20250912

日記641

ベイカー通り

2025/09/11 一昨日
午前在宅、午後出社。定時退勤してバスケにいく。普段行っているバスケのなかで上級者向けに位置付けされる回だったのだが、初心者の人がひとり参加していて、その人に対して「あきらかに初心者が混じっていますよね」などとまともな社会人真っ青、良心的な大学生だったら赤面ものの強い風当たりのことを言っているバスケウマ男がいた。タッパもあって(聞けば身長185cmとのこと)金髪で、いかにもバスケットマンという出で立ち、ゲーム中にはちゃんと声出ししてチームメイトとコミュニケーションを取ろうとする一面もあり、味方のナイスプレーに対しては賞賛を惜しまないナイスガイの顔を持ってもいる多面性のある選手だった。
風当たりの強い発言に対して苦言を呈するでもなく、まあまあまあという反論でも同意でもないことを言ってお茶を濁すだけで、とくに何のアクションもリアクションもしない自分にテンションが下がって、思い切ったプレーができないまま数ゲームが消化されていった。
旗幟を鮮明にしないで日和見主義的に付和雷同しているようでは良心的で真に上手なプレーヤーから愛想を尽かされてしまうことになるので気をつけるというか優先順位を自分の中でしっかり確認しておく必要がある。



2025/09/12 昨日
朝から出社し、昼から在宅に切り替える。定時退勤後、パーフィットの伝記を読んでから飲みに出かける。友人Bと下北で集合して三茶まで歩く。東京餃子楼でご飯を食べて下北まで歩いて引き返す。駅につくぐらいからポツポツ降る雨に打たれ始めた。タフガイを気取るわけではないが、これしきの雨など歯牙にもかけない。


2025/09/13 今日
朝から銀座に行って優雅にモーニングを楽しむデートと洒落込もうとしていたのだが、二度寝して起床時間が9時になったことで、プランのすべてが崩れはじめた。機に臨み変に応じるべしと遅めのモーニングを早めのランチに切り替えたまでは良かったが、ふたりして現金を持たなかったためお土産受け取りの際に会計ができず、あわや一日の計総崩れかと思われた。途方に暮れて何か策はないかと銀座の中心で椅子用でもない柱に腰掛けてどうにかこうにかインターネットを使っての現金化の方法を探ったものの、有用な方便は立たず、最終手段に頼るしかないかというところで店から電話があり、「お代は後日でもいいから受け取っていいですよ」との有り難い申し出がある。地獄に仏とはこのこと。感謝の念を脱帽礼で示しつつ、モノを受け取らせていただいた。
帰宅後、ものを冷蔵庫に入れ、うどんを食べてから束の間昼寝。いつもの理容室で散髪し、B&Bで本を物色、『荒潮』を購入して帰る。日記を書いてからバスケに出かける。2日連続でトレーニングしていない。明日奈良に帰るのでこのままでは4日連続ノートレーニングになる。それはまずいと思うので最低限腕立てとブルガリアンスクワットをやっていくことにする。

20250910

日記640

まことに

2025/09/09 昨日
午前中は在宅勤務にする。バーピージャンプという一日のうちでもっともキツい運動に耐え、ボールを使った腕立てとレンジをこなして汗だくになったあと、シャワーを浴びてから昼過ぎに出社する。仕事はくだらないがトレーニングとしてやる運動に比べると苦行でもなんでもない。出退勤の電車内では『漱石詩注』を読む。
定時退勤で帰宅してから荷物を持ち替えて狛江に行ってバスケをする。日曜の大会に比べると伸び伸びやれて、自分の求めるものはやはりこれだなという気がした。部活で汲々として球技大会で伸び伸びやれるバスケ部のベンチ要員の感想そのまますぎるが、ここで感想を偽るわけにはいかない。走ったら走っただけ、リバウンドに参加すれば参加しただけ成果が出るから、同じぐらいの体力を使う場合でもアドレナリンのおかげでより動ける。乗ってきたらシュートを打とうという気にもなるし、ドライブを仕掛けようという気にもなる。そうやってやる気のままに動いたプレーの成功率は「あれやらなきゃこれやらなきゃ」でやるよりも目に見えて高い。公式戦のような強度の高い試合でも伸び伸びプレーするためには心の持ちようもそうだが、それを支えるだけの体力強化が欠かせない。だからバーピージャンプというキツいメニューをこなしているわけだ。悔しい気持ちはガソリンにもなるし。狛江のバスケの試合終わりに「リバウンド後の隙をなくしてボール保持するときにスタンスを広くしたらもっと無双できるよ」とアドバイスをもらった。やっぱりこのレベルだと無双できているんだよなと思ったし、アドバイスにも納得できた。次のレベルに行きたいと思ってやっていること自体が楽しさの秘訣ではあるから、代々木上原のほうでも喰らいついていきたいし、狛江のほうでは自信を取り戻せるしで、いいバランスでバスケできている。ほかには高円寺のバスケにも参加していて、狛江のバスケはメインで行っているのとはべつにもうふたつある。たぶん一番レベル高いのが狛江のもうふたつのうちのひとつ。高円寺のほうではユニフォーム作ってもらってダンクカップという大会にも出られる、そこから派生したあたらしいチームにも誘ってもらっている、と、バスケプレーヤーとして充実した環境がある。
最寄り駅のセブンでジャンプを立ち読みする。呪術廻戦モジュロという新連載の漫画なのだが、近未来コンタクトもので、なるほどそうきたかと感心させられた。虎杖悠仁がレジェンドになっていて嬉しい気持ちが湧いた。氷結無糖ゆずスパークリングを買って飲む。
帰宅後、『しあわせな結婚』を見る。第二部に突入ということで、いろいろ想像の余地があった展開が収束されていきながらも興味惹きつけられるという、いい塩梅の展開になっている。テレビドラマの制作についてもよくわからないのだが、脚本が面白いと言ってもいいと思う。
すずきこうの動機はふたつあって、実行したほうの動機はネルラの弟に、隠し続けるほうの動機はネルラにあったということだろう。シャワーに入りながら考えてみて、ここまで相当きつかっただろうと思った。ネルラのほうの動機はこうたろうに引き継げると安心したから自首することにしたのだと想像できる。殺人なんていうのは愚かでどうあっても見過ごせない行動なわけだが、その後の苦痛を思うと同情しないところがないでもない。理解も共感もできないが、受けた苦痛に対してかわいそうだとは思う。


