20251228

日記697

石の上なら三年

2025/12/27 昨日 8679
スタバを出たあと予定していたサンゾウトウキョウに行く。12月30日に閉店との報せを受け、この店だけは行列に並んでも最後食べておかなければならないという義務感にも近い感情があふれた。実際20分近く並んで店内に入ったのだが、その時間を使ってペトラにするかコルマにするかを考えていた。入店までにペトラにすることに意を決して券売機を見るとペトラのボタンには「売り切れ」の文字。すかさず頭を切り替えてコルマかセドナかの二択にする。そしてやや長考した末コルマに決める。いつも女男男の3人で切り盛りしているのに店内には女男2人しかいなかったので、オペレーションの負担を考えてペトラを封印したのかもしれない。しかしこのコルマは間違いなく美味かった。ありがとうサンゾウトウキョウ。という気持ちを込めて「ごちそうさまです」と言って店を出る。普段は心で感謝していちいち口に出して言わず、これが江戸っ子スタイルと称してでさっと帰るのだが、今回ばかりはそういうわけにはいかなかった。腹ごなしもかねてゆっくり歩いて帰宅。友人から借りたナツモンというゲームを10分だけやったが、何匹か虫を捕まえて絵日記を書いたところで面白くない認定をし、それ以上プレーするのを止めにして昼寝する。予定時間より早めに起きたのでゆっくり準備してからスタバに行く。前日までに溜まっていた日記を小一時間で片付けてから演劇の稽古2日目に行く。
稽古では本読みをする。人の演技を見たあとで自分の番がきて前で音読をすると、自分の引き出しには何も入っていないことが明らかになって笑えてくる。普段から何行かの分量を話すということをしていないので、人が何行かの文章をずんずん話すことが不自然に感じられてしまう。本人としては話すモードになっているということなのだろうが、自分が話すモードになるためにはクリアしなければならない条件がたぶん多いから、世間話ぐらいのテンションで話すモードになれる人の気持ちがつかみにくいというのはある。演技を通して別人になりたいという願望は今はなく、自分を表現したい、表現することを通して新しい側面を発見したいという願望があるので、まったくの別人になってみるというアプローチはうまくつながらないという気がする。ただ、まったくの別人と感じられる人について、そこへ通じるための回路はあるはずで、その回路をこちら側から閉ざしてしまうようなことはできるだけするまいとは思っている。演出の人が「感情の発散をしてみて」というコメントをした。セリフをうまく言おうとするのではなくそのセリフを言う人の感情になってみようとするという演出の文脈で発せられたコメントだったのだが、新年時点に書き初めで書いた「発散」の文字が今年一年最後の締めくくりとなる活動においてまるで伏線を回収されたかのように発せられて、ハッとさせられた。それを耳にした瞬間、思わず何かに気づいて顔を上げるという過剰なリアクションとなって驚きの感情が発散した。来年からはテンションを上げて何かを言う場面が出てくると思う、というコメントもあり、これについては明確に自分の課題となり自分の壁として立ちはだかってくるはずだ。なんでも中学1年生になってもらうという話で、中学時代の自分を思い出して思わず頭を抱えてしまった。
帰宅してご飯を食べてから映画『グリーンブック』を見返す。心が痛む場面も一応あるが、ロードムービーでもあるし全体としては牧歌的なトーンだ。「世界は複雑だ」という紋切り型の表現で通じ合おうとするふたりの対峙場面が格好良くて決まっている。有形無形の暴力に対する描写がかなり控えめに感じられるのは『地下鉄道』を読んだ影響かもしれない。ドクが知性に加えて勇気があると思うのは最後にピンポンを鳴らすところだ。それで絵に描いたような大団円を迎えるわけだが、清水の舞台から飛び下りるのにも等しい逡巡があったことは想像にかたくない。


2025/12/28 今日 2023
8時すぎに起きてyoutubeでカナメストーンの「しゃれこめカナメストーン」を見る。真空ジェシカのラジ父で聞いていた山口用語のまとめについての動画で相当勉強になった。朝一番のクリアな頭で何を勉強しているんだと自分にツッコミを入れて出かける準備をする。8分間の運動前ストレッチをして朝食をとってからスタバに出かける。日記を書いて『失われた時を求めて』を読む。ヤンヤンも地下鉄道も感想を書くべき作品なのにどうも腰が重い。自分にとって良すぎる作品の感想を書くのは難しいのが確定しているのでどうしても気が重くなる。しかしそれを避けたら何のためにブログをやっているんだという話だからベイビーステップを意識して書き始めようと思っている。


