20260407

日記742

非公式ステッカー禁止周知用公式ステッカー

2026/04/06 昨日 6727
スタバを出てからダイエーで買った氷結をミカン入口で飲む。家人を待つあいだの隙間時間で『ワンバトルアフターアナザー』を見ようと思ったら、再生してすぐ家人が出現した。だいこんまんという行ったことのないお好み焼き屋に行こうと思ったが、肉を食べたいというリクエストがあり、自分の気分としても同調できたので、しずるに行くことにする。ビールと豚キムチ定食、家人は豚トロステーキを注文。帰りがけにドンキに寄って追加のアルコールを買って帰る。帰り道になんでもできるようになるとしたら何ができるようになりたいという質問をかけられ、自在に絵が描けるようになりたいと答える。それで漫画を作るのが目的だ。その話の流れで、自分は小説家になりたいのではなく、小説を書きたいだけなのだが、たまに気づくと小説家として扱われることを期待しているということを喋った。そういう気分が支配的になったら危険だが、今のところはそうでもないので、まあ自分にとって想像しやすい自分の社会的な成功モデルがそれで、だったら良いなあという与太話レベルで済ませておくんだとも述べさせてもらう。そうやって与太話の世界観に触れるのも、それに浸り切るようにならなければ小説を書くという第一義の目的に反するものではないし、今のところは取り締まるほどの願望でもない。問題は小説の進捗がパタリと止まっていることのほうで、その原因を探ってみると、ボツにするしかないものが書けてしまってそれに意気消沈しているようだ。そんなのはさっさとボツにして元気よくタイプしていくにかぎる。ボツにすると言ってもデータを消す必要はない。そんなことをしようとすると心理的ハードルが上がるから、さっさとボツ集に送ればいいだけだ。


2026/04/07 今日 3089
この日も一日在宅。やるべき仕事はあるからダラダラと手と目を動かしている。昼ごはんにはミートソースパスタを食べる。一時間の残業後スタバに行く。『タイミングの社会学』を読む。フィールドノートの記載が中心になった8章根こぎは、登場人物が直面させられている状況についての理解がおよばないし、自分の想像力の不足から冷淡に読み進めていることを感じさせられてやや居心地の悪さもあるのだが、暗い中にある灯りのようなものを感じもする。トタン屋根の雨がもたらす”さみしさ”を誰かに伝えられて、それがたしかにここまで届いたという事実があるからだろう。これこそが書く仕事の本懐で、小説家になるならないという偽の願望を隅に追いやる本質というやつだ。俺には自分というものにこだわる必要があって、その意味で湧き起こる偽の願望について無ければいいものとして扱うことはできないが、本質的に何を望むのかというところからはひとときも目を離せないと思っている。日記を書く。たぶん酒を飲んでから帰る。小説は読者が制限される表現で誰もが楽しめるわけではない。俺の書いたものをこの鉛直線上では読まない人というのは恐ろしいほどたくさんいるが、俺の小説にはそういう人こそ登場しなければならない。一方通行になるが仕方ない。そしてそうやって諦めるのなら優越感覚を持つことも避けられない。これは自分についての書かなくてもいい記述だが、こうやって書いておいても構わないと思っている。俺には自分というものにこだわる必要があるからだ。

20260406

日記741

 

TT(トールツリー)


2026/04/04 一昨日 17969

スタバを出た後、梅窓でうどんを食べる。その後、ダイエーに行って、お菓子を買い込んでから家に帰る。家で映画『クライム101』を見る。監督、ロケーション、両面から楽しみにしていたが、そこまで面白い映画ではなかった。雨が少し降る中、高円寺に行ってバスケをする。腰の痛さ、すねの痛さがあったが、めちゃくちゃ疲れる中でも最後の方まで集中を切らさずに、特に最後はハッスルプレーができた。高円寺のチームではセンター的な役割をこなすことが多いが、特に嫌がらずできていると思う。チームの中で自分がこなせる役割を考えたとき、どうしてもセンター的な役割になることが多い。ディフェンス面でパワー不足から押し込まれることも多いが、それでも一番自分の強みを出せるのは残念ながらセンターということになると思う。ゴール前のシュートをよくこぼすので、それがストレスになっている。決めて当然というシュートを決めても嬉しくないし、決めればすごいというシュートを決められる方が嬉しい。またそういうシュートはたとえ外してもダメージが少ないので、ミドルレンジからのシュートやアウトサイドからのシュートの方が自分の気持ち的にはやりたいプレーになる。疲労困憊、這々の体だったので車で送ってもらえて助かった。シャワーを浴びてからローソンで買って帰ったちゃんぽんを食べる。


2026/04/05 昨日 9042

朝からスタバに行った。スタバでは本を読む。『タイミングの社会学』錦糸町のコンサートホールに行って吹奏楽を聴く。知らない曲ばっかりだったが、元気がいっぱいで楽しめた。コンサート終わりには、錬糸町から両国まで歩く。途中、星の王子様ショップがあったり、八角部屋があったりして良い散歩になった。両国駅のサイゼリヤに入って、遅めの昼飯、あるいは早めの夕ご飯を食べる。帰ってからTRPGのプレイ動画を見る。ゲームキーパーが必要で、しかもその役割が大きいので、実際に自分たちでやるにはハードルがあると感じた。10時頃には寝にかかる。


2026/04/06 今日 2892

 1日在宅勤務。やるべき仕事はそれなりに多くあるが、そこまでの進捗はなかった。昼ごはんにはラーメンを食べる。バーピージャンプのトレーニングをしてクタクタになったが、それ以外に特にトレーニングはしなかった。

 1時間ほどの残業をして、アクアボイスで試しに日記を書いてからスタバに行く。喋って日記を書くというのがあまりうまくいかない気がする。何か考えながら声を出すということに慣れていないので、リズムが取れないし、これがタイピングより早いとも今のところは思わない。が、どんどん喋れるようになってきたらまた速さも変わってくるのだろうか。うまく書き言葉の文章にならないので、書き言葉に近い文章を声に出して喋る練習にはなるかと思っている。そうすることで口述筆記の道が開けるというよりは、むしろ今やっていることが口述筆記そのものなので、この方法でタイピングの労力やそれにかかるコストを減らして、考えたことがそのまま出力されるというような状況に持っていきたい。

仕事時間中にきしたかのの高野が高飛び込みをさせられる羽目になるテレビ番組の生放送の録画を見る。自分には20代と30代の頃にそれぞれバンジージャンプと高飛び込みの経験があるからか、彼の身体を慄かせて足を前に運ばせないものの正体がわかっているという気がした。落ちる瞬間には、これから先にはもう絶対に引き返せないもののなかに放り込まれる感覚がある。ゆっくり、しかしあっという間に吸い込まれていき、もう取り返しがつかないということを身を持って知る。それが終わった後には安心感によって最前面に躍り出る昂揚がある。テレビ画面の人物に起こっていることにどれだけ近寄れるかによって、たぶん見え方が全然ちがう番組内容だったろうと思う。UNEXTの無料期間で見たのでCM抜きで見れたのも良かった。2週分ぶち抜きで見た。本当にドキドキした。

一時間以上の残業になって、その後スタバに行って『タイミングの社会学』を読む。強制撤去のくだりを読んでいると、ピンチョンの小説はエスノグラフィックなフィクションだったんだということを思った。スロースロップの対抗陰謀など、今思うと涙無しには読めない。彼は強大なシステムだけではなくヒロイックなものにも抵抗している。それに比べて『ワンバトルアフターアナザー』なんかはただの娯楽映画だ。ディカプリオも間違いなく映画のスターだが、ただそれだけの俳優だ。それ以上ではない。『八月の光』を読み終わる。あとは結果を知るだけの時間という感じでクライマックスは小説という表現における必要上の締めくくりだと感じた。3分の2のところまでが最高に引き込まれたのに比べて、残り3分の1は添え物、あるいは長いエピローグという感じだった。それでも上手な視点切り替えで不足なく幕を引いていて見事だと思う。

20260404

日記740

管理樹木

2026/04/01 一昨昨日 7402
一日在宅。それなりに忙しかった気がする。でもすこし昼寝をした。ほとんど記憶がない。昼間はどうでもいい仕事をこなしただけだった。自宅トレーニングをすこしやった。残業もあっての退勤後、雨のなかシェルターまで行く。ヤスエでんじゃらすおじさんのワンマンライブを見る。ロック音楽のことはわからないが、以前に見たスリーマンでのライブで圧倒的に楽しそうだったので注目していた。ポジションがわるく、上手のボーカルしか見れない位置にいたので楽しそうに演奏するメンバーという視覚情報に欠け、こちらの気持ちが共振して盛り上がるということがなかった。音楽はパフォーマーのパフォーマンスよりも聞く方のセットに大きな影響を受ける表現だということを再確認した。アンコール含めラスト2曲の頃にドリンクチケットで飲み物を飲むため場所を移動したことでメンバーの表情が見える位置取りになり、それで一気に楽しくなった。ずっと腰が痛かったのも途中で盛り上がりきれない原因だった。雨が小止みになっているなか、追加の酒を飲みつつ家に帰る。家人にこのバンドを見せられてよかった。


2026/04/02 一昨日 19967
午前在宅。所用で新豊洲まで。用事は思ったよりすぐ済んだので、豊洲の吉野家で牛丼を食べた後スタバで『タイミングの社会学』を読む。フィリピンのボクサーが戦う相手は、日本やアメリカのボクサーが戦う相手より多いこと。それを打ち破るための戦いによって得られるものは、日本やアメリカのチャンピオンが得るものとは比べられないということには説得力があった。自分がプレイしているゲームに対して、自分の解釈を通してその範囲を拡大させるアプローチというのには次元の異なった力強さを感じさせられる。努力だけではない、努力に裏打ちされた工夫というものが必要になり、それが活躍する土壌というのは、不遇な状況から逆転する土台でもある。そういう観点では優遇されているものこそ不遇な状況にあると言えると思った。優遇されているとそういうことを言うのは難しいが、それでも腹に力を入れて言おうと思ったら言える。情けないような苦味が走るのは避けられないが。あとは日常的にバスケをしていると、ボクサーの言う「身体が動く」という表現にはなるほどと思わせられるところがあった。ボクシングの場合、アンコントローラブルな領域に突っ込んでいかないと相手に負けるというところから、つまり必要があってそこまで進んでいるんだろうと思うが、頭が身体を動かしているというのではなく、身体が動くことに対して手綱を引くというように競走馬と騎手との関係で喩えているのには半分納得できるところがある。プレータイムには、そのときにはもう考えている暇はないという瞬間がある。そのとき認識面は受動的な作業しか担わせてもらえず、判断・動作など決定的な要素はすべて身体が担当することになる。認識面は自分のしでかしたことや達成に対してあとからの評価を下すだけで、それはプレーにとってはあってもなくても良いものだ。個人としてはその評価で気分が上がることにつながっているので重要だし、それなりに効果的に使えるものでもあるから認識面が不要ということにはならないが、番手で言えば二か三だ。納得しきれないあとの半分というのは、あとから評価したり判断するのはこのとおり頭がやっていることなので、手放しで身体の優位を言うということはできかねるということがある。さらにプレータイムにおいても、認識する時間を取ることで「流れの逆をつく」という優雅な騙しのテクニックを使えるようになる。切り札は意識の外から出されるほうが効果的だ。
高輪に移動して定例のミーティングに出る。終わり次第家に帰り、仕事の残りを片付けて退勤。狛江までバスケに出かける。経験者枠の回で、いつもうまいなと思っているプレーヤーも制限なしでバスケプレイしている感じなので楽しかった。ゴール下でのフリーのチャンス時にドンピシャのブロックを受けて、本来であれば悔しいはずなのだがあまりの見事さに他人事のように感心してしまった。華のあるプレーヤーによる、滅多に見られない猛然として止めに来るプレーだった。とはいえ、こちらの身体には一切接触せず、きれいにボールだけを叩き落とす華のあるプレーでもあった。この日は得点などの成績はそこまで伸びなかったが身体は動いて楽しかった。ヒップヒンジやバーピーなどの自宅トレーニングが効いているのかもしれない。


2026/04/03 昨日 8399
一日在宅。翌日に休日出勤作業があるのでその準備などをした。待機時間があるのでそのときにやろうと、いくつかのタスクを後回しにしてゆっくり過ごす。ドロヘドロの第二期の3話を見る。ドロヘドロでは、人の形をした野生動物のような位置づけで人が登場するので殺人の位相が現実世界とは決定的に異なっていて、その認識の違いが面白い。よくある時代物では人権を持ってそうな庶民が人権を持っていそうな顔で物を言ったり何かをしたりするのを見せられることになるので、それとは対照的だ。ドラマや映画では、演じる役者は現代社会の成員なのでどうしても非道さに天井がある。それに比べてアニメでは、自分たちの常識に汚染されていない、”認識の違う”人物の感情を完全に演出できるという強みがある。「殺してやる」とか言わないし、べつにそんなこと思ってもない。小さな羽虫を潰すぐらいの行動がテンポよく繰り返されていく。
退勤後、五反田まで行って夜桜花見。戯れにヘアアイロンを使ってもらったところ、おかしな髪型になった。折角なのでとそのまま出かける。一張羅を着て、気持ちが挫けたときのためにキャップを持っていった。花見会場は行ったことのある場所なのだが記憶していたよりだいぶ良かった。花、川の流れ、定期的に橋をわたる山手線、ビルの谷間に浮かぶ月、人たちは賑やかに楽しそうで、しかしそれなりの間隔を空けられるだけのスペースも有り、暑くも寒くもなく風も吹きつけず、平たく言えば最高だった。


2026/04/04 今日 2544
出勤のはずが、家を出るときに業務端末を見ると急遽のキャンセルという連絡が入っていた。休日の予定を空けられ、当日キャンセルというのははっきり行って許しがたい所業で、仕事・職場に大丈夫ですよと言ってはいけないことだが、そのままスタバに出かけられるということもあり、実テンション的には「OK〜!」という感じだった。『タイミングの社会学』を読む。日記を書く。

20260331

日記739

パークの桜


2026/03/28 一昨昨日 11356
お台場のトヨタアリーナまでBリーグの試合を見に行く。試合内容というかアルバルク東京の出来があまり良くなく、立派な会場に見合うだけのクオリティではないと思った。観戦後、満員のゆりかもめで新橋に行って飲む。目当てのタイ料理屋が予約満席のため別の店を探す。もうやんカレーがあったのを思い出して入る。シンガポールの友人と家人の3人で英語をまじえて会話をした。辛口をチョイスしたら辛すぎたのとビールと合わせて空腹からの刺激が強すぎて胃が驚いてしまった。会自体は面白かったのだが胃の苦しみの始末をつけなければならなかったのですこし低調気味だった。


2026/03/29 一昨日 19408
渋谷まで『マーティーシュプリーム』を見に行く。基本線はお山に上りたいサルの話なんだが、サルにも情が湧くんだよという取ってつけたような結末は納得できない。そこに目を瞑ればティモシー・シャラメの眼鏡の魅力もあり、かなり高く評価できる。お山に上りたいサルには特有の魅力があるし、それを容赦なく描けていたと思うからだ。「お前には長期的な展望がない、俺とは違うんだ」と女に言うところなど、情けないセリフで笑えるのだが、それと同時に胸が痛まないわけには行かなかった。誰もシュプリーム願望からは逃れられない。赤子を見て目が覚めたとは言わせない。一時的に気が逸れただけだ。
下北に戻り吉野家で唐揚げ定食を食べる。無印でトイレ紙を買って一旦帰宅。バスケの荷物を持って早めに高円寺に行く。ドトール珈琲店で『歩山録』を読む。なんらかの烙印を押そうと読み始めたはずなのにいつの間にかつい夢中になってしまっている。面白くない小説と言うことはかなりむずかしい。
バスケは平均点の出来だったが、感じを掴んだと思ったゼロポジションのシュート感覚が失くなってしまっていた。車で世田谷代田駅前まで送ってもらう。マチアプの女の子と2回目のデート、というメンバーの話をちょっと聞いた。
家人の姉が遊びにきてくれたのですこしだけお喋りをする。くつろいでもらえるようにとくつろいだ雰囲気を出そうとしてあまり構いつけず。職場の大型新人の話が面白かった。百人一首を使って別れの挨拶をするというまっすぐなハイコンテクストな演出には人によって賛否わかれるようなのだが自分としては面白いと思うし面白いと思う時点で勝ちだと思う。知らない人への話題提供になるという意味でも強みを感じさせられる。まさにシュプリームなところがある。若さとセット販売されることが多く、それだと若干退屈な組み合わせではあるのだが、それを差し引いても魅力が有る判定になる。


2026/03/30 昨日 11853
午前在宅。朝ご飯に朝買ってきてもらったクロワッサンをごちそうになる。ふたりは美術館へと出かけていった。家人の作った部屋を姉に見せられたのはかなり良いイベントだったと思う。海外旅行を安くする方法を教えてもらったので今後海外旅行をするかもしれない。
午後から出社。仕事をパキパキつぶして定時退勤。送別会までの時間つぶしにミムレとモンを見物する。送別会は品川のシュマッツで、かなり良いチョイスだと思った。若者たちが釣りの話で盛り上がっていて付いていこうとするかたちになってしまった。そのうちのひとりが「休日することないですよ!」と言っているのがじつに堂々として印象的だった。韓国の彼女の話をもっと聞けばよかった。いろんなことを喋らせて、それに対して無責任に良いとか良くないとか短くコメントする会にしてもよかった。もっと場を回す意識を持たないと。釣りってなにが楽しいの?じゃない。


