20240517

日記376

長きことクレーンのごとし

2024/05/16 昨日
二十時にスタバを出てから友人と下北で飲む。最初は歩きながら外飲み。友人の彼女とその友人と合流してからは風知空知という店に入って飲む。昔演劇祭に出た話をする。もともと自分は全然そういうタイプじゃないのにもかかわらず逆に演劇に出るというのが面白いところというつもりなのに前提を共有できていないと、たんに演劇やっている人というスタートになるのが恐ろしい。まあ来歴が知られていないということは裏を返せばここ一年の自分として振る舞えるということでもあるから面白いところでもある。でも慣れないかたちで新しい人と接して若干靴擦れを起こした感じだ。いや肉離れを起こしたかもしれない。まあそういうミスが出ることも含めて新しい知り合いができるのはいいことだ。こういうふうに飲んでいて「終電間近」になることも少なくなった。明日に備えて余裕を持って解散になった。

2024/05/17 今日
渋谷に出勤。作業立ち合いで自分は何もせず作業員の作業をただ突っ立って見ているだけなのだが、現場の人というのはコミュニケーションも快活で見ていて気持ちがいい。内部に入れば微妙なパワーバランスなどがあってその維持メンテナンスに気を遣わなければいけないんだろうから良いことばかりではないのだろうが、外から眺めている分にはそのバランスがきれいにとれている様子も好ましく思える。無責任というのは無重力ぐらい気楽なものだ。作業員は八人〜六人チームで、ひとりふたり初老すぎのおじいさんも働いている。若い衆に混じって現役で働いていてすごいと思うし、若い衆は若い衆で気を遣いすぎない範囲で大ベテランに対する気遣いができていて大人同士のコミュニケーションだと感心する。現場の敬老精神というのは見ていると自然頭が下がる思いがする。それで円滑に回る部分はあるんだろう。大ベテランは尊敬のまなざしの取り扱い方もうまい。ドライバーや自分のような外部の人間に対する間合いの取り方も達意を感じる。無口で作業中どこを見るでもなくぼーっと突っ立っている長身の立ち合い者。一番遅く現場入りして、何もしないで一日過ごし、作業が終われば一番先にそそくさと帰っていく無用者。
作業が巻いて十五時すぎには撤収できる。それを予期していたからあえて昼飯を食べずにいた。ベジ郎に行って一日分の野菜を摂取する。その後ミヤシタパークにいって芝生で寝転ぶ。昼寝をしたりNHKプラスで大相撲を見たりして午後の時間を悠々と過ごす。六時前にはスマホの電池が無くなったので下北に戻って帰宅。
家では何をするでもなくだらだらと過ごした。ペペロンチーノを作る。一番いい感じでできたが、ちょっと塩辛かった。満点をとるのはむずかしいが手際の面でも上達を感じる。筋肉体操をしてからシャワーに入る。二十二時すぎに外の空気を吸いがてら一回コンビニまで出かける。帰宅後日記を書く。SONNY BOYのエンドレスループ音楽を見つけてそれを聞いている。いいアニメだった。自分としてはあの作品を人にすすめたい。近くにいるのにめちゃくちゃ遠いという他人の感じがよくでているアニメだと思う。思春期特有の鋭敏な感覚でそれを表現できているからすごく鮮やかに感じられるというのはあるが、その問題自体は思春期に特有のものではないと思う。現場でも見ている近くて遠い微妙な距離感のことだ。

