20230831

日記196

真っ直ぐの道

2023/08/30 昨日
調子が悪いときに調子が悪いといって泣き言をいうというのは自分がやってしまうよくないことのひとつなのだが、コンスタントに日記を書いていることでそのマイナスポイントが表にでてきている。もっと気分に従って書いているときには、単に日記を書いたりしないでべつのことをやって発散していたので、よくないところが表に出ないで済んでいた。ここのところよく寝ているし、ラジオ体操をして体の調子も問題ないので、不調の原因が自分の制作が思わしくないということにしかならないので苦しいというのがある。
全部捨てて違うことをやってやろうかという気持ちにもなっている。こういうときにはそうするのが良いんだろうけど、ここまで積んできたものがもったいなくてそうできない。いずれにしても惰性でやるのが一番よくない。でも惰性でもいいから前進するべきだとこうなる前に決めた方針は言ってくる。


2023/08/31 今日
在宅バイト。勉強する時間が取れないほどには忙しかった。しかし、何も考えずに日中を過ごしてタスクを消化していくのは、やったらやっただけ終わっていくし、定時にはきれいさっぱり全部終わらせられてインスタントな満足感もあるしで、内容のくだらなさに目をつぶればわるくないのかもしれない。少なくともやりたくてやってるはずの小説よりも受けるストレスは少ない。
スタバにきて『V.』の下巻を読み始める。モンダウゲンの物語は、きれいに箱詰めされた残酷物語だ。読むものを芯から不安にさせる。他人事だが自分ごとでもあるように読めてしまう。鞭を受ける方ではなく鞭打つ方を自分ごとにして考えさせる物語だと思うが、それでいいのかよくわからない。なんのための投影なのか、そういった安易な理由付けを避けようとしているのは間違いないが、それでも前後左右に揺さぶられながらなんのためのとかなんのためにとか考えてしまう。すぐれた小説だ。

20230829

日記195

裏路地

2023/08/29 昨日
ザ行とバスケの試合観戦の組み合わせでスタバに行かなかった。しかしまったく出かけないのも嫌だったのでチーズナンを食べに行く。
バスケのオーストラリア戦は強豪に力の差を見せられる結果に終わる。難しいだろうとは思いつつも奇跡が見られるかもしれないと思うとそれを見逃すことはできなかった。ホーキンソンが気を吐いていたのと、渡邉、富樫がフィンランド戦好調組が続けて好調とはいかないなかチームを引っ張っていたのが印象的だった。バスケの後ピクミンをちょっと進めてダンドリバトルをしてからねむる。