2026/03/31 今日 8103
午前在宅、午後出社。午前中、久しぶりにトレーニングをする。お昼は歓迎で青椒肉絲丼を食べた。仕事はどんどん降ってくるがパキパキ打ち返している。昨日送別会で主役だったひとりとバディを組んでいたのだが、彼が最終出社なので簡単にお別れの挨拶をした。素直を絵に描いたような人で、人好きのするタイプだ。つまらないものを吸収しないで面白おかしく生きていってほしい。25歳だとか言う話で、そうすると自動的に今後いろんなことがあるんだろうからアドバイスもなにもないんだが、自分にできるかぎりのいい加減さをキープするのが良いと思います。
行き帰りに『タイミングの社会学』を読む。スタバで『歩山録』を読み終える。書いているところと書けているところの差が大きいように感じられるが、書けているところがよいので持っていかれる。あとは本人が感じられるという意味でデビュー作の良さが詰まっている。衒気を主人公の山田に担わせるのが嫌味と言えば嫌味なのだが、メタ情報がなければ気にならないものかもしれず、そこまで考えているのだろうからやはり嫌味に感じる。
雨が上がったようなのでスタバを出て氷結を飲むことにする。小説の進捗はなし。

20260328

日記738

接続待機

2026/03/25 一昨昨日 17751
午前在宅。午後から出社する。今年度最後の定例ミーティングに参加する。仕事が忙しいがバスケがあるために残業するわけにはいかない。無理やり片付け、翌日に先送り、定時退勤する。山手線で代々木まで、大江戸線に乗り換えて落合南長崎まで行く。大江戸線の乗客の風体・雰囲気が小田急線や井の頭線とは異なっているのを感じる。どこがどうというのは言えないが、印象としてはより重たそうでくたびれた感じが強い。早めに到着したのでマクドでソフトツイストとホットコーヒーを飲む。雨のせいで湿気を含んだ臭気が立ち込める店内に20分ほど滞在した。『八月の光』を読む。ザーザー降りの雨のなか傘を持たないで体育館まで歩く。3分も歩かなかったはずだがまあそれなりに濡れた。バスケは好調とは言えない出来だったが、最近の平均からすると低調でもない。じわじわとパフォーマンスが落ちてきていてじっくりとそれを受け容れている感覚がある。しょうがないところだけど直視はむずかしい。シュートフォームの改善については地味に進んでいる。ゼロポジションを意識して、ボールを押し上げる気味があったのを修正したら自然に回転もかかるようになってきた。あとはフォロースルーを気持ちよくできるように安定させるだけだ。左手が上がったままなのが窮屈そうな見た目になるので右手だけのフォロースルーで気分よく打ち終わりたい。それができればシュートの成否は二の次というところまで行けたらいい。小一時間かけて最寄り駅まで戻る。雨が本降りになっていて家までの5分も歩けないと判断したので家人に傘を持ってきてもらった。氷結を飲んで待っているあいだ、セブンイレブンの軒で雨を楽しんだ。安全な位置から聞く雨音にまさる音楽はあまり多くない。

2026/03/26 一昨日 7841
午前在宅。午後も在宅にしようかと思ったが、仕事が多すぎたのでオフィスでやるほうが効率的だと考えて昼から出社することにした。わたわた働いて1時間半強の残業になった。オフィスを出て廊下・エレベータでの自分は鬼みたいな形相をしていたと思う。そんなのはしかし不機嫌の表現にすぎない。そのまま下北に行って図書館で予約本を受け取る。『エスノグラフィ入門』をダンダンで読む。自分が生活のなかで感じていて、生活動線上に位置している感覚が書かれているので面白い。これを使って自分の感覚の位置をより正確に掴めそうだという直感がある。氷結を飲んでから帰る。じつは残業をして帰る電車内でも「今日は小説について頭を悩ませないでもいい」という思いがあって気が楽だった。残業の負荷など物の数ではない。すでにやるべきことがセットされている仕事は考えることが少ない。それが続くと窒息するという問題が出てくるのだが。帰宅して焼きそばを作って食べる。翌日にそなえて早めに寝る。

2026/03/27 昨日 10371
朝から出社。昼すぎまでオフィスにいて仕事をやっつけてから昼遅くに在宅に切り替える。小一時間の残業。雨が降っていたのですぐに家を出ないでうだうだしたあと、空腹限界を迎えた家人が出ていくというので飲みに付き合う。三日月ロックに行ったがあまり楽しくなかった。声を張らないと相手に聞こえない状況下で元気がないとにっちもさっちも行かない。早々に店を出てドンキへ。カラコンを見てから酒を買って歩きながら飲む。ディファインのカラコンを付けてみたいと思っていたのだがぴったり合う度数がなく断念した。途中カラフルで極端に明度の高い店内の雰囲気に圧されてちゃんみなプロデュースのカラコンに手を出しそうになって危なかった。なんでもやってみればいいんだし危なくもないんだけど、この自分との乖離幅が一定量を越えそうな感覚があってそれを危ういと感じたのだろう。まともでくだらないが、いちいち反発しないでもいい。帰ってから呪術廻戦の仙台コロニー回を見る。漫画がアニメ用のコンテのような内容だったからこれはアニメ映えするだろう(しかし労力は半端じゃないだろう)と思っていたが、その期待を超えていく演出で立派なものだと感心させられた。アニメソングAIZOの2番の使い方がよかった。”満腹の先”を知ることになるツッパリとオーバーラップさせられていて、その演出意図のわかりやすさがポテチに振りかけられた塩ばりにドーパミン的快感を呼び込んでいる。単純と言えば単純だが快感は快感だ。快感と言えば快感だが単純は単純だ。ともいえるが、それで良いアニメなのだからそれで良い。

2026/03/28 今日 1788
9時に起きて洗濯物を洗濯し、家人がフライパンで焼いてくれたトーストを食べてからスタバに行く。小説の進捗はほとんどない。『エスノグラフィ入門』と『歩山録』を読む。日記を書いて昼食のため一旦帰宅。その後はBリーグを見に行く予定。

20260324

日記737

まもなく完成

2026/03/23 昨日 9366
21時すぎにスタバを出た後、ダイエーで氷結を買ってからミカンの入口で飲む。いつものコースだったが「実験中」と書かれた幟が設置されていて座るスペースが狭くなっていた。音楽を聞く。久しぶりにフレシノの『Coincidence』。いつもの景色といつもの通行人にいつもとはすこしだけ違うリズムが生まれたように感じた。あとは昔作った曲を2曲聞く。10年前の作で正直未熟だと思ってしまうが、そんなことは言われたくなかっただろう。これから10年の後、今書いている小説のことをもし未熟だとか抜かしやがったら許せないというよりはきちんと評価できているか? と返したくなるはずで、それは10年前も同じ感覚だろう。ずっと上がっていきたいが、全項目上がっていくことはこの先10年ではもうできないと思われる。半分下がって半分上がるぐらいにはなっていきたいが、それも実際のところどういう配分になるのかわりと未知数だ。とか考えながらしばらくじっとしたあと、家人のためにビーフンとノンアルビール、自分のためにジューシー肉焼売(40%OFF)、追加の氷結を買って帰る。帰ってから寝る準備をするまでの時間にヒロアカのアニメを2,3話分見た。最近死ぬのがこわいフェーズに入っている。ここ2週間ぐらいとくに顕著だ。季節の移り変わりを感じてもいるが、はっきりポジティブなものとは思えない。せめて飽きるまでは繰り返したいわけだが、そうならないうちに終わりになると思うと残念でならない。だから今、今を精一杯感じ取ろうという気分にはならない。そんな単純にできていない。だからブーイングをしたくなったり悪態をつきたくなる。一応それなりに単純にできている。


2026/03/24 今日 3569
一日在宅。上出遼平の健康チャンネルを見る。最新話まで行った。見始めてからずっと、未解決事件を取り上げて一体何をしたいのか理解できないわけだが、結局わからないままになりそうだ。それでも上出が言っていることを部分部分で見ると一貫してまとも、事に当たるために必要なだけの知性と情熱を兼ね備えていて、全体として意味不明、部分部分は理解しやすいということに今のところなっている。興味深いので小説を図書館で予約した。昼ご飯は志摩で買った炊き込みご飯のもとを使って炊き込みご飯を3合炊き込んで食べた。出すべきメールを出し、返すべきチャットを後回しにして定時退勤。スタバに行って小説を進めようとする。しかし普段の進捗の3分の1ぐらいの分量しか進まなかった。その分メモ書きをいくつか残し、別の日の自分の進捗に役立てようとした。スタバに行く途中で母親連れの未就学児童の男女が公園の端と端から「バイバイ」を言い合っているところに出くわした。女の子のほうが「また明日遊ぼうね〜」と言っていてかわいかった。それに対して男の子のほうが「いいよ〜」と返していて、その上から目線が気になった。かわいいふたりのやり取りだったので公園中を巻き込んでそこここで笑顔を作っていたが、男の子の上から目線が気になった人はそれなりの数いたはずだ。大人になるまでに反省して改めるようにしてほしい。スタバで書いているうちに血糖値が下がってふらふらしてきたのであわててバニラオールドファッションドーナツを追加注文する。すぐに食べてなんとか事なきを得た。円城塔のnoteを再読したがやはり面白い。考えるところまで考えてみればたしかに全部ファーストコンタクトだよ。
これとは別のタイトルだが卒論についての文章でエスノグラフィという概念を知って、いまの自分にとってとくに面白そうだったので、その知識を入れようと図書館で何冊か予約した。まだ20時前だが、日記を書き終えたらダイエーで氷結を買って飲もうと思っている。

20260323

日記736

長い影のときは短い

2026/03/18 五日前 4523
たぶん大相撲を見た後にスタバに行く。日記は書かなかったが小説の進捗はすこしあった模様。氷結を飲んで帰る。ダイエーで買って帰ったビッグチキンカツとピーマン肉巻き揚げをおかずに家でご飯を食べる。

2026/03/19 四日前 18478
午前在宅。必要な打ち合わせに出た後、最低限必要な雑務をこなしてから午後休にする。喉が痛いのを理由にしたが、安静にするうちにちょっとずつ良くなっていったのでバスケに出かける。環七を40-50分間歩いて会場の杉並区の中学校に行く。歩きながら『蠅の王』の第4話を見る。ピギーの魂の鳴き声が胸に迫った。たとえそれがどんな種類の悲惨でも悲惨は特定の個人に向けて襲いかかる。社会はときにそれを認知したり無視したりするだけで、感知する機能は持っていない。それは個人の領分だ。バスケはバテバテで好調とはいえない出来だったが楽しかった。ダイチャリで最寄り駅まで帰る。荷物を置きに家に帰ってから下北で友人Nと飲む。外、松屋、風知空知跡の順で飲んだがあまり疲れを引きずらず楽しかった。今の環境は最高だがいつまでも続くものではないとか言ってしんみりした話になりそうになった。それではつまらないので役所広司の演技はすごいという話をする。Nは役所広司はどの役をやっても役所広司という意見。自分も部分的にはそれに賛成なのだが、それと同時に、ということを言いたかった。役所広司なのに役所広司として見ていない瞬間があるという意見については同意を得られず。映画を演技に注目して見たり、集中して見たりということが少ないと感じられない部分かもしれない。Nはどんな物事も記号的に塗りつぶして見ることの達人で、見ているつもりの”つもり”度合いが人一倍ある。たぶん(集中せず)見ている量も多いだろうし。そもそも直近で映画を見ていないと役所広司のイメージが前面に出るのは自然なことだろうし。記憶を頼りにはできないのだろうし。まあ仕方ない。意見を聞くのも意見を言うのも話半分にしておいたほうがいいと思ってそうしているが、意見を言うことに関しては半分に調整して良いことはないので通じる通じないをべつにして全部で話そう。


2026/03/20 一昨昨日 19088
午前中はゆっくり過ごす。グランベリーパークまで『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を見に行く。宇宙空間を味わう系の映画はとくにIMAXで見る必要があるということを再認識した。しかし隣の客がアホみたいにポップコーンを食べていたので没入感というところまでは行かなかったのが残念だった。アホみたいというのは食べるタイミングを外的要因ではなくお前の食い気に拠って決めているところからだ。この場合、ポップコーン食いたくなったんだからしょうがないじゃん、以外の言い訳は存在しない。映画はもちろん面白かったが、手放しで見に行くべきとおすすめするほどではなかった。一度見れば充分。
映画終わりに友人Bの案内で町田をうろちょろする。霧雨のなかPEEL片手に歩き回った。友人Nも合流してからてんがらなんちゃらという居酒屋に入って飲み食い。ビールのあとに赤霧島ソーダ割りにチャレンジする。いつの間にか焼酎が飲めるようになっている。赤霧島は黒霧島より飲みやすかった。町田の公園を夜散歩してから帰る。結構歩き詰めに歩いた。


2026/03/21 一昨日 16980
午前中はスタバに行って小説をすこし進める。日記を書く時間はなかった。午後から渋谷に出かける。14時集合なのに14時20分の到着になってTCBのやつらに呆れられた。べつの友人の新しい就職先のイベントが宮下パークであったので一瞬だけ顔を出す。その後PARCOに行って屋上で松露のソーダ割りを飲む。800円もした。それ以外のアルコールが1200円だったのでそれでも安いほうだ。友人Nはなかむらという焼酎のソーダ割りを飲んでいた。おいしくなさそうだと思っていたが、ちょっと飲ませてもらったところやはり美味しくはなかった。美味しくないのに癖はあった。
その後、代々木公園に移って傾いた日が落ちるまでの短いあいだに今年第0回の花見をした。家人とTCBのふたりと、四人で漫然としたゼロカロリーの会話をできることも、これがいつまでもは続かないと思うと価値あるものに思えてくる不思議があった。そんな不思議はないほうがいいんだけど、目を凝らせばあるということが明らかになってしまう。
その後、Nは先に帰る。三人で原宿ビートル難民として安居酒屋に入る。トイレにピースボートのポスターが貼ってあった。「198万円」になっていて物価高なのか円安なのかその両方なのかを思った。いい加減な気持ちで注文を許可したモツ鍋が美味しくて意外な喜びがあった。表参道まで歩いて駅前ですこし飲んでから電車に乗る。下北沢で解散した。翌朝が早いので早めに寝る。


2026/03/22 昨日 29153
8時過ぎに家を出て狛江に行く。バスケの練習のためだ。3Pシュートを中心に身体を動かす。ハードには動いていなかったがけっこうな汗をかいた。
一旦帰宅してご飯を食べ、身体を休める。大相撲の千秋楽を見る。あおにしきが豊昇龍に負けて負け越しになった。高円寺に出かけてこの日2回目のバスケ。うすうす予感していた通り、脚の疲労で身体が思うように動かずフラストレーションが溜まる回になった。本当のところはハードなDFに手も足も出なかったかたちだが、それを言うと悔しいので態度にも出さず押し隠した。本当は悔しい。負けてもいいから勝負に行くべきだと思うのだが疲れでそれもできないのでとにかくジリ貧だった。ブザービーターでスリーが決まったのが救いといえば救いだ。あとは車で送ってくれるときに、川崎出身のさわやかな人と会話できたことが嬉しかった。嬉しさが余ってよけいなことを口走ったのが悔やまれる。「野球が嫌いです、面白くないし」という内容だ。相手が子供には野球をさせたくないと言っていた流れだったからそれ自体はいいんだが、こういうとき何が面白くないのかをはっきり言わないとただの不平家になってしまう。彼は格好良い人なので、とくにそういうふうに思われたくない相手だ。カーステレオで上出遼平の未解決事件についてのYoutubeを見ているということだったのでどんなのか見てみようと思った。


2026/03/23 今日 6801
朝から出社。三連休明けの嫌なときにこそこっちから向かっていく姿勢を見せるのがメンタルに効果的という経験則からだ。結果、功を奏した。午後から在宅に切り替えることでこの日はこれで終了という疑似的な体験を生み出すことができた。ここまでくれば「嘘から出た真」はすぐそこだ。豚とんで小らーめんを食べる。上出遼平関係のインタビュー動画をいくつか見る。なんだこの羨ましいやつは……という感じで”いけ好かない”評価だったが、拠点をNYに移しているというくだりで完全に閾値を超えた。絶対に許さない。本格的に羨ましい。健康チャンネルでニューヨーク・マンハッタン南端の朝散歩動画があったので再生。2年前のNY旅行を懐かしく思い出すよすがにする。泊まったホテルの近くで、実際に歩いた道が散歩コースになっていたので嬉しくなった。バーチャル退勤後、スタバに行って小説を進める。久しぶりに溜まっていた分の日記を書く。あれを書こうと思ったことがあったのだがその内容が思い出せない。たしか出来事ではなく気持ちのことだったから惜しい。取り返せないし。

