ありちゃん
2026/01/15 昨日 19012
朝6時半起きで7時すぎの電車に乗る。新宿、御茶ノ水、錦糸町、君津で乗り換えて館山を越えたところまで。遠い昔の夏の日に車でうみほたるを抜けて館山まで遊びに来たことを思い出した。当時撮った集合写真を見るとわざとのようにみんなして夕日を浴びており、こうなる未来を予期していたかのような笑顔をたたえていたのが不気味でさえある。海に入ってすぐコンタクトレンズを無くしてしまい、近い度数のワンデーを持っていた子にひとつ分けてもらったことを思い出した。遠慮して辞去すべきところ、食い気味に感謝の言葉をかけたせいですこし面食らった顔をしていたということが今さら見えてきた。当時は絵に描いたような青春檜舞台に舞い上がりテンパって、考えるべきことをなにひとつ考えられていなかった。さらに五年後の自分に言わせたら今もまるっきり同じようなものなのだろう。それでもあの日があってよかったというのは何をどうひっくり返しても完全にそうなので、そういう一日を持てたことは単純に幸運だった。仕事の用事を済ませて来た道をまっすぐ引き返す。今回、おじさん四人が小さな蕎麦屋に入り、小さなテーブルで思い思いの注文をして蕎麦をすする不思議な時間にもセピア色の加工をすれば美しく思える日がくるのかもしれない。とにかくバスケに行きたい一心で、一時間に一本の電車に間に合うため「所用があるので駅まで走ります」と見栄を切って走り出したのが今回の南千葉訪問のハイライトになった。
そんなこんなで何とかバスケの時間に10分遅刻で参加できた。例の風神が久しぶりに参戦していて腕が鳴ったのだが、例によって疲労が全快しておらず、けちょんけちょんにやられた。相手が半分の力しか出していないのに歯が立たないというのは口惜しいものだ。もしかすると手合い違いで、悔しがるのもお門違いなのかもしれないが、口惜しいものは口惜しい。踊るようなステップワークに翻弄される。シュートタッチは正確無比で、一歩の歩幅が自分の1.5倍はある。運動能力についてものが違う。動画を撮影してあとから見たが、本当に華があって美しい。どんな状況でも余裕を失わずつねに先手先手を打ってくる。頭の回転も相当なものだ。
帰宅してからもしばしば奇声をあげるほどには悔しさが尾を引き、まあまあ、こういうのは溜め込まずに発散するほうがいいんですと、かみしもを切って訳知り顔をしては奇声をあげる。悔しい気持ちをガソリンに筋トレができた。勝利へ近づくために何が圧倒的に足りていないかといって筋力以外には考えられない。頭の回転、ボールハンドリング、メンタルと視野の広さ、ばね、シュートフォームの安定、クイックネス、他にも自分では気づいていない何か、と負けているところはいろいろだが、もっとも改善が見込めて簡単に差を詰められるのは筋力以外にない。まあごちゃごちゃ言ってみても結局はバスケがうまくてちょっと爽やかなだけで、服のセンスはまあまあだったけど、おそらく文学的な素養はないだろうし本域で悔しがるような相手ではない。しかしコートの上ではそうも言っていられない。ファッションセンスや文学的な素養などは屁の突っ張りにもならないからだ。コート上でこてんぱんにやられたときにやれるのは、白旗を上げて尻尾を振るか、こちらのほうが活躍して、あるいは最悪自分が活躍しないでもチームを勝たせるかしかない。やられたときにスカした態度を取るのが格好悪くて嫌だから口惜しさを全身で表わすようにしているのだが、実力が違いすぎてあの人はなんであんなに悔しがれるのだろう状態になっていないかが気になる。気になるというか、もし俺じゃなかったら、俺の主観ではなく客観を用いたら完全にその状態だ。それでもスカした態度を取るよりはマシだと信じているが、これ以上タコられるとそれも揺るぎかねない。この歯噛みをばねにしてもっともっと頑張りたい。悔しくて寝られないかと思ったが、そんなこともなくすんなり寝れた。旅の疲れもあったからだろう。実際、移動時間は7時間ぐらいあったので立派な日帰り旅行だ。千葉の南方への広がりを舐めていた。
そういえばバスケから帰ったあと、ABEMAでMAD5を見た。狂気を設定してそのパラメータをやりくりしているメンバーなので、ふとしたときまともに戻ってしまう瞬間が面白い。
2026/01/16 今日 7353
眠いので午前在宅にする。結果山手線の停電に巻き込まれずに済んだ。午前中は仕事をしたりストレッチをしたり。午後から出社する。ぶっ豚で小ラーメンを食べる。こんな食事を摂っていては駄目なのではと思わないでもなかったが、食事量を減らす方向は違う、その分も運動量を増やせばいいだけだと思い直して、野菜マシマシアブラマシ麺やわらかめをしっかり食べることにする。チャーシューが美味しい。生姜チューブでの味変ができるのもいい感じ。
たらたらしていたらミーティングに遅れそうになり出社即ミーティングに参加。その後、昨日今日で貯めたタスクをずんずん消化する。すべて消化しきらないうちに定時になり、小一時間の残業になる。それでも今週やろうと見込んでいただけの仕事はこなせず翌週持ち越しになる。しかし精神衛生上これ以上の残業は不可能と判断し、電車に乗って自分のバスケプレー動画見ながら帰る。自分自身のプレー動画というのはどんな動画よりも見ていられる。ひとつひとつプレーの功過を見直すというのも面白いし、良いプレーがあると最低3回は繰り返して見るのだが、それ以外にもあるプレーの一連を見て「このとき何を考えてプレーしていたか」というのをトレースすることは楽しいだけではなく実際有用だと思う。もっと判断を早められた、べつの選択肢を取るべきだったというのは動画を見た感想としてもちろんあるのだが、意外なのはそう判断したりそのプレーを選択した理由が自分には”わかる”ことだ。これはごく近い過去の自分なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、考えてやっていることを自分の目で見て、ある選択・行動に対する結果があり、それを評価するという流れには、それ特有の視野の広がりがあるように感じられる。たとえば文章を書いたらそれを読み返すというのがほとんどセットになっているものだと思うし、場合によっては書くよりも読み返すのほうが楽しいポイントになることも普通にあると思うが、それに近い感覚がある。しかもバスケの場合はプレーする楽しさが独立してあるので、別種の楽しさが付け足されてほとんど倍楽しいということになる。なにかのミスをしてしまったとき、口惜しがったあと下を向いたまま歩かずにすぐ前を向いて走るところはわれながら良い姿勢だと思える。バスケをしていると言葉を交わさないでも相手がどんなヤツなのかわかるということがあるのだが、それでいう自分のイメージが自分のセルフイメージにそぐっているのでうまく演れているなという手応えがある。こいつ楽しそうだな、本当にバスケが好きなんだな、という感じである。実際、楽しい。バスケをするのが好きだ。
帰宅したあと荷物を置き、上着を一張羅に着替えて下北に出る。スタバで日記を書く。