20240309

日記320

ご本人登場

2024/03/08 昨日
この日も長い時間眠ることができた。春眠暁を覚えずということなのか。
在宅バイト。定例の打ち合わせでまたぞろ面倒が飛び出したが、もう知らんと思いつつしっかり対応した。それでも意地になって定時であがる。
昼休みには映像の世紀『地球環境に対する人類史百年の罪と罰』を見る。環境問題、地球環境問題については自分は冷淡な方で「ふうん」という感想になる。というより、技術の向上で対処するべきだという考えだから、環境問題を語る人の半分が「技術を捨てて、原始に立ち返ろう」という方向の主張をしているのに反対だ。もっというと人間は傲慢さを捨てるべきだという立場には賛成できない。考えが傲慢だと捉えられないよう、さらに力を身につければそれでいいのではないか。その道の途中で謙虚さに立ち返らなければそれ以上進めなくなるときがくる。その時に方向転換をすればいいのであって、引き返そうとするのはしかるべく行われる方向転換の阻害要因にさえなると思う。
金夜の会場を池袋に選定する。知っているようで知らない道・建物、それらの位置関係がなんとなくアップデートされた。アニメート周辺を歩き回ったあと、副都心線で明治神宮前駅まで移動し、表参道まで歩く。彼女の職場で急遽催されることになったAmong Us会に参加する。追いかけ回したり追放されたりキルしたりキルされたりで面白かった。終電を気にして二十三時過ぎのお開きになる。

2024/03/09 今日
七時に目が覚めたら鼻血を出した痕跡があった。夜だれかに鼻面を殴られているのかもしれない。一度起き上がって水を飲んでから二度寝。しっかり二度寝できたので寝不足にはならなかった。十一時過ぎにスタバにきて朝食としてアーモンドクロッカンを食べる。三二〇円でしっかりアーモンドが表面についているパンという感じで、温めてもらって食べた。結構おいしかった。『戦争と平和』を読む。ピエールがフリーメイソンに会う回。「死への愛」という条項に対してピエールが無頓着でいられるというのが彼のもっとも羨ましいところかもしれない。神を信じますかと訊かれて「神を信じます」ということは傍から見れば矮小化して捉えることもできるし、それを実のある言葉だと考えることもできる。ピエールをどういう人物だと思うかというのも大部分読者に委ねられていることだ。
これはあほみたいな意見だが、たくさんの字が書かれていて、それなりの数の概念が並べられているとそれだけでいい作品以上の「傑作」になる。たくさんの考慮に値する概念が登場すれば、読者はそのなかから銘々自分勝手に自分の興味関心の中心にあるものを拾っていく。そしてそのことで書かれてあるものとの連帯を感じとり、作品を特別なフォルダに分類することになる。あえて不誠実な言い方をすれば、書き手としてはその並列の仕方に工夫をこらし、箇条書きになっていないかのようにそれらのイメージをきれいに陳列させるのが、読者の益にもなり、いろいろな物事や考えを効率よく伝達する上手い手段にもなるのだと思う。
この後、原宿に行ってMET24のジャケットを試着する予定。その後、代々木公園でモルックに興じるつもり。いい天気で申し分ないと言いたいところだが、花粉の飛散状況だけが心配の種だ山頭火。尾崎放哉。

20240307

日記319

遠い路(みち)

