20260221

日記720

作られる集中

2026/02/19 一昨日 24454
GP(ゲネプロ)の日、まずは昼ご飯はEitoカレーでオムレツカレーを食べた。楽屋に入る時間は13時以降とアナウンスされていたのだが、気持ちが焦って40分前(実際のところ1時間前)に到着してしまう。北沢タウンホールで行ったことのないエリアに行ってみようということで屋上庭園を見つけたので入ってみたりして時間をつぶす。GP前に舞台を開放してくれる時間が1時間半ほどあったので舞台上という空間に物理的に慣れようと長めのアップをする。俳優のひとりがWSで使ったというシェイクスピアの脚本を持ってきてくれたのでそれを使って発声練習をする。よく喋る羊飼いのセリフを喋ってみる。緊張の押しが強く、袖で出番を待つあいだ「ここは公園、これから娘に会える」という気持ちになるのがむずかしかったが、袖から飛び出して向こう側に相手が見えたらある程度そこだけに集中できた。唇を結んで緊張をほぐそうとする無意識の行動を抑えられず、やってしまってからあっと気づくということがある。そこに持っていかれた分だけその場所を公園ではなく見せてしまうのだと思うので、やってしまったことはやってしまったこととしてその場ではすばやく無視するしかない。モニターや袖で見ていると、皆なんとなく客のほうを意識しているように感じられる。硬いというのではないが、なんというかちょっと元気というか、外面(そとづら)が良い人が見せる外面のような感じがあって、稽古中にしっくりきていた空間とはちょっと違っているのではないかと気になった。たぶん「客に届けよう」という意識の表れなのだろうが、その出方がそれぞれで、人によっては自分を出そう、全力でやろうという振り切りになっていたり、人によっては客席をふくめた場の空気を察知して客席と舞台上をうまくつなげようとしていたり、演出として全体にかける言葉がとてもむずかしい状況にあるように思える。「緊張しないように」と言われても、それは「頑張れ」以上に意味をなさない言葉だと思う。だからその心を汲み取ろうとしなければならない。「もっとやわらかく」「リラックスして」「楽しもう」ということの言い換えだろう。テンションの上下軸から完全に切り離された横軸というふうに、完全に別ベクトルでは処理できない、つながってしまう部分なので、いかにテンションを下げずに舞台の上でやわらかく居られ得るかという話なのだと思う。単純なセリフ量によっても、物語を推進する役目の言葉を客席に向けて届けないといけないという部分でも、ほとんどの俳優は自分が負っている負荷とは質・量ともに全然違うものなので、当然自分からもっとやわらかくしたほうがいいのではないかということを言うわけにはいかない。そもそも自分に与えられたセリフ量だけでもいっぱいいっぱいになるので、そういうことを言おうとさえ思えないが。でもこの演劇作品にはGPでの結果の””その先”がある。作演出におもねるようなことを言いたいわけではないが、現状、この脚本の持っているポテンシャルを最大限引き出せているとはやっぱり思えない。「幕が開いたら作品は俳優のものだ」という言葉は、かなり重く響いた。稽古中に起こっていた”出来事”、ああ良いなあという感覚が一日でも多く再現されたら最高だ。だから結局、楽しむということに尽きる。17時半頃に返し稽古が終わり、飛び出しで体育館に向かう。1週間ぶり以上のバスケをするためだ。この日はここ3ヶ月でもなかったほど調子が良く、シュートタッチがほとんど上振れ上限いっぱいまで上がっていた。楽しんでプレーする感覚はこれだという確信のなかでボールを触っていられたからだ。2,3日おきにバスケをやっているときの慢性的な疲労がないこと、腰から臀部にかけての痛みが無視できる程度に収まっていることが、この感覚に至る条件なのだろう。同点に追いつく3Pを終了間際に決められたり、ボード裏にドリブルで侵入してマイナス角度の位置から腕だけ出して打つシュートが決まったりと、ストリートバスケ的な感覚で自由に楽しめた。脳内物質のおかげで疲れを忘れてプレーしたので帰りの電車内で疲れがどっときた。まいばすけっとで焼きそばともやしを買って帰る。焼きそばを作って食べる。寝る準備をして寝る間際、家人が波佐見出張から帰ってきた。身体の疲れから出迎えることもできずそのまま就寝。