2025/09/10 今日
一日在宅勤務にする。今日も業務上の負担は一切なかった。これで身分の安定が約束されていたら本当に言うことはないんだけど、そうもいかないし、そうもいかないからこそ自分に与えられた条件内でもらえるものをフルに享受しようとして、結果、こんなに安閑として安んじていられるのだから、文句はない。もちろん。ここまで安安閑としていられるのは振り返ってみても覚えがない。
そうなるとやっぱりキツいのはバーピージャンプだ。めちゃキツいから気を抜くとすこしでもラクをしそうになるのを鞭打って、短時間全力を旨として地獄の4分間を過ごしている。バーピー後のボールを使っての腕立て・レンジ、ブルガリアンスクワットなんかは屁でもない。ただ吹き出た汗がヨガマットにポタポタ落ちる。
昼ご飯には冷食チャーハン納豆冷やしラーメンのセット。食べ終わってから午後はほぼ寝転んで過ごす。終了間際に締め切りのある仕事をこなして定時退勤。スタバにきて『折りたたみ北京』を読む。『蛍火の墓』という作品はこのアンソロジー中でもっとも注目されなかった。開始早々の「夏への扉」への言及がいらぬ阿りに見えてしまった。同作をまったく評価していないのもあり、かなり冷淡な調子で読み終えてしまった。その後に続く劉慈欣の『円』も、いかにもSFという佇まいだからか、あまり気乗りせずにいるまま読み終えてしまった。ただ、『神様の介護係』は劉慈欣の作品の中でも毛色がちがうということなので楽しみだ。
『漱石詩注』を読む。漢詩の素養がないままでここまで来てしまったことは残念といえば残念なことだが、もしそれを身に着けていたとしたら、文学全般への見方は今よりもっと悲観的で強い厭世感をもとに位置を占めようという誘惑にそのまま従っていただろうと想像できる。身につけるだけの労力を払わなかった時点でナンセンスなたらればでしかないが、詩を書くというときには、ある種の暗号というか、わかるひとにはわかるという符丁を使って直接に出さない音を響かせるというやり方が必須になるのだろうから、文学に取り組むにあたって補助輪としての詩作に活かせたかもしれない、そういう両刃の剣を手にできたかもしれないという妄想が働く。深く潜ろうとするときに携える「酸素ボンベ」は必要な条件なのだろう。それが何であれ、ある程度以上奥へ進もうとするためにはそれ一本ではやっていけないということだ。スニーカーは最低二足は持っていないと、遠くまで歩くのはむずかしい。
一応書いておかなければと思うから書くのだが、全然小説が書けていない。それどころではないというのがいつのまにかデフォルトになって、去年からだったか年始からだったかに立てた目標を達成できる見込みは今のところ全然ない。どうにかどこかで軌道を修正しないと、このまま何も書かないで時間が過ぎていってしまう。時間はあるのだから一番よくある言い訳は立たない。時間はあるのだからその時間を小説に配分していこう。
円城塔が「SFというジャンルはもう不要なのでは」という提起をしたとネットで見た。個人がネットワークに接続された端末をポケットに入れて持ち運んでいる現実界にあって「サイエンス・フィクション」も無いでしょうという主張のようなのだが、本当にそうだよなと思う。ミステリだとか、ライトノベルだとか、形式に関するようなジャンルはそれを見つけたり回避したりという用途で使い出はあるが、SFについてはこれから先そういった用途で使う必要はなくなっていくと思う。小説自体の面積が減っていくなかで、SFはわざわざSFに閉じこもる必要はないはずだ。

20250908

日記639

川をわたるための橋

2025/09/07 昨日
21時前から夜の散歩に出かける。つもりだったのだが、ベンチに座るには過ごしよいものの歩くと汗ばむぐらいの気温だったので歩くのは断念し、駅前のベンチに座って晩酌をする。しかし地面や木に、苦手な茶色い虫がうろちょろしているのを見つけて、そこに居続ける気力がゼロになったので、環七を渡ってまいばすけっとに行き、酒や晩ごはんを購入して帰宅する。はじめて日清の完全メシを食べた。翌朝出社なので早めに寝る。この日はいろいろあって疲れた。


