20230814

日記183

湿度100%

2023/08/13 昨日
新宿に行って映画まで2時間ぐらい時間をつぶす。無理かもなと思っていたがスタバはどこも満員で入れず。紀伊国屋で本を見て、伊勢丹で服を見て、もう一度紀伊国屋に戻って本を立ち読みしているうちに時間になる。当てもなく新宿にいるときの心もとない気持ちをまた味わう羽目になった。これは鉄板で座れるカフェを見つけていないせいもあって年に何回かやってしまう。今回はむし暑さと雨のせいで、過去最悪レベルのやるせなさだった。
楽しみにしていた映画はすぐに予約したおかげで一番いい席で見れた。今回は発見がみっつあった。
・パルプ・フィクションは面白すぎる。
・俺は面白い映画を見ると元気になる。
・面白い映画についての時間を経た評価は信頼に値する。
とくにみっつめの発見が印象的で、自分の鑑賞眼だけを信じてきたわけではないおかげで、この映画体験ができているということがあるので、識者には感謝しないといけないということを思った。
つまり、クエンティン・タランティーノの映画を最初に見たとき自分はそこまで感心しなかったというか、面白さがわかっていなかった。面白さは理解できないまでも迫力を感じてはいたから引っ掛かりがゼロだったわけではないのだが、それでもこの作品が映画好きの人たちによって名作扱いされていなかったら、そのまま通り過ぎていた可能性は十分ある。youtubeなどでは、面白い動画も自分がそこにアクセスできない以上それは存在していないのと一緒ということになる。それは現在進行系で起こっている残念なことだが、映画好きの目がもし確かでなかったとすれば、映画でも同じことが起こり得た。海外文学などの小説にしても、面白いとされるものはちゃんと面白い。自分のなかの好き嫌いの壁を越えられない作品もそれなりにあるが、意識してその壁を十分低くするなら、読んで面白くないということは言えないだろう。(読まない場合、存在しないことになるが)
映画の面白さも小説の面白さも、それが個人的な体験に根ざした受容だとする自分の立場にゆずるべきところはないが、そこへのアクセスが可能になったのは社会的な評価のおかげではある。その評価への信頼は揺るがないということはできないにしても、自分の自分にとって個人的だと考えている選好を築いていったのは、まずは社会的な選好からきている作品群だといっていい。作品受容において自分は、名作や権威というものを認めるよう暗に求められるようなある種の教育を受け続けてきた。その結果得たものは大きいから、こういう構造にしても否定し去ることはできないが、ひとつひとつの作品受容においては、過去から連綿と続いてきた文化的蓄積や係留はあえて無視し、面白いかどうかだけの一軸で評価するようにはしたい。それぞれの作品の共通点や文化史的マッピングについてはそういうのが好きな人に任せればある程度はきちんと整理してくれるはずだ。今やハイカルチャーが好きだという明確な選好を持つにいたった自分としては、こういう積み上げや連綿と繋がっていく流れには恩義があるといってもいいし、足を向けてはいられないはずなのだが、自分より年少の人たちにこっちだと道を示すために流れや蓄積を強調するということはやっていられない。自分が手にしている選好について考えると、べつに師匠がいたわけでもなし、具体的な個人に負っていないから、社会的な権威や名作扱いに反発せずに、ただ面白いものを求めていただけで好きに面白いはずだと思って飛び込んだまでで、そういうふうにできるやつは放っておいても勝手にそういうふうにするはずだと思うからだ。面白いものに飛び込もうとするのは、それを求める自分自身によって妨害されたり、流れを面白くない方向に変えられたりもすることだ。信頼できる他人の言葉を探すしかない。それがどこにあるかはわからないし、知っていたら教えてほしいぐらいだが(もちろん半信半疑で聞くが)、それは自分の言いたかったことを代弁してくれるようなレビューの中にはないことだけは確かだ。あとは「実感がこもっている」というのも当てにはならない。猫がかわいい、犬がかわいいというのは実感として思うことだが、それでは面白い未だ見ぬものには到達できない。(ただしその実感を失ってしまっては本末転倒だと思うので、それが不要だと言いたいわけではない)
紀伊國屋書店でいくつかの本を立ち読みすると元気が出た。当然といえば当然なのかも知れないが、出版されて平置きになっている、何とかいう賞を獲ったり獲りそうになった小説にしても、手にとって読んでみると完璧とはほど遠い。出版されるという目的をもちそれが叶った本であるというのが、自分にとってのその本すべてだ。自分が読んできた本、自分が読んで面白いと思ってきた本とは全然ちがう。
ただ、それだけのことでは満足できなかったので、昔面白いと思って特別な作家だと考えている小説家の本も手にとって読んでみた。そうするとびっくりするほど同じ感想だった。完璧とはほど遠く、出版されることがゴールになっているような小説に思えた。先の小説はわからないにせよ、好きだった小説についてはさすがにそんなわけはないので、自分がいま小説を書いていて、何が面白いと思うかということについて昔とはちがった感覚を持っていることが、そう思えてしまった原因だと思う。単純で皮相な考え方のようだが、全部の小説を面白いと感じる人間よりも、全部の小説を面白くないと感じる人間のほうが小説を書くのに向いていると思うので、小説を書いている結果、そちらに寄っていく過程をたどりつつあるように自分自身のことを見られるのは心強い。もちろんバランスをとって言うなら、完成もさせないうちからこんなふうに思い込み(ばかり)が強くなっていくのは常識的に考えて心配ではある。まあここがバランスなんてクソ喰らえという場面なわけだけれども。


