20231129

映画『首』を見た

普段と違うことをしてみようと思ったら、スタバに入っていつものように日記を書くのではなく、映画の感想を書き始めればいい。最近の自分はアフターファイブのルーチンが確立されてきていて、スタバに行っていつものようにミルク入りのドリップコーヒーを注文し、読んでいる本を広げるか、このようにマックブックを広げて日記を書くかに相場が決まっている。
ある程度長いスパンで考えれば日記を書くのだって決まりきった行動というよりは突発的な思いつきに類するものだが、この半年はほとんど毎日ぐらいのペースで日記を書いているために、昨日・今日・明日というタイムスパンで捉えれば、これはもう立派なルーチンに属するものだったりする。
あとはこの二、三年で飲酒量がめっきり増えた、と思い返してみたが、よく考えればそんなことはなく、週に六、七日の飲酒を東京に出てきてからずっと、かれこれ七年ほど続けているのだった。途中筋肉トレーニングにハマっている時期があったからその短い半年間を除いてはほぼ上の頻度で酒を飲み続けている計算になる。
そんななかで久しぶりに二日続けて酒を飲まなかった。だからその余勢を借りて、普段の日記とはちがい映画の感想を書こうとしたわけだ。
しかし、昨日の夜にしらふでスタバから自宅に帰る道の途中で思っていたのは、読み終わった『サルトル哲学序説』の感想、できれば読書メモのようなものを書こうということだった。今朝の通勤電車のなかでもその気分は持続していて、それがために重い荷物になるのを承知で業務用の端末に重ねて自前のマックブックをリュックに入れてきたのだ。
だが慌ただしい昼間の業務を終えて、電車を乗り換え渋谷経由で下北沢につく頃には、何をしようという目的が失われ、ただただいつもと違うことをしようという気分だけが残った。だからいつもは辻井伸行のショパンの演奏が流れているノイズキャンセリング機能付きのイヤホンからはカネコアヤノの歌が流れているし、駅を出てスタバの店内まで歩くうちに、漫才の台本でも考えついてやろうかという気分にもなった。
腕まくりまでして席に座ったところまではよかったが、いつものようにマックブックを開いた頃には無謀なネタ作りも断念し、週末に見た映画の感想を書くためのタイトルを打ち込んでいた。
ただし、ここまで書かれた文章が代表するように、タイトルをそれらしいものに決めただけで、なにも映画の感想を書くことに決まったわけではない。タイトルに反してぜんぜん違うことを書いて一行だけ映画について触れて終わるのも、一切触れずにそのままこの文章を閉じるのも、すべて私の自由だ。
自由といえば、サルトルは存在について考える際に自由ということを重んじた。しかしそれは手に入れるべく目指される何かではなく、生きている以上どんな存在にも原理的についてまわるあらかじめ定められた条件のようなものであるという。自由から身をもぎはなすことができないというのはやや奇態に響く逆説表現だが、それでもサルトルの声をもうすこし長く聞こうと望むときには自ずから納得される意見だったように思う。彼は存在には自由がついてまわると言った。だから何をしようが、あるいは何をしまいが、存在は自らをとりまく環境に対してつねに責任がついてまわるということを言おうとしているのだった。少なくともその意見を聞くものに自然そう感じさせるような考え方を自由という概念に仮託しているようだった。
そしてまた、他人の中に自分という存在があるという条件を逃れ去ることはできないとも言っていた。他人などないとあえて言うことは自己欺瞞に陥るとしてそれを批難した。自己欺瞞がわるいことであるというのは、彼が明晰さに価値をおくからだ。たしかに、明晰さに価値をおくものは自己欺瞞を避けようとするだろう。だが、欺瞞には意図する欺瞞と、意図せざる欺瞞とがある。意図せざる欺瞞がさらに自己欺瞞でもあるような場合、明晰さによってそれをべつの場所に移動させることは困難であるだろう。それでもいいと決めたものに、その決定を覆させるのは困難であるだろう。おそらくサルトルはその困難を意識にのぼせたうえでいくつかの戯曲を書き上げもした。彼の哲学について書かれた本を読んだものが考えつくようなことはあらかじめ検討の俎上にあげられたにちがいない。それでも、すべてがどうでもいいと考える自由について、べつの方向へと転換させることはできなかった。ただ、その自由をもつ者をとりまく状況によって「直接的に」それを否定することしかできない。そしてもしそれで充分だと考えるとすれば、それは実践者として真っ当な考え方であることを意味すると同時に、自由について考えることの意味を失う実践的な行動を支持することでもある。それについてもっとも良い捉え方をするとすれば、考えうるかぎり一番遠い限界に到達するということだ。そんなに遠いところまで行って、ほらだからこれが限界なんだと言うことができたとして、一体それが何だというのだ。もちろん遠いところに行くということには他には換えられない価値がある。しかし、何から離れて、どの場所から遠いかということについては、所定のものに決められている必要はまったくないし、そもそも本来決まっていないはずだ。ただ実際にこの環境にあっては、この状況を見渡せば、その離れるべき場所というのはすでに完全に決まっているように見える。決まっているとしか思えなかったりする。
だから虚構のうえで、そういった条件を一秒も感じさせず、最初から最後まで連続して、決まっているとされるもの(それが美であれ善であれ)から目を背け続けているものを見れたときに、(それは往々にして最低最悪の景色だったりするのだが、)その凄惨な風景に反して、いや反してというよりは無関係に、何物にも換えられない晴れやかな気分が私を襲うのだ。そのとき、当の表現が虚構であるということにはほとんど無際限の価値がある。それは絶対にそこから離れてはならないもののように私には思える。加瀬亮が織田信長を演じるということ、そこに真正の価値がある。現実の織田信長が果たした役をはるかに超えて、質的に異なる純粋な素晴らしさがある。質的に異なるふたつのものを指して前者が後者を超えるというのは明晰とは言いがたい表現だが、明晰さ(私の言葉遣いでは「賢さ」)をこのとおり大切なものと捉えつつ、それを犠牲に供してもあえてそう言いたくなる何かがフィクションにはある。

