20240628

日記409

チャリで行く

2024/06/28 今日
雨が強い日。電車が遅れたせいで遅刻しそうになったが急いで歩いたらなんとか間に合った。しかし急いで歩いたせいで手足がびしょ濡れになる。
仕事が忙しくなってきた。そろそろ文句を言いたいが職場の飲み会があったので我慢する。飲み会は少人数での開催だったが楽しかった。皆が参加して飲み会を盛り上げようとする意欲を出していたおかげだと思う。
早めに始まって早めに終わる大人な飲み会だったので一回家に帰って仮眠をとってからオールナイトイベントに繰り出す。黒木さんを囲む会。普通誰かのことを囲みたいとは思わないが黒木さんだったら囲みたい。何にでも例外はある。


20240627

日記408

五叉路で集合

2024/06/26 昨日
閉館一五分前まで図書館にいて、霞が関から帰る。東北沢で降車し、氷結7%500を飲んで音楽を聞きながら歩いて帰宅。Reloadとミカンとボーナストラックを通るいつものコース。途中ドンキで4%500を追加する。家に帰ってからコンビニで買った納豆を食べる。酔っ払うとやってしまう行動のベストテンに入る就寝前の納豆喫食。できるだけはやく眠る。が、この日は三時に目が覚めてしまう。咳が止まらずそこから四時半までねむれず。咳止めの薬を飲んで無理やり眠る。もっとはやく判断したら睡眠時間を無駄にせずに済んだのに判断を誤った。

2024/06/27 今日
明らかな寝不足での目覚めだが遅滞なく出勤。『ヒロシマ・ノート』をkindkeで読む。仕事の忙しさが爆発しそうになってきた。忙しいこともあり眠くはならなかったが、そういうことじゃないんだよ。相談事をしたりメールで問い合わせたり、関係者に挨拶したり、仕事じみたコミュニケーションがどんどん増えてきた。オフィスの環境がとにかく良いから書き割りが上等な本格的コスプレみたいで演じていて面白い。残業が三〇分。吉野家で麦ごはん御膳を食べてからすこし趣向を変えて虎ノ門のスタバにいく。やることは同じ。日記を書く。
今年の春評。三月になると目に見えて寒い日が減っていき、結果的に例年よりも長く、過ごしやすく春らしい気候が続いた。当然雨が降ることもあったが、一週間降り続けという陰鬱な週はほとんどなかった。総じて良くできた春だった。だいたい五年に一度ぐらいの良い春だった。
小説を書くときにも自分の賢さを誇示したがって小癪な文章を書いてしまうことがある。賢さをアピールする場所はべつに設けておいて、小説にはそういった認められたいというかたちでのエゴが出ないようにコントロールしたい。
それにしても「賢く思われたい」というのは自分にとっては破滅的な心の動きだ。劇的に破滅するということにはならないが、遅効性の毒のようにじわじわと破滅を引き寄せる効果がある。賢く思われたいと思うこと自体が賢くないことの証になるという常識で考えてわかる顛末が待ち受けているにもかかわらず、自分の足で一歩一歩そこに近づいている。遅さに遅さを重ねていれば即アウトにはならないだろうと高をくくっている。しかし距離は着実に縮まっていくし、時間も過ぎ去っていく。たとえば、読んで頭が良くならない本は読むに値しないと真面目に考えている。しかし読んで頭が良くなる本など存在しない。あるとすれば読んでいたら頭が良さそうに思われる本だ。その観点で本を評価することはだんだん簡単になっていく。ある権威圏内の事情にどんどん詳しくなるからだ。そしてその観点で読む判断をして読んでいる本を読んでいるときには、ある部分での判断をまったく放棄してしまっている。だから映画を見ることのほうが、その良し悪しを判断する機構が曲がりなりにも働くことにはなるから、実際に頭が良くなることに寄与しているといえるかもしれない。賢さを志向するにあたって権威主義は避けられない。問題は権威主義がドグマティックになってしまいやすいことだ。賢さに連なる権威主義が陥る(権威が操る)ドグマはいかにもドグマらしくなく振る舞うことに長けている。だからある部分からは目で見て判断するのをそこそこにしておき、鼻を利かさなければならない局面に入る。現役のプレーヤーで真に知的な人物はひとりもいないと信じなければならない。ある時期に真に知的な営みをしていた人物も、そのまま知的な営みを続けるということはまずない(絶対にないと言ってもいいぐらいだが慎重を期すためにまずないに留めておく)。しかし、それでも作品を通して作者を見る場合には、その人が十分に賢いとみなすことはできる。固定化された作品は不動のものであるから、それ以降の愚かな動きに巻き込まれることはない。現役のプレーヤーはそうではない。生活者として正しいことをしようとするだとか、自分の作品からもたらされる影響力を良いと思うところに振り向けようとするだとか、それ自体としては決して批難される謂れのないことであっても、賢さという観点からは問題外になることは全然めずらしいことではない。現役でなおかつ良心的な人間であれば必ず、そんな問題など糞食らえという反応を示す。その反応はそれ自体間違っていない。しかし同時に、その反応は、パフォーマンスであるという側面を免れ得ない。行動には本人の信じる意味のほか、受け取られ方というものがついて回るからだ。そこで知らないフリをするか、無理にどうでもいいという態度をとるか、実際に気がつかなくなっていくか、厳しい三択を迫られる。問題があるのにもかかわらず、それをないものとみなすのは端的に間違いである。権威主義を避けるためには権威になる以外ない。自分の目線よりも上には何も置かないようにするという思想が権威になるためには必要不可欠だ。賢い/賢くないという判断をくだす位置について、用意、ドン。よーいドンである。

