20240710

日記416

時代がくる、時代がいく

2024/07/09 昨日
早起き初日。あまり何も調べずに移動していったら7時半頃に虎ノ門HBTのスタバについた。ここの環境はわるくなかったが7時オープンなので朝がっつりという要件を満たさない。
それでも朝に活動することはどう考えても良いものだ。3,4年前の九段下出勤時代にも早起きして早めに通勤電車を終わらせて勤務地近くのスタバで過ごす習慣を身に着けていた。コロナのごたごた(おもに在宅勤務)でその習慣もすっかり廃れてしまっていたのだが、毎日出勤するようになった今こそ早寝早起き習慣復活のときだ。
慣れない睡眠リズムだったせいか昼過ぎの研修中に眠気が襲ってきた。ちょっとだけうつらうつらしたが、仕事のリモート研修なんてうつらうつらしながら聞くぐらいでちょうどいい。
30分間だけ残業になったがその後はまっすぐ帰る。キムチ入りカップ麺と千切りキャベツというつましい夕食を食べてすぐに寝る準備をしてねむってしまう。

2024/07/10 今日
昨日とは変わってすこしだけ調べてから朝スタバにくる。虎ノ門駅前のスタバが6時半オープンという気概を見せているのでそこに6時45分ごろに入る。思っていた以上に人がいるが、考えてみればこの辺で働く人が朝活をしようとすれば一帯でもっとも早くオープンするスタバに集まるというのは当然のことだし、それを思えばむしろ満席ではないのが不思議なぐらいだ。とはいえほとんど満席に近いが。
「小説の主人公は日記を書かない」というテーマですこしだけ文章を書いた。いわゆる「語り手をどうするか」問題。
『戦争と平和』を読んでいるがここ二日で読むペースが上がっている。佳境というのもあるかもしれないが、実感としてあるのは、実際に戦闘場面になるとある程度流して読んでしまう自分の性質のせいだ。発散する部分だけでなく収束する部分を書いているのはすごいと思うが、やはり自分としては発散する部分のほうに興味がある。

20240708

日記415

炎天

2024/07/07 昨日
久しぶりにミスタードーナツに入った。その後下北沢の古着屋をいくつか回ってから新宿に行く。「over the moon」と書かれたキャップを購入。わけのわからない言葉だと思っていたら英語で大喜びしている状態を表わす表現なのだという。そうなんだと思うがそれでもわけがわからないことには変わりがない。肉を食べたくなったので高円寺の肉一に予約の電話を入れたが満席とのことで肉焼きを断念。代わりに蒸籠で豚肉を蒸してもらうことにする。同居人に料理してもらっているあいだに前日考案した家サウナを楽しむ。室温の高さとミストシャワーを使った本格的な低温サウナ。ケンドリック・ラマーの音楽をかけて踊りながら楽しんだ。風呂上がり、PSBとともに頂いた蒸し野菜と蒸し豚はとてもおいしかった。二十三時半すぎにねむる。

2024/07/08 今日
トイレが溢れる嫌な夢を見て目が覚める。その前にももうすこしまともな旅行の夢を見たはずなのだがトイレがなんとか流れたのと同時に忘却の排水溝へと流れていってしまった。
仕事は忙しいがゆっくりする時間を短時間だが持てた。もしかすると再来週出張になるかもしれない。定時で上がってスタバに行く。友人と電話で話す。いろいろ話をしたが最終的によくわからない話(1円拾ったの意味について)をして終わった。