20240516

日記375


左チョコレート右堀田原


2024/05/15 昨日
渋谷出勤で遅く出ていいことにあぐらをかきすぎて出る時間が想定より遅くなる。到着したらちょうど朝礼中という微遅刻が一番気まずい。もう4回目にもなると立ち合いにも緊張感などほとんど残っていない。WEB ACROSSのインタビューを読みながら時間つぶしをする。そういうデータを集めているのだろうから当然といえば当然なのだろうが、皆ファションに対して真剣で、読んでいると少しずつ気後れがはじまった。三人にひとりぐらいの割合で自分の着ているものの説明にかなりの長文で答える、真剣さの度合いが大きい強キャラクターが表れる。よくぞ聞いてくれましたとばかりにつらつらつらつら喋っている様子が喜々としていて微笑ましいと同時に、着ていくものについて真剣に吟味検討を加えたうえで街に出てきているということの明確な証明でもあるので、全体的な印象としてはやっぱり気圧されてしまう。半分仕事着だというのはあるが、いま渋谷にいる自分の身なりがいかにもみすぼらしく、何も考えずに急いで着の身着のまま飛び出した朝の準備時間の浅ましさも思い出されるし、だんだん情けない気持ちになってきた。そのせいか十五時半すぎに解放されたのにもかかわらずどこにも寄らずまっすぐ下北沢に帰って帰宅することになった。お昼はデニーズの向かいの総合アジアンダイニングの店でチーズナンを食べた。
帰宅して大相撲を見る。幕内の取組をすべて見ることができた。出かける気にならずそのまま家でだらだらする。雨が降ってきた。日記ぐらい書くかと思ったところで二十一時前。同居人が帰宅してきたのでダンジョン飯を見る。三、四話分見てねむる。
この日はとくに何もしなかった。仕事時間中にグーグルアナリティクスの学習をすすめたぐらい。一応朝出かける前に三分間スクワットをしたのだった。帰宅して相撲を見たあとペペロンチーノを作った。そのあともう一回スクワットと背中の筋肉体操をしたのだった。今思えばだるい感じもあったし風邪の引き始めだったかもしれない。何もしないと思ったけど結構頑張っている。

2024/05/16 今日
その場のノリで演劇をやることになる夢を見た。それなりにうまくいったような、そうでもなかったようなという感じだったが、どちらにしても幕があいて最後まで通したのでその満足感はあった。昔参加した演劇祭で演出してくれた人に言われた「相手を見てそれに対して自分が何か言ったりやったりする」ということの意味がわかった気がした。昔本番のときに自分のやることでいっぱいいっぱいになっていたタイミングがあって、そのときには全然相手のことなんか見れていなかったというのが夢から覚めたタイミングでなぜかはっきり理解できた。そのときの記憶とともに自分の姿を自分で見るということがようやくできた。グッと入り込んでしまうことが自分にはあるし、何だったらそういうことは人より多いのかもしれない。対人関係というかコミュニケーションにおいての話だ。会話において集中できていないと感じることも多くなった。興味ない方向に進みそうになったとき、自分の興味ある方にぐっと引きつけるのではなく、そのままぼーっと興味ない話を興味なさそうに聞くということになっている。そんな消極的では会話の有意義さが半減してしまう。気をつけていきたい。というか体力をつけていきたい。
朝たらたら準備していたせいで乗るべき電車を乗り逃す。急いで虎ノ門に出勤したら一〇分前になった。やるべき仕事があったのでそれに費やしているうちに一日が終わる。そんなに寒くないはずなのに上着を脱げなかったし、喉が痛くなってくる感じがあったので早めに対処しようと思って十五時頃に隣のビルにあるドラッグストアまで出かけて喉の炎症に効く薬を買う。落ち着いて薬剤師の人に相談して一番自分の症状に合った薬を買うことができた。会計後さらりと「おだいじに」と言える素敵な女性だった。お薬はすぐに飲んだ。これで全快した! と言えれば良かったのだけど、退勤後、吉野家で頭の大盛りを食べたあとにもお薬を飲んだが、スタバにきて日記を書いている今も喉の痛みというか風邪の初期症状っぽい感じがなくならない。この後友人と下北沢で飲む予定がある。全快状態で迎えたかったがちょっと無理そうだ。

