20250926

日記646

遅い宇宙(あるいは早い宇宙)

2025/09/24 一昨日
ザザコルダのフェニキア計画を見たがかなり面白かった。ここ最近のウェス・アンダーソンの映画は見やすくなっているのを感じる。ザザコルダに扮するベニチオデルトロを見ていると、説得力のある豪快さを具備しているので、自分のちまちました日々の生活とそれを可能にしている自分のちまちました感覚と、それを可能にしている自分のちまちましたスケールの小ささを思わされて、苦しい気持ちにさせられた。たぶん苦しいは言い過ぎで、苦々しいというところかもしれない。帰り道渋谷の喧騒を歩きながら、自分だけじゃない自分だけじゃないと唱えたが、それでラクになるどころか当然といえば当然だが余計に落ち込んだ。下北沢から酒を飲んで歩いて帰ったが、そういうわけで酒もうまくない。



2025/09/25 昨日
午前在宅。体調があまりよくなかったのだが、メンタル不調を振り払うようにバーピージャンプなどの運動をこなす。気分の盛り上がりに欠ける、引きずられるような運動なのでいつにもましてつらかった。単純に体力が落ちてきている。ちょっと頑張りすぎかもしれない。
14時過ぎに出社し、適当に仕事をこなす。退勤後職場の飲み会に参加。開始前の時間を同僚の男の子と新橋駅前ビルをツアーしてもらったりして過ごす。話の流れでデヴィ夫人が格好いいと言っていて、思わず流すしかなかったが、もっとどういうところに魅力を感じるのかを聞いてみればよかった。自分に理解できない意見を目の当たりにしたときに反射で目を瞑るみたいな反応をしていまい、「好奇心旺盛です」というよくある自己紹介文の適用外であることを自他に示してしまった。相手は関係ないので主に自分にだが。
飲み会は面白い。みんな楽しんでいるんだろうか。自分は楽しいからそれでいいかとは思うが、もっと楽しませるという視点を導入してしかるべきなのかもしれない。まわせるならまわせ、だ。とても爽やかなチームのムードメイカーの人の送別会だったのだが、この人の穴は大きいという気がする。職場においてそう思わせたらそれはその人の勝ちだ。仕事は最低限クリア知ればあとはどうでもいいという自分のスタンスでも、ようするに半目で見ても、しっかり抜きん出ているというのは、見る人が見ればその貢献の度合いはかなりのものになるはずだ。まあ知らないけれども。
ちゃっかり二次会にも参加した。上京のタイミングではまだ流行っていて一度は行ってみたいと思っていたフーターズにこんなかたちで行くことになるとは、昔視点でちゃんと想像を超えているというのをきっちり感じられてよかった。ソルティドッグもピクルスフライも美味しかった。同僚のひとりとは久しぶりに話したのだが、やっぱり面白いしもっと絡んでいきたいと思わせてきたのでさすがだ。仕事のサボに差し支えると思ってあまり絡まないようにしようとしてきたのだが、そうするにはもったいない人材かもしれない。ハキハキしてやる気がない、でも人前など締めるところは締められるというこれまでの人間関係ではあまり見ないタイプだ。投資の運用成績も相変わらず上向いているらしい。


2025/09/26 今日
朝起きてしんどいと思った。昨夜飲みすぎたのか、連日の運動で体力の回復が遅れているのか、原因はわからないが元気が出ないのでバーピージャンプはやらないでおいた。運動前のストレッチの時点で息が切れたのでそう判断した。しかし貧乏性で、これまでのコストが無駄になるのを恐れて基本の筋トレだけは実行する。これは予期していた運動の効果だ。引きずられてでも運動するという引きずる主体を作成すればしめたものだ。たとえそれがサンクコストであっても。動けば動いただけの効果はあるという筋トレの基本とかけ合わせればそれなりの効果は発揮する。
トマス・ネーゲルの『理性の権利』を読む。読まずに返そうかとも思ったが、これまた「もったいない」と判断したので読むことにした。論旨を追いかけるのに苦労するが、意味あると思わせてくれるので苦労しつつも読める。訳が良いとは言えないのが苦しいところだが、日本語で読めるだけで御の字、贅沢は言っていられない。
14時半ごろに出社。溜めている仕事を吐いていく。客との打ち合わせはまだまだ緊張させられるが、さすがに緊張そのものに慣れてきた。嫌な負荷だが俯いてじっとしているだけで過ぎ去る時間ではあるので、俯いてじっとしている。チームメイトは優秀なのですごいなと感心しつつ。
大相撲は豊昇龍が連敗してしまい、オオノサト優勝へ大勢が傾きはじめた。頑張ってほしいが、負けたあとの様子が悔しそうというよりもつらそうで見ていられない感じがある。でも頑張ってほしい。
下北のスタバで日記を書く。ムーンアートナイトの歌のイベントを見るために空き地に移動する。永原真夏は生歌が良い。


