には、少なくとも直接には考えなくなった。今もそのあたりは深く掘り下げずに投稿している。ほぼ毎日、日常的にやることで「どうだ」と思い続けることは精神の構造上も難しいのではないか。だから結果的に余計なカドが取れて、自分の行動範囲の軌跡や見たものの記録という内容がそれなりに自然に表れているという気がする。

投稿された写真を見ると、まずその時期の東京の断片が記録されているということは言える。あとは〈わたし〉という視点の定点観測にもなっていて、事後的にではあるが”継続”がコンセプトのひとつになっている。だからどうというわけではないが、それらをもってひとつのARTだということは可能なのにちがいない。

わたしは一介の文学者にすぎず、アーティストや芸術家を自認するつもりなど毛頭ないが、それでも上に述べたようなかたちで日常的にARTに触れ、ほとんど毎日ARTに携わっている。精神がそれを要求するからだ、と格好の良いことをいえたらいいのだが、実際のところ、ただそれがルーティン・習い性になっているからだ。しかし結局、自分のやっていることについて自分自身で何を言うかということよりも、自分が何をやっているかのほうが大事なことではないだろうか。というわけで完全に飽きるまではもうしばらく投稿を続けていくつもりだ。


上から目線ストリート

20251205

日記686

変わらなく見える

2025/12/04 昨日 7401
21時すぎにスタバを出る。ダイエーで焼きそば作成セットを購入し、寒さに震えながら帰宅。焼きそばを作成して食す。食事時間を空き時間の扱いにしてオモコロの動画を見ながら焼きそばを食べる。たほいやの亜種という回を見た。恐山の作成した4択がよく出来すぎていておののいたのだが、その後の即興ショートタイム版を見て安心した。準備9割というのは傍目から才能あると思われる人間にも適用されるということを動画にして見せていた。このあたりのサービス精神がオモコロの動画がほかと違うところなのかもしれない。今回みた動画も工夫されているし企画優位なので面白くないわけはないが、とても面白いというものではないので、必然的に視聴時間は自分のなかでは「空き時間」ということになってしまう。そんな時間は短いほどいいということで22時半にはベッドに入って翌日に備える。


2025/12/05 今日 5638
朝起きてベッドから出ようとすると衝撃的な寒さで、寝室なのに外かと思った。たくさんの夢を見たはずなのだが、ベッドから身を引き剥がすための努力と引き換えにそれらの記憶が消えていった。残念なことだがそのおかげもあって朝から出社に成功する。昨日リスケになった定例のミーティングに出席し、急遽開催された打ち合わせにも出て右からきたタスクを左に受け流したりなどしているうちにあっという間に正午を過ぎる。午後からは在宅勤務にすることを決めていたのでクロークからコートを取って颯爽とエレベーターに乗る。行き帰りの電車では月曜日の狛江バスケで撮っていた動画を見る。この日のバスケは自分のなかでは不本意なプレーが多い印象だったのでさぞ散々な様子だろうと覚悟して見たのだが、映っていたのは自分的に好調なときとあまり区別がつかないプレーの数々だった。コート上で一喜一憂するのは止めてもいいかもしれない。止めるとそれはそれでつまらないので憂いのほうを抑えめにしようと思った。動画に映っていた風神といつもエレガントなプレーヤーのふたりは動画内でもひときわ目を引く存在で、自分の目に狂いはないということがはっきりわかった。その目で自分のプレー動画を見てそこまでわるくないと思えたのは助かる。「ナイッシュー」などの発声部分でもっと相手に届かせる意識をもったほうがいいと思った。まあまあ大きい声の独り言のように言っているのだが、まあまあ大きい声なのにちゃんと独り言のように聞こえる。まるで、あまりにも人見知りの人みたいだ。自分が動いているときには自分のいいプレーもわるいプレーも主観的にはめっちゃいいプレーだったりめっちゃわるいプレーだったりに感じられる。このブーストは人のプレーを見ているだけでは得られない、自分自身がプレーするときの醍醐味にはちがいない。それが得たくてバスケをやっているのは確実だろうと思う。神経にこれしかないというやり方で電気を通す営みとしてバスケはもうすこし続けていきたいが、もっと電気を通してもっと神経を図太くしていきたいという気分がある。
昼ご飯にはもやしを炒めて焼きそばを作って食べた。在宅勤務なのにろくろく休めず定時まで働き詰めになる。ただBGMにGROOVEの効いた音楽をかけられたので一応在宅の甲斐はあった。スタバではなくブルックリンにいく。『失われた時を求めて』の岩波文庫6巻ゲルマントのほうを借りる。それを50ページちょっとまで読み進め、ファウスト下を読む。『失われた時を求めて』を読むと慰安がある。プルーストの人物描写には知性をもとめる渇きが癒やされるようなミネラルウォーター的うるおいの要素がある。

