20240508

日記369

川の流れのように

2024/05/07 昨日
図書館の閉館時間までいる。帰り際に池澤夏樹の『古事記ワールド案内図』を借りていく。ナボコフの『世界文学講義』は別の館にあって借りれなかったので世田谷図書館で予約する。帰りの電車で『なぜ終わらないのか』を読む。最寄り駅で降りて睡眠用カルピス飲料を買う。帰宅するとBが寝ている。台所に昨日の残りのお好み焼きがあったのでいただく。筋肉痛がひどいのでプロテインと睡眠用飲料を飲んでからねむる。すぐ寝付くつもりが「死の恐怖」が現れたせいでねむるのに手間取る。死の恐怖が出現したのは次の連想による。自分には失われた歯がある。一度抜いた歯は生えてこない。だからこれからの生涯をずっと抜いた歯がない状態で過ごす必要がある。ただこれからの生涯ずっととは言っても無限に続くわけではない。終わりの時はくる。これまでの生涯にはなかった不可逆な変化としての老いを感じ始めたことで、しばらく落ち着いていた死の恐怖が復活したのか。そうだとするとこれから大変だ。理由はひとつということはないだろうが、生活上の不安や嫌なことがまったくないせいで、「死の恐怖」がその穴埋めをしようとしているというのも考えられる。そうだとするとそれでは収支が合わないので、穴にはめるための不安や嫌なことを考えついたり、そういう方向に進むように意識するほうが長い目で見るといい考えだという気がする。

2024/05/08 今日
睡眠時間を十分とったおかげで快適な目覚めになる。スクワットをしてシャワーを浴びて出かける。余裕を出しすぎていつもより一〇分遅れてしまい、二本遅い電車に乗ることになる。さすがに遅刻するかと思ったが、とくに走ったりすることなく五分前には端末を起動することができた。一日通して調子は良かったのだが、唯一、シャワー前に手に取った着替えのヒートテックが生乾き臭のするものだったせいで終日若干臭い状態になった。これがどのぐらいの臭さをまとった状態なのかわからないが「まあそういう日もあるよな」で済ませて一日過ごせた。昔はそんな堂々とはいられなかっただろうしこれは確実に中年の構えなので、一日それで過ごせてしまったというのが自己イメージからの発言になると思うのだが、それにしても先に出てきたのは「過ごせた」という不可能が可能になったことを悦ぶ言い分だったので、これはもう自己イメージから構えが変わっているということかもしれない。
仕事は忙しく、翌日翌々日が終日作業立ち会いで潰れるからどうしても今日中にやっておかないといけないということもあり、仕方なしに三〇分間残業をする。雨降りだったので虎ノ門から表参道経由で下北に戻る。スタバで『なぜ漱石は終わらないのか』を読む。日記を書く。二十一時からはカサヴェテスの『フェイシズ』を見る予定。
漱石を再読すると初めて読んだ頃の記憶がよみがえるのにあわせて当時の感覚もよみがえる。小説の記憶よりも漠然としていてほとんどぼんやりと思い出すというのにすぎないが、懐かしく思い出される記憶の尻尾がまだ動くのを感じ取って安心する。こっちだよといたずらっ子のように動くのを見て、それは思い出の全体というよりはほんの尻尾の先ぐらいのものなのに、じゅうぶん心強く感じられる。小説の方は読み直しているということもあってそれよりも確かに思い出せるから記憶の完全性はむしろそちらに任せてしまって、それは記憶の記憶ぐらいの曖昧さで良い。思い出すというよりはほとんど当時を偲ぶというように、かたちだけ、ただただ動作として振り返ってみる。タイミングよく吹いた風でめくられる青春の一ページ。『門』を読んで宗助を羨ましく思ったりしたこと。

