この道
2025/09/06 昨日
11時から自宅でボードゲーム会が始まった。まずは最初に到着した友人と生ビールを買いに行って乾杯する。チャオチャオというすごろくとクラスクというミニホッケーで遊ぶ。12時にTCBの友人ふたりが合流し、即席飯店、カタン拡張版をプレーする。その後さらにはじめましてとなるもうひとりが合流してカタカナーシ、カタンで遊ぶ。ボードゲームをしつつお喋りをしつつであっという間に時間が過ぎて気がつけば19時でお開きになる。下北まで友人を送るついでに食べ物を調達し、21時22時ごろまでお喋りをして過ごす。大人のミニ四駆の話が興味深かった。自分たちでレギュレーションを決めて真剣勝負をしているらしい。レギュレーション決めを自分たちでやるというのは大人だけに許された特権だ。しかしひょっとすると子供にも可能かもしれないし、それ以外の数多くの特権を子供は持っているので、レギュレーションを決められるということ一本で勝負に持ち込むのはむずかしいとは思うが、それにしても有効な対抗手段のひとつではある。ボードゲーム会が終わって友人を最寄り駅まで送ったあと、一気に翌日のバスケ大会の緊張がきて、酔いもほとんど覚めてしまう。朝早いし、こんな緊張状態で起きていてもしんどいだけなので、すぐに寝てしまうことにする。23時半には就寝。
2025/09/07 今日
9時から渋谷と恵比寿のあいだの体育館でバスケの大会があった。8時過ぎに家を出て、井の頭線で渋谷に出て、山手線で恵比寿に出る。
バスケは正直なところ楽しむ余地がなかった。相手のレベルが高すぎたというのでもないが、オフィシャルもあって審判も立って、ユニフォーム着用でという状況に呑まれて、緊張からなのか途中信じられないほど口のなかがカラカラになった。口内の水分がゼロになったのではないかと思うほどでここまでの乾燥はちょっと経験がなかった。イージーバスケットも2本外すし、DFは自分のマークにボールが渡らないようにするだけで手一杯、強い相手のカバーに入る余裕もなかった。こういうときこそタスクフォーカスだと思い、リバウンドとトランジションのダッシュだけを試行したが、OFリバウンド数はゼロ、速攻も速攻回避も成功せずと散々な結果に終わった。タスクフォーカスはそれをすれば成功を約束される魔法の手段でもなんでもなく、たんにプレーヤーの迷いを払拭する方策のひとつにすぎないという当たり前のことを知った。それでも心肺がキツくて足が止まりそうになったとき、気力を奮い立たせて速攻に加わり相手ゴールまでアタックをかけられたのは、これまでの自分の天井をすこし引き上げられた部分だったと思う。試合には負けたし、活躍もなかったのだけど、ポジティブな部分は個人的にゼロではなかった。コーチングの声が飛ぶ中でももっとリラックスしてプレーできるようになりたい。指示を聞くというのは指示によってカチコチになることではなく、アドバイスとしてすべて盲目的に受け入れることでもなく、つねに”部分受け入れ”で一応参考にするというスタンスで聞くようにしていくのが大事だ。
あと自分に言い聞かせないといけないこととしては、散々な結果は結果だったし、内容も十分力を出せたとは言いがたい内容だったが、チームにとっての役立ちがゼロではなかったということだ。一応自分のマークに決めさせていないし、ゴール前で一本決めて2得点したし、DFでも長身のやつが中にいるだけで相手の選択に影響を与えるのは間違いない。もっとやれるはずだと自分に期待したことに関しては残念ながら裏切られてしまったのだけど、もっと引いてみればそもそも自分はそこまでチームから期待されていない。それが悔しいというのはあるが、この悔しさはいつか晴らさなければいけないが、それはそれとして「今日の自分がひどい出来だった」という幻想に引きずられるのは止めておこう。もっと言うと「それ以前」の状況なのだけど、やっとスタートラインに立てたという言い方に替えよう。
