20251130

日記682

廃墟然

2025/11/29 昨日 7118+
21時前にまでスタバにいたあとダイエーに寄ってキャベツなどを買って帰る。帰宅してから家人が作ってくれたお好み焼きを食べる。33のやつのゲーム実況をすこし見て、『天』を読んでから寝る。金曜から夜ふかしになってしまっていてこの日も2時前に就寝。


2025/11/30 今日 3875
10時すぎに起床。前日に買ってきていたPascoのしっとりくるみ蒸しパンを朝食にコーヒーを飲む。前日から高輪GWでメルカリの物々交換のポップアップに行こうかと考えていたのだが、下北周辺に住んでいてわざわざ時間をかけて別の地域に古着を見に行くというのも訳が分からないなと思いなおした。そのまま家で読書してもよかったのだがいい天気だし一張羅も着れるときにたくさん着たいからということで出かけることにする。ひさしぶりにリザーブのほうのスタバに行ってアイスティーを飲みながら『理由と人格』を読む。満席だったがやはりこちらのほうがゆったりできるので休日にはこちらを使うのも気分転換になっていいかもしれない。14時前にスタバを出て下北の街の方へ歩く。古着屋をちょっとだけ覗き、どこかお店で昼ごはんを食べることにする。どの店にしようか迷ったが、ピザが食べたくなったのでTHE Pizzaのピザを2切れ買って帰ることに。ピザを食べながらJリーグの鹿島アントラーズv東京ヴェルディの試合を見る。前半15分以降ずっと東京Vが試合巧者だったが、終わってみれば絶対に勝ち点3を得たい鹿島が勝利を手にしていた。最終節にどういう展開が待っているのか見えないのでわくわくする。当事者だったらその比ではないだけのドキドキがあるだろう。試合後バスケのために高円寺に行くまでの1時間ちょっとを『天』を読んで過ごす。日記を書く。



20251129

日記681

反復のよろこび

2025/11/27 一昨日 16713
午前在宅にして午後から出社。狛江のバスケにそなえてバスケ準備一式を詰めたボストンバッグと仕事の端末等を入れたリュックの鞄二個持ちで出勤する。出社してからはやるべきタスクをこなしつつ定例のミーティングに参加して、依頼事も依頼してと申し分のない働き(当人比)をして定時すぎに退社する。新宿経由で直接狛江に向かってバスケの開始時間ちょうどになった。シニアプレーヤーの方から滑り止めスプレーを使わせてもらったが、冬場の乾燥にこれはかなり効果的だと思った。あとでAmazonで確認しておこうと思いつついままで忘れていた。あとでAmazonで確認しておこう。この日のプレーは脱力を意識し、できるかぎり奔放なプレーになるように調節した。そのおかげで最初の試合から飛ばせる感覚があったが、奔放とはいえ、いや奔放なだけに動き回ることが基本になるので心肺への負担が大きく良い感じが続かなかった。しかしこうやって普段の意識付け等々から意図的に解放される日を設けるのは大事なことだ。セルフハンディキャッピングではないが、ちょっとうっかりすると自分のプレースタイルの枠を決めてその範囲内でプレーしようとするので、こうやって枠を壊しながら枠を広げていくようにしないと甲斐がない。たとえば各種の練習もうまくなりたいと思ってやるものだが、その道を一本道のように想定してとにかく経験値を得ようとするRPG的なやり方は、じつは途中からはアンリアルなフィクションになったりする。負荷を与えるのはたしかに重要だが、負荷のかかっているなかで「リズムや感覚を掴んでいく」というのがあくまでも主眼であると理解することだ。気持ちよくプレーすることでそのときの感覚を研ぐのと、気持ちよくプレーできない障害に対応することはおそらく両輪で、片方に注力してバランスを失うと上達が見込めない。前者に傾注していざというときに力を出せないのと、後者に傾注して全体のパフォーマンスが下がっていくのと、どちらも避けるべき事態だが、楽しむという観点からは後者に対してより注意しておかなければならない。これがアマチュアバスケットボールプレーヤーとしてここ一年で学んできたことだ。楽しくないとプレーする動機そのものが失われることになるからだ。そのあたりのモチベーション維持はプロよりもシビアだ。シビアもなにもそうなれば止めればいいだけなので前提がシビアではないのだが、内燃する動機を持ってやり続けたいと思うのであれば、まあシビアといえばシビアということになる。帰宅してすこしの飯と味噌汁を食べ、プロテインを摂って寝る。


2025/11/28 昨日 10610
一日在宅勤務。昨日やるべきことを進めたのでその分の貯金がたまっており、最低限やるべきを前に進めるだけでよい安定した日になった。リハビリの日だが前回相談したスネの痛みがあまりなかったのでおかわりしておこうということで昼休みに公園まで出てシューティングをする。いい天気だったし、昨日のプレー感覚を保存しておきたいという思いもあった。肩に力を入れないやり方でのシュート感覚を反復する。帰宅して昼ご飯を食べて昼寝をする。10分のつもりが50分あまりの昼寝になってしまった。
退勤後、経堂まで出てリハビリに行く。リハビリと言っても痛めた筋肉の近辺を入念にマッサージしてもらえるというもので、苦しい辛い要素は全然ない。スネの痛みについての解消法の提案として、中臀筋が弱いようなのでその部位のトレーニング方法を教えてもらう。怪我や痛みの対策としてもそうだが、弱い箇所を鍛えることはパフォーマンスアップに直結すると思うのでやっていきたい。パーソナルトレーニングに行かなくても正しい知識を得られればそれでいい。無理に増量しようとしても不調に繋がるだけだという痛みをともなう気づきもあったことだし、とりあえずは自重トレーニング主体にして自分自身のバスケット熱をモチベーターにすればいいので、その分のお金を質の高い食事やプロテインに回せばいいと考え直した。今の自分にはそれが正しいと思われるので一旦はそれで進めてみる。
リハビリ後にスタバに行く。『理由と人格』を読む。「分裂」とかSFみたいな架空のことを言い始めたなと思ったらそのまま論を進められ、何を言っているのかわからなくなりついていけなくなってしまった。とりあえずその章(第十二章 われわれの同一性は重要なことではない。それはなぜか)の半分ぐらいまでは読んでしまう。ウルトラに行ってご飯を食べて帰ろうと思ったら店外に人が並んでいて諦めた。飯を食うために行列に並ぶことはどうしてもできない。仕方なくこの日もかつやにいく。カツ丼梅を食べたが前回のような驚くべきクオリティではなく、たまたま前回はクリティカルだっただけかと残念な再発見になった。寒さも寒いのと温存したいスニーカーを履いていたのとで歩くのも断念し電車に乗って帰宅する。気持ちがそういう気持ちになっていたのでサニーボーイの1話を見返す。流れで最終12話も見た。このアニメはやはり最高傑作だと思った。toeのラプソディがかかるタイミングとドラッグ全開の映像音楽は相当程度カッティングエッジなものだし、「光」を描写する映像作品のなかでも頭抜けた美しさがある。それが信じられる理由がそこにはあると信じられる。


2025/11/29 今日 5034+
前日に寝苦しい思いをしたので寝坊になる。『天 快男児』をキンドルで買って読み、ゲイシャグランスイートのプレミアムコーヒー豆を開けて飲む。いい意味で香りだけで味がなく、よい日本酒が水のようであるのを思わせる上品さが完全に自分好みだった。香りの種類こそ好みドンピシャではなかったが。昼ご飯を食べに下北に出る。梅窓でとり天ぶっかけ(温)の大盛りを食べる。家人がフルートと荷物を置くために一旦帰宅し、行き先を考える。結局下北で古着を見ることに決まって、RAGTAGほか古着屋を何軒かまわる。足がつかれたので途中抜けしてスタバに行く。『理由と人格』の12章を読み終える。家人をすこしだけ待たせながら溜まっていた分の日記を書いてスタバを出る。ダイエーで晩御飯を買って帰るつもり。

20251128

記述・行動

行動するというのは世界という用紙にむかって記述するということだ。

そこで暗黙のうちにつねに問われるのは”何を”記述するのかということであり、つまり行動することにはどう行動するのかを決定するということが含まれることになる。

このアナロジーとして、行動に対する芝居は、記述に対する書道(タイポグラフィー)ととらえることができる。何を記述するのかというところからある程度の自由を得て、どう記述するのかに意を砕くことができる。何を書くのかということを決めておくことで、どう書くのかに集中するのが書道でやられていることだ。それと同じように芝居では、どう行動するのか決定する自由を失う代わりに、あらかじめ決められた行動をどのように行動するのかということに意識の力点を置くことができるようになる。


***


スターバックスから外に出るための自動ドアをくぐりながら女子高校生が「永遠にいっしょにいよう」と言った。仲良し3人組で、スターバックスのシーズナルドリンクを買っていっしょに写真を撮ることが楽しくて仕方がないといった風情だ。

この3人組が20年後にも同じ3人で集まって「永遠にいっしょにいよう」と言っていたとすると、自分はそれを見てどう思うだろうかと想像した。自分の考えではその発言を断然支持すると答えたい。いまこの瞬間に夢想した20年後の映像を心に描いて、いまの彼女らがいま言ったことが、架空の20年後の彼女らと重ねられたこの場合にはそれを支持するのもたやすいことだろう。しかし、そういった過去編をもたないまま、37歳の女子3人組がスターバックスで何がそんなに嬉しいのかとにかく嬉しそうに騒がしく会話しながら、店外に出るタイミングで突拍子もなく「永遠にいっしょにいよう」と言ったとしたら、自分はそれを素敵だと思える自信がない。瞬間的に過去編を妄想し、あるいはそれぞれに深刻な事情を抱えつつようやく集まれたかつての3人組なのだろうと酌量し、素敵かもしれないと思えるようでいたいとは思うものの、虫の居所その他の理由によっては苦虫を見るような顔をしてしまうのを避けられないと思う。

そうすると「永遠にいっしょにいよう」という唐突な宣言に対してささやかな感動をおぼえた自分の感性を疑うべきなのだろうか。誰が言っていたかによって受け取り方が変わってくるような言葉に感動するというのは二重に過っている気がするのだが……。

すこし考えて、しかしそうは言っても時の花というものはあるだろうと思い直した。つまり、女子高校生が言う「永遠にいっしょにいよう」には若さへの寄りかかりからくる芝居がかりがあるとしてもそれを含めて嘘がないのにくらべて、37歳の女子たちがそれをそのまま言うのには嘘をつかないでそうするのに無理があるだろうと思うのだ。しかしこれも大きな声で言っておきたいが、だからそういうことを言うのは止せと言いたいわけではない。むしろそういうことを言うのに適した年齢があるとするなら自分の感覚では17歳よりも37歳のほうがふさわしいとさえ思う。問題は言い方にある。願いをそのまま言ってそれが本当になる時期は過ぎた。それは認めなければならないのだろう。言い方に工夫をして想いを口にする必要があり、そういった道を経るからこそ、そこに咲く花は美しいと思うのだ。