2023/08/14 今日
連休明けの在宅バイト。当然やる気など出ない。タスク整理だけしてあとはダラダラする。あとは復帰した人と打ち合わせをして、タスクの一部をきっちり巻き取ってもらう。自分でやろうが人がやろうが何も変わらない、ただ面倒な仕事なので、他人にお願いするというのはイコール働いたということで良いのだ。今日はほとんど何もしなかったが働いた。
定時上がりでクラシックのほうのスタバにいく。LUUP使ったが、踏切で5分ほど待たされたせいで料金が120円かかった。日記の書き終わりが19時半。これから仕事を進める。

20230813

日記182

天井あれば高さ際立つ

2023/08/12 昨日
スタバに行った後、もうやんカレーで大辛のポークカレーを食べる。100均に寄って切らしているLシステインの代替サプリを購入。LUUPを使って帰宅する。
帰宅後、この日の企画のひとつであるラジオの準備をする。
ラジオは「構成を練る」「事前準備」をするという話だったが、どちらも全然できていなかった。曖昧で抽象的な、どこかで聞き齧ったことだけを述べる中身のない提言だということは半ば予想していたがそのままその通りだった。
結局、たんにいつもより重心を下げて会話するというところに落ち着き、そうすると普段の退屈さからはすこし隔たることができたので、ラジオの件について考えたり、準備することは進まずそのままになってしまった。この日にラジオ企画に目鼻がつかなかったら彼とラジオするという遊び方はできないと意気込んで臨んだが、この日の結果でやっぱりできないというのが確実になった。
あとは利き水と利きビールをやった。どちらも当てられて味の違いははっきりあるということがわかった。
ラジオができなかった代わりに、ファッション誌風インタビュー作成のためのインタビューとスナップ撮影をやった。準備をしていただけあってインタビューはそれなりの結果になった。スナップ撮影も15分ほどでスムーズにできた。どちらも気を置けない関係性だから滞りなく進んだだけだという気もするので、それぞれの形式や体裁をあらかじめ整えていくことが重要になる。
この日に企図したイベントは全部終了したので飲みに出かける。気になっていたスシスミビに入る。うまく注文しさえすれば安くで楽しめそうな店だということを発見できた。その後、ミカンのダンダンで一缶分話をして帰る。たとえば映画などで何かが良くないとか何かが良いとか言うとき、友人はその何が良いのかということを全然言わない。言ったと思えば質の悪い感想・批評サイト(というかそこまでもしておらずツイート・コメントだけだろう)から直輸入してきたようなことだけ。それで済むような会話しかやってないのだろうと想像される。また意見が対立したらそこで終わりという姿勢が見える。本当はそこからスタートすることなのだが、意見の対立ができないのだろう。