20251227

日記696

実線

2025/12/23 四日前 18533
週末+前日のバスケの疲れがすこし溜まっていたのでそのリセットを兼ねて一日在宅にしようと思っていたのだが、前週のトラブルの後処理のために出社を余儀なくされる。午後から出社して事後対応策について上長と協議。すでに喉元過ぎていてどうでもいいモードになっていたのでただただ面倒くさい。しかし自分のミスについてくどくどと説教したりせずに淡々と前向きに対応方法について教えてくれるのは正直ありがたいと思った。新宿駅のコインロッカーにバスケの用意一式を保管しておき、退勤後そのままバスケ会場に直行する。年の瀬ということもあって参加者が少なめだったので思う様プレーできた。しかし減量の影響か体力が減っていてあまり走り回れなかった。露骨に歩くシーンが多かったように思う。最近狛江のバスケでもスマホをたてかけて動画撮影している。あとで自分の動きのチェックをするのは楽しい。どんな動画よりも夢中になって見ているという気がする。プレー中のイメージと合っているところもあれば合っていないところもあるのでその案配も見てしまうポイントだ。この日は狛江湯が定休日だったのでまっすぐ帰る。


2025/12/24 一昨昨日 9075
前日に急遽午後出社になった分、今日は一日在宅勤務にしようと思っていたらまた呼び出しを食う。一回の打ち合わせですべて処理できていればラクだったのに、あとからべつの用事が出てくるのは仕方ないことであるにはせよ気持ちとしては面倒でしかない。こまかい頼まれ事もあってその処理も重なってより面倒だった。それでも定時退勤し、家人へのプレゼントを買って帰る。ピックルボールの初心者セットを高輪ゲートウェイシティで買い、渋谷ロフトでリクエストのあったタンブラーを買う。くらっぺ氏のイニニーヨの日ポストカードをセブンネットプリントでありがたく印刷して帰る。プレゼントをクローゼットに隠してスタバに出かける。スタバには閉店時間までいて『地下鉄道』の終盤を一気に読み終える。「シーザー」と題された章がとくによかった。読者以外にもコーラを見ていた者がいるということに力を得た。『地下鉄道』のような素晴らしい小説を読まずにいることのリスクを思うと、できるだけたくさんの小説を読もうとする姿勢は捨てたものではないと信じられる。コルソン・ホワイトヘッドのべつの小説も読まなければならない。まずは『ニッケルボーイ』を読む。


2025/12/25 一昨日 8887
この日はあえて朝から出社し、一日オフィスで仕事をする。それというのも二度あることは三度ある式に前々日と前日に煩わされた打ち合わせがこの日もあるだろうと想定されたからで、まさにその想定通り、いろいろの準備のために直接のコミュニケーションが必要になった。また翌日も出勤日ではあるが、とりあえずのタスクをすべてこなし実質この日を納め日にしようという意図もあった。思惑がはまり思ったとおりの展開で仕事を終えて定時に退勤する。
まっすぐ帰宅して炊飯し、家人が作ってくれた豆乳鍋を食べる。友人Nからの頂き物のモエ・エ・シャンドンを開ける。一気にクリスマスパーティーの華やぎを得られ、率直にありがたかった。プレゼントを贈与し、ピックルボールのラリーを何往復かだけする。集合住宅のゆえにバウンドはできないのでボレー主体の簡易的なラリーだったが独特の打球音とパドルの感触を確認した。2026年からはこの競技でも楽しみたい。


2025/12/26 昨日 18421
午前中に用事のため大手町まで出勤。早めに現着して呼び出し時間までスタバで『痛いところから見えるもの』を読む。用事を終えて帰宅したのが15時すぎ。その後は寝室にこもり精神を落ち着ける行をおこなう。本当はバスケに備えて昼寝をしたかったのだがあまりうまくいかなかった。定時退勤して2025年の賃労働を終了する。
すこし早めに狛江まで出かける。スタバで『痛いところから見えるもの』を読んでから体育館まで歩く。風が強くて寒すぎる日だった。動き始めこそ疲労が溜まっているのを感じたが今年最後のバスケということもあって自然と気持ちが昂り、後半はノリノリで動けて体力の薄さを気持ちでカバーできた。いつもの参加者で顔見知りの人に話しかけてもらえたので帰り道にバスケの話をする。きっかけはバスケのシュートフォームに関するアドバイスをしてくれるという親切心を出してくれたことで、年の瀬特有の精神効果がうまい方向に作用したのだと思う。シュートフォームについては揺らいでいたのだがちょうど固めようと思い始めたところだという話をした。彼の話はスタンスの取り方を無理に内股にしないでリングに正対するほうが力がボールに伝わりやすいという主旨だった。とても安定したシュートフォームでシュート成功率もかなり高いプレーヤーだから説得力があるのだが、考えた結果、自分の目指すプレースタイルとしてはスタンスを内股にすることにも意味があるという結論になった。ただシュートフォームの安定はこれからの課題ではあるし、調子が上がらないときに立ち戻るべき原点作りはすすめていくべきだというのは再認識した。狛江湯で温冷交代浴をして帰宅。身体を温めることで行きに味わった耐え難い寒さもあまり感じなかった。当然といえば当然だが、運動にも風呂にもそれをすることで得られる効果がある。いろんな人とバスケをしていると、その人の人柄がプレースタイルから推し量れるところがあって面白い。言葉のやり取りよりも効率的にその人を知ることができると言っても全然言い過ぎではない。ボールを持ったときの選択はシュート・ドリブル・パスのみっつだが、どんなときにどれを選ぶのかだけでも大きな情報になる。それにボールを持っていないときの動きにはさらに選択肢が広がるので、何を思ってその場所に行くのかということがさらなる情報になる。シュート成功とシュート失敗の機会も頻繁に訪れるのでそれに対するリアクションもまたその人を表わす情報だ。バスケを通したコミュニケーションにおいて、自分は言葉でするよりも雄弁に自分を表現できるようになっていて、それがかなり楽しい。プレーしている動画を見るとそのときの自分が瞬間で考えた(あるいは考える前に判断した)内容が映っていて、過去の自分の日記を読んでいるときのような面白さがある。バスケを再開したての全然動けなかったときの動画も摂っておけばよかった。わかりやすい成長の軌跡が見られてそれも面白かっただろうと思う。


