20250906

日記637

2さい相当

2025/09/04 一昨日
スタバを出たあと、ミカンの入口で音楽を聞きながら人の往来を眺める。小沢健二のdogsを選んだのだが、リリースから30年以上経った今も街の風景に合う。毎日のようにミカンの入口にいくので、そのうち近くでティッシュ配りをしているガールズバーの客引きの女の人と顔見知りになりそうだ。今のところは一方的に見知っているだけだけど。
帰宅してから鶏オクラ塩焼きそばとそうめんを食べる。久しぶりに溜まっていた分のアンシャーリーを2話分見る。どうやらトンネルは抜けたようで、目も当てられないクオリティではなくなっているよう見受けられる。一時期のまぶしいほどの輝きはないが、それでもOPとEDは最高だ。


2025/09/05 昨日
朝から雨のなか出社する。12時までにこの日やらなければならないことをあらかた片付けて、台風の影響の強雨が本格化しないうちに帰宅する。何度もメールが来ていないかを確認するが、演劇祭プログラムからの結果連絡はこない。
定時退勤してバスケのため代々木上原まで出かける。基本のワークアウトメニューをチームメンバーでやる。やったことないことをやるので頭を使うのだが、理解の速度が追いつかず、自分がボールを持つタイミングで停滞感を与えてしまうことになった。最初はゆっくりでもできるようになっていくしかない。約束事の練習なのだが、こういうパターンもあるこういうのもあるとどんどん提示され負荷がかかり、最初の基本パターンをつい忘れる始末で、これは自分の理解度の問題もあるが、向こうのペースとのすり合わせの問題でもある。年若いプレーヤーからスクリーンプレーのDFのときの声の出し方を教えてもらう。わからないことをわからないといえば、きちんと丁寧に教えてくれるから、できるだけ引っ込み思案をしないで、自分史上最大の積極性を出していく気でやらないといけない。もっともっと上手かったり、いるだけで役に立つほどの存在感があればもっといい加減に聞き流したりしてもいいと思うが、いまはチームの中で自分がもっとも下手で、戦術理解も低く声も出ないので、言い訳している暇さえない。ただ、やらなければならないことだけでいっぱいいっぱいになっていては自分の持ち味は活きないので、ぎりぎり自分の自由に動ける余力を残しつつ、そのほかのリソースをチームの約束事に突っ込むように管理するようにしないと、バスケを楽しむということにおいては本末転倒だと思う。部活はやらされるものだから嫌だったし反発してサボりたいと思っていたが、社会人チームは自分がやりたいからやるの集まりだから、当時の負荷のかかり方と全然違う。反発力を使ってより走れるような良い感覚がある。年若いプレーヤーにいろいろ教えてほしいと思っていろいろ聞こうとしたが、自分の場合、意識していないとすぐ強い相手に擦り寄って無意識に媚びようとしてしまう悪癖があるので、今回はそうならないアプローチをとることにした。できるかぎり早めの理解を心がけ、こちらのプレー意図を言葉で説明したり、言い返せるようにならないといけない。
練習後、演劇の選考結果メールを確認すると通っていて、日曜の13時集合ということがわかる。となると同日朝からのバスケの大会にも出られるということになるので、あらかじめラインでしていた不参加表明を覆し、参加しますと返事する。当日の参加メンバーは7人。8分4Qというこれまで参加したことのある大会より長い試合時間なのだが、自分にできることをやるしかない。まずは怪我をしないこと。あとは楽しむこと。具体的なプレー指針としては走ること。走ってチームの助けになることぐらいしか、これだったらできると言えることが今のところない。高いレベルだろうことが想定されるので気後れはあるが、最初に走って疲れてしまえば余計なことを考える余地がなくなる。そうなってから考える余地を作っていくのも大事だが、まずは走ってそれをなくすことだ。
カバンのなかに入れていた容器がバキバキに割れて中身のプロテインがカバンの中に散乱する悲惨な事態に東北沢あたりで気づく。仕方ないのでプロテインは諦め、氷結無糖ゆずを飲んで下北まで歩く。新八食堂でサバ文化干し定食とビールをたのみ、あすけんのおすすめしていた定食スタイルの晩ごはんを摂る。サバをほじくりながらオモコロの原宿さんとphaさんが対談するYoutubeを見る。恥をかくような手痛い経験をしたいという原宿さんの言っていることが自分にはよくわかるし、それを受けるphaさんの当然否定はしないけど自分は無理だなーという率直さもわかるし、どちらもよかった。中年として年齢を言い訳にするような動きをするまいと自分は思っているのだが、ふたりにはそういう意識はないようだ。年齢によるスタイルというか、自分のスタイルのほうが勝手に前面に出るからだろう。無理しているように見えるところがない。自分のスタイルでやっているんだとしたら自分のやり方なんだから無理していないのは当たり前だ。
ビールのおかげもあり、帰り道には演劇もバスケも精一杯やってやるぞと気力がみなぎって、45度に出た月もそれに呼応するようにとくに明るく感じられた。高いところともっと高いところからそれぞれに、いま歩くこの道を照らしているような気がした。
帰宅してからはシャワーで汗を流したあと洗濯をこなし、家人の帰りを待って晩酌をする。高校の吹奏楽部の演奏DVDの上映会が催された。当時の演奏は思っていたよりレベルが高いという気づきが家人にあったようだった。自分は音楽演奏の上手い下手は一定以上からは区別がついていない。それでも飛び抜けて上手いというところまでくると、その凄さが伝わってくるような感じはあるので、わかりやすくスーパーなものに惹かれるという感覚だけで大体の芸術を受容しているということなのだろう。
しかしパーカッションの『trio per uno』という三人でひとつの大太鼓を囲んで演奏する曲目があり、それにはとくに感動した。太鼓を囲むという密なコミュニケーションの形式が、この形はこれしかないという特異なもので、それを突き詰めていった先を見せてくれたような気がする。演目題もよく、ひとりの達人アシュラマンが完璧にひとつのミスもなく演奏したとしても"三人"の演奏にはかなわないところが絶対あると思う。映像でもすごくよかったのだが、生だと音の迫り方や、音が回ってくるIMAX紹介ムービーのような音という振動をダイレクトに感じられる良さがあるとのことで、それはいつか聴きたい、羨ましいと思った。