なぜ対立ができないのかといえば、相手側の意見を聞くことができないからで、なぜ相手側の意見を聞けないかといえば、自分の意見を成形するのにコストがかかりすぎているからだ。相手の言うことから相手の意見を抽出するのではなく、自分の意見と相反する点を抽出している。対立点にしてもそうだが、賛同する点についても、単純化した受け取り方しかできていないので、意見を賛成か反対かのレベルでしか汲み取れていない。自分がのぞむ会話の水準で考えるとまったく汲み取れていない。自分はSNSなどの短いコメントの応酬を会話でやりたいわけではない。一を聞いて十を知る人がいるというが、彼の場合などはその逆で、十を聞いて一を知るというものだ。程度の差はあれ、これは彼だけの話ではなく、見聞きする精度を上げていこうと志向しない人は遅かれ早かれそうなってしまうのだろう。若いときには脳の力でなんとかできていたのかもしれないが、その能力は落ちていくし、そうすると上がっていこうと意思しないかぎりは下がっていく一方だ。ただ、実際には上がっていこうとしても下がってしまうのが一般だろう。どれだけそのスピードを遅らせられるか、自分なりの基準を構築していくか、そういったところがポイントになってくる。

帰り際、雑誌企画のインタビューで友人の友人を紹介してもらうためのスケジュールを決めようとしたときに、思い当たる人をどうやって誘うか難しいと言っていたので、企画参与者として誘ってほしいというと面倒そうな顔をされる。さらに、誘うのであれば「誠実さ」を出さないといけないと言われる。一体どの口が誠実さなんて言葉を出すのだろうと首をひねったが、一般論としては正しいので持ち帰ることにした。ナチュラルに自分のことを棚に上げられる神経の太さ(≒神経の無さ)には驚くばかりだが、彼にいちいち噛み付いていては時間の無駄なのでこっちでできることをする。誰か協力者を探さないといけないのは明らかだ。別ルートがないというのがボトルネックになるようでは責任はそのまま自分に返ってくる。企画をやりたいと言い始めたのはそもそも自分で、協力してくれるだけありがたいと思わないといけない。昔からつるんでいるという事実に甘えてつい多くを求めてしまうのは良くない。

2023/08/13 今日
9時半に起きる。眠りパワーの最高値を2日連続で更新。VIVANTの一話冒頭10分を見て、見切りをつけ6分間の4話分ダイジェストを見る。さらに見切ってもうこれ以上見ないでもいいと判断する。10時半にスタバに行く。暑いのが嫌だからLUUPが重宝している。100円しないでスイっと移動できるのは熱い。
今日は休みにすることにして、『V.』を読み、漱石の『吾輩は猫である』の序を読む。集中して書かれてあることがわかる。当たり前だけど。明日から気持ちを入れ替えて、日常的に書くということと集中して書くということを並立させないといけない。
『パルプ・フィクション』を見るため新宿に行く。

