20250831

日記634

大量残暑

2025/08/29 一昨日
朝から高輪ゲートウェイに行く。新社屋でハンズオンの研修を受ける。玄関口は豪勢だが執務室廊下は天井が低く、閉塞感が感じられた。執務室内は開放感があるのかもしれないが、支給されたゲストカードでは執務室内に入る権限がなかったため、午前の研修が終わったら食堂でお昼を食べて帰宅。在宅勤務に切り替える。
指示のまずさ(広義のコミュニケーションミス)で余計な仕事を増やされ、その対応に追われることになった。在宅勤務なのに忙しくて残業が発生するという条理に合わない出来事に見舞われる。それでも18時には強制終了させ、狛江までバスケに出かける。2日連続なので脛付近の疲労の色が濃かったのだが、ペース配分できるような回だったので、そこまで跳んだり跳ねたりはせず、うまい人ばかりが集まったチームになったこともあって余裕を持ってボール回しを楽しんだ。こういう強いチームに割り振られたとき、余裕満々の舐めたプレーをしてしまいそうになるがそこはかろうじて気を引き締めた。終了の笛を聞くまえにすぐ引き上げて歩いて狛江湯に行く。いつも狛江湯でするように温冷交代浴でリカバリを図ろうとあつ湯と水風呂を行き来していると大学生のサッカー選手らしきふたり組も同じリカバリをしていたようでたびたびいっしょのタイミングで湯に浸かったり水に浸かったりすることになった。なぜそれがわかったかといえば鍛え上げられた肉体が雄弁だったのと、それより雄弁な彼らのお喋りの内容が聞こうとしないでも聞こえてきたからだった。ひとりはスカウトの目に止まって今度からJリーグでプレーするという話で、もうひとりはスカウトのネットワークに向けてこれから名前を知ってもらわないといけないということを話していた。カテゴリーと種目こそ違うが、同じスポーツ選手として温冷交代浴で数セットだけいっしょになれたのはちょっとおもしろかった。
狛江ニュースターでちょい呑みビールを飲んでレバニラ定食を食べる。テレビ画面にはもののけ姫が映っていた。アシタカが人生最後の言葉と思ってサンに言う言葉と、生かされようとしてサンから食べ物を与えられて目を瞑ったまま涙する場面は、どれだけやかましい店内で見ても胸に響く。死すべき呪いをうけて村を放逐されているなか「生きよう」というメッセージを受け取るということには、想像もできないところが多くあるが、それにもかかわらず共感できるところもたしかにある。食べながら涙が流れるというのは生きるというのを象徴する場面で、生きるということのある面を抽出した表現だと思う。
最寄り駅まで戻ってベンチに座って氷結を飲む。何を考えていたのかをもう忘れてしまったが、何かしら考え事をしてから家に帰る。


2025/08/30 昨日
午前中から昼すぎにかけてニンテンドーのソフト紹介動画を見たり、ポケモンLegendsアルセウスをプレーしたりして過ごす。紹介ゲームは星のカービィエアライダーで、この手の紹介動画については上手だろうなとは思いつつも眉唾な感覚もあって、斜に見るような感じで見始めたのだが、45分の動画が終わる頃にはまんまとエアライダーをプレーしたくなっていた。
気づけば15時という体たらくでこれはマズい、というより単純にお腹が空いたのでご飯を食べに出かけることにする。豪徳寺のパン飲みができるという店をのぞきに行くが、席数が少ないこともあって当然のように満席で入れず、仕方ないので第二候補の店に行くと食事が17時からという案内を受けて断念。窮余の策としてとりあえず駅前のデニーズに入る。クーラーで頭を冷やして落ち着いたのでデニーズで食事をするのは止めにして瓶ビールとおつまみにミニコロッケ2個を注文。翌日に控えた演劇説明会についての話で時間をつぶす。
17時になったので第二候補だったピコンバーに入る。白ワイン(エスト)のデカンタ、生ハムとサラミの盛り合わせ、目当てのチーズたっぷりラザニアを注文する。この店は家人に教えてもらった店の中でもとくに気に入っていて、この日も良い時間を過ごせた上にお腹いっぱいになった。料理がお酒に合って美味しいのはもちろん、照明も暗めでテーブルにキャンドルを灯してくれるのが嬉しいポイントだ。
一旦家に帰ってから切れたトイレットペーパーを買いに下北の無印良品まで出かける。夜になってもすこし歩けば汗が吹き出すような暑さで不快といえば不快なのだが、汗をかいてもいいやと諦めてしまえば「夏の夜」というアトラクションに参加している気分でちょっとは楽しめる。暑さでのどが渇いたので帰りにローソンで水を買う。こうまで水が美味しいのは夏ならではの事象には違いない。
帰ってからもポケモンをプレーする。時空の歪みでポリゴンを捕まえ、裏ボス1のなんとかという虫のようなフォルムの機械的ポケモンを倒す。ディアルガとかこういうのとか(ウォロの髪型とか)全然好きではないというか嫌いなタイプのポケモンのかたちだがクリアのためにはしょうがない。アルセウスにもべつに会いたいとは思わないが、まだ出会っていないポケモンたちは見つけたい。アローラのロコンを探すクエストもこなした。アローラのロコンはかっこかわいい。