20240706

日記414

花屋の店先に並んだいろんな花

2024/07/05 昨日
暑さに対する涼しさという観点では出社した先のオフィスは天国のようなものだ。そこへ向かう道すがらがやや苦しいのと、そこにいる目的が仕事をすることというのが疵だが、それさえ忘れてしまえれば苦でもなくむしろラクだといえる。そして仕事が忙しいとそういった不都合を忘れさせる効果がある。オフィスは活気に溢れていて皆心なしか晴れ晴れとした表情をしているようにみえる。自分はそうは見えまいと、機嫌悪くないように見せる社交場の礼儀の奥に若干の苦しげな表情を忍ばせようとするのだが、これはこれでやや芝居じみたカタチだなと思う。まあ、そもそも自分のことなど誰も見ていないのだが。
昼休みにケンドリック・ラマーの『Not Like Us』のMVが上がっていたので見る。とにかくかっこいい。かっこいいということをいくら言っても言い足りない気にさせられる。ケンドリック・ラマーと思われる人物の伏し目がちの表情はとくにセクシーだし、映像がこの上なく詩的で、音楽と一体となりながらもそれとは独立して盛り上げてくる感じがある。俯瞰して要約するとTheyとUsを分けて自分方に付かせようとする全体の動きでしかないのだが、それにもかかわらず心酔させようとしてくる力がすごい。映像が意味ありげであることを否定せずむしろ意味ありげであることを突き詰めていて、詩として構築されていく様子には感動をおぼえる。快い映像と快い編集のリズム。それらをすべてありのままに目撃できるという事実に高揚する。囲い込まれたいというみっともない欲望と向き合わざるを得ない。しかし、だからこそ、ここから抜け出してやるという思いを意識できるし、引力の強さから自然と、自分の中にある反発する力に目を向けることができる。簡単に言うとかっこよすぎてムッとするということが起こった。具体的にはあの伏し目がちの表情、番号を無視した独自のステップ。見せつけられた。
定時退勤。ポーカーで遊ぶことを思い立って目黒のエムホールデムにいく。ここではいまだ負け知らず。ゲームセンターのメダルゲーム感覚の人が多いので、このレベルのリングゲームでは負けないやり方をすれば負けない。調子に乗らなければ。ただ遊びに行っておきながら調子に乗らないように自制しておもちゃのチップの枚数を増やして何が楽しいのかという考え方は見えている。ディーラーの技やチップの感触を楽しみにいくのがアミューズメントカジノの醍醐味だからそれらを意識して楽しむことにしている。
下北のニカイノサカバという初めての居酒屋にいく。料理はどれも悪くなさそうだった。この日はスタバに行かず。そのためろくすっぽ本を読まなかった。通退勤でkindleを開いたぐらい。

2024/07/06 今日
九時頃に起きる。海に行くか行かないかという話が流れて飲みに行くことになる。ヒストリエの十巻を読んで海づいていたのに残念だ。ひとりでも海に行ったろうかなと思ったが結局スタバに行くことにした。日記を書いたり本を読んだり。
その後一旦帰宅する。あえてクーラーをつけずにサウナのような環境をつくって汗をかいてから冷水のシャワーを浴びる。サウナ中にはケンドリック・ラマーのMVを見返す。これがなかなか整って良かった。その後クーラーを付けてうたた寝をしているとものすごい夕立ちになって目が覚める。豪雨の影響で飲みも中止になる。中止決定後、雨はきれいに上がって、スタバに出かける頃には、金盥をひっくり返しまくった壮大な打ち水のあと、という感じで涼しくなっていた。スタバでロリータを読む。ようやくロリータの声が聞こえるようになってきたところで第二章に突入。読む前と読んだあとの印象が全然変わってしまう文章ということを野田秀樹が正三角関係のフライヤーに書きつけていたが、ナボコフの『ロリータ』はまさにそれが起こる小説で、それを起こすための小説だとさえ言えそうだ。まだ第一章を読み終わっただけなのだが。

20240704

日記413

文殊超えもわけない

2024/07/03 昨日
スタバを出たあとベンチに座って氷結を飲む。夜も二十一時を回ると暑さが去って、動いていなければ汗をかかないで済む。ベートーベン(バレンボイム)の悲愴を聞きながら道行く人を見る。駅前広場はちょうどよい広さで行き交う人たちの方向が揃わない環境になるので流れとして見ていても楽しい。おしゃれな人は無論多い。
同居人が下北沢に帰着したので一緒に歩いて帰宅。全然飲んでない(本人談)のに顔面蒼白で具合わるそうだった。帰宅してから仕事の話を聞く。「それは言い訳」を連呼してあまり良い聞き手ではなかったと思うが明らかに言い訳じみた言い分が多かったので仕方ない。
翌日はAM在宅勤務のためゆっくり寝られることに期待してねむるのが十二時半ごろになる。