20230812

日記181

エレキ街

2023/08/11 昨日
神田明神の盆踊りに参加するため秋葉原にいく。久しぶりにきたが観光客で賑わっていた。アトレのスタバに1時間半ぐらい座ってから盆踊り会場に向かう。アニメソング盆踊りということで最初は『推しの子』の曲で踊る。見学の素人写真家たちが踊るためのスペースまで押し寄せてきて踊るためのスペースが充分確保されていなかった。パタリロ音頭がとくによかったのと、おジャ魔女どれみの踊りのときには他とは違う熱があって興味深かった。あとは炭坑節や東京音頭がかかると水を得た魚のようになる自分が面白い。
1部と2部があるということだったが、人がどんどん増えてきて踊るどころの騒ぎじゃなくなってきたので1部だけの参加で引き上げる。中華料理屋に入って大量の飯を食う。客が全員、立派なおたくルックのいでたちだったので若干浮いていたかもしれない。是非浮いていてほしいが、残念ながらちゃんと馴染んでいたような気もする。
食べすぎたのと盆踊りが期待を下回ったのとで低調になるが、帰りがけに川沿いのテラス席を発見し、座って喋るうちにいい気分を持ち直す。
汗でどろどろになったので早くシャワしたい気持ちで、電車に乗って新宿経由で帰る。シャワーして22時には家でゆったりできたのだが、そこから2時間の記憶が薄い。たしか粗品の動画を見ながら天鳳でサンマして、23時半には寝に行ったのだが寝付けずに1時間を無為に過ごしたのだった。それでもポケスリのおかげで0時半頃にねむる。

2023/08/12 今日
9時半に目を覚ます。だらだらと休日の朝を過ごした後、一駅も歩きたくなかったので電車に乗って下北沢駅までいく。しかしエキウエのスタバは満席だったのでイヤイヤ歩いてクラシックスタバにくる。10時半。客は少なかったが、大学生の男三人組がクラウドファウンディングを駆使したスタートアップの相談をしていて楽しそうだなと思って、ちょっと話を盗み聞く。送料の表記についてどうするかが議題に上がっていた。古着を売るんだと思っていたらどうやらゲーミングPCを売る話らしく、商材から考えてわりとガチな商売を始めようとしているようで大変そうだ。でも話し合いの雰囲気からみんなあるレベル感での楽観視を共有できていて遊びとしても楽しそうだと思った。ひとりがバイトか何かの用事で抜けていったあとも残ったふたりはPC画面を見ながら何やら話をしている。自分たちTCBも負けてはいられないとは思うが、これという企画も上がってこない。行動はさておき思いつきさえもなくなったら、ただ美味い飯を食って美味い美味いと言うだけの「大人」になるだけだ。何か思いつきたいが……。
新しい友人を作ろうとするときにこれまでは商売気のなさでフィルターをかけていたが、それは外したほうがいいかもしれない。自分に商売気はないが、意欲的に何かに取り組もうという人を探すときにそのフィルターをかけると同世代だと誰もいなくなってしまう。ビジネス気質を全開にするのはちょっと嫌だという手合いはすでに何かをやっている。そこにゲスト参加するのもありだけど、それだと企画をやるということにはならない。と結局また無いものねだりになる。自分ひとりでできることを自分ひとりでやるだけだ。まずはそれを完成させてから、それを持って出かけていけばいい。

20230811

日記180

終電早い

2023/08/10 昨日
一旦諦めかけてから意外と進捗があった。粘り強く机に座り続けるのも大事。9時半までやったあと吉祥寺まで飲みに出かける。吉祥寺シアター近くの飲み屋っぽい飲み屋。クーラー効いてないイメージがあったけど、記憶よりさらにクーラーが効いてなかったため、汗かきながら酒を飲む羽目になる。最初こそ暑さでテンションが上がらなかったけれど、慣れるのと酒が進むのとでだんだん盛り上がってきた。会話が面白いのは会話を面白くしようと頑張っている相手がいてこそというのを感じた。店を出てからのトークも知りたかったことが知れて充実していた。足りないものがあまりない現代においては、何か打ち込むことがある人は幸いである。続いているというのもすごいし、続けていこうという意思があるのも立派だ。取り組んでいるときの集中や必要なところにまで到達しようとする志向そのものが楽しさなんだろうと想像する。楽しいことは逃げていく、僕らはいつでも追いかけるという歌の歌詞を思い出す。
ただ、話が盛りあがった代償として下北沢までの終電を逃してしまった。一瞬、ネカフェで漫画読むコースも過ぎったが翌日の寝不足を嫌い、1時間半かけて歩いて帰宅することにする。しかし、こういうバカなことをやるとテンションがアガる効果があって楽しかった。歩く距離といい、ちょうどいいサイズだから本当に苦しいわけでもなく、支払う代償としてはぴったりだった。話の内容を反芻する時間にもなったし。道中こわい道もあったが、何とか帰宅した頃にはくたくたになっていてすぐに寝てしまう。

