20240408

日記343

Be gentle

2024/04/07 昨日
スタバから歩いて帰宅。せいろ野菜と鶏肉の晩ごはん。鶏肉がぷりぷりで美味しかったし、大根の輪切りはいくらでも食べられそうだった。すずめの戸締まりを見る。ファンタジー色のつよいフィクション作品にするにはモチーフに現実感がありすぎるというところにほとんどすべての非難すべきポイントがある。他にも演出や人物造形に不満がないわけではないが、そんなことはいかにも些事に思われる。現実の出来事を作品で扱うのであれば必要となるはずの配慮が足りていない。いや、注意深く配慮はされているが、そもそも地震災害の原因を特別な力とそれを食い止めるための特別な役職者の力不足に帰するのは、現実の被害者に対する横暴ではないか。見終わったあともしばらく気分がわるかったし、今も腹立たしく感じているが、自然による人間の手に負えない出来事に対するものの見方が神話を形成するということはこれまでも見られてきたことで、そういうことをやりたかったのかもしれないとは思った。しかし結果的に時期尚早かつ力量不足で、制作中止にしないまでも延期するべきだった。製作側のお金の問題に巻き込まれてそれができなかったのだと想像するが、そうだとしてもまったく言い訳にならない。昔ながらの比喩表現を借りると、「悪魔と契約して駄作を作り出した」ということになる。罪はふたつある。大きいのと小さいのでふたつだが、分割されているだけに罪深くならないというのが本当に良くないところだ。
力量不足と言ったところは、登場人物への感情移入がなされそうなところですぐ次のシーンに移ってしまう駆け足の編集のことを指している。しかし、安易な感情移入を避けてあえてそういう演出にしているということも考えられはするので、その場合、単純にまずいということはいえない。また、登場人物が桃太郎の犬猿雉ばりに従順かつ協力的なのも気になるところだ。それぞれの持っている能力や差し出せるものも主人公が前進するのにちょうどいいし、放っておくこととかまってあげることのバランス感覚が何度も同じような人助けを繰り返してきたかのように過不足なく、手の差し伸べ方もやけに手慣れている。そういう人たちしかでてこない。変なやつや冷たい無関心もあったなかで、前に進むことのできる他人とのひとときだけを切り取ったのだということも言えるが、そういうやりとりも(ひょっとするとそういうやりとりこそ)重要ではないのか。そんなふうに省略してしまいつつ、犠牲が見込まれる「100万人」としてだけ他人を取り扱うというのは、物語至上主義ならぬ主人公至上主義といわれても仕方ないことだ。ただ、そういうことを堂々とやってしまえるのがこの監督の持ち味だと思うので、持ち味を発揮できているとも考えられる。しかしその場合、現実に起きた出来事との相性は相当悪い。何らかの手立てを講じたうえで接続することが必要不可欠だった。それにもかかわらず、普段と同様のやり方でほとんど無造作に取り扱っていることで、落ち着いて映画を見るために必要なだけの集中を湧き上がる反感によって阻害されてしまった。
二十三時過ぎにねむろうとするも、たらたらして二十四時近くの入眠になる。

2024/04/08 今日
金曜時点でこの新しい職場では月曜がそこまで嫌とは感じないかもしれないと思っていたが、習慣の力はつよいもので、何のことはない、憂鬱な月曜の朝だった。
夢で高校時代の友人たちとキャンプに行った。馬鹿な甲冑遊びに興じて対決しているうちのひとりが事故でほとんど指を落としそうな大怪我を負った。ぷらぷらと手のひらから離れかけた中指だか薬指を氷で冷やして病院に行くことにしたのだが、何をぐずぐずするのかいつまでも車が出ない。友人の痛そうな表情を見るのも忍びないし、目線を下げていたらちょうど視線が患部のあたりをさまようことになり、ろくに冷やせていないぷらぷらと手のひらから離れたがっている指ばかりが目に入り、一体何をぐずぐずしているのか、と気が気でないし、だんだん腹が立ってきたところで目が覚めた。
出退勤時には雨にはならない予報だったのでスニーカーで出勤。ぎりぎりのところで体制変更を思いついたらしく、先週の話とはちがうチームに所属することになった。どちらが良いのか判断できないし、何より自分で行き先を決められるわけではないので、これで良かったんだと強いて思うことにする。いずれにせよ、小規模ながらわかりやすく未来が分岐したことになる。
定時退社。雨も降っていないし富士そばに寄ってカツ丼を食べてから図書館にきて本を読む。日記を書く。移動中にはヴァンパイア・ウィークエンドの新譜とサンデーナイトドリーマーを聞いている。到着してからはいつもの通り辻井伸行のショパン。一曲だけケンドリック・ラマーとメトロ・ブーミンのLike thatを聞いた。「そういうのがしたかったの?」というのは強烈な一撃になる。そいつら越しに脳が揺れるのを感じた。