20240507

日記368

今日は楽しいハイキング

2024/05/06 昨日
映画『こわれゆく女』を見る。これまで見てきたカサヴェテスは都合七作品だが、そのなかで一番感心しない映画だった。退屈しないしよくできているとは思うのだが、精神的にきつかった。いたぶられているような気がした。愛なんていうのはろくでもないものだという反抗的で挑戦的なメッセージには目を瞠るものがある。しかしそれにしてもここまで露悪的にやられるとつい愛の肩を持ちたくなる。たしかにろくでもないやつだよなと一緒になって詰ってやりたいのにそうすることが禁じられているようでヤキモキさせられた。そうすると愛憎劇としてよくできているんだろう。昔見たディカプリオのレボリューショナリー・ロードを思い出した。シリアスでユーモアがないというのだったらまだ逃げ道もありそうなところを、上滑りして固くなった笑えないユーモアを随所にはさんでくるからタチが悪い。最後まで追い込まれた。しかも何の解決もないまま音楽がかかりエンドクレジットが現れて嘆息した。こんな映画を面白がって見ることはできない。映画を見ながら朝方か昼間に見た夢を思い出していた。たくさんの蝶々が寝室に現れてそれらが自分の身体を恐れずに近づいてくるから間違って踏み潰してしまわないように気をつけるんだが、次々近づいてくるから寝返りをうつ拍子に手で踏み潰してしまいそうになって焦るという内容だった。身動きしないでいることが限界になって手が蝶の上に覆いかぶさったのだが、蝶がさらに小さくなり透明にもなったので大丈夫ということになって安心して寝たのだった。映画館にすこし大きめの虫が飛び回っていて時折スクリーンに自分の影を写してアピールするということがあったせいでこの夢のことを思い出した。映画が終わったのが二十三時半すぎ、翌日は出勤なので可及的速やかに帰宅し、いそいでねむる。

2024/05/07 今日
昨夜すぐにねむるために買って帰ろうとしたカルピスの睡眠系飲料がコンビニにおいていなかったので仕方なくヤクルト千で代替したせいか、悪夢を見た。
昔の遊園地にある古ぼけたお化け屋敷のようなフロアにエレベータを見つけ乗り込む。すぐ上階に行って電車か何かに乗って帰りたいと思っていたのだがエレベータだと思って乗ったのがアトラクションのゴンドラで、幼馴染といっしょに焦りながらフロアを巡ることになった。最初幼馴染の乗ってきた車に一緒に乗せて行ってくれるという話だったが、アトラクションのせいで想定外の遅れが出たので自分の目的地に直行すると言ってどこかに行ってしまい、置いてけぼりにされてしまった。そこから場面が昔住んでいた自分の部屋に移り、良くない何かを栽培していたところ、それは法に反するというよりも著しく道徳に反する行為だったようで、嫌な予感はしたのだが、ちょうど窓から覗き込んできた両親に見つかった。果物ナイフを持った彼らに追い回された挙げ句、こちらをまっすぐ見据えながら刀身の短いナイフで自死されてしまった。その際に「自分のやったことを思え」と言われ無理に反省を強いられた。
最低の気分で朝の準備をして出勤する。たった四日間のゴールデンウィークと引き換えにこれだけ最低な朝を迎えさせられるのはどう考えても割に合わないと思った。朝の電車もぎゅうぎゅうに混んでいてつらかった。しかし、代々木上原で目の前の席が空いて座ることができ、霞が関からの徒歩移動でも雨に降られないなど、徐々に盛り返していった。昼ご飯におにぎりを食べる頃には気分的にも落ち着いて平静を取り戻した。休憩時間に昼寝をして完全復調した。
仕事はわかりやすい五月病で、そもそもなんでこんなくだらない仕事をやらないといけないのかと考え出したり、きれいな労働環境でそれが何より気に入っていたのに、ほんの細かな汚れが気になり始めたりした。しかしそれもおそらく悪夢や寝不足の影響で、気分を取り戻してからは気にならなくなった。定時で退勤する頃には職場から颯爽と歩き去ることができていた。吉野家に行って「から牛丼」のあたまの大盛りを食べてから図書館にくる。『親密な手紙』『漱石はなぜ終わらないのか』を読み、日記を書く。