20260317

日記735

通い慣れた広い道

2026/03/14 一昨昨日 8265
午前中に映画『トレインドリームス』を見た。一人称映画というのはドキュメンタリーではなく劇映画でしかありえない形式だということを思った。ドキュメンタリ映画については好きでも嫌いでもないが一人称映画は明確に好みだ。夕方から九段下に向かう。GEZANのライブを見に行った。まあまあの出来だったが新代田FEVERのほうがよかったと思う。全国をツアーで回ってきたらしいが、それぞれのライブハウスのほうがエナジーが伝わったのではないかと思う。あとはキャッチコピーの「お前らの退屈をぶちこわす」というのも素直に受け付けられない。素直には受け付けられないのではなく、ただ素直に、受け付けられない。なぜなら私は一切退屈していないからだ。他にもところどころ自分とは感覚が違うなと思うところがあるのだが(死生観とか)、それでも言うべきことを言っている感はバシバシ伝わってきて、自分も自分の道を遠慮なしに行かないと駄目だなという再確認になった。「最後の一曲です」という言葉を真に受けて、アンコールは聞かずに出てきた。早稲田のサイゼリヤに行って閉店時間まで飲食して帰る。


2026/03/15 一昨日 23183
午前中は家で『すばらしき世界』を見る。役所広司を見て学ぼうという意図で再生するのだが、つい気を抜くとすぐ三上にしか見えなくなる。本当に役所広司はすごい。部分部分を見るとその役でしかなくなるのに、全体で見るとはっきりと役所広司だ。このアンビバレンスな在り方をもっと研究したい。
フルート練習にカラオケに行っていた家人が帰宅。昼食に絶望スパゲティを食べに行く。そのまま梅ヶ丘の羽根木公園に行って公園のベンチに座る。子どもたちや子連れや犬や犬連れを見る。新しくなった梅ヶ丘図書館で本を借りて帰る。大相撲を見てからバスケで高円寺に出かける。このチームはとにかくバスケが好きという気持ちが他のチームより目立って強いからやっていてとくに楽しい。同じぐらいの身長の選手(でかい・うまい・はやい)にボコボコにされたが次は負けないぞ。


2026/03/16 昨日 9088
午前出社。午後在宅。行き帰りの電車内で昨日のバスケの動画を見る。大相撲を見る。途中20分ぐらいニーチェアのロッキングチェアでうたた寝。スタバに行って小説を進める。ミカンの入口で酒を飲み、吉野家で唐揚げ定食を食べて帰る。


2026/03/17 今日 6031
午前出社。午後在宅。豚とんで小ラーメンを食べる。行き帰りの電車内で『失われた時を求めて』を読む。大相撲を見る。打ち合わせに参加して議事録を書いてから退勤。この日はめずらしく家で作業。小説を書いてから日記を書いて仕事終わりの家人とトリキに出かける。

20260313

日記734

川音

2026/03/12 昨日 20530
午前在宅。仕事を進めつつ家事もこなす。バスケの用意を持って午後から出社。15時にオフィスに着く。中学校のバスケリングが壊れているとかで修理が終われば開催されるという話だっだのだが、首尾よく修理は完了したということでバスケ開催が決まって良かった。定例のミーティングに参加して、同僚と仕事の進め方について確認して、質問について返すべき回答を想定して定時で引き上げる。山手線で高田馬場まで、西武新宿線で中井まで。そこからバスケの会場になる中学まで歩く。年始頃に友人Bと歩いたコースそのままの道があり、こんなところに中学校があるんだと思った場所がバスケの会場だった。一度チラ見したものが、あとになってその詳細を明らかにするのは面白いものだ。この日のバスケは一生懸命走る楽しさがあってすごく疲れるけどすごく楽しいバスケだった。近距離でのシュートを外しまくったのが気になるといえば気になるところだったが、成功数の積算もそれなりで得点数が多かったことに免じて許してやろうという気になった。こういうこともあるのでプレー動画を撮るのは良いことだ。思い出にもなるし、しようと思えば研究もできる。バスケを録画しようという気がない人のことがわからない。すこし前の自分だが、思い返すと、わざわざ三脚を持っていったり、画角を決めたり録画ボタンを押したりするのが億劫だったというだけのことだ。自分が持てるプレータイムにはもう現実的な限りがあるということを理解しはじめた今となっては録画なしで済ませるのがどうしてももったいない。
バスケ終わり、東中野駅まで歩くために氷結無糖レモン500を買ってしまう。活気のある商店街も楽しいし、新宿駅の豊富な交通も楽しい。バスケも合わせると楽しい楽しい楽しいでこれが日常に組み込まれていることの強さを思うと手放しがたいという気持ちになった。


2026/03/13 今日 5013
午前在宅。後回しにしていた重めの2件が同じタイミングで襲いかかってきた。とはいえ昼からは作業立ち合いの用事もあるし、なんでもかんでも対応はできへんよと開き直って、低い精度の回答を作ってとりあえず出したり、立ち会ったり、お世話になってますとか言ったりした。
その後同僚からの質問などもあって30分の残業になる。この人が動いてくれるから助かっている部分が多くあったのでこの人が抜けた後のことが思いやられる。頑張れないし頑張る気もない。もう何も引き受けません、知らんがなという練習をしておこう。
帰宅して荷物をおく。すこしゆっくりしてからスタバに行く。小説の進捗はあったが、書きやすい内容を書いているという意識がある。書けるものしか書けないのはその通りなのだが、ちょっとは”書けてしまった”という特殊な作用も期待したい。その点からはすこし心配になる進捗だ。家人がフルートの練習を終え、22時半に下北に着くということなので飲みに行くことにする。

20260311

日記733

横スクランブル

2026/03/10 昨日 9569
日記書き終わりちょうどのタイミングで家人が来たのでそのままトリキに行く。乾杯でビール、2杯目に金麦を注文し、たれ貴族焼きモモ・ムネ、唐揚げを注文。2400円弱の会計。イオンで弁当と酒、明日の食材を買って帰る。ノーノーガールズの9話を見て寝る。appleのCMをよく見てしまったせいで結果のネタバレを食らっているのでデッドオアライブのヒリヒリがなくなってしまっている。あとはHANAにならなかったメンバーのために申し訳ない気持ちになる。


2026/03/11 今日 6739
朝から出社。対面でのコミュニケーションでQA対応をする。これが発生すると見込んでの動きだったので我ながら先を読んで動けている。昼からは在宅にする。午後のミーティングはウェブ参加で問題ないという読みからだったが、これもドンピシャリで当たった。大相撲を見ながら雑用をこなし、藤ノ川が躍動する結びを見届けてからスタバに行く。小説を進捗させてから日記を書く。20時すぎにスタバを出て駅前で飲酒する。出勤時の電車内で景色が流れるのをぼーっと見ながら、この視覚受容も一時的なものにすぎず、いつか感覚停止したらその後はもう二度と見られないのかということを思って、気分が落ち込んだ。心底最低すぎる出来事だ。

20260310

日記732

遠ざかる夢

2026/03/09 昨日 9601
ホテルで日記を書き終えたあと飲酒を始める。駅前の飲食店に行こうと思っていたが、考えをあらためてコンビニに行く。夜の散歩がてらもう1店舗の遠くのファミリーマートまで歩くことにしたら、さらに先にすき家・ガスト・魚民の看板が見えた。消去法ですき家に入る。旅で気が大きくなっていて、普段は注文しない牛丼(特盛り)を注文する。帰りに酒を追加してホテルに戻る。夜の鵜方は何の臭いかはっきりわからないが臭かった(たぶん川のにおい?)。ネトフリで映画『歌うたい』を見る。寝る準備をしてから今見ないでもいいお笑いの動画を見ながら寝る。ベーキングの池田・おしみんまる事件回。今見ないでも全然いいが、芸人たちの”粋(いき)”を見られて満足感があった。


2026/03/10 今日 6286
AMで仕事の用事を切り上げる。午後を全部使って帰路につく。超高速移動を含む移動だがやはり高揚はなかった。ただ近鉄特急が名古屋に到着したときに聞こえてきたおばあちゃんと孫との会話の断片が聞こえてきて、おばあちゃんがしきりに「大丈夫やから、大丈夫」と繰り返して、孫が言葉少なに「うん」と応えていたのが、何のことかはっきりとはわからないながら心臓を打ってきた。あとは新幹線で東京駅に到着し、駅構内を突っ切って中央線に乗り換えるとき、自分はやはり東京が好きなのだと実感をもって感じられた。旅の良さは、旅行先がどうこうということ以外にも、現在の拠点をどう捉えているかについてあらためてはっきりさせられるというところにあるのだと思った。大相撲春場所が始まっていることに気がついてあわててハイライト動画を見る。見ているうちに17時半に家に到着。テレビをつけて結びまで見る。大の里がまさかの3連敗でおどろいた。スタバに行って小説の新たな断片を書き進める。これも使うかどうかについて別途判断が必要になる内容だが、もし切る判断をするにしても立派な進捗だと思っている。日記を書いてからスタバを出る。これから家人とご飯を食べに行く。合流する前に外で氷結を飲むつもり。

20260309

日記731

あ然

2026/03/08 昨日 20378
スタバを出たあと豚とんで小らーめんを食べてから初台に向かう。目当ての展示は、予想に反して人ばっかり多く内容が乏しかった。コンセプトは面白いのだが、インタラクティブから得られるフィードバックが物足りない。あまりインタラクティブとか言わないほうがいいのではないかと思った。期待度が上がってしまうだけでもはやそんなに引きもないんだろうし。こっちから迎えに行こうにも数・量ともに少ないから圧倒される感じがない。そういう意味でTHE・日本の展示という感じだった。笑っちゃうところまでいかない。3つあるなかでは複数のカメラを使ってリアルタイムと過去の映像を混ぜて複眼的に出力する作品『欲望のコード』がもっとも面白かった。でも3つは少ない。残り2,3は予約が必要で体験できなかった。無響室には一度入ったことがあるが、そのときは音楽を鳴らされた。本当は音楽なしで体験したかったので今回のに参加したかった。
初台からつつじヶ丘まで移動する。そこからバスに乗り換えて調布総合体育館へ。18時から20時45分までといつもより1時間長いプレータイムだった。ゆるくて好き放題できることのよさがこのバスケの集まりにはある。それでもドライブを仕掛けないしスリーも失敗した1本だけしか狙わないし、フォローのためにコートを走ったり、リバウンドで貢献しようとしたり、自分にできるプレーに終止していた。もっとマインドを勝手気ままにチューニングしないと、これでは「楽しい」のにも限界がある。わりといつもいるハンドリングもポジション取りもプレー選択の早さ・正答率も段違いのプレーヤーといっしょにプレーできるのは楽しい。あとこの日は上手い女子ふたり組がいた。ふたりともバスケが似合うチャーミングさを具備しているうえに動作が美しい。走る速さも速く、あまりのスピードに思わず笑うなどして愉快だった。終わってからは西原というバス停まで歩き、バスで調布駅まで。京王線の特急に乗って明大前乗り換え、下北沢まで。直前に走り去った吉祥寺行きのバスを逃したのが痛かった。ローソンで200円引きで買ったデミハンバーグ弁当を食べる。翌朝が早いのですぐシャワーを浴びてすぐ寝るよう努める。有明のタワマンで遊んできたという家人が帰って来るも寝るのに忙しく構いつけず。


2026/03/09 今日 5400
6時40分に家を出る必要があるのになぜか挑戦しようという気になり、ぎりぎりまで寝ようと6時25分にアラームをセットした。結果、準備には最低20分かかるということを知った。残りの5分を挽回するために家から下北沢の駅まで走る。二日連続バスケの足疲労に鞭打つかたちになってしまったが、乗るべき電車には間に合った。井の頭線、山手線、新幹線、近鉄線と乗り継いで鵜方駅まで行く。移動距離・時間ともに立派な旅だ。それなのにあって然るべき気持ちの高揚がない。いつの間にか新幹線に乗り慣れたのか、伊勢志摩がまったく初めて行く場所ではないからか、理由を考えようとするのだがどれもそれらしくない。考えているうちに「ここにいる」という感覚がうすいからだということになんとなく思い至った。昔はもっとここにいるという感覚が強かった。いつもいる場所にもそこから抜け出せない気がして縛られているという感じがあったし、その反動で、日常とはちがう場所に行くと解放感から自動的に高揚したものだった。今はいつでもどこにでも行ける気がしている代わりに、いつどこに行っても感動がないどころか感想もない。来たんだからここにいる、そりゃそうだよなと思うだけだ。ここにいるということは考えてみると異常なことなんだが、それにしかるべき異常さを感じ取れていない。当たり前のようにしてここにいることの恐ろしさとつまらなさを思うと、もっと揺さぶってやりたいとも思うのだが、そうすること自体が何か、どこかに見せるためのポーズのようで作為的な営みに感じられる。作為的だろうがなんだろうが、恐怖や退屈に立ち向かうためにそれが必要なのだったら強いてでも敢えてでもとにかくそれをやれというだけのはずなんだが。それならそれでべつにいいじゃん、と。もう敵の力量を過大に見積もるつもりはないよとえらそうなことを抜かしやがる。そうすると一旦は口をもごつかせつつ、中年らしく「だったらいいけど?」とも思う。肩に力が入っていない。それは良くなったことに数えられるだろう。しかし困ったことには、もう結構どこにも力が入らない。眉根も寄らず、それが困ったことだと感じるセンサーもぶっ壊れている様子だ。
タクシーで場所に行き、ただそこに居るだけの用事と大小合わせて都合4回の用便を済ませて、タクシーで駅前まで帰る。駅前のホテルにチェックインし、荷物を置いて夕飯を食べに店に入ろうかと思ったが、このまま酒を入れると何もしないで一日終わることになるので、コンビニで氷結無糖塩グレープフルーツとコーヒーと水とスイーツを買ってホテルに戻る。部屋で日記を書く。小説はエディタを開くだけ開いて進捗はなかった。
なんか最近「楽しい」とか「楽しむ」とか言い過ぎている気がする。大学の頃、深夜の鴨川を歩きくだりながら友人が「楽しいなあ」を乱発するのを冷ややかに見ていたのに、いつの間にか自分が同じことをしている、ということを多分また書いている。当時の自分曰く、本当に楽しいときには楽しいとは言わないし、楽しいとも思わない。それは真実だったが、びっくりするぐらいあっという間に過ぎ去っていってしまった。あれらの出来事は全部、遠くになって、今振り返ってももう現実感がない。あのとき友人は楽しいということが真率であってくれるようにと祈るように口にしていたのだと思うが、自分はこの瞬間を引き止めたくて祈るような気持ちで口にしているところがある。どちらも馬鹿馬鹿しいことだ。馬鹿馬鹿しいうえにちょっとかわいそうという、一番閉口するラインだ。過去を訪ねられるものなら訪ねたい。

20260308

日記730

行く春

2026/03/06 一昨日 7071
映画『Wicked』を見る。主役と端役との扱いの違いについて、いかにも自然に差をつける演出方法で、「善の中にも悪があり、悪の中にも善がある。そしてそれらは良いことでもあるし悪いことでもある」というようなすこし込み入ったメッセージをわかりやすく提示するのは、何事にも第一歩目があるという原則に立てば十分に擁護可能だ。しかし、見る側でそういう擁護を一切せずとも自立する作品かと言われると決してそうではない。そもそもミュージカルというのは音楽に勢いを借りて、過剰に感情を表現するところに面白さがあるもので、通常の劇作とくらべても集中を欠く客相手の配慮をして見やすくしているものだから、ミュージカルと知って見に行きつつ「幼稚だった」などというのはナンセンスかつ無粋ということになるだろう。だからといって、それに笠を着た幼稚な視聴者が「今年一番面白かった」というような感想を言うのはさすがに許容しがたい臭気をともなう。だから「感動したし面白かった」ぐらいが妥当なコメントだと思う。それ以上のコメントが必要な作品とも思われない。気晴らしとしてはそれで十分なはずだ。
それにしてもこの日の家人に対する怒りは、自分の正当性を疑わないもので(じつは今もそれを疑っていないが)、なおかつその正当性を根拠に怒りを発してもかまわないと判断している点で、かなり大幅にオーバーラインした甘えがあった。こういう情けない事態は減らしていきたいと思っている。この日書いた日記も自分にとって恥だが、今後の戒めとするためしばらくはそのまま公開しておく。自分のよく知っている人に対して怒ってもいい場面などない。「もう知らない」とき以外。
セブンでそれぞれ酒とカップ麺を買って帰り、飲食して寝る。


2026/03/07 昨日 19461
8時半頃に起きて朝はゆっくりする。10時半頃に出かける。下北の新八食堂で朝食。汚い店内と小さいサバの切り身、納豆と卵と切り干し大根の小鉢が各30円で付いてくるのを差し引いても、これに800円強使うのはもうやりたくない。お得さに釣られてみすぼらしい朝食を選んだ気分になった。結局800円強使っているし。
バスケの大会で千住方面に行く。町家からさくらトラムに乗って三ノ輪のひとつ手前の駅で降りる。きれいな施設で、バスケのあとシャワーも使えて良かった。しかし肝心の試合では初戦圧勝、次戦惜敗となんとも悔しい結果になった。勝負が賭かった場面で心から「自分にボールをくれ」と思えるようになりたい。今はそう思おうとしてそう思っているような余分な距離を感じる。最短で刺せ。とはいえこの日はシュートを外していたし、フリースローも1/2だったし、この頃シュートが安定していないから、それでボールを要求するのは難しいか。ノリノリになってプレーする感覚を勝負どころで引き出せるように鍛えていきたい。ある程度の強度の試合中でも、万能感とは行かないまでも千能感ぐらいは出してやっていきたい。空気を読まずに調子に乗れ。
バスケ終わりに家人に北千住まで来てもらって飲みに行くことにする。ホビーオフのほうまで千住宿の通りを歩いて、途中見つけたサイゼリヤに入る。ビールで乾杯し、ドルチェをふたりで四品とるなど当時では考えられないような豪遊をして、ひとり2000円すこし。
風が強く寒さがきたのでそのまま帰る。帰って『ホワイトノイズ』を見る。死の恐怖がテーマになっている映画で、なぞの既視感があった。最初は『ドント・ルック・アップ』を見たからだと思っていたが、スーパーのシーンを見ていてそうではないことに気づいた。この映画は渋谷の映画館(パルコのシネクイント)で見たんだった。3年から4年前に見た映画を、一度見たことに気づかずかなりの分数見ていたことに恐怖を覚えた。内容については当時とはちがう見解を得て、この映画の評価がすこし上がった。その見解は、3発目の弾によって主人公は即死、そのあとの映像はすべて死の直前に描いた主人公の夢、というものだ。死を殺しに行って死に殺されるという結末はチャチなものではあるが、それをある程度は巧妙に隠蔽しようとしたとしたら、その程度の巧妙さも含めてわるくないのではないかと思った。それに「死に対してどうやって抵抗するのか」という部分について、アメリカ映画的な回答をアメリカ映画を制作することで提示するというのは、そういうことをする作者の”意図”が掴みやすくて良いと思った。バームバックは(そしてアダム・ドライバーは)、明らかに、死に抵抗しようとしている。恐怖の覚え方については「自分と同じ」だとは思えないが、対処の仕方についてはかなりの部分で共感できる。
買ってきた酒の残りを飲んで、サッポロ一番塩らーめんを食べて、寝る準備をして、22時半には寝る。