20240407

日記342

止まり木

2024/04/06 昨日
朝起きて散髪をしにいく。その後そのままクラシックのほうのスタバに行く。時間帯もあって席がガラガラだった。暴力の人類史を読む。
十三時過ぎに昼ご飯にする。ドドドにいってぶりの照焼定食をたのむ。夜に行くときにはいつも売り切れていて食べられなかったが売り切れになるのも納得。めちゃ美味い。
Reloadのほうに散歩してからK2で『落下の解剖学』を見る。温故知新というか新しい感覚と古い演出が渾然一体となっていて感覚的に目新しさを感じた。フランスやドイツでは当たり前のことなのかもしれないが、登場人物全員が自分の主義主張をそれは見事に開陳していて違和感というか気圧される感があった。主人公の息子にしても、自分の言葉で正しいと思うことを主張していて(それは相手の意見への反駁でもある)、とにかく聡明だと感嘆させられた。口をきかないことでそういう違和感とは無縁であるはずの犬さえ、もし言葉を操ることができたらさぞ朗々と弁じ立てるんだろうと思わせる賢そうな瞳の光を宿していて、本来癒やしであるはずの犬パートでも心休まることがなかった。唯一心休まる思いをしたのは刈り上げ警察官の穴だらけの証言場面だった。彼だけがひとり気を吐いて、それこそ犬のような素朴さをもって緊迫感の続く会話劇の小休止に一役買っていた。しかし、法廷全体がすぐ「こいつに喋らせても駄目だ」という空気になったのを見て、結局、居た堪れない気持ちになった。
映画を見てすぐ渋谷に移動。同居人がシークレットイベントに連れて行ってくれる。場所は何度か行ったことのあるボードゲームカフェ。ただ、なにやら奥の席に案内され、いつもと雰囲気がちがう。なんと、イマーシブシアターのプレ公演だった……!
演目はコメディ要素の強い演劇で、よくカフェなど飲食店を使ってやっているような小劇団の演劇だった。こちらも作り上げられた世界観に寄与する必要を感じて緊張したため、全力で楽しめなかったのが、そういう緊張感そのものがイマーシブシアターの醍醐味であるかもしれず、そうだった場合、きちんと楽しめたことになる。他のテーブルの人がそれなりに劇的な内容の話をしているとしても、ガン見して立ち聞きするのは気が咎めるので、それとなく聞いていないようにして聞き耳を立てているというような演技をしてみたのだが、どうやらそういった配慮はまったく不要だったようだ。あとは劇の内容よりも観客のなかにサバンナ高橋がいたことが記憶に残った。演者を円形に取り囲むかたちに配置されていて、演者を挟んで真向かいに高橋が座っていたのでそちらが気になり、しかも気にしていない素振りを維持する必要を感じてなんとか実行に移そうとしていたため七〇分近くの公演時間のほとんどに高橋の存在がちらつき続けた。主宰の人にぜひ宣伝をお願いしますと言われたのでここで宣伝することにするが、イマーシブシアターには従来の演劇のように「こう見る」という形がまだ定着していないので、自由に劇に参加することも参加しないこともできる。最大限困らせるようなことをやってみてもおそらく訓練された演者によって吸収されると思うので、もし見に行くのであればその大船に乗ったつもりで、のびのびと観劇(劇参加)するのがいいと思う。新しい体験を求めるのにうってつけのアクティビティが、ボードゲームカフェでのイマーシブシアター『コアクト』だ。ジェリージェリーカフェ渋谷店で来週から一週間ほど開演とのこと。時間とお金があればぜひ行くべし。
終演後、同卓になった人たちとごきぶりポーカー、おばけキャッチであそぶ。それこそ役者をやっていそうなよく声の通る女の子がルール説明や進行を買って出てくれた。小さな男の子もいたが、どちらのゲームにも全力で取り組み、全員をねじ伏せて両方ともで一位になった。
店を出てから食べたいものの折り合いがつかず渋谷で晩飯難民になりかけたが、グストイゴメスで両者妥協しブリトーを食べる。
酒を飲みながら帰宅。酒を飲んで電車に乗っているという状況のなかでなぜか中東情勢の話をしかけられ、あまり大声で話すような内容でもないので(状況的に真面目に話そうとするのもむずかしかった)否定的な短い返事をしていると、否定意見の意図が相手に伝わらず、機嫌を損ねるだけの結果になった。しかし、中田敦彦の動画を見て、それだけを情報元にして話すというのはいくらなんでも蛮勇がすぎる。自分もどんな話題でも話せるようでありたいが、慎重になるべき話題はやっぱりあるし、適切ではない方向性が目についたとき、反応しないままでいることが難しい。それでも準備していない反論より話頭の転換のほうが賢明なのだろう。そのときの日和っている後ろめたい感じは、それについてはっきりとしたことを知る労力をとっていない以上請け負うべきことなんだろう。