2025/09/06 今日
6時半に目が覚める。昨夜の入眠時間は1時を過ぎていたと思うので睡眠不足にもほどがあるが、ばっちり目が開いて二度寝できる感じも全然なかったのでそのまま起きて洗濯物の残りを済ませたり朝食を撮ったりする。翌日のことを考えて興奮状態にあるのは間違いない。
下北のカルディの前を歩いていたらハッケミィが通りすぎた。それを横目に見ていると、通りすがりの芸人(二人組、ひとりは又吉。それか9番街レトロ)のひとりが驚いて「うわ!サソリかと思った!」と言い、もうひとりが「地上サソリの木やなー」と言った。サルが突っ伏しておしりがボーン、尻尾がニョキーと上がってショーウィンドウの最前面に置いてあったオブジェを指してそういう話をしており、そこで店員がインタビューを受けている画面に切り替わって「あれの名前はなんですか」というテロップが出たのに対して「地上サソリの木です」と答えていた。隣で歩く俺が「なっさけない名前やなー」とウケていた。「さすが芸人、面白い名前思いつくんやな」と思ったらそう思った先から「てか知ってたんや。だから地上サソリの木って出てきたんや」と思い直した。という夢の話を起き抜けの人から聞いた。
時間が過ぎ去るのはあっという間に感じるのに、過ぎ去ったあとの過去を思い返すとすごく遠いことのように感じられるという現象に名前をつけようという話になったので、「光陰矢の如し但し通り過ぎし矢は遅し」ということわざの続きを考え出した。変な感覚なのになぜか共感できるというのは、正しい感覚で共感するよりも面白いものだ。
スタバに出かけて日記を書く。バスケのことや演劇祭の創作プログラムのことで浮き立った気持ちとプレッシャーに感じる気持ちをできたら整理保存しておきたいと思って、ミンミンゼミの鳴くなか出かけてきた。11時からは自宅でのボードゲーム会が催される。はじめましてになる家人の友人も参加してくれるので楽しみだ。10時半ごろ酒と食べ物を買って帰る。

日記643

待つ女 2025/09/16 昨日 一日在宅勤務のあと、バスケのため狛江に向かう。最近お腹が減るのでバスケ前にエネルギー補給のためゼリー飲料を飲んでいる。消化が良いのもあってかこれでエネルギー不足はたいてい解消される。しかし途中でガス欠になることもあるので...