2025/12/27 今日 5060
早朝に起きて一足先に帰省する家人を見送る。その後二度寝するつもりが連休スタートの興奮からかうまくいかず、起きる予定の時間になる。洗濯物を干してからスタバに出かける。『理由と人格』を読む。パーフィットが「大勢の人がそう考えている」で文章を締めくくって主張を言い終わるところがどうしても許せない。これは哲学徒の文章としては成立しないはずのものではないか。倫理学は哲学ではないというのが理由になっているということであれば納得はできないもののそうなのだと思うしかないが。結局納得のいく「自己利益説」への反駁はなかった。自己利益説というものの射程、それが目指す理念を過小に捉えることでお茶を濁すことしかできていない。『理由と人格』では時間と労力を無駄にしたが、そもそも読書にはそういう要素もあると思い出せてくれたことでまったくの無為ではないと思うことにする。
『痛いところから見えるもの』も読み終えた。こちらは読み応えがあった。引用された『ハックルベリー・フィンの冒険』でのハックの宣言については「重要なこと」とは何かということがはっきりと明示されている。


本の奥付、つまりこの本の一番最後に書かれてある引用文にも価値がある。
ひとりの人間の痛みがもうひとりの痛みと結ばれると、ときには痛みが癒やされることさえあります。
アモス・オズ『大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く』
ハックの宣言もこの文章も自己利益説とは矛盾しない

20251223

日記695

純雑居

2025/12/21 一昨日 13974
12月とは思えないほど気温の高い日だった。友人Tが東京に遊びにきたので東京駅まで出迎えにいく。秋葉原で開催されるVRのイベントに参加するということだったので秋葉原まで付いていった。最近体重を落とすために節制しているという話で、一気に適当な飯屋が見つからない状態になった。秋葉原といえばカロリーの聖地でもあり、たくさん食べられることが嬉しい街だと認識している。仕方ないのでイベント会場近くにサブウェイを見つけたのでそこに入る。そしてさすが秋葉原だと思ったのは、目抜き通りはたくさんの人が通行していたのにもかかわらずサブウェイは空いていたことだ。まず友人Bがサブウェイで合流し、子連れ狼ばりの出で立ちの友人Nが後から合流になった。しかしその頃にはTはイベント仲間との合流を果たしたあとだったので5人で集合とはならなかった。
0歳にして秋葉原、0歳にしてメイドカフェと、一連の英才教育が続き、日が落ちてから三鷹に移動した。Nの家でご飯を食べてしまい、家人とNの奥さんが合流して皆でM-1を見ることになった。ここ最近ではとくに面白い大会だったので満足した。真空ジェシカが決勝3組に残れないM-1グランプリは盛り上がっていると言って間違いない。たくろうもドンデコルテも面白かったが、たくろうのほうが〈今年優勝しなかったら次回以降の優勝がむずかしい〉度合いがつよいと思うのでこれでよかったと思う。ドンデコルテは来年も見たいし、真空ジェシカにいたってはラストイヤーまで優勝してほしくない。


2025/12/22 昨日 28144
休みをとって友人Tの東京旅行に付き合う。もっと積極的にプランニングすればよかった。自分が行きたいところを紹介するにしてももうすこしうまく回れたという反省がある。秋葉原のキーコーヒーで話をしてから高輪ゲートウェイに移動し、商業施設でピックルボール体験をして昼飯にカレーを食べた。その後渋谷に移動してミヤシタパークを散歩してから音楽ショップに寄り、MUJIカフェでまた話をした。音楽活動が活発かつ順調なようで、いままさに走っている最中とのことだったので刺激を受けた。音楽については方向性がちがうものの今やっている音楽のクオリティが格段にあがっていることは素人目にもわかる。あとはどういうメッセージを込められるかというところで差別化をはかるべきだと自分は思うが、聞き手の聞きたいと思っているものに当てに行こうとするエンターテイナー性向が本人の資質としてあると思うので、楽しんでやるのがいいという落としどころになる。
渋谷で解散して一旦帰宅し、狛江までバスケに出かける。2日連続バスケのスケジュールを組んだのでこの日は抑え目でプレーしたのだがそれでもかなり息が切れた。明確にエネルギー切れのようだったので翌日にはゼリー等で備えようと思った。シュートフォームの定着にはもうすこし時間がかかりそうだがその練習が楽しい。狛江湯で温冷交代浴をしてリカバリーをはかる。水風呂が冷え冷えできつかったがそのぶん効くんだろうと思って我慢した。水風呂からあつ湯に切り替えたときのとぶ感覚はすごい。

