自由時間に
2026/10/14 昨日 20808
大手町に行って仕事の用事。感覚的にまったく不必要と思われることでも、責任の所在とセキュリティの概念を組み合わせれば仕事になる。身体は建物に縛られていても頭は空いているのでその時間を使って『存在と時間』を読み進める。予定の作業時間を2時間すぎて16時近くまで同じカフェに居ることになった。休日でもそこまでいることはないという時間、同じ店の同じ席に座を占めていた。おかげでかなり読み進められた。暇ができれば動きたくなるもので、予定していたバスケ参加を一日早めた。中野第五中。明るい体育館でリングも多いからという言い訳もありつつだったのだが、やはり中二日の休息では足が完全回復しておらず、そのせいで消化不良とは言わないまでもじゅうぶんにハッスルできなかった。シュートフォームが抜群に安定してきれいなお気に入りの上手いプレーヤーがいるのだが、彼が怪我するところを見てしまった。古傷の再発っぽい感じでリアクションから察するに「またか」という感じだった。怪我がちなプレーヤーはレベルを問わずはかないものだ。行きはLUUP、帰りは酒を飲みながら歩いて。行きはまいばすけっとで通報されたらしきおっさんが警察官相手に「嫌です」と大声を出して抵抗しているのに出くわし、帰りは下を向いて歩いていたら道端にねずみの死体が落ちていてびっくりした。タオル地のハンカチの上に横たえられていた死体にやや心なぐさめられるような思いをしたが、よくよく考えれば死んだものにとってはどちらにしても同じことか。
セブンのタンパク質の摂れるサンドイッチを食べて寝る準備をして寝る。
2026/10/15 今日 6105
この日も大手町で前日と同じ用事。『存在と時間』を読み進める。作業は14時に終わり、下北の豚とんで小ラーメンを食べて帰る。プリンタニアニッポンを読む。仕事は順調に溜まっていっているのでとくに優先度の高い数件だけ簡易的な処置をする。1時間弱の残業をしてから退勤。スタバに行く途中、K2を覗くとエドワード・ヤンの『海辺の一日』を上映するのを見つけて、スタバのあとで見に行くことにする。演劇祭の俳優仲間がスタバにいたので軽く挨拶だけする。プレシーズンマッチを見ているうちにNBAの見方を発明した。つまり、一選手だけを追うというものだ。自分のプレーを動画で見ていると、いいわるいの判断とともにプレー選択の意図を見て取れるようになる。それと同じことを出場選手に対して行うということだ。ボールを中心に視線を動かすと印象はスーパープレーやシュートの成否ということに終止して、それだと目まぐるしく視線を動かしているだけになってしまう。NBAのようなショーにおいてはとくに、よくもわるくもそれだけで退屈しないで満足できてしまう。ただスーパープレーの印象の上書きをしているうちにその年の一番つよいチームが決まるということだと、それは必ずしもバスケの楽しさとはいえないかもしれない。対して、一選手に注目する見方をすると、なぜそこに走り込むのか、なぜ無理に行かないのかあるいはなぜ無理に行くのかというプレー判断の部分で楽しめる。スペースがあってある程度フリーでボールを持てればダンクをぶち込むのは決まりきっていることなので、ある選手はどうやってそのシチュエーションを作っているのかに注目するということでもある。カリーを始めとする3Pシューターの動きにしても同様だ。そして一選手に注目する見方をしていると、無理やりそこに割り込んでくる選手がいる。それこそがスーパーの付くスターで、そういう選手の輝きを見るにはその選手をじっと見ていないでもいい。向こうからこちらの視線を奪ってくるのがスーパースターという存在だからだ。