2026/02/20 昨日 12819
朝起きて、ゆっくり身体を起こす。体幹の筋肉痛はあったが許容内で収まっている。家人にドラム練習の成果を見せる。8ビートの100BPMはそれなりに叩けるようになってきたが、TRAIN-TRAINの176BPMをメトロノームで鳴らしてみると右手が追いつかないということがわかり、ドラム習得ハウスにはまだ別の部屋があったのかということで、その間取りの広さがまたひとつ明らかになった。冷食チャーハンを食べてからセブンのコーヒーを飲みながら歩き、13時半頃に楽屋に入る。舞台上でアップをして、15時から2回目のGPをする。返し稽古をして、全体で気持ちを上げる円陣、19時開演の初日を迎える。溜まりで客入りをモニターでき、止せばいいのに客が入っている様子を見てしまう。GPでこれ以上の緊張はないだろうと思っていたのだが、それできっちりその先の緊張へと至ってしまった。緊張しないというのは無理だから、緊張に克つ集中を、と思って袖でイメージトレーニングを繰り返す。ここは公園、左手には砂場と滑り台、奥にはブランコ、毎日のようにではなく実際に毎日遊んだあの公園。
家人と、前回お世話になったAチームの俳優さんが見に来てくれたのでロビーで挨拶をする。「どこかでやっているの?」という社交辞令質問をもらう。あれ以来ぶりですとそのままを回答。社交辞令はやっぱり嬉しいものだ。その気持ちが嬉しいのと、数十%は真に受けられる自分の気質とによる。また、今回の共演者のお知り合いから、「経験者だと思いました」という素人を褒めるとき用の褒め言葉と「フラットにセリフが言えていた」というお言葉をいただく。知らない人に自分を見てもらってその感想の言葉をもらえるという経験で、初めて味わう嬉しさがあった。懸念していた声が聞こえないのではないかというところについても、真ん中やや前方に座っていた家人いわく「ちゃんと聞こえていた」とのことだったのでほっとした。三日月ロックに入って生ビールで乾杯する。”すっごい×4、あれ”な感覚があった。起こった出来事について書くと、記憶が遠くに行ってしまう感じと、複雑な感情が単純に確定してしまう感があり、それが日記を書くということなのだが、それがちょっと許しがたいほど惜しい。それだけ素晴らしい経験をさせてもらっているということだ。KANSHAとか言うと、ものすごくシンプルに収束されてしまう気がしてそう言いたくないのだが、そうとしか言えない感情が湧き起こるのを感じている。与えられたものの大きさを思うときに誰しもが感じることを思っている。もっと詳細な部分については日記には書かないでおいて、べつのかたちで”返そう”。感じることと考えることを混ぜることはまだできない。遠くない将来、考えるフェーズに入り、あらためてこの経験を評価することになるはずだが、いま感じていることを裏切りすぎないようにしよう。裏切るというかべつの観点を入れるということだが、それは考えるということの仕組み上避けられないことだ。ただ、大づかみにするときにも細部に流れているものがあるということを忘れないように。それなしには意味がないといってもいいぐらいその流れは大切なものだ。


2026/02/21 今日 3399
公演二日目。パンを食べて11時頃出かける。スタバで日記を書く。書くのはちがうのではないかと思ったが、むしろそういう部分を含むときにこそ、書くべきことがあるともいえるので、しいて書くことにする。感じ方のことだ。書くのであればもっと細々した部分についても漏らさずに書くべきだが、時間の制約上それができない。まあもっと早くスタバに来ようと思えば来れたわけで言い訳だが。この日は友人と、家人の前職場の人たちが見に来てくれることになった。これもひとえに家人の人脈と私の人望のなせるわざだねという話になる。そいつらに見られると思うとまた違った緊張が走るという予感が今の時点ですでにある。次々に扉が表れやがるので、一体緊張には何種類のバリエーションがあるのかと呆れてしまう。今日も早めに現場に入り、緊張疲れして脳を麻痺させよう。ただし舞台の上で会えることの嬉しさとその反面のさみしさを感じるだけの機能は残しておくことにする。いや、それは意識レベルが下がっても、ぼんやりしたなかでも感じられるもののはずだ。

日記720

作られる集中 2026/02/19 一昨日 24454 GP(ゲネプロ)の日、まずは昼ご飯はEitoカレーでオムレツカレーを食べた。楽屋に入る時間は13時以降とアナウンスされていたのだが、気持ちが焦って40分前(実際のところ1時間前)に到着してしまう。北沢...