20240514

日記374

ファサードの青

2024/05/13 昨日
図書館で借りた『都市感覚を磨く観察学入門』という本のなかで、PARCOが主催しているファッションの定点観測を続けているWEBページが紹介されているのに出くわす。その名も「WEB ACROSS」。
上のようなインタビューページもある。自分がやりたいと思っていた企画がすでに実現されていた。しかも長期間にわたるプロジェクトなので有り難い。このインタビューを見ていると、いつもストリートで見ていながら普段は通り過ぎていくだけの人たちに実際に話しかけていろいろ聞いてみているような気分になれて本当に嬉しい。当たり前といえば当たり前だが、いろんなことを言っている人がいる。職業、収入、自由に使えるお金、家賃、居住地域、ファッションに使うお金、という情報にアクセスさせてもらえると、たとえ言っていることが陳腐な意見であったとしても、その一面だけ見てつまらない人間と判断することができない。(そもそも陳腐な意見というものが存在しない。これはインタビュイーへの配慮から言うのではなく、喋っている人とそれを読んでいるこちらとの時代がズレることで、同じ場所にいれば陳腐と感じたかもしれない言葉でも「ひとつの意見」として見えるようになるということだ。これはどれだけ近い時代、たとえば一ヶ月前でもそう感じられる。たとえ一ヶ月前、一週間前でもインタビューを受ける人はすでにアーカイブ・過去になっている。)答えてくれている人たちのことが知り合いを通り越して友人のようにみえてくる。「若さ」を持っている人は現時点での高いとはいえない収入を明かすことに躊躇が少ないんだろう。一気に友達が増えたような気分になった。
スタバを出て雨降るなか帰宅。わざわざ寄り道してコンビニのある道を選んだのに、どのコンビニにもカルピスの睡眠用飲料が置いていないという憂き目にあう。寄り道が若干の回り道になるのを押して、最後、頼みの綱のローソンに入ったら、残り”ひとつだけ”カルピスの睡眠用飲料が陳列してあった。思わず心のなかでガッツポーズした。街のほっとステーションは伊達じゃない。帰宅後、ダンジョン飯を一話見て二十三時過ぎにねむる。

2024/05/14 今日
朝の準備に手間取って、乗るべき電車の時間に遅れて駅についたが、予想通り電車が遅れていて乗りたかった電車に乗れた。晴れていたのでスニーカーで出勤。出社してからは昨夜見つけたWEB ACROSSのインタビュー記事を読み漁る。2023年の下北沢からスタート。皆知らないブランドのことを追いかけているし、知らない店に行ってご飯を食べている。良い。
昼ご飯は「ばるぼあ」に出かけて明太子パスタの大盛りを食べる。昼からも研修動画を見たりWEB ACROSSを見たりする。
定時で退勤後、eyevan7285の190を見に行こうとミッドタウン日比谷のcontinueに行く。店員の人が優しくて色々教えてもらい、当初やろうとしていた、190のもともとの薄い色のレンズを濃い色のレンズと交換するというアイデアはあまりうまくないということがわかった。とりあえずお礼を言って店を出る。
日比谷から千代田線で一気に下北まで戻る。車内で大相撲の取組動画を見る。どういう事情なのかわからないが、先場所までの取組動画から改変があり、Webページのクオリティがかなり落ちている。自分は世の中はだんだん良くなっていく、とくにインターネット関連のUIは日々向上していくものだと思っているから、こういうあからさまな退行があると驚いてしまう。しかもNHKの事業規模でそういうことがあるのだから、これからいろいろな場面で今あるサービスが衰えていくのは珍しいことではなくむしろ普通のことになっていくと思っておいたほうが安全かもしれない。ファミマのセルフレジは出た当初にはローソンに比べてすごく使いやすかったのに、本当にどういう仕組でそうなるのか不明だがローソンに寄せるかたちでちょっと使いにくくなっている。理由はいろいろあるんだろうがごく大雑把に言って、「お邪魔者」というボードゲームにおけるサボタージュ役のように、邪魔を仕事にしている人がいるということだろう。たとえばIT業界でも、めちゃくちゃ優秀な人がいるのは間違いないが、できるだけ働かないほうがいいような人も数多いということだ。NHKの相撲動画についていえば、改変担当者は間違いなく何もしないほうが良かった。大方予算の関係でこれまで外注していたものを自分たちでやるようにしたorもっと安い業者にたのんだということなのだろうが、その判断をする人がいない方がよっぽど公益にかなった。一部のコンサルや管理職は自分がいないほうが仕事がよく回る、無駄が少なくなるということを認めないで、しかもしゃかりきに働くから余計始末に悪いというのは言い過ぎだろうか。お邪魔者の我々は社会のためを思って、一切働かないのは無理だとしてもできるだけ少なく働くよう努力しないといけない。優秀な人が走り込んでシュートを打てるようスペースを空けること。フリーだからといってスペースに走り込まないこと。コインを多くもらえるコース取りをするというのは単純に自分のためになるから、邪魔にならない範囲で各自励むのが良いとは思う。大相撲の内容としては明生の勝ち方が明生らしくて良い取組だった。あと懸賞を手に持って引き上げてくる熱海富士の懸賞二度見と、付き人に一回渡してもう一回受け取る動作の一連が熱海富士らしくて良い場面だった。一方で霧島はやっぱり不安になる。負け方もわるくて大関らしいとはいえない。
スタバにくる。『都市感覚を磨く観察学入門』読了。もともとある街のイメージをそれらしくというよりそのまま書いてあるだけなので内容は単なる固有名詞の羅列。感想文にさえなっていない。それでも「WEB ACROSS」の存在を教えてくれた書として、自分にとっては格別の価値があった。
昨日取り組んでいた、夢から得た感情を文章に移し替えようとする作業は、冷静になってしまい続けられなくなった。昨日の発熱からは信じられないほどの平熱。この続きは明日やろうと思ってMACをリュックに仕舞ったとき、こうなることをすでに予想していた気がする。むやみにあせらず、ふたたびの発熱を待とう。