2023/08/11 今日
10時半に起床。8時間近くぐっすり寝れて元気に目を覚ます。昨日の歩きと昼間に久しぶりに行ったラジオ体操第一第二が効いているんだろう。ゆっくり朝ごはんを食べて正午にスタバへ移動。白い雲が青い空に映えていていい感じだと思ったが、なんにせよ暑い。スタバ店内はクーラーがんがんだったがしばらくは身体の熱がとれなかった。日記を書いているうちに落ち着いたので仕事にかかる。今日は夕方から神田明神の盆踊り大会に出場予定。

20230810

日記179

道路は一日にして成らず

2023/08/09 昨日
明大前のスタバは混んでいなくて、下の通りを見下ろせる6人がけの大きなテーブル席があって良かった。やっぱり混んでいないに優るスタバはない。仕事を9時前には切り上げて相州屋という定食屋に行ってオムハヤシライスを食べる。トマト味のないハヤシライスの究極系ではないかと思った。肉が結構多かったのも嬉しかった。ステーキと牛丼以外で久しぶりに牛肉を食べた。そうはいってもハヤシライスの牛肉は牛丼と似たようなものか。
LUUPで家の近くまで帰る。ぎりぎり雨に降られることになり、LUUP返却後の3分の道のりで一気に強まった雨脚に捕まり、びしょ濡れの濡れ鼠になった。
『83歳のやさしいスパイ』を見る。普段ショート動画で幼児や犬猫を消費するのと変わらない消費スタイルになるのではないかと警戒しながら見たが、そこまでひどい消費にならなかったはずだと思う。近いものはあったとしても程度問題だし、そうならないようにしすぎるというのも過保護になって目線の問題は解消しない。結局、画面に写っているものを見るだけだ。音に聞く「老後の心配」というのがどういうものなのかすこしわかった気がする。ただし、よく聞くそれとはやっぱり内容が違っているのではないか。一番大きいのは孤独感の問題なんだと思う。家族がいるならいるに越したことはないんだろうけど、それですべてが解消するというわけではなさそうだ。ポケスリのために23時半にねむる。

2023/08/10 今日
在宅バイト。期限期限期限期限で、一個でも見落としがあったらどうしようと気が抜けない。べつにこんなの飛ばしたら飛ばしたでええのよと頭の中の正気おじさんがかき氷食いながら喋りかけてくるけどちょっと今黙っといてと声荒げる始末。正気おじさんは狂人に掛ける言葉は持っていても、諭す論理は持ち合わせていない。とにかく機嫌よくかき氷でもホットクレープでも食べてそこにいてほしい。ビーチパラソルの下で足を伸ばしてくつろいでいる真っ当な感性の持ち主が自分の本体なのだと思っていることは多分自分で意識している以上に大切なポイントなのだ。夕方になって三連休が目前に迫るにつれ高ぶってくる。来週にまわすタスクも極小に抑えたことにより、やったった感が大きい。酒を飲みに行きたくなる。落ち着いてラジオ体操してから、空腹をなんとかするためにチーズナンを食べに行く。19時半にはスタバに座って日記を書き始める。この後一時間でも二時間でもできるだけ仕事をこなしてから、飲みに行けたら飲みに行く。
関係ないけどふたり以上でスタバにきて喋っている人々をちょっと観察していると、皆相手の目を見て喋っているということに気がつく。これが当たり前なのか。スタバに数人で来る人間はなんらかの異常をかかえている? 自分が話し相手と目を合わせるのを5だとすると、誇張なしで100ぐらいは目を合わせて喋っていないか? いくらなんでもやりすぎじゃないかと思うんだけど、俺が目を合わせなさ過ぎるのか。普通はどうなのかというのはこの際どうでもいい。こんなに目を合わせて良いのだったら、あのときも、あのときも、もっと目を合わせに行けばよかったと思う場面がたくさんある。過去のことはさておき、これからは目を合わせるということを意識して人と当たっていこう。目線は攻撃になるというほとんど無意識の思考習慣があるから難しいかもしれないけど、それは自分の動物性の部分から発している癖のようなものだろうから、なんとかコントロール下におくようにしていきたい。