2023/08/30 今日
よくねむれて体調は良いのだけどバイトのことが引っかかって万全とは言えない。バイトで受けるストレスは最小限にするように心がけないといけないのに、売り言葉に買い言葉みたいに反抗的な態度を怒りに任せて表出したのは愚かだったと思う。図に乗らせてタスクをどんどん回されるのも避けたいと思うが、結局やらされることになるのであればあまり嫌がらず受けようと思った。無理な場合にだけ無理ですといって断ることにする。できるけどやりたくないというのは感情面では大きいのだが通らないのだし、イライラするだけ無駄なことだ。
在宅バイト。余裕がありそうでいてなんだかんだ時間が取られる。明日からバイト中の1時間をきっちり勉強の時間に当てようと思った。
昼頃に郵便局まで用事を済ませに来る。フラフラになりながらたどり着くも住所確認書類が必要だと言われて取りに帰る羽目になる。その指摘を受けたときには一瞬気が遠くなった。LUUPを駆使して暑さを最小限に抑えながら郵便局と家との往復をする。
バイト後、ザ行なしでスタバに来る。LUUPで行こうかと思ったが、夕方の時間になると少しは過ごしやすくなって歩くのも気持ちいいぐらいなので歩いていく。
『V.』の上巻を読み終わる。ピンチョンが歴史を手中に置くことができるのはどうしてなのだろう。ある人物のズームインとズームアウトにおいて、それが成功しているかどうかというのは一旦置いておいても、インは比較的行われやすくアウトはそれよりも数が少ない。そのうえ、アウトの際にグッと離れて社会・歴史・文明というところまで一気に離れてみせられるのは、小説という形式に可能な表現で、他のフィクションにくらべてアドバンテージが有る利点だといえる。人物にひたりついて一生懸命その内面に到達しようとするのはすべての小説書きがやることだが、そこから一気に引き剥がされる移動をするということはやっておきたい。偏執狂的・パラノイアという売り文句があるから、深刻ななかにも著者の手を止めない勢いが生まれるのだろうと思う。もちろん歴史についての最低限の知識があって、それをもとに任意の画角まで下がることができるというのも条件になる。
人物に寄るときに、そこから一気にズームアウトできないような仕方で寄っているのが問題だと言う気がする。自分を手がかりにしたり取っ掛かりにして始めるのは良いけど、微に入り細を穿つように展開しても、結局、自分の心情や考え方をつぶさに言い表すということにしかならない。それがやりたいのであればもっと適した形式がある。それをやりたいのであれば、もっと突き詰めて文章を書くこともできるはずだ。このブログにそれを載せればいい。目的について考えてみると、人生の素晴らしさを伝えたいというのではない。人生における特有の素晴らしさというのは驚くべきものだと思うし、それを伝えるというのが大事なことになる局面もあるかもしれないとは思うが、それを小説で表現したいわけではない。同様に人生の許せないこと・悪の一面について暴露したいというわけでもない。ユクスキュルの環世界ではないが、ダニを例に挙げると、人の生が持つ魅力というものをダニに説明しようという人はいないと思う。自分の生の素晴らしさや問題点を他人に伝えようというのは、極端に言えばこのことに近い。
自分以外のものについての自分なりの解釈を自分以外のものに対して与えたいというのが、小説を書く理由にもっとも近いと思われる。哲学のように明確で明瞭なマッピング、ある意義とべつの意義との対応関係を示すことをできるのであれば、哲学のようにその体系を示せば良いのだろうと思うが、自分自身が抱える限界もあり、”真っ直ぐの直線”しか使わないという条件を飲むことはできないので、歪んだ空間だったり、”曲がった直線”などを勝手気ままに使ったりしたい。そうすると事実にどこまで依拠するかということが問題になってくるが、事実に対して解釈を加えたいという気持ちがある。やっぱり最終的なところに近いところで、共有できるかどうかを重要視しているからなのか。でも共有については、少なくとも頭で考える分には、そこまで重要視していないはずだ。
そうすると、自分の考えていることに理があるという担保を手にしておきたいということか。他人を解釈するために必要な部品を手放しておけない。わかるという感覚を得るためには欠かせないパーツを手に持ったままで、色々なことを感じたり考えたりしたい。認知の能力が落ちるにしたがって「わかる」のラインが下がるようなことがあれば、それはそれで今とはちがった形での解決が見込まれることだろうが、今の能力に応じた今の解決を見たい。
というようなことを書いてみたところで、それが小説を書く理由になっているとも、動機の説明になっているとも思われない。
自分にその良さがわかる世界に自分自身が飛び込んで自分自身の良さを見つけ出したい、というのが直線的に答えに近づいた言い回しになるか。比較しても良いと思えるものと自分の作ったものを比較してみたい、とか?
もっと感覚的にいえば、砂場でお山を作ってトンネルを掘っているとき、それに夢中になる感覚が楽しいので、夢中になれる時間を増やしたい。今の自分に合う条件や適した難易度があり、そのなかで制作物の高下を自分で判断できるのが小説だったということか。だから結局、できることはなんでもやってみたら良いし、できないことはできないってだけの話だ。つまり、自分には小説が書けるから、というのが自分が小説を書く理由だ。