ところが、どうやって言えばいいのか、しばらく考えてみたがよい例は思い浮かばなかった。そうするとやはり「永遠にいっしょにいよう」で良いのかもしれない。これは実際「永遠に」の使い方としてもっともふさわしい、辞書に載せてもよいほどの語用であり、親しい友人に対するこれ以上ない提案ではないか。

ただ、それを意味することを言うにしてもそれぞれの言い方があると思うので、ストレートに「永遠にいっしょにいよう」と言うのはどこまでいっても”次善”になるだろう。こういうとき答えは個別にあるはずだから、個別具体的に内輪の大喜利をしていくのが”最善”なのにちがいない。

20251126

日記680

どの世

2025/11/25 昨日 6898
21時頃にスタバを出て帰宅。ご飯を食べないでカルニチンを摂りストレッチをする。その後ペダルを漕ぎながら『コートオブゴールド』を見る。バスケアメリカ代表のパリ五輪での裏側を記録したドキュメンタリーなのだが2話の締めくくりはケビン・デュラントの涙だった。やや唐突で驚かされたが、カメラを向けている人の驚きもダイレクトに伝わってきて生々しかった。バスケを通じてコミュニケーションや絆を学んだ、自分は恵まれているというKDの言葉には嘘がないように思えた。家人が帰ってきたので33のやつをすこしだけ見る。シャワーを浴びてから早めに寝る。


2025/11/26 今日 5608
この日も朝から大手町に出勤する。自分の立ち合いは不要なのではないかと思わないでもないが、アクセスしやすいのと10時までに到着すれば問題ないのとで、行かないでおくということをあえてせずに律儀に作業の立ち合いをする。前日と同じく昼には撤収し、代々木上原駅内の中華でランチ。この日は豚バラと干し野菜の蒸しをチョイス。これのボリュームと味は病みつきになる。ご飯大盛りでちょうどいい量の豚バラ肉。
下北から歩いて帰宅して定例の打ち合わせ2件に参加。問い合わせにも適当に回答。インスタだかYoutubeだかに回ってきた10分で完全回復する昼寝の方法を試してみる。たしかに10分で回復した感じはあったが、「完全」にはまだ遠かったのでもっと回復しようと5分から3分の追加時間を設けた。翌日午前の打ち合わせの内容について確認してから定時30分すぎに退勤。スタバに行く。この日も『理由と人格』を読む。昨日「第十章 われわれは自分自身を何であると信じているのか」今日「第十一章 われわれは自分たちが信じているものではない。それはいかにしてか」を読む。重要なことを考えるとだんだんと胃の不調がやってくるように感じられる。これを突き詰めると胃痛にぶち当たるのではないかと思われるが、そうすべきと思う一方で、べつに無理せずこのままでいいのではないかと尻込みする気持ちもある。小説を書くときには自分にとって重要なことを考えずには済まない。そしてそれは苦しさを伴うものだということがわかった。嫌な、やりたくない、考えるのも苦痛な思考実験を経なければならないので、適切に痛みをパージしないと保たない。内臓に手を突っ込むということ、その必要がはじめて意識されてきた。電車のなかで読んでいる『カフカの絶望名言』にアテられているのは間違いなさそうだが、カフカは関係なくそれはそういうものだという気はする。それはそれとして『カフカの絶望名言』を読んで「自分はカフカではない」としっかり認識するのは大事なことだと思った。とくに小説を書こうとしている人間にとってその誘惑は無視できないほど大きいものだと思うのだが、それを誘惑と感じつつその無理を悟っていなければならない。そのために必要なのはカフカの文章を遠ざけることではなく逆にしっかり近づいて自分ではないと認めることだ。カフカの言葉を遠ざけると、おそらく自分自身から遠ざかるような感覚に陥るはずで、それは失点の大きい二重のミスだ。自分から遠ざかろうとするのもそうだし、そうすることで識閾下でカフカを自分と重ねてしまうのもそうだ。
真理そのものというより、真理に近づこうとする傾斜に触れたくて哲学書の類を読むということを自分はしているように思う。知という場所において重力の役割を果たすものがあり、そこに向かうものを見ていれば、多くの水の飛沫に触れられるにちがいないという直感にしたがっている。真理とされるものには自分がどうあっても許可できないものが含まれるので、それを掴みたいとは思わないし、姿勢を選べるのなら背を向けていたいとさえ思っているが、それはそれとしてそこに落ちていく者には関心がある。その関心は他のものでは替えが効かないと思っている。
パーフィットのもてあそぶ思考実験にはそれが結局のところ虚構だからという理由で不満がある。正確に言うと、虚構だからというのはそれ自体に問題はなく、部分的に虚構でありながら基盤を現実に置いていること、それによって浮かび上がる恣意性について指摘したくなる。”われわれ”に共通する関心事について語らないでは何かを語ったことにはならないと無邪気に考えていられることが”わたし”には不思議だ。SF的な思考実験によってパーフィットが進めようとしている思考は、まさにSFが担うべきところが大で、その効率もSFのほうが断然大きいのではないか。真理を追求しようという思考のデザインがおそらくはSFとは決定的に違っていて、それによって統合された思考であるというところに重要なこととするときの重さの比重が置かれているのかもしれない。いずれにしても真理追求の傾斜はつよく角度は深いので、ここまでのところ読み応えがあると感じられる。(ときおり意識が離脱しながら読み進めているが、10章と11章はほとんど離脱させなかった)

昼間に九番街レトロの雑談力の動画を見たが、雑談力の中身がなかむらしゅんに詰まっていた。実践上の参考にはまったくならないがAttitudeは超参考になる。動画

20251125

日記679

祭りはどこ

2025/11/24 昨日 25582
友人から久しぶりの連絡があった。休職からの復帰意思を聞かれている期限が近くに迫っているとのことで、無理をするのはよくないという無難なことだけ言う。メッセージのやり取りで「絶望」というキーワードも出たのでカフカの本を推める。
11時ぐらいに家を出てサンゾウトウキョウでカレーを食べる。12時前に入店したので並ばずに美味しいカレーを食べられ、かなり満足度が高い滑り出しになった。コルマカレーにはいつもよりたっぷりの玉ねぎが使われているような気がしたが、家人が言うには「いつも通り」ということだったので、いかに優れたカレーショップかということを再確認した。すこし分けてもらったペトラも牛ひき肉たっぷりでとても美味しかった。下北のランチでどこを推めるかという質問があったらつねにサンゾウトウキョウと答えるようにしておきたい。ので記憶を調整する。
井の頭線で渋谷に行く。目当ては渋谷PARCOの6周年祭。しかしそれらしい目立った催しはやっておらず肩透かしをくう格好になった。たのみの綱の屋上もイベント準備だかで閉鎖されていた。せっかくの秋晴れを無為にするようで心苦しくなった。ほぼ日のイベントスペースで「りんご狩り展かもしれない」という責任回避的なタイトルの催しがやっていて入場無料なので中に入る。いろんなりんごの紹介がされており、あまさMAX評価を受けていた「こうとく」と「シナノスイート」を食べ比べてみた。同じ値段とは思えないほどこうとくの圧勝で、蜜の量もみずみずしさもすごく、パイナップルにもなぞらえられるというキャプションについても納得のあまさだった。ドラえもんショップでかわいいミニドラのぬいぐるみに心を掴まれてあやうく持って帰りそうになったがすんでのところで我に返る。家人がさりげなく披露したミニドラのモノマネの出来がよかった。
渋谷PARCOに来たらそのあとは既定路線ともいえる代々木公園に向かい、ベンチに座ってドッグランを眺める。公園には平日金曜より人の量も多かったがドッグランに結集する犬の数も多かった。走り回る犬たちを見ながら賢犬のことをすこし思い出した。
代々木八幡まで歩き、シャトレーゼでシュークリームを買い食いする。中学の裏手にシャトレーゼの店舗があったのを思い出す。シャトレーゼには買い食いする場所というイメージを持っている。富士そばであたたかいそばを食べる。乱切りに特徴がある店舗なのだが、家人は常識破りの春菊天うどんを注文していた。これには驚かされた。粋ではないが乙かもしれないと思った。ちょっと分けてもらったがつるつるもっちりで美味しかったのにも驚いた。
一旦帰宅し、バスケの荷物をとって高円寺に行く。前日の練習でも足を使っていたのでいつものスネの痛みが出た。痛みのせいで全力で走れないのはつらいし悔しい。ひょっとすると床が硬いのも関係しているかもしれない。最後の方はアドレナリンのおかげで痛みを無視できていたのでスネの痛みについては早くその段階に至るのも手だ。帰りは参加者の人に車で新宿まで送ってもらう。会話のなかでタメだということが発覚する。タメの人はやっぱりもう大人だ。東京ででかい外車に乗っているというのも大人感を感じさせた。物質的な豊かさを享受している層で、高校卒業して以来話さなくなったタイプだったので新鮮な気持ちで会話を楽しめた。
帰ってすぐシャワーを浴びて洗濯物を回す。バナナを食べてプロテインを摂ってすぐ寝る。


2025/11/25 今日 5052
朝から出社なのだが、場所が大手町ということもありいつもより遅めの出発で間に合った。4連休のあとだったから憂鬱になりすぎないように、あまり頭を使わず足だけ動かして場所に行くことを心がけた。現場での待機時間に新しい小説の題が思い浮かんだのでその書き出しについて考えた。13時まで待機し、残りは在宅勤務のため帰宅する。代々木上原駅中の中華に黒酢酢豚を食べに寄った。
プライムビデオでゴールデンコンビを2話分見る。残念ながら面白いシーンは少なかったが、ゆりあん安村ペアが面白かった。と思ったら即最下位退場していて予定調和内とはいえ残念だった。すこしだけ頭を使う仕事をしてから写真動画データの整理をする。定時退勤してスタバに行く。図書館で再貸し出しした『理由と人格』を読んで日記を書く。
Vのことをシッダールタが悟りを開くために迷妄といって切り捨てた〈誘惑する悪魔〉の存在と重ねてしまう。われわれという言葉遣いをする言説ではなく、わたしという言葉遣いに留まる言説として文学の立ち位置はあると自分は思っていて、われわれ・ひとびと・花束に対する、わたし・ひと・花一輪の「輪郭の確かさ」を起点にして物事に向かい合いたいと思っている。覚悟することは一般の語法としても仏教の語法としても自分の興味の外にあるということを意識している。たとえば思考実験に赤子を用いるときなど、そうすることを何か不適切なことだと感じる感性が働くことがあると思うが、Vについてもそれと同じように彼を思考実験に供することを不適切だと感じる。Vは赤子とちがい社会的には存在を認められているとは言い難い部分もあり、それをするのはわたしの義務だとその分の責任を負おうとするところもあるので余計にそう思うのだが、その全体が迷妄で、真理に到達する差し障りになっていると言われたら、悟るためには切り捨てなければならないものだと言われたら、自分はわたしを超えた〈われわれ〉のためにそれをするだろうか。もちろんしない。わたしが何らかの意味でいまのわたしを超えていくために(どういう次第か)それが必要になったら、そのときはそれをするだろうか。たぶんしない。何かを捨てて得るものという発想そのものを疑うのは当然のこととして、どの回路をもってしてもそれをするようにわたしを説得することはできないだろうと、わたしは固く信じている。