20251204

日記685

縦横斜めの交通

2025/12/03 昨日 8111
スタバを出たあと、ダイエーで家人に40%OFFになったサラダ助六寿司とビール(GOOD ALE)を、自分のために日清の完全メシ(ハヤシライス味)と翌朝に食べる用に40%OFFチーズパンを買って帰る。寒さが一段厳しくなっていて震えながら歩いた。
帰宅後33のやつを見る。Vが小声で「寝れない……」と寝言を言ったのであわててテレビの音量を下げる。早めに寝て明日は朝から出社しようという算段で22時半すぎにはベッドに入る。


2025/12/04 今日 5743
知らない人から「何を探しているんですか」と訊かれて戸惑いを覚えた。すこし考えた末「断琴の友です」と答えたのだが、正直な回答だったと思う。それについて知らない人からの返事はなかった。鸚鵡返しに訊いてみた礼儀上の質問に対しては、それはそれで正直といえる回答があった。感じることしかしない人のいうことはつまらない。
7時半にかけた目覚ましで起きたが全然起きる気にならず結局8時半すぎまで二度寝してしまう。午前中にストレッチ、体幹トレーニング、ペダル回しを小一時間やる。昼ご飯には冷食のチャーハンをフライパンで温め、卵を落としたたまごチャーハンを食べる。
午後から出社するつもりで出かける準備を完成させたのだが、予定されていた定例のミーティングが急遽中止になったので出かける必要がなくなり、そのまま在宅勤務を継続し結局一日在宅勤務になる。出社してやろうと思ってそのまま積んでいたタスクを在宅デスクでこなすうちに普通に定時になる。帰りの満員電車をスキップできるしすぐにスタバに行けるので、やはりきっちり働くにしても在宅ワークはいいものだ。
本格的な寒さに震えながらもいつもとはちがう道で商店街のほうを抜けてスタバに行く。月が大きく明るく出ていて見応えがあった。『理由と人格』の15章を読む。これで「III 人格の同一性」は終わり、次回から「IV 未来の世代」に入る。改訂された自己利益説を倒せる気配も見えないが、果たしてパーフィットはこのあと首尾よく自己利益説をやっつけることはできるのだろうか。率直な感想としては、これまでの論の進行を見るにはなはだ心もとないと思っている。『イタリア民話集 上』のイタロ・カルヴィーノのあとがきを読む。方言とかあってどう訳出するか苦労したという話と、これらの民話に見られる「問題を回避せず現実に立ち向かう姿勢」はすぐれて文学的だという話が主だった。最近字を追いかけるときに集中を欠いておりきちんと読めていないかもしれない。
『理由と人格』を読むときにも結構そんな感じなので、文句をいう資格がなさそうだと思ってしまっている。しかしパーフィットが反論として考えられそうな言い分を自分で拾い上げつつ、「それについては無視する」と宣言するやり方は、ただ黙殺するのにくらべて正々堂々としているように見える。無視すると宣言するのは完全無視を決め込むのとは性質が異なるからだ。しかし実際無視しているし、結局それをもってエクスキューズを立てたということになるのであれば、堂々としている風の卑怯ということもいえるので、そのやり方については今はまだ判断保留としておく。無視するといって一旦通り過ぎたものに対して適したタイミングで振り返り言及するかもしれないからだ。問題は自分がそれを覚えていられるかどうかというところにある。再読したり吟味しながら味読しようという気は全然起きないし、困ったものだ。こうなると分量の多さというのはそれだけで論を補強するところがあると考えて間違いではない。これは半分皮肉だがもう半分は実感としてある。