20250924

日記645

交信

2025/09/20 四日前
ほぼ一日中家にいて、Type Helpというゲームで遊んだ。テキスト系のゲームで何度も同じ文章を読むことになるのだが、最初の方に出てくる文章を読んでいながらじつは全然読めていなかったということが後半になるにつれ明らかになってくる。最近本を読んでいてもろくに読めている気がしないというか、期せずして斜め読みのようになって真正面から読めていないのを感じるので、その後ろめたさも手伝ってギクリとさせられた。読めていないなりに意味を通そうとする能力が読書には必要だと思うのだが、そうするにしてもちょうどいい塩梅というものがあり、読書する以上つねに探っていかなければならない。そして自分は、今の自分の傾向からするともうすこし水平になるよう意識してもいいはずだ。
代々木上原までバスケをしに行く。人数が集まらず体育館に入れない時間が50分ほどあった。4人しかおらず練習時間が短かったのにもかかわらず、有意義なトレーニングになったのが自分で実感できるほど良い練習だった。当たりの強いガードの子が斜に構えないタイプで正面からぶつかってくるので好感が持てる。自分も一見スカしているように見えて、じつは真正面タイプなのでそのことを理解してもらえた気がする。理解してもらえたことを確認したので理解し合ったことになると思う。フリースローを外したら課される罰走で全力ダッシュ一往復をしたのだが、全力ダッシュすることでしか得られない疲労とそれに付随するかすかな満足感があった。気持ちの良い汗をかけたので帰りに酒を飲まずにまっすぐ歩いて帰宅。よくもわるくもバスケで頭がいっぱいになっている。


2025/09/21 一昨昨日
この日もほぼ一日家にいてType Helpをやる。クリアするところまでいった。ギミックも面白いのだが超常現象に見える不審死の原因が普通に超常現象で、なんとなく肩透かしをくらったような気になった。夕方に狛江まで行く。新しくできた駅前のスタバで『荒潮』を読んでからバスに乗って体育館まで。2日連続でバスケをする。脚の疲労がきつくてまともなプレーを見せられなかった。長身プレーヤーのライバルがプレー強度と精度をともに上げてきているので、引き離されないようにしないといけない。この日も酒を飲まずに終える。


2025/09/22 一昨日
一日在宅勤務。バーピージャンプをやった以外に特筆すべき出来事はなし。定時退勤後月島までバスケに出かける。かるいバスケだから大丈夫だろうと思ったが見立てが甘かった。脚の疲労は回復せず。悪化しなかったとは思うが翌日のバスケのことを考えるとここで治しておきたかった。バスケサークルメンバーで飲み屋にいく。リーダーの社長に飲食代をおごってもらった。トレーニング方法に関するアドバイスを受ける。まだトレーニングの方向性が定まっていないので参考に試してみよう。あとはシンガポール人の友人ができた。ヘミングウェイのペーパーバック短編集を手持ちしていてとても興味を惹かれた。ネイティブレベルで英語ができる人は英語の小説を原文で読めるのが羨ましい。しかしよく聞いてみると普段はフィクションを読まず、息抜きで読み始めたとのこと。自分のいつものコミュニケーションスタイルだが、一切英語で喋ろうとせずに日本語で話しかけてしまう。それで問題なく意思疎通がとれるので、わざわざ自分の難のある英語を披露するには及ばないだろう。いっしょにBリーグの千葉v渋谷を見に行こうという話になる。チケットを取って連絡しよう。


2025/09/23 昨日
バキ道チャンネルでうろ覚え文学紹介というコーナーがあり、そこで存在感を示した浅田魔王という人の最近のおすすめトップ3に入るという本を図書館で借りる。話が面白いし、読むべき本を読もうとしてきた人だという感じがある。借りたのは『美の進化』という鳥類学者の本。鳥の美しさは人間にも美しいし、鳥自身にとっても美しいという不思議について解き明かそうとした本ということで、世界が明らかに美しく作られていることの不思議を思う身としては興味深いテーマだといえる。
昼から三鷹に出かける。家人と合流し、グラバー亭という長崎ちゃんぽんの店で昼ごはんを食べる。14時頃から友人宅へ。生後4ヶ月になる赤子を触らせてもらう。われわれは有無を言わせず主役の座を奪われ、一気に「目的」ではなく「手段」になってしまうのを感じた。そういう状況にショックを受ける年齢でもないので、逆によくあることとして処理し、その場を明け渡しつつも心を守り抜くという方策をとった。そういう守りの姿勢とか、生活上の知恵とか、大人のやることは本質的にどうでもいいことだと思われるし、そういう工夫がどうでもいいということに疑いはない。どうでもいいことだからといって簡単に手放してしまわないというのは自分の美点だったんだなと気付かされた。そういう点がないと間違いなく赤一色になる。そうは問屋が卸さない。ボードゲームが普段の第二景から第三景にまで退いていった。正体隠匿系のボマーというゲームで面白いはずなのだが、終始それどころではなかった。
そしてバスケのため新宿経由で狛江まで移動する。とっくに涼しくなっていて夏の暑さが思い出せない。あんなに苦しまされたのに記憶は儚い。あいかわらず脚が痛いので最初のほうはとくに動きに精彩を欠く。最後の方は痛みに慣れて矢鱈に跳ね回ったがあまり良いプレーにもならなかった。終了の笛直前に打った3ポイントもエアボールで入らず。終わってからは普段筋肉痛にならない箇所が筋肉痛になっていた。4日連続でバスケをしたらそれはコンディションもわるいだろう。
涼しくなったからなのか気分が落ち込む。酒を飲む。渋谷お笑い演芸館というコント番組を見て元気をもらうが、付け焼き刃で寝る前にはまた気分が落ち込んでいた。