20251123

日記678

VBD

2025/11/21 一昨日 15043
スタバを出たあと一旦帰宅する。荷物を置いてからすぐに出かけて代々木八幡駅の富士そばでもりそば(特盛り)を食べる。代々木公園まで歩きドッグランで犬たちを見る。ボール遊びが得意な犬とあまり得意ではないがやる気のある犬とやる気はないがボールには興味惹かれている犬とボールそのものに気を取られない犬見知り人見知りの強い犬がいた。手足の長い洋犬、フレンチブルの黒と白、柴犬という取り合わせだったが、性格が表れていて見ていて飽きなかった。しばらく見てから散髪のため千代田線で原宿〜日比谷まで、歩いて有楽町に移動する。バーバースタイルかつNYを意識した内装の雰囲気、阪急メンズ館7階という立地からレベルを推し量り、今の散髪屋に切ってもらっているスタイルをうまく引き継ぐかたちで切ってくれそうだと期待したのだが全然ダメだった。カウンセリングは口調ややりとりこそ丁寧だがこちらの意をくみ取ってくれるものではなく、ある髪型に当てはめるだけの通り一遍の内容だったので自分に合うとか合わないとかを一切考慮せずにしかも思い切りよく刈っていくという最低の組み合わせになった。出来には相当不満足で、鏡で後ろを見せられたときには思わず絶句してしまい、それまで内容に興味を持てないものの一応の受け答えをしていた会話が途切れがちになってしまった。不満だったらどうせもう二度と来ないのだろうし思い切りよくやってしまえという投げやりな意図さえ感じられて、初めての店に飛び込みで入ることの危険を知るようになった。料金は6600円もしたのでまあ仕方ないかとも思えずただただ残念でならない。バーバースタイルの店なのにフェイシャルエステやってますとか言っていて、店の志向と店員の特性がちぐはぐでまったく噛み合っていない。
お金さえ払えば良いサービスを受けられるというわけではないという当たり前の話なのだけどいざ自分の身に消費行動における明確な不満足が降りかかるとこうやって愚痴を言いたくなる。ただ気を取り直してこの日のメインイベントである家人の所属する吹奏楽団の演奏会を聴きに錦糸町まで移動する。帰宅ラッシュに巻き込まれないようにするため、17時ちょうどに有楽町〜秋葉原〜錦糸町と乗り換える。開場まで時間があったので吉野家で唐揚げ定食を食べてから会場のすみだトリフォニーホールに入る。立派なホールで客入りもほぼ満席ぐらいだったのでもし自分が演奏するとなると気圧されるだろうなと思うほどだった。フィンランディア、芥川也寸志の管弦楽団のための曲、アルプス交響曲の3本立てでどれもよかったが、芥川也寸志の曲が音の響きに圧があってとくに良かった。
撤収後の家人と合流していっしょに帰る。打ち上げるためトリキに行きたかったが靴ずれが危ぶまれるということで無しにして、家での晩酌にノンアルビールで付き合う。


2025/11/22 昨日 5285
朝起きてボードゲーム会などのイベントに友人を呼ぶために家人とルンバに掃除をしてもらう。BGM代わりに33のやつのゲームプレー動画を流す。
12、13、14時と時間おきに参加者の友人が集まり、ポーカー大会のための写真撮影とボードゲームをする。1日がかりで20時ぐらいまでチャオチャオ、タイムボム、ポーカーで遊ぶ。ハンコを持ってきてもらっての頼みごともきいてもらい、記念撮影もして、とても楽しい特別な日になった。


2025/11/23 今日 27129
朝はゆっくり出かける準備をして過ごし、歩いて松陰神社前まで行くことにする。途中橋を渡った先のパン屋で朝食をとり、ゆっくり歩いて目的地に向かう。
既定の用事を済ませてから松陰神社前駅前にあるご飯屋を物色。煮干しラーメンの店JINに入る。麺量がしっかりあるおいしい煮干しラーメンで満足した。来た道とは違う梅ヶ丘駅経由の道を歩いて帰る。
家人は予定していた友人との恵比寿での会食に出かける。家で千秋楽を見る。まさかの大の里の怪我による休場で、優勝はアオニシキと豊昇龍によって争われることになった。優勝は琴櫻を破って優勝決定戦に進んだアオニシキのものになった。低くて強い当たりで豊昇龍はすごく取りにくそうに見えた。大関昇進と優勝という結果を得てアオニシキの破竹はどこまで続くのかが楽しみだ。
狛江までバスケの練習に向かう。シュートフォームのチェックを兼ねたシュート練習をする。狛江食堂で生姜焼き定食を食べて帰る。

20251121

日記677

大崎乗り換え

2025/11/18 一昨昨日 20932
朝から出社。仕事終わりには月島でバスケがあったのでボストンバッグを持って早めに家を出る。ギリギリの時間になるとエレベータが混むのでそのときにボストンバッグを装備していると邪魔かなと考えてのことだったが、縦に持つことであまりかさばらないということに気がつき、結局杞憂だった。午前中にはグループ横断の定例ミーティングがあり、グループで「最近チャレンジしたこと」について喋らさせられた。バスケ、演劇、小説、何を言ってもパーソナルをさらすことになるので、自分のなかではもっとも無難な内容と思われた「タイピングでホームポジションを身に着けること」という内容で喋ったのだが、周囲を見渡すとそれでも十分浮いていたような気がする。バスケあたりの話題が一番差し障りもなくそれなりにそうなんだと思われる内容だったとは思うが、自分なりに一生懸命やっていることを勤務場所で言うのは憚られる気持ちが働いた。背が高いですものね、という処理のされ方を嫌ったのもある。あきらかに先回りしすぎだが、それでもそうなるのは見えているわけだから、見えている以上回避するほかない。相変わらず仕事が忙しく、これが繁忙期というやつかと思わさせられる。たぶん去年もこの時期に忙しかったはずだが、覚えていないし思い出そうとも思わない。
定時退勤できず20分程度の残業になる。バスケが控えているので気が焦ったが、最短最速の経路、泉岳寺〜大門〜月島のコースと電車に乗り、開始時間10分遅れでの到着になった。アップ時間帯にシュートを打つ。脚が痛くて集中力を発揮できず、この日もシュートは諦めてただ走ることだけに意識を向けて、攻守のトランジションによるアップダウンを厭わず走り切ることに専念した。そのおかげでバスケ終わりの飲み会でも疲れ切ってろくに喋らないことになるかと我が事ながら危ぶんだが、タベルナというスペイン料理店の雰囲気がちゃんとスパニッシュだったこともあって陽気な気分を取り戻し、アルコール無しで会話を楽しむことに成功した。年下も多く、気を遣わせる側になっているので、会がもっと楽しくないと彼らの収支が合わないのではないかと思わないでもないのだが、まずは自分が楽しいということがその雰囲気が伝播するという意味でも大事だし、そもそもそこまでのサービス能力を持ち合わせていないので、いつもの通り”ニコニコして楽しそう”のポジションでうすぼんやりしていた。ただひと盛り上がりふた盛り上がりして、ピーク時間にお会計ということになれば言うことなかったのだが、すこしうだうだする時間があった。翌朝も出社なので寝不足が確定していたのもあって気を揉んだわけだが、これがアルコールを摂っていれば気にならない時間の筆頭なのかもしれない。場が盛り上がっているときにはアルコールなしでも一切気にならないが、こういうエアポケットに入ったタイミングで意識レベルがシャンとしていると、これけっこう無駄な時間だなという無駄な感想を抱くことになりやすい、ということを発見した。酔っ払いはすべてを鷹揚に受け流す能力に長けており、時間感覚も独特の緩み方をするものだから、比較的楽しい記憶が蓄積されやすくなるのだろう。ネット広告で流れてくるクソゲームにハマってしまっているという話で盛り上がったのが面白かった。あれに引っかかる人本当にいるんだという第一感をやり過ごし、どういうつもりで? と思って話を聞いていると、単純作業で頭を休めているのだということがなんとなく見えてきた。それでも、そのことを理解したうえでもやらないほうが良いと思う。とりわけ絡まった紐を解くゲームにハマっていてすでに1000ステージめに突入しているとか言うのには突き抜けた面白さがあった。くだらないことのくだらない部分に特有の良さがあり、飲み屋で話す話題として絶好のものだ。あとは性格診断と恋愛性格診断の話。こういうときにすぐ診断結果の奥側の話をしたがる自分は、先を急ぐ旅人のようで、いかにも無粋だということも思うので、口をつぐまずにはいられなかった。恋愛性格診断のパーフェクトカメレオンという結果は自分のなかでは恥だと思うところがあるので、何回かやって得た結果のなかでもっとも自分に合うと思われる恋愛モンスターの結果を公表することにしている。ウェルテルだってクレエゲルだってそうだろう。まあ話せなかった話の話をしてもしょうがない。とにかく面白い座組の飲み会だった。人のことを知りたいという願望がある程度満たされ、もっと知りたいと思うところで終わる、そういう意味で理想的な飲み会だった。


2025/11/19 一昨日 9844
朝から出社。6時間睡眠で予定通り寝不足なのだが、そこまできつい症状はあらわれず、仕事が忙しい一日になることは確定していたし、どうでもいいことをやるのにはちょうどいい一日ということにして、しゃかりきに働いた。この日のハイライトはやはり打ち合わせだ。上司にあたる人たち相手に事情の説明をする会で、自分がドリブルしないといけない場だったので緊張した。こういうのはWebミーティングでも緊張するのだが、対面だったので余計に緊張した。何度かWebミーティングで経験しているし、まったくのお初というわけではないので、そつなくこなすとはまるで言えないものの、つつがなく終わらせることには成功した。この手の対人スキルというのは上達させていくものという考えがあったのだが、そういうわかりやすいレベルアップ・向上するようなものではなく、無理やりにでも回路を通すことで徐々に詰まりを取っていくような、泥臭い作業に近いということが何度かの実践を通してわかってきた。ストローの機能を十全に果たすようになってから先、ストローをデコるということが可能になるわけだが、経験前・視聴後の頭ではデコレーションの部分ばかりを見て本質を見落とすということが起こっていたのだと思う。うまくデコれないことを気にして、もっと上手に話すためのハウツーに手を伸ばしたりしても効果がないし、むしろ人によってはマイナスに働くかもしれない。それらは本を売るために書かれた文言でデコられた本にすぎない。うまくやっているように見える人のモノマネをして”うまくやっているように見える”を手に入れるというのもひとつの経路なのだろうが、人それぞれに適したやり方があるなかでそれ一辺倒になるのはどうかと思う。
定時退勤後、LUFTBAUMに行く。会期が終わったイベントで使われていた飾りの枝を配布していたのでありがたく頂戴した。いまLUFTBAUMは穴場だと思う。おしゃれアレルギー持ちの人には居るのが難しい空間だろうと思うが、おしゃれということを気にしない人にとっては居心地のいい場所だと思う。空間のデザインが面白く、これまでにない体験ができる。ほの暗い・リズム音楽の一音一音が強いなどの特徴がナイトクラブを思わせるが、天井が抜けているのと植物が生い茂っているのとで、あとテキーラが売られていないことで、退廃的な部分はかなり中和されている。選曲もChillな雰囲気なのだが、リラックスできるムードというよりは奥行きがありちょっと進むとRave感の層にぶち当たりそうな気配がある。
スタバによらずに帰宅し、晩ご飯に余った白飯とセブンのさば鬼おろしポン酢を食べる。家人にはリクエストのボロネーゼパスタを買って帰る。有吉の壁をすこし見て、たろちんのゲーム実況で33のやつを見る。ゲームは見るよりやるのが良いという考えなのだがPS5を買うわけには行かないし、たろちんがプレイするということに免じて考えを一時取り下げる。見ているだけでも面白いゲームの感じがある。