2024/03/06 昨日
スタバを出てドドドにいく。ブリ照り定食をたのみたかったが売り切れで唐揚げ定食にする。低体温のふたりが向かい合って話す様子は、話もしっくりきていない風だし傍から見て不思議だったろうなと思った。思いつきを話してみても広がっていくことは少ない。テンションもちがえば興味のベクトルもちがうのだから当たり前だ。
自分だけで考えるほうがとくに調子良いときには進みが早い。まあ、ないものねだりになってもつまらない。会話は気晴らしにとっておくべきなんだろう。ドンキで氷結を買って帰る。
帰宅して映像の世紀を見る。イスラエルの回。同じものを見てちがう感想を抱くというのはそれだけその映像が多角的なエネルギーを持つということなのかもしれない。自分は間違ったことを言っていないと思うときこそ、言葉の使い方や言い方に気をつけないといけない。
それでも厭世的な態度になることは避けるべきだ。即行動に移して物事を変えるために動けというのもできない。そのあいだでじりじりするしかない。それをしたくないから「難しい」「関心を持っても無駄」「心安らかにいるためにOFFにする」というように、どちらかに振り切ってしまうのはちがう。「解決か、さもなくば無視」というのでは、あまりにも立つ瀬がないのではないか。宙に浮いていられると信じ切ることができない以上、少なくともストレスに晒されているべきだ。
歴史の勉強をすると口にすることで、一気にすべてが難しくなった気がする。歴史の膨大さにはクラクラくるし、そこに接続されているという意識で何かを言ったり書いたりするのは、今までやってきたこととは真逆で、閉めているべき窓が開いていてたえまなく強い逆風に吹かれているような感じだ。これまでやってきたことというのは、歴史など存在しないかのように何かを言ったり書いたり、何かを見聞きするということだった。人の良いところだけを見て生きるようにしなさいというアドバイスを馬鹿正直に忠実に守ってここまでやってきた。
自分が呼吸できて生きられる気圧があるのに、これからは外の世界を知る必要があるといって窓を開け放つ宇宙飛行士のような愚かさがある。だからといって専門家に任せておくことはできないし、現地の人だけの問題にして完全に背を向けるという選択に腹をくくれない。各地に歴史があって、各地に暴力がある、だから同時にべつの場所に存在することはできないという原則に立ち戻って、各地をめぐることからスタートするべきなんだろう。そういえば賢犬の物語も一部分それをするために始まったんだった。今の場面から抜け出せないことでつい忘れてしまっていた。狭い方に行くな。広い方へ行け。そこを掘れ。

2024/03/07 今日
九時間ほどの睡眠をとる。寝疲れるほど寝たのは久しぶりだ。印象的な夢も見れたような気がする。
在宅バイト。作業量の多い作業が残っているのでそれに時間を使う。昼休みに映像の世紀を見る。プーチンとゼレンスキーの回。プーチンがウクライナを批判するときに出てくる「ネオナチ」という言葉があまりに唐突だと思っていたが、適切かどうかは措いても歴史的な経緯があるということを知った。第二次世界大戦においてウクライナがソ連と戦うときに「敵の敵は味方」というところでナチスに協力したことがあった。ウクライナがソビエトを追いやってナチスを迎え入れたときにユダヤ人は殺されている。
ナチスドイツに対して正義を主張するイギリスというのはチャーチルを主人公に据えた映画で物語化されている。それと同じことをロシアは主張できるわけだ。巨悪を倒すために立ち上がり見事それを打ち倒して世界を守ったという栄光の物語。チャーチルだったり、英国王のスピーチだったりを見てよくできていると感じる一方でどうしても鼻白むのは、いかようにも使えるそれ自体は間違った物語の一端を見させられていると思うからだ。ランボーやトップガンも同じことだ。
こういう話は適切に抽象化されなければならない。さもなければ一番強いズームを使って具体的に語られなければならない。
映像の世紀についても、基本的には犠牲者を数でとらえることしかできない。要人の暗殺という結末で劇的に演出することが多い。もちろん半分は歴史のせいだから起こった事実に対して映像の世紀に文句を言うのは筋がちがっているが、それにしても起こった出来事というのは駄目すぎて文句のひとつも言いたくなる。目くらましに使われる感動のエピソードというのも、それが美しいと感じられるのとは別軸でそれを美しいものとして演出することの醜悪さが目につく。悲劇の中にあるひとつの希望、そればっかりじゃないか。はっきり言って感動する。でも、自分ごとながらそのときに目が見えているとは思わない。
定時近くに上がってスタバに行く。やっぱり話せることよりも書けることのほうが多い。相手のスピードを気にせず一息に吐き出してしまうことができるというのが大きい。
秋にNYに行く計画がある。単なる旅行といえばそうなのだが、自分にとっては意味のある旅行になるだろう。これまで海外に行ったことがなかったのはこのタイミングでNYに行くための準備期間が必要だったからだという気さえする。地球上の文化を一隻の豪華客船にあてはめたとき舳先にくるのがNYだというのは自分がよく使う喩えだが、その場所が実在するというのを確かめるのは、人類が人類史を編んでいった結果今があるというのを確かめるのと対になっているように思われる。スケールの大きい話をするためにわざわざ宇宙まで行く必要はない。宇宙船地球号の舳先に立って両手をめいっぱい広げれば、そこで深呼吸すればそれだけで事足りる。そもそも宇宙には文化がない。ただ空間が無為に広がっているだけだ。
今夜は雨が降るとの予報だった。だから昼間干している洗濯物を取り込まなければならなかったのだがすっかり忘れていた。出かける前、Bが不機嫌な顔で「あめね」と言ったからベランダに干されている洗濯物のことを思い出して取り込むことができた。Bはその気になれば人の役に立つこともできる優秀なロポ(ロポットの略)だ。
ロポット(ropot):愛玩用ロボットのこと。ロボット(robot)とペット(pet)を組み合わせた造語。
『戦争と平和』を読む。恋に勝ったロストフ、賭けに勝ったドーロホフ。それらとは無関係に訪れる音楽による陶酔。
グーグルアナリティクスの学習を進める。ダーティなデータをクリーンに。