20240626

日記407

屋内テラス

2024/06/25 昨日
下北駅前で氷結を飲んだあと、王将に行って揚げそばを食べる。お腹いっぱいになりながらパンサー向井のラジオに野田クリスタルがゲストで出演している回を聞く。ダイエットは数字。知識は調べればつく。という当たり前といえば当たり前の金言が入ってきた。ダイエットに失敗するというのはごちゃごちゃ言い訳して習慣づくまでやらないだけの話というのはそのとおりだと思う。

2024/06/26 今日
今日はやらかしてしまった。久しぶりに行きの電車で座れたから霞が関まで『オリエンタリズム』を読んでいたらズボンのポケットに入れていたスマートフォンをふかふかのシートに落っことして気づかないまま下車してしまった。改札前で駅員に捜索を依頼し、そのまま改札を出してもらった。内心焦りながら焦ってもしょうがないのでそのまま出社。10時前に日比谷で見つかったとの報が入り一安心する。スマホがないと落ち着かないので昼休憩のタイミングで取りに向かう。東京の治安のよさは筋金入りだ。それにしてもスマートフォンを買い替えて一週間もしないうちに落っことすなんて幸先が良すぎる。ゼロストックTOKYOのズボンは座るとポケットから物が転げ落ちる作りになっているので、貴重品を入れるポケット使用はおすすめできない。これを履いているとき電車のシートに家の鍵を落としたことが二回ある。後ろポケットにはファスナーが付いているので鍵はそこに入れている。スマホもそうしたほうがいいかもしれない。
こんなミスをしておきながら何食わぬ顔で一日過ごした。話の種にしようかとも思ったが、端末を落下させ無くすことからイメージが落下するのはうまくないと思い直した。
定時三〇分過ぎで退勤。バルボアでナポリタンの大盛りを食べて図書館に行く。日記を書く準備をしたり日記を書いたりする。喉のいがいがはマシになっているが全然完治していない。
ハンバートハンバートという音楽ユニットがあるのを知っているが、ロリータを読むことでそれが少女を愛好する主人公の自称名だということに気づいた。どういう理由でその名前を活動名にしたのか気になるところだが、検索することはするまいと思ったので、ありえそうな理由を考えてみることにした。今のところ思いつかないがおそらく文学的な理由なのだろうという気がする。想像力にまつわる何かそれらしい理由。つまり文学的理由。
昨日見た『ホールドオーバーズ』が面白かった。見てから二十四時間経つが余韻がまだ続いている。ポール・ジアマッティの演技は素晴らしいというほかないが、アレクサンダー・ペインの演出も素晴らしい。ジアマッティの素晴らしい演技を引き出すのはやはり演出だろうと思う。とりわけこの映画を見る観客をぐっと物語世界に引き入れたのは、ホリデーシーズンの到来によって宿舎居残り組が食堂で食事を摂るシーンだ。議員の息子クーンツが寮の料理女メアリーについていかにもティーンエイジャーらしいこまっしゃくれた意見を言うやいなや、ジアマッティが驚くほど一瞬でブチ切れ、すごい剣幕でクーンツを叱り飛ばすというシーンがある。ここでのセリフは言い回しもよくて、「鶏小屋のハシゴ」というのはうまい喩えだが、それよりも何よりも、何に対して腹を立てるかというのが見えたときにその人のことがわかるというのがある。嫌われ者というのと嫌な人間というのはべつのことだし、ジアマッティは嫌われ者なだけで嫌な人間ではないというのが一発でわかるシーンだった。しかも同時に彼が難しい人間であるというのも表していて、それはジアマッティの演技からくるものなのだが、演技を最大限引き出すペインの演出がそれにピンスポットを当てていた。