20240506

日記367

歩きスタンド花

2024/05/05 昨日
二十二時半の閉店時間までスタバにいた。そそくさと退散し、高田馬場で飲んでいた同居人がちょうど帰宅途中ということで駅前で合流することにする。下北沢真ん前に新しく設置されたベンチに座りながら氷結を飲み、鎮座DOPENESSの曲を聞く。お洒落な人の往来が目に楽しいところなのだが、明らかな酔っぱらい男女二人組が千鳥足で駅から離れてどこかへ向かっているのを見てしまう。それだけならなんということもないが、男か女のどちらかまたはその両方が嬉しくないお土産を置いていったおかげで駅員の人が大量のおがくずをもってきてその後片付けをさせられているのが目に入った。大量のおがくずを撒いてこんもり山のようになっていたのが見るも恐ろしく、またなんとも気の毒だった。
気を取り直して合流後、犬拳堂に行こうと思って店の前に来たちょうどのタイミングで「看板です」ということになる。仕方がないのでまちなかに行ってご飯を食べることにする。お通しのにんじんサラダとザーサイポテサラと納豆チャーハンをひとりで平らげてお腹いっぱいになる。飲み物は角ハイボール一杯。同居人はお腹いっぱいということでお茶とスープとごま団子だけを注文。それで四千円近いお会計になる。満腹からくる満足感はあるものの、すぐ食べてすぐ出たこともあり、慌ただしい一食の値段だと考えると高くついたとすこし後悔した。食事中、SNSか何かで流れてきたという桐朋高校かどこかの答辞がすごいという話だったのでそれを読み上げてくれることになった。一箇所知らない漢字の読みを使われているなど「小癪で生意気な!」と思わせられたが、内容については「風」を中心モチーフに据えているものの各部のつながりに生硬なところがある、まあ優等生の言いそうなことだなどと、答辞としての出来を”評価”するなど、酔っ払いのすることとはいえ十二分に情けないことを言いながらご飯を食べ終わって店を出た。後悔するべきところがあるとすれば何よりまずこの言動のほうだ。しかし、コロナ禍のなかで高校生活を送ることを強いられた世代として同情する面は多分にある。もちろんこの高校だけではなく、全高校生・中学生、それから大学生も同じことだ。もう一年二年前の世代は”自粛”が明けることのないまま卒業していったと思うと、今年卒業する世代はまだマシなほうだったかもしれない。少なくとも卒業にあたり自分たちの声を出せるほどには回復しているようだ。奪ったと慮られたり、奪われたと声を上げたりもできないままひっそりと卒業していった世代はいて、やっぱり彼らの答辞は聞こえてこなかったし、気の毒でならない。青春なんていうものは大概くだらないものだが、それがくだらないものだと自分たちの経験において実感しつつ、苦々しく振り返ったりすることはやっぱり大事なことだと思われるからだ。

2024/05/06 今日
前夜の就寝が二時過ぎになったのにもかかわらず、七時半に目が覚める。今日まで休みだが明日には出勤しなければならないので身体をならす意味でも、無理にも起き出して筋トレをする。筋肉体操の腕立て伏せの回をやる。昔から腕立て伏せが苦手で全然まともにできなかったが、その分効いている感じがあった。そのままスタバに出て読書。『親密な手紙』を読む。映画の感想を書こうと思うが思うように書き進められないまま昼過ぎになる。一旦帰宅して素麺を食べる。薬味たっぷりの素麺は、いつも素の素麺をすすっていた自分にとってはご馳走だ。歓迎で買って帰った鶏の唐揚げを付け合わせにする。
ダンジョン飯のアニメを二話分見る。その後昼寝。二〇分間で起きるつもりが、寝不足のためうまくいかず、結局二時間近く寝ることになった。
グラノーラを食べてスタバに出かける。日記を書いてから構想を練る時間にあてる。というよりは、仕事中の暇な時間にも考えを進められるだけの枠組みを用意するようにしたい。
二十一時からは映画を見る。カサヴェテスの『こわれゆく女』。