ところで、私にもできる自由の素描は以下のとおりだ。


越えてはいけない一線
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20231128

日記254

東京バーガー

2023/11/27 昨日
根をつめて『サルトル哲学序説』を読み、二十二時前にスタバを出る。久しぶりに酒を飲まず。帰って千切りキャベツと納豆を食べる。好き放題お腹いっぱいになるまで何も考えずにご飯を食べていく秋のせいで身体が重くなってしまった。運動不足もあってまずい。最近のメンタルが不調とはいかないまでも絶好調とはならないのも、この運動不足が大きいと思われる。簡単に原因に到達できるようになって知恵がついたなと思うが、生活に運動を組み込んでいかないと、思いついたときにラジオ体操をするぐらいでは運動不足を回避できない。こういうピンチをうまく使って新しい習慣を導入するためのチャンスに変えたいが、どういうスポーツを始めるのが良いだろうか。昼間にも夜にも粗品のロケを見る。粗品が粗品自身「この人は」と思う人の話を聞いているときの表情には他では見られない良さがある。ついに話には聞いていた「河内さん」が登場して彼が芸人を志すことに決めたときのエピソードを聞いているときの粗品を見て、そのエピソードが混ぜものなしのいい話だったこともあって、涙が出そうになった。気を取り直してプライムビデオの『インビンシブル』のセカンドシーズンを見る。平べったいアニメーションに独特のテンポ感があって面白い。展開もあるし『ザ・ボーイズ』のようなドラマより本格的な人物描写にみえる。運動不足のうえ寝不足になっては思うつぼなので、スリープデイということもあって早めにねむる。そういえば帰り道に見上げた満月がとてもきれいだった。

2023/11/28 今日
在宅バイト。タスクが重なっているうちに打ち合わせで話さなければならないことがいくつかある状態になり、完璧とは程遠い発話になってしまう。べつにいいんだけどとは思うんだけどしいてそう思わないではいられない状態というのはやっぱり嫌なものだ。タスク未消化だが翌日は出社なのでそのときにやろうと思いザ行を三十分だけで切り上げる。こういうときに引きずられてずるずるとザ行を重ねてしまうのが一番よくないので、この切り替えは我ながらよくやったと思う。スタバでは『サルトル哲学序説』を根つめて読む。たぶんこの後読み終わると思う。彼の主張に「存在する以上、すべてに責任がある」というのがあった。そのとおりだと思うって耳が痛くなる。しかし本当には痛くない。ふざけているわけではないつもりだが、今さら初耳という態度をとるのも違うし、何より本当に痛くない。そういう必要があってその必要を充たしてきた結果だ。

