20260624

日記772

なんでもないような外

2026/06/23 昨日 18531
午前在宅。しっかりめに寝るという目標を立て実行に移したたおかげで体調はわるくない。昼すぎにダイチャリを使って渋谷まで出かける。回答を持っていない自分に向けて質問が飛んでくるシチュエーションと湿気とで汗がだらだら流れてクタクタになったが、首を傾げたりなどしているうちに苦しい時間が過ぎていった。定時前に渋谷を引き上げダイチャリを使って帰宅する。喜多見までバスケに出かける。行きの道で『吾輩は猫である』の朗読を聞く。バスケは中一日の休息しかとれなかったにしては足も問題なく動き、それなりに走り回りながらも心肺機能の限界を感じることも少なかった。バスケというコミュニケーションにおいて、語彙が特殊だったり、立て板に水のごとく流暢に喋るプレーをする選手はやっぱり目を瞠るべきところがある。一瞬の閃きとそれへの感応というコンビネーションが出たときには他には替えがたい喜びがあるということを思い、スラムダンクのあの流川ー桜木のシーンは見開きのハイタッチも桜木の左手もそれ自体本質ではなく、パスが来ることを確信してそこにいる桜木とそれを視界のなかに捉えた瑠川に本質がある。あれこそがバスケプレーの精髄だ。
帰宅後シャワーを浴び、そばを茹で食べて、できるだけ早く寝る。


2026/06/24 今日 4460
午前在宅。ここ1週間ほど正体不明の不安感が身体中にべっとりくっついているような感覚で日を過ごしていたのだが、なんとなくそれが取れてなくなった。労働におけるタスクの蓄積は相変わらずあるのだが、そんなのはどうでもいいことなのだという正解に自分の頭のなかをしっかり結びつけることができた。1時間ほどの寝不足の蓄積が解消されてきたからだろうと思う。午後から出社して打ち合わせを3件消化する。サボっていることを面と向かってやわらかく指摘されるひとつめの打ち合わせに一番重量感を感じたが、否定できないですよねという苦笑いをしていたらそれで済んだ。あとのふたつは軽いのと重いの。定期イベントなので対処法ははっきりしている。
下北に戻ってスタバで日記を書く。電車内ではバスケのリプレイを見ていた。
不安のなか頭が働くといずれENDの問題にたどり着く。そこにたどり着かない人は、その人の現実のなかにその人の頭を悩ませる問題があるということなのだと思う。それは幸か不幸かわからない。普通に考えればわかると思うのだがはっきりわかるというほどにはわからない。わかると思うのは、ENDの問題に直面するのはとにかくつらいからそこに至ることがないというのは気楽で幸運な状況だといえると思うからであり、あるいはそういう本質的というほかない問題を後景にしりぞけるほど現実の問題に切迫感を感じているというのがその誤認も含め二重に不幸だといえると思うからだ。
ENDの問題という強い光を当ててそのほかの問題を飛ばしたいわけではない。ただ、上の考えにはそうなる構造が含まれている。直視するのがむずかしいことを直視することで何かを掴もうとするというのは、他の問題を軽く見るためにそうするのではなく、あらゆる問題に強い光が何らかのかたちで干渉しているということを見逃さないようにする、そのためにするべきだことだ。
バッハのマスターワークスを聞きながら以前の記事に修正を加えたり追加で日記を書く。

日記772

なんでもないような外 2026/06/23 昨日 18531 午前在宅。しっかりめに寝るという目標を立て実行に移したたおかげで体調はわるくない。昼すぎにダイチャリを使って渋谷まで出かける。回答を持っていない自分に向けて質問が飛んでくるシチュエーションと湿気...