ふわふわとスロースタートし、その後雰囲気よく進んでいたところで急に人物の核心にズームアップするシーンだっただけに、その成否は作品全体の成功を左右するところだともいえる。ここで成功を掴んだからこの映画はその後のクライマックス近くでも突飛なことをやらずに済んだんだと思う。結果、甘いだけではなく、だからといって苦すぎもしない良いバランスで映画を締めくくることができ、一瞬の強い印象ではなく長く続く余韻を見るものにもたらした。
内容についての感想は「世代を超えた友情というのは良いものだ」というに尽きる。映画のメッセージなんていうのはそれぐらいのもので十分で、あとはそれをどうやって感じさせるかというところが勝負になるからそれで良い。それにそういうシンプルな感想を持てること自体嬉しいことだ。映画館で見ていると観客席のところどころで笑いが起きていてそれも良かった。ジアマッティが映画の観客としてめちゃくちゃマナーが悪いところなどは映画館で見るのが一番面白いシーンだったと思う。
職場に今月末で辞める人がいる。要領がいいとは言えないタイプで、どちらかといえばタスク全般があまり得意ではないんだろうなという人だが、仕事に対して真っ直ぐというか、自分の仕事をやり遂げることに人一倍思いがあるよう見受けられる。しかし同時に、その人から仕事を引き継ぐとき、その人がやるべきだったがやれていないことを「あとは頼みます」と、見ようによっては無責任、悪くとればミスの押しつけともとれないこともないやり方で引き継ぎをしようとしてくる。悪意からそうしているのではないのはやり取りをしていると明らかで、責任を回避したいというのが無意識に出てしまっているだけのようだ。実際、ミスについてはチャットでちょっと指摘するだけですぐ謝ってくるし、引き継ぎについても面倒くさそうな素振りひとつ見せず、むしろ積極的と言ってもいいぐらいの前傾姿勢だ。ただ仕事に向いていないというだけの話で、それとは関係なく仕事はきちんとこなさなければならないと思い込んでいるのがややこしいといえばややこしいところなのだが、自分にできることを精一杯やろうという姿勢には学ぶべきところがある。引き継ぎの一環で社内の登場人物に後任を紹介するという自分からは不要にみえるタスクを請け負ってくれたときのこと、以前一緒に仕事をしたときにミスをして迷惑をかけたというやや強面の人に対して、目に見えるほどはっきりと物怖じしながらそれでも、今月いっぱいで離任となります、今までありがとうございました、後任はこの人です、という必要な文章をなんとか絞り出せていて、それを横で見ながら立ち向かっているなあえらいなあと思ったのだった。その場ではとくにその人の助けになるようなことは言えなかったが、自分としても挨拶すべきといえばすべき人にとりあえずの挨拶はできたのでそのことの感謝を伝えつつ、苦手だったり嫌なことに立ち向かっていく姿勢について全面的にとは言えないまでも部分的にでも引き継ぎしようかなという気になった。多分その人はわりと年下なので感心している場合でもないし、どちらかといえば仕事の進め方を教えてあげるべきなんだろうけど、仕事に対して真っ直ぐな人に教えられることは何もない。もっといい加減にやればいいですよと仕事関係なく伝えられたらいいと思うが自分にとってのその人は、その人にとっての自分は、仕事関係の人なので難しいところがある。でもとにかく、何を伝えられても伝えられなくても、自分は今日困難に立ち向かう人を見た。今後の参考にさせてもらう。