↑概念的な話だった。満足すべき状況なのに足りない気持ちが強いからというのが実感に即したところ。願望としては埋めたいというのがある。しかしこれも直截的に字にすると概念じみる。感じている部分との齟齬が許容できないほど大きい。許容できるところまで進めるしかないと思うが、そうすると、締切に追いかけられて取り組むのは嫌なんだけどそれと結局同じことになってしまいそう。どこまで進められるかということを考えると制限時間が気になってくるという意味で。
今日も21時半まで進めたけど、面白くないものを面白いと感じられる隙を狙って書き進めている感が強くなっていって、わるい意味でしみじみする。反故を増やしてるにすぎないのだけど、増えていることに喜んでそれをたよりに進んでいる感じを得ている。
駅前でカネコアヤノの歌を聞きながら道行く人の様子を眺めている。やっているのは受容だけど、この楽しさで満足できるのではないか。満足いくかどうかは置いておいても楽しいのは間違いない。「ラクをしたいだけ」では首を縦に振れない、「楽しいだけ」でもそうできない。それはなぜだ。

20230828

日記194

赤夏市・青夏市

2023/08/27 昨日
この日はまったく仕事やそれに類することをしなかった。前日に買ったピクミン4で遊ぶ。2人プレーができるという利点と体験版の体験がかなり上質なものだったことで購入する決心をしたのだったが、体験版の体験は嘘じゃなく、その続きもずっと面白い。制作者に自信があることが伝わってくる。音と動きと流れがすべて心地よくなるよう設計されていて、クオリティが感じられる。
昼ごはんはカレーを食べに行く。初めて入る店だったがおいしいスパイスカレーだった。とくにポークマトンの合い挽きカレーがメニューの一言にもあったとおり肉肉しくて美味かった。スパイス味付けのそぼろご飯というと言い過ぎだが、それに近いカレーだった。
帰宅後もピクミン4で遊ぶ。19時から近所の落語会に行ってみようかと思ったがメインの噺家のインスタグラムを覗いてみると面白い面白くない以前に、人物としてシャバそうな匂いがしたので行くのを止めた。ひとりでピクミン世界の探索を進める。
21時からはバスケワールドカップを見る。1Qに期待感が高まり、2Qでその期待を粉砕されるような失望を味わい、3Qでは勝負に望みをつなぎ、4Qは最高の出来になって大逆転劇を見られるというバスケ好きならずともたまらない、漫画のような展開になった。とくに比江島、河村、ホーキンソンが最高のパフォーマンスを見せた。他にシューターの冨永もシュートモーションの異常な速さの3Pに凄味があったりしたが、渡邉含めて全員よかった。とくに1Qと4Qではディフェンスに集中力を発揮して相手に攻めさせなかった。とくに4Qのディフェンスの出来は直接の勝因と言ってもいいと思う。すごいものを見たという満足感があった。
ちょっとだけピクミンのダンドリバトルをやってからねむる。

2023/08/28 今日
すごく質の良い睡眠が取れたようで起きてからの体調が絶好調だった。昼飯後も一切眠くならないことがバロメーターになっている。ただ、朝イチで3青1茶の動画を見るもあまり頭が働かず。集中力に欠けていた。在宅バイトのタスクをこなす。やっぱりどうしてもつまらないと思うし、その気持ちを殺すことにちょっと苦労する。
ザ行なしでLUUPを使ってスタバにくる。仕事の進捗はあったが、この方向でいいのかという方向に掘った回だった。進捗自体はあったし良かったのだが、これぐらいの絶好調時にしては成果物に物足りなさを感じる。もう21時だがちょっと違う方向で取っ掛かりだけ作っておきたいが、果たしてうまくいくか。