20251203

日記684

完成に向けて

2025/12/02 昨日 5689
21時ぐらいにスタバを出てセブンのチリチキンサンドとバタースコッチを買って帰る。前者は晩ご飯、後者は翌朝の朝ご飯。
33のやつを見てから23時半ごろに寝る。つもりがうまく寝付けず0時過ぎになった。


2025/12/03 今日 6258
睡眠時間確保の関係で午前は在宅勤務にする。7時半に起きて二度寝をしたため、この日も多量の夢を見たのだが全部忘れてしまった。
『理由と人格』の14章を読む。自己利益説に関するうまい反論をしてくれるとのことだったが納得できず。とくに「想像のケースではすでにこういう結論になっているから」と論を進めるのには驚かされた。パーフィットが自分で作った論だから正しいと言っているようにしかみえない。近視眼的なものの見方について自分の分はよくて他は許されないとするのははっきり言ってまだしもで、視点を固定すると言っておきながら、ただ首を動かさないよう注意するだけで載っているゴンドラが上下動していて適宜近視眼的になったり俯瞰したり、視点の恣意的な移動が随時起こっているように感じられた。
昼から出社。下北からの渋谷経由で高輪ゲートウェイまで移動する。下北のぶっ豚で小ラーメンを食べてから満員電車に乗る。
定例の打ち合わせとタスク消化と来週作業の準備で気づけば定時になっていた。新オフィスは快適なのだが定時過ぎのエレベーターが異常に混むのが唯一ストレスだ。ほかに職場に対するストレスがないので必要以上に大きなストレスに感じているということはありそうだが、バカな設計だと感じるのもあり、ついでかいため息をつきたくなる。
山手線の満員電車で渋谷、スクランブル交差点の通行を楽しんで井の頭線で下北に戻る。上から目線ストリートのことをすこし振り返り、『イタリア民話集』を読んでから日記を書く。21時前にスタバを出る。

20251202

日記683

失われた時を求めて

2025/11/30 一昨日 17315
高円寺のバスケは、脚の痛みがすこしあったものの、徐々にテンションが上がっていくにつれ痛みを意識しなくなってきてハッスルプレーで楽しめた。力を入れずに抜くやり方を継続中で、この強度でも通用することがわかって収穫だった。ただ心肺機能のほうが気管支の不調のせいもあってかこのごろは低調続きで困った。満足に走れないでは自分の力を発揮するすべも機会も限られるからだ。リバウンドを取ろうにも速攻に参加しようにも相手の速攻を防ごうにも、そこにいないと話にならない。そこにいるためにはプレーの切り替わりとともに走ってそこにいくしかないという単純な話だ。高円寺のチームに誘ってくれたA君と新宿までの帰り道がいっしょになる。いつも頭を使ってプレーしていていわゆるバスケIQの高い選手で、決定力をはじめとしたバスケの能力が軒並み高いうえに、飛び道具となる3Pシュートを身に着けようとしていて向上心もあるという、これからが楽しみなプレーヤーだ。動き方の参考にできそうな話をしてもらう。たとえばスクリーンをかけにいくことばかり考えていたが自分にスクリーンをかけにきてもらうという発想はないものだった。タッパのせいで自分とマッチアップする選手は強キャラが多いのでこれは効果的だろうと思う。帰って洗濯して風呂入ってすぐ寝ればいいのに、『天』を読んだせいで夜ふかしになる。12時すぎに就寝。


