20260121

日記708

寒空と寒梅(くんくんとおんおん)

2026/01/20 昨日 17888
朝から出社。グループに分かれての意見交換会をする。時間を忘れて取り組む仕事内容についてお互いに言い合うという内容だったのだが、自分が話す番になったとき、正直言ってそんなことは起こらないという趣旨の発言をした。組織はたびたび、コミュニケーション活性化の題目のもと、間違った前提で話すことを要求してくる。給料をもらうというのはいちいちそれに楯突くようなことをしないということも含まれているはずなので、自分の行動はサラリーマンとして非合理なものだといえる。サラリーマンとして会社のなかで呼吸するということが心底どうでもいい気分になってきたので、一対一の対人では控えるが、こういう多人数を相手にした意見表明の場ではできるだけそれを小出しにしていくようにしていきたいと思っている。今回のもその一貫で、当然とくに賛意は得られなかったが、それでも前提を無視するような物言いをしたときには特有の小気味よさがあった。いまの職場には居心地のよさがあり、ラクしてお金をもらえる環境なので辞めたいとは思わないが、それはそれとして「和をみだす人」として排除されてもかまわないと思っている。しかし後先を考えない投げやりな態度だ。疲れているからなのか。バスケを再開してから体力は充実している感じがあるので、気力の部分の疲れなのか。あるいは鬱陶しいことに対する反発心を発揮できるだけ気力が充実しているということか。いずれにしても自分の頭で考えることに反しないことではあるので好きにやらせておこう。直接向かい合う人に嫌な思いをさせないようにするということだけ意識しておけばまあ上等だ。嫌な思いをさせてくるダルいやつにはそのかぎりではないが。そういうやつはバートルビー流のやり方で撃退してやる。
昼には在宅勤務に切り替える。大相撲を見て、ニーチェアで昼寝をして、大相撲を見る。疲労なしの状態でバスケにいく。考え事をしながら電車に乗っていたら過って狛江まできてしまい、喜多見に引き返す。ハローサイクリングで体育館まで移動。自転車移動での風が寒すぎて、冬の力強さを実感させられた。しっかりめに動的ストレッチをしてからバスケをする。シュートタッチの面で安定感のあるボールの放り方が身についてきたような気がする。安定して飛ぶようになってから精度について考えるという順が正しいようで、自分でもそう思うので、まずはこの感覚と、安定して飛ばすシュートフォームを固めていきたい。足の疲労がないので元気いっぱいでプレーできる。こういう日にこそ風神とやりたかったのでが残念ながらこの日は不参加だった。自分としては疲労で精彩を欠く日と段違いのパフォーマンスが出ているという感じがあるのだが、動画を見返すと、自分で絶不調と感じる日の動画とそこまでわかりやすい差がなかった。しかし、無理めなカットインに二度チャレンジする(二度ともシュート失敗)など、すくなくとも気持ちの面ではアグレッシブさがあったのは違いだった。寒いなか自転車で駅まで戻る。セブンで晩御飯を買って帰る。ボロネーゼソースの生パスタを買った。自分にとってコンビニでこういう商品を買うのは明確なぜいたくになる。Netflixで『呪術廻戦』の50話と『地獄楽』の1話を見る。地獄と名のつく作品にしては設定が甘たるくてやってられないと思った。芥川の『地獄変』を読んだときにも同じような感想を持ったので、自分は地獄という言葉になにか特別な期待をかけているのかもしれない。


2026/01/21 今日 2798
仕事関連の夢、バスケ関連の夢を見た。ちゃんと覚えていないが両者が綯い交ぜになった夢だったかもしれない。面倒事が降り掛かってきて嫌な気持ちのなかに若干ワクワクする気持ちが混じっているような気分だけをなんとなく覚えている。朝から在宅勤務。まずは洗濯機を回す。頼まれ事など最低限やるべき仕事をやっているとお昼になった。この日はGEZANのライブを見に行くために午後休をとっていたので昼過ぎに退勤。プロパガンダという入ったことのなかった店に入って昼食をとり、『失われた時を求めて』と『ニッケルボーイズ』を読む。失われた時を求めては、依然として社交界における文化受容・教養についてのひけらかし合戦をしていて、それ自体はあまり面白いものではないがその描写をたっぷりするということにすこし興味を惹かれる。ニッケルボーイズは、ニッケルを出たあとNYで生活するエルウッドを描いたあとで、ニッケルからの抜け出し方を描くという順序になっていてサスペンス的な引きがある。それ自体すばらしい題目であるキング牧師のメッセージについて、その具体的な実践を、エルウッド自身が置かれた境遇に照らして描いていく。相手を信頼するというところに、概念上のものではない、実際の身の危険をともなう自分自身との闘いがある。信頼して身を投げ出すこと。そういうとまた概念上の出来事に戻っていくが、その営みを実際ごととして描写するところにこの小説の力がある。
読書のあと日記を書く。きのこクリームソースのパスタを食べ終わったぐらいのタイミングで家人から業務用端末に着信があった旨のラインがあった。せっかくの休みに仕事の要件についてなんだろうと考えさせられる時間が差し込まれ、気分が最悪になった。最悪の出来事というわけではないがせっかくとった休みの自由が侵されたというロスの量を考えると最悪だといえる。家人も親切心から教えてくれたのだろうから責められないし、持って行き場もなくしばらく嫌な気持ちをぐるぐるさせることになった。しかし考えれば考えるほど、着信のお報せをわざわざしてくれるというのは「休み時間に対する意識のちがい」に思い至らざるを得ない(仕事に対する意識のちがいではないのでくれぐれも注意されたい)。ひょっとすると自分がその報せを受け取ったらあわてて帰って対応すると思ったのだろうか。自分は退勤後には本当の緊急時以外はどんな対応もしない。そして本当の緊急時には業務用端末ではなく自分のスマホが鳴ると思っている。こちらについては仕事に対する意識のちがいだ。なんとかしないとやばいことは結局誰かがなんとかする。


日記708

寒空と寒梅(くんくんとおんおん) 2026/01/20 昨日 17888 朝から出社。グループに分かれての意見交換会をする。時間を忘れて取り組む仕事内容についてお互いに言い合うという内容だったのだが、自分が話す番になったとき、正直言ってそんなことは起こらな...