20230826

日記193

(1/2)月が出た*2=月が出た

2023/08/25 昨日
丸の内盆踊り大会は記憶の中ほど面白いものではなかった。ただ当時の東京音頭も炭坑節も頭の中に入っていないなかで踊るのにはちょうどよかったんだと思う。噴水を中心とした緩やかな回転、見ているだけの人も飛び入り参加しやすい雰囲気があったから、盆踊りをやってみようと思ったのだった。初心者フレンドリーというか自然に身体を動かしてみようという動線があったからか、盆踊りをやったことがないであろう若い友人たちが見様見真似で踊っていて楽しそうだった。未経験からやってみるときの、踊りのパターンを見極めながらなんとなくで踊ってみるというフェーズにも楽しさがあるから盆踊りは愛されるんだろう。都会ど真ん中の公園にふわっと集まって、盆踊りを踊って、終わったら大人しく三々五々電車に乗って帰るというのは、都会生活とちょっとした伝統行事とがさらっと和えられたような趣でやっぱり良かった。そこらじゅうに着流しの粋と都会的洗練の両方があって、当世かたぎのいなせなクールボーイ・クールガールの雰囲気を味わえたのもよかった。こういう雰囲気のなか盆踊りを踊っていると、なんとなくそれらを代表する一人になれる気もした。
千代田線で下北に戻ってから、寿司と鳥焼きをつまんで、駅前で終電間際まで駄弁って解散。しかし晩ごはんをしっかり食べていない感じがして帰りがけに松屋で牛めしを食べたのは余計だった。久しぶりに牛丼屋使ったのもあって、おいしかったのはおいしかったんだけど。

2023/08/26 今日
昨日の夜更かしの代償として10時前までねむる。本当は9時前に目が覚めていたのだが、ポケモンたちを休ませたい気持ちがあるから、何をするでもなくぼーっと見た夢の断片をしがんで思い出そうとしたり、なんとなくその続きのことを考えているうちに10時前になった。
起きてからはトーストをかじりながら3茶1青の動画を見る。久しぶりに紅茶をいれて、『V.』を読む。誰もが新聞をもとに自分バージョンの歴史をめいめいの脳裏に構築するという話の流れから、主要人物の科学者モンダウゲンを登場させ、ステンシルに彼の話を聞かせた上で、大きく膨らんだ「ステンシルバージョン」の話を語り始めるという流れが、何の手本か、見事なお手本だった。日記を書く。すると12時。今日は何をしようか。黒いリュックを探しにいこう。ストリート観察で見つけた気になるブランドの旗艦店に出かける予定。
結局、黒リュックを買うというプランそのものに疑問符がつき、買い物は取り止めになった。もう少し長い期間を黒リュック探しにあてる決意を固めたということも言えば言えるので、そういうことにしておく。これまでのところ、F/CE、エンダースキーマ、マーガレット・ハウエルを見て、どれも決め手にはならなかった。吉田カバンというのも芸が無いし、MET24にするのはただでさえスニーカーもNB付いているのにこれ以上行くと危険水域という感じだし悩みどころ。ちなみに吉田カバンではMOTIONというシリーズが良さそうに感じた。
昼飯のために14時頃外出。行列、行列で第三候補まで流れてのすぱじろうだったが、Lサイズはボリューム的にも満足感があったのと、真イカとトマトとほうれん草のペペロンチーノ美味しかったのでまあ満足だった。
スタバに来てちゃんとした席に座れず、昼飯直後というのもあって眠く、コンディションがわるかったが、漱石の『三山居士』『写生文』『自然を写す文章』を青空文庫で読む。席があいたタイミングで移動しMACを広げて作業できる体勢が整ってからは調子がよく、小説にも多少進捗があった。こういう形の小説にしたい、こういう形にしたくないという規範意識、どちらにしても十分に内的なものとして表れず、意識の光を当てると外的なものに左右されていることがはっきりする。登場人物をできるかぎり増やす、人の気持ちを直接描写することを避けるというのは、少なくとも現状では、手指の先まで浸透している考え方というわけにはいかない。しかし、だからといって内的な要求がすべてだと考え、我を通すのは違う気がする。借り物の規範意識であったり願望や方向づけだったとしても、ありがたく借りているうちに、いつの間にかしれっとその所有権を主張し始めるというのがもっとも得策だという気がする。タイガーフォックス(虎の威を借る狐)。関係ないけどそういえば、自分が生まれて初めて認識した犬のかたちはシェットランドシープドッグだった。牧羊犬だからシープドックなのだろうが、文字面シープドックだけで見ると、なんとなくキマイラ感を感じさせて不気味だ。そこまで考えないでも面白い名前だ。羊なの犬なの? という疑問を生み出すという点で。
俺がシェットランドシープドッグのことを思い出さないとあの犬はもう生きてはいないだろうし、あの犬を飼っていた家もいつの間にかなくなっていた気がするし、かつてあった世界の一角が消滅してしまうような気になる。そこには石碑として残らない生活があったというこの記憶。保存する方法はないものかと、いつもの方向につい考えが向かう。
ところで、今どうなっているのかが気になったのでGoogle earthを使って通っていた小学校の通学路を確認してみると、犬がいた家は残っていた。犬がいなくなったことで勝手にその犬がいた家まで無くなったことにする記憶の改竄が起こったようだ。こういうのはよくあることだろうと思う。とくに自分の記憶がすべてだと考えるタイプの人間の脳内では。べつに自分のことだから甘いことを言うわけじゃないが、それでいいとは思わないけど仕方ないことだとは思う。