20251221

日記694


2025/12/18 一昨昨日 21588
午前から大手町に行って仕事の立ち会いをする。そこでトラブル発覚し、以後対応に追われる。追われると言ってもすでに後の祭り状態でやれることはほとんどなく気持ちだけが追いかけられるという状況だった。早々にそのことに気づいて余計なことは考えまいと意識を切り替えようと心がけたがそう簡単には切り替わらないようで心拍数がやや高い状態が続いていたと思う。とりあえず最低限の処理ではないが、やれることをやっておこうと現地で動き、報告内容を整理したりした。午後から高輪ゲートウェイに出社。さっそく報告する。報告中「事実だけを話して」と2回ぐらい言われる。自分自身のミスを擁護するようなことは印象として逆効果になるという心得はあったのでそれをするまいと思っていたのだがそれでも相手からは防衛機構が見えたということだろうか。事実をまっすぐ話すと関係者の瑕疵に触らざるを得ないところがあり、そういうことはしたくないのでその部分を避けようとするのがうまくいかなかったと思われる。会社で働く以上これからもミスの報告は経験していくことになるだろうからそのスキルを手に入れるためと思って心を落ち着けた。条件などがちがうものの今回が初めてではないし、すこしずつやれるようになっているとは思う。そのほか定例のミーティングに参加したり、べつのタスクを消化したり、問い合わせから発展した打ち合わせに参加したり、忙しい1日だったのだが、バスケの日だったので定時きっちりで退社した。
帰宅後即荷物を入れ替えて狛江に出かける。新しいシュートフォームを定着させるための練習の意味合いが自分のなかにあり、楽しいのに加えていつにもまして有意義という感じがあった。風神とのマッチアップは1回だけあったが痛みや不調がないぶんまだ付いていけた。いつも通りしっかりやられたのだけどオフェンスでちょっとやり返したりはできた。狛江湯で温冷交代浴をして帰宅。すぐ寝る。


2025/12/19 一昨日 19803
朝から出社する。昨日の残処理をメインでやるつもりだったが、見込みよりも早く済んだので昼からは在宅に切り替える。なかやまきんに君回ということで久しぶりに三四郎のANN0を聞く。カオスを成立させるという稀有なラジオだと思う。ランジャタイの漫才をもっと長尺で身振り手振りを制限したかたちでやっているのに近いので相当な離れ業だ。不思議でなおかつ面白かった。ラジオ聴取などでたらたら過ごしていたら時間を食い、翌週月曜に年休なのでやっておくべきことをやる必要にせまられ30分ほど残業になる。すぐに経堂に移動し、リハビリを受ける。体幹トレーニングと臀部のトレーニングをいろいろ教えてもらいかるく汗をかいて、今回のリハビリは一旦の区切りということになった。やさしく丁寧にいろいろ教えてくれるしパーソナルジム代わりにもうすこし利用させてほしかったが、周りを見渡すとやはり不調の解消をメインに取り組んでいるようだったので場違いかなという気持ちもあり、終了を受け入れることにした。何かあったら電話予約はできるとのこと。
19時すぎに経堂で友人Bと合流しかつやでカツ丼梅を食べる。友人Nも遅れて合流し、下北沢までの歩き飲みをする。久しぶりだし気候も寒すぎずということもあって楽しい時間だった。会社の忘年会が最悪だった話と、呪術廻戦モジュロやワンピースの話をした。22時半に下北沢駅前で解散になる。久しぶりということもあってやや飲み過ぎ状態になった。


2025/12/20 昨日 9374
早朝に目が覚めて若干頭痛がしたので追加のLシステインを投入する。二度寝して起きたらとりあえず頭痛は解消していた。『ヤンヤン夏の想い出』が上映中なのを知り、急遽見に行くことにする。渋谷10時の回。エドワード・ヤンの撮る都市と都市生活には、自然の美しさに似たような見た目の良さがある。都市と自然を対照させて一方を美で他方を醜とみなすようなよくある捉え方がいかに間違っているかというのがはっきり明らかになっていると思う。結局、それを感ずるものの目のなかに美が映るのであって、そこにしか美はないと言ってもいい。もっとよく見ろというだけの話だ。映画の素晴らしかったところについてはもっと考えたい。最初のa one and a twoという題がでるところ、漢数字の一がまず書かれ、そのすぐ下にもうひとつの一が書かれることで二になるという一連によって明らかになることは多いと思う。個人があって関係があるという順番の問題だ。ひとつ、またひとつとゆっくりカウントする考え方は自分にとって親和性がある。それから『吾輩は猫である』の遠い残響を感じた。人間社会の複雑さを見つめるヤンヤンの目線こそが美しさのおおもとになっていて、その構造がそのまま同じだ。
帰宅して冷食チャーハンを食べながらNBAを見る。その後昼寝。本当はスタバに行って日記を書きたかったのだが寝たりないのを感じたのでかるく昼寝したら次の予定の時間になってしまった。出かける準備を済ませて演劇WS初日、初稽古にいく。渡された本読みをしただけだがとにかく緊張した。とはいえこの緊張はすでに知っている緊張だったので硬くなりながらもやりすごすことができた。休憩を挟んで2回目の本読みでは自分のやり方をすこし取り戻し、うまくやろうという気持ちを抑えて、テキストから聞こえる声を自分の声で再現しようというところに意識を働かせることができた。相手の声を聞くという余裕がぜんぜんなかったもののすんなり入ってくる感じがあったのは相手役の人の上手さということだろう。こういう経験者・非経験者問わず「上手さ」に引きずられないようにしようと思っている。追いつこうとする分にはいいが、あくまでガイドとして捉えて、引っ張られるのは避けないといけないと思っている。追いつこうとするのでさえ気の持ち方としては過剰だという気もする。緊張したのとぐっと集中したからか頭痛が出た。
吉野家で唐揚げ定食を食べてバファリンを飲む。たぶんすぐに寝た。

