20251111

日記672

ゴーアラウンド

2025/11/09 一昨日 16998
朝からスタバに出かける。『理由と人格』を読んでから自分のインスタアカウント「上から目線ストリート」についてしばらく考え事をする。もうすぐ1000投稿が迫ってきているので、ここまでの営みについて総括ではないが振り返ってみるということをしたいと思ったのだった。
家人がフルート・ピッコロ練習を終えたというので下北で合流。ダイエーで食事を調達して帰ろうということになったのだが、食指が動かず、結局食べて帰ろうということになった。買い物袋を携えて適当な飯屋を見つけようとする。最近駅前にできた札幌ラーメン屋ガクに行こうとしたがバイトが休んだのかいつもこうなのかわからないが、席は空いているのにウェイティングリストに記名させられ、先に席についているひとたちのテーブルにもラーメンが提供されておらず、回っていない感がアリアリだったので(アリアリして)別の店にする。何度も行っている安定の歓迎にする。中華そぼろ丼と五目焼きそばセットでじゅうぶん満足いく食事になってよかった。
一旦帰宅して買い物した荷物を置き、バスケ用のボストンバッグに持ち替えて、散歩がてら再度下北に繰り出す。家人が読みたいということだったのでビレバンで買い抜けのあった呪術廻戦の27,28巻を買い足す。これで7巻から全巻揃った格好になる。駅で解散し狛江に向かう。背中の痛みは快方に向かっていて2日連続でバスケをしても平気だと感じられるぐらいだったのだが、脚の疲労はいつも通り発生しており、打撲になっていた左脇腹も気になって全然動けず、この日も2日連続でバスケをするほとんどの日と同様消化不良になってしまった。何度も同じミスをしてしまう。いつも痛みに慣れて無視できるようになってきた頃に終わってしまうので余計に消化不良感がつよくなる。こういう不調な日に無理にシュートを打って外し、シュートを外す感覚を強化してもつまらないのでシュートを打つのを控え、速攻に参加するかパスで走らせるかというプレーに軸足を置くようにした。バスケ式のエクササイズをしているつもりで走れるだけ走った。帰りがけに小雨が降っていたのでバスで駅まで戻り、銭湯で温冷交代浴をする。水風呂時間を長めにとって疲労回復に努めたが、効果の程ははっきりわからない。じっくり冷やしたのでしっかり冷えたのはわかった。そうなってからあつ湯に入ると血管がひらくのがわかる。そのオープンする感覚は脳をはじめとした神経にもダイレクトに効いている感がある。これまで味わったことのないすこし締め付ける感覚もあってこれが倍加するとやばいだろうなという気がした。
帰宅してハッシュドビーフならぬハッシュドポークをハヤシライスとしていただく。じつのところシチューだと言っていたような気がするが、ハヤシライスとして美味しくいただいた。翌朝の出社に備えてすぐに寝る。


2025/11/10 昨日 8946
朝から働き、午後からも予定に反してオフィス勤務になって働く。二人体制で優秀なバディがいるにもかかわらずやるべきことが多くなっている。これは黄色信号だ。それでも早退して気になる映画を見に行くことに決める。気になっていた『見はらし世代』。予告を見て嫌なカットがなければ見に行こうとyoutubeを開き、かなりからい見方をしたのだがわるいところはなく、むしろ良いのではと思わさせられた。渋谷が登場人物になっていることもあり見に行かないで後悔するのは嫌だったというのもある。結果、見に行ってよかった。しかし、ちょっと食らってしまったほどで自分に遠慮して安易によかったというのがはばかられるところもある。トーンが抑えられていて無理なセリフがない。とくに街の撮り方がよかった。この場所知っているというのに加えて”同じものを見ている”という感覚が離れない。電球が落ちて割れるシーンも最高だったのだが、そこからの展開も動きがありつつ無理なことをしていないというバランスで、超自然的な現象を含んでいても変な振りかぶりも言い訳も開き直りもなく、深く踏み込むために必要な条件が揃ったからこれで踏み込めるという淡々とした筆致でよかった。音楽も効果的で、どのシーンでも印象的に鳴り始めるのだが違和感はなく、その場面の映像と映画全体に馴染んでいる。結び目をほどくことで解消してしまわないようにするのが大事なことで、それが共有されている関係だからこそ結び目をほどこうとしてさらに印象に残ろうとするのも共感するし、ずっと後景にあったものを前にせり出させる結びのやり方は気持ちいい。アカルイミライのように段ボールを蹴っ飛ばすアクションはないが、その代わりにすーっと移動して前に出てくるシーン。電動キックボードの乗り物としての乗り心地は、視点が高いことで視界が開けているところに特徴があり、その感覚を捉えてうまく映像に翻訳していると思う。温かいそばに最近目覚めたんですよねというどうでもいい話を、そばはあまり食べないけど沖縄そばは好きですというこれまたどうでもいい話で受けるのも、愉快でならない。濱口映画を見て映画って面白いなと感じるような方向での映画の面白いところがあり、そのエッセンスが詰まっていた。好きな俳優を目当てに期待して見に行くという映画体験の対極とはいわないが対向にある。


