20260104

日記701

いつも新しい

2026/01/02 一昨日 7888
奈良の自宅を6時20分に出てJRで京都駅に向かう。寝不足気味だったが電車のなかでも寝ずに動画を見たりなどして過ごす。新幹線に乗り換えて東京へ。車内では映画『ひゃくえむ』を見る。主人公の目標が早く走ることだけでそれ以外の尺度がないため、とてもシンプルな話で感情移入しやすいようだが、じゅうぶん年若い時ならいざ知らず、いまの自分の年齢ではほとんど感情移入できなかった。いや、よく考えると年若いときにも感情移入はできなかったと思う。陸上競技というものに大して興味惹かれずあまり価値を感じていないのも大きいが、あまりにもシンプルだと視点が一箇所に固定されてしまい、見る側でどこを見るかの選択もできないし、そうすると見るべきところがすくないと感じられてしまうからだ。一度きりの勝負に自らの存在を賭けるという話にはそれ特有の輝きがあるのは間違いない。しかし自分としては、失敗しても次、また失敗してもまた次という弛緩したテンションで、あきらめわるく食い下がる手法を採用していこうとしているところなので、こういったドラマチックな観点にはこちらから背中を向けようと思っている。「早く走れるのが楽しいから走っている」というシンプルさであれば共鳴できるところはあると思うが、そのシンプルさではわかりやすい物語を作れないので、ドラマの盛り上げに必要な苦悩や葛藤のため、有り合わせの思想を詰め込んでいるという印象だ。素材や材料こそちがうものの構造としてはビジネスマンの自己啓発ストーリーと変わるところがない。どのストーリーがよくてどのストーリーがわるいという話ではない。内面の探索過程において、わかりやすいストーリーやわかりやすい自己説明というのはただ単に不要というだけではなく明確な阻害要因になるという話だ。存在の”承認”が目的であれば、なんらかのストーリーは役に立つ有用なものなのだろうが、その成立に役立つドラマ性というのは咀嚼容易なサラダチキンのようなものだ。現実というのは単純化できるものではないので、ある登場人物の喋る「現実逃避」なる単語については、”現実”という記号を使って喋られている空疎な内容にすぎない。彼は話している内容の説得力を現実から吸収しようとして”現実”という記号を濫用している。何を知っていれば現実を知っていることになるのか、それを明示する手形のようなものは存在しないので、この記号についてはそれらしいタイミングで使ったもの勝ちということになる。そういう記号の濫用を避けるというのは、ある種のスタイルや優雅さといった第一義的でない価値観の尺度から求められる水面下の要請になる。そんな余計なものなどなくてもじゅうぶん楽しませることはできると信じ、そう信じてシンプルに表現するというのは、毎日の食事におけるコンビニのサラダチキン利用のように、それはそれで理に適った行動様式といえる。外野から”本当の食事の喜び”を知らないと批判する声が上がったとして、そしてそれに同調する声が多かったとして、そもそも彼が食事の喜びを第一目的にも第二第三目的にも置いていないということは考えられる。何が言いたいかというと、ひゃくえむが面白いという人は、ひゃくえむで良いし、それ以上を求めているわけではないということが有り得て、それは本人にとって不合理でもなんでもないということだ。ビジネス自己啓発に啓発されて良い方向を見つけられる人にしても、サラダチキンの摂取によってパフォーマンス向上を図る人にしても、自分にとって良いもの選び、それを良いと言っているだけの話だ。そして自分はひゃくえむの提案するシンプルさには満足できない。走ることだけに集中しほかのすべてを犠牲にするというのは聞こえがいい(?)が、ほかのすべてのなかからべつの何かを探そうとしなかった怠慢だろうということも言える。まず「自分はこれに全賭けする」という何かを抱えている人への間違ったメッセージになるという問題がある。さらに問題なのはそういう何かをまだ持っていない大多数の人にとっての間違ったメッセージになることだ。そのメッセージはその人のほうへ来たるべき何かへの参入障壁を上げるほうに作用するし、やるからには存在を賭けてとことんそれひとつを貫き通すべきだという間違った先入見を植え付けることになるからだ。そもそも大体の場合、勝つために必要なのはベット額ではなく手札だ。
ただ、超高速移動中に足の早さを競う話を見るという倒錯的なシチュエーションが経験できたのは面白かった。途中トイレに行くとき窓から見た富士山がきれいだった。
午前中に東京駅に到着し、中央線に乗り換えて新宿に出る。伊勢丹メンズ館で2026年に使う用のポマードを2種類購入。洋服も見ていこうと思ったが初売りでかなり賑わっていたので気分が削がれ、予定購入分だけ買ってすぐに帰る。寝不足を解消するために昼寝をする。日が落ちてからようやくベッドを抜け出し、スルタンのゲームをプレイしてから日記を書く。21時頃、雪のちらつくなか家人が帰ってきた。再会を祝してダンスを踊った。踊りながらおみやげをバスセンターに置き忘れてきたことを告げられ、踊り止めて寝る。