20240306

日記318

アスファルト光る

2024/03/05 昨日
帰宅してから晩御飯。帰れ鶏肉への胸肉バージョンをいただく。あとはじゃが芋のフリット。どちらもぎとぎとした味付けではなくうす味でおいしい。葬送のフリーレンの三話を見る。
二十三時過ぎにはねむる。

2024/03/06 今日
八時間以上の睡眠で、印象的な夢を見る。前日に歴史の勉強をやり直そうと決意したのだが、その決意が夢に滲んでさっそく良い効果が出たという内容の夢だった。具体的に思い出せたらいいのだけど思い出すことはできず。七時に目が覚めるも二度寝に成功する。そのときの夢も良かったような気がする。
在宅バイト。自分の持っているタスクを粛々とこなしていく。これからはタスクが増えはしないで減る一方というのが気持ちいい。
定時で上がって二十分間の昼寝をとる。その後シャワーに入ってからスタバへ。『戦争と平和』を読む。アンドレイ公爵の帰宅場面。出産と母の死と出来事が詰め込まれていたがかなり冷静な書きぶりで余計な文章が一文たりともなく、出来事そのものに語らせている。この全体が小説の核心ともいえるもので、これは文章作成術とかそういうレベルのものではない。この場面のために小説があるのかもしれない。と本質主義的なことを思ってしまった。

20240305

日記317

「超」

2024/03/04 昨日
スタバを出てからドドドに向かうも満席だった。次点の黒川食堂に行こうとしたが、途中にある南蛮亭が気になってリベンジしてみた。月曜ともあって満席になっておらず三度目の正直でやっと入れた。この店は下北沢に住み始めてようやくたどり着いた感がある。四角いお好み焼きで目の前で焼いてくれるサービスもあり、ビールも超おいしいのもあり、かなり満足行く内容だった。これまで知らずに暮らしてきた年月の情けなさを感じないではいられないが、それよりもレパートリーに強力な飲食店が加わったことを喜びたい。関西のお好み焼きとは別物、というよりは既成のお好み焼きとは別物なので、一度両親に食べさせたいと思った。
いい気分になれたのでドンキで氷結を買って飲みながら帰る。何か気に入らないことがあっても気に入ったことがあってもいずれにせよ氷結を買って飲みながら帰るというのはひょっとすると氷結依存なのではないか。
腸内環境のためのドリンクを買い忘れたので代わりに納豆を食べて早めにねむる。