2025/11/11 今日 2774
一日在宅。午前在宅で昼から出社のつもりだったがキャンセルした。朝食にはクロテッドクリームをたっぷり塗ったスコーンをいただく。洗濯物を回したり仕事をすすめる。昼ご飯には冷食のビビンバ。オモコロでヘルパゴスをやる回を見る。この人たちは面白そうにボードゲームをする仕事が本当に得意だなと思う。ボードゲームを開発したら遊んでほしいユニットの筆頭にあがるのではないだろうか。結構取られそうだがとりあえず見積は提示してもらいたい。社内外の関係者との打ち合わせ、チーム内での認識合わせ、関係部署に課題を伝えて、とオンライン会議を3本こなす。大相撲九州場所が始まっていることにようやく気づき、三日目から見始めることにする。明生が休場しているのが心配だ。無理しないでほしいができたら今場所中に復活してほしい。
退勤後スタバに行って『現実とは何か』を読む。決定論についてそれでは論にならないと反駁していたが、そんな必要はあるのかと疑問に思わないでもない。しかしこういうのはきちっと潰しておかないと厄介なほどにはいまだに存在感がある考え方ということなのだろう。論外としりぞけて終いにする無責任な姿勢をとりがちなので、そこは素直にえらいなと思わせられた。日記を書いて21時頃にスタバを出る。今夜はキムチ鍋という話。ここまでのところ秋も頑張ってくれているがこの頃はさすがに勢力を失っているようなので、だんだん温かい料理が楽しめる気候になってきている。

20251108

日記671

2on2

2025/11/06 一昨日 9745
フルートのレッスン終わりの家人と合流し、経堂の洋食屋ウルトラで生姜焼きライスセットを食べる。やすい定食屋の倍ほどもする値段なのだが、肉の厚さもみそ汁の具材も贅沢レベルで充実していた。こんな定食を毎日食べられる身分になったらそれは成功者の称号に値するのではないかと思った。カウンターの席で無差別殺人事件を話題にしてしまい、そこまでやかましい音声ではなかったもののもし聞こえていたら周囲の顰蹙を買ったかもしれない。せっかくのおいしい食事が台無しとまではいかなくともケチをつけることになっていたら申し訳ない。ただ、自殺をえらぶぐらいだったらめちゃくちゃをするという選択は個人の観点からは非合理だとは思えない。周囲の人に迷惑をかけたくないとか、なんだかんだ社会(にある好きな物事)のことが好きという反対側からプッシュされるなんらかの理由があれば話はべつだが、天涯孤独(と心底から感じられているよう)な人物の場合その紐帯は機能しないわけで、あとは個人の思いつきというか実行のタイミングで思いつくかどうか、ようするに確率の問題という気がする。そしてその母数は一気に増えていきそうな感じがあり、社会はその抑止について真剣に考えないといけないのではないか。効率の良い鬼狩りの方法ではなく、鬼を生まない方法が考えられるべきだ。大人になってから仕事とは関係ないコミュニティに参加したり、友人たちとユニットを作るような営みについて教育やガイドがあってもいいし、結婚以外のステディな人間関係のバリエーションもいろいろと仕組み化されてもいいのかなとも思う。鼻つまみ者問題、コミュニケーション煩わしい問題、メンバー固定されすぎ問題といろいろなレベルでいろいろな問題が考えられるので十把一絡げにこれがいいということもできないし、個人としての目指すべき目標として「なんでもいいから趣味を持て」というビタミンサプリぐらいのゆるい効果しかないことしか言えない。酒も飲まず帰ってすぐに寝る準備をして寝る。