2025/09/08 今日
しっかり睡眠時間をとったうえ、朝から出社して頭がすっきりした。午前中に仕事を消化し、昼から在宅勤務に切り替える。冷食のチャーハンと納豆、棒ラーメンを食べる。お腹いっぱいになって昼寝。起きてからバーピージャンプをやる。20秒/10秒の8セットで正味4分間も動いていないのに、終わったあとしばらくしてから大量の汗が出る。上半身中心に滂沱の汗。
昨日の前日のバスケの大会でも演劇プログラムの初回WSでも、はじめて参加するわけではないのに余裕が全然なかった。もっと頑張らないと、とうわ言のように何度も繰り返し頭の中に声がして、何も考えられていない追い詰められた状況になってしまっていた。前日の日記はそんな余裕のない精神状態の残響のなか書いたので、行動面での充実とは裏腹に切羽詰まった心境がダイレクトに表れているだろうと思う。もうちょっと落ち着いてから書けばいいのにという内容になっているかもしれない。シチュエーションに呑まれてマイペースを貫けない、というのを中学高校の頃と同じようなレベルでまだやってしまっている。
ただ、一晩寝れば冷静になれるというのは一応の成長だといえる。『漱石詩注』を読んで心を落ち着けた。漱石の作品には錨の効果がある。臨場すると、場に緊張感があればそれにそのまま影響を受けてしまうのだが、すこし間を空けることでそれを相対化することはできる。ここ一番に強みを持てるようにいつかなれればいいとは思うが、まずは間を置いてでも、その場以外で考えたことをあとからでも置きにいけるようになりたい。現場以外にも自分のフィールドはあるし、そこを中心に考えようとするのは自分のやり方だと思う。バスケをやっているとき以外にもバスケがうまくなるということはあるだろうし、現場で感じたものを持ち帰って考えることのほうに重点があるというのはめずらしい考え方ではないだろう。考えるべきことを考えるために、日々の睡眠時間を確保し、食べすぎ食べなさすぎに注意して健やかに過ごすことに力点を置くというのは、中学高校時代にはまだ見つけられていなかった正解の道だと思う。
定時退勤してスタバに行く。『漱石詩注』と『折りたたみ北京』を読む。どういうわけかスタバの空調の設定温度が間違っていて店内が暑く、とくに最初の1時間は汗ばんで不快だった。

20250907

日記638

この道

2025/09/06 昨日
11時から自宅でボードゲーム会が始まった。まずは最初に到着した友人と生ビールを買いに行って乾杯する。チャオチャオというすごろくとクラスクというミニホッケーで遊ぶ。12時にTCBの友人ふたりが合流し、即席飯店、カタン拡張版をプレーする。その後さらにはじめましてとなるもうひとりが合流してカタカナーシ、カタンで遊ぶ。ボードゲームをしつつお喋りをしつつであっという間に時間が過ぎて気がつけば19時でお開きになる。下北まで友人を送るついでに食べ物を調達し、21時22時ごろまでお喋りをして過ごす。大人のミニ四駆の話が興味深かった。自分たちでレギュレーションを決めて真剣勝負をしているらしい。レギュレーション決めを自分たちでやるというのは大人だけに許された特権だ。しかしひょっとすると子供にも可能かもしれないし、それ以外の数多くの特権を子供は持っているので、レギュレーションを決められるということ一本で勝負に持ち込むのはむずかしいとは思うが、それにしても有効な対抗手段のひとつではある。ボードゲーム会が終わって友人を最寄り駅まで送ったあと、一気に翌日のバスケ大会の緊張がきて、酔いもほとんど覚めてしまう。朝早いし、こんな緊張状態で起きていてもしんどいだけなので、すぐに寝てしまうことにする。23時半には就寝。