20231127

日記253

「まだ始まっちゃいねえよ」

2023/11/25 一昨日
朝九時から散髪に行く。その後スタバに行って読書。代々木八幡の「365日」というパン屋でおしゃれなパンを買って歩きながら食べる。バスで渋谷に向かう。渋谷駅でバスから降り立つときに普段とはちがう渋谷入りにちょっと気分を良くする。ショッピングに付き合ってヒカリエ、スクランブルスクエア、ヒカリエ、スクランブルスクエアの順でエスカレータを昇降する。黒い靴を二足買っていた。その後目的の映画『首』を見る。加瀬亮の織田信長がめっちゃ良かった。黒澤明監督を意識した北野映画という感じのバイオレンス時代コメディで他の映画では味わえない満足感があった。すぐ下北に戻り、ミカンの焼き小籠包を食わせる店で晩飯とビール。帰宅してからねむるまでに時間があったので北野映画の予告編を流す。ネトフリアニメのスコット・ピルグリムと邪悪な元カレ軍団とかいうのを見る。世界観含め謎だがアメリカンな良いテンポで面白い。一話三十分弱だったのでとりあえず二話見る。

2023/11/26 昨日
朝起きてすこし読書をする。昼から新宿に出かける。十三時すぎに到着した目当てのボードゲームカフェは満席状態で寒空の下に放り出される羽目になる。ネットで検索してボードゲームカフェっぽいスペースが百人町にあるということを突き止め、新宿三丁目から歌舞伎町を抜け大久保方面に向かう。途中のバッティングセンターでとりあえず二十五球ずつバットを振る。時速百キロのボールはそこまで早く感じなかったのだが前に飛んだのが友人と自分でそれぞれ二十五分の五と二十五分の六という体たらく。金の軽いバットを振り回していたのだが途中で握力がきつくなるぐらい普段の運動不足が祟った。百人町のスペースは面白そうな店が蝟集しているビルの三階にあり、現実離れしてゲーム世界じみた雰囲気があった。三人が三人とも怖気づいて扉を開くところまではいかず。雁首揃えて退散した。なんとなく西新宿まで歩きブックファーストに行く。大型書店も売り場面積を一部ダイソーに譲り渡す必要があるようで、本屋冬の時代なのを感じた。その後新宿伊勢丹でウインドーショッピング。メンズ館もかなり賑わっていて本屋とはぜんぜん違う勢いがあった。一階にある香水の店でベチバーを探す。売り子のお姉さんがいう「質の高い香水です」というのを鼻では感じ取れなかったものの値札を見るときっちり三倍ほどの値段になっていてなるほどと思った。また歌舞伎町の方に移動して屋台風の豚骨ラーメンを食べる。その後歌舞伎町をぐるりとまわる。トー横を縦断した直後に喧嘩騒ぎが持ち上がったので、エスカレーターを上がった歌舞伎町ビルの入口からキン消しほどの人影が殴り合いをしたり、セキュリティや警察が制止するのを眺める。
十八時前になったのでボードゲームカフェに戻って相席ボードゲームをして遊ぶ。最初はカタン、人数が増えてからは七人で「お邪魔者」や何やをして、あとはふた手に分かれて何とかいう面白いゲームで遊ぶ。入る前にあっという間だとは聞いていたが本当に二十三時になるのがあっという間だった。帰りにダイエーで食料のインスタント麺やらを買い込んで帰る。それなりに楽しかったがもっと楽しい週末にできたのではないかという後悔が忍び込み、寝て起きたら月曜だという事実もあってまたまた気が塞ぐ。ねむるのも少し遅くなった。やるやらないの判断をする機会にはデフォルトで「やる」しておくぐらいじゃないと日曜の夜に満足するのは難しい。

2023/11/27 今日
在宅バイト。だらだら働いても何とかなる日だった。前日におぼえた憂鬱ほど嫌なことが起こるわけじゃないというのがはっきりするから気分的にも少しずつ持ち直していくのが月曜の特徴だ。久しぶりに定時で家を飛び出してスタバにいく。『サルトル哲学序説』を読む。
そういえば、誰かが面白いと言っている何かを面白くないというのは本意ではない。本意ではないというか、自分の感性に正直になって面白いかどうかを振り返った結果やっぱり面白くないと思ってそれを率直に面白くなかったと言うときにたまたま面白かったと口にしている人と目が合ったらざんないと思う。ざんないとは思うが、そうなる危険をあらかじめ予期して何に対しても面白いところを見つけて面白いと言うようにしようとは思わない。それはまあ当然だと思うが、自分の場合はそこからも一歩進んで面白くない場合ははっきり面白くないと言って旗幟を鮮明にしようと心がけている。面白いという意見と面白くないという意見はどんどん戦わせても平気なはずだ。それによって評価が覆るようなことがもしあれば御の字だし、そうならないでも何が面白いか(あるいは何が面白くないか)がはっきりすることで自分が(そして相手が)何を面白いと思うかという情報が得られる。誰かのレビューを見たり自分と同意見の感想を探したりするより情報の精度が高くなる気がする。精度に関しては気がするどまりだが、手触りや肌触りといった触覚にまで届くような感想が自分の中からその作品にむかって発されるようにするためにはこの方法が有効だと思われる。

20231124

日記252

とたけけけ?