2025/11/20 昨日 11698
一日在宅勤務。前日に頑張ったので最低限のタスク消化にすればいいと思い、実際そうしたのだが、最低限の閾値が思っているよりだいぶ高いところにあり、結局一生懸命レベルで働くことになった。翌日に有休をとることにしていたので残業も小一時間発生した。途中空き時間には33のやつのゲーム実況を見る。#1を見終わった。ひとつの動画が4時間ぐらいあるので付けっぱにしてだらだら見るのに適している。
狛江まで出かけてバスケに行く。この日は脚の痛みも少なく、腰背中の痛みも弱かったので、つい嬉しくなって走り回った。アドレナリンもたくさん出ていたと思う。楽しかった。
バスケ終わりには狛江湯に行く。アイスバスのつもりで水風呂に長湯する。長い水風呂のあとにあつ湯に入ると、みるみる罪が赦されていくような錯覚におちいった。全身の血管がひらくのがじかに感じられ、危険な気もするのだが、そういう意識を置き去りにして遠くに飛ばされるような、えも言われぬ感覚がある。これは解放だ。
吉野家に行って豚丼を食べる。税込み465円、これで安いと感じられる。デフレの逆だ。帰りの電車と帰宅してから、33のやつのプレー動画を見る。


2025/11/21 今日 2677
8時半に起床。今日は一日休み。そして4連休のスタートだ。そのせいで昨日からずっと嬉しい気分が続いていた。一張羅に身を包み、服の合わせについて試行錯誤する。9時半過ぎ、本番前最後の個人練習に向かう家人といっしょに家を出て下北に向かう。セブンでパニーニを買って食べてからスタバに入る。日記を書いているうちに気がつけば12時を回ってしまった。今日はこのあと役所(あるいはタウンホール)に行って書類をゲット、家人のコンサートの時間までどこかに出かけよう。

20251117

日記676

月島の本場

2025/11/16 昨日 18212
どういうわけか6時に目が覚める。二度寝にもいたらず、無理に二度寝をしようとして朝の時間が消耗される。結局30分そこそこの二度寝ができたが起きるのが10時になる。計算が合わない。朝ご飯を食べてコーヒーを飲んで昼ご飯を食べてとやってるうちに14時になり、Bリーグを見る。レバンガ北海道と島根スサノオマジックの一戦。富永が3Pを決めまくって空けた差をほぼ埋めさせず危なげなく勝利していた。インサイドプレーヤーはシュートを外しても外したシュートを打った流れでリバウンドをとりセカンド、サードアテンプトに移行する。シュートの成否に一喜一憂せず、機械的に決めるまで動くことを決めているのだろう。OMGとリアクションするような無駄がないから外しているような感じがない。ハーフタイムに自販機で缶コーヒーを調達がてらボーナストラックまで散歩する。With Dogのイベントが開催されているからかいつにも増して犬がたくさんいて嬉しい気持ちになった。Bリーグの試合終了を見届けてから大相撲に切り替える。あとは久しぶりにWEB ACROSSの消費生活を読む。文面からこの人とは合わないと思う人の日記のほうをつい読んでしまう現象に名前はあるのだろうか。なければ名前をつけてやる。出かける前にバナナを食べる。部分的に黒い傷んだところがあったのだがそれが気持ち悪くて普通の箇所を食べながらえずいてしまう。幼い頃にもバナナを食べて食感が気持ち悪くえずいてしまい、それをきっかけにバナナが嫌いになったということを思い出した。大人になった今、えずきの原因を割り出し排除することで対処でき、バナナを2本完食することに成功した。でもまあバナナは当分いらないかな。
17時ごろにバスケショップでインソールとコンプレッションレギンス(ふくらはぎ)を買うために渋谷に行く。店員さんに相談しながら自分に合ったものを購入できたという満足感がある。自分がどういうものを探していてどういう志向があるのかを伝えてそれに合ったものを紹介してもらうという、買い物上手が無意識にしているような動きができた。効果のほどは実際に装用してプレーしないとわからないが、プラシーボでもなんでもいいので効けばいい。
高円寺に移動する。遅刻ぎりぎりの時間だったので新宿から快速に乗って中野で各停に乗り換える。おかげでオンタイムで体育館に到着できた。購入したてのギアを装備してバスケに臨む。効いているのかどうかはわからないが、ギアを装備している以上やるしかないというモチベーションのエンハンスメントはあっていつもより動き回ったと思う。実際、疲れの限界ぎりぎりまで動き回っていてバスケ終わりにはいつも以上にクタクタになって帰宅するのにも一苦労だった。相変わらず足の痛みはあったものの、もしインソールを替えていなければもっと痛みが出たかもしれないといえるぐらいの痛みにとどまっていた気がする。とはいえ痛みはあったし程度について比較することはできないので確かなことは言えない。
最寄りのローソンで200円引きのデミハンバーグ弁当を買って帰る。洗濯機を回しシャワーを浴び、ご飯を食べて洗濯物を干す。翌朝は出社なので23時半にはベッドに入った。


2025/11/17 今日 7275
前日は疲れすぎて体力の低下から風邪を引くかもしれないと思っていたのだが、ぐっすり眠ったことである程度身体の疲れがとれたし風邪も引かなかった。なんせ天気がよかったので出社のために下北沢駅まで歩くうちに元気いっぱいになった。元気いっぱいは錯覚だが天気の効果はそう錯覚させるほどで、すくなくとも気分爽快にはなった。
出社して先週に溜め込んでいた仕事を消化しまくる。昼休憩をズラして食堂に行くと結構空いていて窓際のGW(ゲートウェイ)満喫席に座れた。ハヤシライス大盛りを注文する。たいめいけん監修とのことだったのだが、監修されているだけあってなかなかクオリティのあるハヤシライスだった。昼からもしゃかりきに仕事をこなし、気がつけばあっという間に定時になっていた。なぜという理由もないがLUFTBAUMに行こうと思いたち、15分ほどじっとしてから山手線に乗って新宿経由で帰宅する。
家に帰ってMACをカバンに入れ、一張羅を羽織ってスタバに出かける。日記を書いて『イタリア民話集』を読む。お腹空いていたのと興味惹かれたのとでトリュフスープチーノなる新商品をモバイルオーダーする。お腹空いていたからかもしれないがはっきり言ってだいぶ美味い。コーヒーを飲んでいる感じは一切しなかった。ショットは入っていたのだろうか。調べたら入っていなかった。どおりでコーヒーの味が一切しないわけだ。
演劇WSの運営担当から当初の予定とは変更になる旨連絡があった。運営はボランティアらしい雰囲気に満ちておりいろいろと不安がある。WSの参加者を参加させないかたちでの決起会を組み込むところにも内輪で頑張ろうというスタンスが表れているように思う。滞りなく運ぶようにみんなで支える意識をもって参加するほうがいいのかもしれない。あれもこれもやるというわけにはいかないから、一点集中でやりたいという思いがある。いずれにせよ諦める言い訳にはするまいと思うのだが、自分の性向を考えるとじつはもう黄色信号だ。

20251115

日記675

黄字

2025/11/14 昨日 9093
スタバを出たあと、思いつきで定食屋ウルトラに行こうとしたが22時のLOを1分過ぎて入られず。もともとつもりをしていたかつやに入りカツ丼の梅を注文する。メニューで”本物のうまさ”を謳っていたのだが、その言葉に反さない”本物のうまさ”を味わった。とくに普段ダイエーの40%OFFになったカツ丼を食べている口にはガツンとくる美味さで、まだチェーン店でこんなに心動かされることがあるのだと良い意味で驚かされる結果になった。取調べ中に出されたら感動して供述を始めてしまうレベル。
とはいえ重いメニューではあるので一駅は歩こうと思い、経堂から豪徳寺まで歩くことにする。経堂から豪徳寺までの道に二車線の道路があるのだが、それなりの長さの距離を歩く間に一台の車もひとりの人も通り過ぎなかった。コロナの頃に森閑としていた街の様子を思い出した。外出自粛やマスク強制は嫌だが、あのときのアイ・アム・レジェンド感はもう一度味わってみたくある。整備された区画に人がいないというのは夢で見るような景色で、終末感があって現実感がなかった。豪徳寺に到着したタイミングで電車が行き過ぎたばかりだったこともあり、梅ヶ丘以降も歩き、そのまま下北まで行って帰宅することにした。家に到着した時間が家人の帰宅時間と20秒ほどしか違わなかった。
髪の毛がペタンコかつ真ん中分けになったので新しいヘアスタイルを模索する。どうやっても生え際の後退による毛量の減少をアピールするような前衛的なスタイルに近接するので、いっそ前衛的なスタイルを貫き通すほうが、それを隠せているつもりで傍目には全然隠せていないという悲しい事態よりいくらかましだというところまで考えて、なぜ時間を使い面倒を買って”まし”に至ろうとしているのかという真っ当な疑問にぶち当たって目が覚めた。やはり7:3ないし8:2分けの今のスタイルが至当だという結論にいたった。そのスタイルを採りつつ髪の毛を伸ばして様子を伺う。
くだらない動画を見て夜ふかしをしてしまう。残念だが遅い時間までカフェインを摂りかつ遅い時間にカツ丼を食べたのである程度は仕方ないことだった。