2025/09/07 今日
9時から渋谷と恵比寿のあいだの体育館でバスケの大会があった。8時過ぎに家を出て、井の頭線で渋谷に出て、山手線で恵比寿に出る。
バスケは正直なところ楽しむ余地がなかった。相手のレベルが高すぎたというのでもないが、オフィシャルもあって審判も立って、ユニフォーム着用でという状況に呑まれて、緊張からなのか途中信じられないほど口のなかがカラカラになった。口内の水分がゼロになったのではないかと思うほどでここまでの乾燥はちょっと経験がなかった。イージーバスケットも2本外すし、DFは自分のマークにボールが渡らないようにするだけで手一杯、強い相手のカバーに入る余裕もなかった。こういうときこそタスクフォーカスだと思い、リバウンドとトランジションのダッシュだけを試行したが、OFリバウンド数はゼロ、速攻も速攻回避も成功せずと散々な結果に終わった。タスクフォーカスはそれをすれば成功を約束される魔法の手段でもなんでもなく、たんにプレーヤーの迷いを払拭する方策のひとつにすぎないという当たり前のことを知った。それでも心肺がキツくて足が止まりそうになったとき、気力を奮い立たせて速攻に加わり相手ゴールまでアタックをかけられたのは、これまでの自分の天井をすこし引き上げられた部分だったと思う。試合には負けたし、活躍もなかったのだけど、ポジティブな部分は個人的にゼロではなかった。コーチングの声が飛ぶ中でももっとリラックスしてプレーできるようになりたい。指示を聞くというのは指示によってカチコチになることではなく、アドバイスとしてすべて盲目的に受け入れることでもなく、つねに”部分受け入れ”で一応参考にするというスタンスで聞くようにしていくのが大事だ。
あと自分に言い聞かせないといけないこととしては、散々な結果は結果だったし、内容も十分力を出せたとは言いがたい内容だったが、チームにとっての役立ちがゼロではなかったということだ。一応自分のマークに決めさせていないし、ゴール前で一本決めて2得点したし、DFでも長身のやつが中にいるだけで相手の選択に影響を与えるのは間違いない。もっとやれるはずだと自分に期待したことに関しては残念ながら裏切られてしまったのだけど、もっと引いてみればそもそも自分はそこまでチームから期待されていない。それが悔しいというのはあるが、この悔しさはいつか晴らさなければいけないが、それはそれとして「今日の自分がひどい出来だった」という幻想に引きずられるのは止めておこう。もっと言うと「それ以前」の状況なのだけど、やっとスタートラインに立てたという言い方に替えよう。
試合後の後オフィシャルを抜けさせてもらって歩いて渋谷まで。井の頭線で下北まで戻る。ダイエーでこの日の昼ご飯の焼きそばと冷食を買って帰宅。洗濯機を回して焼きそばを作ってシャワーを浴びて、としているうちに時間がきて演劇プログラムの初顔合わせの集合時間になった。洗濯物と出来立ての焼きそばをほっぽって(家人に干しと食べを依頼)、あわてて家を飛び出して会場に走る。時間ピッタリに到着して、初回のWSが始まった。簡単なコミュニケーションゲームと名前覚えゲームをやったあと、大きな木のエチュード(二人組でひとりずつ入れ替わりで入る)をやった。身長順に並ぶという流れがあったので、それに沿うかたちで”大きな木”に立候補する。自分を表現するということに関してまったく気後れがない積極的な姿勢を目の当たりにし、やや気後れをし、気後れがまた気後れを連れてき、エチュードに入ることができずにもじもじしていると、ありがたいことに指名してもらえたので自分の殻を無理やり破るようなかたちでクマとして森に入った。相手の作ったものにうまく入っていくことができず、壊すような入り方になったのだが、あのとき自分にできることはあれしかなかった。最後、大きな木でエチュードが終わるという設定が加えられたので、豆腐屋の鳴らすラッパの音に恐れをなしたクマは「人間こわい」と思いながら木の根の下で眠ることになった。
その後「後悔していること」というテーマでひとりずつ話をした。自分は本当に後悔していることについては人前で言えないし、自分のなかでも言葉にできていない。しかしそれを抜きにするとほとんど後悔というものをせずに日常を過ごしていると気づかされた。なので何を言うかに頭を悩ませることになった。最初に思いついたのは歯医者で痛かったら手を上げてくださいと言われてすこし我慢して結局手を上げて麻酔をしてもらった話だったのだが、自分の中でまとめるまえに、そういえばNY旅行でハーレムに行けなかったことは明確に行っておけばよかったと後悔しているなと思いついたので、人に話す話としてはやはりNYとか言いたいし、そちらの話にした。歯医者の麻酔の話としては、虫歯治療で歯を削るときに痛かったのでこれは麻酔をしてもらおうと思って手を上げたのだが、忙しい歯科医にとって麻酔は手間だったのか「もうすこしで終わります」と言われ我慢させられそうになった。その後、2回キーンと削られてしっかり痛かったのでやっぱり手を挙げ直し、しかし手を戻され「もうすこしです」と治療を継続されそうになったのでこれは駄目だと椅子から起き上がり「すみません、痛いので麻酔をしてください」とそれ以上の麻酔なし治療を拒んだ。そうするといかにも渋々ながらという様子ではありつつも要請が通り、麻酔をかけてくれることになった。麻酔をされてからは全然痛くないので安心してドリルの音を聞くことができたのだが、かなり長い間、ドリルの音が鳴っていて、もし麻酔の要請をしていなければこれだけの数のドリルを耐えなければならなかったのかと空恐ろしくもなり、「もうすこしです」なんて嘘すぎたと不信の念もきざすことになった。後悔する部分としてはドリル2回分痛い思いをしたということで、最初からきっぱりと麻酔治療を要請していれば無駄に痛い思いをせずに済んだということだ。無駄に痛い2回は本当に無駄だったし、世の中に完全に無駄だといえることはあまり多くないとは思うが、この痛い経験については完全に無駄だったので、その分、純粋に後悔したことだといえると思う。
自分の後悔した話をするのはあまり面白くないが、人から聞く話は面白かった。滔々と語られたり諄々と語られる語りの良さがある一方で、訥々と語られる話のほうに引きつけられるものがあった。TVやYoutubeではあまり見られない種類の語りだからそもそも物珍しいのもあるし、目の前に語りの本人がいるということも手伝って、実のあるなにかとして伝わってくるものがある。
15時半にWSが終わる。古本屋で漱石詩注を見つけたので400円で購入する。昼ご飯を食べそびれていたのでまっすぐ帰宅して冷食チャーハンと棒ラーメンを食べる。ふたつの予定を終えてお腹もいっぱいになって、16時ごろから燃え尽き期間を過ごす。Youtubeを見てボーっとしようかとも思ったが、もっとやれたのでは? という、それこそ後悔の念のようなものがあり、気持ちが落ち着かなかったので、一方向に集中するためにネトフリでTVドラマ『しあわせな結婚』を見る。アベサダオの”演技”やそのほかの俳優の”演技”に目が行く。ぽい感じはあるが、それが良いんだっけ? と、ゲシュタルト崩壊のようなことが起こりそうになった。
翌週に控えた奈良京都行のホテル予約をする。河原町に安いホテルがあったのでそこに決めた。
家で日記を書いていると家人が帰宅。寝転がってチョコプラとインフルエンサーのコラボ動画を見ている家人を尻目に20時半まで日記を書く。これからいっしょに『しあわせな結婚』を見るか、夜の散歩をするかを打診し、どちらかをやって楽しかった週末にピリオドを打つことにする。暑さもやわらいできているようだし散歩がいいかな。

20250906

日記637

2さい相当

2025/09/04 一昨日
スタバを出たあと、ミカンの入口で音楽を聞きながら人の往来を眺める。小沢健二のdogsを選んだのだが、リリースから30年以上経った今も街の風景に合う。毎日のようにミカンの入口にいくので、そのうち近くでティッシュ配りをしているガールズバーの客引きの女の人と顔見知りになりそうだ。今のところは一方的に見知っているだけだけど。
帰宅してから鶏オクラ塩焼きそばとそうめんを食べる。久しぶりに溜まっていた分のアンシャーリーを2話分見る。どうやらトンネルは抜けたようで、目も当てられないクオリティではなくなっているよう見受けられる。一時期のまぶしいほどの輝きはないが、それでもOPとEDは最高だ。