2024/07/04 今日
AM在宅勤務。先輩芸人見取り図盛山の飲み会、盛山会に参加する夢を見る。なんでかわからないが遅れていって、なんでかわからないが盛山の対面に座らさせられたのだが、ずーっと繊細な一面をなすりつけてきて鬱陶しかった。パーマ当てたてなのかロン毛のうねうねがいつもより激しかったがその鬱陶しさが気にならないほど、「俺だってなあ!」から始まる愚痴が面倒だった。もうええねん!と指摘したら本人はちょっと嬉しそうにしていたが取り巻きのひとりがすごい睨んできておそろしく、トイレに行けなくなった。
十二時前に自宅を出て虎ノ門に出社。五分弱の徒歩時間で危険を感じるほどの猛暑が始まっていた。仕事の捗りはやっぱり職場のほうが良い。捗ってばかりいてもしょうがないので一応途中で抜けて本屋にいく時間を作る。定時で上がって下北スタバに行く。道中『戦争と平和』を読む。
寝不足というわけではないが昼寝できていないからすこし眠い。
向かいの席の男の子がヘッドホンを付けたまま突っ伏して寝ている。限界なのはわかるけどスタバに来たからにはやるかそうでなければ帰るかしろよ。と思っていたらすぐ起きた。パワーナップで効率上げようとしていたのかもしれない。やるじゃん。
家に帰ってからKindleでヒストリエの1〜3巻を読む。読み返すたびに「こんなに面白かったっけ」と驚くのだが今回も驚いてしまった。

20240703

日記412

出発

2024/07/02 昨日
スタバを出たあと、FF6のサウンドトラックを聴きながら下北沢駅前のベンチに座って氷結を飲む。幼年時代を思い出しているような気分になる。なんというかそれが自分の物語ではないとは思えない。しかし実際のところそれはゲームの経験にすぎず、それが感覚的に理解できない。今このベンチに座っていることの不思議と合わせ鏡のようにも感じられた。
ダイエーで安い惣菜を買って帰って食べようと思っていたが信じられないほどの行列がレジにできていたので断念し、追加の酒を求めてドン・キホーテにいく。しかしそこのレジでも長蛇の列。氷結無糖7%500ml分のアルコールで判断力が無くなっていたので王将に行くことに決める。そこでキムチチャーハンとニンニクゼロ餃子ジャストサイズ、ウーロンハイを注文する。体型維持のことをまったく考えられていない。
帰宅してから何かの動画を見てねむる。

2024/07/03 今日
暑いなか出勤する。新支給の端末が社外でもネットワークに繋げられるので午前中はオフィスで働いて午後から在宅勤務にする。途中昼飯を食べるときにEuro2024のハイライト動画を見る。トルコ対オーストリアの一戦で、試合終了とともにピッチに倒れ込むのがオーストリア・トルコ両選手というのがこの試合の壮絶さを物語っている。4分弱のハイライトなのにちょっと感動してしまった。洗濯物を干すのにうってつけの天気だったので洗濯機をまわす。昼寝をしてからこの日の仕事をこなして定時であがる。途中で大江健三郎のNHK出演番組とサツマカワRPGのコントを見る。動く大江光を始めて見た。さすが親子だけあって物腰と雰囲気が健三郎にすごく似ている。サツマカワRPGのコントはショッピングモール出禁ネタでこれには本当に感心させられた。芸人のコントなのだが完成度とかそういう次元ではない。すごく面白かった。最近見たお笑いのなかで随一。
暑い中スタバに行く。『戦争と平和』『ロリータ』を読む。どちらもすごく面白い。すごく昔の人と昔の人なのにサツマカワに負けていない。戦争と平和は面白く読める箇所が多くてすごい。長編のなかでも長いほうなのに、感覚的にはほとんど半分ぐらいハイライトをつけている。kindleの良さは小説でも全然気にせず線を引きながら読めるところだ。『ロリータ』も夢のシャーロット殺害場面とシャーロット退場場面まで来た。語り手がうるさい作品だが読ませる箇所はめちゃくちゃ読ませる。ハンバートハンバートを応援しようとは思わないし、許せない人間だと単純なレベルでは考えるが、そういった許せないと単純に思うことのシンプルさというのはしょうもないものだという感じがある。自分の中で単純さと複雑さが戦う時にはほぼ複雑さが勝利するという、昔友人に笑われたそれこそシンプルな考え方からすれば、シンプルに許せないとすることには頼りなさがある。それはやはり『ロリータ』の記述の確かさ、細やかさとの対比からくるもので、ただ単純に許せない、面白いと言っているだけでは至ることのできない境地にむかって文句を言っている構図にさせられるからだ。油断するとすぐそういう状況に追い込まれる。とくに油断していなくてもページをめくるうちにそうなっていくとは思うのだが、結果から見たときそれはやはり油断が原因だと考えられることになる。そういう単純な因果関係から脱したいのにそうなるんだから何かしらの魔力がはたらいているのだと奇天烈なことを言ってみてただのシンプルから脱したいという願望が生まれてくる。二項対立を避けるためにもう一項をひねり出す、そういう工夫なのだが第三項に魔力を持ち出すのはなんぼなんでも、である。