2025/11/07 昨日 9128
寝坊しそうになる。早めに設定した目覚ましを止めて二度寝してしまい、何かが遅れれば即アウトというぎりぎりのタイミングで奇跡的に目が覚める。時間がなさすぎて逆に冷静になり、一切選択をミスらずに遅刻を回避する。朝から優先度の高いタスクが積まれていたのでせっせとこなしていたら自分がファシリテートしなければならない打ち合わせがあったのを忘れていて準備ゼロのまま参加することになる。週明けに打ち合わせ設定したのでそもそもリスケでキャンセルすればよかった打ち合わせをキャンセルし忘れていたということに打ち合わせ中に気がつき、「オンライン集合してもらったところわるいが今日は解散」と言って解散にする。それだけのことに焦って冷や汗をかいた。そのあとにもスケジュール遅れが発生しそうな案件について、客側からのプレッシャーと遅れの原因との板挟みになり、原因について詰めるよう要求されていたのだがそんな目くじら立てんでもまあええやんかと思って客側からのプレスを無視していたら、おい無視すんなよときっちり詰められる結果になった。たかだか利益や客の信用のために他人を攻撃するようなことはしたくないし、すまん、すまんな、すまんかったななどと言っているほうが心理的にラクだということにあらためて気づいた。こんな性格ではビジネスでの成功など望むべくもない。ハキハキと喋れない、そもそもどうでもいいと思っているのを隠せない、後回しにすることも後回しにしたことをうっかり忘れていることも多いなど、そのほか無数の理由があるのだが、物に即した成功などくそくらえだ。仕事なんだからちゃんとやれよという圧にはできるだけ抵抗を示していきたい。そうは言ってもお金は必要なのである程度は自由な時間とトレードオフになるのは避けられず、そうである以上できるだけ割の良いレートで交換したいという欲求は当然ある。
お昼時間には同僚と食堂で飯を食う。資産運用(株売買)での目覚ましい成功の途上にあり、目標は3,4年で家を買うことだと豪気なことを述べておられた。最近は住宅系Youtuberを見ているとのこと。目的をもってそこに邁進する良さというのは、目標そのものに共感できずとも心で理解できるので、前言と食い違うようだが素直に応援したいし、なんだったら株式についてはノリ打ちをさせてもらえないかと思っている(しかしよくよく考えるとそこまでのリスクはとれない、インデックスで手一杯)。そのほかゴルフ(社内のゴルフコンペ)に行きませんかと誘われる。ゴルフコンペの幹事をさせられて大変らしく、ゴルフ自体は面白いのだが、自腹になる会費、早朝からのドライブになって帰りは渋滞確定など、気づけばマイナスなことばかり話していて、きれいなサラリーマンのムーブだと感心させられた。本人もそのあたりを自覚していて、半ば楽しんでやっているようなのがよかった。会社員のコスプレとしても本物顔負けの再現度で、ただスーツを着て満員電車に乗って通勤するという浅めのコスプレしかしていない身からすれば誠に恐れ入りますという感じだ。幹事じゃなかったら楽しめるんですけどねという苦味のあるコメントも堂に入っていた。
定時に退勤し、新宿経由で下北に戻る。翌日のバスケの大会への助っ人要請の連絡が入る。背中の痛みもだいぶ落ち着いているので参加する旨返事する。『現実とは何か』『ファウスト』を読む。ファウストの第一部を読み終わった。訳文は散文体の完成版というだけあって読みやすいのだが、挿絵の絵柄が気に入らない。挿絵なしのバージョンがあればそれを読みたい。悲劇と書かれているがどこかコミカルな雰囲気を表現したいのかもしれないが、訳文だけでじゅうぶん感じ取れるから蛇足だと思う。
スタバを出て梅窓で肉うどんを食べる。温かいうどんがおいしい。スープが沁みて仕方ないので全部飲み干してしまった。スーツだけでは肌寒い気温のなか帰宅。シャワーを浴びて寝る準備を済ませる。家人の友人が泊まりに来た。北海道のおみやげをたくさんもってきてくれる。前回の来訪時に持ってきてくれてたいそう気に入ったクロテッドクリームを今回も持ってきてくれた。「おかまいもできませず」という意味のことを2,3回言って寝室に下がった。翌朝バスケで墨田区に行くため7時起きの必要があったからだ。