2023/11/22 一昨日
在宅バイト。その後、職場の懇親会なるものに参加する。普段常駐先の人とのコミュニケーションしかないので、自社の人間と懇親するチャンスなのだけど、きっちり棒に振る。最初の入りで相手がどういう態度でいようが関係なく自己紹介する姿勢を打ち出さなかったことが過ちの元だった。
どうせうまくいかないだろうと保険を用意していたのでダメージは物理論理の両方で最小限に抑えられた。とくに最後の挨拶が終わる間際に出口方向ににじり寄ることでクロークに愚かな行列ができる前に自分の荷物をとって一抜けできたことが自分のなかではかなり大きな勝利だった。一体何をしに行ったんだ……。ビンゴは当然のように負けるし。
下北沢を歩きながら座り込みながらまた歩きながら飲むお酒はやっぱりよかった。友人と喋るときには本当に何も考えていない。というより考えていることがすぐ口をついて出る。これがいわゆるお喋りでというやつでお喋りの中でも純度の高いものなのだろう。とくに遠慮会釈もしない。レベルを合わせるということはやっているがこれは残念ながら不可避だ。お互いに。

2023/11/23 昨日
笹塚の漫画喫茶に行く日にした。目当てはドラゴンボールを読むこと。『ダーウィン事変』という漫画が完結しているという生成AIによるガセ情報を掴まされたおかげでダーウィン事変を読み始め、最新刊の六巻で見事「つづく」の憂き目を見る。ドラゴンボールは一巻二巻の密度がものすごく、読んでいてなんだか疲れてしまった。天下一武道会あたりからペースを掴んできたがレッドリボン軍のうんたらかんたらで悄気そうになったから読み飛ばしてピッコロ大魔王登場あたりまで読む。対戦相手が死ぬということが起き始めて、なにやら剣呑な雰囲気だ。ちょっと目を離した隙にクリリンが殺されているのは衝撃だった。あとランチさんがきれいすぎる。金髪モードのランチさんの目元が最高だとおもう絵が何枚もあった。それから『東京ヒゴロ』完結巻の三巻を読む。締め付けられるような思いを喚起するのが本当に上手でこの日も胸を締め付けられた。「この15くんがいいの」。またSUNNYを読まないと。
途中中抜けして入ったラーメン屋せいやでイキって大盛りのつけ麺を注文したせいで若干具合悪くなるも閉店時間の二十三時まで居座る。こうなるのがわかっていても大盛りを頼んでしまうのは何なんだろう。かさぶたを剥がしたら血が出るとわかっているのに剥がしてしまう性質に似ていると思う。こういうとき俺はふつうに愚かなのだ。
この日の朝に見つけた言い回しがある。「バタバタしているべたべたな豚をビンタしてボッた」。どこで使うわけにもいかないナンセンスな言葉の連なりだが、そういう思いつきを貼り付けておくのに日記はとても適している。それ以外に貼り付けておく場所なんてないからだ。

2023/11/24 今日
在宅バイト。面倒な調整を経て締切を伸ばしてもらったのに、あとから入ってきて締切すぎてるからといってスケジュール延伸してくださいと言われ、調整したのを全部無駄にされるということが起きた。もっと早く言ってくれたら面倒な調整やスケジュールに追われる感覚を味あわずに済んだのに。指揮系統が柔軟になれないとせっかくの苦労も徒花になってしまうということを知った。最終的にべつにどうでもいいと思うから食い下がるということはしなかったが、つい不満な調子が声に出てしまったかもしれない。引き下がるのなら不満を言う意味もないのだからあっさり引き下がれば良い。関係機関と自分が考えているよりも広く、ほとんど全方向への調整といえるぐらいの調整をしていないとこういうことになるのだと勉強になった。くだらない勉強だ。
その対応によってザ行まで発生。しかも二時間。やるべき仕事を減らすのが優秀なエンジニアだと聞いているのだが、やるべき仕事をしっかり増やしていくのはどう形容できる何なのだろうか。
スタバに出てくる。サルトル哲学序説を読む。日記を書く。
日中の無意味な営みに気を取られてしまい今朝見てしっかり覚えている夢のことを書かないでしまうところだった。自転車に乗っている夢を見るときにはいつも通っていた大学と高校を混ぜたような駐輪場が出てくる。この日もそういう駐輪場に駐めていた自転車を探していたのだが、駐めていたと記憶している場所に自分の自転車だけない。こっちだったかと移動してみるもそこにもなく、やっぱりこっちかと元の場所に戻ってもやっぱりない。いややっぱりあっちかとさっきの場所に戻ってない。もう一度こっちに戻ってやっぱりないというのを自分でもおかしいと思うほど非合理に繰り返した。昔通った場所だから道を知っているのだが少し記憶が遠くなっていてやや自信がなく、確信をもって歩けないことも、何度も同じ場所を行ったり来たりしてしまう理由になっていた。そのくせ起きるときにはもう少しで自転車が見つかったのにという気がして目が覚めてしまうのが惜しく感じられた。ああ惜しいと思うからこの夢を覚えているという結果につながったんだと思う。結局自転車は見つからなかったが、このことをもって探している自転車は在ったということにならないか。いやなる。
金曜日ということなのでこのあと飲みに行く。小説は一週間以上書いていない。