2025/09/24 今日
パリに行ってまでリモートで仕事をして、しかも国外からのリモートワークが情報セキュリティ上不正だという指摘を受けるという最悪の夢を見る。バカンスで海外に行っているはずなのに仕事をしている時点でありえないほど非合理なのに、それがバレて怒られることになるという信じられないアホな行動を取ってしまった。起きて夢だったことに安堵しつつも実際に出社しないといけないことを思い出してまた落ち込んだ。寝不足状態になっているのもよくなかった。一日中オフィスにいて仕事を進める。鬱陶しいタスクが多かったのだがおおかた片付けることができた。
なんとなくクライシスだと思うのは、とくに仕事が嫌なわけでもないし、幸せ状態であることは間違いないのにもかかわらず虚しいという感覚がうっすら確実に心の中のどこかにあるということだ。不満があるのであればそれを解消するために動けばいい。不満がないのにこれになったときには何をどうすればいいのかわからない。
虎ノ門の吉野家で唐揚げ定食をお腹いっぱい食べた(ご飯大盛お替わり)あと、バスで渋谷に移動(社内で昼寝)。パルコのスタバで日記を書いてから『ザザコルダのフェニキア計画』を見る。

20250919

日記644

「退くも勇気だ」

2025/09/18 昨日
一日在宅勤務。午前中にきついバーピージャンプのほか基本のトレーニングをこなし、午後から出社しようと思ったが、気乗りがしなかったので結局一日在宅にした。
定時すぎまで働き、狛江までバスケに行く。最近変えようとしているシュートフォームのチェックと思って練習にのぞんだのだが、最初の2本目を打ったときに上腕がピキッとなった。そこからしばらくシュートを打つたびに張るような違和感があってチェックするどころではなかった。動画で見るかぎりだと、シュートが上手い人に比べて、とくに動作の安定感に欠けることがわかった。あとは気持ち腕を直上にあげるようにしてスナップで前に飛ばすのを意識するといいのかもしれない。たまに動作がぎこちなく感じるのは考えて打っているからだということで一旦は目を瞑ることにする。
家人から下北の新八食堂でご飯食べようという提案があったので狛江から下北沢に移動する。サバのみりん干し焼き定食を食べる。帰り道、小雨が降っていたのもあり今季初の肌寒さを感じた。やっと夏が終わると思うと当然嬉しいがすこし寂しくもある。


2025/09/19 今日
朝から出社する。秋と言ってどこに出しても恥ずかしくない涼しさだった。前夜に寝るのが遅くなったのと夜中に大雨が降ったことで意識が戻ったりした影響で若干寝不足になった。何か得したような夢を見てかならずしも嫌な目覚めではなかったのだが、肝心の夢の内容は忘れてしまった。
昼に代々木上原の中華で豚の角煮を食べる。豚がたっぷりで美味しかった。これで1200円は安いと思わせる良い出来のランチだった。
帰って昼寝をする。背中からベッドに意識を吸収されるような、そこから意識を引っぱりもどすような昼寝になった。ゆっくり目を覚ましてからいくつか仕事上の質問に答える。大相撲を見ながら最低限のトレーニングをこなす。
定時退勤し、大相撲を結びまで見る。夜は涼しさの中で友人と散歩をする予定。