20251217

日記693

百人夜行

2025/12/16 昨日 6239
午前中は在宅にする。この日もたくさんの夢を見た気がする。ひとつも覚えていない。午前中はトーストとコーヒーの朝食をとり、しいて『理由と人格』を読む。ここのところはパーフィットを、というよりパーフィットの知性をあまり高く買わなくなってきている。最初はその特徴的な物言いに興味関心を惹かれた彼の言葉遣いにも単に不適当と済ませるだけの落ち着きを取り戻した。たとえば「私の信ずるところでは」というような言い回しのことだが、「私の信ずるところでは、また多くの人がそう信じているであろうところでは、」という言い回しに出くわすに至って、彼の言説のセレクティブなところが見逃せなくなってきた。哲学者たちはパーフィットを評価するということだが私は彼を評価しないし、彼が20世紀の思想家であることに対する哲学者たちの擁護については権威主義的なものにすぎないと考える。心身ともに健康で、彼自身の見る天井のなかでもっとも高いところに行こうと志した人だというのは肯ってもいい気はするが、自分の領域から外に出ようともせず、おそらくは外があることを認識しようともしなかった人だ。ようするに「えらい大学者」というところで、立派な物腰に見るべきところはあるが、武将として知力が100に近く政治も90をこえているということでしかない。
午後から出社する。わけのわからない整理系タスクの進捗が思わしくないことを報告し、定時すぎまで調整仕事の板挟み対応の相談を受ける。18時から忘年会に参加する。禁酒中ということでノンアルドリンクを飲んでいたが衝撃的に面白くなかったのでたまらず禁をやぶる。19時からはなつかしいビールの味を楽しむ時間になった。終了時間まで1時間足らずだったのでそこまで苦しい思いはしなかったが、自分が宴席で積極的に楽しみを作り出せない人間だということをあらためて思い知りかなしくなった。まっすぐ前だけ向いて帰路につき、最寄り駅の飲み屋の灯りに吸い寄せられそうになったが、そこで挑戦する気概も失っており、テンションが下がったまま、しかしせっかくの飲む機会をつかまえなければもったいないということでコンビニで気になっていたビールの銘柄を買って飲みながら帰る。グノーシアのアニメを見始めた影響でスイッチを起動してゲームのほうのグノーシアをまた始める。記憶のなかではもっと面白いゲームだったのだが昔クリアした記憶をもってやるとミステリー部分の引きがまるまる無くなっていてそこまで楽しめず。万策尽きた感があったので寝ることにする。


