20240131

日記294

クレーンゲーム

2024/01/30 昨日
スタバを出たあと、ピーコックで買った氷結無糖レモンを飲みながら下北沢の古着屋を歩き回る。土土土でチキン南蛮定食を食べてからドンキホーテで買った氷結無糖レモンを飲みながら家に帰る。
帰宅後にはほとんど何もせずそのままねむる。たまに酒を飲むのはいいがこれを続けるのは違うなという気分になる。翌日は酒を飲まないで違うことをしようと思った。

2024/01/31 今日
在宅バイト。三青一茶の動画を見る。畳み込みについて。いつもながらきちんと理解できたとは思えない視聴で終わったが、いつの間にか数学の用語について注釈的に調べないでもなんとなくわかるようになっていることに気づいた。恐怖感が少しでも減ってこのまま馴染みになれればいいなと思う。円城塔の『長い豚の話』はもう佳境で5/6まで進んでいる。長い豚が出てきた。登場人物中でもっとも知性的なキャラクターだと思うが挿絵のビジュアルが豚なのでその発言についてもどうにも軽んじてしまう気がする。繊細なタッチの挿絵なのが逆に可笑しいというか。こういう愚かで前時代的な価値観にべったりな人間が読者に多いのか少ないのか。しかし少なくともそのイメージを利用しているのは間違いないだろう。神があるかぎり豚もまたある、とでも言おうか。
夕方頃にねむけがあったので温存していた昼休憩の30分間を使って昼寝を試みる。いざベッドに入って目を瞑ったらいろいろ考えてしまって寝付けない。ぎりぎり最後の5分間だけうつらすることができた。その5分だけでもあるのとないのとではぜんぜん違う。昨日はスタバで『数の値打ち』を読みながらねむたくて仕方なかったのに今日はもうすこしシャキっとしていられる気がする。
作業中に森岡龍のラジオを聴く。良くいえば等身大なんだけど、等身大でありながら目線は斜め上方向にあるので悪く言おうという気が起きない。お笑い芸人が共通して抱えている制限を持っていない分面白い存在になれるという気がする。ちょうど「さらば青春の光」というお笑いコンビの役者・映画監督版、世代が一個下バージョンという感じ。
ザ行なしでスタバにくる。今日はスタバ後に酒を飲まないで代わりに銭湯で汗を流すつもり。とりあえず『戦争と平和』『数の値打ち』を読む。
そういえば最近Bがスタバと言いはじめた。ここ三日で三回ぐらいスタバというのを聞いた。Bにとってスタバというのはどんなイメージのものなんだろう。あまり言うから「行きたいの?」と聞いてみたら「いたい」と答えてきた。

20240130

日記293

ラングドシャコーン

2024/01/29 昨日
スタバを出たあとバズストアとドンキに寄って帰る。グレングールドのゴールドベルク変奏曲を聞いてエッジーな気分になって道を歩いた。
帰宅後きんぴらごぼうと白菜と豚の鍋をいただく。無洗米ではないもののご飯も炊きたてでおいしい。有吉のゲーム番組を見終わってから日曜美術館の倉俣史朗回を見る。人物イメージは概ね合っていたと思う。夜の散歩はあえなく却下されたので大人しく早めにねむる。

2024/01/30 今日
在宅バイト。作業多めだが打ち合わせもそれなりにある日だった。体感では忙しくはないのだがつねにやることがある小忙しい日といえる。それでもザ行なしでスタバにでかけることができた。古本屋で『戦争と平和』を売っていないか確認したがひとつめの店舗では売っておらず、ふたつめの店舗は閉まっていた。みっつめの店舗は存在を忘れていたことに今気づいて行けなかった。『数の値打ち』を読む。『戦争と平和』をキンドルで読む。