2025/11/08 今日 14520
北千住経由で東向島まで行く。北千住のホームがターミナル特有の規模感で乗り換えが面白かった。早めについたので駅前のマクドでホットコーヒーを飲んで15分程度時間を潰す。会場に行ってあれよという間に試合が始まる。初戦はエンジンが温まる前に相手のペースに乗ってしまい、20点もの差をつけられて敗戦になる。2戦目はフィジカルのつよいチーム相手だったのだが良い試合になり2点差でからくも勝利。4Qでテクニカルファウルを受けてもらったボーナスFTを2本中2本外してしまい、あやうく戦犯になりかけた。…恐ろしかった。その後の攻撃を繋いでくれて、ナイスパスで汚名返上の機会をもらいイージーバスケットを沈めて試合を終わらせられて事なきを得た。大会は3チームそれぞれが1勝1敗と三つ巴の勝敗になり、得点差で3位になってしまった。しかし充実感があって楽しかったのでまた機会があれば参加したい。背中はもともとの負傷箇所は大丈夫だったのだが、逆側のあばらに肘鉄をくらい、打撲の痛みがすこしある。昼飯にも誘ってもらえたのだが用事があるといって離脱する。来た道をそのまま引き返すコースで帰宅して家で昼ご飯を食べる。ミートソーススパゲッティ。
呪術廻戦のコミックを読みながら洗濯物を回し、洗濯物を干してからスタバに行く。ぎりぎり満席の手前で滑り込むように着席できた。『理由と人格』を読む。日記を書く。

20251106

日記670


2025/11/04 一昨日 9282
スタバを出て家人と合流し、下北をすこし放浪したあげく松屋で鶏そぼろ丼を食べる。家人はなんとかいうカレーを辛い辛いといって食べていた。家人は好奇心を全開にしてミスばかりしている、自分は食べたことのある食い馴染みのあるメニューをリピートしがちになる、どちらがいいかという話ではなく、両極にならないのが良いのだろう。翌朝の健康診断にそなえて早めに寝てしまう。


2025/11/05 昨日 10895
朝から在宅勤務。途中、渋谷まで健康診断に出かける。アクシュという渋谷の悲しき建物を見る。盛り上がることはおろか、下手するとテナントが埋まることさえないのではないか。実際3つくらいのcomingsoonがあった。健康診断は一番簡単な内容だったのだが1時間すこしかかった。残念ながら効率化ができていない判定を下さざるを得ない。
昼からは午後休をとる。のどの違和感があって、それが風邪にならないようにと安静にする意図もあった。
映画館で鬼滅の刃の映画を見るために新宿TOHOに行く。IMAXレーザーというラージフォーマットで見ることでスパイダーバースが最高のアニメだと確認しておく目的があった。予期したとおり目的は果たされたわけだが、音の作り方など鳥肌シーンもあったし退屈しなかったので見てよかった。対峙したふたりを画面の左右端に配置して空間を見せる演出が特異で面白かった。
帰りにドンキに寄るが目当てのCBD商品は見つけられず。博多天神でラーメンを食べて帰る。


2025/11/06 今日 7566
午前在宅、理由と人格を読む。午後から出社し、大小の打ち合わせをこなす。行き帰りの電車で『ファウスト』を読む。
定時退勤し、新宿経由で経堂まで向かう。リハビリを受けて体のとくに固い個所を教えてもらい、お腹を締める感覚とストレッチを教わる。
スタバで『現実とは何か』を読む。