2026/01/03 昨日 25381
朝から新宿に集合し、友人Bと中野近辺の散歩をする。紀伊國屋で合流してから花園神社にお参りをする方々を見物、よしもと本社前を通ってゴールデン街を抜けて西武新宿駅へ。中井駅まで電車移動して、川沿いを哲学堂まで歩く。お堂を見て、いにしえの偉人たちの像と記念写真を撮影し哲学堂を出る。新井薬師駅まで歩く。インド・ネパール料理の店でチーズナンセットを食べる。友人は見た目末吉ナシゴレンを食べていた。
氷川神社で初詣する面々と奉納される舞を見物する。友人の東京最初期の元下宿と再開発のためのたくさんの取り壊し区画という沼袋のさびれた現状を確認してから平和の森公園に向かう。無料にしては広いというドッグラン前のベンチに座って小休止しながら、賢い大型犬と普通の大型犬、おバカな大型犬を見る。新井薬師の護摩行をチラ見して商店街を抜けて中野ブロードウェイへ。友人の用足しのためブックファーストに入る。欲しい本(ニッケルボーイ)は当然のように置いていなかった。中央線で新宿経由で下北沢に戻る。すき焼きパーティーに出席していたという家人とも合流し、この日のメインイベント書き初めに参加する。それぞれ、「光明」「確立」「踏込」と書き初める。まいばすけっとで越乃寒梅とリッツパーティーセットを買って自宅に戻る。新井薬師前の商店街で買った昆布締めとマグロの煮付け、カマ焼きで小宴会を開き、宝石のきらめきを2ゲーム遊ぶ。初戦圧敗、2戦目圧勝という戦績だった。紅白のちゃんみなのパフォーマンスがすごかったということでNoNoGirlsというオーディション番組を見る。最初の選考をしっかりやって方向性が定まっていたからだろうが、よくあるオーディション番組の緊張感を持たせるやり方とはちがい、参加者の魅力をできるだけ引き出せるように意識されていたのが好感をもてた。ちゃんみなの取り組みについては「反抗的人間とは何か、それは”No”という人間である」というカミュの言葉の内容を正当に引き継いでいるように思えるし、音楽を通してそれを表現しようとしているという意味でロックだと思った。TCBのライバルというわけではないが、NNGはTCBをネガポジ反転した立ち位置にあり、遠い同志といえるのではないかと思った。それはさておき、自分はちゃんみなを紅白きっかけで認知し、かなり好感をもった。そういう人は多いだろうと思う。フォローしたい。

日記701

いつも新しい 2026/01/02 一昨日 7888 奈良の自宅を6時20分に出てJRで京都駅に向かう。寝不足気味だったが電車のなかでも寝ずに動画を見たりなどして過ごす。新幹線に乗り換えて東京へ。車内では映画『ひゃくえむ』を見る。主人公の目標が早く走ること...