20260102

日記700

思い出のレガシー

2025/12/31 一昨日 8370
実家で年越しそばを食べる。テレビでは紅白歌合戦を映していたが、意識はほとんどMACの画面にあって「スルタンのゲーム」に集中していた。紅白歌合戦の最中に何度となく祖母がリビングに登場したのだが、テレビ音量が大きいからそれが気になってかもしれないと番組終盤になってからやっと気づいた。それほどスルタンのゲームに夢中になっておりしかるべき気遣いができていなかったわけだが、祖母の隠れた要望を無視する理由としてかなり反道徳的だったと反省している。とはいえそう反省したのは年を越して寝る前にはたと気づいてだったので、まあ過ぎたことは仕方ないとこれを書いている時点では開き直っている。


2026/01/01 昨日 11376
9時頃にやや寝不足状態で目覚める。起床の挨拶の代わりに年明けの挨拶を述べ、作ってもらったお雑煮を食べる。父から勧められるまま午前中からビールを飲んだ。午前中、近くの神社まで初詣に出かける。父母が交代で祖母が乗る補助用の車椅子を押す。神社では祖母は杖をついて歩き、律儀に所定の賽銭箱すべてに小銭を落としていった。自分では初詣に行こうという気はないし、人に合わせて行くのもやめておこうという方針を立てているのだが、何事にも例外はある。何か目的がある方が歩調を合わせて歩くということをしやすいし、目的なんてじつはなんでもいいわけだから。駅前での昼飯の買い物を済ませて帰宅する。帰り道にある公園までスリーマンセルの鹿が遠征にきていた。
一旦帰宅して、母親とふたりで再度出かける。ならまち方面にのぼって降りるコースを歩き、商店街の筋を折れて近鉄奈良駅に向かう。どのスーパーも閉まっていたのでJR奈良駅のスーパーに再訪問することにした。午前よりもやや大回りのコース取りだがほぼ同じ散歩コースになった。母親と会話している感じでは昔とあまり変わらないのだが、どこかで曲がり角を曲がるタイミングがくるのだろうと思う。それを予感しているような口ぶりで人生を総括するようなことを言っていた。それは「生きてきてよかった」という意味の通り一遍の内容だったわけだが、こちらの返しとしても「満足するには早いし長さについてもっと高望みしてもいい」という通り一遍のことしか言えなかった。たぶん言葉の裏を読まないといけないのだろうが、相手の言葉の裏について考えるのが苦手だ。ラジオかなにかで国崎が喋っていた、父親から「俺はあと10年だ」と言われた話をヒントにしてようやくわかりかけたところがある。「まだまだ生きるやろ」と国崎が返したとき、父親は「今の俺で喋れるのがあと10年だ」とさらに返してきたという話だった。どうあっても自分にとって母親は母親なのだが、本人にとっての本人はそれとは次元が違う話ということになるのかもしれない。他人のことはわからないので想像するしかないが、自分で置き換えて国崎父の言ったことを考えるとある程度理解できる。それでもその理解が合っているかどうか、自分の思っている内容と母親の思っている内容とが一致しているのかどうかはわからないのだが、話の内容だけではなくその調子からもなんとなくそういう意味で言っておきたいと思っていること、言おうとしていることを感じた。しかしこちらから話をそこに持っていくことは無理だ。そもそも話してわかるようなことではないと思うのもあるし、何を言って何を言わないでおくかという判断については話し手にまかせるしかない。
夜ご飯を食べてつまらないテレビを見る。翌朝早くの新幹線に乗るために早めに寝る。

日記701

いつも新しい 2026/01/02 一昨日 7888 奈良の自宅を6時20分に出てJRで京都駅に向かう。寝不足気味だったが電車のなかでも寝ずに動画を見たりなどして過ごす。新幹線に乗り換えて東京へ。車内では映画『ひゃくえむ』を見る。主人公の目標が早く走ること...