20231121

日記251

通過

2023/11/20 昨日
スタバからの帰宅途中にも酒を飲まず。文鳥の音読をBに聞かせる配信をしたあと、睡眠負債の解消をもくろんで早めにねむる。

2023/11/21 今日
在宅バイト。よくねむった影響で調子はわるくない。洗濯機を二回回してたまった洗濯物の処理をすすめる。仕事にかける時間の読みちがいをしたのがこの日のハイライトだった。余裕ぶっこいていた昼過ぎまでとはうって変わって夕方ぐらいから焦り始める。結局九時までのザ行になり、スタバにもいけず一日を棒に振ってしまった。だらだらとあるもので晩飯を食べながらテレビを見ていると画面が急に切り替わって避難を呼びかける放送になった。避難対象が沖縄になっていたが、その発表を信じられず部屋着のまま最寄りの地下である駅に避難する。落ち着いて考えれば放送の避難誘導を信じながら対象を信じないというのは整合性がとれない。
ただ駅に向かうあいだにも言い訳は考えていて、これは避難訓練だと考えようというもの。十分で飛来する可能性がある飛来物にたいして、家でどうしようと考える時間が三分、歩いて駅に向かうのが四分、合計十分以内で目的地の地下に到達できたので我ながらよくできたと評価できる。
そのまま帰宅すればいいところだがこの日は何もできなかったこともあるしせっかくなので、仕事終わりの彼女を迎えに表参道まで電車で出かける。電車内で日記も書く。

20231120

日記250

夢で見た三角形

書きたいことがたくさんある感じがある。溜まっている分を全然出せなかったらどうしようと思う。溜まっていると言っても三日分だが、日記はすっ飛ばして書こうと思えばいくらでもすっ飛ばせるから、本当は書きたいと思っていたこと、いろいろ経巡りながらこれは日記に書こうと思ってたことのほとんどを抜かしてしまうのではないかという心配がある。たとえばKITTEの吹き抜けが三角形になっていてその見た目の特別感が面白いと昨日(2023/11/19)KITTEに行って思ったのだが、それがなんとなく今になっても残っているのとちがい、そのときには面白いと思っていながら忘れてしまった側の出来事や感想もあるはずだ。できるだけそれらを拾うようにしながら週末分の日記を書いていきたい。

