止まらない思い出化
2026/02/21 昨日
スタバを出てから13時すぎに楽屋に入る。劇場最寄りのローソンで買っていったおにぎりを楽屋で食べる。楽屋でなにかするとちょっとずつ場に慣れるはずだという目論見と全然違って、出演者とおしゃべりをしても緊張が解けない。前日に一度客前舞台に立ったのにもかかわらず、まだそのときと同じかそれ以上の緊張があり、時間がたって落ち着いていくどころかどんどん緊張していき、結果浮ついたまま本番を迎えてしまった。昨日の反省点、もっとこうできたら良いと思ったところを意識して、意識しすぎの状態になってしまったように思う。昨日の今日で本当に情けないことだが、日記に書いた”えらそうなこと”がちゃんと全部自分に跳ね返ってきたかたちだ。この日のみんなは(相対的にとかでは多分なく、実際に)ちゃんと良くなっていたし、あんなことを書かなければよかったと後悔している。とくに公園・雑踏・デパートにおける自分の一連の動きにはやわらかさのかけらもなかった。修正点を修正するなんて器用なことをしようとしていた自分の浅はかさが恨めしい。自分のやることはもっとシンプルでいい。一旦、客のことは忘れよう。
この日15時からの公演は、千葉くんだりから友人がひとりと家人の知人で自分とも顔見知りがの大人たちが3人、前回の演劇WSでいっしょだった俳優仲間がひとり見に来てくれた。終演後に会話したとき、友人からも知人の大人たちからも忌憚のない意見が寄せられて有益だった。最初の「さっちゃん」の言い方。
客のことを忘れようと思っているのだが、自分の声が客席に聞こえない問題があり、その解決ができていない。なんとかするには声を張り上げるしかないのではと思っているが、大声を出すために舞台に出るわけではなく、演技するために舞台に出たいわけだから、この二者択一については答えが出ている。だからまあ俺のセリフが聞こえた人はラッキーだ。
中打ち上げを切り上げ、家人たちの待つベルプリに移動する。演劇の話をすこししてもらってから、彼らに家に来てもらう。昔の仕事でとくに印象的だった仕事の話、最近バスケの公式戦で得点王になった話が聞いていて面白かった。結婚式するしないの話になったときには緊張感が出た。家人が座りながら寝そうな状況になっていたので23時頃お開きになる。
2026/02/22 今日
8時すぎに目が覚める。出かける準備をしてスタバに行く。何をどうすればいいのかわからなくなって頭が混乱している。何がやりたいのか、それを実現するためには何が必要なのか、結局自分で考えてそれを実行するしかないわけで、目標設定から楽しむための方法まで、自分の勝手でやっていいし、自分の勝手でやるしかない。それが自由とされるもののはずだ。どうしようかという悩みを解剖してみると衒気が出てくるようだ。観客からの良い評価がほしいと思っている? 認めたくないが、この器にはそういうものが入り込んでしまっている。かっこつけようとするダサさがあるし、自分にとっての泥臭さの”泥”はそういうものを抱えていることだ。そういうものに照明を当てられて舞台の上に歩いていくことになっているのはかなり危険なことだが、それを払拭するためには結局、目の前だけに集中することしかない。
結局フィジカルの部分が重要で、そのためには上のようなことにフォーカスするのが良いと思っているが、頭で考えておく部分としては「気持ちが圧される」ことになるシチュエーションで、演技プランのなかにはシマッタ感、やっちゃった感、気落ちを出そうとするというものがあるのだが、それをやろうとすると身体が小さくなってしまい、声も小さくなるので、そこを調整して、気丈に振る舞おうとする感じ、気落ちなどしていないと取り繕おうとしたり、立て直そうとする空元気のニュアンスを出すのがいいかもしれないと思っている。もうすぐ楽屋に入れる時刻になる。コンビニで買って楽屋で食べるのは止して、梅窓でうどんを食べてから劇場に入ろう。失敗のチェーンを断ち切るため、ようするに験を担ぐというやつだ。結構参っているかもしれない。どうにか楽しいへ抜けてみせよう。