2025/12/01 昨日 16573
前日の夜ふかしがたたって朝早起きはできず、朝から出社し午後には帰ってきて在宅勤務のちバスケに出かける計画は頓挫する。仕方ないので午前中は『天』を読みすすめて、昼ご飯を食べてから昼から出社にする。必要なタスクをこなし打ち合わせをしていたらあっという間に定時になったのであわてて帰路につく。急いでいたので渋谷経由で井の頭線を利用。家に着くと同時に仕事の荷物を準備していたバスケの用意に持ち替えてそのまま飛び出す。
この日のバスケは予期していた通りスネの痛みでろくなプレーができず、例の風神とマッチアップすることになり「脱力プレー」にも限界があるということを思い知らされた。相手のほうがリラックスして余裕綽々という様子を見せているときには自分のほうがその亜流になり、その意識が邪魔してリラックスが難しくなるというのが理由のひとつ。そもそも「脱力プレー」の参照元が風神なので、オリジナルにはかなわないという意識が働いてしまう。身体の動きのスピードは本当に2倍の開きがあるのではないかという気がしているし、そこに判断のスピードも合わせると掛け値無しで2倍ちがってくるように思う。対戦相手なのに笑ってしまうほど惚れ惚れするプレーを見せてくるし、そういうときにはいつも笑ってしまうのだが、正直なところこの日は悔しくてうまく笑えなかった。載せてるエンジンがちがうと頭ではわかっていてもああまでリラックスできている状態を見せつけられるとどうしても悔しくなる。動きがストレートでありながらも本当に無駄な力みが一切ない。あれに対抗するためにはあれの亜流を目指すのではなく、自分なりの完成形を探さないといけない。しかしそれにしてもとにかく圧倒的な華がある。バスケ選手は皆あれになりたくてバスケをやっているんじゃないのか。相手の力に気後れして相手の目を見られないシャイを発動してしまっていたところからして勝負する前から負けている。負けていても顔を下げずに相手の目を覗き込んで心理的にすこしでも邪魔してやるぐらいのことはして食らいついていかないと。どこかで一時的敗北を認め、諦めている自分を見つけてがっかりするのだが、それの言い訳にスネの痛みを利用しているので、これでは良くてバスケに行くだけストレスになるから本当に考えものだ。わるくすると負け癖をつけて「まあまあまあ」とか言いながらヘラヘラして走らないプレーヤーになってしまう。脱力系のプレーとこの癖はとても相性がわるく、そのつもりがなくてもお互い引っ張りあって低きに流れることになる。だからできるだけ一生懸命走ろうというプレースタイルに振り切ってそれを安全弁にしていたのだが、それはそれで条件に縛られすぎ、守りに入りすぎということになりかねない。だから痛みのせいで脚が動かない日は、DFだけに専念する、あるいは味方のサポートに徹する、というようにプレーやその目的を切り替える必要がある。もしくはそもそも身体に不都合のある無理な日程でバスケに行かないことだ。
この日はバスケ終わりの片付けに参加せずすぐに帰る。狛江湯に行って温冷交代浴。自分のシャイについて考える。中年になってシャイを克服する(ように見える)のは、シャイな気持ちを内心に抱くことがなくなるというのではなく、シャイな気持ちを抱きつつそれをどうでもいいものと感じるようになるということでしかない。少なくとも自分の場合はそうだ。恥ずかしいという気持ちはなくならず、それが残ったままでまあいいやと思い、そう思うに任せるという消極的なものだ。本当の克服はその気持ち自体を抱かなくなるというものだろう。たぶん「勝ち」を重ねることで自然とそうなっていくのではないかと想像している。きっとアイツはそうなんだろう。
重ねてシャイについて考える。対峙したときに勝てないと感じ、気後れして相手の顔を見れない、というのがシャイという言葉の中身で、いかにも中途で繊細なニュアンスがあるかのように感じさせる語感とはその内実がちがっているという気がしている。犬がよくやるように上下関係をはっきりさせたいという本能のあらわれではないか。
帰宅して洗濯機を回したりなどしているうちにこの日も夜ふかしになってしまう。