2023/11/18 一昨日
演劇祭の忘年会があるということで朝からなんとなくそわそわしてしまう。本当はもっと本を読んだりして過ごしたかったのだが思ったより全然読めなかった。せっかくの休日ではあるので、昼飯にうまいカレーを食べに出る。三蔵TOKYOのペトラカレー。黒くてうまい。彼女が頼んだタリンカレー。こちらは赤くてうまい。全然違うカレーだがどちらもカレーとしか言いようがなく、赤と黒のこのコントラストはもし絶好のタイミングがあれば味わってみてほしい。
ただこれは日記に書くべきことではないと俺の一部は主張しているのだが、カレー専用容器に入っているカレーを皿の上の白飯に注ぎ入れるとき(このカレーショップでは一口目のスプーンを口に入れるときと並んでもっとも特別な良い時間だ)、魔に憑かれたように一気にすべてのカレーを注ぎ込みたいと思ってなのか、白い皿から黒いカレーソースが溢れ溢れるという事態を招いてしまった。最近、とくに食事に関連する行動をとるときに頭の注意力を司る部分が麻痺してまったく考えなしのようなことをしてしまうことに気がついた。何かで頭がいっぱいですぐキャパオーバーになってしまう人がするような、傍目からは信じられないようなミスをしてしまうわけだが、俺にはわかるさらに恐ろしいことには、毎日よく寝て悩みらしい悩みもないのにもかかわらずそうなってしまうのだった。この行動とそれが招いた皿から溢れ溢れる黒いカレーの映像はそれだけの衝撃を自分と、となりにいて一部始終を見ていた彼女に与えた。彼女が「めっちゃイライラする」という取っ手も何もない述懐(?)(少なくとも目の前の自分には向けられていなかった。それだけに迫力があった)を冷然と言い放ったのにも面食らった。二重の衝撃を立て続けに受けたせいで、おもに前半、カレーの味がほとんどしなかった。赤いタリンカレーを一口もらって「トマト」のイメージが一旦すべてを塗りつぶすまでは。
ふた駅近く歩いて目当てのカレーを食べにいき、腹ごなしの散歩がてら街の反対方面にある雑貨屋まで行ってアンティークを見た。一四時にでかけて一六時に帰ってきた。これ以上に下北沢の住人らしい休日の過ごし方はない。帰宅後彼女が友人から教えてもらったというSWITCHのゲームをやり始める。予定の忘年会会場にオンタイムで出かける。
飲み会は久しぶりだがやはり楽しい。もっと頑張れるやろと大学来の友人たちから言われるたびにうるせえお前が言うなだとか、俺は俺で盛り上げに貢献してんのじゃとか軽口を返すのだが、やっぱりいざとなるとそういう威勢は最高に楽しい盛り上がりの夢とともにしぼんでいってしまう。ただ会が開けたあと、道を歩きながらおごってもらったビールを飲む時間があって、それがとてもよかった。いつまでも歩けると思った。だけどさすがに迷惑かもなと思った時点で終わりになった。残念だ。話が盛り上がるとか会がうまく回るとかそれ以前の問題で、どうしても酔っ払いそのものになれず、酔っぱらいのイデアに近づけないことが俺の一番の問題なんだと思う。しかし茶沢通り横の変な帰り道、帰るまでのすべての瞬間が楽しかった。冬前の夜の空気。首の冷え対策としてちゃんとマフラーを持っていった功績は大きい。

2023/11/19 昨日
途中一回レッドアイを挟みながら結構な杯数のビールを飲んだのにもかかわらずほぼ二日酔いにならなかった。ただねむる時間が遅くなったことでどうしても睡眠不足だけは避けられなかった。元気よくリビングから話しかけてくるBに起こされて朝の時間ができたのを幸いとして出かけることにする。起きたときにポケモンスリープやってなかった…!とショックを受けたがよくよく確認してみるとちゃんと起動させた状態で寝ていた。すでに入眠ルーティンとして完成していて無意識の域に達しているようだ。
空気が澄んでいて富士見橋から富士山がくっきり見えた。世田谷代田経由で歩いてBole and coffeeに行く。新代田からすこし入った羽根木エリアにこんなにもおしゃれな通りがあるなんてという驚きがあった。タイムマスカルポーネとスパイスかぼちゃのアイスクリームを食べてコーヒーを飲む。ふた口分けてもらった焼き立てスコーンもとても美味しかった。おしゃれな外席で良い朝食時間(一二時)になった。新代田環七にあるLUUPに飛び乗って目的地の溜池山王まで移動する。LUUPを運転するのに一番いい道は他にあったかもしれないが、とにもかくにも地図を見ずに移動できたのは東京七年目の面目が立つというもの。
はしごでパイコウ担々麺とシュウマイを食べる。味が美味しいのもあるが、店の仕組みがちゃんとしていて最大の回転数を誇っているのが客側からもわかって、これはすごい店だと思いテンションが上がった。
日比谷の映画館まで歩く。途中でデモの集まりが日比谷公園からデモ行進を開始するところにでくわす。野次馬の中でも馬としての純度がもっとも高い「通りすがり」として、通り過ぎるほんのすこしのあいだだけ同じ場所の空気を吸った。大量の警察官が投入されていたが、去年だったらほぼ全員マスク姿だったろうが今年はたぶん全員マスクをしておらず、なんだか新鮮な見た目だなと思った。
ゴジラマイナスワンは主要な舞台のひとつが銀座ということもあり、日比谷TOHOで見るのにうってつけだと思った以外にはとくにおもしろいところもなく、気持ちが乗らないだけに退屈な映画体験だった。自分はIMAXレーザーの信奉者だがIMAXレーザーにもおのずから限界があるということを思い知った。天気の子は新宿バルト9で見てこの場所で見るのにうってつけだと思ったし、そのときも今回もとくに狙ったわけじゃないから偶然の符合に気をよくできるところがあった。ゴジラの感想というか愚痴を、日比谷と東京をつなぐおしゃれな石畳のベンチに座って缶チューハイ、缶ビールを飲みながら喋れたのがハイライトになった。一瞬だけビルの合間からのぞいた半欠けの月も。
ツリーの点灯式らしき集まりに吸い寄せられるまま建物内に入り、建物内を横切って次の目的地のKITTEにいく。LUUPを早い徒歩だと考えると、下北沢から東京駅まで一日がかりで歩いたことになる。帰りの電車ですごく疲れていて、最近の体力のなさに危機感を覚えていたのだが、移動距離を考えると疲れるのもある程度は仕方ないように思える。
東京駅でおあつらえ向きのご飯屋を見つけられず、結局下北沢まで戻って松屋で遅めの晩飯を食べて帰る。翌日の仕事が憂鬱でたまらず帰り道にもかなり消耗させられたが、もっと刹那的に振る舞って、翌日の仕事などないかのように元気よく機嫌よくしていないと、せっかくの夜がもったいないと思うべきだ。月曜を乗り越えた今になって思う。もっとはやくねむればいいのに、ベッドに入ってからだらだらしてゼロ時を迎えてしまい、翌朝の寝不足状態が確定する。

