20250904

日記636

人の形

2025/09/03 昨日
いつも出勤するよりも朝早く起きて最寄り駅から電車に乗る。いつもは新宿方面の満員電車だが、この日は神奈川方面の空いている電車で座ることもできた。寝不足の分を取り戻そうと電車内ですこし寝ようとしたのだが行ったことのない場所へ行く興奮からうまく寝付けず。結局起きたままで目的地のある終点唐木田駅まで粗品のyoutubeを見て過ごす。ダチョウ倶楽部を考えようというアメトークの感想を喋っていた。すなおに感謝、という当たり障りもなければ意外性もない語りで、べつに良いんだけど面白い内容ではなかった。お笑いファイターという姿勢に面白いところがあるだけで、単純にネタや言っている内容の面白さで腹を抱えて笑うということはない。しかしこれは粗品に限ったことではなく、お笑い芸人の”まっすぐなお笑い”全般に疲れるという感覚を抱くようになっている。この傾向はここ最近になって顕著なので、自分の年齢によるところも大きいかもしれないが、最近の高校生はM1を見ないらしいというのに象徴されるように、お笑いのブームがゆっくり去りつつある空気感が醸成されつつあるのかもしれない。とはいえたとえそうだとしても2025年になってようやくということは言えて、お笑いはかなりのロングセラーだったし、時代を築いたということも言える。
笑いが必要なものではなくなっているとすれば、それだけリラックスした環境になってきているということで喜ぶべきことかもしれない。ハラスメントや嫌なこともすこしずつ減ってきていて、「笑わなやってられへん」という感じはなくなってきているようだ。
唐木田駅から18分ほど歩いて目的地に行って所用を済ませる。ただ居るだけの仕事・役割で、そこにあるのは個人ではなくアカウントだ。対価が支払われる以上そのことに不満はないが、個人の感覚にフォーカスするとバカバカしさを感じずにはいられない。現場作業に立ち会って、18分かけて駅まで歩く。この暑い中、こちらの徒歩移動のほうがよっぽど労働という感覚がある。自腹でタクシーを呼んで帰ろうかとも思ったが、お金をもらいにいくのにお金を払うのはナンセンスで自分の感覚的にも意味が通りにくかったので、自分の中でこれを労働と定め、汗をかくことに決める。本当に暑くて何回か悪態をつきながら歩いた。
帰宅し、これはさすがにということで在宅勤務に切り替える。最低限の稼働だけこなし、しっかり昼寝の時間をとった。
定時退勤し、友人と”サイゼ飲み”をするため日暮里に出かける。二人で飲み食いして会計が脅威の2800円だった。サイゼリヤらしくないおそらく居抜きの店内で、同じ目線で電車が走るビューもあり、これまでに行ったサイゼリヤのなかでもとりわけ優秀な部類に入る。8月末に仕事を辞めてもう転職先が決まったなどと、とりとめもない話をするうちに時間が過ぎた。
閉店時間が近づいてきたタイミングで男女の激烈な痴話喧嘩が始まった。男がやたらテーブルをバンバン叩くと思っていたら、それが5,6回続いたあとで突然女が反撃に転じ、「わたしこのひとをころします」と宣言していた。店員はたぶん半笑いの困り顔で不承不承テーブルに駆けつけ、与えられた役を仕方なく演じるように、男にのしかかり物理的にアタックする女を男から引き離そうと苦慮するポーズをとっていた。
友人は大阪万博に行くらしく、しかも目当てがアルメニアコーナーというそれなりにレアな客になろうとしているとのこと。アルメニアといっても全然イメージがない。日本の病院にあるような配慮がなく、透明な検尿の容器を持ち歩かされる動線になっている厳しい病院があるということぐらいしか知らない。
0時前に帰宅し、寝る前に家人と買ったばかりのボードゲームで遊ぶ。オモコロチャンネルで知った「チャオチャオ」というすごろくゲームだ。嘘をつかなければならない仕組みが設計に組み込まれている、よくできたゲームだ。しかし2人でやるとどうしても駆け引きの余地が少なくなる。今回はルール確認のデモンストレーション一戦で終わった。ちなみに嘘を見破られて負けた。