2024/04/07 今日
久しぶりの晴れ日になったので洗濯機を二度回す。同居人が親知らずを抜き、下顎付きの歯が左右対称になったことを喜んでいた。アップルパイとパン・オ・ショコラを買ってきてくれたのでそれをいただく。ケンドリック・ラマーを聞きながらスクワットを三分間だけだけする。
昼から代々木公園に出かける。下北沢駅の箱根そばで昼食をとってから代々木八幡から代々木公園に入る。目当てのわんわんカーニバルは想像していたよりかなり小規模かつ人間をもてなす犬たちにも疲れが見えており、悪のペットショップに行ったような気分にもなって楽しくなかった。道行く犬たちを見るのは楽しかったが、人も犬もごった返すなかでどの犬も緊張状態にあって普段とはちがう振る舞いをしているような気がして、これもドッグランで犬を見ることより楽しくはならなかった。ただ、春の陽気が最高で、青空の下だったら何をしていても楽しいボーナス状態だったので、その状態で桜とLUUPでの都市移動を満喫できてよかった。シャツ一枚羽織っていれば寒くも暑くもない状態というのが春のあるべき姿で、しかも雨続きのなかの晴れ間の一日になったのがどう考えても嬉しい。実際すれ違う人全員が笑顔で歩いているように見えた。
渋谷のラグタグがある通りをすこし行った先の公園ですこし休憩してからLUUPの六〇分クーポンを駆使して下北に戻る。途中、代々原のジャーミイでハラールショップや礼拝堂をちょっとだけ見学する。家で水着を回収してそのまま梅ヶ丘のプールまで移動。一時間弱泳いでから梅ヶ丘駅スタバに入って日記を書く。