20240513

日記373

本の終わり

2024/05/12 昨日
二十時にスタバを出て同居人と合流。最初は俺流餃子楼に行こうとしたが、昼飯のペペロンチーノにニンニクを使っていたのでニンニク被りになってしまうことに直前で気づく。スズナリの方から回って「般゜若」というカレー屋に向かう。イカスミカツのカレーを食べる。衣がさくさくで美味しかった。カレーもすごく特有の感じで美味しいのに客が自分らふたりしかいなかったのが不思議。下北沢にきて飯食うやつは大半が節穴なのでまあ仕方といえば仕方ないのかもしれないがそれにしても、それにしてもだと思った。
帰宅してダンジョン飯を見る。二話のつもりが三話、三話のつもりが四話となって、結局ファリンが復活するところまで見る。翌日に備えて早めにねむる。

2024/05/13 今日
七時半に起床。夢を見る。過去をひとつの夢に大集合させたような前後編に別れた超大作だったような気もするが、ところどころ忘れてしまっているなか思い出せる部分を思い出しているとやっぱりすかすかになってしまい、自分の過去の集大成というのはかなりすかすかなのでは? と自分と過去の自分にとってギルティーな感想を抱いてしまった。
雨の中出社する。迂回経路をとらずに行ったのに到着時間がぎりぎりになった。危ない。到着してからは先週分の溜まったタスクをこなす。午後までにはあらかた片付けてしまったので研修資料を眺めるふりをしながら夢の内容をできるだけ思い出そうと努める時間にあてる。
定時で退社。帰りの銀座線車内で大相撲を見る。定時に上がれた場合、結び前の三番は見れる。先場所からかなり不調そうで昨日も負けていた霧島が平戸海に勝った。ホッとする。照ノ富士と貴景勝は本場所を休場。仕方ないけど現地まで見に行っている人はやっぱりさみしい思いをするだろうな。
渋谷でサングラスをちょっと見てから下北に戻る。eyevan7285の190。