2024/03/05 今日
在宅バイト。面白い夢をみれて二度寝もできてポケモンスリープのスコアも百点で、言う事無しの睡眠を取れた。最初に今月末で退場する旨を伝え、あとはやるべきことをこなして定時を迎える。
しっかりめの雨の降る中スタバに来る。チョコチャンククッキーを食べて日記を書く。
『戦争と平和』を読む。
ピエールは、表面的ないわゆる性格の弱さにもかかわらず、自分の苦悩を打ち明ける相手を必要としない人々の一人だった。彼は一人で自分の胸のなかで苦悩をこねまわしていた。

グーグルアナリティクスの学習を進める。在宅バイトでも使えるエクセルのテクニックだったり考え方があって、もうすこし早く知ることができていればと思った。データクリーニングはデータを扱う前に最初に実行するという基礎部分らしいのだが、それをやらずにいきなりデータを扱うことになって、かなり無駄が多い作業をしていたと反省することになった。見る人が見ればまだそんなところかという学習パートなんだろうけど実際に知らずに苦労しているのだからしょうがない。

トルストイが三十六歳から四年がかりの連載で『戦争と平和』を書き上げたことを知る。素材のかたちが出るような調理の仕方をしていて、スムージーのようにできるだけきめ細かい仕事をしようとする方向性とは全然ちがう。歌が出てくるし、ピンチョンの小説はトルストイの『戦争と平和』を下敷きにしているように思える。超大作(長大作)を書こうと思うのであれば参考として外せないという勘は当たり前といえば当たり前だがずばりそのまま当たった。歴史をきちんと見て、それを題にとって書く決心をするべきだ。どう考えてもちゃんと勉強しなければならない。それを避けることはできない。

20240304

日記316

異国情緒

2024/03/03 昨日
前日夜ふかしになったのに早く目が覚めてしまい寝不足になる。表参道に降りて歩いて都立明治公園に出かけてみると、知っている場所がきれいに公園として整備されて店がぽつりぽつりとできただけの話だった。オリンピックの五色の輪で写真を撮って退散する。原宿に行く途中でいくつかのアンティークショップに立ち寄る。そのうちのひとつから出たタイミングで目の前に池袋新宿行きのバスが停留所に停まったのでノープランで乗り込む。新宿伊勢丹前で降車。新宿伊勢丹のファニチャーフロアにいく。ニーチェアとパンテラが並んで置いてあるのを見つける。伊勢丹に置いてあるということは良いものだが定番でもあるということだから個人的な嗜好ではなく集合意識的な嗜好なのだろう。それがわるいというわけではないが、それだけだとつまらない。歩き疲れたので家に帰ってうたた寝をする。起きてご飯を食べに出る。この日も南蛮亭は満席で入れず、第二候補のまちなかに入る。スタッフが活き活き働いているように見えるいい雰囲気の中華料理屋で気に入っている。

2024/03/04 今日
在宅バイト。先週金曜に辞める話をしているので完全にタスクをやってあげるフェイズに入っている。やるべきことがなくなるというわけではないから忙しいのは忙しいのだが、気持ちの面では完全に有志でのタスク消化なのでOK,俺に任せなよというモード。ザ行ありだと整合性が取れないので頑張ってザ行なしで済ませる。
花粉がすごく飛んでいる日らしく、一日中くしゃみをして鼻をかんでいた。スタバに出かけるときに対策としてマスクと帽子をつけていく。そのおかげか目はかゆいものの鼻は爆発しないで済んでいる。
スタバにきてアメリカンワッフルを食べて日記を書く。『戦争と平和』二巻を買って読み始める。スタバの一番好きな席に座ってたまに電車を眺めながらぼーっとしている。窓と反対側のソファ席に【e only once】という文字が入っている服を着た女が座っていた。グリーンの色味がおしゃれな感じだったのでなんと書いてあるのか読もうとしたがぎりぎり視力が届かず解読できなかった。あまりまじまじ見つめるのもわるいと思うから思い切って凝視するわけにもいかなかった。しかし何回かにわけて見ているとなんとなくわかった。文字がすべて現れないデザインになっていて、書いてあるのは【Live only once】だったと思う。色味はおしゃれだったが内容はつまらない。昔留学できていたアメリカ人の友達が好きな言葉として教えてくれたときにもこいつは良いやつだけど好きな言葉はつまらないなと感じたのを思い出した。