2025/12/17 今日 2637
一日在宅勤務。『理由と人格』を読む。いとわしい結論の章まで読み終える。昼ご飯は久しぶりに炊飯し、家人の作ってくれたキムチ鍋を食べる。NBAカップがやっていたのでスパーズ対NYニックスの決勝戦を見る。3Q途中から見始めたのだがスパーズが5点リードを広げたり詰められたりする展開で、ウェンビーもいるしスパーズが勝つのだろうと思っていた。結果はそうならず、必要なときに必要なシュートを決めて追いすがったニックスが逆転勝ちをものにした。ブランソンがMVPに選ばれていた。照れ隠しの笑顔が印象的で、もしバスケがうまくなかったらただの気難しい嫌なやつかもしれないと思わせ、だから逆にスター性があった。言うまでもなくバスケはものすごく上手いし、キツい時間帯ほど活躍するぶっ壊れメンタルの持ち主だ。
定例の打ち合わせにWeb参加し、昼寝をする。臨時の打ち合わせに参加して定時30分すぎに退勤。そのままスタバに行く。『地下鉄道』と『失われた時を求めて』を読む。アルベルチーヌとのベッドシーンは心の動きが克明に記されていることで私が大して彼女に惹かれていないということがわかるようになっている。しかしそれはまったく惹かれないというのではないところが面白い。地下鉄道のほうは想像した展開とはちがい、驚きがあった。日記を書いてからもうすこし読書をしてから22時前には帰宅する予定。『痛いところから見えるもの』を読む。マッチョイズムについての章で、アランとトルストイの文言を咎める回。アランはともかくトルストイは偉大な文学者なので、これはかなりの失点になると思う。が、そういう厚顔ぶりがトルストイにあれだけの大作を書かせた原動力と切り離せないとも思うので、いらん部分として切って捨てるわけにはいかない内在する欠陥というものだと思う。
この日見た夢のことを思い出す。『水』という映画を映画館で見る夢だったのだが、最後の最後に大洪水になる場面で、なんとスクリーンから大量の水ゼリーが観客席にむかってほとばしり出た。それで全身に水ゼリーを浴びる羽目になったのだが、こんなのは前代未聞で、映画というジャンルを超えたすごい映画だと慄いた。水ゼリーが顔にあたる感触があまりにもリアルな水で、映画を超えた現実感だと感じられた。しかし水ゼリーは無色透明で、本物の洪水に見られるであろう清濁の区別などないような本物の水ではなく、あくまでも清潔な水ゼリーであるということが強調されていて、それがまた自分のなかでとくにリアルに感じられた。自分の考える現実の質感というものの外には一歩も出ず、商業的な体験の内側で安心して濡れられるという、いかにも自分の描きそうな夢だというリアルがあった。それが映画のタイトルにも波及しているように感じられる。『水』なんていかにも自分が見に行きたがりそうなタイトルの映画だと思うし、そういうところにも安心感というか納得感がある。見たい映画を見るという見たい夢を見た感じで、手もなく満足した。

20251215

日記692

世の中が動く

2025/12/13 一昨日 10619
友人Nと下北沢の駅前で合流し、すこし街をぶらついてから家に戻る。いろいろの話をするなかで、ダウンタウンプラスの面白くない話選手権の話題から話についての話になる。友人が言うにはあの大会に自分が参加すればフット後藤のお笑い芸人じみた話しぶりなんかよりずっと企画趣旨に沿った話が展開できるのにということだった。一理あるとはいえ、それは企画意図の外周にあるより大きな意図からするとあまり沿うとは言いがたいがなと思うなどしたが、それでも実際「あれはどういうことだったんだろう」と言って話を終えるという方針についてはひとつの型としてありかもしれないと思った。暗い旅の「〇〇話を止めないでほしい旅」でもあのフォーマットによって面白くなっているということがあるし。家に戻ってスイッチのマリオカートですこしだけ遊ぶ。家人が帰ってきたのでボードゲームをする。この日は宝石のきらめきとカルカソンヌで遊んだ。マツーを使ってのテキサスホールデムを提案してくれたのだがあまりマツーを消費させるのも悪いかなと思い遠慮してしまった。宝石のきらめきでは第一位、カルカソンヌでは第二位という結果だった。完熟パインのおみやげをもらって食べたらびっくりするぐらい美味しかった。甘くてジューシーで黄金色。飲み始めるタイミングではもはや当然のようにノンアルビールを取って乾杯している。バスケに行く時間になって参加者数の確認のためにラインを起動するといつもの19時開始ではなく、17時開始だったことを知る。それが出発時間の18時すぎに判明したのであえなくこの日のバスケはなしになる。楽しみにしていたのにショックだった。このあとべつの友人と池袋で遊ぶ用事があるという友人を下北沢まで送り出す。その後、家人とご飯を食べに行くことにし、バスケに行けなかったのを取り戻したい気持ちから、これまで気になっていたがいつか行こうと思いつつまだ行ったことのない牛タンの店「夏火鉢」に入った。12月のコースをたのむ。途中で雨予報になることに気づき、一張羅を雨から守るため家までの道のりを走って帰り、外套を交換して店に戻ってくる。コースをデザートまで食べて帰る頃にはしっかりめの雨になっていたので咄嗟の判断が上手だったと思う。一番良いのは最初から着ていかないことなのには間違いないが、次善の動きとしては素早い行動を即座に取れて、こういうのもアルコールを摂っていないことの効果だと思った。21時すぎに帰宅してあっという間に寝てしまう。