20230809

日記178

かぶり

2023/08/08 昨日
スタバを出てから買い物にスーパーに寄ったが酒を買わず代替にChill outを買って飲みながら帰った。ほぼ毎日飲むとはいえ酒量はかなりコントロールされたものだし、全然問題ないとは思うものの、たろちんの膵臓のことを考えるとつい弱気になってセーブしようという気持ちになったのだった。それと町田康の断酒にも遠くから影響を受けている。華々しい飲み方は自分にはできないのだから、未練たらしく酒を飲むのはたんに脳細胞にとって害になるだけなので、とにかく楽しく飲めるときにだけプルタブを引くことにした。

2023/08/09 今日
在宅バイト。途中途中で雨が降ったり、眠くなったら昼寝をしたり、ダイアンのラジオを聞きながらタスクをこなしていった。バイト後にはスタバの机に座って仕事をしないといけないと思うと若干気が重く、バイトをして作業に没頭しているほうが気楽かもしれないという逆転現象が起こった。これはアフター5の獲得に血道をあげることを辞さない自分としては異常事態だといえる。ここのところ進捗も思わしくなく、帰りに酒を飲んでも楽しい気分になることも少ない。何のためにやっているんだという気がすることもある。世のため人のためと気を取り直す。半分冗談だが、こうやって苦痛を和らげているうちに慣れていって、本当にそんな気分で机に向かうようになることが予想されるのが自分の恐ろしいところだ。しかしモチベーションの方向性はともかく、生まれつつある作品を水に返したくないというのは思うところだ。作品内にはわるくないやつらが揃っているし、そいつらにこの世界との接点を与えてやりたいという気持ちがある。どうせ誰も読まないとかそういう水準ではまだ考えていない。接点さえあればそれでいい。この世界における作品にとっての自分の役割と、作品におけるこの世界にとっての自分の役割の両方を同時に達成できるとしたら、それ以上望むことはない。逆に言うとそれ以外の望みは役割関係なく自分で勝手に達成していく。何でもかんでも自分でまとめることをしなくなった。昔の自分は遠くにいて全然違う自分が今こうやって自分というものの手綱を引いていることを考えると、そういう分離は自然なことのように思える。
1時間半ぐらい仕事を進めた。小説を書いていると自分は目高手低だなということを思ってそんな四字熟語がないか検索してみたら眼高手低というものがヒットした。意味もほとんど同じ、面白くない四字熟語だなと思った。書いているときにはいちいち立ち止まっていては進まないのでできるかぎりのスピードで駆け抜けようとする。それでも手癖で、こういうことはやりたくないと思うところは意識せずに避けていく。後日自分の書いたものを読み返してみると、量がないというショック(髪の毛が薄くなったのを自覚する中年男の気持ちと似ている)に加えて、これは自動で避けてほしかったというところが避けられていない描写、言葉遣いがぽろぽろ出てくる。もし作者が自分ではない設定でこの小説を読んだら駄目な作品だなと思えてしまうであろう箇所がたくさんある。第一稿なのだから修正すればいいだけなのかもしれないが、修正しようとすると全体がしっくりいかないということになってしまう。もっと全体のトーンに即して、かつサバサバと捌けた文体にして、無用な部分を削ったエスプリを増やしていきたい。それは端的に言うということではなく、目に見えるものについて客観的に描写するということによって可能になるはずだ。同じことを何度も言っているような気がするけど、それはとにかく自分の目に見えていないものを書いて量をかさ増ししようとしているから起こることだ。もっと机に座る前の段階で、小説世界の出来事を見つめないといけない。ラジオとかお笑い番組とか視聴している場合ではない。外に出て人が喋っているのを聞くほうがよっぽど役に立つ。それでいうと今日は幼稚園生ぐらいの年齢の女の子二人組が「ふたりはいちばんなーかかよし」という歌を合唱しながらスキップで帰宅する場面に遭遇した。後ろからふたりの母親が追いかけていたので都合4人パーティだったのだが、よく知っている帰り道だからだろう、一番仲良しのふたりが先陣を切っていた。節回しも手をつなぎながらの息を合わせたスキップもありきたりでつまらないものだったが、それとはちがう次元で、そういう歌をふたりで唄える場面というのは、すれ違っただけの全然知らないふたりなのだが、彼女らの人生単位で見てもピークのひとつになることが確定していた。成長する過程で本人たちはすぐ忘れてしまうとしても、あの瞬間を俺は見たぞと思った。こういうことがランダムに起こるのでもっと見ないといけない。