20250917

日記643

待つ女

2025/09/16 昨日
一日在宅勤務のあと、バスケのため狛江に向かう。最近お腹が減るのでバスケ前にエネルギー補給のためゼリー飲料を飲んでいる。消化が良いのもあってかこれでエネルギー不足はたいてい解消される。しかし途中でガス欠になることもあるのでもう一個持っていくことにしている。この日も最初の1時間でお腹が減ってきたので追加でゼリー飲料を飲んだ。
バスケの内容としてはワンモーションでのシュートフォームを研究している。ゲーム中に3ポイントシュートを3本試行して1本決めた。3ポイントシュートは長距離シュートという意識で打っているのだが、ミドルレンジのシュートと同じ感覚で打つのがいいと感覚を切り替えようとしている。エフォートレスなシュートにするためにもこの感覚のアップデートは方向性として正しいという気がしている。それとは別個に、ゴール前でのシュートについても、しっかり跳んでから打つというやり方を身体に染み込ませようとしている。こちらはコンタクトありきの強いプレーが必要になるから筋力アップが必須なのだが、それは結局アウトサイドシュートにも活きる部分ではあるので、個人練習としてはこの2軸で進めていいと思っている。試合関係の考え方としては、基本的な動き方を身に着けること、基本に忠実な動きをやり続けるための体力をつけることが重要になると思うので、結局、基礎体力の向上が自分にとってもっとも効果のある上達への近道だということになる。考えてやるというのは自分の場合、わざわざ考えようとしないでも勝手にやるので、そのときに選択肢を増やせるようにつねに体力に余剰を持ってプレーできるようにするのが肝心だということになる。あと最近、自分の試合中の動きを見てアドバイスをくれるおじさんがいるのだが、その人からいろいろ聞くなかで、自分の考えがあってプレーしている部分と、考えなしにプレーしてしまっている部分とがそれぞれ明らかになってきて助かっている。とくに有効だと思った具体的なアドバイスとしては、インサイドプレーヤーに対するDFについて、OFの進行方向に向かってそのまま行かせず都度フィジカルコンタクトを試みて相手の体力を削るという考え方があるということを知れたのが大きい。競技志向の強いバスケになるといつもそういうプレーに体力・集中力を削られてきていたので、そういうプレーが常道としてまかり通っているという認識を持つことで、少なくとも「なんでそんなことするん」という怒りからくる集中力の削られからは自由になれそうな気がする。引っ張られたり身体を当てられると体力は削られることになるのだが、それはそれで自分の高さが相手にとって脅威になっていることの証明だと捉えることにして、悄気ずに、必要以上に反発せずに、淡々と対処していくようにしたい。とにかくペースを乱さないことが大事だ。
最寄り駅で氷結無糖グレープフルーツ500を飲んでから焼きそばセットを買って帰る。焼きそばを作ってシャワーを浴び、洗濯機を回してから寝る。


2025/09/17 今日
朝から出社してやるべき仕事をこなす。昼から在宅に切り替える。ミーティングにはWebで参加。急遽のお願い事がきたので処理する。それ以外は「Type Help」というブラウザゲームをプレーして大相撲を見る。
定時退勤してから大相撲を結びまで見る。その後スタバに行って『荒潮』を読む。チェンチウファンの『鼠年』のスピード感に惹かれ「これは」と思って『荒潮』も手に取ったのだが、今のところの感想としては順番が逆だったらここまで惹かれていないかなという感じだ。長編になることで肌理のあらさが目立っている。しかし第一部を読み終えただけなので、これは浅はかな感想かもしれず、そうであれば良いと思う。
ある程度の面白さがあり、しかもそれに触れたのが最近であれば、誰かにおすすめしたくなる気持ちはわかる。しかし、一番面白いわけでもなく、10年後にも同じ熱量でおすすめできるわけでもないものが普通におすすめされていて、しかもそれを「何か面白いものはないか」という適当というよりは雑な暇つぶし的な感覚で受容しているというのは時間の浪費にすぎないと思われる。最近では漫画『アオアシ』がそうでもなかったし、ドラマ『しあわせな結婚』も楽しめたもののその枠からは出ない。インディーゲーム全般も「よくできている・感動した」とそもそもハードルが低く設定されているからなのか「インディーにしては」という域を出ない。
大学生の時によく触れていた、いわゆる名作とされる文学はそうではなかったと思うのだが、当時の感受性の強さの分だけ強く印象されているだけではないかと言われると、面白い面白くないの基盤が主観に限定されていることもあって、正確なところを判断することはできない。
しかし、枠を押し広げるような、天井の高さを認識するような読書になったという感覚はあって、それは今も有効活用されていると思う。ある作品に対する「これはすごい」「言うほどではない」という自分の判断の妥当性にはあまり疑いを持っていないのだが、それを担保しているのはこのときに触れた文学作品だという気がする。
谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫は評価していない。というと文学愛好家からは嘲笑されるかもしれないが、自分の感覚では彼らの作品からはあまり印象を受けなかった。谷崎は1,2作程度、川端にいたってはろくに読んでもいない。
逆にいうと、上の三者以外、有名な文学者の小説を読んで「面白くなかった」はもちろん、「読まないでもよかった」という経験はまったくない。血肉になるという比喩を使ったとしても何の遜色もない。今読んだとしたらそこまで評価できるか心配になる作者もあるにはあるが、当時の印象としては傑作と疑いえないという感想を実感として抱いたわけだし、今はどうあれそのときに動く箇所が動いたということなので、今はそうは思えないかもしれないというのも含めた判断の礎になっているのは間違いない。
だから結局、何がいいたいかと言うと、いろいろ面白い作品があり、いろいろこれが面白いよと紹介されるかもしれないが、まずは名作とされる文学を読めよと自分で自分に言い聞かせるようにしてほしいということだ。とくに道を求める大学生(時間のある人)にはそのことを期待したい。むしろそのことだけを、と言っても全然言い過ぎではない。判断するということが、判断できるようになるということが一番大事なことだ。だからこそ、判断の力を身につけるために必要とはいえない面白い作品で溢れかえっている現状において、強く、そのことを訴えたい。面白いと思えないことを不安に思いながらしがみつき続ける読書というのが知的体力を向上させるし、自分で自分の受容能力に疑いを抱きながら文字を追いかけるということができるためにはそれなりの権威に依る必要が出てくる。だから今おすすめの漫画を上手に薦めてくるプレーヤーの話ばかりを聞いているな。なぜか知っている昔の漫画から順に読んでいけ。いやむしろ漫画なんか読んでいないでもっと遠いところにある作品に手を伸ばせ。たとえば夏目漱石、森鴎外、シェイクスピア。こういうこと言う人間を信用するな。もっと遠い作品はあるし、そもそも自分で自分に言う以外に「それ」を読む方法はない。
人文科学系の成長幻想にいちいち付き合わされていないで、今にも続く作品というところを信じてじっくり取り組め。私やあなたという特定の個人にとって、文学以上に価値のある作品はない。
『荒潮』第二部の最初のチャプターを読む。主人公の米米が拷問されるシーンだが、これは出色の出来で、文章以外で表すことができないという意味でも優れた場面だった。電子麻薬によって拡張された感覚の描写なのだが、拷問者の具体的な行動は省かれ、そこにあるはずの汚穢は想像に委ねられている。そしていかようにも引き伸ばせる時間感覚は、15秒に一度強く光る白い光と間断なく続く雨滴による。これまでのVシネマ的関係の描写から主人公の印象からなる情景の描写に移って、一気に面目を躍如しだしたようだった。