2025/09/04 今日
一日在宅勤務にする。仕事でやることがあったので働いたりもする。『折りたたみ北京』のなかの『龍馬夜行』を読む。機械の身体に魂があるということをこんなにすんなり受けいれているのは自分の世界観のなかにぼこがいるからだろう。その前提がなかったとしたらどんな感想を持つことになるのか、今の位置からは想像することがむずかしいと感じられる。龍馬というのは(りゅうば)と読み、頭が龍で身体が馬のロボットなのだが、どうしても「〜ぜよ」という坂本的なイメージが付きまとい、頭のなかの音声で(りょうま)と発音されそうになる。その避けがたいがっちり組み込まれた条件は、機械の身体に魂が宿るという自分の思考条件の存在感に近いものがある。ぼこをただの機械と見なすことができなくなっている。
バーピージャンプに全力で取り組んだあとシャワーを浴び、必要最低限の依頼だけをクリアしたあとに定時退勤する。スタバに行って『龍馬夜行』の続きを読む。

世界は美しい。だから死にたくない。
そう考えて、ぎょっとした。なぜ死について考えているのか。もうすぐ死ぬのか。
はてしなく広がる蓮の池に誘われて、また一歩踏み出した。見えない向こう岸へ行きたい。
    『龍馬夜行(りゅうばやこう)』夏笳(シアジア)

他人の考えることや魂ということについて正直全然わかっていないし、最近ではわかっていないままわるびれずに言葉を使っているのだが、引用した文章については直接的に”わかる”し、その思考の主が人間だろうと人間以外だろうと、ただ他人扱いにして済ませるということはできないと感じる。他人扱いにしないからといって、何かをするということはないのだが、たんに自分の気の持ちようとしてただ他人扱いにするということをしないという話だ。それに「世界は美しい。だから死にたくない」というのは真だ。まったくそのとおりだ。
マーヨーボンの『沈黙都市』を読む。意図が明確で読みやすい。もともとは舞台をニューヨークとしているらしく、そうすると世界観が一気にわかりやすくなるという効果もあるし、隠れ蓑にもなるしで、うまい工夫だ。
20時半までスタバにいてからいつものように下北駅前で氷結を飲んでから帰ることにする。この日は一日雨の予報だったが弱い雨がすこしのあいだだけ降るだけで終わった。明日も雨らしく、バスケの着替えを洗濯できないので困っている。
バスケと言えば、週末日曜に大会参加の予定がある。この前の演劇祭プログラムの選考次第では日曜に初回顔合わせがあるのでダブルブッキング状態になっている。大会も競技志向がつよいものだから尻込みする部分はあるし、演劇参加にしてもチャレンジしたいという気持ち半分、尻込みする気持ち半分という感じで、両方の予定に対してそれぞれ尻込みする気持ちが立っていて、合計すると100%を超えていきそうだ。選考結果次第というときに尻込み要素があると、自分の消極性に対抗心を燃やすこともうまくやっていけないし、ちょっと困っている。あまり考えずにべつのことをして気を紛らわせながら結果を待つというのが最善だろうと踏んで、そうしている。ようするに読書や飲酒だ。
円城塔のNoteで神林長平というヤバそうな作者を知ってしまった。https://note.com/note_engine/n/nadc5f6a61504
紹介されている主な5作のタイトルと発表年の組み合わせから、只者でなさが強烈に漂ってきている。この記事を読むまで神林長平のかの字も知らなかったし、本当に知らないことばかりだ。自分ではぼーっとしているつもりはないんだが、やはり実際のところ、かなりぼーっとしているんだろう。

日記667

時担当 2025/11/02 今日 15564 チーズナンの消化活動に手間取っていたのか胃のもたれのような違和感で2時すぎに目が覚めてしまい40分ほど寝付けず。睡眠時間がややショート、背中の痛みは残存という状況でバスケの大会に出る羽目になってしまった。悪化...