2025/09/05 昨日
朝から雨のなか出社する。12時までにこの日やらなければならないことをあらかた片付けて、台風の影響の強雨が本格化しないうちに帰宅する。何度もメールが来ていないかを確認するが、演劇祭プログラムからの結果連絡はこない。
定時退勤してバスケのため代々木上原まで出かける。基本のワークアウトメニューをチームメンバーでやる。やったことないことをやるので頭を使うのだが、理解の速度が追いつかず、自分がボールを持つタイミングで停滞感を与えてしまうことになった。最初はゆっくりでもできるようになっていくしかない。約束事の練習なのだが、こういうパターンもあるこういうのもあるとどんどん提示され負荷がかかり、最初の基本パターンをつい忘れる始末で、これは自分の理解度の問題もあるが、向こうのペースとのすり合わせの問題でもある。年若いプレーヤーからスクリーンプレーのDFのときの声の出し方を教えてもらう。わからないことをわからないといえば、きちんと丁寧に教えてくれるから、できるだけ引っ込み思案をしないで、自分史上最大の積極性を出していく気でやらないといけない。もっともっと上手かったり、いるだけで役に立つほどの存在感があればもっといい加減に聞き流したりしてもいいと思うが、いまはチームの中で自分がもっとも下手で、戦術理解も低く声も出ないので、言い訳している暇さえない。ただ、やらなければならないことだけでいっぱいいっぱいになっていては自分の持ち味は活きないので、ぎりぎり自分の自由に動ける余力を残しつつ、そのほかのリソースをチームの約束事に突っ込むように管理するようにしないと、バスケを楽しむということにおいては本末転倒だと思う。部活はやらされるものだから嫌だったし反発してサボりたいと思っていたが、社会人チームは自分がやりたいからやるの集まりだから、当時の負荷のかかり方と全然違う。反発力を使ってより走れるような良い感覚がある。年若いプレーヤーにいろいろ教えてほしいと思っていろいろ聞こうとしたが、自分の場合、意識していないとすぐ強い相手に擦り寄って無意識に媚びようとしてしまう悪癖があるので、今回はそうならないアプローチをとることにした。できるかぎり早めの理解を心がけ、こちらのプレー意図を言葉で説明したり、言い返せるようにならないといけない。
練習後、演劇の選考結果メールを確認すると通っていて、日曜の13時集合ということがわかる。となると同日朝からのバスケの大会にも出られるということになるので、あらかじめラインでしていた不参加表明を覆し、参加しますと返事する。当日の参加メンバーは7人。8分4Qというこれまで参加したことのある大会より長い試合時間なのだが、自分にできることをやるしかない。まずは怪我をしないこと。あとは楽しむこと。具体的なプレー指針としては走ること。走ってチームの助けになることぐらいしか、これだったらできると言えることが今のところない。高いレベルだろうことが想定されるので気後れはあるが、最初に走って疲れてしまえば余計なことを考える余地がなくなる。そうなってから考える余地を作っていくのも大事だが、まずは走ってそれをなくすことだ。
カバンのなかに入れていた容器がバキバキに割れて中身のプロテインがカバンの中に散乱する悲惨な事態に東北沢あたりで気づく。仕方ないのでプロテインは諦め、氷結無糖ゆずを飲んで下北まで歩く。新八食堂でサバ文化干し定食とビールをたのみ、あすけんのおすすめしていた定食スタイルの晩ごはんを摂る。サバをほじくりながらオモコロの原宿さんとphaさんが対談するYoutubeを見る。恥をかくような手痛い経験をしたいという原宿さんの言っていることが自分にはよくわかるし、それを受けるphaさんの当然否定はしないけど自分は無理だなーという率直さもわかるし、どちらもよかった。中年として年齢を言い訳にするような動きをするまいと自分は思っているのだが、ふたりにはそういう意識はないようだ。年齢によるスタイルというか、自分のスタイルのほうが勝手に前面に出るからだろう。無理しているように見えるところがない。自分のスタイルでやっているんだとしたら自分のやり方なんだから無理していないのは当たり前だ。
ビールのおかげもあり、帰り道には演劇もバスケも精一杯やってやるぞと気力がみなぎって、45度に出た月もそれに呼応するようにとくに明るく感じられた。高いところともっと高いところからそれぞれに、いま歩くこの道を照らしているような気がした。
帰宅してからはシャワーで汗を流したあと洗濯をこなし、家人の帰りを待って晩酌をする。高校の吹奏楽部の演奏DVDの上映会が催された。当時の演奏は思っていたよりレベルが高いという気づきが家人にあったようだった。自分は音楽演奏の上手い下手は一定以上からは区別がついていない。それでも飛び抜けて上手いというところまでくると、その凄さが伝わってくるような感じはあるので、わかりやすくスーパーなものに惹かれるという感覚だけで大体の芸術を受容しているということなのだろう。
しかしパーカッションの『trio per uno』という三人でひとつの大太鼓を囲んで演奏する曲目があり、それにはとくに感動した。太鼓を囲むという密なコミュニケーションの形式が、この形はこれしかないという特異なもので、それを突き詰めていった先を見せてくれたような気がする。演目題もよく、ひとりの達人アシュラマンが完璧にひとつのミスもなく演奏したとしても"三人"の演奏にはかなわないところが絶対あると思う。映像でもすごくよかったのだが、生だと音の迫り方や、音が回ってくるIMAX紹介ムービーのような音という振動をダイレクトに感じられる良さがあるとのことで、それはいつか聴きたい、羨ましいと思った。