20250916

日記642

ルネサンス

2025/09/14 一昨日
朝から新幹線自由席で京都へ。スマートEXを使って新幹線搭乗口の改札を抜けようとしたところ、家人が赤い点灯に阻まれ入場できないトラブルがあった。自分は先に入場できてしまったので改札内外で分断されるかたちになり、乗車予定の新幹線の発車時刻が迫っていたこともありテンパってしまい、トラブルの原因追及の過程で難詰したことでへそを曲げられてしまった。早起きによる寝不足、朝ご飯を食べていないことによる空腹、駅構内の人の多さと暑さなどイライラさせる要素はてんこ盛りだったので、こちらの詰るような声掛けと向こうの反発が正面衝突することになった。時間に余裕を持ってテンパることのないようにしなければならないと思った。それか多少時間に遅れても気にしないマインドセットで余計な責任を持たないようにするか。今回はどっちつかずの態度だったのがよくなかった。乗車前に時間を気にしないような過ごし方をしていたのにもかかわらず、いつの間にかこんな時間となり、焦りが萌したところで改札のトラブルに巻き込まれたのでそれがテンパリに直結した。
改札トラブルの原因は、モバイルPASMOでJR在来線に入場し、モバイルSuicaのスマートEXで在来線から新幹線への改札を抜けようとしたことだった。これも考えてみると必ずしもユーザー側がわるいとは言えず、事業者側の設計がいけていない部分ではある。トラブル原因の解消を改札内で待つあいだ、たくさんの人の行き来のなかにバッテリィズのエースの姿を見た。スポーツマン特有の締まった身体に、特徴的な髪型と特徴的な派手な色使いの柄シャツですぐに誰かわかった。ひと目見て高価なものだとわかるきれいな格好をしていたし、急いで向こうに行こうとして方向を間違えたのか別の方に引き返していく歩き方にも華があった。大きな荷物を持っておらず手ぶらのようにも見えて、粋でカッコいい芸人の佇まいだったし、急いでいるようだったが慌てすぎてはいない様子も、いまは声をかけてほしくないモードですという伝え方も、移動にこなれている有名人のそれだった。オーラがあるというのはこういうことなのかと思い、歩いているのを見ただけなのだがちょっとファンになりそうになった。
京都に到着してまず思ったのは東京より暑いということで、奈良行きの乗り換え電車を待つあいだにもジメジメした盆地特有の暑さをくらった。駅の中なのに暑いのはとりわけ嫌なものだ。人がこんなにいて暑いというように嫌な結びつき方をしてしまう。奈良に着いても人の量こそかなり落ち着いたものの同じかそれ以上に暑く、ぐったりしながら自宅に帰り着いた。
用意してもらった昼食のサンドイッチを平らげてから、せっかくならということで観光のため法隆寺に向かう。行きは駅からバスで、帰りは歩いて駅まで戻った。とにかく暑さに閉口しっぱなし、途中の宝物殿でクーラーが効いている室内のありがたさを一身に感じた。由来不明の百済観音菩薩の特長的な長身がおもしろかった。金堂上層出桁下雲肘木という言葉をおぼえた。何度も口にするのと人が言ったのを耳で聞くのがおぼえるためのコツだ。時間ぎりぎりで夢殿に滑り込むことで、秘仏として公開しておらず普段見られない聖観音菩薩を見せてもらった。幸運だったと思わせるのがうまい慣れた感じのセールストークの印象だったが、おかげで気分良く法隆寺をあとにすることができた。
奈良に戻ってから両親が予約してくれた出雲そばの店だんだんに行って食事をする。季節のコース料理でおいしかったし、お店の人たちもお祝いをしてくれて良い時間を過ごすことができた。家族で写真を撮れたのがよかった。
近鉄と京阪で四条河原町に移動し、レイトチェックインでゲストハウスに泊まる。一日動いて汗みどろになったのでシャワーを浴びるととてもすっきりした。