20240405

日記341

ちょうど目線パーク

2024/04/04 昨日
図書館で本を読んでいるとタリーズ時代の友人から着信がある。外に出て近況などの話を少しする。その後図書館を引き上げて日比谷駅まで移動。駅でまた話をしてBerealをやろうという話とuekaramesen_streetのフォローたのむというお願いをする。てっきり断られるかと思っていたらあっさりフォローしてくれた。こういうときに意外と断らずに素直にお願いを聞いてくれるという、らしくないんだからしいんだかわからない年下・後輩ムーブを決めてくる。というか前からそうだったか。もうひとりのやんちゃボーイのほうがきっぱり断る系の動きをするからその印象に引きずられて同じフォルダに入れてしまっている。彼らふたりは顔かたちこそあまり似ていないものの呼称が似ていることもあって兄弟のように自分からは見える。七月から職場が変わるらしく、六月には有休取得で空き時間があるため東京に遊びに来るかもしれないという話だった。東京で遊べるのが楽しみだ。こうやってちょくちょく連絡をくれる友人がいるのは嬉しい。そういえばトイレに一円玉が落ちていてそのときに名曲『1円拾った』のメロディが再生されたという話をしていた。それがきっかけで思い出してくれるのはまさに望外の喜びだ。作ったときにはこんなに良い効果があるものとは想像していなかった(売れるんじゃないかという期待はあった)。彼らとのバイト生活は異常に楽しくて、B面の『楽しいことは逃げていく』という曲もすぐに書けて、金字かどうかはわからないが一時代を記念する塔を打ち立てられていたことに満足をおぼえる。今ここからも見えるというのが自分なりの灯台のようでなんともたのもしい。
ちょうどの電車に乗れたので表参道から同居人が乗り合わせてそのまま一緒に帰宅する。帰ったら二十二時過ぎになっていたのでそのまま寝る準備をしてねむる。朝が早いとこのあたりに無駄が生じないのでこのルーチンが定着すればだいぶつよい。

2024/04/05 今日
七時に起床することにも早や慣れた。雨の予報だったのでスニーカーを履かず、テクシーリュクスで出勤。日和っているわけではないので勘違いしてくれるなという気持ちを前面に出して出社する。今日も動画研修かと思っていたら、予定ではそうだったのだが、急遽打ち合わせに参加せよとのことでわけもわからぬなか打ち合わせに参加。そのままベテランさんのありがたい個人開催説明会を受けさせてもらえた。愛嬌のある人で、ちょこちょこ昔の大変だった話がはさまれるも、研修で学んでいることからのこのチームでの例外対応を中心にためになる話を聞かせてもらえた。何より愛嬌があるのがだいぶ良い。新入りの自分がはやく馴染めるように気を使ってくれているのがわかって嬉しかった。もともと急遽の打ち合わせに声をかけてくれた人も二月に入ったばかりらしく、年齢もそう離れていないと思うし仲良くなれたらいいな。
すぐ帰りたいとなる雰囲気の職場ではなく、むしろぼーっとしてから、あるいは誰かに話しかけてから帰るぐらいがちょうど良さそうな良い雰囲気の職場のように感じられるが、1.まだ話しかける相手がいないこと。2.定時ですぐ帰るのはポリシーであること。というふたつの理由から心を鬼にして退勤した。