20230825

日記192

自然の感じ


2023/08/24 昨日
22時近くまで進捗があったのは良いが、お腹が空いているのと達成感ゆえに酒を飲みたいのとで王将に行ってしまう。寝る時間が確定で遅くなる愚かな行動なのだが、さらに輪をかけてにんにく激増し餃子を食べる。キムチチャーハンは安定してうまい。

2023/08/25 今日
適度に降ってきたタスクを消化しているうちに定時になる。積み残しもなく気持ちの良い週末を迎えられそうだ。積み残していたとしても端末をパタンと閉じた瞬間にすべてを忘れるように訓練しているから問題はないのだけど。
準備をしてから丸の内の盆踊り大会に出かける。4年前盆踊りの魅力に気づかせてくれた思い入れのある大会なので楽しみだ。

20230824

日記191

明るい夜

2023/08/23 昨日
スタバから出た後ご飯をどうするか迷う。捗ったこともあって22時すぎになっていたので選択肢は少なかった。そのせいで酒を飲みながらしばらく彷徨う。結局外で食べるのを止めて0秒チキンラーメンを食べる。帰宅してから豆腐も食べる。なんとなく夜更かししようというテンションになって23時半から0時半まで動画を見て過ごす。1時前にはねむるが、それだけで不良になった気分だった。普段、規則正しい生活を送っている……。

2023/08/24 今日
朝起きてすぐ数学の動画を見るのは理にかなっている。認知能力にとって一番良い時間を仕事に振り向けるのは損でしかない。考えずにできる仕事で無為に消耗したくはない。
昼間までタスクを引っ張って、日が傾きかけたところから一気におわらせにかかるやり方が性に合っている。ただほんの少し目測を誤って30分のザ行。退勤後スタバに来る。
あとこの一、二週間のあいだでラジオ体操第一第二と首の運動をやっているのだが、始めてから目に見えて調子が良い。再度始めた当初は、肩を回す運動でとくに筋が固いのを感じて焦っていたが、この頃はようやくほぐれてきた気がする。二週間前に実感した身体の固さ・可動域の減少はこれまでの生活で一度も感じたことのない、自分の体が自分のものじゃないような感覚だったので、さすがにいよいよ「年齢」を感じた。身体はまだ動かないのが自分でも意識できるから良いけど、問題は頭の方だ。人のことを心配している場合ではない。
3青1茶の動画を見てから日記を書く。贅沢を言ってはいけないがスタバの冷房がやや効きすぎていて