スタバで見た夢を思い出したり日記を書いたりする。進捗というほどの進捗もないが見た夢に夢中になっていつの間にか二十二時前になる。読書の時間がとれなかった。仕方ない。それに書いたりすることに時間を当てるのは読み物を読むよりも優先度が高いから本来望むところのはずだ。

20240512

日記372

青空電線横断歩道花壇

2024/05/11 昨日
スタバを出て晩飯をどうしようか考えていると、ペペロンチーノを自作するというアイデアを思いついたのでそれを実行することにする。ペペロンチーノぐらい自分で作れるような人間でいたいと思ったからだが、そう思わせた動画がふたつあって、ひとつはJKIG(ざっくりYouTube)のペペロンチーノ-1グランプリを企画したいという小籔の話。もうひとつは鎮座DOPENESSの対談動画で「ペペロンチーノぐらい手際よく作れますよ」という鎮座の発言。すべらない話も、ラップライブも、自分にだってできるとはまったく思えないが、ペペロンチーノを自作するということだったらできるはずだと思って、新しく何かをやってみるのは原則として良いことという方針に沿ってやってみることにしたのだった。
閉店間近までスタバにいたこと、その後駅前で氷結を一本飲んでストリートを見ていたこと、買い物に時間がかかりすぎたこと(とくに鷹の爪が全然見つからなかった)が合わさって、二十三時半すぎに量を作りすぎたペペロンチーノを食べる羽目になった。分量を守ったので味付けは概ね問題なかったが、最初なんだしどう考えても「一人分」から作るべきだった。貧乏性のため料理するときに「一人分」で作るというのができない。時間が勿体ないと感じられからだ。最初の一口はうす味、最後の方はちょうどいい味付けになった。しかし、温度は最初のほうが温かくて最後の方は冷たくなり始めていたのでその分も「ベストのペペロンチーノ」には遠かった。基準点ができたのでこれから上達していければいいと思う。睡眠用カルピス飲料を飲んでねむる。

2024/05/12 今日
九時半に起きる。スクワットと腕立て伏せの筋肉体操をやってから家で読書をする。お昼にはペペロンチーノチャレンジDAY2。昨日の反省から一人分を料理することにしたがオリーブオイルを入れすぎたかもしれない。昨日の倍量と思って入れたのと変わらない量を投入した。そのせいで油っぽくなってしまったと思うのだが、うまく乳化ができていないと油っぽくなるとレシピサイトに書いてあったのでそのせいかもしれず、ちょっとよくわからない。しかし各種の作業タイミングや段取りについては二回目にしてしっかり向上している。味付けはちょうどよかったように思えるし分量も一人分で間違いないと確信した。三回目にしてベストのペペロンチーノに到達してしまうかもしれない。それでなくても工程についてはもうマスターしたこともあるし、すでに飽き始めの兆しが見られる。
グーグルアナリティクスのチャプター5のモジュール2に取り組む。昼間は出かけないことに決めて大相撲初日を見る。幕内力士の顔と名前が頭に入っている状態で初日を見るのは面白い。あとはやっぱり勝っても負けても力士は最高の表情をするからいつか現地観戦してみたいもののテレビ観戦が一番良いのではないかと思う。ノウハウの蓄積があるのだろうと思うが、スイッチャーの仕事が本当に完璧だ。こっちが見たい顔をしっかり抜いてくれる。
小結の大の里が横綱照ノ富士から金星を上げたのを見てスタバに出かける。五月場所初日は四大関・一横綱が全敗という波乱の幕開けになった。試供品でもらったゾーンでカフェインを摂っていたのでスタバではゼンクラウドウーロンティーラテを注文する。日記を書く。予約していた『都市感覚を鍛える観察学入門』を図書カウンターで受け取っていたのでそれを読む。