2026/03/08 今日
9時間以上寝た。起きてから洗濯物を洗い、干し、朝ご飯を食べる。12時にスタバに来て小説に使うかどうか決めていない部分の文章をすこしだけ付け足し、日記を書く。「知覚の大霊廟をめざして」というインスタレーションを見に行くことにする。見に行こう行こうと思っていたらいつの間にか最終日になってしまっていた。いつでも見に行けるぐらい近くでやっていると、いつまでも見に行かないから結果的に遠いということになる。遠くの「知覚の大霊廟をめざして」をめがけて、といったところだ。それを見たあとには調布までバスケに行く予定。

20260306

日記729

見えない流れ

2026/03/05 昨日 23623
午前在宅。午後から出社しようと高輪ゲートウェイまで移動したら、ロビーでいつものリュックに入館カードを入れたままにして、バスケの用意を含むボストンバックに移し忘れていたことに気づく。出るべき定例打ち合わせまで間があったのでもう一度在宅に戻す。セブンで昼ご飯を買って帰る。定時退勤しバスケに出かける。この日は東中野の体育館だったのだがバスケゴールが片側壊れているとかでハーフコートor小さいコートでのバスケになる。たっぷり2時間半あったのでいつも通り疲れた。駅まで20分弱歩く距離だったので帰りに氷結を飲みながら歩く。帰宅してさらに飲酒しつつ晩御飯。No No Girlsを見る。


2026/03/06 今日 4999
一日在宅。途中まいばすけっとまで焼きそばを買いに行き、焼きそばを作って食べる。翌週出張になるのでその準備やなんやをする。一張羅を着てスタバにいく。小説(に使うか分からないが要素になるかもしれない断片)を書き進めてから日記を書く。Wickedを見に日比谷に出かける。半ば予想通り家人が遅刻。連絡がついたかと思ったら向こうが提示してきた時間の30分遅れで集合時間を言ってきてイラついた。言い訳なのには間違いないが適当な嘘で誤魔化そうとしているのも、何度も何度も時間を遅れてまったく懲りないのも腹が立つ。

20260304

日記728

光る路

2026/03/03 昨日 3561
スタバを出てから氷結グレープフルーツを買って雨宿りがてら駅前で飲む。家人にケーキと、自分に晩御飯を買って帰る。ダイエーが店名をイオンフードスタイルに変更したとかいう話だった。ノーノーガールズの7話を見る。オーディション・選考というものにノーを突き付けられ、それでも向き合い立ち上がろうとするやつらを見ているとつい「合格です!」と無責任なことを叫びたくなる。4次審査に臨むちゃんみなの苦悩を思うと吐きそうになった。


2026/03/04 今日 6673
午前在宅。仕事の振り方が下手なやつは何をやっても駄目。しかもそういうやつに限って自分のミスを棚上げにして他責他責で渡っていこうとする。ビジネスに疎い自分でもそれが明らかな泥舟だということぐらいはわかる。こちらからできることといえばそいつとは最低限の接触に抑えることしかない。雨が上がったので洗濯機を回し洗濯物を干す。午後から渋谷での用事に出かける。用事を済ませて帰りに豚とんで小らーめんを食べる。刃牙道を見る。本部以蔵が出てきた。いつの間にか彼のロジックに期待させられているから運び方がうまいのだと思う。
たのまれて放置していた用事をさすがにやってあげないとと思って一時間ぐらいの残業になる。丁寧に頼んでくれる人の依頼を放置しているとさすがに気が咎める。
一張羅を着てスタバに行く。小説を書こうとするが睡魔に襲われる。どうしようもないから『八月の光』を読むのに切り替えるがそれでも眠気が取れず、こういうときにそうするしかないことをする。結局座ったまま30分ぐらい寝た。起きたら頭がスッキリしていたので書くべきことを考え、その内容を思い出す。小説に進捗があったのでよかった。糸口を掴む、内容を膨らませる、構成を考える、これらはそれぞれ違う頭でやることなのだが、しばらくは”糸口を掴む”が必要になることの多いフェーズだと思っている。それで出来事を思い出そうとするのが多くなる。結局記憶だ。小説の進捗があったのでこの日も氷結が解禁される。しばらくはバスケか、小説→飲酒のコースか、平日はそのどちらかに淫していたい。

20260303

日記727

待つ

2026/03/01 一昨日 23313
スタバを13時半すぎに出て吉祥寺に移動する。吉祥寺ですた丼を食べる。すた丼の下北沢店は目に見えて質が下がっていて行くに行けないので良い機会だった。PARCOの音楽ショップで家人と合流。試奏で電子ドラムを叩いてみる。ドチタチドドタチしてハイハット、スネア、バスドラの音色に感動した。東急に移動してスタバのモバイルオーダーでワンモアコーヒーを注文する。地獄のような行列ができていて注文から20分待った。屋上の太陽の広場で、友人Nとその娘と合流。子供がたくさんいて良い場所だった。1歳未満は最年少の部類。私の身なり風体が恐ろしいのか、たびたびハイハイをして芝生の外に出たがった。友人が一計を案じ、白いせんべいの餌付けなどをさせてくれたこともあり、途中から慣れてきて恐くなくなったようだったが、嫌いではあるという大人顔負けのスタンスをとられた。日が傾き始めたタイミングでボードゲームショップに移動する。ヨドバシにも行ったが友人が目当てにしていたゲームは見つからず。荷物を持って歩き回るのに疲れた。公園の入口まで行って日没後の雰囲気をすこしだけ楽しむ。娘は暗くなるとすぐグズり始め、父に寝る態勢をとらせてもらったら15秒も経たずに寝た。吉祥寺から高円寺に移動。10分はやく着いたので余った時間で芥川賞の受賞者コメントと本文最初の2,3行を読む。丑男が漱石の「牛のように図々しく」からペンネームを取っていてフォークナーが好きだというのが印象に残った。方向性がそっちだから当たり前だが同じところを見ている。嬉しいというよりもすこし鼻白んだ。一方、バスケはかなり白熱した。いろいろなところに顔を出しているが、ここが一番バスケ熱があり、バスケ好きの雰囲気が強く出ていて自分好みだ。最後の試合でつりそうになったのをぎりぎり回避できた。例によってめちゃくちゃくたびれたが、川崎住みで車で来ているメンバーの人が世田谷代田まで送ってくれて超ラクチンだった。ありがたい。この人とこの日同乗した人は年も近くてバスケが好きでしょうがないという感じで、コートの内外で雰囲気が良いし、チームのために動くのが自然になっていて、とくに尊敬できるプレーヤーだ。尊敬できるプレーヤーといっしょにプレーできるのはバスケの楽しみのひとつでもあるから、やはりありがたい。ローソンで200円引きになったデミバーグ弁当を買って帰って食べる。


2026/03/02 昨日 18783
朝から出社する。山手線で前日のバスケプレーハイライト動画を見ていたら夢中になって田町まで乗り過ごしてしまった。慌てず騒がず一駅戻る。上のオフィスまで行ってからPCを開くと遅刻になりそうだったのでロビーでログインしてそのままそこで朝礼参加まで済ませた。なんだかわからないがとくに気分が塞ぐ日で、重りをもって歩いているようにどんよりしていた。昼すぎから在宅勤務にするも全然快方に向かわず。気晴らしをしようと狛江のバスケを予約する。二日連続バスケになるのであまり良い考えではないが、それを止めることも難しかった。結局バスケに行ってもその暗さはとれず、足の疲労で動きも制限されるし、俺はなんでここにいるんだろう? という身も蓋もない無駄な疑問に苛まれたりした。しかし汗をたくさんかいて、狛江湯の温冷交代浴でそれを流したことで、いくぶん気分がすっきりした。そのおかげでほんのすこしの寝不足が祟っているのではないか? と正解に近いところにたどり着けたので、帰って家人に作ってもらったひき肉となすの炒めを食べてできるだけ早く寝る。睡眠時間確保のため、翌日午前を在宅勤務に決める。
小説を書こうとすると、気分が落ちるところに自分から近づかないといけなくなる。そうすると、なんで小説なんか書こうとしているんだ馬鹿馬鹿しいという気分にもなる。何度も行って慣れるしかないんだろうが、やはり本質にはちがいない。なんで小説なんか書こうとしているんだ。


2026/03/03 今日 1967
必要よりすこしだけ長く手を触れ合わせることでお互いの好意に気づくというハッピーな夢を見た。睡眠時間短い仮説は当たっていたようで、8時間の睡眠のおかげで、謎の気分の落ち込みから見事回復を遂げる。一日在宅勤務。ある程度仕事をこなし、すこしだけ『八月の光』を読み進める。前日、バスケに行く途中でkindleを開いて歩きながら読んでいたら、ジョーが「嫌だ」という場面で母親の漕ぐ自転車に乗った男の子が「嫌だ」と言っていてその符号がおかしかった。母親の優しい声音の「目薬がんばろうね」に対してすこし考えたのか一瞬の間のあと「嫌だ」と回答していた。母親が「いやだ、か」とウケていたようだったのもよかった。八月の光は陰鬱な場面もわざとのように明晰で、暗い気持ちになるが暗い気分にはならない。こういうことを言うと気持ちと気分がどう違うのか説明するべきなのかもしれないがそんなことはしない。バスケの動画を見る。刃牙道を見る。フィジカルの優位があるんだからもっと格闘以外の面白そうなスポーツをやってみたらいいのにと思った。定時退勤してスタバに行く。これまでの日記を書いてから小説(日記を助走にする)という順序をあらため、小説を書いてから(書けなかった場合でも書こうとしてから)日記を書くという順序にする。この順が正しいという気がする。実際そのおかげですこし進捗があった。

20260301

日記726

ずっまよ(ずっと迷っていきましょうや)

2026/02/28 昨日 17934
家人と遅めのランチでハヌリという韓国料理屋に入る。チーズタッカルビ丼プレートを注文する。焼き石のどんぶりにたっぷりチーズと赤いソースの入ったボリューム満点のチーズタッカルビで、4品の小鉢にサラダバーも付いて、つい残してしまうほどの満腹を提供してくれた。ひとりで入っても満足感があるだろうが、2,3人で入ってわいわい言いながら食べるのが良さそうな韓国のお店という感じだった。満足感が高かったのでまた行きたい。お腹いっぱいになったので腹ごなしに歩いて帰宅。途中ボーナストラックでやっていた卒業制作展示をのぞく。「始点・終点・始展」という好みの展示名だった。のっけから渋谷での展示の紹介と人狼×謎解きのオリジナル?ゲームの紹介があっていろいろと興味を惹かれた。家でアニメ呪術廻戦の日車本格登場回を見る。全体にとてもよかったが、とくに舞台照明は劇的で、タイムリーに感じ入ることができた。日車が初めて呪術をつかう法廷のシーンでいちはやく”ヤバ”さを察知しそろっと捌けようとする助手の動きが面白かった。タリーズ時代の友人が急遽東京にくることになり、飲もうという話がもちあがった。集合場所に原宿を指定していたのだがおみやげの赤福をホテルに忘れたとかで取りに帰ることになったので、柔軟に、集合場所を日比谷に変更する。ミッドタウン前で合流し、高架下をきっちり二周したあと、元祖赤ちょうちん系の古典的な焼き鳥屋に入る。生中が650円したが、せこいサイズのジョッキではなくドイツ人が好みそうなしっかりした形のジョッキだったので、意外と割安かもしれないということを思った。諸般の都合(タッカルビ)により満腹感がとれず、焼き鳥にもほとんど手を付けなかったが、ひとくち食べて質の良い焼き鳥だということがわかった。近況話のなかに2024年のNY行きがあり、写真を見てもらう。友人はアメリカ行きが夢だということでとくに西海岸に行きたいと言っていた。そのほか結婚生活の話などをする。友人にはライブ終わりの妹を回収するというミッションがあったので飲みをそこそこに切り上げて九段下まで移動する。ローソンでカフェラテともちぷよを奢ってもらい、ライブ真っ最中の武道館に移動する。ライブの盛り上がりの音が外まで漏れてきた。終演後、大量の人が吐き出されてきて、その中に友人の妹もいて無事合流。彼女も他の聴衆たちもライブの興奮が冷めやらない様子で、これだけの数にブロードキャストで熱狂を届けるミュージシャンというのはすごいものだと、前世紀的な感想をいだいた。足が疲れたということだったので九段下で解散し、家に帰る。ぼーっとしていて表参道で降りそこねたので渋谷経由で帰る。氷結無糖レモンロング缶を飲みながら帰宅。セブンで買った関西風肉うどんを食べてからもう一度呪術廻戦のアニメをヘッドフォン装着のうえ見る。その後フィギュアスケートがすごいということだったのでyoutubeで見てから寝る。見たかったアリサ・リウの演技は動画にたどり着けず見れずじまいになった。


2026/03/01 今日 3077
8時半すぎに起きる。映画の日なので映画でも見に行こうかと思ったが、気晴らしの映画鑑賞よりも自分の小説だと考え直し、スタバに入る。前日、友人にも小説を書こうとしていることを話すなどして自分にも発破をかけていたのが効いた。周囲に言っていくのが自分の行動を制限する意味でも効果的だ。しかも誰にでも話せる話ではないから、こうやって親しい友人相手に言っていくのがよい。小説執筆用のアイウェアを装着して2時間ぐらいうんうん唸る。すこしだけ進捗した。日記を書いてからスタバを出て吉祥寺に行くことにする。友人Nとその娘に会うためだ。その後、高円寺に行きバスケに参加する予定。ということで13時半にスタバを出る。どこで昼ご飯を食べようか。下北沢か吉祥寺か。

20260228

日記725

シモテハケ

2026/02/27 昨日 12893
TCBのBとまず合流してビールで乾杯。駅前をぐるりと回ってからエキウエ手前の階段で飲む。演劇が終わったらさいちゅうには過大に感じられていたいろいろを冷静に見つめるようになるという話をした。プレーヤー視点ではすごい動きをしているように感じられるが、客観的に見ると良いも悪いも大したことではないというたぐいの、情けないというか心細い話。Nも合流し、氷結無糖レモン4%を買ってミカン入口で飲む。トリキを提案するとやはりテンションが上がるのか即採用される。しかし2階の店も地階の店も満席で入れず。じゃあどうするかとすこし頭を動かす。せっかくなので行ったことのない店に入ろうという話になり、つねに目に入りながら選択肢から自動消去していた鶏ヤローという店に入ってみることに。レモンサワーが100円という破格だった。エビセン、枝豆、キャベツの三択から選べるお通しにエビセンを選択し、唐揚げ10個を注文。若い客の活気のある雰囲気を味わいながら飲むと酒が美味しかった。実際にはレモンサワーがほんのすこし臭い気がして嫌だったのだが折角の機会なので雰囲気に誤魔化されることにした。唐揚げの余り1個に対して、1〜100のあいだで自分の食べたい度数を発表してその数字が高い人が残り一個の唐揚げを手に入れるというゲームをする。自分以外のふたりは「100」と回答。一個だけ残った冷めた唐揚げを「100」で欲しいというふたりは頼もしいやら情けないやら。自分は「70」というどっちつかずの数字になった。たしかな欲望を感じる数字で、これはこれで気持ち悪さがある。お前らには他にやりたいことがないのか? と疑義を呈すると、片方からは「俺にはつねに0か100しかない」というあまりにもデジタルな返答。本人のキャラクターと合致している。もう片方はゲームの眼目を理解していないのか、理解していながらゲームの成立よりも唐揚げの入手を優先したのか、いずれにしても本人のキャラクターとの乖離があり、むしろそこに合致が見られるような込み入った納得があった。梅ヶ丘の羽根木公園まで夜梅を見に行く。現今の目を覆いたくなるような政治やそれを受け入れる風潮についての不満というか恐怖心の話。Bの文筆仕事の話(もっと書評の仕事がほしい、ブログに書評を書くのと媒体に載せるつもりで書くのには書き方がちがってくる)、あとは自分が小説を書くためにもっと時間を使うべきなのに日記を書いて時間が過ぎてしまうという話をした。書けない小説を書こうとするより書ける日記を書けばいいと言われる。まあそうなんだが、そういうことではない。ピースを構築したい。ひとかたまりのブロックをどんと置きたい。下北沢の駅まで見送って帰る。ゆっくり寝る準備をして1時半すぎに寝る。