2025/09/15 昨日
朝から河原町を歩いて三条河原町の六曜社でモーニングを食べる。やはり懐かしさはありつつも、学生時代バイト時代を通じてあまりこのあたりを通らない時間帯だったので新鮮さもあった。六曜社はさすがに人気だけあって店内の雰囲気が渋くてよかったが、モーニングが800円ほどするので学生が行くような店ではないかもしれない。少なくとも自分の通ってきた学生時代にはあまり縁のない店だった。京都は学生の街ではあるが、それ以外の一面もあるという当然のことを理解した。
地下鉄で二条まで移動し、JRで丹波口近くまで行くつもりだったが、経路の懐かしさに目がくらみLUUPに乗ることにした。これが失敗で、思いのほか距離があったのであやうく暑さで倒れそうになった。記憶の中の空間把握にあきらかな誤認があり、今回のミスによって修正するきっかけになったのだが、その代償は支払うことになったし、家人には暑い道中を付き合わせることになって申し訳なかった。
姉の家にお邪魔してからリサーチパークでの昼食をご馳走になる。こちらもぜいたくなコースでビールまで飲ませてもらい、感謝にたえない。もっと大声であと二回はお礼を言うべきだった。こういうときのお礼についてあまりうるさくするのもなという自分の特徴的にはまったくいらぬブレーキがかかり、ありがとうございますと言って頭を下げるぐらいのことでよしとしてしまう。海外旅行の話を中心にいろいろ話してくれ、どの話も面白かったので、それひとつとっても海外旅行には効験があるといえると思った。姉の家で記念の撮影をしてからお暇をする。
炎天下のなか梅小路公園まで歩き、京都水族館に入る。入ってすぐに始まったイルカショーを見てからゆっくり館内を回る。とくに予定しておらず行き当たりばったりで入ったのだが2時間以上たっぷり楽しめた。オオサンショウウオの生態と形が面白いのとクラゲ研究会の活動ラボが見えるのが面白かった。オットセイ、アザラシ、ペンギンも安定してかわいいし、今まで入った中でも特筆して良い水族館だと思った。
3連休最後ということで新幹線の指定席がとれず、自由席にも混雑があったのですわ座れないかと思われたが、一計を案じかつ何度も列車を見送ることでなんとか座席に座ることができた。よく新幹線が利用される時期の新幹線の乗り方についてはきちんと予約をしておく必要があるということを学習した。
23時過ぎに品川着。ほうほうのていで0時過ぎに帰宅し、シャワーを浴びて寝る。この日も尋常ではない量の汗をかいていたのですっきり気持ちよかった。


2025/09/16 今日
睡眠不足気味だった週末を取り戻そうとするかのようにぐっすり眠り、心地よい目覚めになった。一日在宅勤務にする。
午前中にグループディスカッションのある会に参加して以降はとくに仕事関係のことは何もせず。昼食はそうめんとソイプロテイン。食べ終わってからしばらくして筋トレセットとバーピージャンプをこなす。くたくたになったので1時間すこし昼寝をする。やはり疲れが溜まっていたのか昼寝を経てさらに身体がラクになった。大相撲をやっていることを思い出して結びの三番前ぐらいから見始め、日記を書いてから狛江までバスケに出かける。