2023/11/20 今日
出社日。七時起きで八時前には出発。大変な一日が始まるというのではないし、彼女は自分より遅く寝ているのに早く出かけているからそれとの比較でも全然大したことはないのだが、とにかく月曜の朝を迎えるのが憂鬱だ。出勤途中の道できれいな朝日、散歩する犬、元気いっぱいの小学生などを見ているうちに自然と元気が出てくる。会社についてからはやるべきことがあるのでひたすらそれを消化しているうちに定時になる。今日やるべきことが終わらなかったので明日へ持ち越しすることに決めて帰る。
帰りの電車が遅延のため満員電車になる。一五分も無いぐらいの時間だが、通路にいても隣の乗客と肩が触れ合うぐらいのぎゅうぎゅうの満員電車は嫌なものだ。
エキウエのスタバが満員だったので、吉野家でハヤシライスを食べたあとでクラシックのほうにくる。日記を書いているうちにあっという間に二十時すぎになってしまった。結局書いているうちにどんどん書き進めるモードになって、そのモードのときに取りこぼすあれやこれやをそのままに日記を書き終わってしまった。言ってみてもしょうがないので読書をすることにする。本を読んでいると何かが思い浮かんだり思い出したりすることは普通によくあることだし。

20231117

日記249

スカイとツリー

2023/11/16 昨日
初めてのディズニーシーに行った。新宿まで出てから中央線で東京まで。駅ナカの売店で朝食を買ってから京葉線ホームで朝食を食べる。快速で舞浜まで。舞浜からはディズニーリゾートライという電車に乗ってシー前まで。入場時に楽隊が演奏していてテンションが急上昇。ダンスしながら中に入る。途中スペインから来たファミリーの家族写真の撮影をしてあげる。カチューシャのショップに人が大量にいるところでテンションの上昇は終了。上がった分だけ降下に転じる。ふたり揃って何の情報も仕入れずにいったせいで何もしないうちに余計な待ち時間がどんどん膨らんでいった。最初はセンター・オブ・ジ・アースに並ぶ。八五分待ちだったので進撃の巨人FINALの後編を見て過ごす。しかしここでは以降の動きのシミュレーションをしたりプライオリティパスの確認、ステージの確認などをするべきだった。このあとパーク内をうろちょろすることになるが、A地点からB地点に歩いて向かうためにどれだけの時間を要するかの確認をしていればのちに起こる残念な事態を防ぐことができた。ディズニーについてとくに好きでもない人と好きか嫌いかでいえばもちろん好きだけどそこまで前のめりでもない人が一緒にディズニーで遊ぶとなると、のんべんだらりとした時間を過ごすことになる。後者が着ぐるみに対するトラウマをもっていてテンションが急上昇するどころか嫌々触れ合うということになると、一体何のためにディズニーまで来たのかという疑問が発生した。建物のクオリティは高かったと思うが感銘を受けるということはとくになく、アトラクションAからアトラクションBへと移動するための道としての認識しかないようだった。フォトスポットで写真を撮るということにも関心がないとなると、アトラクション目当てで来たということにしかならない。アトラクションの待ち時間でもう一生分の行列に並んだわけだが、大人が乗って面白いというようなものでもなく、体験の価値をこれ以上は下げられないという思いから「楽しかったね、よかったね」を繰り返すマシーンと化した。終わってみれば最初のセンター・オブ・ジ・アースがピークだった。タワー・オブ・テラーも落下のたび「うわー!うわー!」を連呼するぐらいには恐かったわけだが、冷静に考えてひとり一五〇〇円を払うようなアトラクションでもない。結論としてディズニーシーは日常で何か目立った楽しいことを持たない人たちが行列に並んでそうでもないアトラクションに乗って感動するというのが主題になっているテーマパークだ。