20240129

日記292

待ち時間

2024/01/28 昨日
倉俣史朗のデザイン展を見に行く。千歳船橋で降りてダイチャリに乗って用賀近くまで。東京リサイクルの千歳船橋店に寄ってから展示最終日の十七時に滑り込む。東京リサイクルでは五月女寛の四角い一輪挿しが格好良くて気になった。倉俣史朗は事前の想像通りだったがわるくなかった。高度経済成長期が生んだ遊び人のひとりという印象。書く字にも文章の内容にも裏表を一切感じさせず、素直な人なんだろうと思った。たとえば書いている内容に「だけど」が多く、自分を守るために留保をつけようと思ったのだろうと感じさせるが、もっと高度に自分を取り繕うためにはそういった保身の身振りを隠そうとするものなのにそれをしていないことでかえって堂々としているように映った。ただ思った通りに書いて、書いているときにちがうことを思ったらそれに従うだけというような文章で、大人っぽくないところがあった。
見終わったあと歩いて用賀駅まで。田園都市線で三軒茶屋までいく。途中の千秋楽のハイライトを見て照ノ富士の優勝を知る。霧島を寄せ付けないどころか子供扱いにしていて、横綱というのは強いものなんだと全員に知らしめるような万全の相撲だった。
三軒茶屋で昔行列で入れなかった餃子の店に行く。東京餃子楼という店で、行列どころか手前のカウンター席には一人もおらず、奥のテーブル席にファミリー客が入っているという体たらくで、飲食は一度流行ってもそれで安泰と行かず引き潮があるんだと知った。知り合いには飲食店オープンだけは勧められない。
茶沢通りを歩いて家に帰る。昼間には自転車に乗れたし冷え込みが厳しくない一日だった。帰宅後『光る君へ』を見る。やっぱり退屈でとうとう終わりの二十分間ぐらい寝てしまう。
目を覚ましてねむる準備をしてからはやめにねむる。ポーカーチップのことで調べ物をしてあっという間に時間が経った。買い物するのにネットを周遊することほどバカバカしいことはないと思いつつ、ネットを周遊した。結論として安いものをドンキホーテで買えばいいということになったので道中で馬鹿馬鹿しいことをするのもわるいことだけではない。

2024/01/29 今日
月曜の朝は憂鬱なので単純作業をして間を埋める作戦にした。ラジオを聞きながらでもできる作業なので面倒だが余計なことを考えないでもいいのがラクでよかった。昼過ぎからは連絡事を消化する。昼寝の時間にトレインチャンネルで見た森岡龍のドラマのことを調べたら2022年に『北風だったり、太陽だったり』という映画を出していたことを知る。きちんとキャッチアップできておらず映画館に行けなかったのが悔やまれる。腹いせにではないけど森岡龍の事務所のオンラインストアで脚本とキャップを購入する。夕方の時間には残り作業をしながらラジオ「お控えなすって」を聴く。ザ行なしでスタバに行く。エキウエが満席だったのでクラシックのほうで日記を書く。『遠読』を読み終える。理論としてのあらは精読しないでもわかるぐらいあるが、アイデアは面白いと思った。訳者あとがきで遠読のやり方はライトノベルには適用できても純文学には適用できないのではないかと書かれてあったのには脱力した。いわゆる純文学と言われてブラックボックス化しているものに対して適用するのでなければいちいちこんな迂遠な方法を取らないでもいいはずなのでまるっきり逆のことを言っている。あとがきが書かれたのは2016年なのでその時点では仕方のない腰の引け方なのかもしれないけど、書かれたものはその状況よりも長く残るのだからそこはもっと突っ張ってほしかった。
遠読を読んだのは小説の読み方の参考にするのではなく小説の書き方の参考にするためだ。自分が書く以上、他とは違うものを書きたいという月並みな意欲を持っているのだが、そのあがき方を進めるにあたり、それなりに自他の位置関係を確認しておきたかったというのがある。枠外の思考というものにどれだけ触れさせてくれるかというところが大きなポイントになる読書だったが、ふたつのヒントを得た。ひとつはタイトルを考えるにあたって、どういうタイトルにするかという点。いろいろ考えてこれでいこうと思っていたタイトルがどうやらあまりよくないというか、中央値から外れようとしてべつのよくあるタイトルに収容されつつあるというのに気づくことができた。結局そのままにするにしても、べつの視点で検討を加えたうえでそうするのとは自分の中での納得度が全然ちがうものになると思うのでこれは良い気づきだった。
もうひとつは長いものを書こうとするのであればやっぱり主人公には冒険をさせたほうがいいということ。これはもともと知っていたのだが、同じことをべつの人の口から聞くことでさらにその方向へと後押しされることになった。時間的な広がりにはどうしても限界があるのでどうにかして空間的な広がりを持たせるというのをもっと考えないといけない。しかし単純に海外に出るというのもちがう。難しいところだ。いずれにしても空間のことをもっと頭に置いておくようにすること。
あとは長い小説を読んで勉強しないといけない。勉強なのだから何も精読する必要はないわけで、さらさらっと読むような読み方(精読と遠読のあいだ)で長い小説の「感じ」を掴めたらと思う。手始めにトルストイの『戦争と平和』を読んでいる。