2026/02/28 今日 4552
9時半に起きて、ゆっくり出かける準備をしてから11時すぎにスタバに入る。エキウエが満席だったのでクラシックのほうに入る。小説について考えて、それなりに良さそうな箱を見つける。構成を考えたりする前にすぐに書き出してしまった。ぐっとこらえて書き続くようにまず構成を考えたほうがいい。書き始めるのはいつもテンションなのだが、書き続けるのに必要なのはテンションを離れた構成のほうだ。冒頭になる部分と冒頭かわからないがどこかに配置できる部分をすこし書いた。日記を書いて13時40分になる。まねきねこでのフルート練習を終えてスタバまできた家人と昼ご飯を食べにいく。

20260227

日記724

夕映え通り

2026/02/24 一昨昨日 6573
スタバを出てから家人と駅前で合流してトリキに行く。家人を待つあいだ20分ぐらいミカンの入口で氷結無糖レモンを飲んでいた。反省というか反芻というか、吸収できるところがたくさんあるはずなので、それらをひとつひとつ俎上に載せて一機アップのキノコよろしく活用しようという肚だった。無理に反省しようとしたり、太郎冠者(猿)のように反省のポーズを取ろうとしたりしなくていいが、もし次があったらこうしようと思うのは、ゲストのような顔をしてそこにいる時間をごく最初のうちで終わらせて、ホストのように振る舞う時間を多くするよう心がけるべしということだ。もしそれで失敗したとしても勉強にはなる。ゲストのように引いた姿勢でおとなしくする練習はもうやり尽くしていて、それは達意の域、経験値もカンストしている。


2026/02/25 一昨日 10295
午前在宅勤務。午後休を取って狛江湯に行く。温冷交代浴で神経をゆるめられた。脱衣所で服を着ているタイミングでおじさんに「かっこいいね」と親指を立てられる。オーラ消すの忘れてたか? と一瞬焦ったが(褒められていないことによる狼狽)、洋服を褒められたのだと気づき恥ずかしくなった。松の家でダブルロースカツ定食を食べる。帰宅して30分間の昼寝。夕方から勝どきの第一生命ホールまでクラシックコンサートに出かける。演目はメンデルスゾーン、モーツァルトのフルート協奏曲、ビゼーの交響曲、アンコールにはアルルの女のアダージョがかかった。去年のヴァイオリンソロがひとり立ち向かうような立ち方だとすれば、今年のフルートは受けたり流したりするような柔軟な立ち方で、そのちがいが面白かった。こうやって聞くとやっぱり音楽はいいものだ。ただし、演奏中に子供がおしゃべりしていたり、ソロで息継ぎの息遣いの音が聞こえるような張り詰めたなかで咳をするおばさんがいたり、音楽の外にあるお邪魔が気になった。演奏主体やほかの聴者の邪魔をするぐらいならその席を空けておいてほしいものだ。帰りに勝どき駅近くのチェーンイタリア料理店に行こうと思ったが満席だったので、仕方なくなか卯で親子丼を食べた。翌日はものすごく早起きになるのでなるべく早く帰ってできるだけすぐ寝る。


2026/02/26 昨日 26689
朝5時起きで東京駅6時20分発のバスに乗り込む。よっぽどトロトロ行ってやろうかと思ったが、コミュニケーショントラブルが発生したらしく、至急対応が必要になったので、時間通り現地に入っていてよかった。施設の主的存在とコミュニケーションを取ったりしながら工事の進捗を報告する。なんとか午前中に完了した。蕎麦やに行ってとじそばとミニ天丼を注文する。そのほか仕事の調整をちょこまかとこなし、バスケに行くためには出なければいけない時間になんとか飛び出す。館山駅から海まで歩き、今回の稽古で学んだ発声練習をして喉を開いてから、海に向かって大声でセリフを言った。なんとなくそこに弔いの気配が漂ったのは、夕日になりかけの傾いた太陽が差してきたのと、干上がった砂浜に大きな魚の死体を見つけたのと、強風で椰子の木に激突させられたのか海沿いの道端に雀の死体を見つけたのが影響したかもしれない。とにかく、終わった演劇作品のセリフを言うと変な感慨が湧くということがわかった。
館山駅前のスペースでクレープを食べてからバスタ新宿行きのバスに乗り込む。乗る前に危惧していたとおり渋滞に引っかかった。とろとろ走る時間が長かったにしては遅れは15分で収まり、バスケ参加にはほとんど支障が出なかった。荷物を減らすためボールを持っていかなかったのでシューティングの時間はなくてもよかったのでそれを考えるとピッタリの時間になった。この日も調子よくプレーできたが、活動限界を超えて動いた感じがあり、帰りの電車内ではかつてないほどヘロヘロになった。帰ってすぐシャワーを浴びてできるだけすぐ寝た。23時半。


2026/02/27 今日 4038
朝から大手町で用事。終わってから代々木上原駅の中華で昼ご飯。ご飯大盛りに100円かかるようになっていた。それでも美味いしお得感はまだある。帰って刃牙道と前日のバスケのプレー動画を見る。日記を書く。電話がかかってきて内容について予想できたので「はいそうです」とか答えていたら全然そうではなかったので火消しに失敗。ボヤ騒ぎが持ち上がる。電話で詰められるのが30分にもおよんだ。よくそんな体力あるなと感心させられた。はっきり言ってばかばかしいが、適当に話をしているだけで時給が発生するのと、ラクな姿勢で申し訳なさそうに反省の弁を述べるシチュエーションが面白かったので、そこまでストレスがかからず。しかしバスケの予定があったりした日にはめちゃイラつくのだろうから、何事にもタイミングがあるということか。この日は「本当に申し訳ないと思ってます?」を一回しか言われなかった。演技力・表現力が向上した可能性がある。1時間残業してからTCBのメンツで下北飲み。興が乗れば梅など見に行くかも。

20260224

日記723

このひととき

2026/02/23 昨日 11598
この日はいわゆる千穐楽だった。結局、家人は4公演すべて観に来てくれて、この日は元職場の後輩たちを連れてきた。自分にはまだ出番があるのに、へなへなと力が抜け、局限性の花粉症にかかったりして大変だった。楽屋で鼻をかみかみ、次の衣装に着替えてから溜まりに降りていく。場所と仲良くなるということができたのかはわからないが、最初に見たのとちがう顔になったような気がする。牙も生えてなければツノも生えていない、ただし、いたって普通というにはやや眩しい、舞台の顔。恐ろしげではあるが必要以上に恐れる意味も必要もない。自分はとりあえずは自分の出来が気にならないというところまで来れたのではないか。これ以上の表現は何をどうやっても自分には(まだ)できない。楽しいとか、楽しかったとかいう必要がないだけのそれがあり、そのことに対する深い満足感があった。やったらやっただけ楽しい。自分は何かを犠牲にしてまでも演じたいという思いは持たないだろうから、これが天井なのではないかという予感がある。それで3年前にもそう思ったように、しばらくは演劇は良いかなと考えていた。ところへ、来年も、今回の作演出がプログラムの作演出を担当するという本当に想像していなかったことが発覚し、終わったと思っていたレールにその先があるということが急に明らかになった。演出と演助に言おうと思っていた感謝の弁を引っ込めることにした。俳優が演出を尊敬しすぎることになる(犬が腹を見せるように腹を見せる)のは、百害あって一利無しだと思うからだ。もろ手を上げて敬意を示すというのはプレーヤーたる者のやっていいことではない。これに続きがあるとわかったとき、即座にまたやりたいと思って、感謝の弁を控える方向に舵を切ったということが結果的に表わすことになるものはあるが、それはまあ仕方ない。自分は自分の感情をそこまで徹底的に管理できない。「またやりたいです」と思ったことを確答しないという中途半端な管理になった。でも今はそれでよかったと思っている。
次回については、自分への”ご褒美”として参加しよう。今回、自分の得た実感として、俳優というのは人の作ったレールに乗って走る貨車のようなもので、創造において”良いとこ取り”をする存在だという気づきがある。それはそれでたしかに楽しいのだが、自分が楽しめる範囲はその外にもあるはずだ。これからも演劇に関わりたいのであれば自分は演出をやるべきだ。すくなくともそれを見据えないまま役者や俳優として活動するのは、単なる気晴らしであれば可だが、そこに傾注してシリアスになるには全然足りない、まさに役不足だ。
というわけで、次回までに自分がやるべきことをやれたら参加するということに決めた。とにかく書かなければならない。何を書くのかといえば日記ではない、小説だ。
それはそうと、役者の人たちとの飲み会は本当に刺激的で楽しかった。とても上手な俳優が「役を自分に引きつけてラクな方へ逃げた。もっともっと役にアプローチできたらと思って挑戦しようとしたけど難しかった」という主旨の反省をしていて、だからこの人の演技は見る者の心に響きを与えるんだと、これが役者としてシリアスに楽しめる、演技を楽しむ範囲が深い人のやり方なのかと感服させられた。あとは、舞台を見ていて自分がそこに立っていないことが悔しくなって参加を決めたという出演者、舞台の上で人に見てもらっていると感じることが楽しいという出演者など、自分には考えられないような視座があり、こういう人たちが俳優なんだと思わさせられた。彼らの横に並ぶと自分は俳優でも役者でもないただの出演者だなと思う。謙遜でもなんでもなく、自分は”俳優でも役者でもないのに舞台に立って演技する人”だ。ある種の舞台にはそういう人にも居る位置があると思うが、その生息域は限られるだろう。
出演者の話で一番刺激的で悔しかったのは、漫画を描いているという人がいたことだ。仕事も恋愛も推し活もやりながら、漫画を描き、演劇にも参加するというバイタリティが何よりも格好良かった。来年も参加するかどうかという問いに対して、「今回の参加にあたっては漫画を描くのをお休みしてその時間を演劇に使ったのだが、来年は漫画を描きたい」という回答をしていて、これこそが自分の言いたかったことだと、言うべきことだったはずだとつい歯噛みをした。自分の描いている漫画についても「よく見せられるね」という同好の士に対して、「自分は見てもらって全然構わない、見てどう思うかはその人の領分であって自分の領分ではない」という主旨のことを言い放っていて、その格好良いセリフと、それを言うとき真っ直ぐどこかを見ているような説得力のある眼差しに嫉妬した。自分が良いと思うように生きている人間の目だ。それは演技が上手いとか表現がどうとかいうのを超えて、同じ志を持つ者にアプローチする。家人の友人が、彼女のどういう部分を良いと感じたのか、くわしく話していないから聞けていないが、たぶんそういう直線の部分を敏感に感じ取ったのだろう。役へのアプローチも、役の”推し”を想像することで、自分が自分の推しを推す感情でまずは繋がり、そこから役に迫ろうとするというもので、なるほどと膝を打つような説得力があった。小細工をせずにまっすぐ最短で迫ろうとする理詰めの部分。そういうところも敵わないと思わせてきた。悔しいというのにしても、せめて悔しいというスタンスをとらないと駄目だろうと思うからそう言ったまでで、本当のところは(現時点では)敵わないということになる。さすがに今回は完敗だ。


2026/02/24 今日 3524
一日在宅勤務。演劇出演者が出演する夢を見る。幼い娘を演じた共演者なのだが、この短さで登場するのはそれだけ自分の中に存在感があるということだろう。なぜかいっしょにバスケをしていて、そこはリングまで異常に遠い倉庫のような場所なのだが、ちょっと目を離した隙に骨折→治療をして再登場した。笑顔で明るく「骨折しちゃいました」と言うので、「どういうプレーで?」と聞くと、相手の悪質なファウルだということがわかって、そいつを見つけ出して復讐してやると思ったという内容の夢だった。あとは漢字の組み合わせで四人分の名前を作れるという、叙述トリックに使えそうだなと閃く夢を見たが、夢現の状況ながら、感じが違うんだったら叙述トリックにはならんやろうとツッコミを入れてから二度寝をした。
仕事は休んでいた分のフォローをしなければならないこともあって忙しかったのだが、とにかく元気が出ない。これが軽度の燃え尽き症候群かと心当たった。起き抜けにインターネット情報で「憲法改正案」というのを見て、その内容が意味する”進みたい方向性”に「え?本当に?」とびっくりしてげんなりしたこともある。
元気が出ないまま働いて、30分ほど残業してからスタバに行く。日記を書く。21時から家人とトリキに行く予定。今回の演劇体験についてはまとまった文章を書くべきだ、が、とりあえずは日記に書く分だけ。まとまった文章については「演劇演出論」的なものになる想定。ややサイズダウンして、「こうやって演出しろ」というTIPS集になるかもしれない。

20260223

日記722

おしゃべりでもなく歌わない


2026/02/22 昨日 9269(途中から)
スタバを出て梅窓に向かう。梅窓の前の道で仲間の出演者がビラ配りをしているのに出くわす。つい自分もビラ配りをすると申し出てしまい、うどんを食べる時間がなくなったので、あわてて松屋に入って牛めし(つゆぬき)を食べる。その後、本多劇場から4枚ほどビラを持ち出し、そのへんで配ろうとする。風が強いし、人相があまりよくないし、人相がわるいし、場所がよくないからか、30人ぐらいに声をかけて一枚も配れず。もとの場所に戻ってみると仲間がふたりに増えていて、つい3人目の配り手に加わってしまう。前日のブリーフィングではひとりひとりの目を見て配るのがコツだと聞いていたので、3人で配るというのはコツに反するやり方だった。「別の場所で配ってきます、ビラ半分もらいます」という申し出をそのまま受けて、ビラ補給要員としての働きに終わった。その後すこしビラ配りをしようという気配だけ出して、楽屋がオープンする時間になったということでそのまま劇場に入る。先に楽屋に着いていた仲間から「配れましたか」という至極真っ当かつ事前に想定できる質問を受けたので、すかさず「ばっちり!」と短く回答する。まあ、嘘も方便という言葉もあるので。どんな人でした?という質問に備えて、サングラスをかけたお兄さんと優しそうな女性、という回答を用意していたが、向こうも嘘も方便という言葉を知っていたのか、そっち方面でのそれ以上の展開はなかった。
この日はとにかく袖で笑って(口角をあげ、目尻を下げる笑い顔を作って)、できるかぎりやわらかくて大きい第一声を出そうという目標を立て、それ以降は相手とのセッションだという意識でのぞんだ。客席にTCBの連中がいるというのも助けになって、前日とはちがうパフォーマンスを出せたと思う。自分以外の全体としてもたぶんテンションが高く、しかも集中力が高い、高パフォーマンスだったと思う。TCBの連中はMRんがかわいかったとろくなコメントを発さなかったが、自分としてもこの日はとくに彼女のパフォーマンスが発揮されていて、いわゆる「良いお芝居を見た」という観劇体験に大きく寄与していたように思う。家人の友人はSTキがとても良かったと、さすがお目の高い評価をしていて、直接俳優にも声をかけたらしい。そういうことをできる人間というのは素敵だなと思う。良かったと思ったとき「良かった」ということの価値は相当高い。STキに対する高い評価というのは、自分の役柄のこともあって鼻が高い。
そのまま友人たちと家に行き、代田ボードゲーム会をやる。まずはドブルでアイスブレイクしてからタイムボムとワードウルフで遊ぶ。あっという間に20時、21時になり、新婚のふたりを迎えてまたワードウルフで遊び、22時を過ぎておひらきになる。充実感のある一日になった。


2026/02/23 今日 3489
公演最終日。朝ご飯を食べてシャワーを浴びてから11時頃に家を出る。スタバが満席だったのでブルックリンにくる。日記を書くためにテラス席に座った。この日の気温は最高20度オーバーの小春日和で、シャツにカーディガンを羽織っただけという出立ちでテラスにじっとしていても全然寒くない。日記を書いているとまだ終わっていないのにもう終わったような気持ちになる。終わり方にもまだ知らなかった種類のものがあるのかと気付かされた。初日、二日目、三日目と、その日の公演が終了するたびに、「ああ終わった」と切ない気持ちになるから、それを繰り返したことで、”終わり”の感覚を先取りできるようになっているということだろう。終わるのがいやだという気持ちが自分には強く、いつもそればかりに意識が行って、そのそばにあるものに光が当たらないというようなことが起こっているが、こうやって終わりが繰り返されたおかげで、じつは終わるのがいやな気持ち以外にも、必ずしもわるいとは言えない、かといって良いとも評価できない未知の感情があるのではないかと、見当がつくようになった。
直接会って話ができるうちに言いたいことは余さず言っておくようにしよう。オーラス。本当はうつろ稽古をやりたいぐらいだ。いや、最終公演で終わらせずやりたかったらやればいい。これで終わりだという感情はのせたくない。今日も「やわらかく、大きく、相手を見て」。