2025/08/31 今日
8時半に起きて洗濯物をする。ソイプロテインとグラノーラwith牛乳を朝食にする。10時からの演劇説明会兼選考会に参加する。応募人数が多く、たくさんの人(だいたい30名ぐらい)の前で自己紹介をするはめになったのには閉口したが、運良く最初から3番目ぐらいだったので緊張が高まっていく前に自己紹介を終えられて助かった。あとは二人一組になっての本読みと、最後に簡単なアイスブレイクのワークショップメニューをやって11時20分には終了した。自分の出来としては良くもなく悪くもなくといったところで、実力以上のものが出せたとも思わないし、実力が出せなかったとも思わない。演出の人がうまくファシリテートしてくれたからだ。少ないながらも要望としてコメントのあった「役を自分ごととしてどう引き受けるかを見たい」というのは自分の肌感覚に合う気がした。やっぱり自分は自分からは離れられない。だからどうやって役のセリフを自分の中に入れるかというのが自分の役者としてのテーマだというのは、前回の演劇祭を通じて感じ取った展望のひとつだ。演技が上手な人もたくさんいたが、自分の求める方向性としては演技がうまくなりたいという方面ではないのも感じられた。居る力(居力・いりょく)を高めたいというのがよくわからないながら大まかな方向性だ。
緊張もしたし、言っていることを聞くために頭も使ったし、とにかく緊張したのでお腹が空いた。なので終わった足でそのまま吉野家に行って牛丼を食べる。いつの間にか並盛でも満足できるようになっている…。
そのままクラシックのほうのスタバにきて『折りたたみ北京』を読む。地政学的な興味だけから作品にアプローチするのは誤りだというケンリュウの序言はそのとおりだと思うし、必要最小限のことが述べられた良い序言だと思った。そしてチェン・チウファンの『鼠年』には肝を抜かれた。緊密な文章で物語世界の中にぐいぐい推進していく力強さに感心する暇もなく、語り手の直面するジレンマと感情の渦のなかに放り込まれることになった。この一作だけでもこのアンソロジーを手に取る価値があると思わせる、最高の短編小説だった。この短い分量が適切だし、これが漫画でも映画でもなく小説であるということの理由が小説そのものから感じ取られる。イメージ・シンボル・感情の筋道の付け方が一体になっているこの一体感はまさに文章でしか表現できないものだ。
14時半ちかくまでスタバにいて帰宅する。19時からは代々木上原でのバスケがある。これは自分の立ち位置からは当たり前のことでいちいち言葉にするようなことではないのだが、バスケも自分にとってはひとつの表現だ。いろんな活動と同じくバスケにも上手い下手はあるし、できれば上手くなりたいと思っているが、本質というか眼目は”楽しむ”ところにある。表現することを楽しむ表現、というように表現と楽しむことは入れ子のように連なっている気がする。

日記667

時担当 2025/11/02 今日 15564 チーズナンの消化活動に手間取っていたのか胃のもたれのような違和感で2時すぎに目が覚めてしまい40分ほど寝付けず。睡眠時間がややショート、背中の痛みは残存という状況でバスケの大会に出る羽目になってしまった。悪化...