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2026/06/27 一昨日 8030
カラーシャンプー、ヘアフォームなどのヘアケアアイテムをネットで購入。昼すぎから理容室に行って白髪ぼかしをしてもらう。人生のなかで髪の毛が最長になっている。風呂のあとのドライヤーや朝の支度などの煩わしさともうすぐやってくる暑さで一度限界を迎えそうなのだが、この面倒くささを味わってしまうとこの先もう伸ばすことはないと思うので、今回で行けるところまでは行きたい。ヘアゴムを使ってちょんまげを作れるところまではきたのでシチュエーション次第ではすこしラクになった。出勤時にどうやっていこうか考え中。
夕方頃から友人Aに誘ってもらった読書会に参加する。課題本は『風に吹きはらわれてしまわないうように』だった。ブローティガンを読むのは始めてだったしこういう機会がないかぎり自分で読むこともたぶんなかったと思うのでまずはそれがよかった。あとは他人がどうやって小説を読むのかというのを知ることを通して、自分がどうやって小説を読むのかというところにあらためて光があたって勉強になった。参加者のことを知ろうと思ってやや拙速な質問をかけたり、自分の考えを性急に開示しようとしすぎたきらいがあってその距離感というか速度感については反省がある。ただ参加したいと言って参加しているのにもかかわらずただじっとして終えるというまず最初に浮かぶ危惧からはその分だけ離れられた。人と話すときに何層かに分けて順に引き出しを開けていくというやり方が自分は苦手なのだと思った。恬淡としているというと聞こえは良いが、さっぱりした単純な意見や加工しないそのままの願望をわりあいはっきりと口に出すので、相手が受けづらい意見を口走ってそのまま終話というかたちになっている。ボールの離し方が手前勝手で外形的にもパスになっていない。以前はその空気を自分で察知して先回りし、自分自身で修正したりパッチを当てたりして無理やり完結させていたのだが、中年になって鉄面皮をかぶれるようになってピリオドを打つ処置もしないで、堂々と投げっぱなしの終話スタイルをとってしまっている。相手の意見を受け取って何かを言うというのもあまりできなかった。言うべきことがあってそれを聞きやすいかたちにまとめていたら相手が受けてくれなかったとしてもそれはそれでいいと思えるのかもしれない。それができていなかったので据わりがわるいというか安心していられないのはある。ただその方向へ進んだとしたら読書会である必要はあまりないかもしれない。読んだ本を通じてコミュニケーションをはかるというところに眼目があるのだろうから、次回はそれを意識して勉強させてもらいたい。次回の課題本は谷崎潤一郎になった。とくに読んだわけでもないのになぜかイメージだけで嫌いな作家のひとりだから、これを好い機会として読んでみたい。『卍』
家人がボーナストラックのイベントで買ってきたマッコリをちょっと飲ませてもらう。キムチも食べさせてもらう。とくに好みの味でなかったためそう伝えるとへそを曲げられた。味がわからない人呼ばわりされたのでそれはちがうと反論し、わかったうえで好みに合わないと説明。質が良いとされているものが必ずしも口に合うとはかぎらないし、素材(白菜)の味が立っているじゃないかと言われるのだが、キムチは素材の味を味わう食べ物と自分が認識していないのもあってあまり話が噛み合わなかった。こういうふうに各々で持っているちがう意見を話し合える場にしたい。読書会に参加する以上、余計なゲスト意識は抜いて自分が場を作るというぐらいの気持ちで積極参加していきたい。
2026/06/28 昨日 18015
『卍』をすこし読んだが関西弁のうるさい女のこまっしゃくれた言い回しにうんざりさせられた。表記の仕方も関西弁表現のために読者に負荷を強いるような書き方で、著者の傲慢な大きい顔が瞼の裏にちらつくようでどうにも鬱陶しい。これは読了が難しいだろうと判断して音読ですすめることにした。youtubeの朗読があって便利だ。聞くのは読むよりはだいぶましでこれならいけると思ったのだが、やっぱり合わないからなのか女の言い回しに嫌悪感をおぼえて聞いているのも大変だ。こういう反応に我が意を得た顔をされるような気がしてそれも気に食わない。
昼飯にパスタを茹でて食べる。『小説家を見つけたら』を見る。2000年の映画だが今の映画ほどなめらかに繋がっていないし感動させたいシーンの感動させたい持っていき方がいかにも感動を誘うやり方でウッとなる。とくにスピーチで悪者教授の鼻を明かす場面は安っぽくて見ていられない。ただ最後の終わり方、窓を開けて外の景色を映し出す描き方が美しくてかなりの部分が精算され、結果として良い映画を見たと思えた。ニューヨークの街や地下鉄などが出てくるのも自分的にはポイントが高い。
高円寺までバスケに出かける。すこし早めの到着になったので商店街をぶらぶらして古着屋のウインドーショッピングをするなどした。蟹の本屋を見つけたので中に入ってみた。戦争反対展をやっていた。No Warなんていうのははっきりいって当たり前のことだと思うが、当たり前だと思うということにかまけず言うべきことでもある。何度も言わないでもいいが、一度でもいいからここというときにはっきり明言して旗幟を鮮明にしておくのがよい。戦争は間違っている。
バスケでは上手で体力があってチームのために走るのを厭わないプレーヤーに付きっきりになって自分のやりたいプレーが全然できなかった。この日は比較的身体が動いたのに内容が伴わなかったことから、競技レベルの選手や競技色のつよいゲームでは自分のプレーは通用しないんだということに直面させられる結果になった。この悔しさをどうやって晴らそうかと思うのだが、体力を増強して打ち勝つ以外にない。しかし、それは自分のやりたいことなのか要検討だ。もしこの階段を上っていけたとしても、階段を上っていった先にはべつの強い相手がいてまた悔しい思いをするのは目に見えている。それでは全体として楽しくならない。だから自分より上を行く選手に対して、自分なりのやり方で一矢報いる手段を講じるべきだ。負けてもいいからボロ負けしないようにするとか、正面からぶつかって勝てないのであれば搦手を使うとか、自分は負けてもチームは勝つというところにゴールを設定するとか、そういうやり方の工夫が必要だ。しかしこの日は悔しくて正気を保つのがむずかしかった。頭に血が上ってコンビニで買った氷結を飲まずに寝た。負けるのは悔しい。
2026/06/29 今日
朝からグロテスクな描写のある夢を見る。城主が城を明け渡す際に、家臣一同の家族もろともに”見事な最期”を強いる場面、群舞のようにリズミカルな動きで自分たちの家族を手にかけたあと自害するという今敏パプリカ風悪夢表現の悪夢だった。その前には高校時代に仲違いをしたクラスメイトたちとユーモアを通じて和解できるというシーンがあったのでシンプルに嬉しく、落差がきつかった。自分の夢に対して完全に油断していたところを刺された。
一日在宅。ハンターハンターの連載再開分を読み、これまでの連載分を読み返す。ワールドカップを見ていて気持ちが勝負づいているからか、つい関係ない自分のバスケプレーでも勝負に熱くなってしまっているようだ。
この日はスタバに行く前に日記を書いてしまう。定時すこし過ぎに退勤。スタバに行く予定。
ワールドカップの日本対ブラジル戦が今夜ある。楽しみだが負けてしまわないかという心配もかなりある。自分ごとのように緊張してそわそわする。しかしこのそわそわする感じは楽しみが目の前にある緊張だというように教化され済みなので、言葉にして表わすとやはり「楽しみ」ということになる。負けたら終わり、勝ったら先を見られるという緊張感はトーナメントならではワールドカップならではのものだと思う。やっぱり緊張する。