20240511

日記371

ローアングルかもしれない

2024/05/10 昨日
渋谷出勤。作業の立ち合いなのでやることは何もない。遅めに家を出ることができる。昼休憩時間が倍以上ある。普段より一時間半ほど早く帰れる。良いことしかない。休憩時間に久しぶりにグーグルアナリティクスのコースを進める。遅めの昼飯には下北にもあるはんさむという蕎麦屋で天丼と蕎麦セットを食べる。天つゆひたひたの天丼とつゆの濃い味は酒ありきの濃すぎる味付けであまり好みではなかった。店の雰囲気は良いし、東京の昔ながらのスタイルなのだとすれば迎合しようという気がないではないが、自分はなんだかんだ言ってやっぱり関西のうす味とうどんで育っているのだとあらためて思った。
仕事終わりに一旦家に帰る。荷物をおいて着替えてからすぐ北千住行きの電車に乗る(代々木上原で乗り換え)。北千住での飲み会は「昔懐かしの」でありながら新しい展開がある近況も聞けて楽しかった。早い時間開始だから入れた気になっていた餃子の店ラスベガスはまあいい感じではあるが、今風の見せ場をきちんとキャッチアップできて人気が出た店という感じでそこまでの注目に値する場所ではなかった。あてもなくうろついて見つけた二軒目のメキシカンは二軒目にちょうどよかったのがよかった。半外の席も今がシーズンという感じで楽しめた。終電を気にしないでいい時間帯に解散。頭を回すほうが楽しい会だし、そこまで酒を必要とする感じでもないので次はノンアルコールの企画を考えたほうが良いかもしれないと思った。