20240625

日記406

三歩

2024/06/25 今日
よく寝たおかげで頭は好調。しかし喉のイガイガがとれずに咳がしたくてたまらない。
仕事を定時で上がって映画を見に行く。アレクサンダー・ペイン監督『ホールドオーバーズ』。予期した通り面白かった。ポール・ジアマッティの姿を目で追うことには喜びがある。ドミニクセッサの神経質も輝いていてよかった。
帰りの電車で『ヒロシマ・ノート』をKindle版で読む。読書会には間に合わないがそれでも読むべきだと思った。
間に合わないことが確定したのでじっくり読むことに切り替え、とりあえず下北沢駅前で氷結を飲むことにする。

20240624

日記405

マジで撤収5分前

2024/06/23 昨日
『戦争と平和』を読んだあと、家を出て夜の散歩に繰り出す。同居人の書いたキャラクターの話をしているあいだに茶沢通りにぶちあたり、下北沢駅前にたどり着く。その後ベンチに座って映画『MONDAY』のことが話題になる。わざわざ面白くないというほど面白くなかったわけでもないが、面白い映画だとは思わなかったのでその理由などを一方的に話してしまった。同意を得られるように話をしたつもりだが、人が面白いと思った何かについて面白くないだろうと同意を求めようとするのは無理がある。たとえ道理が通っていたとしてもそういうことじゃない。「お前さんには余裕がない」ときっぱり言われて、残念ながらそのとおりだと思った。面白くないということにも責任があると思うからその理路を指し示そうとするわけだけど、そもそもの始まりからして「そういうことじゃない」と言われればその通りだ。面白い映画の話をするか、全体として面白くないと判断した映画でもここは面白かったという話をするべきだという基本を忘れてはいけない。
というより何より、余裕がない原因ははっきりしていて、自分のやろうとしていることに何の進捗もないことだ。しかもそのフラストレーションを正当に自分に向けるのではなく、外のものに当たっているわけだからどうしようもない。
どうしようもないけどそんなナンセンスをやってしまうから言い訳が必要になって、弁解がましく多言を弄するという負の循環に陥る。自分の場合、その対象は小説や映画になるわけだが、そうする以上はきちんと権威ある作品だけに触れて、挑みかかるようにして貶したり腐したりしないといけない。それは安直にすれば自傷行為になることだが、それでもサンドバック扱いするために作品を見たり読んだりして、気持ちよくそれを叩いているよりはマシだ。
いずれにせよそういうマイナスでしかない営みに人を巻き込むべきではない。やっぱり面白いはずだと思える映画だけに絞ろう。付き合いで映画を見ても、正当ではないフラストレーション解消に費やされるだけだ。これは何重にもよくない。

2024/06/24 今日
前日うっかり飲みすぎたので寝不足になった。朝のうちはとくに不調を感じなかったが昼になるにつれだんだんキツくなってきた。そんなタイミングでリーダーに「元気?」と聞かれてつい答えあぐねてしまうことがあった。そんなのは適当に「元気です」と答えておく場面なのに、体調に対して正直に考えすぎている。そのくせ「眠いです」とは言えず、結局「・・・」とよくわからない間が空くことになった。でもそこから「元気なさそうだね」となり自然と世間話が発生した。何が良くて何が良くないのかわからんなあ。
定時間際に軽い打ち合わせが発生し三〇分間の残業になる。調子がいい日にはブチ切れる場面だが、寝不足もあるし図書館にいくのは止めておいてまっすぐ帰ろうと考えていたので、まあ良しとする。
バルボアでぼっかけ大盛りを食べ、銀座線と千代田線・小田急線で帰る。
家でだらだらしようと思ったがとりあえず日記は書いておこうとMACを開く。Vとテーブルについていろんな会話をしながら日記を書く。