2025/11/15 今日 12318
9時半に起きる。メルカリで購入したブルゾンが到着する。ドキドキしながら開封。背中側の襟にごく細かな傷と見られるものがあって、その傷について出品者に質問する。クレームにして相手にダメージを与えないようにと注意を払ったが、それでもクレームに発展するのではないかと勘繰られたためだろうが、やや防衛的な回答に終止しており欲しい回答が得られなかった。仕方なく二の矢を放つ。それではっきりしないものの一応は納得できる回答があったので取引を終了する。この一連のやり取りでお互い神経を使いつつ、解決取引終了まで合計で5時間ほどかかった。去年一番高い買い物だったスマートフォンよりも高いお金を払ったのでそういうやり取りも仕方ないといえば仕方ない。人生のなかでもっとも高額な商品購入になった。
途中、公園まで行ってバスケのシューティングをする。シュートフォーム改善という課題がありその最中だからある程度は仕方ないが、シュートが安定せず成功率がかなり低い状態になっている。身体全体を使って、かつ効率よくエネルギーを伝える動き方を身に着けないと、遠いシュートのときに遠いシュートという意識があって届かせようとするところに意識を持っていかれすぎている。精度うんぬんの前にボールの飛ばし方については安定した出力を出せるようにしないと始まらない。40分近くで脚が疲れてきたので無理せずに切り上げる。半袖でも問題ないほど秋らしい好天候で空も高く、ただの帰り道も気持ちよかった。
帰宅後サッポロ一番を作ってうどんを一玉追加して食べる。かるく体幹トレーニング、腕立て(ナロースタンス)、ブルガリアンスクワットをして風呂に入る。
大相撲を見ながら新しい洋服をワードローブに迎え入れるための儀式(いろんなシャツとのコラボバリエーションの確認試着)をする。どの合わせ方でも決まる。本当に良い服で試着するたびに満足度が上がっていった。着心地には癖があるし、お手入れも欠かせない、着ているときにいろんな汚れに対して無頓着ではいられなくなるというカジュアルではない部分があるのだけど、あまり過保護にせず自分の形に馴染ませていくつもりで、これからできるだけ多くの時間をかけて着倒していきたい。
上の事情で大相撲はある程度流し見になってしまっていたのだが、豊昇龍ー玉鷲戦の立ち合い前の緊張感ある睨み合いと、決着直前の両者腕をだらりと下げた膠着状態の二回、わかりやすく目に見えるような火花が飛んでいて、電気が流れたように痺れてしまった。一瞬、時間感覚が変になった。
大相撲中継のあと始まったNHKのバラエティ番組でアンチエイジング技術について取り上げてられており、こういうのがありますという紹介の距離感が賛否を離れてちょうどよかったこともあり、すこしのあいだ見てしまった。パックンがトム・クルーズについてのコメントで「71歳には見えないですよね」と共演者に振っていて、それに応えるか応えないかの間で「そりゃそうだ63歳なんだから」と自分で回収していった一幕が上手だった。アンチエイジングとその願望、それに対する見方全体に向けられた批判を含んでいて、コメディアンだなと感心させられた。アンチエイジングというのは結局のところ”どう見えるか”に眼目があるということだ。くだらないといえばくだらない。
あとは写真をPixelに移してバックアップする作業をしてそのあいだ『イタリア民話集』を読む。
買った服を着て意気揚々とユニクロに行き、ベルトを見繕おうとするも思っていたより選択肢が多く迷いが生じたので、何も買わずに鏡だけ見て店を出る。スタバに来て日記を書く。仕事終わりの家人と合流し、ご飯を買って帰る予定(家人はお腹が空きすぎて途中で蕎麦屋に入ってしまったとのこと)。洋服のことはあまり言及されないように、言及されたとしてもまあまあまあと言って躱すことにしよう。

20251114

日記674

チェックイン

2025/11/13 昨日 19824
バスケに行く。背中の左右が別の理由で痛み、ちょっと飛んだりはねたりしているだけで脚も痛くなってきた。痛いところが増えすぎていて万全でやれる日は来るのか不安になる。やれることが増えているというわけではないが何となくこれだけのことはやれるというところにあぐらをかいて安穏としているようなプレーが増えている。もっとチャレンジしていかないと痛みもあることだしだんだん楽しみが目減りしていってしまうのではないか。そんななか、動き・判断・ボールの運び、すべてが早くてうまいプレーヤーがいてさわやかな風貌もあり勝手に”風神”とあだ名をつけているのだがそいつがこの日も大車輪の活躍を見せつけてきた。手合い違いというか、初心者を舐めるようなちょっと上手いだけのプレーヤーを叩き潰せるような実力者でもあるのだが、初心者フレンドリーな余裕をもったスタイルを崩さず自分自身も魅せるプレーを連発していて、バスケをしているのがさぞ楽しいだろうなと想像される。実際、華があって勝手に目で追ってしまうし見ているだけでも楽しかったりする。それ以外の良いなというプレーヤーは自分と同じぐらいのタッパがある選手で、ビッグマンとして要求されるプレーをこなしつつおそらく本人のやりたいプレーと思われるドライブやゴール前に突っ込んだ後のキックアウトなど、スラッシャー的なプレーに果敢に挑戦している。もっとバスケがうまくなりたいという素直さがプレーにも表情にも表れている。不調時に無理なシュートに行ってまずい感覚を強化したくない方針でシュートは控えめにする。シューティングでもアウトサイドは入る入らない以前に安定して届かないというレベルに落ちてきてしまっている。筋力不足と痛みが気になるのとが原因なのだと思うが、シュートフォームをワンモーションに変えようとしているのがあまりうまく行っていないというか、もっとモーション全体の流れがスムーズになるよう改善が必要だと思われる。行ける日には自主練習に行こう。
15分強を歩いて喜多見駅まで。その後下北で家人と合流し、新八食堂でご飯を食べる。仕事のWS運営がうまく運ばずアンケート結果が芳しくなかったという話をされ、その出鼻でアンケート結果をもっと割り増して考えたほうが良いよとコメントをしたところ、ブチギレが発生してしまった。自信があって駄目だったならショックだろうが、自信を持てるような内容ではなかったと本人も自覚しているということだったので、あとは具体的に何がわるかったのかという話をするのが重要で、そのためにはまずわるかったの部分のフィードバックについて正確に計量するところからだと思ったのだが、言い方に配慮がないというところとそもそもそのような改善要求があっての話し始めではなかったという二点から不興を買う結果になったのだった。注文したトロニシン定食もあまり美味しいとはいえず、わりと散々な食事になった。食事を済ませてからも家人のイライラは収まらず、それどころか坂道を歩くにつれて増幅していったようで、坂の途中の道端にあった小さな瓦礫をやにわに持ち上げたかと思うと道路に叩きつける凶行におよんでいた。ビール一杯分の酔いも手伝ってのことだろうが、その思い切った行動に賞賛の気持ちが湧かないではなかった。自分は何杯飲んでもそういうことができるようにならないし、そんなんで酒を飲む意味はないよなと思ったこともあって酒を飲まないで済ませられるという判断に至ったわけだが、このときも人の行動を見て擬似的に酔っ払い気分を味わうことができたので、ますます酒に用はないのだと思った。必要があるとすれば気のおけない友人以外と同席するときの緊張緩和なのだが、できればそれも必須ではないということにしておきたい。年末にある職場の忘年会、あらたな演劇WSコミュニティへの参加時などが酒を必要とするシチュエーションにあたるわけだが、なしで済ませられるものか確認できるようなら確認したい。オークション形式で入札した商品を落札できてしまったので購入の手続きをする。1年半前から欲しいと思い、新しい服について見る機会があるたびに思い返し、メルカリを開くたびに見返す服だったので、ここで思い切って購入に至ったのは内的必然性のあることだと思っている。イメージの世界でこれは最高だろうなと思った商品で、実際にそれを手にすることでイメージを抜け出した現実になるわけだが、どうやって着てやろうかと楽しみ半分、うまく着られるだろうかとの不安4分の1、残りの4分の1は夢だったものが現実になるときに持っていかれる税金として購入金額といっしょに差し引かれていってしまった。


2025/11/14 今日 3873
一日在宅勤務。午前中に必要な連絡を一往復すすめる。『理由と人格』II 合理性と時間までを読み終える。午後はゆっくり身体の回復にあてる。大相撲をABEMAで見る。解説に自由度があってNHKの中継とはちがった良さがあった。
定時退勤し、結びの一番を見終えてからリハビリのため経堂に向かう。腹式呼吸を軸に動きを作ったうえできちんと効かせたい部位に効かせる体幹トレーニングのやり方と、解消すべき筋力の不足を教えてもらった。ヒンジ、四つん這い姿勢からの左右互い違いの手足伸長エクササイズを教えてもらった。本格的な痛みは去ったので今日をかぎりに止めようかとも思っていたのだが、最後だとしたら折角の機会なのでと、バスケをしたあとのすねまわりの消耗についても相談したところ、次回までに調べておいてもらえるということになった。機能の増強ができたらもちろん言うことないのだが今まで通りのプレーが続けられるようなケアの観点からももうすこしリハビリには通おうと思う。駅前の図書館に行って貸し出し資料の延長をしようとしたところ、『理由と人格』の予約が入っているということで、かわいそうに思いがけず返されていってしまった。せっかくきたのでということで館内を物色し、『絶望名言』というNHKラジオ便が書籍化された本を見つけたので一気読みした。やはりというかなんというか、カフカとドストエフスキーの回がとくに濃かった。ラジオなので途中に曲が挿まれるのだが、やっぱりさだまさしはつよい。あと、『ゲーテはすべてを言った』でもたしかそうだったと思うのだが、グールドのゴールドベルク変奏曲は55年よりも81年のほうが評判が良いようだ。
スタバに来て日記を書く。隣にテコンドー道場の先生とグローブなどの営業もやっているとおぼしき格闘技トレーナーらしき先生が座って、ミットをパンパンパンパンパンとさせたり、作ったグッズの話をしたり、ワンピースにドハマリしているという他愛もない話をしていた。一番気になったのは声質とうっすら関西弁の話し方がさらばの東ブクロに激似だったことで、発声の仕方なんかはもはや寄せに行っているのではないかと疑われるほど似ていて、モノマネだとしたらかなりの高クオリティだった。暗いなかにも人の流れがよく見える窓際に座って、閉店の22時前までいた。晩御飯を食べて帰ることにする。

20251113

日記673

日向ぼっこ

2025/11/12 昨日 11955
朝から出社。小忙しい時期に入ってやや面倒だが仕方ないので仕事をする。午後から外出する用事があったので昼すぎに高輪ゲートウェイを出て新宿に向かう。存在だけは知っていた嵯峨谷の京王モール店に行く。さすがというべきかべつのそば屋よりも目に見えて繁盛していた。鯵ほぐし丼セットを注文するも、間違えて温かい蕎麦にしてしまう。しかしたまたま聞いていたダイアンの東京スタイルで温かいそばについての会話があったばかりなのでたまにはいいかと黙って啜る。当たり前だけど温かい蕎麦もおいしかった。駅から15分ぐらい歩く場所で用事があったのだが、真夏に来たときには心底いやだったのに比べて秋の気候のなかで歩くのはそこまでいやではなかった。仕事の人々と一緒の空間にいることの気詰まりはあってそれがすこし気になったぐらい。帰りのエレベーターでアイスブレイクの小話を繰り出してきた営業のおじさんはさすが長いこと営業をやってきただけのことはあるなとちょっと感心する小話をしてきた。なんでも女子校の近くの駅に向かうときの電車の中で女子校生が40人ぐらいぞろぞろっと入ってきて自分ひとりに対して女子校生が40人ぐらいいて、あとにも先にもこれ一回きりだろうと思ったちょっといい匂いしたという話だった。4階から1階までの時間配分がぴったりだった。
そのまま下北まで戻りスタバに入る。メルカリで衝動に従って高い買い物をする。宵越しの銭は、というわけではないが、いつまでも溜め込み欲しいものを買わないで済ませるのはナンセンスだと思ったので。言ってそこまで溜め込んでいるわけでもなし、吐き出す量もなかなかの額になったので何がナンセンスなのかわからなくなってきた感はある。『現実とは何か』を読み、一気に最後まで読み終える。共著というところも含めて魅力的な話だと思った。(コーエン兄弟がふたりで相談しながら映画を撮っているような)自分が聞きたいような話を数学・哲学の言葉を使って語り聞かせてくれているような感覚があり、理論構築については二の次ということにして読み物としてたのしんだ。語りの終え方などもすぐれた散文作品のようで『重力の虹』のような完結(完結しない)感があった。