ディズニーランドではパレードもあればミッキーが現れたりもして「アトラクション」という偽の目的地がない分、純度の高いディズニー体験ができるという意味ですぐれている。一二〇分間列に並んで乗ったソアリンはそれなりに楽しかった。IMAXレーザーで映画を見るという体験の大体二四分の一倍の面白さだ。タートルトークだけは行きそびれたが最後にインディージョーンズに乗るための移動の最中にタートルトーク体験者による実演をしてくれたのでディズニーシーの目ぼしいアトラクションのすべてを堪能したことになった。インディージョーンズには最後ということで五〇分並んだのだが、あれに五〇分並ぶというのはいくらなんでも、時間が無限にあるという想定をしていないかぎりありえないことで、「永遠の若さを得られる秘宝」が本当に見つかるのかもしれないと疑った。ジェットコースター好きにとってはそうでもないと説明がつかないほどショボい内容だった。
ソアリンに並んでいるときに水上ステージが始まってそれを塀のなかから聞くことに、最後の花火はインディージョーンズの敷地の中の植栽越しに木漏れ日のようにして見ることになったのもポイントが高かった。ビッグバンドビートが抽選に当たった人しか見られないようになっているのも意味がわからない。自由席への行列には三回並びそこねてステージをひとつたりとも見られなかった。
さすがにもう二度と行かないと確定したのはソアリンに並んでいるときだったが、二度と見ない景色だと思うとなんとなく惜しい気がして写真を撮りまくったりした。時間いっぱいまでシー内部にいた。夜の時間におさえた照明で全体的に暗くしているのは面白いと思った。
しかし結局、新宿渋谷でぶらぶらするほうが百倍面白い。行く場所を選べばアホみたいに行列に並ばないでもいいし。ただふたりで一緒に行きたい場所ではあったので、そこに行くことができてよかった。正直ちょっとだけマシーンと化している感じだが。

2023/11/17 今日
はじめて行くのに道を知っているような気がするところにいてバスに乗る夢を見た。バスに乗って向かっているのは、政治の会合だった。褒められることを何かしてそこに凱旋のように向かうのだが、褒められることを当然と思っていないような顔をしようと道すがら考えていた。道を曲がったときに突然旧友に出遭う。気を引き締めているモードだったので相手の感動をいなすような態度をとってしまい、若干の自己嫌悪におちいった。そのほかにももりだくさんの夢だったのだがほとんど思い出せない。
在宅バイト。やらないといけないことに追いかけられ、何やってんだかという思いでものすごく憂鬱になってしまう。夕方になってやらないといけないことを消化してしまったのと、金曜の夜が近づいていることでだんだん元気になってくる。ザ行は一時間半発生。最低なのだが強いて最低最悪と考えないようにすることで余計なストレスを回避して粛々と雑務をこなす。どんなタスクが降ってきてどれほど締切がタイトでも、どうせ全部雑務だ。
終わり次第スタバにきて『数の値打ち』を読み始める。図書館にも置いておらず、大学の図書館にもなかったので四四〇〇円にやや尻込みしながらも購入した本。お金についての吝嗇はどんな対象についても自動で生じるのだが、一個は例外を持っていないとただのコイン集め人間になるので放出する対象をあらかじめ絞った上で決めておくことにしている。一応その対象が本だ。バイトでの消耗があってサルトル哲学序説も読みたいがちょっと無理そうだ。バイト用の頭脳消費をこちらまで持ち越さないようにパーティションを切りたい。

日記818

生まれいづるもの 2026/11/05 昨日 午前在宅。渋谷で健康診断を受けてから午後出社。普段とは別チームの打ち合わせに出る。報告メインだがそれも早々に終わり、あとは仕事上の世間話の色合いが濃い。円滑なコミュニケーションのためのコミュニケーション。べつに...