2025/09/06 今日
6時半に目が覚める。昨夜の入眠時間は1時を過ぎていたと思うので睡眠不足にもほどがあるが、ばっちり目が開いて二度寝できる感じも全然なかったのでそのまま起きて洗濯物の残りを済ませたり朝食を撮ったりする。翌日のことを考えて興奮状態にあるのは間違いない。
下北のカルディの前を歩いていたらハッケミィが通りすぎた。それを横目に見ていると、通りすがりの芸人(二人組、ひとりは又吉。それか9番街レトロ)のひとりが驚いて「うわ!サソリかと思った!」と言い、もうひとりが「地上サソリの木やなー」と言った。サルが突っ伏しておしりがボーン、尻尾がニョキーと上がってショーウィンドウの最前面に置いてあったオブジェを指してそういう話をしており、そこで店員がインタビューを受けている画面に切り替わって「あれの名前はなんですか」というテロップが出たのに対して「地上サソリの木です」と答えていた。隣で歩く俺が「なっさけない名前やなー」とウケていた。「さすが芸人、面白い名前思いつくんやな」と思ったらそう思った先から「てか知ってたんや。だから地上サソリの木って出てきたんや」と思い直した。という夢の話を起き抜けの人から聞いた。
時間が過ぎ去るのはあっという間に感じるのに、過ぎ去ったあとの過去を思い返すとすごく遠いことのように感じられるという現象に名前をつけようという話になったので、「光陰矢の如し但し通り過ぎし矢は遅し」ということわざの続きを考え出した。変な感覚なのになぜか共感できるというのは、正しい感覚で共感するよりも面白いものだ。
スタバに出かけて日記を書く。バスケのことや演劇祭の創作プログラムのことで浮き立った気持ちとプレッシャーに感じる気持ちをできたら整理保存しておきたいと思って、ミンミンゼミの鳴くなか出かけてきた。11時からは自宅でのボードゲーム会が催される。はじめましてになる家人の友人も参加してくれるので楽しみだ。10時半ごろ酒と食べ物を買って帰る。

20250904

日記636

人の形

2025/09/03 昨日
いつも出勤するよりも朝早く起きて最寄り駅から電車に乗る。いつもは新宿方面の満員電車だが、この日は神奈川方面の空いている電車で座ることもできた。寝不足の分を取り戻そうと電車内ですこし寝ようとしたのだが行ったことのない場所へ行く興奮からうまく寝付けず。結局起きたままで目的地のある終点唐木田駅まで粗品のyoutubeを見て過ごす。ダチョウ倶楽部を考えようというアメトークの感想を喋っていた。すなおに感謝、という当たり障りもなければ意外性もない語りで、べつに良いんだけど面白い内容ではなかった。お笑いファイターという姿勢に面白いところがあるだけで、単純にネタや言っている内容の面白さで腹を抱えて笑うということはない。しかしこれは粗品に限ったことではなく、お笑い芸人の”まっすぐなお笑い”全般に疲れるという感覚を抱くようになっている。この傾向はここ最近になって顕著なので、自分の年齢によるところも大きいかもしれないが、最近の高校生はM1を見ないらしいというのに象徴されるように、お笑いのブームがゆっくり去りつつある空気感が醸成されつつあるのかもしれない。とはいえたとえそうだとしても2025年になってようやくということは言えて、お笑いはかなりのロングセラーだったし、時代を築いたということも言える。
笑いが必要なものではなくなっているとすれば、それだけリラックスした環境になってきているということで喜ぶべきことかもしれない。ハラスメントや嫌なこともすこしずつ減ってきていて、「笑わなやってられへん」という感じはなくなってきているようだ。
唐木田駅から18分ほど歩いて目的地に行って所用を済ませる。ただ居るだけの仕事・役割で、そこにあるのは個人ではなくアカウントだ。対価が支払われる以上そのことに不満はないが、個人の感覚にフォーカスするとバカバカしさを感じずにはいられない。現場作業に立ち会って、18分かけて駅まで歩く。この暑い中、こちらの徒歩移動のほうがよっぽど労働という感覚がある。自腹でタクシーを呼んで帰ろうかとも思ったが、お金をもらいにいくのにお金を払うのはナンセンスで自分の感覚的にも意味が通りにくかったので、自分の中でこれを労働と定め、汗をかくことに決める。本当に暑くて何回か悪態をつきながら歩いた。
帰宅し、これはさすがにということで在宅勤務に切り替える。最低限の稼働だけこなし、しっかり昼寝の時間をとった。
定時退勤し、友人と”サイゼ飲み”をするため日暮里に出かける。二人で飲み食いして会計が脅威の2800円だった。サイゼリヤらしくないおそらく居抜きの店内で、同じ目線で電車が走るビューもあり、これまでに行ったサイゼリヤのなかでもとりわけ優秀な部類に入る。8月末に仕事を辞めてもう転職先が決まったなどと、とりとめもない話をするうちに時間が過ぎた。
閉店時間が近づいてきたタイミングで男女の激烈な痴話喧嘩が始まった。男がやたらテーブルをバンバン叩くと思っていたら、それが5,6回続いたあとで突然女が反撃に転じ、「わたしこのひとをころします」と宣言していた。店員はたぶん半笑いの困り顔で不承不承テーブルに駆けつけ、与えられた役を仕方なく演じるように、男にのしかかり物理的にアタックする女を男から引き離そうと苦慮するポーズをとっていた。
友人は大阪万博に行くらしく、しかも目当てがアルメニアコーナーというそれなりにレアな客になろうとしているとのこと。アルメニアといっても全然イメージがない。日本の病院にあるような配慮がなく、透明な検尿の容器を持ち歩かされる動線になっている厳しい病院があるということぐらいしか知らない。
0時前に帰宅し、寝る前に家人と買ったばかりのボードゲームで遊ぶ。オモコロチャンネルで知った「チャオチャオ」というすごろくゲームだ。嘘をつかなければならない仕組みが設計に組み込まれている、よくできたゲームだ。しかし2人でやるとどうしても駆け引きの余地が少なくなる。今回はルール確認のデモンストレーション一戦で終わった。ちなみに嘘を見破られて負けた。