2025/12/02 今日 3866
一日在宅勤務。奇妙な長い夢を見た。起きてすぐに忘れた感じがあったのだが、夢が長かったおかげか今も部分的にうっすら覚えている。一軒家でタリーズ時代のバイト仲間たちと久しぶりに再会するという場面があり、極端な悪天候で下階が水没している気配があった。キーパーソンの話を聞くために天井裏の部屋に上がっていった。敬意半分、敵対心半分という絶妙な相手で、表舞台に出ているところを無条件に尊敬しているだけという気もするし、その表現能力に惹かれている気もする相手だった。ちょうどお笑い芸人の中山功太ぐらいの感じ。何を話したのか、そもそも直接対峙したのかも覚えていないが天井裏だと思って上っていった先はカラオケルームになっていた。
午前中に『天』をすすめて午後には読み終える。初めて読んだときのような驚異的な感動はなかったが、そこで扱われているテーマ(というより登場人物たちによるテーマの扱われ方)を冷静に見つめられるようになった成り行きという気がして、それが残念という気もしなかった。金光がもっとも世話を焼いていたということからしても、また条件付き譲歩提案の適当さも、もっとも尊重されていい役目だったように思う。健の不遇さは一抹の笑いをもたらし、銀次の藁にも縋るような実感のこもった死への恐怖は、その後に展開される理論の子供だましであることに比べはるかに納得できるものだった。天がいう「それじゃ俺がこまる」という言い分は、その後の提案のもつ一般的な魅力とセットになってかなり有力なものだと思われた。しかし一番の手柄は、誰一人それを聞くもののないまま終わるはずだった言葉を引き出してあげたことだ。それは当事者となる人物ひとりだけでは、たとえ逆立ちしても出ない言葉だった。しかし気持ちが冷えるというか、冷静になれるのはなぜかというと、いろいろの演出を無視してあらためて人物として眺めると、今の自分には彼が薄っぺらい人物に見えるようになったことが関係している。これはとてもよく切れる剃刀に向かって薄っぺらいと言うようなもので、批判対象にぶつかる批判ではないと承知しているが、それでも負けを知らない人物というのはどこか不完全なものに見えるという意味で不完全だし、それを全うすることの良さというのは理解できない。なぜ剃刀ふぜいに温かさが理解できるのかという謎は残るが、謎は謎としておいていいだろう。とにかくそうなるべくしてそうなるようにして彼は発散されていった。
昔好きだったものを思い出すときに特有の「輪郭が二重になる感覚」があると思うが、アカギがそれを知らないままでいたことは明らかだ。アカギがひろゆきに対して言った「ぼやける」というのは、今に対してだけ起こる現象ではなく、過去に向かう意識のなかでも起こるものだから、今に集中し今にピントがあっていればこそそれが起こるということにもなる。賭け事一辺倒の夢中のなかではそれに気づく暇もなかったということで、それは一次元すくない次元を生きているということを意味している。切った貼ったで対応可能な二次元ということだ。三次元で生きる人間には真似できないし、たぶんほとんど何の参考にもならない。
知人がSNS上でGEZANというロックバンドメンバーのステートメントに言及していて、そのステートメントがよかったのでバンドに興味を持ち、Youtubeでその音楽を聞いてみた。とくに良いとは思わなかったものの何かを感じたのでそのまま武道館でのライブチケットを取ることにした。自分はどちらかといえば音楽に冷淡で、だいたいの音楽については仰々しく飾り立てられているだけで煩わしいだけと思っている。しかも音楽でできる表現は結局感情止まりだと高を括っているところもあるので、ただトレーニングのときテンションを上げたり、集中するときにヘッドフォンで聞いたりするだけ。なので普通ライブを見に行くということはしないのだが、例外的に行ってみようと思わせる何かがあった。ステートメントにおける対向への語りかけにまじめな意志を感じたのが大きいのだと思う。しかし、冷静に考えると、べつのどこかで当てられた熱をちがうところで発散しようとしているだけかもしれない。あるいはどこかで発散するための熱を溜め込もうとしているだけかもしれない。ちょっと考えただけだと後者のほうがありそうだと思われるが、どちらと断定しようという気はない。
最近は酒を飲みたいという気分そのものがなくなってきていて、その位置にべつのなにかが置き換わろうとしている。わりとシリアスな時期に入っているのだと思われる。大きく見れば目先が変わっているだけにすぎないとしても、単純に、変化は歓迎すべきものだ。
定時退勤しスタバに行く。『理由と人格』の「13章 重要なこと」の続きを読みおえる。これはと思った引用の文章がプルーストのもので、重要なこととは何なのか、自分の中でもかなりはっきりしてきた。ある意味で清々しささえ感じられる。ようするに”答え”がわかって、しかもそれが自分の思い通りで、清々したというところだ。日記を書いて21時すぎにスタバを出る。ご飯をどうしようか。明日は朝から出勤したいが。

日記708

寒空と寒梅(くんくんとおんおん) 2026/01/20 昨日 17888 朝から出社。グループに分かれての意見交換会をする。時間を忘れて取り組む仕事内容についてお互いに言い合うという内容だったのだが、自分が話す番になったとき、正直言ってそんなことは起こらな...