20230808

日記177

鱗ビル

2023/08/07 昨日
スタバを出て酒を飲んで帰る。面白い夢を見たと思うのだが思い出せない。夢を見たすぐ後にはこれは使えるかもと思う。どうやって使うかというところまでそのときに決めていかないと結局忘れる。夏祭りの夢を見た。メインステージではSMAPのFreebirdを木村拓哉が歌っていたが、自分がたまたま近くに立っていたサブステージには新しい地図の草なぎと香取がいて、Freebirdを熱唱する木村を冷ややかな目で見ていた。しかも結局そのまま途中退出していった。香取ファンの友達のために写真を撮っておこうと思い立ち、uekaraスタイルで手を伸ばして写真を何枚か撮ったところ、運営の浴衣を着たマダムに「いかにもって感じのやつが非常識な撮影をするもんよね」と聞こえよがしの嫌味を言われた。意外とショックを受けて、自分も普段そういう形で嫌味を言うことがあるけれど今後はすこし控えようと思った。

2023/08/08 今日
在宅バイト。打ち合わせであまり心の準備をしないでも喋れるようになった。慣れでしかないとはいえ、慣れることができたのと、慣れによってできるようになったという経験を得られたのは良いことだ。ほぼザ行なしでスタバに出る。駅上のほうが満席だったのでクラシックのほうにくる。先に飯を済ませようともうやんカレーに行くと研修のためとか言って臨時閉店していて悔しかった。腹いせにナンステーションに行ってチーズナンを食べる。注文してから電子マネーはペイペイしか使えないっぽいことに気づく。悩んでもしょうがないのでとりあえずほうれん草チキンカレーとハニーチーズナンのハニー抜きを満喫した後、お会計に行く。次点クレジットカードも使えないということで万事休すかと思われたが、普段より小銭入れにコインが充実しており、全部を吐き出して1320円をギリギリ払うことができた。支払いが終わって小銭入れには残金7円。10円玉一枚足りなくても詰んでいた状況でピッタリ支払うことができたのは気持ちよかった。スタバに行って『V.』と『哲学者競馬場に行く』を読む。日記を書いて20時5分から仕事にかかる。

日記788

注意するに越したことなし 2026/08/04 昨日 15208 朝から出社。8時頃でもまだ涼しかった。午後から在宅勤務に切り替える。昼ごはんにスパゲティを食べる。腕立て伏せ。1時間すこし昼寝をする。『罪と罰』を読む。急な問い合わせが入り、定時すこしすぎに...