20240702

日記411

RR

2024/07/01 昨日
スタバを出たあと同居人と合流して彼女が松屋で飯を食うのに付き合う。瓶ビールを飲むだけで松屋に入って何も食べないというのを始めてやった。その後氷結を買って飲みながら帰る。有吉クイズを見てから二十三時半過ぎにねむる。ラブドール回。真剣な眼差しが”彼女”の目線とすれ違うとき、そこには恋の模様が描かれる。

2024/07/02 今日
6時半過ぎに目が覚める。良い目覚めになったのは良い夢を見たからだが、そのときには夢の内容を思い出せず。ただ睡眠時間を伸ばそうと二度寝をはかる。その後職場のトイレで夢の内容を思い出した。夏目漱石フリークの新しい知り合いができるという夢だった。自分が何を求めているのかわかりやすい夢だ。
引き継いだ仕事のケツ拭いで忙しいが、それも二日目にして落ち着いてくる兆しが見えた。うっかり忘れているということが一番やばいのでしっかり管理簿を更新しながら毎日降ってくるタスクを潰していくようにしないといけない。
定時退勤してスタバにくる。電車内で『戦争と平和』を読む。スタバでは日記を書いてもう一度戦争と平和を読む。あとはロリータも。

20240701

日記410

嘘の龍虎町(現実界)

2024/06/29 一昨日
オールナイト企画に参加したおかげでサタデーモーニングは消し飛び、午後になってもだらだら過ごしたり寝たりない分を補ったりしているうちにあっという間に夜になった。夜と言っても十八時なんて甘いもんじゃない。なんと二十一時になったのだった。それでもさすがに一日フルで休んだだけあり、気力体力ともに充実していたのでメスカルを飲みに出かける。万珍酒店という店で角打ち。角打ちなのにもかかわらずローソファが設置されていてゆったりリラックスできるチルな空間だった。その後三茶に行くつもりが店を出て歩く方向を間違える。淡島通りに出たので結局池ノ上に向かって歩く。そこから東北沢をなめて下北に戻る。氷結とナッツを持って夜の散歩になった。今年最後の春になるのかもしれないがめちゃくちゃ過ごしやすい夜だった。十二時前に帰ってきて、春雨スープを飲んでから一時過ぎにねむる。

2024/06/30 昨日
TCB三人で十一時に新宿集合。新宿で買ったアイスコーヒーを卸したての白いFFⅥTシャツにこぼす愚を犯す。歌舞伎町タワーのほうを巡回してから山手線に乗り込み、行きがかり上五反田で降りることになる。目星をつけた乗客が降りた駅で降りるという山手線ルーレット企画。暑くて不快だが歩くのが不可能というほどではない気候。歩いて武蔵小山に向かう。武蔵小山に来たことはあったがアーケード商店街に来たのは始めてだった。龍の演し物をやっていて頭役のおじさんだけがノリノリで楽しそうなのが印象に残った。一番長いアーケード商店街だとかいう話だったがこの日は都合一往復半した。TCBが集まるといつも歩きづめに歩くことになる。林試の森公園をぐるっと回ったり、ジェラートを食べたりしたあと飲み屋に入る。この日は二軒飲み屋に入った。晩杯屋本店仮店舗と炙りま専科。とくに後者では目覚ましい活躍があった。サイコロを振ってハイボールが安くなる企画で、三人が二回ずつサイコロを転がして、偶数一回、ゾロ目一回という出来すぎた結果になった。サイコロを転がした順に、無料、半額、半額、半額、無料、無料。それなりに食べて三〇九〇円という破格の成績だった。一人当たりではない。三人合わせて三〇九〇円。
そこから戸越銀座商店街まで歩き、武蔵小山駅前まで引き返す。最後駅前ベンチに座って強い風に吹かれながら駄弁っているのは良い時間だった。残念に思いながらも翌日出勤なので一抜けする。二十二時に下北沢につく。同居人とミカン前で待ち合わせて一緒に帰る。風に吹かれて歩いて帰る。