20260222

日記721

止まらない思い出化

2026/02/21 昨日 
スタバを出てから13時すぎに楽屋に入る。劇場最寄りのローソンで買っていったおにぎりを楽屋で食べる。楽屋でなにかするとちょっとずつ場に慣れるはずだという目論見と全然違って、出演者とおしゃべりをしても緊張が解けない。前日に一度客前舞台に立ったのにもかかわらず、まだそのときと同じかそれ以上の緊張があり、時間がたって落ち着いていくどころかどんどん緊張していき、結果浮ついたまま本番を迎えてしまった。昨日の反省点、もっとこうできたら良いと思ったところを意識して、意識しすぎの状態になってしまったように思う。昨日の今日で本当に情けないことだが、日記に書いた”えらそうなこと”がちゃんと全部自分に跳ね返ってきたかたちだ。この日のみんなは(相対的にとかでは多分なく、実際に)ちゃんと良くなっていたし、あんなことを書かなければよかったと後悔している。とくに公園・雑踏・デパートにおける自分の一連の動きにはやわらかさのかけらもなかった。修正点を修正するなんて器用なことをしようとしていた自分の浅はかさが恨めしい。自分のやることはもっとシンプルでいい。一旦、客のことは忘れよう。
この日15時からの公演は、千葉くんだりから友人がひとりと家人の知人で自分とも顔見知りがの大人たちが3人、前回の演劇WSでいっしょだった俳優仲間がひとり見に来てくれた。終演後に会話したとき、友人からも知人の大人たちからも忌憚のない意見が寄せられて有益だった。最初の「さっちゃん」の言い方。
客のことを忘れようと思っているのだが、自分の声が客席に聞こえない問題があり、その解決ができていない。なんとかするには声を張り上げるしかないのではと思っているが、大声を出すために舞台に出るわけではなく、演技するために舞台に出たいわけだから、この二者択一については答えが出ている。だからまあ俺のセリフが聞こえた人はラッキーだ。
中打ち上げを切り上げ、家人たちの待つベルプリに移動する。演劇の話をすこししてもらってから、彼らに家に来てもらう。昔の仕事でとくに印象的だった仕事の話、最近バスケの公式戦で得点王になった話が聞いていて面白かった。結婚式するしないの話になったときには緊張感が出た。家人が座りながら寝そうな状況になっていたので23時頃お開きになる。


2026/02/22 今日
8時すぎに目が覚める。出かける準備をしてスタバに行く。何をどうすればいいのかわからなくなって頭が混乱している。何がやりたいのか、それを実現するためには何が必要なのか、結局自分で考えてそれを実行するしかないわけで、目標設定から楽しむための方法まで、自分の勝手でやっていいし、自分の勝手でやるしかない。それが自由とされるもののはずだ。どうしようかという悩みを解剖してみると衒気が出てくるようだ。観客からの良い評価がほしいと思っている? 認めたくないが、この器にはそういうものが入り込んでしまっている。かっこつけようとするダサさがあるし、自分にとっての泥臭さの”泥”はそういうものを抱えていることだ。そういうものに照明を当てられて舞台の上に歩いていくことになっているのはかなり危険なことだが、それを払拭するためには結局、目の前だけに集中することしかない。
結局フィジカルの部分が重要で、そのためには上のようなことにフォーカスするのが良いと思っているが、頭で考えておく部分としては「気持ちが圧される」ことになるシチュエーションで、演技プランのなかにはシマッタ感、やっちゃった感、気落ちを出そうとするというものがあるのだが、それをやろうとすると身体が小さくなってしまい、声も小さくなるので、そこを調整して、気丈に振る舞おうとする感じ、気落ちなどしていないと取り繕おうとしたり、立て直そうとする空元気のニュアンスを出すのがいいかもしれないと思っている。もうすぐ楽屋に入れる時刻になる。コンビニで買って楽屋で食べるのは止して、梅窓でうどんを食べてから劇場に入ろう。失敗のチェーンを断ち切るため、ようするに験を担ぐというやつだ。結構参っているかもしれない。どうにか楽しいへ抜けてみせよう。

20260221

日記720

作られる集中

2026/02/19 一昨日 24454
GP(ゲネプロ)の日、まずは昼ご飯はEitoカレーでオムレツカレーを食べた。楽屋に入る時間は13時以降とアナウンスされていたのだが、気持ちが焦って40分前(実際のところ1時間前)に到着してしまう。北沢タウンホールで行ったことのないエリアに行ってみようということで屋上庭園を見つけたので入ってみたりして時間をつぶす。GP前に舞台を開放してくれる時間が1時間半ほどあったので舞台上という空間に物理的に慣れようと長めのアップをする。俳優のひとりがWSで使ったというシェイクスピアの脚本を持ってきてくれたのでそれを使って発声練習をする。よく喋る羊飼いのセリフを喋ってみる。緊張の押しが強く、袖で出番を待つあいだ「ここは公園、これから娘に会える」という気持ちになるのがむずかしかったが、袖から飛び出して向こう側に相手が見えたらある程度そこだけに集中できた。唇を結んで緊張をほぐそうとする無意識の行動を抑えられず、やってしまってからあっと気づくということがある。そこに持っていかれた分だけその場所を公園ではなく見せてしまうのだと思うので、やってしまったことはやってしまったこととしてその場ではすばやく無視するしかない。モニターや袖で見ていると、皆なんとなく客のほうを意識しているように感じられる。硬いというのではないが、なんというかちょっと元気というか、外面(そとづら)が良い人が見せる外面のような感じがあって、稽古中にしっくりきていた空間とはちょっと違っているのではないかと気になった。たぶん「客に届けよう」という意識の表れなのだろうが、その出方がそれぞれで、人によっては自分を出そう、全力でやろうという振り切りになっていたり、人によっては客席をふくめた場の空気を察知して客席と舞台上をうまくつなげようとしていたり、演出として全体にかける言葉がとてもむずかしい状況にあるように思える。「緊張しないように」と言われても、それは「頑張れ」以上に意味をなさない言葉だと思う。だからその心を汲み取ろうとしなければならない。「もっとやわらかく」「リラックスして」「楽しもう」ということの言い換えだろう。テンションの上下軸から完全に切り離された横軸というふうに、完全に別ベクトルでは処理できない、つながってしまう部分なので、いかにテンションを下げずに舞台の上でやわらかく居られ得るかという話なのだと思う。単純なセリフ量によっても、物語を推進する役目の言葉を客席に向けて届けないといけないという部分でも、ほとんどの俳優は自分が負っている負荷とは質・量ともに全然違うものなので、当然自分からもっとやわらかくしたほうがいいのではないかということを言うわけにはいかない。そもそも自分に与えられたセリフ量だけでもいっぱいいっぱいになるので、そういうことを言おうとさえ思えないが。でもこの演劇作品にはGPでの結果の””その先”がある。作演出におもねるようなことを言いたいわけではないが、現状、この脚本の持っているポテンシャルを最大限引き出せているとはやっぱり思えない。「幕が開いたら作品は俳優のものだ」という言葉は、かなり重く響いた。稽古中に起こっていた”出来事”、ああ良いなあという感覚が一日でも多く再現されたら最高だ。だから結局、楽しむということに尽きる。17時半頃に返し稽古が終わり、飛び出しで体育館に向かう。1週間ぶり以上のバスケをするためだ。この日はここ3ヶ月でもなかったほど調子が良く、シュートタッチがほとんど上振れ上限いっぱいまで上がっていた。楽しんでプレーする感覚はこれだという確信のなかでボールを触っていられたからだ。2,3日おきにバスケをやっているときの慢性的な疲労がないこと、腰から臀部にかけての痛みが無視できる程度に収まっていることが、この感覚に至る条件なのだろう。同点に追いつく3Pを終了間際に決められたり、ボード裏にドリブルで侵入してマイナス角度の位置から腕だけ出して打つシュートが決まったりと、ストリートバスケ的な感覚で自由に楽しめた。脳内物質のおかげで疲れを忘れてプレーしたので帰りの電車内で疲れがどっときた。まいばすけっとで焼きそばともやしを買って帰る。焼きそばを作って食べる。寝る準備をして寝る間際、家人が波佐見出張から帰ってきた。身体の疲れから出迎えることもできずそのまま就寝。


2026/02/20 昨日 12819
朝起きて、ゆっくり身体を起こす。体幹の筋肉痛はあったが許容内で収まっている。家人にドラム練習の成果を見せる。8ビートの100BPMはそれなりに叩けるようになってきたが、TRAIN-TRAINの176BPMをメトロノームで鳴らしてみると右手が追いつかないということがわかり、ドラム習得ハウスにはまだ別の部屋があったのかということで、その間取りの広さがまたひとつ明らかになった。冷食チャーハンを食べてからセブンのコーヒーを飲みながら歩き、13時半頃に楽屋に入る。舞台上でアップをして、15時から2回目のGPをする。返し稽古をして、全体で気持ちを上げる円陣、19時開演の初日を迎える。溜まりで客入りをモニターでき、止せばいいのに客が入っている様子を見てしまう。GPでこれ以上の緊張はないだろうと思っていたのだが、それできっちりその先の緊張へと至ってしまった。緊張しないというのは無理だから、緊張に克つ集中を、と思って袖でイメージトレーニングを繰り返す。ここは公園、左手には砂場と滑り台、奥にはブランコ、毎日のようにではなく実際に毎日遊んだあの公園。
家人と、前回お世話になったAチームの俳優さんが見に来てくれたのでロビーで挨拶をする。「どこかでやっているの?」という社交辞令質問をもらう。あれ以来ぶりですとそのままを回答。社交辞令はやっぱり嬉しいものだ。その気持ちが嬉しいのと、数十%は真に受けられる自分の気質とによる。また、今回の共演者のお知り合いから、「経験者だと思いました」という素人を褒めるとき用の褒め言葉と「フラットにセリフが言えていた」というお言葉をいただく。知らない人に自分を見てもらってその感想の言葉をもらえるという経験で、初めて味わう嬉しさがあった。懸念していた声が聞こえないのではないかというところについても、真ん中やや前方に座っていた家人いわく「ちゃんと聞こえていた」とのことだったのでほっとした。三日月ロックに入って生ビールで乾杯する。”すっごい×4、あれ”な感覚があった。起こった出来事について書くと、記憶が遠くに行ってしまう感じと、複雑な感情が単純に確定してしまう感があり、それが日記を書くということなのだが、それがちょっと許しがたいほど惜しい。それだけ素晴らしい経験をさせてもらっているということだ。KANSHAとか言うと、ものすごくシンプルに収束されてしまう気がしてそう言いたくないのだが、そうとしか言えない感情が湧き起こるのを感じている。与えられたものの大きさを思うときに誰しもが感じることを思っている。もっと詳細な部分については日記には書かないでおいて、べつのかたちで”返そう”。感じることと考えることを混ぜることはまだできない。遠くない将来、考えるフェーズに入り、あらためてこの経験を評価することになるはずだが、いま感じていることを裏切りすぎないようにしよう。裏切るというかべつの観点を入れるということだが、それは考えるということの仕組み上避けられないことだ。ただ、大づかみにするときにも細部に流れているものがあるということを忘れないように。それなしには意味がないといってもいいぐらいその流れは大切なものだ。


2026/02/21 今日 3399
公演二日目。パンを食べて11時頃出かける。スタバで日記を書く。書くのはちがうのではないかと思ったが、むしろそういう部分を含むときにこそ、書くべきことがあるともいえるので、しいて書くことにする。感じ方のことだ。書くのであればもっと細々した部分についても漏らさずに書くべきだが、時間の制約上それができない。まあもっと早くスタバに来ようと思えば来れたわけで言い訳だが。この日は友人と、家人の前職場の人たちが見に来てくれることになった。これもひとえに家人の人脈と私の人望のなせるわざだねという話になる。そいつらに見られると思うとまた違った緊張が走るという予感が今の時点ですでにある。次々に扉が表れやがるので、一体緊張には何種類のバリエーションがあるのかと呆れてしまう。今日も早めに現場に入り、緊張疲れして脳を麻痺させよう。ただし舞台の上で会えることの嬉しさとその反面のさみしさを感じるだけの機能は残しておくことにする。いや、それは意識レベルが下がっても、ぼんやりしたなかでも感じられるもののはずだ。

20260218

日記719

現実のみぎり

2026/02/17 昨日 7845
朝から出社。月例のミーティングで少人数グループディスカッションが行われる。現実だが嘘の内容をつらつらと述べ立てた。物怖じせずに内容のないことを言うことがいつの間にかできるようになっている。面接となるとまた話は変わってくるのかもしれないが、人に向かって自分のこと話すという意味では大同小異だろう。そろそろ転職でもするかな。転職期間という自由時間も欲しいことだし。仕事は相変わらず画面の前でめまいがしそうになるくらい忙しい。翌日からの3日間で休みをとるために締め切りが前倒されるから体感で倍忙しい。普段暇しているから、こうやってたまに忙しいと「どうしたどうした」と言って身体が起きてくる感覚がある。それ自体は感覚としてわるくないし、シンプルに生きてるって感じはするので、ワーカホリックの人が無反省にワーカホリックに陥る理由もわかるようになってきた。今は昔と違ってそれがわかったうえで、仕事のしすぎはしょうもない、非合理的で非経済的だと断じることができる。人のためとか言う前にもっと自分に焦点を当てろよ、誰かが出てくるのはそれから先だろうと。こういうことをいうと「子供がいるとそうは言ってられないんだ」と言われるかもしれない。でも違うだろうと言いたい。子供あっての自分ではなく、自分あっての子供だろう。親あっての自分ではなく、自分あっての親だろう。違うとは言わせない。そうすると今度は「もう自分のことで頭を悩ませるフェーズは終わったんだよ、その探求は終了しました」とか言われるかもしれない。そうなったらたしかにもう終了で、こっちから言えることがあるとすればあとはもう「じゃあ今誰が喋ってんだよ」しかない。肩書か? 社会的地位か? あまりにもくだらなくないか。頑張ってきたからね、マイクの音量はたしかに大きくなったのかもしれないね。でも、まじで真剣に、シリアスに「それでいくの?」
1時間強の残業でオフィスを出て原宿経由で帰宅。途中ハラカドに寄って、渋谷マブルスというアプリで貯めたポイントでチキンブリトーを食べる。平日夜のハラカド屋上エリアは空いていて開放感があり、すこし先に東京タワー、眼下には原宿のあの交差点とビューが良く、穴場中の穴場だった。東京には街のまん真ん中にポカっと空いた、まさに台風の目のように静かなエリアがある。だいたいが新しく、どの設備も申し分なくきれいなので、こういうのを見ずに東京は汚いということをイメージで語っている向きには、もっとコンクリートジャングルの探索に身を入れろと、何やってんだしっかりしろと、喝!を入れたい。CBDショップでオイルの試食をさせてもらう。前回2適であまり効果を感じなかったと嘘をついて(じつはうっすらだが”効果”を感じた)、スプーンに4適垂らしてもらった。リラックスした気分で帰宅。自分の場合、リラックス効果は道行く人の顔を1秒長く見られるようになるというかたちで現れる。
帰ってからは適当な動画をいくつか見て、寝る準備をしてからいつもより早くベッドに入る。寝付くのにすこし時間がかかったがそれでも23時過ぎには寝たと思う。


2026/02/18 今日 1842
7時半に起きる。公園にシュートを打ちに行こうかと思っていたが、それよりもスタバで日記を書くほうがいいだろうと思い直し、洗濯機械を回してから風呂に入る。準備を万端整えて、スタバに出かける。コヤイリ前で気持ちが昂っているからか、朝の時間で疲れがないからか、舌鋒が何割か増しで鋭いかもしれない。今日はバータリ、ランスルー、ミザンス調整だと聞いている。カミテ・シモテを始めとして演劇用語が語彙の中に入ってきた。あえてカタカナで言うのがかっこいいという変なところに入り込んでいるが、まあ飽きるまではそのスタンスでいこうと思う。今できないことが急にできるようにはならないし、できたとしてもそれはできることだっただけの話だ。シンプルにできることをやるだけだ。あとはやっぱり自分らしく。自分らしく、と意識する必要は普通に生活しているととくにないものだと思うが、空気が薄いところ、光が強いところ、磁場がおかしいところなど、普段行かない場所に足を踏み入れるにあたって、最終的な調整の指針として必要になるのは”自分らしくいること”なのだろう。そもそも自分がやりたいと思ったからやるわけで、誰かに何かを言われたからやるわけではない。自分がやりたいと思ったのはどういうことだったのか、その時思ったこと(軽い気持ち)、いま感じること(重力)、いま何を自分はやりたいのか。言い訳なんかはあとでいくらでも考えられるから、一旦いまにフォーカスしよう。11:05、11:06、11:07。集合時間は11時半だ。