2025/12/14 昨日 20236
前日に早く寝たので早起きしてスタバに行けばいいのにたっぷり9時間寝てしまいそうならず。家でちょっと本を読んでから下北沢まで遊びにきてくれた友人とスープカレーの店「心」に行く。彼は英語が母語なのだが日本語も操れるので日本語で喋ってくれる。一度英語で言っていい?と断ってから喋る英語がかっこよかった。発声の仕方が日本語と英語でちがうのか、英語のほうが低い声のバリトンになって知識人度合いが2割増になるのが感じられた(日本語でも知識人度合いは十分高い)。気になっていたが一度も入らなかったコーヒーショップに初めて入る。なんと1stアニバーサリーをやっていた。時の流れるのが早すぎるとまた驚いた。家人も含めて三人でお喋りをして楽しい会になった。17時前にお開きにする。お土産に持ってきてくれたドラ焼きがびっくりするほど美味しくて、皆美味しいものをよく知っているなと感心してしまう。カルピスバターが入っているドラ焼きで塩コショウをかけても美味しいと書いてあったので半疑いながら従うと本当に美味しくて感動した。家人が淹れてくれたお茶も絶対あってよかった。自分ひとりだとこういうときにお茶を用意する手間を省略しがちになるので、こういったペアリングについてはもっと意識的に構築していかないともったいないことになると認識をあらたにした。
前日にバスケができないとわかった直後に申し込んだ狛江のバスケに出かける。シャツを忘れて取りに帰ったことで一本電車を遅らせてしまい、しかも集中してスマホ画面を見ていると一駅降り忘れが発生したので、LUUPを使って移動時間短縮をはかる。LUUPのおかげで体育館到着が5分遅れで済み、30分ほどのシューティングセッションで新しいシュートフォームを試す。リリースポイントを額→顎に変えたのだがこれはかなりしっくりくる。このフォームでシュートを固めようと思った。ゲームでも久しぶりに3ポイントを打ち、うまく沈められたので1/1の成功になった。アウトサイドシュートの選択が増えると一気に視界がひらけると思うので、これからこのフォームでシュートを磨いていきたい。喜多見駅から電車に乗って帰ろうとしたが代々木八幡駅のホームドア故障とかで経堂〜新宿の区間が運休になっておりすぐに帰宅できず。自分は10分ほどの遅れで済んだからよかったがホームドアの故障で運休になるというのは小田急の運行体制は大丈夫なのかと思わさせられた。
帰宅してセブンのタンパク飯メニュー、チキンのチリサンドイッチを食べる。家人の元職場のひとが今年のエンタメで一番面白かったと勧めていた『ラブ上等』を見る。ヤンキーの恋愛リアリティショーで、見た目からあまりに馬鹿馬鹿しいので逆にちょっと見ようかという気になり、見るとなぜかハマってしまった。嬢たちはまあ普通といえば普通(恋リアにおけるノーマル)なのだけど、とにかく漢たちがよかった。ぶつかって仲良くなるというプロセスの結果としての「認め合う」とか、ダサいことはできないシャバいことは言えないという制約のなかでのコミュニケーションとか、ヤンボーの負け顔とか、真摯なのがわかりやすくて笑えるのだが、ごまかしの効かない部分で真摯なのがわかるから彼らの人間性に好感を抱いてしまう。ミルクとツーチャンのコンビがとくに秀逸で、残り数話になったら泣いてしまうかもしれない。あいつら二人だけはヤンキー相手にオラつくが一般人にはオラつかない紳士ヤンキーで、むしろ一般人には弱いまであるのではないかと、ありもしないと言われそうな勝手なことを思ってしまっている。恋愛リアリティショーというのはドキュメンタリーとしては嘘だし、エンターテイメントとしては弱いしで、まともなコンテンツだと思っていないのだが、こうやってコロッと面白いと思う側に転んでしまっているので、自分の感性は当てにならないというか、どんなものに対してもジャンルで判断するとやはりつまらない断定をしてしまうと、反省をもとめられている。恋愛(こい)しに来ている不良(わる)ってなんだよ、というそもそも部分について目をつぶりやすいというのはどこか歌舞伎にちかいものがあるのではないか。1話だけ見ようという見始めだったのに2話見て3話見てとつい夜ふかしになってしまった。


2025/12/15 今日 4114
前日に夜ふかししてしまったので午前在宅にする。たぶん錠剤でGABAを摂りはじめたからだと思うのだが長い夢を見る。仕事の未消化タスクに追いかけられる夢から、幼馴染家族とうちの家族とで町内会主催の旅行に行き、広い旅館を貸し切りにしていてどの部屋で寝るか選ぼうとしたのだが道に迷ってなかなか決められない夢まで、ありとあらゆる夢をみた気分で目が覚めた。すべての素晴らしいことが終わってしまうという不合理に意識が向けられて、やれることを粛々とやっていくしかないという厳粛な気持ちにさせられた。洗面所で顔を洗うときにもその気分は尾を引いていたので「許せねえ」と言って怒り顔を作った。今週末から演劇WSの稽古が始まる。友人Tが東京に遊びに来る。いろんな種類の楽しいことがあるし「今が全盛」という気持ちがある。始まることさえ惜しまれるのですこし強すぎるぐらいだ。
『理由と人格』を読んで、すこし体幹トレーニングをして、冷食チャーハンを食べて出社する。オフィスで出すべきメールを出す、お願いされた申請をする、問い合わせ内容を整理するなどのタスクをこなし、定時に退勤する。すこし早めにエレベーターを降りてエントランスロビーで仕事を終えるという裏技を開発する。混雑回避と無駄な待ち時間の回避ができて一石二鳥のやり方だ。新宿経由で下北に帰りスタバに行く。友人Yから「お祝いに〈紅まどんな〉送ります」というメッセージが届く。ありがたくて温かい気持ちになった。自分もそういう温かい贈答ができる人間にならないといけない。この温かさは芥川の『蜜柑』の色イメージにも匹敵する。『地下鉄道』を読んでから日記を書く。としているうちに22時前になったので帰宅。