2025/11/13 今日 6543
朝から出社。頭を使わさせられる確認調整の仕事をしてから午後から在宅勤務に切り替える。
定時退勤してバスケに行く。空き時間に呪術廻戦を読んだ。人のことを思って何かを言う虎杖の表情は琴線に触れてくる。
喜多見駅で花を買おうとするも現金を忘れてきてしまい買えず。あわててサミットに入って花を見つける。値札等を見ずに良さそうなものを選んで買ったのだがやけに値段が安く心配になる。不安が的中し仏花として売られていた小菊を買ったのだった。体育館まで15分強の道をトボトボ歩く。まあまあ下がったテンションをバスケでは上げたいが果たして。スーパーの袋大2枚で包んだ花が邪魔だ。。

20251111

日記672

ゴーアラウンド

2025/11/09 一昨日 16998
朝からスタバに出かける。『理由と人格』を読んでから自分のインスタアカウント「上から目線ストリート」についてしばらく考え事をする。もうすぐ1000投稿が迫ってきているので、ここまでの営みについて総括ではないが振り返ってみるということをしたいと思ったのだった。
家人がフルート・ピッコロ練習を終えたというので下北で合流。ダイエーで食事を調達して帰ろうということになったのだが、食指が動かず、結局食べて帰ろうということになった。買い物袋を携えて適当な飯屋を見つけようとする。最近駅前にできた札幌ラーメン屋ガクに行こうとしたがバイトが休んだのかいつもこうなのかわからないが、席は空いているのにウェイティングリストに記名させられ、先に席についているひとたちのテーブルにもラーメンが提供されておらず、回っていない感がアリアリだったので(アリアリして)別の店にする。何度も行っている安定の歓迎にする。中華そぼろ丼と五目焼きそばセットでじゅうぶん満足いく食事になってよかった。
一旦帰宅して買い物した荷物を置き、バスケ用のボストンバッグに持ち替えて、散歩がてら再度下北に繰り出す。家人が読みたいということだったのでビレバンで買い抜けのあった呪術廻戦の27,28巻を買い足す。これで7巻から全巻揃った格好になる。駅で解散し狛江に向かう。背中の痛みは快方に向かっていて2日連続でバスケをしても平気だと感じられるぐらいだったのだが、脚の疲労はいつも通り発生しており、打撲になっていた左脇腹も気になって全然動けず、この日も2日連続でバスケをするほとんどの日と同様消化不良になってしまった。何度も同じミスをしてしまう。いつも痛みに慣れて無視できるようになってきた頃に終わってしまうので余計に消化不良感がつよくなる。こういう不調な日に無理にシュートを打って外し、シュートを外す感覚を強化してもつまらないのでシュートを打つのを控え、速攻に参加するかパスで走らせるかというプレーに軸足を置くようにした。バスケ式のエクササイズをしているつもりで走れるだけ走った。帰りがけに小雨が降っていたのでバスで駅まで戻り、銭湯で温冷交代浴をする。水風呂時間を長めにとって疲労回復に努めたが、効果の程ははっきりわからない。じっくり冷やしたのでしっかり冷えたのはわかった。そうなってからあつ湯に入ると血管がひらくのがわかる。そのオープンする感覚は脳をはじめとした神経にもダイレクトに効いている感がある。これまで味わったことのないすこし締め付ける感覚もあってこれが倍加するとやばいだろうなという気がした。
帰宅してハッシュドビーフならぬハッシュドポークをハヤシライスとしていただく。じつのところシチューだと言っていたような気がするが、ハヤシライスとして美味しくいただいた。翌朝の出社に備えてすぐに寝る。


2025/11/10 昨日 8946
朝から働き、午後からも予定に反してオフィス勤務になって働く。二人体制で優秀なバディがいるにもかかわらずやるべきことが多くなっている。これは黄色信号だ。それでも早退して気になる映画を見に行くことに決める。気になっていた『見はらし世代』。予告を見て嫌なカットがなければ見に行こうとyoutubeを開き、かなりからい見方をしたのだがわるいところはなく、むしろ良いのではと思わさせられた。渋谷が登場人物になっていることもあり見に行かないで後悔するのは嫌だったというのもある。結果、見に行ってよかった。しかし、ちょっと食らってしまったほどで自分に遠慮して安易によかったというのがはばかられるところもある。トーンが抑えられていて無理なセリフがない。とくに街の撮り方がよかった。この場所知っているというのに加えて”同じものを見ている”という感覚が離れない。電球が落ちて割れるシーンも最高だったのだが、そこからの展開も動きがありつつ無理なことをしていないというバランスで、超自然的な現象を含んでいても変な振りかぶりも言い訳も開き直りもなく、深く踏み込むために必要な条件が揃ったからこれで踏み込めるという淡々とした筆致でよかった。音楽も効果的で、どのシーンでも印象的に鳴り始めるのだが違和感はなく、その場面の映像と映画全体に馴染んでいる。結び目をほどくことで解消してしまわないようにするのが大事なことで、それが共有されている関係だからこそ結び目をほどこうとしてさらに印象に残ろうとするのも共感するし、ずっと後景にあったものを前にせり出させる結びのやり方は気持ちいい。アカルイミライのように段ボールを蹴っ飛ばすアクションはないが、その代わりにすーっと移動して前に出てくるシーン。電動キックボードの乗り物としての乗り心地は、視点が高いことで視界が開けているところに特徴があり、その感覚を捉えてうまく映像に翻訳していると思う。温かいそばに最近目覚めたんですよねというどうでもいい話を、そばはあまり食べないけど沖縄そばは好きですというこれまたどうでもいい話で受けるのも、愉快でならない。濱口映画を見て映画って面白いなと感じるような方向での映画の面白いところがあり、そのエッセンスが詰まっていた。好きな俳優を目当てに期待して見に行くという映画体験の対極とはいわないが対向にある。


2025/11/11 今日 2774
一日在宅。午前在宅で昼から出社のつもりだったがキャンセルした。朝食にはクロテッドクリームをたっぷり塗ったスコーンをいただく。洗濯物を回したり仕事をすすめる。昼ご飯には冷食のビビンバ。オモコロでヘルパゴスをやる回を見る。この人たちは面白そうにボードゲームをする仕事が本当に得意だなと思う。ボードゲームを開発したら遊んでほしいユニットの筆頭にあがるのではないだろうか。結構取られそうだがとりあえず見積は提示してもらいたい。社内外の関係者との打ち合わせ、チーム内での認識合わせ、関係部署に課題を伝えて、とオンライン会議を3本こなす。大相撲九州場所が始まっていることにようやく気づき、三日目から見始めることにする。明生が休場しているのが心配だ。無理しないでほしいができたら今場所中に復活してほしい。
退勤後スタバに行って『現実とは何か』を読む。決定論についてそれでは論にならないと反駁していたが、そんな必要はあるのかと疑問に思わないでもない。しかしこういうのはきちっと潰しておかないと厄介なほどにはいまだに存在感がある考え方ということなのだろう。論外としりぞけて終いにする無責任な姿勢をとりがちなので、そこは素直にえらいなと思わせられた。日記を書いて21時頃にスタバを出る。今夜はキムチ鍋という話。ここまでのところ秋も頑張ってくれているがこの頃はさすがに勢力を失っているようなので、だんだん温かい料理が楽しめる気候になってきている。

20251108

日記671

2on2

2025/11/06 一昨日 9745
フルートのレッスン終わりの家人と合流し、経堂の洋食屋ウルトラで生姜焼きライスセットを食べる。やすい定食屋の倍ほどもする値段なのだが、肉の厚さもみそ汁の具材も贅沢レベルで充実していた。こんな定食を毎日食べられる身分になったらそれは成功者の称号に値するのではないかと思った。カウンターの席で無差別殺人事件を話題にしてしまい、そこまでやかましい音声ではなかったもののもし聞こえていたら周囲の顰蹙を買ったかもしれない。せっかくのおいしい食事が台無しとまではいかなくともケチをつけることになっていたら申し訳ない。ただ、自殺をえらぶぐらいだったらめちゃくちゃをするという選択は個人の観点からは非合理だとは思えない。周囲の人に迷惑をかけたくないとか、なんだかんだ社会(にある好きな物事)のことが好きという反対側からプッシュされるなんらかの理由があれば話はべつだが、天涯孤独(と心底から感じられているよう)な人物の場合その紐帯は機能しないわけで、あとは個人の思いつきというか実行のタイミングで思いつくかどうか、ようするに確率の問題という気がする。そしてその母数は一気に増えていきそうな感じがあり、社会はその抑止について真剣に考えないといけないのではないか。効率の良い鬼狩りの方法ではなく、鬼を生まない方法が考えられるべきだ。大人になってから仕事とは関係ないコミュニティに参加したり、友人たちとユニットを作るような営みについて教育やガイドがあってもいいし、結婚以外のステディな人間関係のバリエーションもいろいろと仕組み化されてもいいのかなとも思う。鼻つまみ者問題、コミュニケーション煩わしい問題、メンバー固定されすぎ問題といろいろなレベルでいろいろな問題が考えられるので十把一絡げにこれがいいということもできないし、個人としての目指すべき目標として「なんでもいいから趣味を持て」というビタミンサプリぐらいのゆるい効果しかないことしか言えない。酒も飲まず帰ってすぐに寝る準備をして寝る。