そばを食ってから図書館に移動。『数学する精神』読了。数学というイメージで理解するしかないものについて、べつのイメージで喩えてくれるような本。イメージ同士のつながりを感じられると十楽しいのだろうが、数学の方はちょっとわからないし、もう一方のイメージの方も片方に数学があることによるこちら側の姿勢の問題でいつもとは勝手が違い「わかるー」とはいえない(四ぐらいはわかっているつもり)ので、いつにもましてふわふわする感じだ。漱石がの猫が出てきたのはやっぱり嬉しい。それから山崎正和の影を感じて、またすこし懐かしくなった。『演技する精神』や『世界文明史の試み』での〈「する」身体〉からの、言葉の上での直接的な符号からにすぎないが、連想したものは連想したものなので仕方がない。
正しさにも二種あるという考え方は、べつの場所でも使えそうな考え方だと思った。たしかテオリアとオートス(読み直したらオーパスだった)。すべてがオーパスではないのかという気がしないでもない。テオリアは宇宙人からしても正しいと考えると思われる正しさのことだというが、テオリア度を強めれば強めるほど(自明の度合いを高めるほど)、そのような宇宙人の仮定のほうが無理になるような気がする。程度の低いというか自分の見える範囲でしか動かさないレトリックだが、言おうと思ったらそういうことを言えるので言った。
あとは人間の数学は見えることを前提とした数学世界になっているというのも面白かった。すぐれた視覚表現で数学の解説をしてくれる3blue1brownの動画シリーズは、この数学世界観に則ったというか同じ直線上にある試みなんだという気がした。直接つながりがないところにつながりを見いだすというのは、パズルがバチッとはまるのとは違うことだと思うが、自分のなかでは同じかそれ以上の快感がある。比喩表現の表現元ではなく、本当のパズルのほうしかわからないから比べるべくもないわけだが。
金属バットがベジ郎という二郎系野菜炒め店のことを褒めていたので行ってみたくなった。回り道になるけど渋谷に寄って帰るかもしれない。
そういえば仕事中にぼーっと下のようなことを考えた。
人には楽しいというだけの理由でやっていることがいろいろあると思うが、それをやめてみようとしてみると良い。まず楽しいだけの理由でやっていることのリストアップをしてみるとその量に驚くかもしれない。そしてその大半はやめるのが難しいと感じられるだろうと思うが、やめようとして暫定的にやめてみれば半分ぐらいはそのままやめられるものだ。わざわざ生活上から楽しいことを減らしてどうするのだと思うかもしれないが、そうやって空いた容量には新たな楽しいことが入る余地が生まれる。それは周囲を見渡して何か楽しいことがないかと探すフェーズに入るということだ。世の中にはたくさんの楽しいことがあるから、そのなかから自分にとってとくに楽しいものを見つけることが大事だ。楽しいと思ってやっていることのサイクルを早めることで特別楽しいことを発見する効率が上がる。人はもともと「飽きる」というかたちで意図せずそのサイクルを回しているのだが、月一回のペースで楽しいことの棚卸をすることで、そのサイクルを早めることができる。しかし何も効率のためだけに言うのではない。
飽きたといって消極的に楽しいことを終わらせるのではなく、楽しいことがまだ楽しいうちに自らそれをやめていくのだ。いわば積極的に楽しいことをパージしていく。そうするとやがて、何度棚卸の機会を迎えても一向にやめようと思わない、楽しいことのコア部分が浮かび上がって、自分自身にも明らかになる。楽しいだけではない「大事な楽しいこと」を見つけられるのが、楽しいだけの理由でやっていることをやめてみるという試みの良い効果だ。楽しいことを探す機会を増やすほうがいいのは間違いない。それに一度手放してもべつのより良い機会でまた出会い直すこともできるはずだ。