20251104

日記669

どうぞ

2025/11/03 昨日 8869
銭湯に行って2時間ほど湯に浸かっていた。炭酸湯と温冷交代浴と外気浴。輪郭が希薄になっているのではないかと思ったが、あがるときにタオルで身体を拭くとちゃんとそこにあった。つまらないといえばつまらない。
帰りの電車内か帰ってからかおぼえていないのだが、ショート動画を見ていると巨漢が向かい合って無防備の相手に張り手をみまう競技の動画が流れてきた。見たままの愚かさがあまりにも愚かすぎて擁護のしようもないと思ったのだが、そう感じるときにこそとも思い、しいて擁護しようとしてみた。しかし言葉を継げないどころか何も出てこない。やがて出てきたのは「自由」という一単語のみで、それを巨漢に適用させるためこねくり回そうという気も起きず、自由っていいよなと何がいいのかわからないようなことを口走って考えるのを止めにした。ともあれビンタ合戦なんていうのは短くてわかりやすい映像の極みだ。本人たちの動機がどこにあるのか、それ用にトレーニングを積むのかということがすこし気になった。本当に馬鹿馬鹿しく思えるのだが、格闘技全般が本質的に馬鹿なもので、最近見るようになった相撲にしても国技だの伝統行事だのと言うが、元はと言えば馬鹿祭りみたいなもので、今あるのもその発展形に過ぎないと思う。深刻な怪我を負ってまですることかというと、自分は全然そうは思わないのだが、当人たちの出で立ちや目つき、振る舞いなどを見ると、そして稽古量や食事のことを思うと、ほんのすこしも馬鹿にする気は起きない。しかし一方で、それとはべつの次元では馬鹿すぎると思わないではいられないし、ビンタ合戦にも同じように馬鹿すぎるという感想を持つことは避けられない。しかし、よく考えてみると、ビンタを食らって意識が飛ぶ瞬間のショート動画を面白がって見る視聴者のほうに馬鹿さの本質があるように思う。それの何が面白い? わからないけど面白い、つい見てしまうというところに根深い愚かさがある。
帰宅してから鶏肉と玉ねぎの無水料理の残りを食べる。翌朝は出社する予定なので23時半には眠りにつく。


2025/11/04 今日 6632
朝から出社。若干の喉の違和感があるのと背中が痛いのとで昼には帰宅し在宅勤務に切り替える。『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』を読んだり、ホームポジションのタイピング練習をしたり充実させることができた。
帰宅後にはすこしだけ昼寝をする。それでよくなったとは思わないが悪化もしなかったので定時退勤後スタバに行く。西郷甲矢人・田口茂の『〈現実〉とは何か』を読む。場についての考え方には納得できる。どういう理由からかはっきりしないままとりあえず自明のものとしている前提をそのまま前提しないことで、考えるための「場」が必要になるというようにも受け取れる話だと思った。また、「決定論を断念しなければならない」という論旨にはなじみがある。「驚くべき置き換え可能性」についても、内容だけではなく、むしろその外郭というか表現のほうになじみがある。どこに由来するものなのかはっきりわからないが、どこかでその考えに触れており、その考え方に感化され済という感じがある。ちょっと長いが引用。

こうして、統計的法則について語ることの意味は、絶えず変化し異なる多様な出来事のなかに、「驚くべき置き換え可能性」が立ち現われるという点にあることが見えてくる。いままで「法則」と呼ばれてきたものを、こういう意味で捉えなおすということこそ、量子論が科学にもたらした最も革命的な思考の転換であったと言ってよい。その上でわれわれが強調したいのは、「法則」とはいわばこの「驚くべき置き換え可能性」の一つの表面にすぎないのであって、その表面 (ないし上澄み)だけを残してそれ以外を捨てることは、「法則」そのものを無意味にするということである。「法則」が出てくればよいというわけではない。それを生み出す根拠がまさに「法則」のなかで書き切れないということを鋭く突きつけているのが量子論の扱っている事態なのである。
「法則」のなかで書き切れないものとは、単に法則から逸脱するものではない。むしろそれこそが「法則」を生み出すという側面をもっている。単に非法則的なものから法則が生まれてくるという発生論を述べているわけではない。むしろ「法則」なるものの存立そのものに関わるのが、ここでいう「書き切れないもの」なのである。「法則」は自己の存立の根拠そのものを自ら生み出すことはできない。かといってどこか他の場所で作られて外から現実に押しつけられるわけでもない。われわれが現に与えられている現象に即して法則を捉えるという営み自体が、「法則のなかに書ききれないもの」なしには成立しえないのである。『現実とは何か』51p