20240505

日記366

上には上

2024/05/04 昨日
朝起きて近所の映画館に向かい、カサヴェテスの『アメリカの影』を見る。カサヴェテスの映画はとにかく登場人物みんなハキハキ喋って元気いっぱいだ。当時のアメリカ人の映画ではといったほうがいいかもしれない。すこしばかりの衝突など物ともしない豪快さが全体に漂っている。くよくよしている人はいない。いたとしても「苦悩!」という感じでそれが表に出てくる。自分は昔放映していたという「元気が出るテレビ」という番組の世代ではないが、もし今それが放映されたら元気が出るだろうか。それとも時代の違いに戸惑い、げんなりしてしまうだろうか。どっちになるか見ていないので何とも言えないが、カサヴェテスの作品は自分にとっては「元気が出る映画」だ。いろいろ言えることがある面白い映画なのは間違いないが何よりもまず見ていると元気が出る。意図が感じ取れてきちんと収まりもあるのに緻密という感じがなく、撮って出しという感じが強い。それだからこその勢いがある。最初期の作品だという『アメリカの影』はそれをとくに感じさせた。映画の最後に「即興的演出で撮られた」というキャプションが入って、はっきり言って蛇足だと思ったが、役者がとにかくいきいきしていてセリフを言っているという感じがないのはすごい。登場人物みんながみんな、もともとそういうふうにハキハキ思ったことをいう人格だとしか思えない。昔だし多分そうなんだろうとこちらから枠にはめていく解釈も手伝ってそういう見え方が簡単に成立するところはあるんだろう。
途中で演技をしている人たちを見ている感覚がなくなっていることに気がついて驚くということがこの作品ふくめ何回かあった。とくに『オープニングナイト』は、劇の内外を舞台に据えているという構造も手伝って、虚実の境界線がわからなくなる瞬間がほかの作品よりも際立って長くあった。主役の女優が舞台に立っていない(=演じていない)ときの映像が本当に演じていないように見えるのがものすごい演技だと思って感動した。見ているときにはそれが演技だと感じられず、見終わってしばらくしてから「ああ、あれも演技か」と気がつく始末。
昔の映画館はおそらく今よりも劣悪な環境だったと思うが、それにも負けないぐらい観客の注意を引き付ける力が強かったのだろうと思う。すこしのセリフの聞き逃しやカットの見逃し程度では押しも押されもしない骨太の魅力があるのは間違いない。それでいて作品の繊細さにはケチのつけようがない、いや、つけようと思えばいくらでもつけられるだろうが、見た人はそういうことをしようとは思わないだろう。現代からみて良くいえば豪放磊落な表情のなかにも、微妙な揺らぎが含まれているのをまざまざと見せつけられるからだ。感情の機微を読み取りつつ、惜しげもなく前面に出てくる表情をかいくぐってアラを見つけ、そこだけ攻撃するという器用な仕事があったとして、そういった”正確な指摘”を無力化するだけの揺さぶりをかけてくる作品なのではないか。おそらく一切感情的にならないようにすれば指摘することはできるだろう。しかし、そのようにして無力化することができても、そうやって感情方面の音量をミュートにして映画を見ることにどんな意味があるだろうということになるのではないか。
批評家の仕事にはそういう一面がある。感情のボリュームを下げてべつの部分の音を聞き取り、その部分を論じることにはやっぱり価値があるからだ。ただ誰も彼もがそんなふうに映画を見ようとしたり、あまつさえ批評家のような態度で”個人の生き方”を論じようとするのは何かが間違っているような気がする。カサヴェテスの登場人物と批評家とを横並びに並べてみて素朴に考えたとき、自分は断然前者を支持する。批評家的な態度と距離があればあるだけそれを支持するというのでは逆に批評家を意識しすぎていることになるのかもしれないが、最近の自分はそういう考えだ。カサヴェテスの映画を見ることでいよいよその傾向がはっきり表れてきたと思う。自分の都合で好き勝手にいろんなツマミをひねくり回し、ボリュームをコントロールしたうえで作品を見るということをやっていきたいとは思うが、何かを見聞きするときに感情面の音を完全に切ってしまうのはやめておきたい。
ダイエーで昼ご飯を買って帰って食べる。ダンジョン飯を読む。面白すぎて読むのを止められず、TCBの友人たちとの待ち合わせ時間に家を出ることになってしまった。
一時間遅れになって西川口駅で合流する。高い建物が一切ない駅がこんな近場にあるとは思っていなかったので驚いた。ぎりぎり暑くない良い天候のなか、それでも途中アイスを食べたりしながら河川敷の方面に向かって歩く。ララガーデンで本屋に立ち寄り、はま寿司で寿司をつまみ、カルディでコーヒーの試飲をさせてもらう。フードコートの店紹介のサンプルを置いている什器が360度ビューの立方体のものではじめて見る形だった。
河川敷までの道すがら白地図ならぬ白新聞の無人販売所があったので物珍しさについ百円を支払って購入する。せっかく手ぶらに近い格好で出かけてきたのに百円を出して荷物を持ち運ぶことになった。冷静に考えればミスなのだが何かに使えるのではないかという直感が働いたので仕方ない。それに今まで見た新聞のなかでもっとも中立公正な新聞だったので、お守りにしたい気分も手伝っての購入になった。直前に陰謀論の話で盛り上がっていたのも影響したかもしれない。一番おそろしかったのは「地図を広げて実際に見てみると、アメリカの政治の中枢ワシントンと日本の永田町の二点を直線で結ぶことができる」というものだった。まさかそんなことが。それが示唆することを考えるとおそろしい。
あとは陰謀論については、それを誰か身近な人たちに広めようとするのは明確に害悪なので個人の趣味の範囲で楽しむようにしてほしい。また、相手は想定問答集を用意しているので安易に論難しようとしてもうまくいかないのでやるのであれば準備をして臨むこと、迂闊につつかないようにすることという結論になった。
河川敷に来るとテンションが上がる。ひらけた風景というのと下流ということもあって大量の水が流れるのでテンションが上がるのだと思う。途中大型トラックのラジコンを操作しながら自転車を漕いでそれについていくおじさんとすれ違う。思わず「格好いい」と声を上げてしまった。
ゴルフコースがありそこに便所とベンチがあったのですこし座って休憩する。昔やったゲームの話をすこしする。
じゅうぶん休んでからちょっと歩いた先にドッグランを発見。こちらで休めばよかったと後悔した。しかも隣ではクリケットの試合で遊んでいる人たちがいてそちらも興味深かった。
日が暮れそうになったので名残惜しく思いながら川口・赤羽の方面に歩を進める。途中山あいに沈んでいく日没を見る。結局赤羽で飲もうということになって橋を渡って東京に戻る。埼玉東京間の徒歩移動は初だったかもしれない。
いろいろ見て回ったあとキャベツというお好み焼き屋に入る。ひとり一杯ずつしか頼まないうえ、ブタのお好み焼きだけの注文のくせして三人のうち誰がどれだけ払うかと揉めていたところ、店のマスターに会計に不明点があると主張しているとの誤解をされ、電卓を持ち出して来られた。嫌味を含んでの電卓だったと思うが、それを使って律儀に計算をする友人が面白かった。一度は行ってみたいと思っていた店が晴れて二度と行かない店になった。値段にもそこまで不満はないし味は美味しかったです。
その後、威勢の良い入ってみたかった居酒屋に入ってガヤガヤした店内で飲み直す。こういう声を張らないと通らない雰囲気が赤羽の居酒屋に求めていたものだったので楽しかった。店を出てから歩き飲みをする。ララガーデンという商店街を通って公園へ。遊具にやる気を感じる広い公園で、季節もあってか各エリアに人がいて各々盛り上がっていた。サイファーをしている三人組もいた。居心地もよかったのだが残念なことに蚊が出て刺され始めたので退散する。