試合後の後オフィシャルを抜けさせてもらって歩いて渋谷まで。井の頭線で下北まで戻る。ダイエーでこの日の昼ご飯の焼きそばと冷食を買って帰宅。洗濯機を回して焼きそばを作ってシャワーを浴びて、としているうちに時間がきて演劇プログラムの初顔合わせの集合時間になった。洗濯物と出来立ての焼きそばをほっぽって(家人に干しと食べを依頼)、あわてて家を飛び出して会場に走る。時間ピッタリに到着して、初回のWSが始まった。簡単なコミュニケーションゲームと名前覚えゲームをやったあと、大きな木のエチュード(二人組でひとりずつ入れ替わりで入る)をやった。身長順に並ぶという流れがあったので、それに沿うかたちで”大きな木”に立候補する。自分を表現するということに関してまったく気後れがない積極的な姿勢を目の当たりにし、やや気後れをし、気後れがまた気後れを連れてき、エチュードに入ることができずにもじもじしていると、ありがたいことに指名してもらえたので自分の殻を無理やり破るようなかたちでクマとして森に入った。相手の作ったものにうまく入っていくことができず、壊すような入り方になったのだが、あのとき自分にできることはあれしかなかった。最後、大きな木でエチュードが終わるという設定が加えられたので、豆腐屋の鳴らすラッパの音に恐れをなしたクマは「人間こわい」と思いながら木の根の下で眠ることになった。
その後「後悔していること」というテーマでひとりずつ話をした。自分は本当に後悔していることについては人前で言えないし、自分のなかでも言葉にできていない。しかしそれを抜きにするとほとんど後悔というものをせずに日常を過ごしていると気づかされた。なので何を言うかに頭を悩ませることになった。最初に思いついたのは歯医者で痛かったら手を上げてくださいと言われてすこし我慢して結局手を上げて麻酔をしてもらった話だったのだが、自分の中でまとめるまえに、そういえばNY旅行でハーレムに行けなかったことは明確に行っておけばよかったと後悔しているなと思いついたので、人に話す話としてはやはりNYとか言いたいし、そちらの話にした。歯医者の麻酔の話としては、虫歯治療で歯を削るときに痛かったのでこれは麻酔をしてもらおうと思って手を上げたのだが、忙しい歯科医にとって麻酔は手間だったのか「もうすこしで終わります」と言われ我慢させられそうになった。その後、2回キーンと削られてしっかり痛かったのでやっぱり手を挙げ直し、しかし手を戻され「もうすこしです」と治療を継続されそうになったのでこれは駄目だと椅子から起き上がり「すみません、痛いので麻酔をしてください」とそれ以上の麻酔なし治療を拒んだ。そうするといかにも渋々ながらという様子ではありつつも要請が通り、麻酔をかけてくれることになった。麻酔をされてからは全然痛くないので安心してドリルの音を聞くことができたのだが、かなり長い間、ドリルの音が鳴っていて、もし麻酔の要請をしていなければこれだけの数のドリルを耐えなければならなかったのかと空恐ろしくもなり、「もうすこしです」なんて嘘すぎたと不信の念もきざすことになった。後悔する部分としてはドリル2回分痛い思いをしたということで、最初からきっぱりと麻酔治療を要請していれば無駄に痛い思いをせずに済んだということだ。無駄に痛い2回は本当に無駄だったし、世の中に完全に無駄だといえることはあまり多くないとは思うが、この痛い経験については完全に無駄だったので、その分、純粋に後悔したことだといえると思う。
自分の後悔した話をするのはあまり面白くないが、人から聞く話は面白かった。滔々と語られたり諄々と語られる語りの良さがある一方で、訥々と語られる話のほうに引きつけられるものがあった。TVやYoutubeではあまり見られない種類の語りだからそもそも物珍しいのもあるし、目の前に語りの本人がいるということも手伝って、実のあるなにかとして伝わってくるものがある。
15時半にWSが終わる。古本屋で漱石詩注を見つけたので400円で購入する。昼ご飯を食べそびれていたのでまっすぐ帰宅して冷食チャーハンと棒ラーメンを食べる。ふたつの予定を終えてお腹もいっぱいになって、16時ごろから燃え尽き期間を過ごす。Youtubeを見てボーっとしようかとも思ったが、もっとやれたのでは? という、それこそ後悔の念のようなものがあり、気持ちが落ち着かなかったので、一方向に集中するためにネトフリでTVドラマ『しあわせな結婚』を見る。アベサダオの”演技”やそのほかの俳優の”演技”に目が行く。ぽい感じはあるが、それが良いんだっけ? と、ゲシュタルト崩壊のようなことが起こりそうになった。
翌週に控えた奈良京都行のホテル予約をする。河原町に安いホテルがあったのでそこに決めた。
家で日記を書いていると家人が帰宅。寝転がってチョコプラとインフルエンサーのコラボ動画を見ている家人を尻目に20時半まで日記を書く。これからいっしょに『しあわせな結婚』を見るか、夜の散歩をするかを打診し、どちらかをやって楽しかった週末にピリオドを打つことにする。暑さもやわらいできているようだし散歩がいいかな。