2025/11/07 昨日 9128
寝坊しそうになる。早めに設定した目覚ましを止めて二度寝してしまい、何かが遅れれば即アウトというぎりぎりのタイミングで奇跡的に目が覚める。時間がなさすぎて逆に冷静になり、一切選択をミスらずに遅刻を回避する。朝から優先度の高いタスクが積まれていたのでせっせとこなしていたら自分がファシリテートしなければならない打ち合わせがあったのを忘れていて準備ゼロのまま参加することになる。週明けに打ち合わせ設定したのでそもそもリスケでキャンセルすればよかった打ち合わせをキャンセルし忘れていたということに打ち合わせ中に気がつき、「オンライン集合してもらったところわるいが今日は解散」と言って解散にする。それだけのことに焦って冷や汗をかいた。そのあとにもスケジュール遅れが発生しそうな案件について、客側からのプレッシャーと遅れの原因との板挟みになり、原因について詰めるよう要求されていたのだがそんな目くじら立てんでもまあええやんかと思って客側からのプレスを無視していたら、おい無視すんなよときっちり詰められる結果になった。たかだか利益や客の信用のために他人を攻撃するようなことはしたくないし、すまん、すまんな、すまんかったななどと言っているほうが心理的にラクだということにあらためて気づいた。こんな性格ではビジネスでの成功など望むべくもない。ハキハキと喋れない、そもそもどうでもいいと思っているのを隠せない、後回しにすることも後回しにしたことをうっかり忘れていることも多いなど、そのほか無数の理由があるのだが、物に即した成功などくそくらえだ。仕事なんだからちゃんとやれよという圧にはできるだけ抵抗を示していきたい。そうは言ってもお金は必要なのである程度は自由な時間とトレードオフになるのは避けられず、そうである以上できるだけ割の良いレートで交換したいという欲求は当然ある。
お昼時間には同僚と食堂で飯を食う。資産運用(株売買)での目覚ましい成功の途上にあり、目標は3,4年で家を買うことだと豪気なことを述べておられた。最近は住宅系Youtuberを見ているとのこと。目的をもってそこに邁進する良さというのは、目標そのものに共感できずとも心で理解できるので、前言と食い違うようだが素直に応援したいし、なんだったら株式についてはノリ打ちをさせてもらえないかと思っている(しかしよくよく考えるとそこまでのリスクはとれない、インデックスで手一杯)。そのほかゴルフ(社内のゴルフコンペ)に行きませんかと誘われる。ゴルフコンペの幹事をさせられて大変らしく、ゴルフ自体は面白いのだが、自腹になる会費、早朝からのドライブになって帰りは渋滞確定など、気づけばマイナスなことばかり話していて、きれいなサラリーマンのムーブだと感心させられた。本人もそのあたりを自覚していて、半ば楽しんでやっているようなのがよかった。会社員のコスプレとしても本物顔負けの再現度で、ただスーツを着て満員電車に乗って通勤するという浅めのコスプレしかしていない身からすれば誠に恐れ入りますという感じだ。幹事じゃなかったら楽しめるんですけどねという苦味のあるコメントも堂に入っていた。
定時に退勤し、新宿経由で下北に戻る。翌日のバスケの大会への助っ人要請の連絡が入る。背中の痛みもだいぶ落ち着いているので参加する旨返事する。『現実とは何か』『ファウスト』を読む。ファウストの第一部を読み終わった。訳文は散文体の完成版というだけあって読みやすいのだが、挿絵の絵柄が気に入らない。挿絵なしのバージョンがあればそれを読みたい。悲劇と書かれているがどこかコミカルな雰囲気を表現したいのかもしれないが、訳文だけでじゅうぶん感じ取れるから蛇足だと思う。
スタバを出て梅窓で肉うどんを食べる。温かいうどんがおいしい。スープが沁みて仕方ないので全部飲み干してしまった。スーツだけでは肌寒い気温のなか帰宅。シャワーを浴びて寝る準備を済ませる。家人の友人が泊まりに来た。北海道のおみやげをたくさんもってきてくれる。前回の来訪時に持ってきてくれてたいそう気に入ったクロテッドクリームを今回も持ってきてくれた。「おかまいもできませず」という意味のことを2,3回言って寝室に下がった。翌朝バスケで墨田区に行くため7時起きの必要があったからだ。


2025/11/08 今日 14520
北千住経由で東向島まで行く。北千住のホームがターミナル特有の規模感で乗り換えが面白かった。早めについたので駅前のマクドでホットコーヒーを飲んで15分程度時間を潰す。会場に行ってあれよという間に試合が始まる。初戦はエンジンが温まる前に相手のペースに乗ってしまい、20点もの差をつけられて敗戦になる。2戦目はフィジカルのつよいチーム相手だったのだが良い試合になり2点差でからくも勝利。4Qでテクニカルファウルを受けてもらったボーナスFTを2本中2本外してしまい、あやうく戦犯になりかけた。…恐ろしかった。その後の攻撃を繋いでくれて、ナイスパスで汚名返上の機会をもらいイージーバスケットを沈めて試合を終わらせられて事なきを得た。大会は3チームそれぞれが1勝1敗と三つ巴の勝敗になり、得点差で3位になってしまった。しかし充実感があって楽しかったのでまた機会があれば参加したい。背中はもともとの負傷箇所は大丈夫だったのだが、逆側のあばらに肘鉄をくらい、打撲の痛みがすこしある。昼飯にも誘ってもらえたのだが用事があるといって離脱する。来た道をそのまま引き返すコースで帰宅して家で昼ご飯を食べる。ミートソーススパゲッティ。
呪術廻戦のコミックを読みながら洗濯物を回し、洗濯物を干してからスタバに行く。ぎりぎり満席の手前で滑り込むように着席できた。『理由と人格』を読む。日記を書く。

20251106

日記670


2025/11/04 一昨日 9282
スタバを出て家人と合流し、下北をすこし放浪したあげく松屋で鶏そぼろ丼を食べる。家人はなんとかいうカレーを辛い辛いといって食べていた。家人は好奇心を全開にしてミスばかりしている、自分は食べたことのある食い馴染みのあるメニューをリピートしがちになる、どちらがいいかという話ではなく、両極にならないのが良いのだろう。翌朝の健康診断にそなえて早めに寝てしまう。


2025/11/05 昨日 10895
朝から在宅勤務。途中、渋谷まで健康診断に出かける。アクシュという渋谷の悲しき建物を見る。盛り上がることはおろか、下手するとテナントが埋まることさえないのではないか。実際3つくらいのcomingsoonがあった。健康診断は一番簡単な内容だったのだが1時間すこしかかった。残念ながら効率化ができていない判定を下さざるを得ない。
昼からは午後休をとる。のどの違和感があって、それが風邪にならないようにと安静にする意図もあった。
映画館で鬼滅の刃の映画を見るために新宿TOHOに行く。IMAXレーザーというラージフォーマットで見ることでスパイダーバースが最高のアニメだと確認しておく目的があった。予期したとおり目的は果たされたわけだが、音の作り方など鳥肌シーンもあったし退屈しなかったので見てよかった。対峙したふたりを画面の左右端に配置して空間を見せる演出が特異で面白かった。
帰りにドンキに寄るが目当てのCBD商品は見つけられず。博多天神でラーメンを食べて帰る。


2025/11/06 今日 7566
午前在宅、理由と人格を読む。午後から出社し、大小の打ち合わせをこなす。行き帰りの電車で『ファウスト』を読む。
定時退勤し、新宿経由で経堂まで向かう。リハビリを受けて体のとくに固い個所を教えてもらい、お腹を締める感覚とストレッチを教わる。
スタバで『現実とは何か』を読む。

20251104

日記669

どうぞ

2025/11/03 昨日 8869
銭湯に行って2時間ほど湯に浸かっていた。炭酸湯と温冷交代浴と外気浴。輪郭が希薄になっているのではないかと思ったが、あがるときにタオルで身体を拭くとちゃんとそこにあった。つまらないといえばつまらない。
帰りの電車内か帰ってからかおぼえていないのだが、ショート動画を見ていると巨漢が向かい合って無防備の相手に張り手をみまう競技の動画が流れてきた。見たままの愚かさがあまりにも愚かすぎて擁護のしようもないと思ったのだが、そう感じるときにこそとも思い、しいて擁護しようとしてみた。しかし言葉を継げないどころか何も出てこない。やがて出てきたのは「自由」という一単語のみで、それを巨漢に適用させるためこねくり回そうという気も起きず、自由っていいよなと何がいいのかわからないようなことを口走って考えるのを止めにした。ともあれビンタ合戦なんていうのは短くてわかりやすい映像の極みだ。本人たちの動機がどこにあるのか、それ用にトレーニングを積むのかということがすこし気になった。本当に馬鹿馬鹿しく思えるのだが、格闘技全般が本質的に馬鹿なもので、最近見るようになった相撲にしても国技だの伝統行事だのと言うが、元はと言えば馬鹿祭りみたいなもので、今あるのもその発展形に過ぎないと思う。深刻な怪我を負ってまですることかというと、自分は全然そうは思わないのだが、当人たちの出で立ちや目つき、振る舞いなどを見ると、そして稽古量や食事のことを思うと、ほんのすこしも馬鹿にする気は起きない。しかし一方で、それとはべつの次元では馬鹿すぎると思わないではいられないし、ビンタ合戦にも同じように馬鹿すぎるという感想を持つことは避けられない。しかし、よく考えてみると、ビンタを食らって意識が飛ぶ瞬間のショート動画を面白がって見る視聴者のほうに馬鹿さの本質があるように思う。それの何が面白い? わからないけど面白い、つい見てしまうというところに根深い愚かさがある。
帰宅してから鶏肉と玉ねぎの無水料理の残りを食べる。翌朝は出社する予定なので23時半には眠りにつく。


2025/11/04 今日 6632
朝から出社。若干の喉の違和感があるのと背中が痛いのとで昼には帰宅し在宅勤務に切り替える。『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』を読んだり、ホームポジションのタイピング練習をしたり充実させることができた。
帰宅後にはすこしだけ昼寝をする。それでよくなったとは思わないが悪化もしなかったので定時退勤後スタバに行く。西郷甲矢人・田口茂の『〈現実〉とは何か』を読む。場についての考え方には納得できる。どういう理由からかはっきりしないままとりあえず自明のものとしている前提をそのまま前提しないことで、考えるための「場」が必要になるというようにも受け取れる話だと思った。また、「決定論を断念しなければならない」という論旨にはなじみがある。「驚くべき置き換え可能性」についても、内容だけではなく、むしろその外郭というか表現のほうになじみがある。どこに由来するものなのかはっきりわからないが、どこかでその考えに触れており、その考え方に感化され済という感じがある。ちょっと長いが引用。

こうして、統計的法則について語ることの意味は、絶えず変化し異なる多様な出来事のなかに、「驚くべき置き換え可能性」が立ち現われるという点にあることが見えてくる。いままで「法則」と呼ばれてきたものを、こういう意味で捉えなおすということこそ、量子論が科学にもたらした最も革命的な思考の転換であったと言ってよい。その上でわれわれが強調したいのは、「法則」とはいわばこの「驚くべき置き換え可能性」の一つの表面にすぎないのであって、その表面 (ないし上澄み)だけを残してそれ以外を捨てることは、「法則」そのものを無意味にするということである。「法則」が出てくればよいというわけではない。それを生み出す根拠がまさに「法則」のなかで書き切れないということを鋭く突きつけているのが量子論の扱っている事態なのである。
「法則」のなかで書き切れないものとは、単に法則から逸脱するものではない。むしろそれこそが「法則」を生み出すという側面をもっている。単に非法則的なものから法則が生まれてくるという発生論を述べているわけではない。むしろ「法則」なるものの存立そのものに関わるのが、ここでいう「書き切れないもの」なのである。「法則」は自己の存立の根拠そのものを自ら生み出すことはできない。かといってどこか他の場所で作られて外から現実に押しつけられるわけでもない。われわれが現に与えられている現象に即して法則を捉えるという営み自体が、「法則のなかに書ききれないもの」なしには成立しえないのである。『現実とは何か』51p


数学に対する違和感として、それを記述する無地の黒板は存在しないのではないかということを考えていたことがある。自分がそのとき数学として捉えていたものは数学の一部分にすぎないということがわかったので(おそらくたぶん……)、今はそういうふうには考えていない。しかし、黒板を仮定するという発想のなかには「場」の考えに近いものがあったと思う。また、物とそれがある場所とを分けて考える考え方についても「そんなの確定してないけどな」と言われるとそら恐ろしい感じがある一方でそうだよなと妙に納得してしまうところがある。位置情報はあくまでも相対的なものであって、絶対の位置を示すものではないと考え出すと、場所のことがわからなくなる。ただ、位置だけでなく時間も記録すればそれに何の意味があるのかは置いておいても情報としてより確かなものになるのではないか。