2024/05/05 今日
九時半ごろまでたっぷり睡眠をとる。スクワットをしてからダンジョン飯の続きを読む。朝食にグラノーラを食べてから背中のトレーニング。みんなの筋肉体操の動画が消えてしまってNHKインターナショナルのものしかなくなったので仕方なくそれを使っているのだが、もとのスクワットの動画でトレーニングしたい。
ダンジョン飯を最終話まで読む。これは優れたビルドゥングスロマンだ。イヅツミのキャラクターがとくに効果的で、イヅツミに対してパーティーメンバーがどういうことを言うかという描写があるからメッセージの伝達に無理がなくなっている。キャラクターの良い部分を引き出しやすい仕掛けということになるが、それがわかっていてもなお感動させられる。よくできている。
十四時半過ぎに家を出て昼ご飯を食べにいく。しかし目当ての店を決めていかなかったことで昼飯を探して流浪する羽目になった。ドンキでPSBを入手して昼間からビールを味わう。新台北という行ってみたかった店に行くことにする。噂に違わぬ良い店で、四、五品頼んだが全部おいしかった。オコゲにあんかけを落としてもらう料理が『鉄鍋のジャン』で見た通りのパフォーマンスで嬉しかった。
帰宅して昼寝をする。予定よりも遅く起きて十九時半ごろにスタバに出かける。日記を書く。