20240404

日記340

春雨でもあり夜雨でもある

2024/04/03 昨日
スタバを出たあとユニクロに行ってオンラインで買った商品を受け取る。帰宅してから寝るまですこし時間があったので映像の世紀を見る。一九六八年と一九八九年の回。「一九八九年は一九六八年の続編である」というセリフがバチッと決まっていた。あとはラジオで非暴力での抵抗を呼びかけたチェコの文人ハヴェルが印象的だった。

2024/04/04 今日
今日は曇りだったのでスニーカーで出社した。霞が関から虎ノ門まで歩くあいだ、スーツでスニーカーを履いている男はひとりもいなかった。マンハッタンと並んだときにこれではさすがにだいぶ遅れを取っている。ひとり気を吐いていこう。
初日にチーム向けに挨拶をして以来、今日はグループ向けに挨拶をした。それ以外は研修動画を見て過ごす。
自分にとっては新しい登場人物になる四月一日からの同僚や先輩連の顔を見ると、これまでどこかのタイミングで見たことのある顔ばかりだという気がする。こういう顔でこういう雰囲気の人、どこでか思い出せないもののどこかで見聞きして知っている。登場人物に既視感がある。
昔といっても東京に出てきてからのことだが、初めて会った人に「あなたによく似た人い会ったことがある。いや、どこかで会いませんでしたか」と言われたことがある。相手が同年代の異性だったりすれば何じゃそれと思いながらもすこしテンションが上がったかもしれないが、年下の同性に言われたものだからテンションは上がらず、自分にはめずらしくちょっと失礼やなと思ってしまった。そのときにも思ったことだが、自分のことを主人公と考えて人生を物語だと自然に考えていてしかもそのビジョンを他人にも振りかざせる態度が不遜だと思ったのだった。もちろん自分というのがこの私ということであればそういうふうに思うのはまったく自然なことだし、彼にとっての自分は彼自身のことなのだろうからこの立ち位置から彼を指して不遜だというのは見当違いだとも思うのだが、それでもこの私からすれば彼のことを不遜な平民がおると顔をしかめるのもまたまったくもって自然なことだ。この立ち位置から見て玉座はひとつしかないわけで、だとしたら座るのは僕ということになる。そういう思考で、登場人物がまるで容量不足からくるモブキャラの使い回しのように被って見えるという体験をしたとき、そこでおもしろいで済まず、かつて無礼を働かれた記憶が浮かび上がってくるのが不愉快だった。しかもそのことに考え至った二回ともで、顔も名前も思い出せないそいつの薄暗くグレーアウトに塗り潰されたニタリ笑顔が思い起こされたし、なんだったらこれを書くうちにも思い起こされ、しかも完全には思い出せないもやもやに後押しされてやり場のないいらいらが募った。
仕事後にちょっと歩いて千代田区の図書館にくる。都市生活者のなかでも仕事帰りにこの図書館に立ち寄れるのはごく限られた一部の成功者だけの特権のように思える。皆読書したり視覚の勉強をしていたり、なかには仕事をしている人もいる。その全員が大きな音を立てたりしないし静かにルールとマナーを守って過ごしている。良い図書館だ。
『暴力の人類史』を読む。日記を書く。『戦争と平和』を読む。戦争と平和には豊富にユーモアがある。こんなに可笑しい箇所があるなんて実際に読む前には想像もできなかった。最初はこの長編をもとにしてピンチョンは独自の味付けとしてユーモアを物語に取り入れたんだろうと思っていたが、この長編のユーモアも含めたすべてをもとにして、自分の生きた時代に当てはめただけのような気がしてきた。種類はちがうが同質のユーモアがある。人間の出す一番良い音を使って奏でる音楽のような。暴力の人類史を読んだあとでこういう言い回しをするのはいらぬ不穏さを呼び込んでよくないが、それでもそういう音が鳴っているのを感じるしそれをひとまとまりの作品に感じられる以上、音楽というのがまっとうな言葉遣いだと思われる。第四部の冒頭がこれだ。

聖書の伝説は、働かないこと――無為が、堕落前の最初の人間の至福の条件であった、と語っている。無為を愛する気持は堕落した人間にもそのままのこったが、罰がたえず人間の上に重くのしかかっている。それは単にわれわれが額に汗して自分のパンを得なければならぬからではなく、自分の精神的特性によってわれわれは何もせずに、しかも心安らかでいることはできないからである。何もせずにいることの責めは負わねばならぬぞ、とひそかな声がささやきかけるのだ。何もせずに、しかも自分は世に益し、自分の義務を果たしているのだと感じられるような状態を、もし人間が見いだすことができたとしたら、彼は原始的な至福の一面を見いだしたことになろう。そして義務としての、だれからも非難されることのない無為のこのような状態を享受しているひとつの階級がある――それは軍人階級である。この義務としての、だれからも非難されることのない無為にこそ、これまでもそうであったし、これからも軍隊勤務最大の魅力があるのである。


進歩的というよりは現代のパースペクティブに合致するようだ。ひとつ心がけることがあるとすれば 、軍隊勤務をしないでこういった無為を享受できるように個人は当人の精神的特性を醸成しなければならないし、そこにこそ現代人特有の、つまりこれが書かれた時代にはまだ存在しないはずの義務があるのだといえる。

20240403

日記339

ビル影

2024/04/02 昨日
スタバを出たあとユニクロで感動セットアップの試着をする。どれも良かったしどれでも良かったのでコットンライクのネイビーを選ぶ。一番安く一番無難というチョイスだが、仕事するときに着る服など”コストパフォーマンス”で選べばいいのだ。
帰宅してからぼーっとして二十三時過ぎにはねむる。

2024/04/03 今日
久しぶりにきちんとした睡眠時間になる。そのおかげで一日調子がよかった。研修のビデオを見ているときにもしっかり内容が頭に入ってきたし、くだらない内容のときには違うことを考えたりもできた。
雨だったので図書館に行くのは断念し、雨に濡れないコースで下北まで移動する、つもりが渋谷の茹で太郎でそばを手繰りたくなったのでカツ丼セットをあつらえてから井の頭線に乗る。理の当然として道中濡れる羽目になった。手持ちの折りたたみ傘をかざしたもののカバー範囲が狭く、卸したてのコットンライクのスーツがまあまあ水をかぶった。
スタバにきて読書。『物語ビルマの歴史』。日記を書く。

