20260901

日記795

邂逅


2026/08/29 一昨昨日 18958
13時からバスケに出かける。『存在と時間』を読み進めたり『罪と罰』の音読をしたりとゆっくり過ごしていたら昼ごはんを食べる時間をなくしてしまった。とりあえずコンビニでおにぎり二個を買って食べる。体育館でもゼリー飲料補給しながらアクエリアスを飲みつつガス欠を防ぐ。3時間半の長丁場だったが最後のほうまで張り切ってプレーできた。途中右手親指の爪を負傷してテンションが下がる。負傷直後からしばらく痛みがあったのだが、プレーに集中してアドレナリンが出るときれいに気にならなくなった。そうなると疲れも感じにくくなるのでいかに素早くその状態に持っていけるかが大事だという結論になった。心肺機能・筋力・シュートの安定・判断力のすべてにバフがかかる。
バスケが終わったのが16時半で腹ペコ状態になったので久しぶりにぶっ豚の小ラーメンを食べる。あぶらマシにしてしまった。


2026/08/30 一昨日 11899
修学旅行で九州のどこかの街を自由に回る時間があったので、ひとりで美術館を回った。ずっと膀胱がフルだったのでトイレに行ったが小便器がひとつしかなく、しかも小さすぎるうえに汚かったので、個室を使おうと思ったもののすべてオキュパイされていた。舌打ちひとつ。ところへ展示室内にトイレになる展示があったので、誰かが誰かに向けて送ったメッセージの記念レリーフにむけて用を足す。用を足し終わったあとでどうして確信をもってこれがトイレだと思えたのかがわからなくなり、すこしのあいだゾッとした。展示室には自分以外いなかったのでそれもわざわいしたのだが、誰もいなかったので見咎められることもないのでさいわいしたとも言えた。美術館をぐるぐる何周かして(開き直って監視カメラを睨みつけたりして)、さらに二、三度トイレをしたりするうちにホテルからバスが出る時間になったので、慌てて来た道をホテルまで戻ろうとする。歩いて戻る途中、入口がすこしトリッキーで歩道を歩く分には店内に入らないと向こう側に抜けられなくなっている作りのレトロなレコードショップがある。店内に入るのは癪だったので無理にも横手の車道をいく。なぜか大勢の人足で仮設の足場を使い、大量の資材が運び込まれているようだった。乗り合いタクシー(タクシーといいながら実体はリムジンバス)に乗りこみホテルに戻ろうとする。ホテルの近くまで来たので降りる合図を送るがとんちんかんな運転手が合図を出したのにもうすこし先の歓楽街で降りるのだと勘違いしてホテルから離れた場所まで運ばれる。時間もないのに最悪だと思ってホテルの方向の検討をつけて交差点を見渡していると、奈良天平会館という食事処の看板とともに人ならざる生き物(牛頭?)とひょうきんな修行僧らしき人物のかわいらしい立像があったので写真を撮ろうとスマホを構える。像の奥には立派な門があり、それを含めた構図で綺麗に撮ろうとしていると空の白飛びがカメラのオートフォーカス(自動露光機能)によって収まってくるとともに、空に如来臥像が浮かんでいる衝撃的な映像が現れた。ここは”薬師天来臥像”のある場所だったんだと気づき興奮とともにシャッターを切りまくった。しばらくしていつの間にか目が覚めたが、あれが薬師天来臥像という名の大仏像だったというのは起きてから思いついた。どうやって空に浮かんでいる(ように見える)のかはもちろんわからない。
起きてからとりとめない活動をする。つまり漫画を読んだりスマホを見たりということだ。15時からのロン・ミュエク展にそなえて昼ごはんを食べる。家人の作ってくれたタコライスとお好み焼き。それなりの気温に落ち着いていたので乃木坂から六本木トンネルを抜けてヒルズまで歩くコースをとり森美術館には15時半着。1時間半ほどロン・ミュエク作品を見る。チキン/マンがとりわけ目を引いた。「関係」を描けるぶん他の作品とは際立った強さを持てるのだと思う。ミュエク自身の属性からなのだろうが白人男女だけが制作対象になっている。だから白人男女がミュエク作品を見るときに発生するような鏡像関係はなかった。それを味わってみたくもある。『マス』については数とスケールのものであるため、よりいっそう空虚であることが強調されていて、空虚だという感じがカンストしていた。漂白された頭蓋骨というのは切れば血の出るような他の作品とくらべて圧倒的につまらない。しかし小枝を抱える女、船に乗る男、スクール水着の女学生、ベッドで考え込む女などにはとくにゴーストを感じた。止まり続けていることの強烈な違和感があり、作品が時間を味方につけているとさえ感じる。普通あんなふうにじっとしていられないはずなのにという谷。認知不協和、不気味の谷というやつのさらに行った先の谷だ。
映画まで小一時間あったので梅蘭で焼きそばを食べる。お腹いっぱいになった。
『時には懺悔を』という映画を見る。見るつもりはなかったが予告の宮藤官九郎を見てこれは見ないといけないやつだと確信して見に行くことにした。結果、予感は的中したといっていい。宮藤官九郎の演技は、演技として最高峰の域にあることは間違いないが、テクニックではなく”人”なんだろうと思う。その良さを説明するのはむずかしい。この映画のテーマに「障害児を育てる」ということがある。見慣れないものを見ると恐怖の反応は強くなる。そこから脱却するためにはまず見慣れることだ。われわれは科学の進歩によって生かされているのだということをはっきり認識しなければならない。だからどんどん先に進むべきだ。この映画は映画を見せることによって社会を先に進めようとしている。価値のある仕事だ。根底には「普通に対する不信と人間存在に対する信」があるのを感じる。おそらく原作にも映画にも、つまり原作者にも監督にもそれがあるのだと思う。そしてそれは宮藤官九郎にも共通しているものだろう。ひょっとすると彼が一番多く持っているかもしれないという見た感じがある。恐れ入った。「どうしようもねえやつだな」とすっと言える感性というか、物事を断じることのない強い姿勢が際立っている。自分に必要なのはそれだ。それだけだと言ってもいい。自分にとって重要だと感じられる作品から学ぼうとしているのは煎じ詰めればその姿勢ひとつだ。
名優とされる役者が集まっているのでよりいっそう宮藤官九郎の異質な出来が際立つ作りになっているというのも加点したいポイントだ。あれだけの俳優がいてなお中心点が明確になっている。
帰りはすっかり涼しくなっていたので六本木の街を歩きながら氷結を飲む。下北沢からも氷結を追加して家まで歩く。