20251103

日記668

秋のブルー

2025/11/02 昨日 15835
洗濯機を回す。Eテレで現代音楽の演奏会を流す番組をやっていたので、すこしだけ耳を傾ける。合唱団がFoeverとEternalとを繰り返す歌詞と、楽団員たちを青く照らす照明の演出が夢のような視聴感覚を呼び起こした。寝不足状態でもあったので早く寝る。


2025/11/03 今日 6543
頭痛とともに目が覚める。二度寝をして治すのか、起きてしまって頭痛薬を飲むことで治すのかどっちつかずになってしまい、起き出しもせずに頭痛をそのままにしてつまらない動画を見て無為に過ごした。
10時半頃にようやく起き出して録画していた有吉クイズを見る。家人が作ってくれたたまごサンドのブランチをとる。結局この時間でも頭痛が取れなかったのでロキソニンとセットの胃薬を飲む。ストレッチをしてから『ファウスト』の音読をする。ひとりで読んでいたときに比べてうまく舌が回らない感じと口内が乾く感じがあった。前者はともかく後者はロキソニンの薬効の範疇だと思う。
家人の提案で代々木公園に出かけようということになる。提案されたのが13時すぎ、出かける準備が終わったのは15時、予定していたドンキでの買い物を終えたのは16時前という塩梅で、予想以上に寒かったこともあり代々木公園は取りやめにする。+CBDの看板で気になっていたタコスの店に入ってみる。CBN含有のソフトクランチを注文し、空腹の家人はタコスを注文。NYでの体験をもとに、CBD商品がどれほどの効果なのかを確認したいという意図で食べてみたクランチ(CBN200mg含有、CBD量不明)だが、食後1時間弱から3時間のところ、力が抜けるような感じと、こちらは電車に乗って座ったからかもしれないが眠気がある。行き交う人の顔を見つめるのが比較的平気になるという効果についても認められる。テンションが上がるというか可笑しくてたまらない感じ、頭の輪郭が膨張する感じ、部屋の空間、とりわけ角になる3本の直線に対するなぞの集中力は無いが、それらを感じていたときに同時に深刻さを我がごとの次元を隔てるようにして遠ざけるような虚脱する感じだけがある。そのなかでも眠気が強いから眠気を抑えようと眠ってしまわないようにと我慢するのがつらく、その苦痛が最前面に広く陣取っているのでチルが発揮されない。
狛江のスタバで『現実とは何か』と『ファウスト』を読む。MX-KEYS miniとエクスペリアの組み合わせで日記を書いてから、今日の目的地の狛江湯に行く。CBNだかCBDと銭湯は相性が良すぎるのではないかと思う。悟りがひらけるかもしれない。





20251102

日記667

時担当

2025/11/02 今日 15564
チーズナンの消化活動に手間取っていたのか胃のもたれのような違和感で2時すぎに目が覚めてしまい40分ほど寝付けず。睡眠時間がややショート、背中の痛みは残存という状況でバスケの大会に出る羽目になってしまった。悪化させないというのを第一義においてやるバスケはあまり楽しいものにならず、球際の弱さがいつにもまして露呈することになった。強く来られたときには強く返すということもできないのは難しいところだが、もともとのプレースタイルが背職を厭うものなのでそこまでの影響はなかった。シュートは相変わらずたくさん外したが、最後の試合で帳尻を合わせるかたちで入り始めたことで率が上がったので、腐らずにやるということの重要さを思った。試合後も背中の痛みが強くなっていないのでそれを一番の収穫とする。
行きと帰りの電車、帰ってご飯を食べてから『ファウスト』を読み進める。大学生の頃に第1部を読み終えたまま第2部にとりかからないままにしていたので、ここへきてようやくファウストに取り組むことができる。また1部で本をおいてしまうかもしれないし読む前から言ってみても始まらないことだが。
見るのを楽しみにしていた映像の世紀の「ニューヨーク・ニューヨーク」の回を見た。トランプ・タワーがどうとか、あまり興味のない内容が続いてがっかりだった。鶏肉とたまねぎの無水料理を作って食べる。

20251101

日記666

ビルディングロマン

2025/10/30 一昨日 10335
帰宅中に歩きながら考えた。日記というのはその日の記念をとるためにすることだ。たとえば2025/10/30という日付は当然ながら一度しか回ってこない。その仕組についていくら不満に思おうがそうなってしまっているし、30数年の経験則からも撤回される見込みは残念ながらうすいと思う。だから現実的に取りうる対抗手段はその日にあったこと見たものを記念にすることぐらいだ。そのニュアンスを汲み上げるために日記から別の言葉を象れないか。その日を記念にするということで日記念という言葉が思い浮かんだが、あまり語感がよくないのでべつの呼称を思いつきたい。アイデアとしては記念日日記というのがある。冗長だが同じ字を重ねることに効果を持たせられるのではないか。そうすると記念日日念記とすることでシンメトリーが得られる。通分して日念記というのはどうだろうか。やや仏教めくというか、仏門の門前にまで踏み入れている感があるが。しかしそれにしても、”記念”という言葉は上手な言い回しだと思った。単純な足し算の熟語ではなく、かけ合わせることで意味を前に進めているような熟語だと思う。
自分の場合は何かを思い出して書くということが基本だ。思い出すということ抜きには書けない。この先にあるものに対処するため、積極的に何かを得るために毎日運動しているわけだが、そういうモードとは全然別の働きかけを書くときには行っているという感覚がある。念記しているということかもしれない。もっとシンプルにすでにある言葉で、かつ別の意味を持たせて、記念しているということができると思う。できるだけ毎日記念していこう。


2025/10/31 昨日 1635
一日在宅勤務。酒を断ってからの一番大きな効果として、睡眠時間が伸びて深い睡眠の時間が増えたということが挙げられる。この日も8時間半超寝ていた。今日までの3日間の平均で言うと9時間にも届きそうな睡眠時間になっている。寝過ぎはよくないというのは俗説で、必要量以上は寝ようと思っても寝れないため睡眠過多にはならないと聞いてからこっち、一抹の罪悪感以外の余計な心配事はなくなった。
渋谷マブルスというアプリを見つけたので始めてみる。こういうアプリを始めようと思うときには気分が乗っているので、プロフィール作成に凝ってしまう。好き勝手やってやろうと思う気持ちがかかりすぎ、狙いに行って滑ってしまっているプロフィールができた。午後になってから冷静になってプロフィールの不要部分を削除する。こういう添削が必ずしも正確なのかというのはわからないが、自分で読んで滑っている認定されたものを自分のプロフィールとしてそのままにしていることはできない。肩書について書く欄があり、それについてひとしきり頭を悩ませた一幕が自分というものを象徴していると思った。5年前も10年前も同じだったわけだし、もはやそれで慌てるということもないが、5年後も10年後も同じところで頭を悩ませることだろうと思う。グルメにもサウナにもうわべの交流にも興味がないから、結果的に渋谷が好きという一心でアプリをやっていることになる。強いて言うならピックルボールをやってみたいので機会があればそれに飛びつくことにしよう。
夕方から雨が強くなる予報だったので外出せずに一日中家でダラダラ過ごした。『アンナチュラル』を最終話まで見る。テレビドラマだなという演出のいくつかには興味を持てないという以上の反感を覚えるという反応を返してしまったが、中堂というキャラクターを中心に見れば真剣に受け止められるところがあった。他人に手伝わせたから犯人を見つけられたが、そのために不純物が混入して当初の目的を達成できないことになったというジレンマは入れ子状の構成になっているし、コミュニケーションのクソなところとクソではないところをストレートに表現していた。


2025/11/01 今日 2102
9時ごろに起きる。スタバに行こうと思ったが満席だったのでべつのコーヒーショップの外席に座って日記を書く。通りがかりの人や犬を見る時間があってよかった。とくにGレトリーバーのふさふさの尻尾の揺れ方が素晴らしく、懐かしく感じられるものがあった。気温というものを感じないほどの抜群の気候で調子よく過ごしていたが、蚊が出現してぶちこわしになる。これほど小さな存在にぶちこわしにされる繊細な状態だったわけだが、2時間ほど楽しめてよかった。午後からは三鷹の友人宅に遊びに行く予定。
続き 9764
ノンアルビールを携えて友人宅にお邪魔する。子供がかわいくて驚いてしまった。座れるようになって両手が自由になったことで各種の遊びをするようになっていた。この日は笑顔が多く見られて月並みな言い方になるが天使のようだった。子供の親とストリートファイター6で遊ぶ。DJというファンキーなキャラを選択してご機嫌に殴り合いをしようとしたのだが、感覚に慣れるのに手間取ってジュリという意地悪女にボコスカやられてしまった。ハンデの付け方を覚えてからは一応勝負の形になって面白かった。配られた手札を使って窮地をしのぐボードゲームをして遊んだ。ボードゲームは会話を広げるための糸口になるが、つい甘えてその機能に頼りすぎになる。友人の妻が片思いのひとを振り向かせるためにけん玉を披露すると回答したところが最も盛り上がった。アグレッシブさと市民権のなさ(翻ってパーソナルな質感になる)の塩梅が抜群で、恋がうまくいくかどうかはさておいて、ながく相手の印象に残るはずだ。振り向かせるの解釈次第だが、かなり良い線をついていると思った。友人はこれに首肯しなかったので説得したかった。趣味を披露する時間は痛いという理由からだったが、その例に挙げていた昔友人の家で友人がギターを弾くのを聴く時間があり、この時間は何? と疑問に思ったことについては、一、ギターというありきたりな趣味、一、ただの友人関係で真剣に聴く動機がない、というところから同じどころか、似たシチュエーションだとするのも無理がある。
しかしとにかく、この日はアルコールなしで遊んで楽しいという感覚を得られたのがよかった。この感覚を各所でも適用できるように押し広げていきたい。夕飯の時間が近づいていたのでいいところで切り上げて帰る。酔っ払っていないのにもかかわらずヘッドフォンを忘れてきてしまった。
下北のバビシャーでチーズナンを食べて帰る。家人が模様替えでひいひい言いながら自分自身に働かされていた。自分の大量のTシャツを仕舞ってもらい、大量のスウェットを取り出してもらっているので理論上は恩義に感じていいはずなのだが、寝る時間近くになってもやっているので迷惑かもしれないと思っていたら、続きは明日やるということになってほっと一安心した。翌朝早くからのバスケの大会にそなえて寝る。背中の痛みが治りきっていないので不安だが、まあやれるだけやるしかない。

日記695

純雑居 2025/12/21 一昨日 13974 12月とは思えないほど気温の高い日だった。友人Tが東京に遊びにきたので東京駅まで出迎えにいく。秋葉原で開催されるVRのイベントに参加するということだったので秋葉原まで付いていった。最近体重を落とすために節制...