20250912

日記641

ベイカー通り

2025/09/11 一昨日
午前在宅、午後出社。定時退勤してバスケにいく。普段行っているバスケのなかで上級者向けに位置付けされる回だったのだが、初心者の人がひとり参加していて、その人に対して「あきらかに初心者が混じっていますよね」などとまともな社会人真っ青、良心的な大学生だったら赤面ものの強い風当たりのことを言っているバスケウマ男がいた。タッパもあって(聞けば身長185cmとのこと)金髪で、いかにもバスケットマンという出で立ち、ゲーム中にはちゃんと声出ししてチームメイトとコミュニケーションを取ろうとする一面もあり、味方のナイスプレーに対しては賞賛を惜しまないナイスガイの顔を持ってもいる多面性のある選手だった。
風当たりの強い発言に対して苦言を呈するでもなく、まあまあまあという反論でも同意でもないことを言ってお茶を濁すだけで、とくに何のアクションもリアクションもしない自分にテンションが下がって、思い切ったプレーができないまま数ゲームが消化されていった。
旗幟を鮮明にしないで日和見主義的に付和雷同しているようでは良心的で真に上手なプレーヤーから愛想を尽かされてしまうことになるので気をつけるというか優先順位を自分の中でしっかり確認しておく必要がある。



2025/09/12 昨日
朝から出社し、昼から在宅に切り替える。定時退勤後、パーフィットの伝記を読んでから飲みに出かける。友人Bと下北で集合して三茶まで歩く。東京餃子楼でご飯を食べて下北まで歩いて引き返す。駅につくぐらいからポツポツ降る雨に打たれ始めた。タフガイを気取るわけではないが、これしきの雨など歯牙にもかけない。


2025/09/13 今日
朝から銀座に行って優雅にモーニングを楽しむデートと洒落込もうとしていたのだが、二度寝して起床時間が9時になったことで、プランのすべてが崩れはじめた。機に臨み変に応じるべしと遅めのモーニングを早めのランチに切り替えたまでは良かったが、ふたりして現金を持たなかったためお土産受け取りの際に会計ができず、あわや一日の計総崩れかと思われた。途方に暮れて何か策はないかと銀座の中心で椅子用でもない柱に腰掛けてどうにかこうにかインターネットを使っての現金化の方法を探ったものの、有用な方便は立たず、最終手段に頼るしかないかというところで店から電話があり、「お代は後日でもいいから受け取っていいですよ」との有り難い申し出がある。地獄に仏とはこのこと。感謝の念を脱帽礼で示しつつ、モノを受け取らせていただいた。
帰宅後、ものを冷蔵庫に入れ、うどんを食べてから束の間昼寝。いつもの理容室で散髪し、B&Bで本を物色、『荒潮』を購入して帰る。日記を書いてからバスケに出かける。2日連続でトレーニングしていない。明日奈良に帰るのでこのままでは4日連続ノートレーニングになる。それはまずいと思うので最低限腕立てとブルガリアンスクワットをやっていくことにする。

20250910

日記640

まことに

2025/09/09 昨日
午前中は在宅勤務にする。バーピージャンプという一日のうちでもっともキツい運動に耐え、ボールを使った腕立てとレンジをこなして汗だくになったあと、シャワーを浴びてから昼過ぎに出社する。仕事はくだらないがトレーニングとしてやる運動に比べると苦行でもなんでもない。出退勤の電車内では『漱石詩注』を読む。
定時退勤で帰宅してから荷物を持ち替えて狛江に行ってバスケをする。日曜の大会に比べると伸び伸びやれて、自分の求めるものはやはりこれだなという気がした。部活で汲々として球技大会で伸び伸びやれるバスケ部のベンチ要員の感想そのまますぎるが、ここで感想を偽るわけにはいかない。走ったら走っただけ、リバウンドに参加すれば参加しただけ成果が出るから、同じぐらいの体力を使う場合でもアドレナリンのおかげでより動ける。乗ってきたらシュートを打とうという気にもなるし、ドライブを仕掛けようという気にもなる。そうやってやる気のままに動いたプレーの成功率は「あれやらなきゃこれやらなきゃ」でやるよりも目に見えて高い。公式戦のような強度の高い試合でも伸び伸びプレーするためには心の持ちようもそうだが、それを支えるだけの体力強化が欠かせない。だからバーピージャンプというキツいメニューをこなしているわけだ。悔しい気持ちはガソリンにもなるし。狛江のバスケの試合終わりに「リバウンド後の隙をなくしてボール保持するときにスタンスを広くしたらもっと無双できるよ」とアドバイスをもらった。やっぱりこのレベルだと無双できているんだよなと思ったし、アドバイスにも納得できた。次のレベルに行きたいと思ってやっていること自体が楽しさの秘訣ではあるから、代々木上原のほうでも喰らいついていきたいし、狛江のほうでは自信を取り戻せるしで、いいバランスでバスケできている。ほかには高円寺のバスケにも参加していて、狛江のバスケはメインで行っているのとはべつにもうふたつある。たぶん一番レベル高いのが狛江のもうふたつのうちのひとつ。高円寺のほうではユニフォーム作ってもらってダンクカップという大会にも出られる、そこから派生したあたらしいチームにも誘ってもらっている、と、バスケプレーヤーとして充実した環境がある。
最寄り駅のセブンでジャンプを立ち読みする。呪術廻戦モジュロという新連載の漫画なのだが、近未来コンタクトもので、なるほどそうきたかと感心させられた。虎杖悠仁がレジェンドになっていて嬉しい気持ちが湧いた。氷結無糖ゆずスパークリングを買って飲む。
帰宅後、『しあわせな結婚』を見る。第二部に突入ということで、いろいろ想像の余地があった展開が収束されていきながらも興味惹きつけられるという、いい塩梅の展開になっている。テレビドラマの制作についてもよくわからないのだが、脚本が面白いと言ってもいいと思う。
すずきこうの動機はふたつあって、実行したほうの動機はネルラの弟に、隠し続けるほうの動機はネルラにあったということだろう。シャワーに入りながら考えてみて、ここまで相当きつかっただろうと思った。ネルラのほうの動機はこうたろうに引き継げると安心したから自首することにしたのだと想像できる。殺人なんていうのは愚かでどうあっても見過ごせない行動なわけだが、その後の苦痛を思うと同情しないところがないでもない。理解も共感もできないが、受けた苦痛に対してかわいそうだとは思う。