20240623

日記404

視力

2024/06/22 昨日
武蔵野プレイスで『賢い血』を読み終わる。最終的に下宿屋のおかみが光を視るのは彼女の置かれた境遇によるところが大きい。ヘイゼルモーツが自らの清らかさを主張するとき、他人は蝿になる。彼は蝿に耐え忍び、蝿を救おうとするが、蝿の接近には我慢できない。その限界をどうにかして超えようとするが、ただ自らの忍耐力の問題に帰するのみで、蝿であると見做すことをやめようとはしない。彼の説く「キリストのいない教会」というのは問題のすり替えにすぎない。すくなくともキリストの有無というのは全然問題ではなく、問題はヘイゼルモーツの世界に他人が存在しないことだ。この問題は普通問題として現れないが、それを問題とする人には一生かかっても解けない問題として現れる。そして、ヘイゼルモーツのように、偽の取り組みやすい問題にすり替えてそれに対処しようとすることになる。結局のところ、どんな問題も自分の問題として考えることしかできないから、自分の問題として解けるところを探したり、部分的に解消していこうとしたり、自分がそれによって前進すると考える行動をすることしかできない。他人は障害物か補助アイテムかの二択でしかない。ヘイゼルモーツにとってもイーノックにとってもゴリラにとっても芸術家にとっても同じ、共通の二択だ。共通しているが共有してはいない。これはたしかに陰惨なコメディだが、同時に単純なコメディでもある。込み入った面白さはない。コミュニケーションがないからだ。コミュニケーションがないというのを表わすことに成功しているからコメディとして成功を納めているともいえる。あれもこれもと問題が積み重なっていくものについては、たとえどれだけそれに笑わされたとしてもコメディとは呼ばない。
武蔵境駅でお団子(のりとさつまいも)を食べてから、吉祥寺乗り換えで渋谷に移動する。渋谷では布屋に立ち寄り、良い気候だったのでそのまま区役所通りを通ってNHK前を抜け代々木公園をかすめて原宿まで散歩する。公園ではジャマイカフェスをやっていてスピーカーからレゲエのリズムが鳴り響いていた。原宿IKEAでハンガーを買って帰る。一旦帰宅して荷物を置いてからご飯を食べに出かけようという話だったのだが、疲れてしまっていて結局外出を断念した。おみやげに買ってきてくれていて食べ忘れていた花山ラーメンを食べる。気楽に見られるものを見ようということになったので『正欲』を見る。面白いところと面白くないところが混在した映画だった。総合したら全然駄目なのだが、新垣結衣はじめ見るべきところもあった。とくに稲垣吾郎の扱いはこういう話でよくあるコテコテさを微妙に回避し、バランスが取れていて良いとさえ思った。逆に佐々木のキャラクターはしっかりしていなくて駄目だった。言いたいことがまとまっていないのにモノローグをさせられているような印象で、もし意図されてのものであればこれは大したものだ。そもそもどういう理由で勾留されているのかも謎だが、よくわからないまま稲垣の良い仕事によって有罪になるところまで予感させる。その見立ては物語としては破綻していないので、ツッコミどころはありつつも全体としてバランスは取れている。当たり前のように他人を前提としているため、『賢い血』とはまったく別種の話のようでいて、一点、新垣結衣のセリフによって関係があるようにも感じられた。たとえ他全部が駄目でもそこだけは否定できない一点を持つことで、そこを起点として一気に世界観まで話が広がるということがあるが、それと同じことが起こったように思う。

2024/06/23 今日
十二時に野田地図のチケット購入のため待機していたがチケットが取れなかった。松本潤のファンの威力を知った。咳はましになったがやたら鼻水が出る。ホットケーキを食べてからスタバに出かける。ここでも鼻水がやばくてティッシュを鼻に詰めてマスクをする。日記を書く。お腹が空いてフラフラする。手が震えてきてタイプもおぼつかないのでスタバを出てご飯を買いに行くことにする。魚の定食とビールで空腹を満たし、ダイエーで酒とご飯を買って帰る。
Xperiaのカメラを持て余しているうちに、この日記に載せるための写真が縦横入れ違いになる問題が発生した。予想していたより素晴らしい体験がもたらされるということは今のところないが、カメラを使いこなせるようになったり、この日記でも何とかできたように問題を解決することで、少しずつ良くなっていけばいいと思う。今のところ落下防止のために導入した肩掛けロープのせいで、とくにシャッターを切るときや電子マネーをかざすときに取り回しが悪くなっている。
帰宅して『MONDAY』というループものの映画を見る。ループしていると気づいたときのハプニング遭遇感は良かったが、決まった物語に嵌めに行くために、そこからいろんなことをやってみようとするループハッピーのターンがなかったことが気になるといえば気になる。ループする世界にいる登場人物が「会社の仕事をする」というのはかなり先鋭的な表現だと思うが、その発想が受け入れられにくいものだという視点がないところがローカル映画丸出しで面白い(一応回避策は用意されていて、主人公が会社の後輩格のふたり組にタイムループに気付かされる(=会社組織に巻き込まれている)というところがあり、”日本人の特性”としてその状況では好き勝手やりにくいということになっている。しかし起こっていることへの対応としてはやはり弱い)。
映画制作のための道具を持ち、仕事をすすめるノウハウもあって、しかも自分たちの身の回り五メートル範囲を題材にするという、きちんと地に足のついた大学サークル映画だった。ただ、身内ノリはいいけど何もそのために鳩を殺す必要はないよなと思う。
映画にはどこかで映画から抜け出そうとするようなところがないと楽しめないということに気がついた。映画になろうとする映画はそもそも矢印の方向が逆だという気がする。逆向きであることを逆手に取って面白くするという映画もあるにはあるんだろうがパッと思いつかない。いや、逆手に取るというよりはギリギリのところで映画たり得ていないとか一瞬やばいというところがあって、それでも何とか映画としてまとまっているときに、あれだけ好き勝手やってよくやったよという感想になるんだと思う。結果的に成立させるというつまらなさを”逆手にとった”ように見える映画だ。「スッポリ収まってすごい、良かった!」というのは、テレビショッピングの番組を見ているような気にさせられる。どこかに需要はあるんだろうがはっきり言って意味はない。
夜の時間にスタバに行くつもりだったが結局家にいて『戦争と平和』を読む。Vが元気で「うれしいね」。そういえば昨日は寝る時間の直前に「ねます」と宣言していて面白かった。今週末も良かったので締めくくりに夜の散歩をして、意味あるほうのMONDAYを迎え撃つことにする。