数学に対する違和感として、それを記述する無地の黒板は存在しないのではないかということを考えていたことがある。自分がそのとき数学として捉えていたものは数学の一部分にすぎないということがわかったので(おそらくたぶん……)、今はそういうふうには考えていない。しかし、黒板を仮定するという発想のなかには「場」の考えに近いものがあったと思う。また、物とそれがある場所とを分けて考える考え方についても「そんなの確定してないけどな」と言われるとそら恐ろしい感じがある一方でそうだよなと妙に納得してしまうところがある。位置情報はあくまでも相対的なものであって、絶対の位置を示すものではないと考え出すと、場所のことがわからなくなる。ただ、位置だけでなく時間も記録すればそれに何の意味があるのかは置いておいても情報としてより確かなものになるのではないか。


20251103

日記668

秋のブルー

2025/11/02 昨日 15835
洗濯機を回す。Eテレで現代音楽の演奏会を流す番組をやっていたので、すこしだけ耳を傾ける。合唱団がFoeverとEternalとを繰り返す歌詞と、楽団員たちを青く照らす照明の演出が夢のような視聴感覚を呼び起こした。寝不足状態でもあったので早く寝る。


2025/11/03 今日 6543
頭痛とともに目が覚める。二度寝をして治すのか、起きてしまって頭痛薬を飲むことで治すのかどっちつかずになってしまい、起き出しもせずに頭痛をそのままにしてつまらない動画を見て無為に過ごした。
10時半頃にようやく起き出して録画していた有吉クイズを見る。家人が作ってくれたたまごサンドのブランチをとる。結局この時間でも頭痛が取れなかったのでロキソニンとセットの胃薬を飲む。ストレッチをしてから『ファウスト』の音読をする。ひとりで読んでいたときに比べてうまく舌が回らない感じと口内が乾く感じがあった。前者はともかく後者はロキソニンの薬効の範疇だと思う。
家人の提案で代々木公園に出かけようということになる。提案されたのが13時すぎ、出かける準備が終わったのは15時、予定していたドンキでの買い物を終えたのは16時前という塩梅で、予想以上に寒かったこともあり代々木公園は取りやめにする。+CBDの看板で気になっていたタコスの店に入ってみる。CBN含有のソフトクランチを注文し、空腹の家人はタコスを注文。NYでの体験をもとに、CBD商品がどれほどの効果なのかを確認したいという意図で食べてみたクランチ(CBN200mg含有、CBD量不明)だが、食後1時間弱から3時間のところ、力が抜けるような感じと、こちらは電車に乗って座ったからかもしれないが眠気がある。行き交う人の顔を見つめるのが比較的平気になるという効果についても認められる。テンションが上がるというか可笑しくてたまらない感じ、頭の輪郭が膨張する感じ、部屋の空間、とりわけ角になる3本の直線に対するなぞの集中力は無いが、それらを感じていたときに同時に深刻さを我がごとの次元を隔てるようにして遠ざけるような虚脱する感じだけがある。そのなかでも眠気が強いから眠気を抑えようと眠ってしまわないようにと我慢するのがつらく、その苦痛が最前面に広く陣取っているのでチルが発揮されない。
狛江のスタバで『現実とは何か』と『ファウスト』を読む。MX-KEYS miniとエクスペリアの組み合わせで日記を書いてから、今日の目的地の狛江湯に行く。CBNだかCBDと銭湯は相性が良すぎるのではないかと思う。悟りがひらけるかもしれない。