20240303

日記315

招き口

2024/03/02 昨日
十一時半頃から豪徳寺に出かけて昼ご飯に三輪亭にいく。南チロル地方の料理を食べた。グリーンソースのパスタが見た目ジェノベーゼみたいだったが食べたことのない味がして美味しかった。
梅ヶ丘、世田谷代田を歩き抜けて帰宅。コーヒーとチョコを食べて昼寝をする。三時間の長い昼寝になってしまった。その後PIGを見る。喪失の悲しみを真正面から描いていて苦しい気持ちになったが見てよかった。その後白菜豚ミルフィーユ鍋を食べながら『不適切にもほどがある』を見る。PIGで受けた衝撃を引きずっているせいでグッとくるシーンにバフがかかってグッとなりすぎてしまった。電車に乗りながら読書することに決めて二十二時半に家を出る。綾瀬まで行って帰ってくるあいだに『戦争と平和』の一巻を読み終える。アンドレイ公爵の始末がついて二巻へ。新潮文庫の訳が良い。東北沢で降りて、かなり冷え込んでいるなか氷結を飲みながら帰宅。この夜はショパンのノクターンがいい感じのBGMになった。帰ってからカップ麺を食べ焼きそばを焼いて食べるという暴挙に出て、ようやく二時過ぎにねむる。

2024/03/03 今日
八時半に起きる。完全に寝不足になるが、昨日の長い昼寝を思い出して良しとする。洗濯機を回してグーグルアナリティクスの学習をすすめる。朝食に作ってくれたたまごサンドを食べてからラジオを録る。健康のための睡眠時間のガイダンスという記事をとりあげた。あとは千葉県でスロースリップ発生か、という地震関連のニュース。若干の寝不足がつきまとっているがいい天気なので都立明治公園に出かけることにする。