20251213

日記691

あれもロボ

2025/12/12 昨日 9250
22時半までスタバにいる。『地下鉄道』が面白くて夢中になっていると日記を書くための時間がほとんど無くなった。ダイエーで晩御飯にするためのマルタイの棒ラーメンとニチレイの冷食チャーハンのストック追加を買い、きつい北風のなか歩いて帰る。ラーメンを食べて何かの動画を見る。昨夜のことなのに何の動画かも覚えていない。もはやナイトルーチンのようになっている。大方、オモコロ、暗い旅、NBAハイライト、サッカーハイライト(アーセナルか欧州日本人プレーヤー)お笑いのどれかだろう。
すこし席を外しているあいだに思い出した。ロングコートダディのゲーム実況シリーズのカービィのエアライダーだった。ふたりのテンションの高さだけしか情報として残らず、途中で消して寝る準備に入った。そんなことよりも最近見ている動画ではヨーロッパ企画の暗い旅の「〇〇話を止めないでほしい旅」シリーズが面白い。土佐さんの「喋りすぎっすねえ」、永野さんの「幽霊でよかったすねえ」の話がとくに面白かったのだが、「ぬダルいっすわ」がスマッシュヒットで久しぶりに吹き出すほど笑った。
晩御飯の約束をすっぽかして前職の人たちと飲みに行っていた家人がブーケを買って帰ってきた。お詫びの印兼部屋の装飾というところだろう。どこに売っていたものかすぐにピンときた。ボーナストラックの無人花売りブースだ。1500円もして高すぎると怒りの論点が変わっていて、しかも1200円に値下げしていたというフォローが入って相手方の思う壺にはまった。花をもらうというのはあまり経験のないことで気分もわるくなかったし、朝起きたら花瓶に活けられていてオレンジの花弁がきれいだったので結局万事収まった。そもそもがめいめいで勝手に夜を楽しむという基本スタンスを確認すればよく、それでいうと当然怒るまでもないことだった。


2025/12/13 今日 2522
ネトフリだかプライムビデオだかの即興コント企画で、教室のなかでのうどん作りという設定だけ用意されてうどんを作らさせられた。木村バンドみたいな相方とおたおたしながらうどんを作るという客観的に見てられない時間を過ごした。とても長く感じられてつらかったのだが何ひとつ面白いことを思いつけず、メモ帳に出来事をメモするキャラという「やること」を自分の中に作って心の平安を保とうとしたのだがどうにもならなかった。ところへ助っ人ゲストとしてチョコレートプラネットの松尾がでっかい手持ち花火を持って表れてとにかく大きい声を出しながら場の雰囲気を華やいだものに変えて一気に笑いをとり戻した。松尾さんやっぱりすごいなと先輩を尊敬する後輩芸人の位置に体よく自分を収めてその場をやりすごすモードにすぐ変わったところで目が覚めた。自分ひとりの力では何ひとつ打開できない情けない気分で目が覚めて、悔しさから「うどん!」と喚いたのだが、それを受けた家人から何があったのかと訊かれ、うどんを作らされてそれが全然面白くならない大変な夢を見た、でもチョコプラの松尾が出てきてめっちゃウケててやっぱすごいと思った、という脈絡のない話をしていると、さっきどうしたと訊いてきた家人がそれを話している7秒ぐらいでまた眠りの世界へ帰っていき、夢のなかだけで完結する情けなさではないのだと思い知らされた。面白い面白くない以前に「聞ける話」をある程度の時間続けられる人は皆すごいという結論になった。自分は話下手なほうだという自認はあったが、それは面白い話ができないという意味で捉えていて、問題の本質をつかめていなかった。ある程度以上込み入った話ができないのだ。つまり時系列や順序を掴みながら話したり、ある話とべつの話とを組み立てながら関連付けして話すように、構成を考える必要がある話全般ができないということだ。言い訳をしておくと、言葉遣いの細かな部分や相手の反応に気を取られて話の筋を見失うことが多いということになる。困ったことにならないように最初から話の筋を見失うのを前提にして話すので必然的に短い発話が多くなる。1語や2,3語でのコメントばかりしている。起き抜けとは言え「うどん!」だけで発話を完結させるのなんていくらなんでもひどすぎる。家人の反応がいつも通りだったのでこの手の自分の発話は珍しいものではないだろうと推測されるのがよりゾッとするところだ。ドリブルの練習をしてみよう。
食パンを食べてから9時すぎスタバに出かける。『地下鉄道』を読み、予約貸し出しで取りに行ったばかりの『失われた時を求めて』7巻を読む。昼からは友人が遊びに来て家でボードゲームをやる予定。13時前に下北に到着するということなのですこし街を回ってから帰るつもりだ。

日記697

石の上なら三年 2025/12/27 昨日 8679 スタバを出たあと予定していたサンゾウトウキョウに行く。12月30日に閉店との報せを受け、この店だけは行列に並んでも最後食べておかなければならないという義務感にも近い感情があふれた。実際20分近く並んで店...