20251102

日記667

時担当

2025/11/02 今日 15564
チーズナンの消化活動に手間取っていたのか胃のもたれのような違和感で2時すぎに目が覚めてしまい40分ほど寝付けず。睡眠時間がややショート、背中の痛みは残存という状況でバスケの大会に出る羽目になってしまった。悪化させないというのを第一義においてやるバスケはあまり楽しいものにならず、球際の弱さがいつにもまして露呈することになった。強く来られたときには強く返すということもできないのは難しいところだが、もともとのプレースタイルが背職を厭うものなのでそこまでの影響はなかった。シュートは相変わらずたくさん外したが、最後の試合で帳尻を合わせるかたちで入り始めたことで率が上がったので、腐らずにやるということの重要さを思った。試合後も背中の痛みが強くなっていないのでそれを一番の収穫とする。
行きと帰りの電車、帰ってご飯を食べてから『ファウスト』を読み進める。大学生の頃に第1部を読み終えたまま第2部にとりかからないままにしていたので、ここへきてようやくファウストに取り組むことができる。また1部で本をおいてしまうかもしれないし読む前から言ってみても始まらないことだが。
見るのを楽しみにしていた映像の世紀の「ニューヨーク・ニューヨーク」の回を見た。トランプ・タワーがどうとか、あまり興味のない内容が続いてがっかりだった。鶏肉とたまねぎの無水料理を作って食べる。

20251101

日記666

ビルディングロマン

2025/10/30 一昨日 10335
帰宅中に歩きながら考えた。日記というのはその日の記念をとるためにすることだ。たとえば2025/10/30という日付は当然ながら一度しか回ってこない。その仕組についていくら不満に思おうがそうなってしまっているし、30数年の経験則からも撤回される見込みは残念ながらうすいと思う。だから現実的に取りうる対抗手段はその日にあったこと見たものを記念にすることぐらいだ。そのニュアンスを汲み上げるために日記から別の言葉を象れないか。その日を記念にするということで日記念という言葉が思い浮かんだが、あまり語感がよくないのでべつの呼称を思いつきたい。アイデアとしては記念日日記というのがある。冗長だが同じ字を重ねることに効果を持たせられるのではないか。そうすると記念日日念記とすることでシンメトリーが得られる。通分して日念記というのはどうだろうか。やや仏教めくというか、仏門の門前にまで踏み入れている感があるが。しかしそれにしても、”記念”という言葉は上手な言い回しだと思った。単純な足し算の熟語ではなく、かけ合わせることで意味を前に進めているような熟語だと思う。
自分の場合は何かを思い出して書くということが基本だ。思い出すということ抜きには書けない。この先にあるものに対処するため、積極的に何かを得るために毎日運動しているわけだが、そういうモードとは全然別の働きかけを書くときには行っているという感覚がある。念記しているということかもしれない。もっとシンプルにすでにある言葉で、かつ別の意味を持たせて、記念しているということができると思う。できるだけ毎日記念していこう。


2025/10/31 昨日 1635
一日在宅勤務。酒を断ってからの一番大きな効果として、睡眠時間が伸びて深い睡眠の時間が増えたということが挙げられる。この日も8時間半超寝ていた。今日までの3日間の平均で言うと9時間にも届きそうな睡眠時間になっている。寝過ぎはよくないというのは俗説で、必要量以上は寝ようと思っても寝れないため睡眠過多にはならないと聞いてからこっち、一抹の罪悪感以外の余計な心配事はなくなった。
渋谷マブルスというアプリを見つけたので始めてみる。こういうアプリを始めようと思うときには気分が乗っているので、プロフィール作成に凝ってしまう。好き勝手やってやろうと思う気持ちがかかりすぎ、狙いに行って滑ってしまっているプロフィールができた。午後になってから冷静になってプロフィールの不要部分を削除する。こういう添削が必ずしも正確なのかというのはわからないが、自分で読んで滑っている認定されたものを自分のプロフィールとしてそのままにしていることはできない。肩書について書く欄があり、それについてひとしきり頭を悩ませた一幕が自分というものを象徴していると思った。5年前も10年前も同じだったわけだし、もはやそれで慌てるということもないが、5年後も10年後も同じところで頭を悩ませることだろうと思う。グルメにもサウナにもうわべの交流にも興味がないから、結果的に渋谷が好きという一心でアプリをやっていることになる。強いて言うならピックルボールをやってみたいので機会があればそれに飛びつくことにしよう。
夕方から雨が強くなる予報だったので外出せずに一日中家でダラダラ過ごした。『アンナチュラル』を最終話まで見る。テレビドラマだなという演出のいくつかには興味を持てないという以上の反感を覚えるという反応を返してしまったが、中堂というキャラクターを中心に見れば真剣に受け止められるところがあった。他人に手伝わせたから犯人を見つけられたが、そのために不純物が混入して当初の目的を達成できないことになったというジレンマは入れ子状の構成になっているし、コミュニケーションのクソなところとクソではないところをストレートに表現していた。