20230823

日記190

雲がはなつ光(雲光)

2023/08/22 昨日
スタバでなかなか進捗があった。これまでむずがゆく思いながらまがいなりにも書き進めてきた箇所を清書としている第一稿に突っ込んだだけなのだが、それでも進捗があるような気になるので、なんだかうまくいかないと思いながらも書き進めていくことは無駄にはならないのだと思った。しかし、本当のことを言うと本当にそうかは微妙なところで、本来冷静な判断ではボツにする箇所を、何らかの要因で頭がバグっている隙に採用しているだけのような気もする。もう少しまともな頭で、長いスパンで見たとき、つまり第一稿を第二へ進めるときなどに、結局ボツにされるのではないか、そのときの手間を増やしただけなのではないかとも思われる。しかし、一歩一歩進んでいるという感覚を得られることや、捨てるにしても思い切って捨てるというアクションができるようにすることは、ポテンシャルをポテンシャル扱いしてそこからどこまでも伸びていったり重なっていったり大きく膨らむイメージの暴走を抑止する役割を持つことに加えて、有意義かどうかはわからないが少なくとも有用なことのように思われる。小説の構想段階ではもっともっと面白くなるぞと息巻いていた内容がどんどん剥がれ落ちていって、平凡な作品としての形を得ている過程は、なんだこれはと拍子抜けするような失望と、それでも形になって自立できるのではないかという期待とが混ざり合って不思議な気持ちである。それから大きいのは、第一稿から第二稿にテキストを移動させるときに魔法がかかるのではないかという期待が大きいことだ。これはポテンシャルをポテンシャルとして捉えるときの無責任な楽観に近いもの(というかそのもの)なのだが、今の地点からはそういう期待があるからこそ書き進めようという気にもなれるので、あまり先を見据えて実際の改善度合いについて予測するようなことはしないでおくのが吉であり賢いことだろうと思っている。
スタバを出た後、王将にいってキムチチャーハン大盛りと餃子を食べる。初めてここで食べたチャーハンのベチャベチャ具合に衝撃を受けて以来のチャーハンだったが、記憶ほどひどいということはなかったので、日高屋ほどではないにせよ安さもあるし今後も使っていけるラッキーを拾った。帰宅後は酒を飲んでいることもあって何もせずに過ごし、23時半にはねむる。

2023/08/23 今日
在宅バイト。モチベーションが落ちるのは、本腰を入れればすぐ終わらせられる仕事がちょびっとだけ目の前にあるという状況で、ちょびっとだけのタスクを終わらせるのをだらだら引きのばすところにある。そういうときにべつのタスクが落ちてくると逆にそれが着火点になってばさばさっと終わらしてしまう、ということが今日起こった。ただ落ちてくるのが16時頃だったせいで結局ザ行になってしまう。そんなこんなで19時まで家にいた後スタバにくる。犬の散歩のピークタイムで、たくさんの小型中型犬とすれ違う。いつもはそこに2,3匹の大型犬が交じるのだがこの日は遭遇できず。スタバについた後は、いつもの席に座れずにバリスタの目の前の高い椅子の席になる。それでもめげずに3青1茶(3blue1brown)の動画を見ることから始める。頭を回転させるために必要な手続きは日記を書くことだったが、それの前にこの動画視聴を置くことで、より適切な助走がとれているという気がする。日記にも若干それが表れているのではないか。

日記788

注意するに越したことなし 2026/08/04 昨日 15208 朝から出社。8時頃でもまだ涼しかった。午後から在宅勤務に切り替える。昼ごはんにスパゲティを食べる。腕立て伏せ。1時間すこし昼寝をする。『罪と罰』を読む。急な問い合わせが入り、定時すこしすぎに...