20240503

日記365

ランチどこにするミーティング

2024/05/02 昨日
渋谷のEnterというクラブでLiving Roomというイベントの10thアニバーサリーがあるという情報を得たので閉館一〇分前の図書館から飛び出て、霞が関から表参道、表参道で銀座線に乗り換えて渋谷へ向かう。とりあえずミヤシタパーク近くの歩道橋で氷結500を一杯だけ飲んで入るかどうかを決めることにする。一〇分近くで入ることに決まったのでマップで探し出してEnterに入る。一回だけ行ったことがあると勘違いしていたがそれは別のクラブだということが判明した。そこがコロナ中ということもあってかあんまり良くない雰囲気だったのでEnterのイメージはあまり良くなかった。それでも行くことにしたのはこの日記を書いているからで、あまりにも平坦な日常を公開し続けていると四角四面な人間だと思われそうなのでその打開を目指してのことだ。
クラブに行って踊るというのは、やったことない人からすれば非日常パーティ体験という印象だと思う。そしてクラブというのはそこにいかない人とは別のタイプの人が猛っているこわい場所というイメージがあるのだろう。クラブにはそういうモードがあるにはあるが、もともとそういうモード全開の変わった人がいるというよりはそういうモードに皆で入っていくというほうが近い。ほとんど誰とも喋ったことがないからそれも勝手な印象にすぎないし、変わっている人とそういうモードに調整している人の違いというのも傍目にはまったくないから外部からの最初のイメージや印象が的外れということにはならない。ただ変わっているというなら誰だって変わっているところはある。そういうのに寛容な薄暗い場所というのがもっとも中立的で客観的な表現ではないか。そこで全身に響くような大音量で音楽が鳴っているから、踊ろうかという気分にもなり、お酒の力を借りなどして実際に踊ることもある。ソロで踊ることもあればペアになって踊ることもある。自分はたまたまソロでしか踊ったことがない。
おそらくこの日の目玉で、自分が行こうと決心した理由にもなっているのは、あの鎮座DOPENESSがライブをやるということだった。二十三時前に入ると音楽の中、酒を飲んで格好良く身体を揺らしている彼の姿があった。何人かは勇敢にも声をかけていっしょにセルフィーを撮ってもらっていたが、クラブでそういう動きはしないでおこうというポリシーが自分にはあったのと、もっと大きな理由として勇敢さが少々足りないのとで羨ましさに心の平穏を脅かされながら、断固として踊るという姿勢をつらぬいた。
そうやって途中椅子に座りなどしながらしばらく踊って、二時からライブが始まる。圧巻の一言だった。あっという間に所定の三十分間がおしまいになった。勉強不足で知ってる曲は一曲もなかったが、そんなことは一切関係なかった。言葉を使って周囲の群衆をこれだけ湧かせられる人がいるのかと驚きだった。うねりを作り出している人が真ん中にいる、そこにみんなの目が釘付けになるという自然発生的で避けようのない構図。彼のスタイルは本物感があって格好いい。四十三歳だという。フィジカル的なトレーニングを欠かしていないんだろうなという感じがあった。
さすがに疲れたが根性で歩いて帰宅。ほうほうのていで家に帰り着いたのは三時半すぎだったのだが、なんとそのときにもまだ同居人が起きて仕事をしていた。すぐにねむる。

