流れ集合
2026/07/25 一昨日 11348
8時すぎに目が覚める。前日は予定していたより早く22時には帰京し、その流れですぐに寝たので自然早起きのかたちになった。最近ハマって遊んでいるvlogのSNS「setlog」を見ていると、子を持つ友人たちはふたりがふたりとも6時とか7時には完全起床のタイムスケジュールを生活していて、それに比べると休日の8時起きはまったく早起きではないということになるが、結局何と比べるかということで、ようするに自分の平日の生活と比べて早起きということだ。そして早起きは三文の徳という言葉があるとおり、K2で10:00〜『親密さ』の上映があるということに気がつき、家人を誘い合わせて映画館に向かうことにした。これなどは歩いて10分とかからない場所に映画館があるからこその朝の贅沢で、映画の上映時間がインターバルあわせて4時間強あるというやや足重りする要素を払拭するだけのフットワークの軽さをを提供してくれた。自分が『親密さ』を見るのは2度目だが、家人とこの映画を見ることがかなって嬉しい気持ちもあった。演劇という現実を介して”映画の虚構”が”実際の現実(=この世界)”と繋がるように感じさせるところがあって、リアリティというのは入り込んでいくものあるいは入り込んでいく感覚のことだと思わせられた。リアリティがあるというのは、そこに入り込んでいるという感覚を与えながら同時にそれに気づかせない瞬間を作ること、あるいは目を瞑ったときに視界が暗くなることの謂いだろう。長塚敬三Tシャツが売られていたのでたまらず購入する。ユニクロで役所広司Tも購入しているので、はからずも今夏、憧れの俳優Tシャツが2枚手に入った。
一旦帰宅してTシャツを家においてから渋谷に行く。ヒカリエで買い物をする。体感2時間以上はフロアを昇り降りしてようやく探していた進物が見つかる。時間をかけただけあってこれは良いと思うものを見つけることができた。NHKプラスで大相撲を見ているとahamoの30GB上限まで使い切った通知が届いた。久しぶりにMAXまで使い切った。ワールドカップと大相撲のせいだ。
下北ミカンの韓国料理屋ハヌリに入る。とにかく暑いので考慮なしで生ビールを注文する。しかしなんと、到着したビールがぬるく、心底がっかりしてしまった。この店はもう二度と来ない認定したあとで、サムギョプサルは美味しかったし蒸しサムギョプサルも美味しかったのでその分、残念さが増していくことになった。さらに会計するときにビールが通常600円のところ今週末だけキャンペーンで39円になっていたということを知る。合点がいったし、1180円得をしているわけだからある程度溜飲は下がり、それにあわせて認定を取り下げても良さそうなものだが、それでも食事の恨みという感情は消えていかず、600円払ってでも一杯目のビールの喉越しを求めたいものだという文化人的な観点からも経済合理的な評価を強いてしりぞけることにした。夏の飲食店で一杯目のビールがぬるいというのは犯罪的な過ちなのだと肝に銘じるべきだ。そんなビールを提供するぐらいなら「売り切れ」と言ってほしい。
帰りにミスタードーナツに寄り、もっちゅりんのみたらし味を買う。レジに並ぶ短い時間のあいだにも若い女がどんどんミスタードーナツに吸い込まれていっていたことから、もっちゅりん人気のおそろしさを実感させられた。人気にあやかってまっちゅりんと名乗ろうかと家人に相談してみたところ、賛成も反対もされなかった。あやういところで正気を取り戻した。
2026/07/26 昨日 14525
9時頃に起きて『さようならコロンバス』を読む。来月の読書会の課題本なのだが、チャプター1,2を読んだだけでさっそく昔の小説という感じが伝わってくる。”土人の女王”という言葉遣いは直接的だが、そうでなくても黒人の描かれ方、登場人物の黒人への態度を見ると、黒人差別を差別と考えていなさそうなのが浮き彫りになっているようで相当げんなりしてしまった。文学においては哲学・思想よりもこの手の「一発アウト」の影響が出やすい。前者は後者にくらべると論理的な破綻に対して瞑目的な態度を取りえないので、一方の権利を認めつつ他方の権利を認めないという単純な論理的誤りに立脚するということが少ないのに比べ、文学はそのあたりを曖昧にぼやかしておけるからこそ、瑕疵を瑕疵とも思わず丸出しにできてしまうという弊がある。意識されないスノビズムが忍び込むようなたぐいの、いわゆる二流どころの作家に多いミスだと思われる。文学的価値とでもいうような、曖昧で微妙だからこそ価値をもつものが現在時点での倫理観を覆す、覆すとはいかないまでも目を瞑らせることは、例としてもほとんどあり得ない。現今の倫理をアップデートし続けるだとか、倫理的に不足する箇所を作らないというような社会規範充足的な観点では、文学的価値のように曖昧で微妙な価値を遠くまで運ぶことはできない。肯定できない事物や条理を取り除いて書くのではなくそれも含めて書く、しかし決してそれを肯定しないという書きぶりが必要になる。書くことで否定するのではなく、だからといって肯定するように書くというのでもなく、ただ書くということ。そこから読む側で肯定や否定を導き出せるように書くということが必要になる。決して”愚かな読者”を想定してはならない。愚かな読者状態にある者も、しかるべき経路を経て必要最小の知性をいつかは獲得し、そして運良く出会えるということに期待して書くべきだ。あらゆる個人にとっての最高地点において成される個人的行為としての”読書”に、書き手として期待していけない理由はない。得ようとする意欲が衰えた人、学習によって高みを望もうとしない人、些事に忙しく気力体力に慢性的な不足をかかえている人、彼らのために遠慮して書くということをしてはならない。短く、わかりやすく、ただ嬉しいということの逆へ進まなければならない。それにしても、もし方向がふたつしかないとしたら、だが。
大相撲千秋楽を見てからつつじヶ丘までバスケに出かける。優勝決定巴戦は本割で一敗地にまみれたアオニシキが熱海富士相手に即日雪辱しての優勝になった。怪我を押して霧島・熱海富士相手の2連勝というのは規格外の強さだと言っていいと思う。バスケは初めての体育館だった。コートがやわらかくメンツも柔らかい感じだったのでのびのびとプレーできて楽しかった。このところの不調は、何のことはない、周囲のレベルについていけなくなっていたようだ。ダイチャリに乗って喜多見駅経由で帰宅。家人とタコスパーティーをしながら天幕のジャードゥーガルを見た。私はいま満足しているという意味での「最高やな」が口をついて出た。最高ということに疑問というのではないが、それでもWonderの感覚はある。驚くべき最高だ。
2026/07/27 今日 4657
物語規模感(ストーリー・スケール)的に満足いく内容の夢を見たという記憶があるのだが、中身については例によって覚えていられなかった。こうやって夢を忘れてしまうのはせっかくの経験を無にするようでどうしてももったいなく感じてしまう。在宅勤務。前夜にハンターハンターを読んでしまっていたが起きてすぐ読み返す。皮膚科の医者にかかりにいく。もともとのトラブルと汗が出ない最近のトラブルを相談した。問診の結果とりあえずということで内服薬を試すことになった。
お笑い番組水曜日のダウンタウン/スベリドリームマッチと、アメトーーク/立ちトークをTverで見る。仕事のタスクを消化してからほぼ定時で退勤しスタバへ行く。日記を書く。家人が『急に具合が悪くなる』の2回目をK2に見に行くと言うので自分ももう一度くらいは映画館で見ておこうと思い、見に行くことにする。今日はかなり久しぶりに酒を飲まない日になりそうだ。あと毎日の腕立て伏せは一応続いている。