2026/02/18 今日 つづき 10623
いまは19:43。場当たりの初日が終わってスタバにきた。気負いがそのまま裏返って、勢い込んだその勢いのままに空回った。緊張しているのか? との指摘。稽古場でやるすべての通し稽古で毎回律儀に緊張していたのだけど、これまでは緊張しているのかと言われたことはなく、つまりそういうメッセージをオブラートに包んだものだと理解しなければならない。相手を見てやるということが演技では重要だと、今回のWS第一回目でも、3年前に参加したプログラムのWSでもあれだけ言われてきたのに、それがスコンと抜けるのだからやりきれない。集中しようとしているのに、自分の演技プランを出そうとして相手を見れていないという指摘を受けたのは、緊張していたのもあるが、気負いすぎで固くなっていたということだろう。照明を当ててもらった状況で、床にテープが貼られていてそれがバミリと呼ばれ意識のうちに置いておく必要がある場所で、遠い壁、高い天井を持つ空間に声を届けるというタスクにフォーカスしたら、それ以外がすべて抜けたというような体たらく。いや、そこまで卑下する必要はない、セリフが抜けたわけではないし、いつ出ていくか、いつ袖に帰るかということはちゃんと覚えているのだから。それでも完ぺきに手と足が同時に出てしまったが。あとは唇を噛んだり、登場人物の心情とは関係ないところで(つまり緊張を緩和しようと)口が動いたり、というのをほとんど無意識でやってしまい、やってしまった瞬間にやってしまったと感じて、ちょっと遅いと悔しくなる感じがあった。身体感覚の違和感を払拭した状態で臨まないと、緊張や負荷で無意識が出てくるようなことがあればそのタイミングで違和感を解消するための行動が全部出てしまうと思っておいたほうがいい。演出でくれた言葉のうち、「その場と仲良くなっていきましょう」という言葉には自分のような緊張しやすいタイプにはたくさんの汲み取るべき内容がある。単純接触の回数および接地面を増やす意味合いで舞台の上の”歩数”を稼ごうと休憩時間なども舞台にいるよう心がけた。自分にとって必要と思われる自分用の行動は勝手にどんどん進めていくべきだ。緊張するのは止められないから、どうにかしてそれに対処するしかない。
そもそもこれまで自分は、相手に何かを伝えよう、伝わるように何かを言おうとする努力というか、そういう意識付けや習慣付けに背を向けて、背を向け続けて生活していたわけだから、舞台に立つからといって急にそういうことができるようになりたいと望むのは、虫のよすぎる話なんだと思う。それこそ付け焼き刃になるしかないし、相談された側も困るような、今さら何言ってるんだという話でもある。今回の場当たりのおかげでこれでは駄目だとつくづく感じた。これからはもっと伝えることに意識を持つぞ。ということもあって、翌日は集合時間よりも早めに入って練習に付き合ってほしいと相手役の俳優に楽屋前で伝えた。
こういうのも全部、自分の向きたいほうに引き寄せて喋りすぎている。もっと記号的に簡便に、的確な情報処理の観点で捉え直してもいい。「頑張る」というのを「頑張るというのはつまり、意識を集中させ身体のなかでエネルギーを増幅させてうんぬん」というふうに表現についての表現に凝る方向に進めるのではなく、「ボリュームを増やす」、いやそれだと何のボリュームという話になるのでもっと「気合い入れる」という、ほとんどあれ(思い出した、トートロジーだ)みたいな転換で捉えればいい。ようするにノリ、というような話だが、実際にそれが重要だ。こだわらずにテキパキ情報処理しろということで、必要に応じてそのモードに切り替えられるようにそのチャンネルを持っておこう、そのチャンネルを構成する番組を構築しようという話だ。それは俺が小説を書くことの阻害にはならない。それはそれでそのチャンネルがあるというのを自分が一番良く知っている。帯域が違うのでお互いに干渉しない。心配いらない。

20260216

日記718

目と目で見つめ合う


2026/02/12 四日前 8488
午前在宅。コンビニに出かけて新聞を買う。自分の口から発した言葉が新聞に掲載された記念として該当の朝刊を購入した。その後は仕事仕事になる。午後出社。忙しすぎるの一言。こんなに仕事するのは嫌だよという調整仕事があとからあとから降ってくる。残業になった。疲れたしそのまま帰宅しようかと思ったが、ただ仕事をしただけのあんまりな一日にするのも忍びないので、踏ん張ってスタバに行く。『失われた時を求めて』を読んだ。ソドムとゴモラ2-1に入ったところから面白さを感じられるようになってきた。声に近さを感じる。『八月の光』も読んだ。ジョーが義父に厳しくされるよりも義母に優しくされることを憎く思うところなど、不可解どころかそうだよなと感じられるように書かれてある。よく書けているなと思った。フォークナーを読むのは一作目だが、読み始めてからずっとよく書けているなと思い続けている。


2026/02/13 一昨昨日 12992
朝から出社。午後に在宅に切り替えようと思っていたのに、電話がかかってきてしょうもない話に付き合わされた挙げ句、対面打ち合わせを入れられる。聞いていて情けなくなるような言葉遣いでげんなりさせられたりして、しばしば絶句した。実際に何も発さずに黙っている時間が10秒ほど続くというのが複数回あり、向こうはこちらにこちらは向こうに呆れているというのを隠しようもないということがお互い伝わったように思うのだが、ひょっとすると向こうは発信するだけでこちらからのそれを受け取ってくれていないかもしれない。発信に余念がないというやつだ。
残業を30分ほどで切り上げて帰る。友人とタウンホールで集合して、演劇創作プログラムのチームAの公演を観に行った。開演前の数分のあいだ心拍数が90を超えていた。あそこに自分が立つことを想像しただけでこんなに身体にくるというのは、実際を迎えたときにどうなってしまうのか……。始まってからもしばらくガチガチだった。しかししばらく見ているうちに公演の内容と演者のパワーに元気をもらって、気づけば緊張を忘れていた。3年前の共演者にかるく挨拶してからホールを出る。友人と池ノ上まで歩き飲みする。上京最初のアパート跡にはリッチマンの住む一軒家が建っている。とはいえ場所そのものがなくなるわけではないので旧アパート前、現モダンハウス前で記念撮影してもらう。その後、バーミヤンで食事がてら飲み足し、一旦帰宅して友人に借りていたDVDを返却。駅まで送って帰宅する。なんだかんだで夜更かしになり1時すぎに就寝。


2026/02/14 一昨日 9463
13時から稽古。気持ちを落ち着けながらゆっくり準備していたら思っていたより早く時間が過ぎていって、遅刻しそうになった(5分遅刻した)。ただ、盛大に遅刻する大御所俳優もいたりして、5分程度で目を白黒させる自分との格の違いを見せつけられた。この日の通し稽古も、袖から見る皆の演技にただただ感動させられて、最高の”LIVE”だった。SS木の声がたぶんツボで、自分でもちょっとどうかと思うぐらい感動してしまう。SMAPのゴタゴタのことを思うとちょうどいいエグ味が出てきたオンリーワンのあの歌にしても「これが正解のひとつだ」というメッセージとの絶妙な重ね合わせがある。脳の涙を司る部署が常軌を逸した実権を握っている我が神経系だが、それにしても司令官はボタンを強く押しすぎている。しかも連打してくるから困る。STキの急成長も自分(?)としては見逃せない。本当にすごいと思う。頭が下がるし誇らしい。MRンの声が、駄目押しの上にさらに駄目を押すあのリフレインが、彼女の言う”感じ”を胸に直通させてくる。この作品は個人的に面白いと思うし、一般的に言うところの好感が持てる作品だとも思う。自分がすこしでも良くなることで、この作品が良くなる、作品の持つ質感に貢献できる立場にいられるというのは、まさに望外の喜びだ。正直、めっちゃこわいけどね。
稽古終わりに酒を飲んで帰ろうかと思ったが、ここが大事だという気がしたのでスタバに寄って『八月の光』を読む。相変わらず読ませる文章なんだが、稽古で得た”感じ”を反芻する場になった。気がつけば稽古のことを思い出したりして読書が進まなかったりしたので。ただスタバを出てからの帰り道は結局酒を飲んで歩いた。


2026/02/15 昨日 13976
14時から自主練習。Vを連れて行って相手役の代役にたってもらう。Vにとっても初めてのおでかけになった。演出助手のビーンさんに発声のアドバイスをしてもらう。通らない声をなんとか通そうとするのは最初からわかっていた自分の課題なので、このタイミングでそこに手を貸してくれてありがたいと思った。私のような真っ白なシロウトを前に、ただでさえ考えることが多い為事なのに、伝えるタイミングとか、何を伝えて何を伝えないでおくか(あとに回すか)とか、おそらく普段よりもさらに考えてくれていて、通常であれば自分なんか本当に1ミリも頭が上がらないはずなのだが、毎回「どうもー」ぐらいの軽い会釈で済ませている。ただ恐縮していてもせっかく推進させてくれようとしている心意気に水を差すだけになるので、アホのふりをして差し出されたものを無遠慮に受け取っているつもり、アホのふりをしているつもりだ。……つもりなのだが、これを当たり前にするとアホ以下になるので、ウラカン(裏感謝)を忘れないようにしたい。それは作演出担当のNしまさんにもまったく同じことがいえるわけだが。んむあぁぁぁぁー、と言って空間の床全体からむこうの壁まで舐めるつもりで空気を震わせる発声のアップを教えてもらったので、突然そういうことを始める。人が集まってくると恥ずかしさが幅を利かせて控えめになっていってしまったが、急にでかい声ではなく、徐々にでかい声という「発声練習しているんだな」というのが伝わりやすいアップの方法なので自分のようなタイプにもなんとかギリできたりできなかったりするちょうどのアップだと思っている。人がいるタイミングでも何回かチャレンジした。このとき最初のほうにやったアップで、””喉が開く”という感覚を初めて得たかもしれない。ぐらいのちがいがあった。
稽古が一回一回終わっていってしまうのがさみしい。自分には舞台の上に会いたい人がいて、舞台の上ではまだその人に会える。それが嬉しいんだという気持ちが本物みたいになってきている。だからあらたに出てきたさみしいというのも嬉しい気持ちと同じぐらい本物で、もともと持っていたものと合わせて、本物のさみしいがふたつある状況になっている。そう考えると不思議だ。ただまあ小説を読んでいたらよくあるといえばよくあることか……。向こうではなくここにあるというのが不思議ということなのだろうか。
表に出ている人に言及するのに仮名を使う必要はないのではないかと一瞬思ったが、よく考えたらこれ(日記)は自分の現実にそれなりに近接しているフィクションだというのが私の見解だったというのを思い出したので、これはこれでよいということにする。Vをボストンバックに入れていたのでまっすぐ帰る。酒を飲みながらにはなったが。


2026/02/16 今日 9172
午前在宅。あれもこれもと片付けているうちにすぐ昼すぎになる。準備をして最後の稽古に出かける。松屋でキムチカルビの定食を食べた。見学者ありのなかで最後の通し稽古をする。自分から見れば皆スムーズに進められていてよかった、という感想だったのだが、プロの演出家の目はさすがにすごいと思った。自分がテンポの良さと見たものは、テンポの良さではなく、かかりすぎ走りすぎということらしく、たしかに何度も見ているから分かるのであって初めて見る人には分からない(分かりにくい)箇所があるというのはたしかにそうかもしれないと思った。また、相手が何を言うか知っている受け答えになったらマズいというのはその通りだと思う。自分は舞台からはける移動のときに気を抜いてOFFになったところがあったという指摘を受けた。まったくの無自覚で無意識だったので、そうなったときに素の自分が出るのではなく、役の自分が出るような状態に持っていけるようにしたい。……というのは挑戦しようとすることにかこつけた体裁の良い言い繕いだ。自分のセリフ・アクションが終わったと思って気を抜いたのがはっきり見えるほど気を抜いたということが、ある程度時間が経ってだんだん恥ずかしくなってきた。それが恥ずかしいことだという感覚はある。恥ずかしい。
この日は酒を飲まないで吉野家の牛丼を食べてまっすぐ帰る。スタバに行こうかと思ったが、雨が振り始める予報だったので家で日記を書くことにした。22時半過ぎに書き終わり、寝る準備をして寝る。

20260211

日記717

歩一歩

2026/02/07 四日前 8274
演劇稽古前にバビシャーでチーズナンを食べる。集中しよう集中しようと考えて閉じている気がする。もっと相手に向かって開かないととは思うのだがそのやり方がわからない。集中しているからなのか主観的な感触はわるくないからよけい性質がわるいのかもしれない。とりつく島もないのではないか。比較的短くて少ないセリフを完ぺきにおぼえるところからその先、その先で何ができるかというのが演技力うんぬんなのだろうと思う。自分は言うべき言葉を介した感情表現がうすいなとつくづく感じる。
20時半ごろ帰宅したら誕生日の前夜祭ということで家人が鯖のパエリアと豚肉の蒸しを用意してくれていて、ありがたくいただく。美味くて一気に全部食べてしまった。


2026/02/08 一昨昨日 12740
朝リビングで寒がっていると家人が見かねて暖かいサンダルをプレゼントしてくれた。サンダルのほかにはドラムスティックと練習用叩き台もプレゼントしてくれて早速ドチタチドチタチの練習を始めた。脳が全然追いつかない感覚、首の後ろ側に頭が置いていかれる感覚を得た。しかし考えようによってはこれが伸び代ということになる。
録音になったセリフのレコーディングをするために早めに稽古場のスタジオに入る。マイクの前でセリフを発することの難しさをただただ浴びるだけの不満足なレコーディングになってしまった。自分に満足な力があるとは思わないが、とにかく緊張していて自分の硬い声が吹き込まれただけに終わり不本意だった。心の準備ふくめきちんと準備していかなかった自分がわるい。場慣れするための場だとか言ってる場合ではないのにどれだけ好意的に解釈しようとしても経験を得た以外に収穫はなかった。ショックを引きずったままこの日の稽古が終わってしまった。仲間のひとりが誕生日だと言うのをおぼえていてくれて生菓子をプレゼントしてくれた。まずその気持ちが嬉しいし、セブンで買えるスイーツの中でもたいそう美味しい部類に入る。
一度帰って荷物を置いたあとかりべ亭に出かける。翌日に初シェラスコが控えているので肉ではなく魚をメインで注文した。徒歩でこの満足にアクセスできるのはイカすという話をした。料理屋に関しては経験に開きがあるからはっきりした同意は得られていなかったかもしれない。

2026/02/09 一昨日 20344
朝から雑司が谷まで出かけてKの墓を参る。おそらくは文学好きのGが墓の上で眠っていた。親近感が湧くものなのか、場所柄なのか、自分にしてはめずらしいことにつよい嫌悪感を抱かなかった。目標に向かって積み重ねることについて誓いを立てた。おそろしいのは去年も同じことを思っていながら進捗が一切たいということで、ただ年齢的にももう「待ったなし」という状況を確認して誓いというつよい表現を使うようにしている。副都心線で原宿に引き返し、表参道まで散歩がてら歩いて移動する。アップルストアでiPhone17proのカメラを見たが、Xperiaよりも使い勝手が良さそうな感触だった。
今日のメインイベントのひとつ、初シェラスコでバルバッコアに。肉をたくさん食べたい目論見で豊かなサラダビュッフェの野菜を一切れずつしか皿に乗せない戦略をとったのだが、そんな小細工をしたのにもかかわらず、あえなくお腹いっぱいになった。胃袋の満足ではなく心の満足を取ること、食べる肉を厳選し、その肉を2,3切れ単位で皿に運んでもらうこと、これが肝心だという学びになった。しかし食事においてこんな満足があり得るのかという満足があった。その存在も知らなかった身にはたいそうありがたいことだ。お腹いっぱいで下北に戻る。家人の役所手続きに付き添いをして区民センターと警察署をはしごする。帰りには羽根木公園を通って梅まつりの様子見をした。
帰ってからブルージャイアントシュプリームを読んで、暗くなってから新代田まで夜の散歩をする。下北沢一番街まで回ってきて、バーミヤンのほうのローソンまで歩くコース。待った待ったでここまできたけどついに待ったなしですという話をした。目標を立てる。


2026/02/10 昨日 18521
朝から出社。昼から在宅。夕方からバスケで狛江に出かける。あたらしいバッシュをおろした。若草色が気に入っていて履くだけでテンションが上がるのでその強みが機能面を凌駕する。

2026/02/11 今日 5247
一日家にいてブルージャイアントシュプリームを全巻読む。ドラムの練習。夕方から高円寺のバスケに出かける。

20260206

日記716

投げるからには

2026/02/05 昨日 13328
20時にはスタバを出て酒を飲まずに帰宅する。16時という遅い時間に昼ご飯を食べていたのでサッポロ一番塩だけで済ませてすぐに寝る。