20240128

日記291

対話

2024/01/27 昨日
午前中に日経新聞の電子版に無料登録する。円城塔の『長い豚の話』を読むのが目的だが、2ヶ月無料だったのが決め手になった。以前購読していた朝日新聞と比べて電子版のUIは優れているし、関連記事の提案も精度が高いように感じられる。何よりテック関連の記事の質は比べるべくもない。経済関連はもちろんのことサラッと読んだ感じでは文化関連も日経のほうがだいぶ上だった。朝日新聞のベーシックプランと比べて値段の差はかなりあるがこれは購読を検討していいかもしれない。肝心の『長い豚の話』は一話二話を読んで読みやすいと感じた。わかりやすく読者の関心分野を拾いながら作者に期待されているであろう「文学の匂い」をきちんと提供できていてさらにちょっとした仕掛けまであって言うことなし。ビジネスパーソンに読者になってもらおうとする意識というのか、ビジネスの側からの文化的教養をキャッチアップしようという姿勢なのか、こういう試みは同時代的なカルチャームーブメントとして面白いと思う。位置的にはサブカルチャーを主流の文化と捉えたときの傍流なのだが、かたちとしてはロック音楽を主流としたときのクラシック音楽の立ち位置に近いように思える。いわゆる「純文学」の領域からある要素の水準を落とすことで裾野を広げているのだが、その下げ方がティーンネイジャー向けに書かれたライトノベルのやり方とは似て非なるものなので興味深い。この連載が成功してそのやり方をもとに長編を書くようになったら円城塔は現代文学の旗手になると思う。文学の代表選考は長編を書いてからというのは考えが古いのかもしれないし、この要領で短編を並べていくだけで他に類を見ない小説家になっていくに違いない。それでいうとすでに他に類を見ないわけで、長編云々というのはたんに自分がそれを読みたいという願望にすぎない。午前中に予定していたラジオは昼からの予定があって時間が間に合わず中止になる。
友人と誘い合わせて昼すぎから秋葉原にいく。はま寿司で遅めのランチ。調子に乗って2200円分も食べてしまった。
コンパクトデジタルカメラを見にいく。買おうと思った機種は10万オーバーと値段が高く、思っていたよりもコンパクトかつそれなりの重量感だったので、絶対に落っことしてぶっ壊すと確信したので買うのを止める。旧型番の機種を4万円で買うことにしようと考えをあらためたが、その機種にするとズームが弱いので画質が上がること以外は今のpixelでこと足りる。しかも夜の撮影はpixelほど何も考えずにシャッターを押せなさそうなので、全体的に考えてコンパクトカメラの購入自体を今回は見送ることにした。SONYのdsc-rx100m7か同m3で考えていた。uekaramesen_streetの写真用として考えたらファインダーは要らないので無印でもいいんだけど、せっかく写真専用機を買うのだったらファインダーを覗くスタイルも残しておきたいという気持ちがある。結論としては、F値は少ないらしいがズーム性能の高いm7がm3相当の値段で売っていれば買うというところに落ち着いた。毎日ガシガシ使うものに15万円出して毎日ガシガシ使うのは懐事情・メンタル的にむずかしい。
秋葉原の店舗を回ったあとで中野のフジヤカメラに行って、それから高円寺に移動して古着を見て回る。おもしろい色使いのダッドジャンパーがあって買いたいと思ったがLLBeanのものなのに1万円もしたので手が出なかった。ブランド志向を弱めていきたいものだと思うのだけど、LLBeanでその値段というのはどうしても許容できなかった。ハーフジップの形といい、腹側の生地の切り替えといい、色味といい申し分なく、むしろノーブランドであれば即決購入していたぐらいだったのだが、LLBeanだったので手が出なかった。そもそも古着屋に行ったのはAURALEEのコレクションで見たレザーコートがかっこよすぎてそれが欲しくなり、似たようなものがないか探しに行きたいと思ったからだった。当たり前だけどそんなうまいことコートが見つかるわけもなく。形と色味、レザーの質感とサイズ感がバッチリ合うようなことがあれば即購入するべきだと思うが物が物だけに安く収まるなんていうわけはなく、それであれば奮発してAURALEEのそれを買ってしまえばいいのではないかとも思う。しかし、コレクション用だからなのかオンラインストアには置かれていなかったのでそれもできず。まあ矢鱈と高いんだろうし、結論買うことにするにせよ二の足を踏むのは確実だ。
二十二時すぎに帰宅。有吉の壁を見ながら豆乳鍋を食べる。食べてすぐねむるぐらいの感覚だったが二十五時前の就寝になる。