2024/05/11 今日
八時半に起床。寝不足になるが二度寝できる雰囲気はなかったのでそのままスタバに出かけてしまう。いろいろ考えたいことがあるのに考えをそのまま書くということを憚る気持ちもあり、それを発散させないまま内部で練り練りして何かの形にできないかということを思った。それには今のこの気持ちをフリーズドライのようにして記憶を維持する必要があるのではないかと思った。日記にして公開するのではなく、身辺雑記のなかに放り込むべきだという気持ちがあるが、せっかく文字にするものを日記に入れないのは勿体ないという気持ちも働き、葛藤は静観で終わるものだから結局何もしないままになる見込みだ。その記憶の保持について何もしない流れをこのように記述することに意味はあるのかと思わないでもないが、そういう意味のうすいことをするのは嫌いではない。それと昨日ナボコフのエッセイ『良き読者と良き作家』を読んだ。まず思ったのは「これはその通りだが、とくに目新しいことを言っていない」という感想だった。ただ少し考えると、この有名な文章について誰かが引用したり取り上げたりしたのを又聞きのように聞いていて、それに深く納得して今の自分の考え方がそう方向づけられているのではないかと思った。小説を読んでそれについて語るというときの基盤にするべき考え方であるのは間違いない。そこからどれだけ離れられるかということが結果的に重要になるということもあるにはせよ、スタートはつねにここから始めないかぎり、小説を読むというスタートにそもそも立っていないことになるのは絶対に間違いない。十人十色の読みだとか、人それぞれ受け止め方とかいう前に、共通の前提になるまさに基盤部分の考えだというのは間違いない。その意味でこの短文は小説読者にとっては必読だ。そうそう、その通り、当たり前、どんな肯定のリアクションでも良いがこれに同意しないと次に進めないサービス約款のような文章だといえる。小説をよく読むという人ほど頷くところも多く、しかもそれは深い首肯になるのではないか。もっともわかりやすく実践的なところで言うと、再読する以外、小説を読むとはいえないと断言しているところだ。物語の筋運びを把握するのが一度目の読みで、それは小説を読む準備にすぎず、小説のもっとも良い部分を味わうためには全体の筋や登場人物の顔つきを踏まえたうえで読むということが必要になるというのだという。これは優れた小説作品であればあるほど厳密に適応される条件であり、もし暇つぶしに読むというだけでそれを済ませていいと考えるのであればそのような手順を踏む必要はない。そういうわけできちんと小説を読むということはそれだけでかなり時間を要する娯楽だといえる。
お昼時になったのでザピザという下北の五叉路にあるピザ屋でピザ四枚とコンビニでキリンの缶ビール(一番搾り350、ラガー500)を買って帰る。帰宅してダンジョン飯を二話分見ながらピザパーティ開催。昼日中、とくに天気が良い一日をこうやってむざむざ潰すことの贅沢を味わう。これこそがまさに「豪華な浪費」だ。 うまい言葉を見つけてそれに飛びつく生活と精神生活。
昼から飲むビールとピザの満足感によって当然のように昼寝に移行する。最初は二〇分間のうつもりで寝っ転がるが、アラームやタイマーのたぐいをセットする気も起きず、気がついたら夕方といって差し支えない時間帯になっていた。今週は二度洗濯機を回しているのにもかかわらずそれなりに洗濯物が溜まっていたのでダメ押しで洗濯機を回し、それを干したり出かける準備をする。ドラマに対してそうするように半分まで見ておいておいた『ドライブ・マイ・カー』の続きを見る。劇中劇がパズルのように結び付いてそれが反応を起こす様子はやはり見事なものだと感心してしまった。役者として演じていないように見える・演じているように見えない車内での会話シーンの岡田将生はオープニングナイトのジーナ・ローランズを思わせる最高の空っぽ演技だった。顔が美しいと「空っぽ」が良いものとしか見えないのもあるかもしれない。ただちょっと冷静な判断がつかないような高みに上り詰めているということは言えて、その真贋を見直したり一時停止するなどして解明したいとも思わない。
本日二度目のスタバに出かけて日記を書く。ナボコフの『文学講義』を読む。ただ取り上げられているオースティンの『マンスフィールド荘園』を読んでいないし、フローベールの『ボヴァリー夫人』も面白く読みながら途中で投げ出している状態だったと思うので、それらを読んでから講義を受けるのが筋だろうという気がしている。しかし、文学講義を受けるのは今よりもっと良い読者になろうとしてのことではないので、取り上げる作品を読んでいないというのはまあ仕方がないことだと考えることにする。読者として悪い読者というより読者ですらないということだが、それはそれでべつに構わないということだ。
スタバに行く前に見ていたのは鎮座DOPENESSのインタビュー動画だ。この人はひょうきんで格好いい見た目をしていて喋る内容も面白い。彼が自分の書いた小説の登場人物だったら良いのになと自分でもよく意味の通らないことを思った。制作する自分と生活する自分をわけて考えない、いつも同じになっているようにするという趣旨のことを言っていて「うんうん、そうだよねえ」となった。鎮座の発言は、俺が俺の小説内に存在させようとした人物が本当に言いそうなことで、彼が頷いているのだ。

20240509

日記370

表情双六

2024/05/08 昨日
『フェイシズ』を見る。今回のカサヴェテス特集のなかで一、二を争う良い作品を最後に引けて幸運だった。チャイニーズブッキーを殺した男とオープニングナイトにも匹敵すると思う。タイトルコールからの十五分間がいきなり最高潮で、壮年をはみ出しつつある二人の男が向かい合って何をやっているんだという当然の疑問を置き去りにしてとにかく楽しそうに笑い合っていて、思わずつられ笑いに引き込まれた。最初唖然として、そのあと笑いがあって、最後に遅れてだがちゃんとやってくる哀愁があって、そのどれもがそれぞれ滋味深く感じられた。哀愁が尻切れトンボにならないよう、それこそ取ってつけたような場面転換のための破滅場面が後に続くのだが、それら全体を俯瞰で見たときにもう一度笑えるという良さまであった。男が女を笑わせようと何かを言ってみたり、女が男のジョークになんとか協力しようと面白く受けたりする様子には生きるか死ぬかの必死さがある。こういう場面に既視感があってしかもそれは画面越しによく眺めているものだということに気がついた。お笑い芸人が大変な思いをしながらもその才能をきらめかしている場面によく似ている。相手のために始めたことなのに相手を置き去りにして笑わせようという意図だけが先走って暴走するところなど、俯瞰して見ればそれはそれでやっぱり可笑しいわけで、そういう全体の構図が現今のお笑い芸人の姿勢や態度から感じられるものと相似していた。全編通して笑いに満ちあふれていたが(甘いのも辛いのも酸っぱいのも苦いのもあった)、なかでも一番笑ったのはラスト、朝方の再集合の場面で、男が精いっぱい格好つけながらボロボロになった女に自分の怒りをぶちまけるところだった。透かしたりせず、問い詰めたりもせず、癇癪のようなかたちで怒って見せるということのユーモアを感じた。これこそアメリカ的な良さだ。しかし自分としてはその良さについて愛とは言わずユーモアと言いたい。
あとは最初のジョーク合戦で「ヤセている幸せなやつより太っている幸せなやつのほうが多いから太っているやつは幸せだ」「ヤセの幸せは自分が太っていないと思えることだ」というやり取りがあってそのシンプルな世界観に笑った。
終映後、雨降るなかを走って帰る。セブンイレブンでカルピス飲料とラインで請われたビールを買って帰る。せいろで蒸した肉まんを食べながらダンジョン飯(チルチャック回)を見てねむる。