2025/09/10 今日
一日在宅勤務にする。今日も業務上の負担は一切なかった。これで身分の安定が約束されていたら本当に言うことはないんだけど、そうもいかないし、そうもいかないからこそ自分に与えられた条件内でもらえるものをフルに享受しようとして、結果、こんなに安閑として安んじていられるのだから、文句はない。もちろん。ここまで安安閑としていられるのは振り返ってみても覚えがない。
そうなるとやっぱりキツいのはバーピージャンプだ。めちゃキツいから気を抜くとすこしでもラクをしそうになるのを鞭打って、短時間全力を旨として地獄の4分間を過ごしている。バーピー後のボールを使っての腕立て・レンジ、ブルガリアンスクワットなんかは屁でもない。ただ吹き出た汗がヨガマットにポタポタ落ちる。
昼ご飯には冷食チャーハン納豆冷やしラーメンのセット。食べ終わってから午後はほぼ寝転んで過ごす。終了間際に締め切りのある仕事をこなして定時退勤。スタバにきて『折りたたみ北京』を読む。『蛍火の墓』という作品はこのアンソロジー中でもっとも注目されなかった。開始早々の「夏への扉」への言及がいらぬ阿りに見えてしまった。同作をまったく評価していないのもあり、かなり冷淡な調子で読み終えてしまった。その後に続く劉慈欣の『円』も、いかにもSFという佇まいだからか、あまり気乗りせずにいるまま読み終えてしまった。ただ、『神様の介護係』は劉慈欣の作品の中でも毛色がちがうということなので楽しみだ。
『漱石詩注』を読む。漢詩の素養がないままでここまで来てしまったことは残念といえば残念なことだが、もしそれを身に着けていたとしたら、文学全般への見方は今よりもっと悲観的で強い厭世感をもとに位置を占めようという誘惑にそのまま従っていただろうと想像できる。身につけるだけの労力を払わなかった時点でナンセンスなたらればでしかないが、詩を書くというときには、ある種の暗号というか、わかるひとにはわかるという符丁を使って直接に出さない音を響かせるというやり方が必須になるのだろうから、文学に取り組むにあたって補助輪としての詩作に活かせたかもしれない、そういう両刃の剣を手にできたかもしれないという妄想が働く。深く潜ろうとするときに携える「酸素ボンベ」は必要な条件なのだろう。それが何であれ、ある程度以上奥へ進もうとするためにはそれ一本ではやっていけないということだ。スニーカーは最低二足は持っていないと、遠くまで歩くのはむずかしい。
一応書いておかなければと思うから書くのだが、全然小説が書けていない。それどころではないというのがいつのまにかデフォルトになって、去年からだったか年始からだったかに立てた目標を達成できる見込みは今のところ全然ない。どうにかどこかで軌道を修正しないと、このまま何も書かないで時間が過ぎていってしまう。時間はあるのだから一番よくある言い訳は立たない。時間はあるのだからその時間を小説に配分していこう。
円城塔が「SFというジャンルはもう不要なのでは」という提起をしたとネットで見た。個人がネットワークに接続された端末をポケットに入れて持ち運んでいる現実界にあって「サイエンス・フィクション」も無いでしょうという主張のようなのだが、本当にそうだよなと思う。ミステリだとか、ライトノベルだとか、形式に関するようなジャンルはそれを見つけたり回避したりという用途で使い出はあるが、SFについてはこれから先そういった用途で使う必要はなくなっていくと思う。小説自体の面積が減っていくなかで、SFはわざわざSFに閉じこもる必要はないはずだ。

日記646

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