2024/01/28 今日
途中小用のため目を覚ましたり、朝方の地震で目を覚ますも、基本的にはぐっすりねむる。合計九時間睡眠になった。昨日の鍋の残りとリゾットを朝食にいただく。遅起きと昼からの用事のせいでラジオはまたもや中止。やろうと言い出したことを全然やれないのは残念だ。
三青一茶の動画を見て、シャワーを浴びてからスタバに出かける。日記を書く。前々回の日記で日記に縛られているような気がすると書いたが、冷静に考えてみると、日記を書いていなかったとしたらもっと色々やっていたかと質問してみればそんなこともないと答えるだけなので日記の有無は縛られている感覚にまったく関係ない。むしろ日記のおかげで決まったことしかしていないこと、生活中に新規性が少ないことがあきらかになって、どうにかしないといけないと意識されることに繋がっているのでそれこそ「百害あって一利なしの逆」だ。このあとは世田谷美術館にいって「倉俣史朗のデザイン展」を見に行く予定。

20240126

日記290

セーブポイント

2024/01/25 昨日
長風呂の後下北沢に戻って梅窓でうどんを食べる。ビールを我慢するのはさすがに無理だったが帰り道での追加氷結は回避した。翌日が出社なので早めにねむる。

2024/01/26 今日
久しぶりにぐっすり寝たというぐらいぐっすり寝た。昔京都でよく行っていた社会人フットサルチームに久しぶりに行く夢を見た。試合に出させてほしいと談判する場面ではいつの間にか競技がバスケになっていた。サウナで大汗をかいたから身体がスポーツの記憶を呼び起こしたんだと思う。この調子でたまには汗を流していきたいがそれではいつかサウナの夢になってしまうのではないかと今から心配。実際サウナの夢はあんまり楽しくなさそうだ。
出社してタスクをこなそうとバリバリ働くも想定したよりこなせなかった。後から降ってきた分もあるしやることが多すぎる。なんとか三十分のザ行におさめて金夜に向かって走る。大崎でぎゅうぎゅうの埼京線を一本見送ってやや余裕のある列車に乗る。こういう判断ができるというのが都会人のメンタル、シティボーイのエスプリの条件にもなるので参考にするように。

20240125

日記289

誠実と誠実さ

2024/01/25 今日
健康診断の一日人間ドックでバイトは休み。予定していた通り良い休日にできた。胃の検査のために飲むバリウムの注意事項で腸閉塞になるかもしれないと脅されてビビった。良い休日ではあったのだが、ずっとうっすらバリウムが腸を塞ぐイメージに侵されていて完全に寛ぐということができなかった。
普通の食事、食物繊維多めの食事ということで健康診断施設を出て日高屋に入る。カタヤキソバと餃子3個。
その後前日に思いついた通りテルマー湯に行く。「サウナに入って大相撲を見る」の実績解除。地下のリラックススペースでワンピースの最新刊に追いつきザ・ファブル2を完結巻まで読む。懸案のバリウムはその途中で排出されていって一安心した。結局二十時過ぎまで滞在する。七時間の大滞在で大満足だった。
そしてまた日記を書く。ふとこの日記に縛られているような気がした。なんとなく箱の外に出られない感覚になった。こういうのも温浴効果のひとつなんだろう。凝り固まったとは言わないまでも、ルーチンになっていて血の巡りが悪くなっているところをほぐすような。
そういえば健診中にこの前東京に仕事の面接を受けにきていた友人から「受かった」と連絡がきた。せっかく東京まで受けにきたんだから東京に来るつもりだろう。不安がっていたけどたぶん大丈夫だろうと思うし東京の変な場所を巡ったりできる相手が増えるのは普通に楽しみだ。