2024/05/03 今日
十時前に目覚めて寝不足コースになりながらも洗濯機を二回も回す。昨日の晩御飯の残りをブランチとしていただいて昼寝をする。二十分間のつもりが手違いで六十分間になる。遅刻気味で渋谷の上映会にいく。スパイダーバース1と2を見る。1も相当良かったが、一時間の休憩ののちに始まった2が本当に良くて始めてみたときと同じぐらい感動した。クライマックスの展開の妙と盛り上げに対して他の観客が思わず息を呑む様子があり、そういう雰囲気を感じ取りながら見れたのがよかった。ラストシーンのグウェンの最後のセリフが決まったタイミングで拍手が起こってそれがすごく嬉しかった。グウェンと父親の対話シーンで鼻をすする音が聞こえたし、仲間といっしょに映画を見ているという気持ちになれて上映会に期待していたことが本当に実現した。行って良かった。
ほくほくしながら下北沢にもどり、エキウエのスタバに入って日記を書く。前日図書館で見つけて借りた『なぜ漱石は終わらないのか?』『親密な手紙』を読む。前者は漱石学者同士の対談。後者は大江健三郎が新書に書いたエッセイ。硬さと柔らかさが少なくとも二軸あるのだということがはっきりする二冊の並びだ。
下北で飲んでいる友人と合流しようと思ったが時間が合わず断念。ご飯を食べて帰る。

20240502

日記364

手前に折り返して降りる

2024/05/01 昨日
スタバを出て駅前で同居人と合流。酒を飲まずにカルピス睡眠飲料を飲んで帰宅。Bがねむるより早く寝る体制を整える。すぐに入眠とはいかなかったがそれでも十分な睡眠時間を確保できた。

2024/05/02 今日
よく眠れたので一日調子が良かった。一週間分の仕事を午前中すこしと午後すこしだけで済ませてしまい、あとは研修資料を読む。昼ご飯はばるぼあというパスタ屋で前回目をつけていたナポリタンを食べる。予想した通りおいしい。たっぷり量があるのも嬉しい。途中抜けて本屋に行くのが定石になった。オシャレ系の本屋だが選書がそれなりにちゃんとしている気がする。どのくらいのペースで入れ替えがあるのかなども定点観測的に追いかけていきたい。
定時で上がって富士そばで夕飯。カツ丼を食べる。歩くのに気持ちいい天候でテンションが上りながら図書館につく。『藤原道長の日常生活』を読む。ところどころ主観で書かれてある箇所が目立ち、おそらく読者にわかりやすいようにという意図があるのだろうが、著者の言葉選びが合わない箇所も多かった。第一章と二章まではわりとちゃんと読んだがそれ以降は流し読みしてしまった。四章「道長の空間」六章「道長の精神世界」という格好つけた章立てがとくに気に入らない。奈良に浅からぬ縁があるということを知れたのは収穫だった。まあ講談社現代新書なので当たり外れはある。それにしても、自分の言いたいように言う、書きたいように書くというやり方でちょっと変わった方を”敢えて”選ぶとこんなにも反感を呼ぶ文章になるのだということが身にしみてわかった。新書を書く人の文章は必ずしも読みやすいわけではないというのと合わせて勉強になった。著者としては締めるべきところは締めて、あとは書きたい放題書いているというのがわかるから、どこか自分を見ているようで寒々しい気持ちになった。日記だからといって好き放題書こうとするのはよくない。そうは言っても好き放題書くのはやっぱり欠かせないから、せめて”敢えて”というのは選ばないようにしてむやみに飛び跳ねまわるのをあらためよう。できるだけ平熱で書くこと。そのための日記、そのためのルーティンだ。
聞き覚えた単語をすぐ不用意に使おうとする癖にしても、”敢えて”やっている感があってよくない。数学の言葉をはじめとして知らない世界の言葉は格好良くみえるから格好つけて使いたいのだが、あれは読む専用の言葉だと心得ていよう。使う気で使うというのではなく勝手に出たのであればそれは仕方ないし、多分そのときには意味もあり、じゅうぶん合目的的に使えていることになるはずだ。
そう考えてみると本当は使えないはずの読む専用であるべきはずの語彙が自分には多い。思想系の用語もそうだ。読むときにはわかるけれど説明することはできない。IT系の仕事で見聞きする単語もそうだ。最近聞いてあまり深く理解せずに使っている専門用語。しばらくは意識してそれらの言葉を使わず日記を書くようにしてみよう。そうすると何かについての感想の文章も変わってくるはずだ。偉そうなのは避けられないかもしれないが、脇の甘さはすこし軽減されるにちがいない。
使用語彙を増やすのではなく減らそうとすることで文体が完成していくのだという仮説を立ててみる。首尾よく実証されるということになればいいが。