2024/07/01 今日
ポツポツ雨だったので傘をもたず家を出る賭けに出た。天気予報を見て判断したのでギャンブル性はうすかったが、家から駅まで以外には降られなかったので天気予報を信じて結果よかった。
これから二ヶ月間レシートを受け取る生活が始まる。生活のデータを揃えることに喜びをおぼえるほうなので性に合っていると思う反面、突飛な行動をしないから傍から見て面白みに欠けるだろうとも思う。あまりわざとらしい出費はしないようにしようとは思うものの、かました出費をかましたいという思いもある。一日目ということで予定していた映画の日の映画鑑賞だったが『ルックバック』がなぜか一律料金とか言って一七〇〇円固定でせっかくの映画の日を無効にしてきたので腹が立ち、見に行くのを止めにする。そもそもそんなに見に行きたいと思っていない映画を見て無為に時間を潰すのを止めるべきだ。
定時で上がってスタバに行く。日記を書く。『ロリータ』を読む。ハンバートハンバートがロリータの母親と結婚した。ロリータに接近するという目的のためにはもっとも合理的な手段だ。しかしそれではあまりにも、という感覚はある。それでも、目的が手段を正当化するということではないけれど、それを九〇度回転させて、何をどうやっても目的が正当化される見込みはない以上、手段が正当化される意味がないと判断するのは理にかなっているように思われる。ルールを守る意味ごと消滅するから、すべてが可能になるというのは恐ろしいことだが、そういった自棄というのは本来そこらじゅういたるところで起こってもおかしくないはずのことだと思う。しかし実際にはそういう滅茶苦茶なことが全然起きないわけで、何がどうなっているのか、まったくわけがわからない。いわゆる文学的想像力というものが文学の世界の内側で想像力として留まっていることのプラスの影響(極端なマイナスが実在しないということ)ははかりしれないものがある。将来のことは確定していないという夢想が、文学的想像力を瓶詰めにしている当のもので、しかも両者は同じものにも受け取られる余地があるというのは、身も蓋もないようななし崩し的なトンネルが地下に通っていて、どうしても爆発するはずのガスがそれそのものは危険だが全体として見れば安全に寄与するかたちで外に漏れ出ているようなものだと思う。しかし、運悪くその場に当たる個人は致命的な影響を受けることになるのだろう。それでも自分の不運を背負っておとなしく死んでいくというのは一体どういう気持ちのすることなのだろう。
『戦争と平和』を読む。老公爵が亡くなる。マリヤは老公爵の最期を看取り、彼から優しい言葉をかけられる。それまで継続的に虐げられ、絶対の支配下に置かれていた境遇を最期の一言で帳消しにするというのは不可能なことであるはずなのだが、そういうことが奇跡的に可能になることもひょっとすると実際にある、少なくともそういう見立てができるように書かれていた。ただし最期の老公爵に救いがあるというようには書かれていない。自業自得だとは思えないほど苦しんで最期を迎えたと読めた。そういうとき、チホンがみせた実際的な聞き耳を立てる能力、死へと近づく人間の立てる「か細い声」を聞き分ける能力というのは、いつも必要なものではないが、それでもここぞという時にはもっとも必要な能力だと思った。最期の場面はどうしても決定的にならざるを得ない。そこで何が聞こえるかというのは最も「試される」場面だと言ってもいい。そこで試されるのは発信する口ではなく受信する耳だ。
アルパートゥイチとドローンの対決場面が面白かった。支配者のヒエラルキーの上部と下部で接している人物同士の対話だが、どちらもそれまでに自分の立場を築いてきただけあって如才ない。漫画『ヒストリエ』の一話分に相当する緊張感のあるやりとりだった。しかも会話だけで実際に血が出るようなシーンではないので、文字情報だけのほうがより迫力が出るのではないかと思う。
ヒストリエの十二巻はやっぱり面白かった。ついに主要人物が死に、そのことで「放たれた矢」になるエウメネス。クライマックスの戦闘場面ではいびつな時間感覚を味わえる。一瞬の出来事をスローモーションにするというのは映像でやる分にはありきたりだが、漫画のコマでそれが表現されると、読んでいる側の感情の動きと速度がシンクロすることもあって奇妙な感覚になる。時間を動かすのが自分の心の動きだから、目で見たときの動く錯覚よりも、心の芯を捉えたアニメーションになる。登場人物が被らなければならない「痛さ」について、絵から伝わるのが信じられないほど伝わってくる。

日記806

SAY Noh 2026/10/04 昨日 20982 バスケはオーラスの試合で逆転のブザービートを決めることができた。あまりよくないプレーもいくつかあったが、すべてが帳消しになるシュートだった。映像を見返したら歓喜のあまり祝福するチームメートを完全無視で...