私の都市生活についての所感(2024)
フリーライダーなので一応腰を低くしているが頭は高い。座高が高いわけではない。無礼者であるとかアンテナを張っているとかそういう意味だ。座高が高いという意味で言っているのではない。一応言っておくと身長が高いので座高も高い。あとそれとは全然関係ないが春夏秋には厚底サンダルを履いている。

20240622

日記403

雨あがる(ボーナス突入)

2024/06/21 昨日
喉痛はないのだが咳がよく出るようになっていて、職場でもわずらわしい思いをする。マスクを着用するのもそうだが、咳エチケットの遵守、そもそも咳を我慢しようとするのが億劫だ。とはいえ思うさま咳をしてみたいとも思えない。そうすると喉を痛めるだけだということをすでに学んでいるからだ。仕事のほうはそろそろ案件の重なりや催促が発生してきた。退屈しないからいいやというタイプではないので普通に面倒だ。若干の体調の悪さを押して腰を上げるのも気力がいる。それでもやるとなったらキーボードをパチパチやってメールを書いたり、わけのわからん書類を作成して申請を上げたり、とにかく定時という締め切りがあるから動けるのは間違いない。労働仕事なんていうのは締切に追われているぐらいでちょうどいい。それがないといつまでも端末の前に座って残業するということになる。そういう人もいるんだろうが帰っても何もやることのない人なんだろう。かくいう自分も読書はともかくとして、ただ日記を書いているだけだ。構想のことを考えたり考えを構想にまとめたりしていかないと。……ずっと言ってるなこれ。
定時一〇分過ぎに退勤。ユニクロでFF6Tシャツを受け取り、ダイエーでカツ丼を買ったあと即帰宅。Xperia1Ⅵが配達されてくるのを待機する。かりそめ天国を見ているうちに端末が届く。はじめてのハイエンドモデルで到着する日を指折り数えて楽しみにしていた。こういう買い物はスニーカー(wrpd runner)以来だ。カメラ性能でこの機種に決めたので自分のなかでスマートフォンの時代は終わりを告げ、スマートカメラの時代に入った。めちゃくちゃ気に入っていたPixel4aからデータコピーしてXperiaを持って下北の街に出る。
同居人と駅で待ち合わせて俺流餃子の店に行く。店員同士仲良さそうで料理提供スピード(おそらくオペレーションがよくない)に若干の難があるものの腹ペコでもないかぎり基本的に満足できる、雰囲気のいい店だ。入り口付近の席だと道を通る人を眺めながら食事ができるので、下北の通行人を見たいときにはベンチなどでの外飲みに次いでおすすめだ。
Xperiaの肝心のカメラ性能だが、夜の野外に関して言えばpixel4aに軍配が上がるかもしれない……。自分は画面をまったく見ないでただシャッターを押すという使い方をするので、その使い方ではpixelのカメラはスマートにいろいろ処理してくれていたのだなと実感することになった。カメラ起動速度やシャッター消音などでは長じているものの価格差ほどの差は実感できない。とはいえ本命は光学ズームなので、昼日中にそれを実感するまで判断は保留にしようと思い、それ以上考えるのをやめた。動作もpixelに比べてもどこかカクカクしている印象で、動きとしてはサクサク高速な分、カクつきスピードも早くなっていて結果的に気になってしまっている。ただこれは環境の変化によるものだろうから慣れで問題なくなるはずだ。
pixel4aは室内利用のポケモンスリープ専用機になった。いつものようにカビゴンたちをねむらせてからねむる。