20240501

日記363

明るい蛍光灯

2024/04/30 昨日
虎ノ門のタリーズを出て日比谷線で恵比寿まで。道中で『悪は存在しない』関連のインタビュー動画や会見動画を見る。恵比寿に参集するよう声をかけてくれた友人がすでに到着しているというので急いでむかう。選ばれたのは横丁だった。横丁で飲む。久しぶりの恵比寿横丁。割高の居酒屋メニューに舌鼓を打ち、いつも遅刻の友人を待って乾杯だけしてちがう店に移る。公衆便所感のつよいトイレが懐かしい。千葉からはるばるやってきた友人は思いつきでサイクリングをしたらしく、アップダウンのあるコースだったため太ももがパンパンだと言っていた。会うのもけっこう久しぶりだったが、普段そんなことはないのに思いつきで衝動的になんかやるところが変わっていないと思った。駅前の神座でおいしいラーメンを食べ、恵比寿に詳しい方の友人の知っているダーツのできるバーでダーツ矢を的に投げて遊ぶ。最初の方こそ調子良かったのだが、その店は千五百円のチャージ料を払うとダーツだけではなくカラオケも無料になるとのことで、おじさんが景気よく歌い始めた懐メロの威力に押されもして調子を崩した。自分のリズムで投げないと実力が発揮できない。言ってもわれわれもおじさんなのだが、もっと完全なおじさんに場を支配されてしまった。千葉に帰るため終電が早いというので十一時前にお開きになる。ダーツに負けて多めに支払いを払うことになったが、負けたし金は払うのに、とくに嫌な気もせず総じて楽しい会だった。そろそろお互いの元気を喜び合う年齢だ。
同居人の要請に応じてローソンでパイの実を買って帰る。帰宅してすぐシャワーを浴びてねむるが、それでも寝不足確定コースになってしまう。カルピスの睡眠の質を上げる飲料が品切れを起こしている。仕方なく代替としてヤクルト一〇〇〇を使う。

2024/05/01 今日
寝不足にしてはわりと寝覚めが良かった。さっと出勤してしまう。ぎりぎり雨が降り出さなかったので霞が関から歩いて出勤。総務省の作った資料の読み物をする。三日間かけて全部に目を通したわけだが、三日目にもなるとさすがに書きぶりに飽きて惰性で読み終わった。寝不足状態だったのも災いして、最後のほうは全然おもしろくなかった。郵政の部分など自分の職務にまったく関係ないわ興味ないわでなんで読んでいるのか謎だった。昼休みにファミマのおにぎりを一瞬で食べ、あとはまるまる昼寝に当てたら体調が回復した。その後研修資料のほうに戻って時間を潰した。途中、ビル内の本屋に行って本のタイトルを眺める時間をとったりしてなんとかやり過ごすような低調な日だった。寝不足にくわえて雨も影響していたのかもしれない。定時間際になって隣の席の人たちが何やら会話しはじめて自分にも関係しそうだったが無視して定時に帰った。なぜ定時間際になって必要な会話をはじめるのか。それまでずっと暇そうだったろう。知らんけど。
雨に濡れない経路で下北沢で戻る。結構な雨のなか吉野家に入って、予約していた散髪にいく。その後スタバに入って『ビルマの歴史』を読む。読了。四〇〇ページ超あるとはいえ時間がかかった。五月に入ったにもかかわらずあてつけたように気温が低い。十二、三度でヒートテックの上にスーツという出で立ちでも寒い。

日記812

すすめグリーン 2026/10/21 昨日 7760 20時過ぎにスタバを出る。通例になっている駅前での飲酒。氷結レモンの一口目が気管に入りそうになって噎せる。ミカンの入口でモーツァルトを聴きながらしばらく往来を眺めて過ごす。IQテストについて次のようなこ...