20240402

日記338

タイガーゲート

2024/04/01 昨日
早めにねむったのはいいが、夜中に目が覚めてしまい、その後すこしのあいだ寝付けず。お腹がゴロゴロしそうな予感がある。しっかりお腹を守ってねむったので下さずに済んだが、多量の牛乳を飲んでいたので危なかった。

2024/04/02 今日
自分の言い分があるから必死になって説得を試みる夢を見た。高校時代の女子を相手に、当時のアンバランスな関係性そのままだったが、こちらは大人になっているんだから意を尽くせばきちんと伝わるはずと思って半泣きになりながら説得を試みた。どんな内容だったかくわしいことは覚えていないが、大演説の大佳境で突然鳴ったアラームで目が覚めた。場所も相手も話の内容もおぼえていないが、前日にFacebookで高校時代のクラスメイトを大量に見つけたことが見た夢につながっていたと思うので、高校時代のクラスメイトが登場人物だったのではないかという当て推量だ。
出社二日目。PCのセットアップにほぼ一日を費やす。その後ナレッジを見て感心させられる。案件受注時のリスク管理について、きちんとチェック機構が整理されていた。これぐらい仕組みがしっかりしていれば前職であんな悲惨な目に合わずに済んだだろう。
図書館に行くつもりが、同居人から会社に鍵を忘れて家に入れないとのヘルプが入り、しぶしぶ下北まで直帰する。富士そば跡の定食屋に入ってイワシ三羽定食を食べる。定食を注文すれば生ビールジョッキが一五〇円というサービス価格で提供されることを知ったが、スタバに行くつもりだったのでビールをたのまないで済ませる。その後スタバにきて読書。日記を書く。

20240401

日記337

雲の輪郭がつかめない

2024/03/31 昨日
帰宅後せいろで蒸した野菜と豚肉をいただく。野菜と肉のうまみが凝縮されて(というかうまみを逃さずに加熱されて)おいしい。お酒を飲まないで翌日の初出勤での自己紹介セリフを考える。二十三時にはねむるつもりがうっかり夜ふかしをしてしまって二十四時過ぎにねむる。

2024/04/01 今日
虎ノ門へ初出社。思ってたより電車は混んでいたが、小田急が遅延していたのでその影響かもしれず、実のところはまだわからず。緊張はあまりしないままだがなんとなくぬるっと始まった感じ。チームミーティングがあったのでチームの人達に挨拶をする。メンバーは八人のチーム。中堅のTLに経験豊富なベテランのおじさんが補佐で付いている編成で、おじさんが狂言回しの役割をきっちりこなしチームのコミュニケーションを潤滑にしている。さすが大きな組織だけあってうまいものだと感心する。こういうやり方が浸透しているのかもしれない。
スマホのセットアップとセキュリティに関する読み物を読んで初日は終了。
銀座線虎ノ門駅から表参道で千代田線に乗り換えるコースでまっすぐ下北に戻る。すた丼で晩ごはん。ユニクロでシャツを試着してから帰宅。
家に帰って冷蔵庫を開けると未開封の牛乳の賞味期限が今日でショックを受ける。一リットルを飲み切るのは無理だがすこしでも減らそうと、かなり久しぶりにスクワットをやる。三分間だけだけのスクワットエクササイズに息も絶え絶え、脚もPURUPURUになって、足腰の弱りを痛感する。抹茶味のプロテインを牛乳で溶いて飲む。その後久しぶりにグーグルアナリティクスをすこしだけ進めて、読書して日記を書く。スタバには行かなかった。これからは通勤メインになるのでスタバに行く習慣はなくなるかもしれない。

日記788

注意するに越したことなし 2026/08/04 昨日 15208 朝から出社。8時頃でもまだ涼しかった。午後から在宅勤務に切り替える。昼ごはんにスパゲティを食べる。腕立て伏せ。1時間すこし昼寝をする。『罪と罰』を読む。急な問い合わせが入り、定時すこしすぎに...