20240301

日記314

ピロ


2024/03/01 今日
在宅バイトをザ行三十分だけで終わらせ、あわただしい今週が終わった。
スタバにくる道すがら、写真展がやっていたのでふらふらと入って写真を眺める。『余白』というタイトルにも感じるところがあった。景色の写真に混じって人の写真があり、その写真がとてもよかった。自分は人物の写真に興味がある。人を知るということはそのぶんだけ世界が広がることだというのはとりたてて人好きというわけでもない自分にとっても一面の真理があると思うし、知らない人と近づきになって知り合いになったり、知り合いの人とさらに近づきになって親密になるということの中に世界の広まりと深まりが両方あるというのはほとんど間違いのないことだと思う。孤立することを防ぐというのは生物としてのリスク管理だなんていう照れ隠しを必要とする年齢でもない。べつに若いときもそんな照れ隠しはしなかったが。
写真に写っている「ある人」を見ると、一瞬でその人が自分の中にくっきり存在するということが起こる写真がある。ある角度で急激にその人に接近するようなその写真が自分にとっての良い写真だ。人を知ることでその分だけ世界が広がるという論でいくと、瞬間で一気に世界がひらけるような感覚に陥る。そのときにはなんか良い写真だなと思うだけだが、しばらくしてそのときに受けた印象のことを考えていると、画像は思い出せないのに、誰とも知らない名前のない存在がひとつの視点になって広がっていくような感覚をおぼえる。人のことを知って、もっと人のことを知ることで世界を広げたいと思う。それで得られることがあるからだ。本は読まないより読むほうがいい。人は知らないより知るほうがいい。教養とか人脈とかそういうものとはべつに、そうすることでしか獲得できないものがある。
転職先が決まったので現在の就業先に退職の意向を告げた。転職の回数はそれなりに重ねているが、働いているうちに次が決まるというのはこれまでやったことのない経験だ。若干だが特有の解放感があった。今回の就業先では結構頑張ったし、それなりにタスク数をこなしていた自信はあるからかもしれない。
転職によって在宅勤務がほとんどなくなるかわりに条件が上がる。在宅勤務なんていうのはだらだら働けるところにメリットがあるのであって、現況のようにばりばり働かないといけないのでは自分にとってはほぼほぼ無意味だ。オフィスに出かけること自体、コスプレ感覚で歩けるということもあり自分はそこまで嫌ではない。それに自分の時間を売るしかないのであればそれが高く売れるに越したことはない。条件に見合った仕事を提供できるのかという不安がないわけではないが、中央値を見れば破格の条件というわけではまるでないし、平均ぐらいの仕事を平均以上にこなすというのが自分にできないとは思わないのでまあ大丈夫だろう。もし無理だったら無理だったとき考えればいい。
そういえば朝からずっと頭が痛かった。バファリンを三粒のんでも完全にはとれないしつこい頭痛だった。なんだろうと考えたら、日焼けしたときに出る頭痛と同じで、昨日の熱湯風呂によって負った軽やけどからくる頭痛だったと思う。あとは会議やら面談結果連絡やら退社報告やらで緊張しっぱなしだったのも関係がありそう。スタバでドリップコーヒーをのんでいる今、頭痛はほとんど消えたのでカフェインも関係するのかも。
『戦争と平和』を読む。子どもたちが兄からの手紙で消息を知ることになる場面で笑ってしまいそうになった。戦争と平和がこんなに笑える小説で、トルストイがこんなに笑える文章を書く作家だというのは知らなかった。アンナ・カレーニナを読んだだけではシリアスで真剣な作家だという印象だけで笑えるという印象はなかったし、戦争と平和もタイトルからして中身がこうなっているとは想像しづらいところがある。笑える箇所を引用しようかと思ったが、そこだけ抜き出してみても笑えるというものではなく、流れの中に配置されていることで面白いと思えるものなので引用するのはやめる。面白かったのは【第三部の8】だった。しかしこれにしても、もしかするとその章だけ読んだところで、べつにそこまで……ということになるかもしれない。読む人が読んだらそういうことにはならなさそうだと思うけど、読む人ってどんなひとなのかわからない。
大喜利というのはお題に対して面白いことをいう取り決めだから、面白いことをいう能力が求められる。お笑いで大喜利が強いというのはよく褒められやすい。そういうのもあって芸人は面白いことをいう人だというイメージが共有されるようになっている。とくにインターネットではこんなに面白いことをいったと文字情報になったり切り貼りされた動画になったりしてわかりやすいものが拡散されやすい。でも実際の芸人の面白さのじつは大部分(すくなくとも半分)は面白いことをいうことではなく、面白そうにいうことだ。考えてみれば普通のことを言っているのに可笑しく聞こえるようにいうのがじつは芸人の能力で、普段目にしているのにあまり意識されない部分だ。芸人は、この人がこういう言い方をするから面白いとなる部分を伸ばそうとしていて、たぶんそれが伸びていった芸人から売れている。……というようなことを昨夜ねむる前、久しぶりにジャルジャルの動画を見て思った。後藤は面白いが、最近はじわじわ福徳が面白くなっている。

日記802

業者たちのシーン 2026/09/23 一昨日 10092 14時すぎにスタバを出てバビシャーでチーズナンを食べる。腹ごなしにゆっくり歩いて帰宅。大相撲を見る。17時半すぎに家を出て新宿のどん底へ。そこで家人が待っており、はやしさんのライスとチャーシューを...