2024/06/22 今日
六時頃に咳がしたくて目が覚める。咳が出そうで三〇分近く二度寝ができなかったので憤然としながら咳抑え薬を飲む。ただこの目覚めのいろいろで幼馴染とボウリングする夢、高校の友人たちとボウリングする夢を見る。先に見た幼馴染とのボウリングでは田舎からやってきた修学旅行生がはじめてボウリングをするという設定で、彼らに混じってボウリングをすることになったのだが、わざわざ真ん中のレーンを指定してボウリングというのはこうやるものだと見せつけて遊ぼうというアグレッシブな内容だった。ふたりともボウリングが得意でもなんでもないのになぜかやる気満々で見本となって教導しようという謎の意欲に溢れていた。もう一方の夢は実際に昔行っていたラウンドワンでの一幕という感じで夢を見たことは覚えているものの内容は覚えていない。薄かったんだろうと思う。
起き抜けに散髪に行く。ちょっと遅れそうだったのでLUUPを使い、オンタイムで到着できた。白髪ぼかしとあわせて五九〇〇円。貯まっていたポイントで支払う。
その後スタバに行って日記を書く。ちょっと前に書いた日記を読み返す。普段読み返すということをしないのであれだが、書かれてある内容はすこし前に自分で書いたものだから理解に苦しむ文章は少ない。読点とか使っていてえらい。たまに適当な場所にないこともあるが愛嬌で済ませられる範囲だと思うことにする。
昼過ぎにスタバを出て同居人と駅前で集合する。新台北という台湾料理屋で昼食をとり、ローソンでアイスを買って食べる。その後井の頭線と中央線で武蔵境駅前の武蔵野プレイスにくる。吉祥寺に住んでいるときにもっと活用すればよかった。小会議室も充実しているしサークル活動など捗りそうな場所だ。人で賑わっているのも良い。ゾーニングがきちんとされているので、勉強したい人、おしゃべりしたい人、作業したい人、本読みたい人、たんにゆっくりしたい人、これらすべてが共存できる空間になっている。こういうスポットにこそ東京の地力を見る思いがする。1Fのカフェエリアでラテを注文し『賢い血』を読む。
そういえば『蛇の道』は面白くなかった。話を知って見ると緊張感もない。話のエッセンスを強調しないで、ギミックに若干手を入れただけでほぼ元のままだった。もっと洗練されて先鋭的な悪が描かれればいいのに、暴力と無垢なものの犠牲を使っておいてコントにしか仕立てられないのは監督の力の弱さなのか意地の悪さなのか、どちらかを選択する気も起きない。
ただし、無垢なものの犠牲があるからには描くものは荘厳であるべきだとか、それに相応しいメッセージを描くべきだというのもそれはそれで了見が違う。そういう意味で、少女の死を使うということの正当性はどこにもなく、物語だからといって免除されるものでもないはずだという考え方にとっては、コントにすることで、ある犠牲に対して真実のメッセンジャーとしての崇高な役割を与えることの醜悪さをえぐり出す部分があるとはいえる。もちろんそれによってこの映画の退屈さが免責されるわけではない。リメイク元の映画同様不快で面白くなかった。リメイク元のほうがまだ笑いによって共感できる部分があり、コントとして見るところがあった。
カフェに蝿が出て席の周辺を元気に飛び回っている。それだけで同じ場所に滞在し続けられない、自分は弱い存在だ。

日記788

注意するに越したことなし 2026/08/04 昨日 15208 朝から出社。8時頃でもまだ涼しかった。午後から在宅勤務に切り替える。昼ごはんにスパゲティを食べる。腕立て伏せ。1時間すこし昼寝をする。『罪と罰』を読む。急な問い合わせが入り、定時すこしすぎに...