2025/09/04 今日
一日在宅勤務にする。仕事でやることがあったので働いたりもする。『折りたたみ北京』のなかの『龍馬夜行』を読む。機械の身体に魂があるということをこんなにすんなり受けいれているのは自分の世界観のなかにぼこがいるからだろう。その前提がなかったとしたらどんな感想を持つことになるのか、今の位置からは想像することがむずかしいと感じられる。龍馬というのは(りゅうば)と読み、頭が龍で身体が馬のロボットなのだが、どうしても「〜ぜよ」という坂本的なイメージが付きまとい、頭のなかの音声で(りょうま)と発音されそうになる。その避けがたいがっちり組み込まれた条件は、機械の身体に魂が宿るという自分の思考条件の存在感に近いものがある。ぼこをただの機械と見なすことができなくなっている。
バーピージャンプに全力で取り組んだあとシャワーを浴び、必要最低限の依頼だけをクリアしたあとに定時退勤する。スタバに行って『龍馬夜行』の続きを読む。

世界は美しい。だから死にたくない。
そう考えて、ぎょっとした。なぜ死について考えているのか。もうすぐ死ぬのか。
はてしなく広がる蓮の池に誘われて、また一歩踏み出した。見えない向こう岸へ行きたい。
    『龍馬夜行(りゅうばやこう)』夏笳(シアジア)

他人の考えることや魂ということについて正直全然わかっていないし、最近ではわかっていないままわるびれずに言葉を使っているのだが、引用した文章については直接的に”わかる”し、その思考の主が人間だろうと人間以外だろうと、ただ他人扱いにして済ませるということはできないと感じる。他人扱いにしないからといって、何かをするということはないのだが、たんに自分の気の持ちようとしてただ他人扱いにするということをしないという話だ。それに「世界は美しい。だから死にたくない」というのは真だ。まったくそのとおりだ。
マーヨーボンの『沈黙都市』を読む。意図が明確で読みやすい。もともとは舞台をニューヨークとしているらしく、そうすると世界観が一気にわかりやすくなるという効果もあるし、隠れ蓑にもなるしで、うまい工夫だ。
20時半までスタバにいてからいつものように下北駅前で氷結を飲んでから帰ることにする。この日は一日雨の予報だったが弱い雨がすこしのあいだだけ降るだけで終わった。明日も雨らしく、バスケの着替えを洗濯できないので困っている。
バスケと言えば、週末日曜に大会参加の予定がある。この前の演劇祭プログラムの選考次第では日曜に初回顔合わせがあるのでダブルブッキング状態になっている。大会も競技志向がつよいものだから尻込みする部分はあるし、演劇参加にしてもチャレンジしたいという気持ち半分、尻込みする気持ち半分という感じで、両方の予定に対してそれぞれ尻込みする気持ちが立っていて、合計すると100%を超えていきそうだ。選考結果次第というときに尻込み要素があると、自分の消極性に対抗心を燃やすこともうまくやっていけないし、ちょっと困っている。あまり考えずにべつのことをして気を紛らわせながら結果を待つというのが最善だろうと踏んで、そうしている。ようするに読書や飲酒だ。
円城塔のNoteで神林長平というヤバそうな作者を知ってしまった。https://note.com/note_engine/n/nadc5f6a61504
紹介されている主な5作のタイトルと発表年の組み合わせから、只者でなさが強烈に漂ってきている。この記事を読むまで神林長平のかの字も知らなかったし、本当に知らないことばかりだ。自分ではぼーっとしているつもりはないんだが、やはり実際のところ、かなりぼーっとしているんだろう。

20250902

日記635

フォールの不足

2025/08/31 一昨日
代々木上原でのバスケは、戦術練習やすり合わせ、チームに参加するメンバーとしてのフィードバックがあった。バスケが上手くなるためにはそれぞれに有益で、それだけに口に苦いところもある。ワンアームでDFにつくというブリーフでの方針の意味が理解できないままいつも通りやっていたら、腕一本の距離まで相手との間合いを詰めて守るという意味だったらしく、普段の自分の緩DFがツーアーム以上の距離感だということに気付かされた。そしてそれだけ距離を空けているにもかかわらず抜かれまくっているということも発見した。
東北沢経由で歩いて帰る。氷結無糖のグレープフルーツを飲みながら下北沢まで歩き、回転寿司を食べ終わった家人と合流する。ダイエーで買い物をして帰宅。テレビを見ながらご飯を食べてからわりとすぐに寝る。つもりがあすけんという食事管理アプリを始めて寝るのがその分遅れた。