2025/11/01 今日 2102
9時ごろに起きる。スタバに行こうと思ったが満席だったのでべつのコーヒーショップの外席に座って日記を書く。通りがかりの人や犬を見る時間があってよかった。とくにGレトリーバーのふさふさの尻尾の揺れ方が素晴らしく、懐かしく感じられるものがあった。気温というものを感じないほどの抜群の気候で調子よく過ごしていたが、蚊が出現してぶちこわしになる。これほど小さな存在にぶちこわしにされる繊細な状態だったわけだが、2時間ほど楽しめてよかった。午後からは三鷹の友人宅に遊びに行く予定。
続き 9764
ノンアルビールを携えて友人宅にお邪魔する。子供がかわいくて驚いてしまった。座れるようになって両手が自由になったことで各種の遊びをするようになっていた。この日は笑顔が多く見られて月並みな言い方になるが天使のようだった。子供の親とストリートファイター6で遊ぶ。DJというファンキーなキャラを選択してご機嫌に殴り合いをしようとしたのだが、感覚に慣れるのに手間取ってジュリという意地悪女にボコスカやられてしまった。ハンデの付け方を覚えてからは一応勝負の形になって面白かった。配られた手札を使って窮地をしのぐボードゲームをして遊んだ。ボードゲームは会話を広げるための糸口になるが、つい甘えてその機能に頼りすぎになる。友人の妻が片思いのひとを振り向かせるためにけん玉を披露すると回答したところが最も盛り上がった。アグレッシブさと市民権のなさ(翻ってパーソナルな質感になる)の塩梅が抜群で、恋がうまくいくかどうかはさておいて、ながく相手の印象に残るはずだ。振り向かせるの解釈次第だが、かなり良い線をついていると思った。友人はこれに首肯しなかったので説得したかった。趣味を披露する時間は痛いという理由からだったが、その例に挙げていた昔友人の家で友人がギターを弾くのを聴く時間があり、この時間は何? と疑問に思ったことについては、一、ギターというありきたりな趣味、一、ただの友人関係で真剣に聴く動機がない、というところから同じどころか、似たシチュエーションだとするのも無理がある。
しかしとにかく、この日はアルコールなしで遊んで楽しいという感覚を得られたのがよかった。この感覚を各所でも適用できるように押し広げていきたい。夕飯の時間が近づいていたのでいいところで切り上げて帰る。酔っ払っていないのにもかかわらずヘッドフォンを忘れてきてしまった。
下北のバビシャーでチーズナンを食べて帰る。家人が模様替えでひいひい言いながら自分自身に働かされていた。自分の大量のTシャツを仕舞ってもらい、大量のスウェットを取り出してもらっているので理論上は恩義に感じていいはずなのだが、寝る時間近くになってもやっているので迷惑かもしれないと思っていたら、続きは明日やるということになってほっと一安心した。翌朝早くからのバスケの大会にそなえて寝る。背中の痛みが治りきっていないので不安だが、まあやれるだけやるしかない。

日記672

ゴーアラウンド 2025/11/09 一昨日 16998 朝からスタバに出かける。『理由と人格』を読んでから自分のインスタアカウント「上から目線ストリート」についてしばらく考え事をする。もうすぐ1000投稿が迫ってきているので、ここまでの営みについて総括で...