2024/05/09 今日
渋谷出勤のため普段より一時間多くねむれた。雨の中を神泉からすこし歩く。最低限間に合わなければいけない時間には間に合ったが、メンバーのなかで一番遅れての出勤になった。気まずかったので明日は三〇分早く到着するようにしよう。
昼休憩で道玄坂のリンガーハットに入る。野菜たっぷりちゃんぽんを注文して食べる。折りたたみの傘を忘れて店を出る。満腹後モリバコーヒーで『なぜ漱石は終わらないのか』を読む。
仕事が十六時すぎには終わる。リンガーハットで折りたたみ傘を回収して下北に戻る。いつもより早くスタバについて、『古事記ワールド案内図』『ナボコフ文学講義』を読む。『なぜ漱石は終わらないのか』を読了。文庫版の補章に山崎正和『淋しい人間』についての言及があった。専門家というよりはオタクふたりが漱石をさかなに楽しそうに喋っているという印象の対談だったが、読むべき漱石論について一応の言及があったことにほっとした。
「いわば自己の能力と闘って、自分を行動の禁治産者にしている」「そこにはじつに豪華な人間能力の浪費がある」という一節があり、それについて圧倒的な反資本主義だという。「資本主義/反資本主義」という枠組みで考えるのは耳目を集めるための方便だからそれはそれでいいような気もするが、単にそのまま「豪華な浪費」とするほうがイメージの力強さを感じられる結果を得られるものを、わざわざわかりやすくしてその代償としてスケールダウンさせているように思えて不満がある。これはこの本全体にも言えることで、ひょっとするとある程度から先の文学研究全般がそうなる運命なのかもしれないが、もともとは補助線を引くための優秀なペンとペン捌きで、勢い余って光の輪郭まで描き込もうとしたミスではないかと思った。粋じゃないことをあえてする「野暮の粋」というものを想定しているのかもしれないが、そこまで付き合ってくれるほど読者は暇ではないと思う。面白い小説でも読ませてくれるのなら話はべつだが、そういう気配はないし。「豪華な浪費」について金力のことではなく、時間についてそれをするというなら興味があるけれど、巷にいくらでも溢れているケチな浪費のひとつにすぎない。そんなことをするぐらいなら漱石の小説を読み直すほうがよっぽど豪華で良い。豪華ということにこだわっているのは反・反資本主義だと言われるかもしれないがこればかりはしょうがない。

日記812

すすめグリーン 2026/10/21 昨日 7760 20時過ぎにスタバを出る。通例になっている駅前での飲酒。氷結レモンの一口目が気管に入りそうになって噎せる。ミカンの入口でモーツァルトを聴きながらしばらく往来を眺めて過ごす。IQテストについて次のようなこ...