2026/02/06 今日 7153
朝から出社。タスクが多い。追われるようにして13時まで働く。一区切り付けたので在宅に切り替える。豚とんでカレー味の小らーめんを食べるがいつもの味のほうが美味しい。帰宅して30分だけ昼寝する。そこからタスク消化のため画面の前にもどり、しこしこ働く。1時間半弱の残業になった。
もうすぐ39歳になる。楽しい時間はそれなりに多いし、労働時間中にも嫌な時間はほとんどない。週に2回ほどのペースでバスケットボールをしていて毎日8時間ぐらい寝れているから心身ともに調子がいい。読むべき本を読む時間、日記を書く時間はバスケをしていない日に限られるが、2時間から3時間ほどある。酒を飲む頻度は週7日から週2日ぐらいにまでに落ち着いた。毎日飲んでいた頃には考えられなかったことだが、酒を飲まない週も当たり前のようにある。
こういう何不足ない生活を送っていると、何でもできるという気分になってくる。だから実際、演劇にも挑戦することになって、もうすぐ本番を迎える。
しかし、自分には為事(しごと)がない。為事というのはいわゆる仕事ではなく、為にする事という文字通りの意味で、自分の為にする事だ。社会の一員として、つまり社会人として生活したいという欲求が自分にはうすいので、仕事に対する移入もほとんどない。まだバスケットボールや演劇のほうが力を込めてやれる。しかしそれにしても一生懸命やるということにはならない。誰かを押しのけてでもこのゴールを決めたい・止めたい、勝ちたいとは思えないし、誰かとぶつかってまで自分の演技を貫きたい、自分の動きに周囲を巻き込みたいという願望もない。集中力など各種自分の力を発揮するための適当な場が与えられてありがたいという気持ちはあるが、サイコロを振る、先読みしてアクションするという以外にもいろんな能力が必要になるボードゲームを遊んでいるような気分で、半ば自分の力を試しながら、半ば自分にできることを恃みに思いながら、おしゃべりしつつアイコンタクトしつつ、たわむれに盤面を進めているにすぎない。もし振り出しに戻るというマスに止まったら、歯を食いしばってもう一度やり直すということは多分しないで、躊躇なくべつの遊びに移行するだろう。音楽演奏や詩吟、ピックルボールなど、すでにその候補もいくつかある。自分は仕事の時間を支出しつつ、やりたいことをして自由に遊んでいるいい身分だ。遊ぶことはあまりに楽しいので、その自由を購うための仕事をも含め、どうも手放す気になれない。嫌なことが多かった仕事を経験していることも、いまの居心地の良さを失いたくないという気持ちに拍車をかけている。
ただ、時間は有限で、自由に使える自分の力を発揮できる時間、その力が今ある量だけ継続して使える時間はさらに限られている。自分にとって今こそがゴールデンタイムだという意識はある。その時間をどう使うかを自分は真剣に考えなければならないなとも思っている。遊ぶために使うのもひとつの手だ。負担にならない仕事をして遊ぶ時間を確保し、みなぎる気力や体力をふんだんに使って生活するなかでそのとき目の前に流れてきた綿毛を掴むという生き方。今何かを選ぶということをしないとするなら、自分はそうやって生きることになるだろう。「あそんでいきよう」というのは個人としての人間がたどり着ける最高の価値観だから。
あるいは、為事をして生きていくというアイデアがある。とにかくがむしゃらに一生懸命生きるということだ。自分は自分自身が何かを犠牲にするような生活をのぞまないが、それでも、自分で「一生懸命やる」を選ぶという条件であれば、自分にもできるのではないかと思っている。他人が言ったりやったりしていることに対して「それは違う・間違っている」と感じる狭い領域が自分にもある。そういうときはスコープが下手に伸びているだけで、ただ狭い了見にすぎないのかもしれないが、その違和感をバネにして高く飛べそうだという直感が働く。相手が間違っていて自分が正しいというのではないが、自分が正しいというのはある。相手の間違いのおかげで自分が正しいと思う線が見える。だからまずはその線を引きたい。それはまたいつかの自分にとっての相手になって、その間違いはいつかの自分の目に正しいと思う線が見える補助にもなるだろう。しかし重要なのはいつかではなく今だ。だからまずは線を引きたい。今から一本でも多く線を引きたい。それが自分の為事だという気がしている。いびつなことは気にしないでもいいが、いびつであろうとするのは違う。それ以外はまだ何もわかっていない。たぶんこれからわかっていくことなのだろう。始点だけを意識して引き始めるのがいいのか終点を決めて始めるべきなのか、線と線との接続は、重ね合わせは、統合は、どういうかたちでなされるべきなのか。ある程度は線に任せるのがいいのか、そうだとしてそれはどの程度か。
スタバに出かけて考え事をする。どうすればいいか、どうしようかと考える余地があるというのは恵まれていると思うし、考える余地があるかないか選べるなら断然前者を選ぶのだけど、それはそれとして、実際、どうしようか。とりあえず書け、でしかないのだが、そんなことを言っていても仕方ない。賢犬を流すつもりはないが、賢犬が立とうとしない以上、賢犬が飛び出てきた日のように、何かを見つけるためにふらふらする時間を作らなければならない。いつかはいつか(賢犬)、今は今。さて。

20260205

日記715

リメンバー・ミー

2026/02/04 昨日 7558
20時前にスタバを出てすこし外で飲み、ダイエーでサバ味噌缶(はごろもフーズ)と納豆、家人が食べる用の納豆巻きを買って帰る。M1関連の動画がリリースされたので目ぼしいものをいくつか見る。翌日は朝早いので早めに寝る。


2026/02/05 今日 11563
奈良の実家付近にいて近鉄奈良駅から家まで帰ろうとする途中でクマが出たという騒ぎが持ち上がる。やすらぎの道の郵便局のあたりでクマが出る予兆(熊の子)を見つけたその矢先だった。大きな叫び声が上がり、そちらを見ると三条通りのほうに大きなクマが出現していた。大慌てで神社のほうの路地に逃げ込む。その道の先に入ったことのないお堂があり、緊急事態だからということで勝手に門を開けて中に入った。建物の中は外から見たよりかなり広く、電気がつかずに暗いし、迷路のようになっていたこともあり、なかなか向こう側へ抜けられない。苦労してやっと向こう側へ着いたと思ったらぐるっと回っただけだった。案内の小坊主が慌てる我々を見てニヤッと笑ったので敵側の手先かと疑った。ニュースでは街に出たクマは一頭ではなく、クマ軍ともいえる集団で襲ってきていると報じていて、何らかの大きな力が働いていることを思わせた。その後なんだかんだあったあげく急襲を受け絶体絶命になったのだが、都合よくヒーロー視点に切り替わってアトラクション的にクマ退治をする夢に切り替わった。都合の良い夢だと思い緊張感ががくっと下がるのを感じた。突き詰めて考えると絶体絶命のタイミングですでにゲームは終わっていて、愉快な偽記憶を植え付けられているようにも受け取れそうだったので突き詰めて考えるということはするまいと、あえてアトラクションを楽しんだ。急流滑りのようなスプラッシュ系のアトラクションもあって、楽しもうとする分にはなかなか楽しめた。
遅刻したくないのできっぱり目覚めることにして早々に家を出る。時間きっかりより2本早い電車に乗って有楽町経由で新豊洲まで。この日は最終出社日の人に同席しての立ち合いだった。今と比べると社会全体にコンプライアンス的な意識がほぼないような厳しい時代を生き抜いてきた人なので、おとなしい印象のなかにも硬い芯があるように感じられるのだが、物腰がやわらかで丁寧にコミュニケーションしてくれていた。あまり接点がないまま過ごしてきたが、引き継ぎをすることになって一気にやり取りが増え、そのなかで好感を持つようになった。仕事のことについてはとくに言うことはないので「お元気で」とだけ言おうと身構えていて、午後からの仕事でべつの現場に移動するタイミングで最後のあいさつとしてそのことを伝えられたので良かった。ごくシンプルに元気でやってほしい。
大手町に移動してからの仕事は悲惨な状況で、ほとんど何もわからないまま先方の質問を受けては確認しますということを小一時間のあいだずっと繰り返し、目ぼしい成果も挙げられないまま時間切れで解散になるという体たらくだった。大の大人4人に囲まれて、仕事上は質問をしなければならないが、ひとりの人間としてはこの人に追及するのは忍びないという優しい視線を感じて、世の中捨てたもんじゃないなと、すこしホッとさせられた。わからないことはわからないと言うしかない、わからないというのが俺の仕事だ、と割り切って伝えることはできた。最低限の仕事だが最低限の仕事は果たした。
這々の体で帰路につく。ろくにご飯を食べる時間もなかったので帰宅してすぐ冷食チャーハンを食べる。タスクは溜まっているがとりあえず明日に回し、定時で退勤。
デザインと色だけで決めたニューバッシュが到着していた。この日はバスケに行くつもりでいたのだが、足の疲労が抜けていないので行かないことに考え直す。新しいバッシュを履く日には良い感触を得たい。感触がわるいなかでシュートを打っても全体の成功率が下がる練習になってしまうというのもある。これからは毎回の質というかコンディションも調整していかなければならない。というわけでスタバに行き『失われた時を求めて』を読む。ソドムと植物の交接について。人の欲望についてはあまり関心を持てない。人のファッションについても同様だ。自分というものを切り離してそれらを考えることの意味がわからない。意味というかやり方というか。

20260204

日記714

最もオクロック

2026/02/01 一昨昨日 8545
タウンホールのスカイラウンジみたいな眺めの良い部屋で稽古をした。出演場面となる公園を具体的に想像するなかで、幼稚園から小学校まで遊び倒したマンション前の公園を記憶に呼び出した。集中力を高めようとするなかで、肝心のコミュニケートするべき相手役を無視するかたちになってしまい、きれいに本末転倒していて我ながら可笑しくなった。集中しすぎなのかテンパりもエスカレートし、スローモーションで走る場面で手と足がいっしょに出るという面白を演じてしまった。稽古の途中で新宿方面のビルから黒煙があがるのを発見する。火事だった。
自分がやりやすいように、マイペースを崩さないようにとラクな体勢をとろうとして、周囲の援助もあってその通りできているのだが、自分がやりやすいということはその分誰かが居心地わるくなっているということでもあるという一般論があるので、どこに対してそうすればいいのかわからないがもうすこし気を遣うようにしようと思わないでもない。しかし残念ながらこれからは思うような余裕もなくなっていくことだろう。家に帰ったらカレーとその作者が待っていた。我が家はジャワカレーにテーブルスパイスを足したカレー。美味かったのでたくさん食べてお腹いっぱいになりすぎた。それで睡眠の質が落ちる。等価交換、ということでいいのか。


2026/02/02 一昨日 9292
朝から出社。午後から在宅。スタバに行って日記の代わりに演劇経験についての文章を書く。原液感がつよい。もっと散らせるかあるいはもっと突き詰めるか、どちらでもいいがどちらかに方向づけないとどうにもならない。テンションがあがったときに、思ったことを棒大にする作業に集中してしまう。それはそれで楽しいのだが、あとに続くものがないということになってしまう。この日も書くだけ書いて帰り道に酒を飲むという発散になった。ところで坂本慎太郎の『ヤッホー』は良い。楽しくなったし、将来もこれを聞いて楽しくなるだろうことが想像のうちにやってきた。やまびこのように。


2026/02/03 昨日 21870
一日在宅勤務。こういうとき休みが全面に出てほしいのに、たくさん働かされた。無駄な依頼も多い。無視すると倍になる感じなのでいい加減に付き合っている。最小限に抑えられている手応えはあるのだが、それでも面倒だ。鷺ノ宮までバスケに出かける。西武新宿駅に行く途中スポーツショップでバッシュを試着。感触がわるくなかったのでそのままネットで購入した。今回はデザイン重視で選んだ。履いていてアガるというのが機能面を補ってあまりあるという判断だ。たぶん機能はどれもそれなりに高いのだろうし。鷺ノ宮は急行が止まるとは思えないほど、駅前なのにうらぶれた雰囲気で、中学校にむかう道も暗くて寂しいのだが、体育館はかなりきれいだった。参加人数が少ないこともあって出ずっぱりになりだいぶ疲れたのだが、みな上手くて当たりは優しいという最高の環境だったこともあってだいぶ楽しかった。
くたくたになりながら高田馬場乗り換えルートで帰る。家人に駅まで迎えに出てもらい、まいばすけっとで恵方巻ほかを買って帰宅。Vは先に寝てしまっていたが、今年も節分の儀式をした。


2026/02/04 今日 5242
午前在宅、午後から出社。一日働き詰めで疲れた。しかし睡眠時間の確保したことでまあ前向きにタスクをこなし、背負わされた荷物をひとまず置くこともでき、終業後には達成感があった。渋谷経由で下北まで戻りスタバに行く。『失われた時を求めて』ソドムとゴモラ、『八月の光』を読んでから日記を書く。20時前にはスタバを出て飲酒しながら帰るつもり。また『ヤッホー』を聞くだろう。

20260202

死後の世界にいる「私」を演じるということ

演劇プログラムに参加して、舞台で演じるという特殊な経験をしている。

私には娘がおらず、配偶者と離婚してもいないのだが、〈離婚して自由に娘に会わせてもらえない父親〉を演じることになった。演劇の舞台なので、それがどういう場面で、役者としての自分がそこでどういうセリフを言うかというのは決まっている。作・演出のNさんは演じること全体について説明してくれたことがある。それは間違いなく彼の演出のなかでもとくに優れた内容だった。いわば基本のキであり、そのために訳知り顔の評論家気取りの連中にも簡単に引用されそうな内容なのだが、それでもその重要性は揺るぎないものとして感じられる。それはつまり、彼の演出によってそのアイデアが自分のなかで揺るぎないものとして感じられるようになったということだ。とにかく不安を感じがちになる役者に対して、信じるべき灯台の光となるようなことをはっきり言えるということ。それは数ある演出家の資質のなかでももっともポジティブな要素のものだと思う。前置きが長くなったが、彼が何度となく言ったのは次のことだ。
「とりあえず脚本上セリフは決まっていますが、その場面に臨んだときに自分だったらどういう感情になるかを想像して、その感情のうえにセリフを乗せてください」


私は他人がどう考えるかということについては感じるままに想像する以上のことをほとんどしておらず、どうせ大したことではないのだろうから、いちいち取り上げるほどのことはないと高を括っている。他人がどう考えるかということに対して真剣に併走するのは大変なコストがかかるということを自分に照らして知っているので、そのコストを支払おうという気にはなれない。真剣に考えを尽くしたとしても「そこじゃない」という見当違いが起きるというのも全然めずらしくなくむしろ往々にしてあることで、それも自分に照らして知っていることだ。だから、自分はどう考えるかということにフォーカスして、他人のこと、他人の考えることについてはある程度までと線引きしおろそかにしてきた。そういうわけで「とりあえず脚本上セリフは決まっているが、その場面に臨んだときに自分だったらどういう感情になるかを想像して、その感情のうえにセリフを乗せる」というのを実践しようとしてまず苦しんだのは、登場人物がなぜそんな事態に陥ったのかというところを〈この私〉につなげる部分だ。私が演じる〈その私〉は、何かがどうにかなり、どうにかなった先でいろいろなことを取捨選択した結果、その立場に位置するようになっているわけだから、それを私にも納得できるようなかたちに成形する必要がある。のっぴきならない事情が重なって、出た目が思わしくなく、疲労が重なった挙げ句、追いやられた先で破壊的な結婚をすることになり、娘を愛していながら自由に会えないという厳しい状況に陥ったのかもしれない。これを真剣に想像することは簡単ではない。しかしそういう人は実際にいるというところから、それをヒントにして自分と接続する回路を、遠回りにでも、か細い線になってでも、つなげようとすることはできる。それに彼は彼で、この私と同じように自分の状況を顧みたとき「陥った」というふうには自分のことを考えないかもしれない。

いずれにしても、この私への接続については「できる」という思い込みを発揮するだけのことにすぎず、結局のところ、いい加減な想像の域を出ない。「普通こうでしょ」という、いい加減で許容しがたい他人の意見と似たものになる。しかしそれは怠惰が鍵なので、他人の考え一般について自分が使っているのと同じ鍵で開けられる。まあ大体こんなもんという大まかな切り取り方で必要十分ということだ。むしろそこから逸脱すると、他人からは容易に認めることができないゾーンに突入してしまうだろう(じつは私はそこへ行きたいのだが、今回の演劇では一旦保留としている)。だから結局、怠惰な想像力で「まあだいたいそんなところ」となる範囲内で調整するのが自分の仕事ということになる。それでも、普段使っていない筋肉を使うときのように身体の動かし方のバリエーションにはなるので、この私にとってもエクササイズ的な良い効果が期待できると思っている。

ところで、より面白いと自分に感じられる仕事は、死後の世界(あるいは生前の世界)にいる場面を演じるということだ。私は死後の世界というものを一切信じておらず、人がそれを信じることも馬鹿らしいと考える点で、他人からは「死後の世界がないことを信じている」よう映る姿勢をとっている。
だから「とりあえず脚本上セリフは決まっているが、その場面に臨んだときに自分だったらどういう感情になるかを想像して、その感情のうえにセリフを乗せる」とき、死後の世界にいる自分のことを想像するわけだが、その自分のなかでどういうことが起こるかといえば、自分が信じていない世界のなかにどういうわけか入り込んで、そこでまごまごするというよくわからない事態だ。たとえば「現実」というのは信じる信じない以前にもう現実としてそこにあるものだから、前提としての”オフにできない機能”が元々そなわっていて、それをオフにして考えること全般がナンセンスだと思い込ませるたぐいの要素を備えている。私は疑おうと思えばそのことを疑うこともできる。つまり現実の現実性について虚偽だと暴き立てるような態度をとったり、それをフルシカトして自分の思う通りまっすぐ進むということをあえてしたりもできる。私は私次第ではそうすることもできると知っているが、同時に(ほぼ次のページには)そうしないということも明らかに知っている。死後の世界にいる自分を演じるというのはどういうことなのか。自分が演じる死後の世界というのはどういう場所なのか。自分の視点からはその場所のことはまったくわからないのだが、現実の持つ現実性という奇妙な図式を反転させたときのような奇妙さがその場所には漂う。また、外形的な強制力(今回の場合は演劇の舞台)によって、自分が自分の想像の外に置かれるということも起こる。「自分の外にある」という状態は、自分機能におけるコア部分の機能不全にほかならず、自分にとって許容範囲を超えることになるのだが、そのこと自体が次のように想像してみることをトリガーに発生している。
「とりあえず脚本上セリフは決まっていますが、その場面に臨んだときに自分だったらどういう感情になるかを想像して、その感情のうえにセリフを乗せてください」

私は死後の世界というものを信じていない。そんな私が死後の世界にいる私を演じることができるのだから、これを僥倖と言わずして何を僥倖と言うのか。私は演劇プログラムに参加して、舞台で演じるという特殊な経験をする。蓋し僥倖である。

日記742

非公式ステッカー禁止周知用公式ステッカー 2026/04/06 昨日 6727 スタバを出てからダイエーで買った氷結をミカン入口で飲む。家人を待つあいだの隙間時間で『ワンバトルアフターアナザー』を見ようと思ったら、再生してすぐ家人が出現した。だいこんまんと...