2026/08/31 昨日 8029
午前在宅。ハンターハンターを見る。午後から出社する。ご飯を食べそこねてコンビニで買ってオフィスに行くが打ち合わせのせいもあり食べる時間を失ってしまう。お腹が空いている状態だったので退勤後にミカンの前で氷結後、ぶっ豚の小ラーメン。19時前に帰ってバスケの日本‐カタールを見る。力の差が歴然だった。5人に収まりきらない注目選手がいて見ていて楽しかった。八村、河村、渡邉、ホーキンソン、馬場、富永。どのシュートを打ってもこれも入るんだろうなという予感がしてNBAレベルだった。
カルビーのポテトチップスのりしおを食べたり家人の作ったご飯をちょっともらうなど、破滅的な食事になった。せめてもの罪滅ぼしのつもりで腕立てやプランクをする。天幕のジャードゥーガルを見て寝る。


2026/09/01 今日 5798
朝から出社。千代田線と山手線が遅れていて、混雑を避けるために山手線を2本見送ったら遅刻になった。09:05からの朝礼には間に合う。午後在宅。家人が作ってくれたご飯を食べる。作ってもらっておきながら出来に文句を言ってしまい、作者の機嫌を損ねる。分量の問題か、加熱時間の問題か、料理酒のアルコールが飛んでいない疑惑があった。前日の就寝時間の遅れのせいで寝不足だったのでしっかりめの昼寝をする。
定時で退勤し、ATM関連のおつかいをこなしスタバに行く。溜まっていた上から目線ストリートの投稿を4つ。同じく溜まっていた日記を書く。

日記795

邂逅 2026/08/29 一昨昨日 18958 13時からバスケに出かける。『存在と時間』を読み進めたり『罪と罰』の音読をしたりとゆっくり過ごしていたら昼ごはんを食べる時間をなくしてしまった。とりあえずコンビニでおにぎり二個を買って食べる。体育館でもゼリ...