20240124

日記288

ゲートウェイ高輪

2024/01/23 昨日
スタバを出て氷結無糖レモン7%350を飲みながら帰宅。スタバで聞いていたショパンから音楽を変えずに歩いていたらやっぱりショパンの曲はすごいなと思わさせられた。ピアノ協奏曲第二番ヘ短調の終わり際一回盛り返すかにみせてすらりと終わるところの流れが良い。
帰って氷結をもう一本開けながらほうれん草と豚肉の鍋をいただく。なんとかほうれん草という、しわしわの葉が湯がいたあともしっかりしている良い食感のほうれん草でおいしかった。
ブラッシュアップライフ第七話を見る。Secret baseの曲の入れ方が上手すぎてパロディめいていた。特定の何かのというわけではないがあの頃全般のパロディ。
大相撲のハイライトを見て早めにねむるつもりがすこしだけ夜更かしになる。よくないとは思いつつ『チャンスの時間』の永野を見てしまった。

2024/01/24 今日
在宅バイト。かなりゆっくりできる日だったので洗濯物を回したり、新しい仕事を探したり、止まっていたグーグルアナリティクスを再開したりする。それでもやることもあれば連絡する必要もあるので昼過ぎから仕事に引き戻される。気を取り直して25分間の昼寝をしてからシャワーをする。戻ってきたらまたべつの連絡事項が発生していて対応。そのせいもあって三十分間ザ行になる。
スタバにきて日記を書いてから『遠読』を読む。明日は健康診断ではじめての一日人間ドックコースだ。
それはそうと小説を書くことが全然できていない。小説を書く目当てはなんだろうか。目当て、目的。自己保存欲求という目当てがあるのは間違いない。自分の目当てではないべつの目当てについて考えてみると、たとえば自己を拡散したいというのは目当てにしていないようだ。自己が拡散し、あらゆる場所にその位置を占め、偏在するということがうまく想像できないというのは大きい。たくさんの人の目に止まるようになればその分だけ自己の領域が増えるというのは頭では理解できることではあるが、どうも実感が伴わない。いや、実際のところ自己が存在するというかたちとしてそういう偏在というスタイルは頭でも理解できるとは言いがたい。それにくらべて時間的な伸長というのはイメージしやすい。たとえば孟嘗君のことを自分が知っているというのもそれを後押しする要素のひとつだ。そして自分から見てそういう存在は無数にある。自分が知っているということにおいて存在する存在が、そういった存在形式があるとしか思えない。当然、孟嘗君側の見解はそれとは異なるものだろう。自分が孟嘗君のことを知っているからと言ってその分孟嘗君自身の存在が決定的になったと孟嘗君は思わないだろう。それでも、孟嘗君にとっての歴史があるという認識が名を成すことによって自己を保存するという方向に彼の人生を方向づけたということは有り得そうなことだ。誰かにカメラを向けられて咄嗟に何かのポーズを取るように、それのピッチドロップ実験ぐらい長いスパンで孟嘗君は何かのポーズを取ったのだと言えて、実際自分たちはそのポーズをもとに孟嘗君を思い出すことになる。誰かが自分のことを思い出せるように、その手がかりとして小説を書いておきたいというのがさしあたって小説を書く目当てだ。
日記でその用が足りるかもしれないとも思うが、それではだめだという考えがある。自分に可能なかぎり虚構の方へ進めないかぎり、十分な保存は望めない。できるかぎり虚構のほうへ。たとえば他者性という虚構のほうへ。

日記788

注意するに越したことなし 2026/08/04 昨日 15208 朝から出社。8時頃でもまだ涼しかった。午後から在宅勤務に切り替える。昼ごはんにスパゲティを食べる。腕立て伏せ。1時間すこし昼寝をする。『罪と罰』を読む。急な問い合わせが入り、定時すこしすぎに...