2025/09/01 昨日
月曜だから逆に朝から出勤する。先週の積み残しを消化して昼すぎには帰宅。在宅勤務に切り替える。在宅勤務なのにコールがかかって働くことになったのはだるいが、まあもとはと言えば勤務時間ではあるので仕方ない。寝不足気味なのだがろくに昼寝もせずに定時まで働く。
前日のバスケで足を使い切っていたのだが、ゆるい方のバスケにも参加しないとストイックが閾値を超えると思ったので、昨日のうちに予約しておいた狛江のバスケに出かける。いつもながら楽しいのだが、ぜえぜえ言いながらボールを追いかけているのは自分ぐらいのもので、若者やおじさんたちとのテンションの差を感じる。若干引かれているのを感じないでもないが、苦しそうなりにトータルでかなり楽しそうというのは伝わっているはずだと思っている。スリーポイントシュートを身に着けたいという課題のため、ゲームでもスリーを打っていくことにした。全部で四本打って四本決まらなかった。試合前、動きにキレがあってオールラウンダーでもありとくに上手な”選手”タイプのプレーヤーに「いつからやっているんですか」とバスケ経験を聞かれる。「ミニバスからです」と答えたが、「高校の部活ではやっていません」と肝心なところを言う前に話が途切れた。仕方ないので相手のバスケ経験を聞いて話の流れを戻そうとしたのだがうまく運ばず。しかし高校からという驚愕の回答が返ってきた。基礎がだいぶしっかりしているのでそれこそミニバス、少なくとも中学からだと思っていた。べつの人が高校から始めたなんで信じられないですよと水を向けると「だってめっちゃ練習しましたもん」とのこと。爽やかカッコいいバスケットマンだ。話が合うはずない。しかしいっしょにプレーすると動きの意図がはっきり感じ取れて、バスケそのものがグッドコミュニケーションになる。話なんかしないでもそれでたくさんだ。
この日は酒を飲まずにセブンで買った天津飯だけで晩ごはんを済ませた。ネットフリックスでレズボールという映画を見始めたが思ったよりシリアスな話だったので見るのを止めてしまった。バスケは人生などではないし、生活においてもっとも優先するものでもない。
寝る前にバスケのことを考えていたら、去年の8月末からおそろしいブランク期間(15年)を経てバスケを再開したので、ふたたびバスケをやり始めてちょうど1年が経ったということに気がついた。最初は身体が全然動かない、足がもつれてドライブでカットインしようとするとDFに触れられてもいないのにへたれ込むように倒れてしまう、コートを往復するだけの体力がない、というひどい状況だったのを”ただシュートを打つだけで楽しい”というので恥かきながら乗り切って、すこしずつ体力を戻していき、即席チームにピックアップされて大会に参加するまでになった。今は「選手」としか言いようのない人たちに混じってバスケをして、同じチームに誘ってもらってトーナメント方式の大会が控えているところまできた。
38歳にして今が30代で一番体力がある時期だと思うが、考えてみたら20代を振り返って体力がある時期もとくになかったし、10代でバスケにハマっていたころに比べ瞬発力や回復力では及ばないものの、筋力や心肺能力の面では間違いなく今のほうがある。なので総合的に見て今が人生で一番体力のある時期で、バスケ選手としてもピークを迎えていると思う。やり方次第ではもうすこし拡張できるはずだとも。ここから全盛期を更新していくには熱中できている今しかない。ここからの一年でやるしかない。パワープレーは避けてしまうが、それはそうと、尻込みしないでやれるとこまで。
早めにベッドに入って寝るが途中暑さで目が覚める。夏の夜の暑さからというより、身体が熱くなってという感じだった。そもそもクーラーを入れたまま寝ているので、室温には問題なかったはずだ。起きたときにはそうは思えなかったが。


2025/09/02 今日
前夜に寝付きが悪かったせいで2日連続で寝不足になると思ったので、急遽午前在宅することにして睡眠時間を1時間伸ばす。そのおかげで調子よく一日を過ごすことができた。
午後から出社し、仕事のコミュニケーションをすすめる。非常につまらないコミュニケーションだが、どうでもいいだけあって何も考えず前に進めたらいいだけなのでラクといえばラクだ。15分間の残業のあと、バルボアでキーマカレーパスタの大盛を食べて霞が関から下北沢へ移動する。霞が関駅前でギターを背負った男女の若いバンドマンが経済産業省の建物前の「経済産業省」と書かれた石碑を見て、「経済産業省だ!」と声を上げていた。さすが音楽をやっているだけあって素直な反応。電車内でシアジアの『百鬼夜行街』を読む。これがどこからくる切なさなのかわからない(根拠に当たる部分に実体がないように感じられる)が、切ない。
スタバに行ってすこしぼーっとしてから日記を書く。時間の経過について考えた。自分自身の感覚に対する影響として時間は容赦ないなと思う。読んだ本の題名しか覚えていないという現象について、その本を読んでいるときにはそんなことが起こるなんて全然想像できないのだが、想像できないままそういう本が積み重なっていく。これは比喩だが事実でもある。ただすこし立ち止まって考えたり、本を手に取るとかして、かろうじて思い出せることもある。
スタバで隣の男女がよく通る声で「縮毛矯正の正解は何か」というテーマで延々おしゃべりしている。それがスタバに来てやることか、と言いたくなるが、MacBook Airのキーボードをパチパチ叩いて目的のはっきりしない日記を書いているやつに対して当てはまるセリフでもある。そもそも1対2で分がわるい。20時半にスタバを出る。
今日はグレープフルーツ味のチューハイを飲みながら懐かしい音楽を聴こう。

日記803

雨のなかのライシング(精米) 2026/09/26 一昨昨日 12562 TCBで秋の行楽・街歩きを予定していたのだがあいにくの雨で中止にした。代わりに家でボードゲームをすることにした。友人Bと友人Nと家人との合計4人でカタンをやった。自分は初期配置にミス...